冠句は大衆文芸
インフォメーション
鏡:水鏡
題名:冠句は大衆文芸
よみ:
著者:出口王仁三郎
神の国掲載号:1926(大正15)年12月号
八幡書店版:279頁
愛善世界社版:157頁
著作集:204頁
第五版:68頁
第三版:68頁
全集:364頁
初版:55頁
概要:
備考:
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データ凡例:
データ最終更新日:
OBC :kg048
001 冠句は大阪が初めである。002これは所司代の取つた一つの社会政策であつて、003当時下層民は喧嘩や賭博ばかりやつて手におへなかつたので、004その想念を文芸の方にむけて、005かかる悪習より脱せしめんとしたのである。006此政策は見事効を奏して、007風流の気が下層労働者にまで普及して、008争闘や博奕はずつと些くなつた。
009 冠句は大衆文芸の上乗なるものであつて、010俳句の如き拘束なく、011歌の如く冗長ならず、012しかも極めて凡俗的なるが故に、013老人にも子供にも、014男にも女にも、015学あるも学無きも、016誰にでも出来るのである。017又其範囲も極めて広いから、018何程でも進歩発展の余地がある。019前述の如き起源を有するをもつて、020初めは極下品な言葉が面白がられて居つた。021奥さんとか、022妻とか云ふ所を、023嬶だとか嬶村屋だとか、024極下品に云ふのが冠句の特長であつた。025冠句が向上して、026君とか神とか云ひ出したのは、027初代朝寝坊閑楽からであつて、028それは恰も浪界が、029雲右衛門によつて芸術化したのと相匹敵すべきものである。