霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第一〇章 矢田(やだ)の滝(たき)〔一〇二二〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第37巻 舎身活躍 子の巻 篇:第2篇 青垣山内 よみ(新仮名遣い):あおがきやまうち
章:第10章 矢田の滝 よみ(新仮名遣い):やだのたき 通し章番号:1022
口述日:1922(大正11)年10月09日(旧08月19日) 口述場所: 筆録者:松村真澄 校正日: 校正場所: 初版発行日:1924(大正13)年3月3日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一部の章はAIによって要約を作成しています。[×閉じる]:
葦野山峠の西坂で牛糞をつかまされ、自暴自棄になって二三日は祝詞も修行も注視していた。三日目の晩にまたもや臍下丹田から霊が喉元に上がってきて叫び始めた。
大霜天狗と名乗る神霊は、葦野山峠の失敗を触れて回ってやろうか、とからかい始めた。喜楽は、神霊は大霜天狗ではなく、やっぱり松岡様ではないかと詰め寄ると、神霊は実は松岡だと明かして大笑いした。
喜楽の文句はまったく聞く耳をもたず、松岡神は喜楽の身体を使って夜十二時ごろに自宅を立ち出で、亀岡の産土・矢田神社の奥の滝に水行を命じた。そして一週間の滝行を行うことになった。
七日目ににわかに恐ろしい思いに捉われ、怪しいものを見たが、一声腹の中から『突進』という声を聴くと落ち着くことができた。滝への途上、稲利下げの婆に会った。
滝に来てみると、亀岡旅籠町の外志ハルという神下しの女が行を行っており、喜楽が審神を行った。外志ハルが正気に戻ると、お互いに神様の話をしながら旅籠町に回り、夫の筆吉にも面会して、道のために協力し合うことを約束して穴太に帰ってきた。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2022-10-20 13:56:59 文字数:5281 OBC :rm3710
愛善世界社版:124頁 八幡書店版:第7輯 77頁 修補版: 校定版:131頁 普及版:60頁 初版: ページ備考:
001 葦野山(あしのやま)峠(たうげ)の西坂(にしざか)でマンマと牛糞(うしくそ)をつかまされ、002阿呆(あはう)らしくて堪(たま)らず、003稍(やや)自暴(じばう)自棄(じき)的(てき)になつて、004二三(にさん)日(にち)の間(あひだ)朝寝(あさね)をする、005宵寝(よひね)もする、006天津(あまつ)祝詞(のりと)の奏上(そうじやう)や、007鎮魂(ちんこん)帰神(きしん)の修業(しうげふ)は中止(ちうし)してゐた。008そうすると三日目(みつかめ)の晩(ばん)、009又(また)もや臍下(さいか)丹田(たんでん)から例(れい)のグルグルが喉元(のどもと)へ舞(ま)ひ上(あが)り、
010『アーアーアー』
011と大(おほ)きな声(こゑ)を連発(れんぱつ)し、012暫(しばら)くすると、
013『阿呆(あはう)阿呆(あはう)阿呆(あはう)!』
014と呶鳴(どな)りつける。015喜楽(きらく)は思(おも)うた……本当(ほんたう)に天狗(てんぐ)の云(い)ふ通(とほ)り、016阿呆(あはう)も阿呆(あはう)、017図(づ)なしの阿呆(あはう)だ。018併(しか)し乍(なが)ら誰(たれ)にも云(い)はずに今(いま)まで隠(かく)してゐるのだから、019大霜(おほしも)天狗(てんぐ)無頓着(むとんちやく)にあんな声(こゑ)で、020葦野山(あしのやま)峠(たうげ)の失敗(しつぱい)事件(じけん)を喋(しやべ)りでもせうものなら、021それこそ親(おや)兄弟(きやうだい)、022近所(きんじよ)株内(かぶうち)の奴(やつ)に馬鹿(ばか)にしられ、023神(かみ)さまの祭壇(さいだん)も取除(とりのぞ)かれて了(しま)うに違(ちが)ひない、024どうぞ大(おほ)きな声(こゑ)を出(だ)してくれねばよいがなア……と心(こころ)の中(なか)に念(ねん)じてゐた。
025大霜(おほしも)『コレ肉体(にくたい)、026スツパ抜(ぬ)かうか、027チツと貴様(きさま)も困(こま)るだろ。028どうせうかな』
029とからかひ始(はじ)める。
030喜楽(きらく)『どうなつと勝手(かつて)にしなさい。031元(もと)の土百姓(どびやくせう)や牧畜(ぼくちく)業者(げふしや)になつて了(しま)ひます。032却(かへつ)て素破(すつぱ)ぬいた方(はう)が諦(あきら)めがついて宜(よろ)しい』
033大霜(おほしも)『そう落胆(らくたん)するものぢやない。034まだお前(まへ)は十分(じふぶん)に身魂(みたま)が研(みが)けて居(ゐ)ないから、035モウ一度(いちど)神(かみ)が連(つ)れて行(ゆ)くから、036水行(すいげう)をするのだ。037小幡(をばた)川原(がはら)の水(みづ)は体(からだ)にしみ込(こ)んで垢(あか)がとれぬから駄目(だめ)だ。038今度(こんど)此(この)方(はう)がよい所(ところ)へ連(つ)れて行(い)つてやるから、039其(その)用意(ようい)をせい。040草鞋(わらぢ)や脚絆(きやはん)をチヤンと拵(こしら)へて、041今晩(こんばん)の十二(じふに)時(じ)に此処(ここ)を立(た)つ事(こと)にするのだ』
042喜楽(きらく)『又(また)ウソを言(い)ふのぢやありませぬか?』
043大霜(おほしも)『嘘(うそ)も糞(くそ)もあつたものかい。044モウ斯(か)うなつた以上(いじやう)は何事(なにごと)があらうと神(かみ)に任(まか)し、045糞度胸(くそどきよう)を据(す)ゑてかからねば何事(なにごと)も成功(せいこう)しないぞ。046あの位(くらゐ)の事(こと)でフン慨(がい)しとるやうな事(こと)ぢや駄目(だめ)だ』
047喜楽(きらく)『モシモシ天狗(てんぐ)さま、048お前(まへ)さまは大霜(おほしも)だと云(い)つて居(を)られるが、049違(ちが)ひませう。050どうも云(い)ひぶりが松岡(まつをか)さまらしい』
051大霜(おほしも)『松岡(まつをか)でも大霜(おほしも)でも構(かま)はぬぢやないか、052お前(まへ)の魂(たましひ)さへ研(みが)けたらいいのぢや。053本当(ほんたう)の守護神(しゆごじん)が分(わか)らぬやうなこつては神柱(かむばしら)も駄目(だめ)だ。054本当(ほんたう)は俺(おれ)を誰(たれ)だと思(おも)うてるか』
055喜楽(きらく)『松岡(まつをか)さまにきまつてゐますワイ』
056松岡(まつをか)『よう当(あ)てた、057本当(ほんたう)は松岡(まつをか)だ。058奥山(おくやま)へ金掘(かねほ)りにやつたのも、059牛(うし)の糞(くそ)を掴(つか)ましてやつたのも皆(みな)此(この)松岡(まつをか)だよ、060アハヽヽヽ、061ウフヽヽヽ』
062喜楽(きらく)『馬鹿(ばか)にしなさるな』
063松岡(まつをか)『馬鹿(ばか)の卒業生(そつげふせい)を馬鹿(ばか)にせうと思(おも)つても、064する余地(よち)がないぢやないか、065エヘヽヽヽ。066これからサア身魂(みたま)の洗濯(せんたく)に連(つ)れて行(ゆ)かう。067草鞋(わらぢ)や脚絆(きやはん)がなければ下駄(げた)ばきでいいワ、068サア行(ゆ)かう』
069と腹(はら)の中(なか)からどなると共(とも)に、070喜楽(きらく)の体(からだ)は器械(きかい)的(てき)に立上(たちあ)がり、071庭(には)の駒下駄(こまげた)をはいたまま、072夜(よる)の十二(じふに)時(じ)頃(ごろ)に自宅(じたく)を立出(たちい)で、073小幡川(をばたがは)を渡(わた)り、074スタスタと穴太(あなを)を東(ひがし)に離(はな)れ、075重利(しげとし)の車清(くるませ)の側(そば)の橋(はし)を越(こ)え、076藪(やぶ)をぬけ、077一町(いつちやう)許(ばか)り進(すす)むと、078自分(じぶん)の足(あし)は土中(どちう)から生(は)えた様(やう)にピタリと止(と)まつて了(しま)つた。079そこには田園(でんえん)に施(ほどこ)す肥料(ひれう)をたくはへる糞壺(くそつぼ)があつて、080異様(いやう)の臭気(しうき)が鼻(はな)をついてゐる。081腹(はら)の中(なか)から塊(かたまり)がクルクルと又(また)もや喉元(のどもと)へつきつけ、
082松岡(まつをか)『オイ肉体(にくたい)、083真裸(まつぱだか)になつて此(この)糞壺(くそつぼ)へ這入(はい)り、084身魂(みたま)の洗濯(せんたく)を致(いた)せ!』
085と呶鳴(どな)り出(だ)した。086体(からだ)は自然(しぜん)に糞壺(くそつぼ)の方(はう)へ進(すす)んで行(ゆ)く。087鼻(はな)が曲(まが)るほど臭(くさ)うてたまらぬ。
088喜楽(きらく)『コレ松岡(まつをか)さま、089こんな所(ところ)へ這入(はい)つたら尚(なほ)汚(けが)れるぢやありませぬか。090綺麗(きれい)な水(みづ)で洗濯(せんたく)してやらうと言(い)ひ乍(なが)ら、091糞壺(くそつぼ)へ這入(はい)れとはチツと間違(まちが)ひぢや厶(ござ)いませぬか』
092松岡(まつをか)『錆(さび)た刀(かたな)を砥(と)ぐ時(とき)も、093生灰(きばい)をつけたり、094泥(どろ)をつけたりする様(やう)に、095お前(まへ)のやうな製糞器(せいふんき)は糞(くそ)で研(みが)いてやるのが一番(いちばん)だ。096糞(くそ)より汚(きたな)い身魂(みたま)を持(も)つてゐ乍(なが)ら、097糞(くそ)が汚(きたな)いとは何(なに)を吐(ぬか)すのだ』
098と大声(おほごゑ)に呶鳴(どな)り立(た)てた。099喜楽(きらく)はビツクリして、
100喜楽(きらく)『ハイ、101そんなら裸(はだか)になつて這入(はい)ります。102どうぞ大(おほ)きな声(こゑ)を出(だ)さぬやうにして下(くだ)さい』
103と帯(おび)を解(と)かうとする。
104松岡(まつをか)『オイ待(ま)て待(ま)て、105それさへ分(わか)ればモウよい。106お前(まへ)の体(からだ)は機関(きくわん)だ、107生宮(いきみや)だ。108そんな所(ところ)へ這入(はい)つて貰(もら)ふと俺(おれ)も一寸(ちよつと)困(こま)るのだ、109アハヽヽヽ』
110喜楽(きらく)『私(わたし)は元(もと)からの土(ど)ン百姓(びやくせう)で、111糞(くそ)位(くらゐ)は何(なん)とも思(おも)つて居(を)りませぬ。112糞(くそ)がなければ五穀(ごこく)野菜(やさい)が育(そだ)ちませぬから、113一遍(いつぺん)這入(はい)つて見(み)ませうか』
114松岡(まつをか)『這入(はい)るなら勝手(かつて)に這入(はい)れ。115其(その)代(かは)り此(この)松岡(まつをか)は只今(ただいま)限(かぎ)り守護(しゆご)致(いた)さぬからそう思(おも)へ。116あとはもぬけのから、117狸(たぬき)の容物(いれもの)にでもなるがよからう』
118 斯(か)う言(い)はれると何(なん)となしに未練(みれん)が湧(わ)いて来(く)る。119松岡神(まつをかしん)が人(ひと)の体(からだ)へ這入(はい)つて、120ウソ計(ばか)り言(い)ひ何遍(なんべん)も失敗(しつぱい)をさせよる仕方(しかた)のない奴(やつ)、121こんな邪神(じやしん)は一時(いつとき)も早(はや)く退散(たいさん)させたいと思(おも)ふ事(こと)は度々(たびたび)であつたが、122サテ之(こ)れ限(かぎ)り立退(たちの)くと云(い)はれると、123何(なん)だか惜(をし)い様(やう)な気(き)がして来(く)るのが不思議(ふしぎ)である。
124喜楽(きらく)『そんなら、125あなたの仰(おほせ)に従(したが)ひます。126サア是(これ)から美(うつく)しい水(みづ)の所(ところ)へ連(つ)れて行(い)つて下(くだ)さい』
127松岡(まつをか)『コレから一(いち)里(り)許(ばか)り東(ひがし)へ行(ゆ)くと、128矢田(やだ)の滝(たき)というて東(ひがし)向(む)きに落(お)ちてゐる、129形(かたち)計(ばか)りの滝(たき)がある。130そこで水行(すゐぎやう)をするのだ、131サア行(ゆ)ケ!』
132と号令(ごうれい)し乍(なが)ら、133喜楽(きらく)の肉体(にくたい)を自由(じいう)自在(じざい)に操(あやつ)つて、134足早(あしばや)に硫黄谷(いわうだに)を越(こ)え、135大池(おほいけ)の畔(ほとり)を伝(つた)うて、136亀岡(かめをか)の産土(うぶすな)矢田(やだ)神社(じんじや)の奥(おく)の谷(たに)に導(みちび)き水行(すゐぎやう)を命(めい)じた。137そして一(いつ)週間(しうかん)の間(あひだ)毎夜(まいよ)此(この)滝(たき)に通(かよ)ふ事(こと)を肉体(にくたい)に厳命(げんめい)した。138喜楽(きらく)はそれより毎夜(まいよ)々々(まいよ)淋(さび)しい山道(やまみち)や池(いけ)の畔(ほとり)や墓場(はかば)を越(こ)え矢田(やだ)の滝(たき)へ通(かよ)ふ事(こと)となつた。
139 矢田(やだ)の滝(たき)へ通(かよ)ひ始(はじ)めてから七日目(なぬかめ)、140今晩(こんばん)が行(ぎやう)の上(あが)りと云(い)ふ時(とき)になつて、141なんとなく心(こころ)の底(そこ)に恐怖心(きようふしん)が湧(わ)いて来(き)た。142奥(おく)の間(ま)にかけてあつた大身鎗(おほみやり)をひつさげ、143十二(じふに)時(じ)頃(ごろ)自宅(じたく)を立(た)つて、144穴太(あなを)の村外(むらはづ)れまで進(すす)んで来(く)ると、145自分(じぶん)の持(も)つて居(ゐ)る鎗(やり)が心(こころ)の勢(せい)か勝手(かつて)に動(うご)き出(だ)し、146リンリンと唸(うな)り声(ごゑ)がして来(く)る。147鎗(やり)の穂先(ほさき)は夜(よる)でハツキリは見(み)えぬが、148自然(しぜん)に曲(まが)り鎌首(かまくび)を立(た)ててゐる様(やう)な気(き)がしてならぬ。149黒(くろ)い古(ふる)ぼけた鎗(やり)を握(にぎ)つた積(つも)りでゐたのがいつの間(ま)にか太(ふと)い蛇(へび)を握(にぎ)つてる様(やう)な気(き)がして来(き)たので、150麦畑(むぎばたけ)の中(なか)へ矢庭(やには)に放(はう)り込(こ)み、151車清(くるませ)の方(はう)へ向(むか)つて進(すす)みかけた。152此(この)鎗(やり)を棄(す)ててから余程(よほど)恐怖心(きようふしん)が薄(うす)らいで来(き)た。
153 追々(おひおひ)進(すす)んで硫黄谷(いわうだに)の大池(おほいけ)の側(そば)へ来(き)て見(み)ると、154周囲(まはり)一(いち)里(り)もあると云(い)はれてゐる山間(さんかん)の大池(おほいけ)の中(なか)に二三丈(にさんぢやう)計(ばか)りあらうと思(おも)はる背(せ)の高(たか)い、155それに恰好(かつかう)した太(ふと)さの、156赤(あか)い丸顔(まるがほ)の男(をとこ)が深(ふか)い池水(いけみづ)に腰(こし)あたりまでつけて、157バサリバサリと自分(じぶん)の方(はう)を向(む)いて歩(あゆ)んで来(く)る様(やう)に見(み)える。158髪(かみ)の毛(け)は縮(ちぢ)み上(あが)る、159胸(むね)は動悸(どうき)が高(たか)くなる。160一心(いつしん)不乱(ふらん)に『惟神(かむながら)霊(たま)幸倍(ちはへ)坐世(ませ)』を称(とな)へ乍(なが)ら池端(いけばた)を東(ひがし)へ東(ひがし)へと走(はし)りゆく。161此(この)怪物(くわいぶつ)はどうなつたか、162後(あと)は分(わか)らなかつた。163前方(ぜんぱう)に当(あた)つて青(あを)い火(ひ)が、164いつも灯(とも)つてゐない所(ところ)に見(み)える。165進(すす)みもならず退(しりぞ)きもならず暫(しばら)く途中(とちう)に立(た)つて思案(しあん)をしてゐると体(からだ)がオゾオゾと慄(ふる)ひ出(だ)す、166益々(ますます)怖(こは)くなつて来(く)る、167四方(しはう)八方(はつぱう)から厭(いや)らしい化物(ばけもの)に襲撃(しふげき)されるやうな気(き)がしてならない。168あゝこんな時(とき)に松岡(まつをか)さんが憑(うつ)つてくれるといいのにと思(おも)ひ、
169喜楽『松岡(まつをか)天狗(てんぐ)さま、170松岡(まつをか)さま』
171と大(おほ)きな声(こゑ)で叫(さけ)んでみた。172自分(じぶん)乍(なが)ら声(こゑ)は大(おほ)きうても、173其(そ)の声(こゑ)に波(なみ)が打(う)ち、174ふるひが籠(こも)つてゐた。175かうなると自分(じぶん)の声(こゑ)まで厭(いや)らしくなつて来(く)る。176怖(こは)いと思(おも)ひかけたら、177如何(どう)にも斯(か)うにも仕方(しかた)のないものである。178……マア此処(ここ)で暫(しばら)く静坐(せいざ)して公平(こうへい)な判断(はんだん)をつけねばなるまい……と道(みち)の傍(かたはら)の芝生(しばふ)の上(うへ)に腰(こし)を下(おろ)し、179姿勢(しせい)を正(ただ)しうして両手(りやうて)を組(く)んで見(み)た。180されど自分(じぶん)の体(からだ)も腰(こし)も手(て)も足(あし)も、181骨(ほね)なしの蛸(たこ)のやうになつて、182グラグラして一寸(ちよつと)も安定(あんてい)を保(たも)つ事(こと)が出来(でき)なかつた。183たつた一声(ひとこゑ)腹(はら)の中(なか)から、
184『突進(とつしん)!』
185といふ声(こゑ)が聞(きこ)えて来(き)た。186其(その)声(こゑ)を聞(き)くと共(とも)に、187俄(にはか)に糞落着(くそおちつ)きに落着(おちつ)く事(こと)が出来(でき)た。188そして心(こころ)の中(なか)で……エー之(こ)れが霊学(れいがく)の修業(しうげふ)だ、189何(いづ)れ霊界(れいかい)の事(こと)を研究(けんきう)するのだから、190現界(げんかい)と同(おな)じやうな事(こと)では研究(けんきう)の価値(かち)がない、191これが却(かへつ)て神(かみ)さまの御(ご)守護(しゆご)かも知(し)れぬ、192今日(けふ)は一週間(いつしうかん)目(め)の修業(しうげふ)の上(あが)りだ、193高熊山(たかくまやま)の修業中(しうげふちう)にいろいろと霊界(れいかい)の事(こと)を見(み)せて貰(もら)ひ、194教(をし)へても貰(もら)うて居(ゐ)る。195随分(ずゐぶん)其(その)時(とき)も厭(いや)らしい事(こと)や恐(おそ)ろしい事(こと)があつた、196これ位(くらゐ)な事(こと)は霊界(れいかい)探険(たんけん)当時(たうじ)の事(こと)を思(おも)へば、197ホンの門口(かどぐち)だ……と直日(なほひ)に省(かへり)み漸(やうや)く腰(こし)を上(あ)げて、198青(あを)い火(ひ)の方(はう)へ進(すす)んで行(い)つた。199怖々(こはごは)火(ひ)の側(そば)へ寄(よ)つて見(み)れば青(あを)く塗(ぬ)つた硝子(がらす)の行灯(あんどん)に火(ひ)が点(とも)してある。200途(みち)のわきがすぐ墓(はか)になつてゐて今日(けふ)埋(い)けたばかりの新墓(しんばか)に白(しろ)い墓標(ぼへう)が立(た)つてゐる。201気(き)をおちつけて見(み)れば、202亀岡(かめをか)の稲荷下(いなりさ)げをして居(を)つた婆(ばば)アで、203御嶽教(みたけけう)の教導職(けうだうしよく)を勤(つと)めて居(ゐ)た六十婆(ろくじふばば)アが死(し)んだので、204此処(ここ)に葬(はうむ)つたのだと云(い)ふ事(こと)が白(しろ)い墓標(ぼへう)の文字(もんじ)で明(あきら)かになつた。205ヤツと安心(あんしん)して漸(やうや)く矢田(やだ)神社(じんじや)の境内(けいだい)にさしかかり、206社前(しやぜん)の水(みづ)で体(からだ)を清(きよ)め、207御(お)社(やしろ)の前(まへ)で天津(あまつ)祝詞(のりと)を奏上(そうじやう)し、208瞑目(めいもく)静坐(せいざ)などして夜(よ)の明(あ)けるのを待(ま)つてゐた。209最早(もはや)これから奥(おく)へ夜中(よなか)に行(ゆ)く丈(だけ)の勇気(ゆうき)が臆病風(おくびやうかぜ)に誘(さそ)はれて無(な)くなつてゐたからである。
210 夜(よ)はホノボノと明(あ)けて来(き)た。211そこらの様子(やうす)が何(なん)となく昼(ひる)らしくなつたので俄(にはか)に元気(げんき)を出(だ)し、212細谷川(ほそたにがは)を伝(つた)うて、213一(いつ)週間(しうかん)歩(ある)き馴(な)れた谷路(たにみち)を登(のぼ)つて行(ゆ)く。214併(しか)し実際(じつさい)は夜(よ)が明(あ)けてゐるのではなかつたと見(み)え、215再(ふたた)びそこらが薄暗(うすぐら)くなつて来(き)た。216空(そら)を包(つつ)んでゐた雲(くも)がうすらぎ、217東(ひがし)の空(そら)から月(つき)が昇(のぼ)つたのが薄雲(うすぐも)を通(とほ)して光(ひか)つたからであつた。218二三町(にさんちやう)許(ばか)り行(い)つた所(ところ)に、219五十(ごじふ)五六(ごろく)の骨(ほね)と皮(かは)とになつた、220痩(やせ)た可(か)なり背(せ)の高(たか)い婆(ばば)アが、221一方(いつぱう)の手(て)を前(まへ)に出(だ)したり後(うしろ)へ引(ひ)いたり、222切(しき)りに樵夫(きこり)が前挽(まへびき)をひくやうな事(こと)をやつてゐる。223……ハテ怪体(けたい)な奴(やつ)が出(で)やがつた。224夜(よ)が明(あ)けたと思(おも)へば暗(くら)くなつて来(く)る。225そこへ川(かは)に臨(のぞ)んで婆(ばば)アが妙(めう)な手(て)つきをして体(からだ)を揺(ゆす)つて居(ゐ)る。226此奴(こいつ)ア、227ヒヨツとしたら稲荷山(いなりやま)の峰(みね)つづきだから、228奴狐(どぎつね)がだましてゐるのかも知(し)れぬ。229心(こころ)よわくては駄目(だめ)だ……と俄(にはか)に空元気(からげんき)を出(だ)し、230婆(ばば)アの近(ちか)くによつて、231一生(いつしやう)懸命(けんめい)の声(こゑ)で、
232喜楽『コラツ!』
233と呶鳴(どな)つて見(み)た。234婆(ばば)アは此(この)声(こゑ)に驚(おどろ)いて、235折角(せつかく)発動(はつどう)してゐた手(て)をピタリと止(や)め、236腰(こし)を屈(かが)めて、
237婆(ばば)『ハーイ、238どなたか知(し)りませぬが、239何(なに)か御(ご)無礼(ぶれい)な事(こと)を致(いた)しましたかな。240妾(わたし)は樽幸(たるかう)の稲荷(いなり)さまに信心(しんじん)して居(を)りまして、241御(お)台(だい)さまから神(かみ)うつりの伝授(でんじゆ)を受(う)け、242今日(けふ)で三(さん)年(ねん)許(ばか)り毎晩(まいばん)此処(ここ)へ修業(しうげふ)に来(き)て居(を)ります。243おかげで右(みぎ)の手(て)丈(だけ)此(この)通(とほ)り御(お)手(て)うつりが出来出(できだ)しました。244モウ三(さん)年(ねん)すれば又(また)左(ひだり)の手(て)に御(お)手(て)うつりがあり、245それから胴(どう)うつり、246頭(あたま)にうつり、247御(お)口(くち)が切(き)れるのが、248マアマアザツと之(これ)から十(じふ)年(ねん)の修業(しうげふ)で御座(ござ)います。249お前(まへ)さまは此(この)頃(ごろ)評判(ひやうばん)の高(たか)い、250穴太(あなを)の天狗(てんぐ)さまぢや御座(ござ)いませぬか』
251喜楽(きらく)『お婆(ばあ)サン、252そんな年寄(としよ)りがこれから十(じふ)年(ねん)も修行(しうぎやう)して居(を)つたら、253口(くち)の切(き)れるのと死(し)ぬのと一時(いつとき)になるぢやないか。254モツと早(はや)う口(くち)の切(き)れるやうにして上(あ)げようか。255私(わたし)が修業(しうげふ)さしたら、256一(いつ)週間(しうかん)にはキツと口(くち)を切(き)つて上(あ)げる』
257婆(ばば)『ハヽヽヽヽさうかが易(やす)く神(かみ)様(さま)が憑(うつ)つたり、258口(くち)が切(き)れるやうな事(こと)なら、259此(この)婆(ばば)もこんな永(なが)い修行(しうぎやう)は致(いた)しませぬワイナ。260早(はや)う口(くち)の切(き)れるやうな神(かみ)は碌(ろく)なものぢやありませぬ。261どうで狐(きつね)か狸(たぬき)でせう』
262と自分(じぶん)が豆狸(まめだぬき)にうつられて居(ゐ)乍(なが)ら、263狐狸(こり)をくさしてゐる其(その)可笑(をか)しさ。264肥持(こえも)ちが糞(くそ)の臭(にほひ)を知(し)らぬのと同(おな)じやうなものだなアと思(おも)ひ乍(なが)ら、265此(この)場(ば)を立去(たちさ)らうとすると、266婆(ば)アサンは又(また)右(みぎ)の手(て)を樵夫(きこり)が木(き)をひくやうに動(うご)かせ乍(なが)ら、267腰(こし)をキヨクン キヨクンと揺(ゆ)り動(うご)かし、268動(うご)かぬ方(はう)の手(て)をニユツと前(まへ)に出(だ)し、
269婆(ばば)『コレもし、270穴太(あなを)の天狗(てんぐ)さま、271どうで御(お)世話(せわ)になりますが、272一遍(いつぺん)樽幸(たるかう)の稲荷(いなり)さまに伺(うかが)うた上(うへ)頼(たの)みますワ。273此(この)間(あひだ)西町(にしまち)の御(お)台(だい)さまが、274樽幸(たるかう)の稲荷(いなり)さまの弟子(でし)で居(ゐ)乍(なが)ら、275余部(あまるべ)の稲荷(いなり)さまの方(はう)へ肩替(かたがへ)しやはつたら、276其(その)罰(ばち)で死(し)なはりました。277昨日(きのふ)葬式(さうしき)がありました。278神(かみ)さまの御(ご)機嫌(きげん)を損(そん)ずると恐(おそ)ろしいから、279とつくり樽幸(たるかう)の稲荷(いなり)さまに伺(うかが)うた上(うへ)御(お)世話(せわ)になりますワ』
280喜楽(きらく)『樽幸(たるかう)の稲荷(いなり)さまはキツと反対(はんたい)するにきまつてゐる。281此方(こちら)は天狗(てんぐ)さま、282そちらは黒(くろ)サンだからなア』
283婆(ばば)『コレコレ、284何(なん)といふ勿体(もつたい)ない事(こと)を仰有(おつしや)る。285あの神(かみ)さまは正一位(しやういちゐ)天狐(てんこ)御剣(みつるぎ)大明神(だいみやうじん)さまだ。286一(いち)の峰(みね)に御(ご)守護(しゆご)遊(あそ)ばすお山(やま)一(いち)の御(ご)守護神(しゆごじん)さま。287勿体(もつたい)ない、288黒(くろ)サンぢやなどと、289狸(たぬき)にして了(しま)うとは、290罰(ばち)が当(あた)りますぞえ。291そんな御(お)方(かた)に御(お)世話(せわ)にならうものなら、292どんな事(こと)が起(おこ)るか知(し)れませぬ。293モウ是(これ)ぎりお前(まへ)さまも妾(わたし)の事(こと)を忘(わす)れて下(くだ)さい、294妾(わたし)も忘(わす)れます。295妙(めう)な因縁(いんねん)の綱(つな)がからまると互(たがひ)に迷惑(めいわく)しますからなア。296六根(ろくこん)清浄(せいじやう)六根(ろくこん)清浄(せいじやう)南無(なむ)妙法(めうはふ)蓮華経(れんげきやう)……』
297と一生(いつしやう)懸命(けんめい)に唱(とな)へ始(はじ)めた。298喜楽(きらく)はここを見捨(みす)てて二町(にちやう)許(ばか)り上手(かみて)の東向(ひがしむ)きの滝(たき)へ行(い)つて見(み)ると、299いつも余(あま)り太(ふと)くない滝(たき)が一丈(いちぢやう)程(ほど)落(お)ちて居(ゐ)るのに、300今日(けふ)は又(また)如何(どう)したものか、301五六間(ごろくけん)こつちから滝(たき)を見(み)ると、302真白(まつしろ)けの者(もの)が立(た)つてゐる。303朧月夜(おぼろづきよ)にすかし乍(なが)ら、304滝壺(たきつぼ)の前(まへ)まで近(ちか)よつて見(み)ると、305二十(にじふ)五六(ごろく)の女(をんな)が白衣(びやくい)をつけて髪(かみ)をふり乱(みだ)し、306滝(たき)にかかつてゐる。307喜楽(きらく)は神憑(かむがか)りと見(み)て取(と)り、
308喜楽(きらく)『何神(なにがみ)さまで御座(ござ)いますか、309お名(な)を聞(き)かして下(くだ)さい』
310とやつて見(み)た。311滝(たき)にかかつた白衣(びやくい)の女(をんな)は両手(りやうて)を組(く)んだまま、312頭上(づじやう)高(たか)く差(さ)し上(あ)げ、313背伸(せの)びをし、314少(すこ)しく反(そ)り返(かへ)つて、
315女『力松(りきまつ)大明神(だいみやうじん)……』
316と甲声(かんごゑ)で呶鳴(どな)つた。
317喜楽(きらく)『力松(りきまつ)大明神(だいみやうじん)とは何処(どこ)の守護神(しゆごじん)ですか?』
318女(をんな)『稲荷山(いなりやま)、319奥村(おくむら)大明神(だいみやうじん)の御(ご)眷族(けんぞく)、320力松(りきまつ)大明神(だいみやうじん)だ。321此(この)方(はう)を信仰(しんかう)致(いた)せば病気(びやうき)災難(さいなん)一切(いつさい)をのがらしてやるぞよ。322其(その)方(はう)は穴太(あなを)の天狗(てんぐ)であらう。323今日(けふ)で一(いつ)週間(しうかん)の修行(しうぎやう)の上(あが)りと聞(き)いた故(ゆゑ)、324此(この)肉体(にくたい)の外志(げし)ハルを、325此(この)方(はう)が誘(さそ)ひ出(だ)し、326其(その)方(はう)に面会(めんくわい)させる為(ため)に待(ま)つて居(を)つたのだ。327随分(ずゐぶん)途中(とちう)で怖(こは)かつただらうのう』
328喜楽(きらく)『分(わか)りました、329どうぞ御(お)引取(ひきとり)を願(ねが)ひます』
330女(をんな)『引取(ひきと)れと申(まを)さいでも、331此(この)力松(りきまつ)大明神(だいみやうじん)はそちの心(こころ)をよく知(し)つとるから引取(ひきと)るぞよ。332ウンウン……』
333と云(い)つたぎり、334亀岡(かめをか)旅籠町(はたごちやう)の外志(げし)ハルと云(い)ふ神憑(かむがか)りは正気(しやうき)に帰(かへ)つて了(しま)うた。
335 さうかうする間(あひだ)に夜(よ)はカラリと明(あ)け渡(わた)つた。336二人(ふたり)はいろいろと神(かみ)様(さま)の話(はなし)をし乍(なが)ら外志(げし)ハルの頼(たの)みに依(よ)つて、337旅籠町(はたごちやう)に廻(まは)り、338夫(をつと)の筆吉(ふできち)といふに面会(めんくわい)して、339互(たがひ)に道(みち)の為(ため)に助(たす)け合(あ)ふ事(こと)を約(やく)し、340穴太(あなを)へ帰(かへ)つて来(き)た。
341(大正一一・一〇・九 旧八・一九 松村真澄録)
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