霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第一章 真(しん)と偽(ぎ)〔一三三七〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第52巻 真善美愛 卯の巻 篇:第1篇 鶴首専念 よみ(新仮名遣い):かくしゅせんねん
章:第1章 真と偽 よみ(新仮名遣い):しんとぎ 通し章番号:1337
口述日:1923(大正12)年01月29日(旧12月13日) 口述場所: 筆録者:松村真澄 校正日: 校正場所: 初版発行日:1925(大正14)年1月28日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]:
人間の内底に潜在する霊魂を、本守護神または正副守護神という。本守護神は、神の神格の内流を直接に受けた精霊のことである。正守護神とは、内底神の善に向かい、真に対し、外部は自愛および世間愛に対し、これらの間をよく按配調和して広く人類愛におよぶ精霊のことである。
副守護神とは、その内底神に背き、ただ物質的・肉体に関する欲望のみに向かって蠢動する精霊である。優勝劣敗、弱肉強食、生存競争をもって最大の真理となす。
しかし人間の霊魂は、神典によれば荒魂、和魂、奇魂、幸魂の四性に区分されている。それぞれ勇・親・愛・智に対応し、この勇親愛智を完全に活躍させるものは、神の真愛と真智である。
幸魂の愛は人類愛であり、自愛や世間愛の中にも普遍的な愛として住している。神の愛は万物発生の根源力であって、また人生における最大の活気力となるものである。この神愛は大神と天人とを和合せしめ、また天人各自の間をも親和せしむる神力である。
このような最高なる神愛は、あらゆる人間の真の生命をなす実在である。この神愛があるゆえに、天人も人間も、その生命を保持することができるのである。
大神より出で来る御神格そのものを、神真(まこと)という。この神真は大神の信愛によって高天原に流れ入る神機である。神の愛と、これより来る神真とは、現実世界における太陽の熱と、その熱より出る光にたとえられるべきものである。神愛は太陽の熱、神真は太陽の光に相似している。火は神愛そのものを表し、光は神愛より来る神真を表している。
愛には二種類の区別があり、一つは神に対する愛であり、もう一つは隣人に対する愛である。第一天国には大神に対する愛があり、第二天国には隣人に対する愛がある。隣人愛とは仁である。愛と仁は、いずれも大神の神格より出てきて天国の全体を成就する。
大神より来る善そのものを愛することが、大神を愛し奉るということの意味である。また善を愛するということは、その善を志すことであり、また善を行うにあたっては愛によって為す、という意味である。
いかなる善行も、愛を離れていれば、それは地獄の善でありいわゆる悪である。天国の善は地獄の悪であり、地獄の善は天国の悪である。ゆえに天国の福音を人類に伝達しても、地獄界に籍を置く人間からは敵視され迫害を被る。
大神の愛に依る神人は、いかなる地獄界の迫害を受けてあるいは身肉を亡ぼされることがあろうとも、死後の生涯にてその人格は依然として聖きもの尊きものとして、天国において尊敬され愛されるものである。
次に、隣人を愛する仁は、たんに朋友知己を人格より見て愛する、ということではない。大神の聖言すなわち神諭から来るところの神真を愛することである。神真を愛するということは、その真を志し、真を行うことをいうのである。
この物語の主人公である初稚姫は、二種の愛、善と真の完全に具足した天人にして、いわば大神の化身でもあり分身でもあり、あるときは代表者としてその神格を肉体を通して発揮し給うがゆえに、よく善に処し真に居り、いかなる妖魅に対しても汚されることなく、己が天職を自由自在に発揮し得られるるのである。
これに反して高姫は、口には愛善と信真を言うけれども、その内底は神に向かって閉塞され、地獄に向かって開放されているゆえに、称える善はすべて偽善となるのである。あるときはほとんど善に近い行いをなし、真に相似せることを言うことはある。しかし内底が地獄に向かっているため、一定の善と信に居ることができない。
すべての人間には、各自の生命に属する霊的円相なるものがあり、この円相は人間各自の身体を囲んでいる。各人の情動的生涯(愛的生涯)、思索的生涯(信仰的生涯)の中から溢れ出るものである。
初稚姫は霊的円相ますます円満具足して、全身の周囲から五色の霊光が常住不断に発射されている。これに反して高姫は、虚偽と世間愛的悪に居るをもって、霊的円相はほとんど絶滅し、灰色の雲のような三角形の霊衣がわずかに肉身を囲んでいるに過ぎない。
高姫は自愛の心すなわち愛の悪が強いゆえにその面を神に背け、暗黒の中に呻吟しながら、かくの如き暗黒無明の世界を救うために雑多に身を変じてヘグレ武者となり、万民を助けなければならないと、兇霊の言に誤られて蠢動しているのである。
開闢の始めより、天界の光明は赫灼として輝き給ひ、数多の天人は各団体に住してその光輝ある生涯を送っているというのに。
神諭の言は、この現界を天国浄土の楽土となし、一人も地獄界に落とさないための大神の仁慈の大御心より出でた聖言であって、高姫のように、三界がすべて暗闇となってしまっている、という意味ではない。
現界において智慧証覚の劣った者、愛善の徳薄く、信真の光暗い者が、天人やエンゼルと相伍してついに聖き信仰に入り、高天原の景福を得るに至らしめるように、神は予言者にその精霊を充たして福音を述べさせ給うたのである。愛善・信真を一生涯深く心に植え付け、実践躬行することによって、罪悪に満ちた人間も天国に救われることができる聖場を、開かせ給うたのである。これを神界にては地の高天原と称えるのである。
初稚姫の御再誕なる大本開祖は、神命を奉じて地の高天原に降り、万民を救わんと焦慮し給う。それに引き替え、その肉身から生まれた者に正反対のものがあるのは、実に不可説の深遠微妙なる御神策のおわしますことである。
大本神諭に、吾が児につまらぬ御用がさして善悪の鏡が見せてあるぞよ云々とある。信者たるものは、この善悪両方面の実地を観察して、その信仰を誤らないようにしなくてはならないのである。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2023-09-25 22:13:55 文字数:6400 OBC :rm5201
愛善世界社版:11頁 八幡書店版:第9輯 383頁 修補版: 校定版:11頁 普及版:5頁 初版: ページ備考:
派生[?]この文献を底本として書かれたと思われる文献です。[×閉じる]:出口王仁三郎全集 > 第一巻 皇道編 > 第七篇 高天原 > 第十七章 真と偽
001 人間(にんげん)の内底(ないてい)に潜在(せんざい)せる霊魂(れいこん)を、002本(ほん)守護神(しゆごじん)又(また)は正副(せいふく)守護神(しゆごじん)と云(い)ふ。003そして本(ほん)守護神(しゆごじん)とは、004神(かみ)の神格(しんかく)の内流(ないりう)を直接(ちよくせつ)に受(う)けたる精霊(せいれい)の謂(いひ)であり、005正(せい)守護神(しゆごじん)とは一方(いつぱう)は内底(ないてい)神(かみ)の善(ぜん)に向(むか)ひ、006真(しん)に対(たい)し、007外部(ぐわいぶ)は自愛(じあい)及(およ)び世間愛(せけんあい)に対(たい)し、008之(これ)をよく按配(あんばい)調和(てうわ)して広(ひろ)く人類愛(じんるゐあい)に及(およ)ぶ所(ところ)の精霊(せいれい)である。009又(また)副(ふく)守護神(しゆごじん)とは其(その)内底(ないてい)神(かみ)に反(そむ)き、010只(ただ)物質(ぶつしつ)的(てき)躯殻(くかく)即(すなは)ち肉体(にくたい)に関(くわん)する欲望(よくばう)のみに向(むか)つて蠢動(しゆんどう)する精霊(せいれい)である。011優勝(いうしよう)劣敗(れつぱい)、012弱肉(じやくにく)強食(きやうしよく)を以(もつ)て最大(さいだい)の真理(しんり)となし、013人生(じんせい)の避(さ)く可(べ)からざる径路(けいろ)とし、014生存(せいぞん)競争(きやうそう)を以(もつ)て唯一(ゆゐいつ)の真理(しんり)と看做(みな)す精霊(せいれい)である。015而(しか)して人間(にんげん)の霊魂(れいこん)には、016我(わが)神典(しんてん)の示(しめ)す所(ところ)に依(よ)れば荒魂(あらみたま)、017和魂(にぎみたま)、018奇魂(くしみたま)、019幸魂(さちみたま)の四性(しせい)に区分(くぶん)されてゐる。020四魂(しこん)の解説(かいせつ)は已(すで)に既(すで)に述(の)べたれば茲(ここ)には省略(しやうりやく)する。021荒魂(あらみたま)は勇(ゆう)、022奇魂(くしみたま)は智(ち)、023幸魂(さちみたま)は愛(あい)、024和魂(にぎみたま)は親(しん)であり、025而(しか)して此(この)勇(ゆう)智(ち)愛(あい)親(しん)を完全(くわんぜん)に活躍(くわつやく)せしむるものは神(かみ)の真愛(しんあい)と真智(しんち)とである。026今(いま)述(の)べた幸魂(さちみたま)の愛(あい)なるものは人類愛(じんるゐあい)にして、027自愛(じあい)及(およ)び世間愛(せけんあい)等(とう)に住(ぢゆう)する普通愛(ふつうあい)である。028神(かみ)の愛(あい)は万物(ばんぶつ)発生(はつせい)の根源力(こんげんりよく)であつて、029又(また)人生(じんせい)に於(お)ける最大(さいだい)深刻(しんこく)の活気力(くわつきりよく)となるものである。030此(この)神愛(しんあい)は大神(おほかみ)と天人(てんにん)とを和合(わがふ)せしめ、031又(また)天人(てんにん)各自(かくじ)の間(あひだ)をも親和(しんわ)せしむる神力(しんりき)である。032斯(かく)の如(ごと)き最高(さいかう)なる神愛(しんあい)は、033如何(いか)なる人間(にんげん)も其(その)真(しん)の生命(せいめい)をなせる所(ところ)の実在(じつざい)である。034此(この)神愛(しんあい)あるが故(ゆゑ)に、035天人(てんにん)も人間(にんげん)も皆(みな)能(よ)く其(その)生命(せいめい)を保持(ほぢ)する事(こと)を得(う)るのである。036又(また)大神(おほかみ)より出(い)で来(きた)る所(ところ)の御(ご)神格(しんかく)そのものを神真(まこと)と云(い)ふ。037此(この)神真(まこと)は大神(おほかみ)の神愛(しんあい)に依(よ)つて、038高天原(たかあまはら)へ流(なが)れ入(い)る所(ところ)の神機(しんき)である。039神(かみ)の愛(あい)と之(これ)より来(きた)る神真(まこと)とは、040現実(げんじつ)世界(せかい)に於(お)ける太陽(たいやう)の熱(ねつ)と其(その)熱(ねつ)より出(い)づる所(ところ)の光(ひかり)とに譬(たと)ふべきものである。041而(しか)して神愛(しんあい)なるものは太陽(たいやう)の熱(ねつ)に相似(さうじ)し、042神真(しんしん)は太陽(たいやう)の光(ひかり)に相似(さうじ)してゐる。043又(また)火(ひ)は神愛(しんあい)そのものを表(あらは)し、044光(ひかり)は神愛(しんあい)より来(きた)る神真(しんしん)を表(あら)はしてゐる。045大神(おほかみ)の神愛(しんあい)より出(い)で来(きた)る神真(しんしん)とは、046其(その)実性(じつせい)に於(おい)て神善(しんぜん)の神真(しんしん)と相(あひ)和合(わがふ)したものである。047斯(かく)の如(ごと)き和合(わがふ)あるが故(ゆゑ)に、048高天原(たかあまはら)に於(お)ける一切(いつさい)の万物(ばんぶつ)を通(つう)じて生命(せいめい)あらしむるのである。
049 愛(あい)には二種(にしゆ)の区別(くべつ)があつて、050其(その)一(ひとつ)は神(かみ)に対(たい)する愛(あい)であり、051一(ひとつ)は隣人(りんじん)に対(たい)する愛(あい)である。052又(また)最高(さいかう)第一(だいいち)の天国(てんごく)には大神(おほかみ)に対(たい)する愛(あい)あり、053第二(だいに)即(すなは)ち中間(ちうかん)天国(てんごく)には隣人(りんじん)に対(たい)する愛(あい)がある。054隣人(りんじん)に対(たい)する愛(あい)とは仁(じん)そのものである。055此(この)愛(あい)と仁(じん)とは、056何(いづ)れも大神(おほかみ)の神格(しんかく)より出(い)で来(きた)つて天国(てんごく)の全体(ぜんたい)を成就(じやうじゆ)するものである。057高天原(たかあまはら)に在(あ)つて大神(おほかみ)を愛(あい)し奉(たてまつ)るといふ事(こと)は、058人格(じんかく)の上(うへ)から見(み)て大神(おほかみ)を愛(あい)するの謂(いひ)ではない、059大神(おほかみ)より来(きた)る所(ところ)の善(ぜん)そのものを愛(あい)するの意義(いぎ)である。060又(また)善(ぜん)を愛(あい)するといふ事(こと)は、061其(その)善(ぜん)に志(こころざ)し、062其(その)善(ぜん)を行(おこな)ふや、063皆(みな)愛(あい)に依(よ)つてなすの意味(いみ)である。064故(ゆゑ)に愛(あい)を離(はな)れたる善(ぜん)は、065決(けつ)して如何(いか)なる美事(びじ)と雖(いへど)も、066善行(ぜんかう)と雖(いへど)も、067皆(みな)地獄(ぢごく)の善(ぜん)にして所謂(いはゆる)悪(あく)である。068地獄界(ぢごくかい)に於(おい)て善(ぜん)となす所(ところ)のものは、069高天原(たかあまはら)に於(おい)ては大抵(たいてい)悪(あく)となる。070高天原(たかあまはら)に於(おい)て悪(あく)となす所(ところ)のものは、071すべて地獄界(ぢごくかい)には之(これ)を善(ぜん)とさるるのである。072それ故(ゆゑ)に神(かみ)の直接(ちよくせつ)内流(ないりう)によつて、073天国(てんごく)の福音(ふくいん)を現界(げんかい)の人類(じんるゐ)に伝達(でんたつ)するとも、074地獄界(ぢごくかい)に籍(せき)をおける人間(にんげん)の心(こころ)には、075最(もつと)も悪(あ)しく映(えい)じ且(かつ)感(かん)ずるものである。076故(ゆゑ)に何(いづ)れの世(よ)にも、077至善(しぜん)至愛(しあい)の教(をしへ)を伝(つた)へ、078至真(ししん)至智(しち)の道(みち)を唱(とな)ふる者(もの)は、079必(かなら)ず之(これ)を異端(いたん)邪説(じやせつ)となし、080或(あるひ)は敵視(てきし)され、081所在(あらゆる)迫害(はくがい)を蒙(かうむ)るものである。082併(しか)し斯(かく)の如(ごと)き神人(しんじん)にして、083地獄界(ぢごくかい)の如何(いか)なる迫害(はくがい)を受(う)け、084或(あるひ)は身肉(しんにく)を亡(ほろ)ぼさるる事(こと)ありとも、085其(その)人格(じんかく)は依然(いぜん)として死後(しご)の生涯(しやうがい)に入(い)りし時(とき)、086最(もつと)も聖(きよ)きもの、087尊(たふと)きものとして、088天国(てんごく)に尊敬(そんけい)され且(かつ)愛(あい)さるるものである。089次(つぎ)に隣人(りんじん)を愛(あい)する仁(じん)そのものは、090人格(じんかく)より見(み)て其(その)朋友(ほういう)知己(ちき)等(とう)を愛(あい)するの謂(いひ)ではない。091要(えう)するに大神(おほかみ)の聖言(せいげん)即(すなは)ち神諭(しんゆ)より来(きた)る所(ところ)の神真(しんしん)を愛(あい)するの意義(いぎ)である。092又(また)神真(しんしん)を愛(あい)するといふ事(こと)は、093其(その)真(しん)に志(こころざ)し、094真(しん)を行(おこな)ふの意義(いぎ)である。095以上(いじやう)両種(りやうしゆ)の愛(あい)は善(ぜん)と真(しん)との如(ごと)くに分立(ぶんりつ)し、096善(ぜん)と真(しん)との如(ごと)くに和合(わがふ)する。
097 此(この)物語(ものがたり)の主人公(しゆじんこう)なる初稚姫(はつわかひめ)は、098即(すなは)ち二種(にしゆ)の愛(あい)、099善(ぜん)と真(しん)との完全(くわんぜん)に具足(ぐそく)したる天人(てんにん)にして、100言(い)はば大神(おほかみ)の化身(けしん)でもあり又(また)分身(ぶんしん)でもあり、101或(ある)時(とき)は代表者(だいへうしや)として其(その)神格(しんかく)を肉体(にくたい)を通(とほ)して発揮(はつき)し給(たま)ふが故(ゆゑ)に、102能(よ)く善(ぜん)に処(しよ)し、103真(しん)に居(を)り、104如何(いか)なる妖魅(えうみ)に出会(しゆつくわい)するとも、105少(すこ)しも汚(けが)されず犯(おか)されずして、106己(おの)が天職(てんしよく)を自由(じいう)自在(じざい)に発揮(はつき)し得(え)らるるのである。107之(これ)に反(はん)して高姫(たかひめ)は総(すべ)て愛善(あいぜん)と信真(しんしん)とを口(くち)にすれども、108其(その)内底(ないてい)は神(かみ)に向(むか)つて閉塞(へいそく)され、109地獄(ぢごく)に向(むか)つて開放(かいはう)されてゐるが故(ゆゑ)に、110其(その)称(とな)ふる所(ところ)の善(ぜん)は残(のこ)らず偽善(ぎぜん)である。111偽善(ぎぜん)とは表面(へうめん)より見(み)て、112即(すなは)ち神(かみ)を知(し)らざる人(ひと)の目(め)に至善(しぜん)至徳(しとく)のものと見(み)ゆる事(こと)がある。113又(また)至真(ししん)至誠(しせい)の言語(げんご)と見(み)ゆるも、114それは総(すべ)て地獄界(ぢごくかい)に向(むか)つてゐる精霊(せいれい)の迷(まよ)ひより来(きた)るものなるが故(ゆゑ)に、115一切(いつさい)虚偽(きよぎ)であり狂妄(きやうまう)である。116例(たと)へば雪隠(せつちん)の虫(むし)は糞尿(ふんねう)の中(なか)を至上(しじやう)の天国(てんごく)となし、117楽園(らくゑん)となし、118吾(わが)肉体(にくたい)の安住所(あんぢうしよ)とし、119且(かつ)此(この)上(うへ)なき清(きよ)きもの美(うる)はしきものとなすが如(ごと)く、120地獄界(ぢごくかい)に向(むか)つて内底(ないてい)の開(ひら)けたる者(もの)は、121至醜(ししう)至穢(しゑ)なる泥濘(でいねい)塵芥(ぢんかい)及(およ)び屍(かばね)の累々(るゐるゐ)たる所(ところ)、122臭気(しうき)紛々(ふんぷん)たる所(ところ)を以(もつ)て、123此(この)上(うへ)なき結構(けつこう)な所(ところ)と看做(みな)すものである。124併(しか)しながら高姫(たかひめ)の肉体(にくたい)としては、125矢張(やはり)肉(にく)の目(め)を以(もつ)て善悪(ぜんあく)美醜(びしう)を判別(はんべつ)する能力(のうりよく)は欠(か)いでゐない。126それ故(ゆゑ)に或(ある)時(とき)は殆(ほとん)ど善(ぜん)に近(ちか)き行(おこな)ひをなし、127又(また)真(しん)に相似(さうじ)せる言語(げんご)を用(もち)ふることがある。128けれども肝心(かんじん)の内底(ないてい)が地獄界(ぢごくかい)に向(むか)つてゐるのと、129外部(ぐわいぶ)より来(きた)る自愛心(じあいしん)と肉体(にくたい)的(てき)兇霊界(きようれいかい)の襲来(しふらい)とによつて、130常(つね)に其(その)良心(りやうしん)を誑惑(きやうわく)さるるを以(もつ)て一定(いつてい)の善(ぜん)と真(しん)とに居(を)る事(こと)は出来(でき)ない。131又(また)純然(じゆんぜん)たる悪(あく)に居(を)る事(こと)も出来得(できえ)ないのである。132併(しか)し高姫(たかひめ)の善(ぜん)と信(しん)ずる所(ところ)、133真(しん)と思(おも)ふ所(ところ)は、134以上(いじやう)述(の)べた如(ごと)く、135皆(みな)偽善(ぎぜん)なる事(こと)は言(い)ふまでもない。
136 初稚姫(はつわかひめ)は、137愛(あい)より来(きた)る所(ところ)の大神(おほかみ)の神格(しんかく)より帰来(きらい)する天人(てんにん)の薫陶(くんたう)を、138其(その)至粋(しすゐ)至純(しじゆん)なる霊性(れいせい)に摂受(せつじゆ)してゐたのである。139総(すべ)て高天原(たかあまはら)を成就(じやうじゆ)する者(もの)は、140何(いづ)れも愛(あい)と仁(じん)とによらぬ者(もの)はない。141故(ゆゑ)に初稚姫(はつわかひめ)の人格(じんかく)そのものは所謂(いはゆる)高天原(たかあまはら)の移写(いしや)であり、142大神(おほかみ)の縮図(しゆくづ)である。143故(ゆゑ)に其(その)美(うる)はしき事(こと)は到底(たうてい)言語(げんご)に絶(ぜつ)し、144形容(けいよう)す可(べ)からざる底(てい)のものである。145其(その)面貌(めんばう)言語(げんご)乃至(ないし)一挙手(いつきよしゆ)一投足(いつとうそく)の中(うち)にも、146悉(ことごと)く愛善(あいぜん)の徳(とく)を表(あら)はし、147信真(しんしん)の光(ひかり)を現(げん)じ給(たま)ふのである。148故(ゆゑ)に初稚姫(はつわかひめ)の如(ごと)き地上(ちじやう)の天人(てんにん)より溢(あふ)れ出(い)づる円満(ゑんまん)具足(ぐそく)の相(さう)は、149愛(あい)そのものによつて充(みた)されてあるが故(ゆゑ)に、150何人(なんびと)と雖(いへど)も、151姫(ひめ)の前(まへ)に来(きた)り、152姫(ひめ)の教(をしへ)を受(う)け、153其(その)善言(ぜんげん)美詞(びし)に接(せつ)し、154席(せき)を交(まじ)へ交際(かうさい)する時(とき)は、155衷心(ちうしん)よりして自然(しぜん)に動(うご)かさるるに至(いた)るのである。156されども悲(かな)しいかな、157高姫(たかひめ)は普通(ふつう)の人間(にんげん)と異(こと)なり、158天国(てんごく)、159地獄(ぢごく)の両界(りやうかい)の中(うち)に介在(かいざい)する所(ところ)の中有界(ちううかい)に身(み)をおきながら、160尚(なほ)も肉体(にくたい)的(てき)精霊(せいれい)即(すなは)ち兇党界(きようたうかい)、161妖魅界(えうみかい)に和合(わがふ)せるが為(ため)に、162初稚姫(はつわかひめ)の前(まへ)に出(い)づる時(とき)は、163忽(たちま)ち癲狂(てんきやう)となり痴呆(ちはう)となり、164其(その)美貌(びばう)を見(み)る時(とき)は、165何処(どこ)ともなく直(ただち)に恐怖心(きようふしん)を起(おこ)し、166且(かつ)嫉妬(しつと)し、167善言(ぜんげん)美詞(びし)に接(せつ)すれば、168忽(たちま)ち頭(かしら)痛(いた)み、169胸(むね)つかへ、170嫌忌(けんき)の情(じやう)を起(おこ)すに至(いた)るを以(もつ)て、171如何(いか)に初稚姫(はつわかひめ)が神力(しんりき)を尽(つく)し、172愛(あい)と善(ぜん)と真(しん)を以(もつ)て是(これ)に対(たい)し、173あく迄(まで)も和合(わがふ)せむとすれども、174之(これ)を畏(おそ)れて受入(うけい)れないのみならず、175陰(いん)に陽(やう)に排斥(はいせき)し、176且(かつ)滅尽(めつじん)せしめむことを望(のぞ)むのである。177而(しか)して或(ある)時(とき)は初稚姫(はつわかひめ)を非常(ひじやう)に尊敬(そんけい)する時(とき)もあるのである。178実(じつ)に名状(めいじやう)す可(べ)からざる不可思議(ふかしぎ)なる状態(じやうたい)に身(み)を置(お)いてゐるものといふべきである。
179 斯(か)くの如(ごと)く時々(じじ)刻々(こくこく)に其(その)思想(しさう)感情(かんじやう)の、180姫(ひめ)に対(たい)してのみならず、181一般(いつぱん)の人(ひと)に対(たい)して変転(へんてん)するは、182彼(か)れが自(みづか)ら称(とな)ふるヘグレのヘグレのヘグレ武者(むしや)たる珍思(ちんし)怪想(くわいさう)を遺憾(ゐかん)なく暴露(ばくろ)してゐるのである。183而(しか)して高姫(たかひめ)はヘグレのヘグレのヘグレ武者(むしや)を以(もつ)て唯一(ゆゐいつ)の善(ぜん)となし、184徳(とく)となし、185愛(あい)の極致(きよくち)となし、186信(しん)の真(しん)と確信(かくしん)してゐるのである。187高姫(たかひめ)の思想(しさう)は神出(しんしゆつ)鬼没(きぼつ)、188動揺(どうえう)常(つね)なく、189機(き)に臨(のぞ)み変(へん)に応(おう)じて神業(しんげふ)に参加(さんか)する事(こと)を以(もつ)て、190最第一(さいだいいち)の良法(りやうはふ)と確信(かくしん)してゐるのだから、191如何(いか)なる愛(あい)を以(もつ)てするも、192信(しん)を以(もつ)て説(と)くも、193之(これ)を感化(かんくわ)する事(こと)が出来(でき)ない、194精神(せいしん)的(てき)の不治(ふち)の難病者(なんびやうしや)である。
195 総(すべ)て人間(にんげん)各自(かくじ)の生命(せいめい)に属(ぞく)する所(ところ)の霊的(れいてき)円相(ゑんさう)なるものがあつて、196此(この)円相(ゑんさう)は一切(いつさい)の天人(てんにん)や一切(いつさい)の精霊(せいれい)より発(はつ)し来(きた)り、197人間(にんげん)各自(かくじ)の身体(しんたい)を囲繞(ゐねう)してゐるものである。198各人(かくじん)の情動(じやうだう)的(てき)生涯(しやうがい)、199従(したが)つて思索(しさく)的(てき)生涯(しやうがい)の中(うち)より溢(あふ)れ出(い)づるものである。200情動(じやうだう)的(てき)生涯(しやうがい)とは愛的(あいてき)生涯(しやうがい)の事(こと)であり、201思索(しさく)的(てき)生涯(しやうがい)とは信仰(しんかう)的(てき)生涯(しやうがい)の事(こと)である。202総(すべ)て天人(てんにん)なるものは愛(あい)によつて其(その)生命(せいめい)を保(たも)つが故(ゆゑ)に、203愛(あい)そのものは天人(てんにん)の全体(ぜんたい)であり、204且(かつ)天人(てんにん)は善徳(ぜんとく)の全部(ぜんぶ)であると云(い)つても可(い)いのである。205愛(あい)の善(ぜん)と信(しん)の真(しん)との権化(ごんげ)たるべき初稚姫(はつわかひめ)は、206其(その)霊的(れいてき)円相(ゑんさう)は益々(ますます)円満(ゑんまん)具足(ぐそく)して、207智慧(ちゑ)証覚(しようかく)の目(め)より見(み)る時(とき)は、208其(その)全身(ぜんしん)の周囲(しうゐ)より五色(ごしき)の霊光(れいくわう)が常住(じやうぢゆう)不断(ふだん)に放射(はうしや)しつつあるのである。209之(これ)に反(はん)して、210高姫(たかひめ)はすべて虚偽(きよぎ)と世間愛(せけんあい)的(てき)悪(あく)に居(を)るを以(もつ)て、211霊的(れいてき)円相(ゑんさう)即(すなは)ち霊衣(れいい)は殆(ほとん)ど絶滅(ぜつめつ)し、212灰色(はひいろ)の雲(くも)の如(ごと)き三角形(さんかくけい)の霊衣(れいい)が僅(わづ)かに其(その)肉身(にくしん)を囲繞(ゐねう)してゐるに過(す)ぎない。213之(これ)を神界(しんかい)にては霊的(れいてき)死者(ししや)と名付(なづ)けてゐる。214霊的(れいてき)円相(ゑんさう)の具足(ぐそく)せる神人(しんじん)には、215如何(いか)なる兇霊(きようれい)も罪悪(ざいあく)も近寄(ちかよ)ることは出来(でき)ない。216若(も)し強(し)ひて接近(せつきん)せむとすれば、217其(その)光(ひかり)に打(う)たれ眼(まなこ)眩(くら)み、218四肢(しし)五体(ごたい)戦慄(せんりつ)し、219殆(ほとん)ど瀕死(ひんし)の状態(じやうたい)に陥(おちい)るものである。220之(これ)に反(はん)して円相(ゑんさう)の欠除(けつぢよ)せる高姫(たかひめ)の身辺(しんぺん)には、221一切(いつさい)の兇霊(きようれい)が臭(くさ)きものに蠅(はへ)が群(むら)がる如(ごと)く、222容易(ようい)に且(かつ)喜(よろこ)んで集合(しふがふ)するものである。223現界(げんかい)の愚眛(ぐまい)なる人間(にんげん)は、224斯(かく)の如(ごと)き悪霊(あくれい)の旅宿(りよしゆく)否(いな)駐屯所(ちうとんしよ)たる人間(にんげん)を見(み)て、225信仰(しんかう)強(つよ)き真人(しんじん)と看做(みな)し、226或(あるひ)は其(その)妖言(えうげん)に誑惑(きやうわく)されて、227虚偽(きよぎ)を真(しん)となし、228悪(あく)を善(ぜん)と認(みと)め、229随喜(ずゐき)渇仰(かつかう)しておかざるものである。230実(じつ)にかかる人間(にんげん)は、231神(かみ)の目(め)より見(み)ては精神(せいしん)上(じやう)の不具者(ふぐしや)であり、232且(かつ)地獄(ぢごく)の門戸(もんこ)を競(きそ)うて開(ひら)かむとする妖怪(えうくわい)変化(へんげ)と見得(みう)るものである。
233 人間(にんげん)は其(その)愛(あい)の善悪(ぜんあく)の如何(いかん)によつて、234其(その)面(おもて)を向(む)ける所(ところ)を各(おのおの)異(こと)にしてゐる。235初稚姫(はつわかひめ)の如(ごと)き天人(てんにん)は、236大神(おほかみ)及(および)隣人(りんじん)に対(たい)して、237真(しん)の愛(あい)を持(も)つてゐるが故(ゆゑ)に常(つね)に其(その)面(おもて)は大神(おほかみ)に向(むか)つてゐる。238故(ゆゑ)に何(なん)となく威厳(ゐげん)備(そな)はり、239且(かつ)形容(けいよう)し難(がた)き美貌(びばう)を保(たも)つ事(こと)を得(え)たのである。240又(また)高姫(たかひめ)は自愛(じあい)の心(こころ)即(すなは)ち愛(あい)の悪(あく)強(つよ)きが故(ゆゑ)に、241其(その)面(おもて)を常(つね)に神(かみ)に背(そむ)け、242暗黒(あんこく)の中(うち)に呻吟(しんぎん)しながら思(おも)ふやう……かくの如(ごと)き暗黒(あんこく)無明(むみやう)の世界(せかい)を、243吾々(われわれ)は看過(かんくわ)するに忍(しの)びない。244故(ゆゑ)に自分(じぶん)は此(この)暗黒(あんこく)時代(じだい)に処(しよ)し、245天下(てんか)万民(ばんみん)救済(きうさい)の為(ため)に、246いろいろ雑多(ざつた)に身(み)を変(へん)じ、247ヘグレ武者(むしや)となつて、248天(あま)の岩戸(いはと)を開(ひら)き、249真(しん)の光明(くわうみやう)に世界(せかい)を照(て)らし、250万民(ばんみん)を助(たす)けねばならない。251天国(てんごく)も浄土(じやうど)もなく、252すべて三界(さんかい)は暗黒界(あんこくかい)と化(くわ)し去(さ)れり。253故(ゆゑ)に吾(われ)は神(かみ)の命(めい)を受(う)けて、254常暗(とこやみ)の世(よ)を日(ひ)の出(で)の御代(みよ)に捻(ね)ぢ戻(もど)さねばおかないと、255兇霊(きようれい)の言(げん)に誤(あやま)られて蠢動(しゆんどう)してゐるのである。256それ故(ゆゑ)常(つね)に心中(しんちう)に安心(あんしん)する事(こと)なく、257如何(いか)にして自己(じこ)の向上(かうじやう)をなさむか、258三界(さんかい)の万霊(ばんれい)を救(すく)はむかと、259狂熱(きやうねつ)的(てき)に蠢動(しゆんどう)するのである。260何(なん)ぞ知(し)らむ、261開闢(かいびやく)の始(はじ)めより天界(てんかい)の光明(くわうみやう)は赫灼(かくしやく)として輝(かがや)き給(たま)ひ、262数多(あまた)の天人(てんにん)は各団体(かくだんたい)に住(ぢゆう)して、263其(その)光輝(くわうき)ある生涯(しやうがい)を送(おく)りつつある事(こと)を。264併(しか)し茲(ここ)に一言(いちごん)注意(ちゆうい)すべき事(こと)は、265大本(おほもと)開祖(かいそ)の神諭(しんゆ)に……此(この)世(よ)は暗雲(やみくも)になつてゐるから、266日(ひ)の出(で)の守護(しゆご)に致(いた)すが為(ため)に因縁(いんねん)の身魂(みたま)が表(あら)はれて、267五六七(みろく)成就(じやうじゆ)の御用(ごよう)に尽(つく)す……とあるのは、268これは決(けつ)して高姫(たかひめ)の言(い)ふ如(ごと)く三界(さんかい)皆(みな)暗(くら)しといふ意義(いぎ)ではない。269大神(おほかみ)より地獄道(ぢごくだう)に陥(おちい)れる此(この)現界(げんかい)をして、270天国(てんごく)浄土(じやうど)の楽土(らくど)となし、271一人(ひとり)も地獄界(ぢごくかい)に堕(おと)さざらしめむが為(ため)である。272要(えう)するに霊界(れいかい)現界(げんかい)を問(と)はず、273地獄(ぢごく)なるものを一切(いつさい)亡(ほろ)ぼし、274その痕跡(こんせき)をも留(とど)めざらしめむと計(はか)らせ給(たま)ふ仁慈(じんじ)の大御心(おほみこころ)より出(い)でさせ給(たま)うたのである。275然(しか)らば人(ひと)或(あるひ)は云(い)はむ、276三千(さんぜん)世界(せかい)一度(いちど)に開(ひら)く梅(うめ)の花(はな)、277艮(うしとら)の金神(こんじん)の世(よ)になりたぞよ……とあるではないか、278三千(さんぜん)世界(せかい)とは天界(てんかい)、279現界(げんかい)、280地獄界(ぢごくかい)のことである。281天界(てんかい)は已(すで)に光明(くわうみやう)赫々(かくかく)として無限(むげん)に開(ひら)け居(を)るにも拘(かかは)らず、282何(なに)をもつて三千(さんぜん)世界(せかい)と言(い)はるるか、283果(はた)してこの言(げん)を信(しん)ずるならば、284天界(てんかい)もまた暗黒界(あんこくかい)と堕落(だらく)せるものなりと断定(だんてい)せざるを得(え)ないではないかといはねばならぬ……と。285かくの如(ごと)きは其一(そのいち)を知(し)つて其二(そのに)を知(し)らざる迂愚者(うぐしや)の論旨(ろんし)である。286三千(さんぜん)世界(せかい)一度(いちど)に開(ひら)くといふは、287現界(げんかい)も地獄界(ぢごくかい)も天界(てんかい)も一度(いちど)に……即(すなは)ち同様(どうやう)に光明(くわうみやう)赫々(かくかく)たる至喜(しき)至楽(しらく)の楽園(らくゑん)となし、288中有界(ちううかい)だの、289地獄界(ぢごくかい)だの、290天界(てんかい)だの、291或(あるひ)は兇霊界(きようれいかい)だのいふ、292いまはしき区別(くべつ)を取除(とりのぞ)き、293打(う)つて一丸(いちぐわん)となし、294一個(いつこ)の人体(じんたい)に於(お)けるが如(ごと)く、295単元(たんげん)として統治(とうち)し給(たま)はむが為(ため)の御(ご)神策(しんさく)を示(しめ)されたるものたることを悟(さと)るべきである。296一度(いちど)に開(ひら)く梅(うめ)の花(はな)とか、297須弥仙(しゆみせん)山(ざん)に腰(こし)をかけとか云(い)ふ聖言(せいげん)は、298要(えう)するに神(かみ)に向(むか)はしむるといふ意義(いぎ)である。299如何(いか)なる無風流(ぶふうりう)な人間(にんげん)でも、300梅(うめ)の花(はな)の咲(さ)きみち、301馥郁(ふくいく)たる香気(かうき)を放(はな)つを見(み)れば、302喜(よろこ)んで之(これ)に接吻(せつぷん)せむとするは、303人間(にんげん)に特有(とくいう)の情(じやう)である。304また須弥仙(しゆみせん)山(ざん)とは宇宙(うちう)唯一(ゆゐいつ)の至聖(しせい)至美(しび)にして崇高(すうかう)雄大(ゆうだい)なる山(やま)の意味(いみ)である。305何人(なんぴと)と雖(いへど)も、306雲表(うんぺう)に屹立(きつりつ)せる富士(ふじ)の姿(すがた)を見(み)る時(とき)は、307其(その)雄姿(ゆうし)にうたれ、308荘厳(さうごん)に憧(あこ)がれ、309之(これ)を仰(あふ)がないものはない。310又(また)俯(うつむ)いては決(けつ)して富士(ふじ)を見(み)る事(こと)は出来(でき)ない。311故(ゆゑ)に神(かみ)は所在(あらゆる)人間(にんげん)及(および)精霊(せいれい)をして其(その)雄大(ゆうだい)崇高(すうかう)なる姿(すがた)を仰(あふ)がしめ、312以(もつ)て神格(しんかく)に向上(かうじやう)せしめ、313神(かみ)の善(ぜん)に向(むか)はしめむが為(ため)である。314併(しか)し神(かみ)に向(むか)ひ、315或(あるひ)は須弥仙(しゆみせん)山(ざん)を仰(あふ)ぐといふは、316現界(げんかい)に於(お)ける富士山(ふじさん)そのものを望(のぞ)む時(とき)の如(ごと)く、317身体(しんたい)の動作(どうさ)によつて向背(かうはい)をなすものでない。318何(なん)となれば空間(くうかん)の位地(ゐち)は其(その)人間(にんげん)の内分(ないぶん)の情態(じやうたい)如何(いかん)によつて定(さだ)まるが故(ゆゑ)に、319方位(ほうゐ)の如(ごと)きも現界(げんかい)とは相違(さうゐ)してゐるのは勿論(もちろん)である。320人間(にんげん)の内底(ないてい)の現(あら)はれなる面貌(めんばう)の如何(いかん)によつて其(その)方位(はうゐ)が定(さだ)まるのである。321故(ゆゑ)に霊界(れいかい)にては吾(わが)面(めん)の向(むか)ふ所(ところ)即(すなは)ち太陽(たいやう)の現(あら)はるる所(ところ)である。322現界(げんかい)にては太陽(たいやう)は東(ひがし)に昇(のぼ)りつつある時(とき)と雖(いへど)も、323西(にし)を向(む)けば其(その)太陽(たいやう)は背(せ)に負(お)うてゐるが、324霊界(れいかい)にては総(すべ)て想念(さうねん)の世界(せかい)なるが故(ゆゑ)に、325身体(しんたい)の動作(どうさ)如何(いかん)に関(くわん)せず、326神(かみ)に向(むか)つて内底(ないてい)の開(ひら)けた者(もの)は、327いつも太陽(たいやう)に向(むか)つてゐるのである。328併(しか)しながら斯(か)くの如(ごと)き天人(てんにん)の境遇(きやうぐう)にある人格者(じんかくしや)は霊界(れいかい)に在(あ)つて、329自分(じぶん)より大神(おほかみ)即(すなは)ち太陽(たいやう)と現(げん)じ給(たま)ふ光熱(くわうねつ)に向(むか)ふにあらず、330大神(おほかみ)より来(きた)る所(ところ)の一切(いつさい)の事物(じぶつ)を喜(よろこ)んで実践(じつせん)躬行(きうかう)するが故(ゆゑ)に、331神(かみ)より自(おのづか)ら向(むか)はしめ給(たま)ふ事(こと)となるのである。332平和(へいわ)と智慧(ちゑ)と証覚(しようかく)と幸福(かうふく)とを容(い)るるものは高天原(たかあまはら)の器(うつは)である。333之(これ)を称(しよう)して神宮(しんぐう)壺(つぼ)の内(うち)といふ。334此(この)壺(つぼ)は愛(あい)であつて、335大小(だいせう)となく神(かみ)と相和(あひわ)する所(ところ)のものを容(い)るる器(うつは)である。336現界(げんかい)に於(おい)て、337智慧(ちゑ)証覚(しようかく)の劣(おと)りし者(もの)、338又(また)は愛善(あいぜん)の徳(とく)薄(うす)く、339信真(しんしん)の光(ひかり)暗(くら)かりし者(もの)が、340天界(てんかい)の天人(てんにん)又(また)は地上(ちじやう)の天人(てんにん)やエンゼルと相伍(あひご)して遂(つひ)に聖(きよ)き信仰(しんかう)に入(い)り、341愛善(あいぜん)の徳(とく)を養(やしな)ひ、342信真(しんしん)の光(ひかり)を現(あら)はし、343遂(つひ)に智慧(ちゑ)証覚(しようかく)を得(え)、344高天原(たかあまはら)の景福(けいふく)を得(う)るに至(いた)らしむべく、345ここに神(かみ)は精霊(せいれい)に其(その)神格(しんかく)を充(みた)して予言者(よげんしや)に来(きた)らしめ、346地上(ちじやう)の高天原(たかあまはら)即(すなは)ちエルサレムの宮屋敷(みややしき)に於(おい)て、347天国(てんごく)の福音(ふくいん)を宣(の)べ伝(つた)へさせ給(たま)うたのは、348実(じつ)に至仁(しじん)至愛(しあい)の大御心(おほみこころ)に出(い)でさせ給(たま)うたからである。349善(ぜん)の為(ため)に善(ぜん)を愛(あい)し、350真(しん)の為(ため)に真(しん)を愛(あい)し、351之(これ)を一生涯(いつしやうがい)深(ふか)く心(こころ)に植(う)ゑ付(つ)け、352実践(じつせん)躬行(きうかう)したるにより、353終(つひ)に罪悪(ざいあく)に充(み)ちたる人間(にんげん)も天国(てんごく)に救(すく)はれて、354其(その)不可説(ふかせつ)なる微妙(びめう)の想(さう)を悉(ことごと)く摂受(せつじゆ)し得(う)べき聖場(せいぢやう)を開(ひら)かせ給(たま)うた。355之(これ)を神界(しんかい)にては地(ち)の高天原(たかあまはら)と称(とな)へられたのである。
356 かくも尊(たふと)き神界(しんかい)の御(ご)経綸(けいりん)をも弁(わきま)へず、357且(か)つ信(しん)ずること能(あた)はずして、358自己(じこ)と世間(せけん)とのみを愛(あい)する者(もの)は、359仮令(たとへ)膝元(ひざもと)に居(を)つても之(これ)を摂受(せつじゆ)することは到底(たうてい)出来(でき)ない。360自己(じこ)を愛(あい)し、361世間(せけん)のみを愛(あい)する者(もの)は、362却(かへつ)て此(これ)等(ら)の御(ご)経綸地(けいりんち)を否定(ひてい)し、363或(あるひ)は之(これ)を避(さ)け、364之(これ)を拒(こば)み、365甚(はなはだ)しきは神界(しんかい)の経綸場(けいりんぢやう)を破壊(はくわい)せむとするに至(いた)るものである。366されども神(かみ)は飽(あ)く迄(まで)も天人(てんにん)の養成器(やうせいき)たる人間(にんげん)を愛(あい)し給(たま)ふが故(ゆゑ)に、367可成(なるべ)く彼(かれ)等(ら)に接近(せつきん)し、368彼(かれ)等(ら)の心(こころ)の中(うち)に流入(りうにふ)せむとし給(たま)へども、369彼(かれ)等(ら)は却(かへつ)て之(これ)を恐(おそ)れ、370雲霞(くもかすみ)と逃去(にげさ)つて、371忽(たちま)ち地獄界(ぢごくかい)に飛(と)び入(い)り、372又(また)彼(かれ)等(ら)と相似(あひに)たる自愛(じあい)を有(いう)する者(もの)と相交(あひまじ)はらむとするものである。373……灯台(とうだい)下暗(もとくら)し、374足許(あしもと)から鳥(とり)が立(た)つても分(わか)らぬ盲(めくら)聾(つんぼ)ばかりであるぞよ。375神(かみ)は一人(ひとり)なりとも助(たす)けたさに、376いろいろと諭(さと)せども、377こはがりて皆(みな)逃(に)げて帰(い)ぬ者(もの)ばかりで、378助(たす)けやうはないぞよ。379神(かみ)は可哀相(かあいさう)なれども、380余(あま)り人民(じんみん)が欲(よく)に呆(はう)けて、381霊(みたま)を悪神(あくがみ)に曇(くも)らされてゐるから、382真(まこと)の事(こと)が耳(みみ)へ入(はい)らぬぞよ。383神(かみ)も助(たす)けやうがないぞよ……と歎声(たんせい)をもらされてあるは、384かかる人間(にんげん)に対(たい)して愛憐(あいれん)の涙(なみだ)を注(そそ)ぎ給(たま)うた聖言(せいげん)である。
385 初稚姫(はつわかひめ)の御(ご)再誕(さいたん)なる大本(おほもと)開祖(かいそ)は、386神命(しんめい)を奉(ほう)じて地(ち)の高天原(たかあまはら)に降(くだ)り、387万民(ばんみん)を救(すく)はむと焦慮(せうりよ)し給(たま)ふに引替(ひきか)へ、388其(その)肉身(にくしん)より生(うま)れ出(い)でたる肉体(にくたい)に正反対(せいはんたい)のものあるは、389実(じつ)に不可説(ふかせつ)の深遠(しんゑん)微妙(びめう)なる御(ご)神策(しんさく)のおはします事(こと)であつて、390大本(おほもと)神諭(しんゆ)に……吾(わが)児(こ)に約(つ)まらぬ御用(ごよう)がさして善悪(ぜんあく)の鏡(かがみ)が見(み)せてあるぞよ云々(うんぬん)と。391信者(しんじや)たる者(もの)は此(この)善悪(ぜんあく)両方面(りやうはうめん)の実地(じつち)を観察(くわんさつ)して、392其(その)信仰(しんかう)を誤(あやま)らない様(やう)にせなくてはならぬのである。393ああ惟神(かむながら)霊(たま)幸倍(ちはへ)坐世(ませ)。
394(大正一二・一・二九 旧一一・一二・一三 松村真澄録)
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