霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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言霊反(ことたまかへし)

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第11巻 霊主体従 戌の巻 篇:前付 よみ(新仮名遣い):
章:言霊反 よみ(新仮名遣い):ことたまかえし 通し章番号:
口述日: 口述場所: 筆録者:王仁 校正日: 校正場所: 初版発行日:1922(大正11)年9月10日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一部の章はAIによって要約を作成しています。[×閉じる]:
第七巻の総説で、王仁は明治三十三年以降、顕真実の神業であったのに対し、開祖は大正五年まで未顕真実であった、と書いた。それを批判をする信者があるようだ。
しかし、開祖は未顕真実の「境遇」にあったと書いたのである。それは経のお役として、世の中が曇っていて時機が至らなかったために、大正五年までは、やむを得ず経の御用を十分に顕すことができなかった、という意味である。
また、神諭に「緯はサトクが落ちる」「緯はいろいろのことがある」とあるので、緯の役目の意義を疑う人がある。緯の役は千変万化の神業であるから、かえって神的活動、大苦心の様を現したのである。
霊界物語も、神道とか大本といった小さな世界のことだけを扱っているのではない。宇宙の外に立って神示のままを口述したものなのである。いかなる法難や一部信徒の無理解も意に介せず、ただ自己自身の体験と神示によって忌憚なく述べただけである。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:0000-00-00 00:00:00 文字数:2008 OBC :rm110001
愛善世界社版:前付 1頁 八幡書店版:第2輯 503頁 修補版: 校定版:前付 1頁 普及版:前付 1頁 初版: ページ備考:
001      王仁
 
002 霊界(れいかい)物語(ものがたり)第七(だいしち)巻(くわん)の総説(そうせつ)に於(おい)て、
003『教祖(けうそ)は明治(めいぢ)二十五(にじふご)年(ねん)より大正(たいしやう)五(ご)年(ねん)まで、004前後(ぜんご)二十五(にじふご)年間(ねんかん)未顕(みけん)真実(しんじつ)の境遇(きやうぐう)にありて神務(しんむ)に奉仕(ほうし)し、005神政(しんせい)成就(じやうじゆ)の基本(きほん)的(てき)神業(しんげふ)の先駆(せんく)を勤(つと)められたのである。006女子(によし)の入道(にふだう)は明治(めいぢ)三十一(さんじふいち)年(ねん)であるが、007未顕(みけん)真実(しんじつ)の神業(しんげふ)は同(どう)三十三(さんじふさん)年(ねん)まで全(まる)二(に)ケ年間(ねんかん)で、008その後(ご)は顕真実(けんしんじつ)の神業(しんげふ)である。009霊的(れいてき)に云(い)ふならば、010教祖(けうそ)よりも十八(じふはち)年(ねん)魁(さきが)けて顕真実(けんしんじつ)の境域(きやうゐき)に進(すす)んで居(ゐ)たのは、011お筆先(ふでさき)の直筆(ぢきひつ)を熟読(じゆくどく)さるれば判(わか)りませう』
012と誌(しる)したのを見(み)て、013大変(たいへん)に不平(ふへい)を並(なら)べられ、014且(か)つ変性(へんじやう)女子(によし)は教祖(けうそ)よりも自己(じこ)の方(はう)が先輩(せんぱい)だ、015観察力(くわんさつりよく)がエライ、016顕真実(けんしんじつ)の境(さかひ)に早(はや)く達(たつ)して居(ゐ)ると謂(い)つて、017教祖(けうそ)の教(をしへ)を根底(こんてい)より覆(くつが)へし、018自己(じこ)本位(ほんゐ)をたて貫(ぬ)かうとする野心(やしん)の発露(はつろ)だと、019随分(ずゐぶん)矢釜敷(やかましき)議論(ぎろん)があるさうですが、020顕幽(けんいう)一体(いつたい)、021経緯(けいゐ)不二(ふじ)の真相(しんさう)が判(わか)らないと、022そんな約(つま)らぬ事(こと)を云(い)はねばならなくなるのです。023克(よ)く考(かんが)へて御覧(ごらん)なさい。024教祖(けうそ)様(さま)は経糸(たていと)の御(お)役(やく)、025女子(によし)は緯糸(よこいと)の御用(ごよう)と示(しめ)されてあります。026経言(けいげん)は一々(いちいち)万々(ばんばん)確固(かくこ)不易(ふえき)の神示(しんじ)であり、027緯糸(よこいと)は操縦(さうじゆう)与奪(よだつ)、028其権(そのけん)有我(いうが)の神業(しんげふ)に奉仕(ほうし)せなくてはなりませぬ。029教祖(けうそ)が経糸(たていと)の御(お)用(やく)でありながら、030時機(じき)の至(いた)らざるため止(や)むを得(え)ず、031やはり操縦(さうじう)与奪(よだつ)其権(そのけん)有我(いうが)的(てき)の神業(しんげふ)に奉仕(ほうし)されなくてはならない地位(ちゐ)に立(た)ち、032是非(ぜひ)なく未顕(みけん)真実(しんじつ)的(てき)筆先(ふでさき)を表(あら)はして役員(やくゐん)信者(しんじや)を戒(いまし)められた意味(いみ)であつて、033教祖(けうそ)御(ご)自身(じしん)に於(おい)て神意(しんい)を悟(さと)り玉(たま)はなかつたといふのではない。034第七(だいしち)巻(くわん)の総説(そうせつ)を熟読(じゆくどく)されよ。
035『十八(じふはち)年間(ねんかん)未顕(みけん)真実(しんじつ)の境遇(きやうぐう)にあつて神業(しんげふ)に奉仕(ほうし)し』
036とある文句(もんく)を、037境遇(きやうぐう)の二字(にじ)に克(よ)く眼(まなこ)を着(つ)けて考(かんが)へれば判然(はんぜん)するでせう。
038 また女子(によし)は三十三(さんじふさん)年(ねん)から顕真実(けんしんじつ)の神業(しんげふ)に奉仕(ほうし)し、039霊的(れいてき)に云(い)ふならば、040十八(じふはち)年(ねん)魁(さきが)けて顕真実(けんしんじつ)の境域(きやうゐき)に進(すす)んで居(ゐ)ると云(い)ふ事(こと)を誤解(ごかい)し、041大変(たいへん)に気(き)にして居(ゐ)る方々(かたがた)が所々(ところどころ)にあるやうですが、042是(これ)も男子(なんし)女子(によし)経糸(たていと)緯糸(よこいと)の相互(さうご)的(てき)関係(くわんけい)が明(あきら)かになつて居(ゐ)ないからの誤解(ごかい)である。043変性(へんじやう)女子(によし)としては教祖(けうそ)の経糸(たていと)に従(したが)つて、044神界(しんかい)経綸(けいりん)の神機(しんき)を織上(おりあげ)ねばならぬ御用(ごよう)である。045併(しか)し乍(なが)ら明治(めいぢ)三十一(さんじふいち)年(ねん)初(はじ)めて帰神(きしん)となり、046一々(いちいち)万々(ばんばん)確固(かくこ)不易(ふえき)的(てき)の神業(しんげふ)に参加(さんか)しつつ、047同(どう)三十三(さんじふさん)年(ねん)に至(いた)るまで我(わが)神定(しんてい)の本務(ほんむ)に非(あら)ざる経糸(たていと)的(てき)神務(しんむ)に奉仕(ほうし)して、048女子(によし)の真実(しんじつ)なる神業(しんげふ)を顕(あら)はし得(え)ざる境遇(きやうぐう)にありし事(こと)を、049二(に)年間(ねんかん)未顕(みけん)真実(しんじつ)の神業(しんげふ)であつたと謂(い)つたのであります。
050 いよいよ明治(めいぢ)三十三(さんじふさん)年(ねん)一(いち)月(ぐわつ)より出口家(でぐちけ)の養子(やうし)となり、051教祖(けうそ)の経糸(たていと)に対(たい)し私(わたくし)は緯糸(よこいと)の神業(しんげふ)に奉仕(ほうし)したと謂(い)ふのである。052然(しか)るに神界(しんかい)の事(こと)は極(きは)めて複雑(ふくざつ)にして、053男子(なんし)女子(によし)相並(あひなら)びたりとて、054教祖(けうそ)として直(ただち)に経糸(たていと)のみの御用(ごよう)を遊(あそ)ばす訳(わけ)には行(ゆ)かない。055経緯(たてよこ)両面(りやうめん)に渉(わた)りて筆先(ふでさき)の御用(ごよう)を遊(あそ)ばしたのは、056時(とき)の勢(いきほひ)止(や)むを得(え)なかつたのであります。057女子(によし)は元(もと)より緯糸(よこいと)の御用(ごよう)のみなれば、058緯役(よこやく)としての顕真実(けんしんじつ)の御用(ごよう)は自然(しぜん)に勤(つと)まつたのである。
059 然(しか)るに大正(たいしやう)五(ご)年(ねん)九(く)月(ぐわつ)に至(いた)つて、060教祖(けうそ)も従前(じうぜん)の経緯(たてよこ)両面(りやうめん)の神業(しんげふ)を奉仕(ほうし)遊(あそ)ばす必要(ひつえう)無(な)きまでに神業(しんげふ)発展(はつてん)せられたるを以(もつ)て、061いよいよ男子(なんし)緯糸(たていと)の役(やく)としての真実(しんじつ)を顕(あら)はし玉(たま)ふ事(こと)を得(え)られたのであります。062それよりは経糸(たていと)は経糸(たていと)、063緯糸(よこいと)は緯糸(よこいと)と判然(はんぜん)区劃(くくわく)が付(つ)くやうになつて来(き)たのであります。064是(これ)でも未(いま)だ疑念(ぎねん)の晴(は)れない方々(かたがた)は、065第七(だいしち)巻(くわん)の総説(そうせつ)を幾回(いくくわい)も反読(はんどく)して下(くだ)さい。
066 また神諭(しんゆ)の文中(ぶんちう)に、
067『緯(よこ)はサトクが落(お)ちたり、068糸(いと)が断(き)れたり色々(いろいろ)と致(いた)すぞよ』
069と示(しめ)されあるを誤解(ごかい)して居(ゐ)る人(ひと)が多(おほ)いらしい。070サトクが落(お)ちると云(い)ふのは決(けつ)して失敗(しつぱい)の意味(いみ)でない。071千変(せんぺん)万化(ばんくわ)に身魂(みたま)を使用(しよう)して神業(しんげふ)に奉仕(ほうし)せなくては成(な)らぬから、072俗人(ぞくじん)の耳目(じもく)には毫(がう)も見当(けんたう)のとれ難(がた)い、073神的(しんてき)大活動(だいくわつどう)、074大苦心(だいくしん)の意(い)を示(しめ)されたものである。075また途中(とちう)に糸(いと)が断(き)れたりと云(い)ふ意味(いみ)は、076到底(たうてい)三千(さんぜん)世界(せかい)一貫(いつくわん)の大神業(だいしんげふ)なれば単調(たんてう)的(てき)には行(ゆ)くものでない。077また錦(にしき)の機(はた)は幾度(いくど)も色糸(いろいと)を取替(とりか)へねば立派(りつぱ)な模様(もやう)は織上(おりあが)らぬものである。078色糸(いろいと)を取替(とりか)へるのは即(すなは)ち糸(いと)が断(き)れるのである。079サトクも一本(いつぽん)や二本(にほん)や三本(さんぼん)では錦(にしき)の機(はた)は織(お)れぬ。080甲(かふ)のサトクを落(おと)して乙(おつ)のサトクを拾(ひろ)ひ上(あ)げ、081また乙(おつ)のサトクを落(おと)して丙(へい)のサトク、082丙(へい)を落(おと)して丁(てい)戊(ぼう)己(き)と交(かは)るがはるサトクと糸(いと)を取替(とりか)へると云(い)ふ深(ふか)き神意(しんい)の表示(へうじ)である。
083 要(えう)するに変性(へんじやう)男子(なんし)は経(たて)の御(お)役(やく)なれども、084あまり世界(せかい)が曇(くも)つて居(ゐ)たために、085大正(たいしやう)五(ご)年(ねん)までは男子(なんし)としての顕真実(けんしんじつ)の神業(しんげふ)に奉仕(ほうし)し玉(たま)ふ時機(じき)が来(こ)なかつたと云(い)ふことである。086女子(によし)は女子(によし)として明治(めいぢ)三十三(さんじふさん)年(ねん)より奉仕(ほうし)する事(こと)を得(う)る地位(ちゐ)におかれて、087夫(そ)れ相応(さうおう)の神業(しんげふ)に従事(じうじ)して居(ゐ)たと云(い)ふだけである。
088 然(しか)し乍(なが)ら、089大正(たいしやう)五(ご)年(ねん)九(く)月(ぐわつ)以後(いご)の教祖(けうそ)の単純(たんじゆん)なる経糸(たていと)の御用(ごよう)に連(つ)れて、090女子(によし)もまた緯糸(よこいと)として層一層(そういつそう)女子(によし)の神業(しんげふ)が判然(はんぜん)として来(き)たのは、091いはゆる経緯(けいゐ)不二(ふじ)の神理(しんり)である。092未顕(みけん)真実(しんじつ)顕真実(けんしんじつ)云々(うんぬん)の問題(もんだい)も是(これ)で大略(たいりやく)判(わか)るでありませう。
093○
094 霊界(れいかい)物語(ものがたり)も素(もと)より大本(おほもと)とか神道(しんだう)とか謂(ゐ)つたやうな、095小天地(せうてんち)に齷齪(あくそく)して居(を)るのではない。096真理(しんり)の太陽(たいやう)を心天(しんてん)高(たか)く輝(かがや)かせ、097宇宙(うちう)の外(そと)に立(た)つて、098少(すこ)しも偏(へん)せず、099神示(しんじ)のままを口述(こうじゆつ)するのである以上(いじやう)は、100殿堂(でんだう)や経文(きやうもん)などを脱(だつ)し、101自由(じいう)自在(じざい)の境地(きやうち)に立(た)つて如何(いか)なる法難(はふなん)をも甘受(かんじゆ)し、102少数(せうすう)信徒(しんと)の反感(はんかん)をも意(い)に介(かい)せず、103自己(じこ)自身(じしん)の体験(たいけん)と神示(しんじ)に由(よ)つて忌憚(きたん)なく述(の)べたままである。
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