神の恵は公平無私である
インフォメーション
鏡:水鏡
題名:神の恵は公平無私である
よみ:
著者:出口王仁三郎
神の国掲載号:1928(昭和3)年05月号
八幡書店版:163頁
愛善世界社版:118頁
著作集:
第五版:150頁
第三版:151頁
全集:415頁
初版:142頁
概要:
備考:
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データ凡例:
データ最終更新日:
OBC :kg127
001 世の中には、002祖先伝来の巨額の財産によつて安佚に一生を暮し、003且つ巨万の資産によつて富はますます其富を加へ、004一食数十円の馳走を食ひ、005世間一般の人々より、006非常な羨望の的となつて居る一方には、007朝食て晩に食ふものがなく、008冬になつても綿入一つ着兼ねるやうな極貧者があつたり、009非常に人間の生活上には逕庭がある。010之を見て世人一般は前に述べた富者を最大幸福者となし、011貧者を最大不幸者と見て居る。012併し乍ら一飯数十金を投じた美食よりも、013塩から鰯に麦飯を喰つて舌鼓をうつて居る貧乏人の方が、014何程甘く食を味はつて居るか知れない。015又貧乏人の方には、016今日食つて明日の食糧をどうせうかと云ふ極めて単純の心配があるのみで、017働きさへすれば何とかして食つて行く事が出来るが、018一方の富者になると、019其精神上の苦痛は極めて複雑なるものである。020大地主は天災地変の為めに収入の不足を憂慮し、021或は小作米が満足に納まるであらうか納まらないだらうかと云ふやうな煩悶があり、022金貸は借り倒されはせぬかと案じ、023大株主は一時間毎に相場の高下によりて睾丸を上げ下げし、024且つ又自分一生の間巨万の財産を保護し得たとした所で、025子の代になつて費ひ果して仕舞ふやうな事はないかと、026先の先迄煩悶苦悩を継続し、027寝ても醒めても、028真の安心と云ふ事は得られないのである。029「楽しさは夕顔棚の下涼み」とかいつて、030貧乏人や労働者になると、031一日汗を絞り其日の労銀を得て米塩を買ひ、032夫婦小供が夕顔棚の下で家庭団欒の楽しみを味はふ其気楽さに比して、033到底比べものにならないのである。034かう考へて見ると、035富者は物質の方に事足ると雖も、036物質あるが為に非常な煩悶と苦悩を続けて一生を終らねばならず、037又一方の貧人は一生涯の間、038米塩の為めに汗を絞らねばならぬ、039其代り精神的の苦痛は極めて軽微のもので且つ簡単である。040一食三十円の膳部よりも、041一食十銭の塩鰯に麦飯の方が、042何程味がよいか知れぬ。043働いて食ふ麦飯と、044身体を労せずして精神を使ふて食ふ美食とは比べものにならぬ程、045其味が違ふのである。046かく観じ来れば神が人に与ふる其恵に、047些しの不公平はない。048否、049寧ろ貧者の生活の方が、050何程恵まれて居るか分らないと思ふ。