霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第二章 乾(いぬゐ)の滝(たき)〔八四四〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第30巻 海洋万里 巳の巻 篇:第1篇 高砂の松 よみ(新仮名遣い):たかさごのまつ
章:第2章 乾の滝 よみ(新仮名遣い):いぬいのたき 通し章番号:844
口述日:1922(大正11)年08月14日(旧06月22日) 口述場所: 筆録者:松村真澄 校正日: 校正場所: 初版発行日:1923(大正12)年9月15日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]:
男たちの話を寝ながら聞いていた末子姫と捨子姫は、彼らが自分たちを捕らえに来たバラモン教徒であることを知り、追い払おうと幽霊の真似をして脅かしに出た。
シーナは驚いて仲間を揺り起こした。二人の姿に驚いたイサク、チール、シーナの三人はいずこへともなく逃げ去ってしまった。
しかし残ったカールとネロは少しも驚かず、末子姫と捨子姫に向かって呼びかけた。そして、自分たちは実は珍の都の松若彦に仕える三五教徒だと明かした。二人は松若彦の内命を奉じて、バラモン教の中に入り込んで内偵をしているのだと語った。
ネロは残りの任務を果たすべく、その場を立ち去った。カールは二人を珍の都に案内することになった。途中、大瀑布の音が聞こえて来た。カールは乾の滝があるという。末子姫は禊を提案した。
カールは乾の滝には大蛇が棲んでいて、そこへ禊に行くのはバラモン教のこの地の教主・石熊だけだと止めた。しかし末子姫は、あの滝の音を聞いてどうしても行きたくなったと言い、カールも案内することになった。
果たして、滝にはすでに石熊が禊に来ていたが、滝の大蛇に魅入られて動けなくなり、正に呑まんとされるところであった。末子姫は大蛇に向かって、大蛇の身魂を慰撫する宣伝歌を歌いだした。
この宣伝歌を聴いた大蛇は涙を流し、末子姫に幾度となく頭を下げると、滝の中に姿を隠した。石熊は身体の自由を取り戻し、三人に対して命を救ってくれた大恩を感謝した。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2022-01-11 19:47:50 文字数:4964 OBC :rm3002
愛善世界社版:19頁 八幡書店版:第5輯 579頁 修補版: 校定版:20頁 普及版:7頁 初版: ページ備考:
001 シーナは何(なん)となく恐怖心(きようふしん)に駆(か)られて、002慄(ふる)ひ戦(をのの)いて居(ゐ)た。003最前(さいぜん)から五(ご)人(にん)の話(はなし)を寝乍(ねなが)ら私(ひそ)かに聞(き)いて居(ゐ)た末子姫(すゑこひめ)、004捨子姫(すてこひめ)は、005バラモン教(けう)の石熊(いしくま)の部下(ぶか)、006自分(じぶん)等(ら)を捉(とら)へむとしてここに来(きた)りし者(もの)なる事(こと)を悟(さと)り、007上衣(うはぎ)を脱(ぬ)ぎ、008両人(りやうにん)はひそかに諜(しめ)し合(あは)せて白衣(びやくい)となり、009髪(かみ)をおどろに乱(みだ)して、010ダラリと下(さ)げ乍(なが)ら、011二人(ふたり)一度(いちど)に白(しろ)い手(て)を前(まへ)に出(だ)し、
012末子姫、捨子姫『恨(うら)めしやなア、013高照山(たかてるやま)の谷間(たにあひ)に於(おい)て……』
014と細(ほそ)い悲(かな)しい声(こゑ)でやりかけた。015シーナは此(この)姿(すがた)をチラリと見(み)て、016イサクを揺(ゆす)り起(おこ)し、
017シーナ『オイオイ……イサク起(お)きてくれ……皆(みな)の奴(やつ)、018タツタツ大変(たいへん)だー、019出(で)た出(で)た、020出(で)たワイのう』
021と慄(ふる)ひおののいて居(ゐ)る。022チールは此(この)声(こゑ)に驚(おどろ)き、023あたりを見(み)れば、024木(き)の茂(しげ)みの中(なか)よりいやらしき姿(すがた)の白衣(びやくい)を着(つ)けた幽霊(いうれい)、025ボーツと浮(う)いた様(やう)に現(あら)はれて居(ゐ)る。
026チール『ヤア此奴(こやつ)ア大変(たいへん)だー。027逃(に)げろ逃(に)げろ』
028と先(さき)を争(あらそ)ひ、029イサク、030シーナ、031チールの三(さん)人(にん)は転(こ)けつ、032まろびつ、033命(いのち)カラガラ何処(いづこ)ともなく逃(に)げ散(ち)つて了(しま)つた。034カール、035ネロの両人(りやうにん)は少(すこ)しも騒(さわ)がず泰然(たいぜん)として、036二(ふた)つの怪(あや)しき姿(すがた)を暫(しばら)く見守(みまも)つて居(ゐ)た。
037カール『失礼(しつれい)乍(なが)ら……貴女(あなた)様(さま)は顕恩城(けんおんじやう)を立出(たちいで)て、038固彦(かたひこ)の為(ため)に捉(とら)へられ、039ここへ漂着(へうちやく)遊(あそ)ばした、040神(かむ)素盞嗚(すさのをの)大神(おほかみ)様(さま)の末子(ばつし)、041末子姫(すゑこひめ)様(さま)、042侍女(じぢよ)の捨子姫(すてこひめ)様(さま)の御(ご)両所(りやうしよ)では御座(ござ)いませぬか? 私(わたし)は実(じつ)の所(ところ)は珍(うづ)の都(みやこ)の松若彦(まつわかひこ)様(さま)に仕(つか)へて居(を)ります三五教(あななひけう)のプロパガンデイースト(宣伝使(せんでんし))で御座(ござ)います、043一人(ひとり)の男(をとこ)はネロと申(まを)しまして、044これもヤツパリ三五(あななひ)の道(みち)の信者(しんじや)で御座(ござ)いますが、045此(この)頃(ごろ)高照山(たかてるやま)にバラモン教(けう)の一派(いつぱ)石熊(いしくま)なる者(もの)現(あら)はれ、046珍(うづ)の都(みやこ)へいろいろと間者(かんじや)を入(い)り込(こ)ませ、047転覆(てんぷく)の計画(けいくわく)をめぐらして居(を)りますれば、048吾々(われわれ)は教主(けうしゆ)松若彦(まつわかひこ)様(さま)の内命(ないめい)を奉(ほう)じ、049バラモン教(けう)の様子(やうす)を探(さぐ)るべく、050バラモンの信者(しんじや)となつて、051今日迄(けふまで)暮(く)れて来(き)ました。052然(しか)るに石熊(いしくま)の大将(たいしやう)の言葉(ことば)に、053貴女(あなた)方(がた)が今明日(こんみやうにち)の内(うち)に、054海原(うなばら)を渡(わた)りハラの港(みなと)へ御(ご)上陸(じやうりく)遊(あそ)ばし、055珍(うづ)の国(くに)へお越(こ)しになるに相違(さうゐ)ない。056もしも珍(うづ)の都(みやこ)へ両人(りやうにん)が乗込(のりこ)んだが最後(さいご)バラモン教(けう)に対(たい)し、057大変(たいへん)なる強敵(きやうてき)が出来(でき)るやうなものだから、058テル山峠(やまたうげ)に見張(みは)りをして、059両人(りやうにん)を引捉(ひつとら)へ、060高照山(たかてるやま)に連(つ)れ帰(かへ)れとの命令(めいれい)、061日頃(ひごろ)の吾々(われわれ)両人(りやうにん)が神(かみ)様(さま)に御(ご)奉公(ほうこう)するのは、062今此時(いまこのとき)と喜(よろこ)び勇(いさ)んで、063一行(いつかう)の中(なか)に加(くは)はり此処迄(ここまで)やつて来(き)ました者(もの)で御座(ござ)います』
064ネロ『私(わたし)も貴女(あなた)方(がた)御(ご)一行(いつかう)の此処(ここ)にお休(やす)みと云(い)ふことを、065ゆくりなくも月(つき)にてらして悟(さと)りました故(ゆゑ)、066ワザとシーナの旧悪(きうあく)を知悉(ちしつ)してゐるのを幸(さいは)ひ、067おどして逃(に)がさむかと考(かんが)へ、068いろいろの話(はなし)を貴女(あなた)様(さま)に聞(きこ)えよがしに申上(まをしあ)げました。069早速(さつそく)の貴女(あなた)様(さま)の頓智(とんち)によりて、070三(さん)人(にん)の者共(ものども)は、071あの通(とほ)り逃(に)げ失(う)せまして御座(ござ)います。072最早(もはや)一安心(ひとあんしん)で御座(ござ)います。073サア是(これ)からカールさまと此(この)峠(たうげ)を今(いま)の内(うち)に、074お疲労(くたびれ)でせうが、075仮令(たとへ)少(すこ)しでも構(かま)ひませぬから、076御(お)登(のぼ)り下(くだ)さいませ。077私(わたし)は今(いま)逃(に)げ去(さ)つた三(さん)人(にん)の男(をとこ)が、078もしや後返(あとがへ)りをして来(き)ましては、079都合(つがふ)が悪(わる)う御座(ござ)いますから、080是(これ)から彼(かれ)等(ら)の後(あと)を追(お)ひ、081無事(ぶじ)にお二人(ふたり)様(さま)が珍(うづ)の都(みやこ)へ御(ご)到着(たうちやく)遊(あそ)ばす様(やう)に、082牽制(けんせい)運動(うんどう)を致(いた)しませう』
083末子(すゑこ)『あゝ、084あなたは三五教(あななひけう)の御(お)方(かた)で御座(ござ)いますか? 能(よ)うマア御(ご)親切(しんせつ)に有難(ありがた)う御座(ござ)います。085仮令(たとへ)十(じふ)人(にん)や二十(にじふ)人(にん)、086押寄(おしよ)せ来(きた)る共(とも)、087妾(わたし)に於(おい)ては別(べつ)に心配(しんぱい)でも御座(ござ)いませぬが、088いらぬ殺生(せつしやう)を致(いた)すよりも、089無事(ぶじ)に目的地(もくてきち)へ参(まゐ)れましたならば自他(じた)共(とも)に是程(これほど)結構(けつこう)な事(こと)は御座(ござ)いませぬ』
090捨子『私(わたし)は姫(ひめ)様(さま)の侍女(じぢよ)捨子姫(すてこひめ)で御座(ござ)います。091何分(なにぶん)不束(ふつつか)な者(もの)故(ゆゑ)、092宜(よろ)しく御(ご)指導(しだう)を御(お)願(ねがひ)申(まを)します』
093ネロ『左様(さやう)ならばこれで暫(しばら)く御(お)別(わか)れ致(いた)し、094後日(ごじつ)改(あらた)めて御(お)目(め)にかかりませう』
095と云(い)ふより早(はや)く此(この)場(ば)を立去(たちさ)つた。
096カール『お二方(ふたかた)様(さま)、097モウ大丈夫(だいぢやうぶ)です。098サア私(わたし)が御(ご)案内(あんない)を致(いた)しませう』
099二女(にじよ)『ハイ有難(ありがた)う』
100と茲(ここ)に三(さん)人(にん)は足(あし)を早(はや)めて、101夜露(よつゆ)したたるテル山峠(やまたうげ)を、102足(あし)に任(まか)せて登(のぼ)り行(ゆ)く。
103 登(のぼ)り八(はち)里(り)、104降(くだ)り八(はち)里(り)のテル山峠(やまたうげ)の中央(ちうおう)にまで登(のぼ)り着(つ)いた。105夜(よ)は漸(やうや)く明(あ)け放(はな)れたと見(み)え、106小鳥(ことり)の声(こゑ)盛(さかん)に聞(きこ)えて来(く)る。107太陽(たいやう)はすでに地平線(ちへいせん)下(か)を出(い)でて、108稍(やや)高(たか)く昇(のぼ)り玉(たま)へ共(ども)、109東(ひがし)にテル山(やま)の峰(みね)を控(ひか)へたることとて、110其(その)円満(ゑんまん)な御(おん)姿(すがた)を拝(をが)むことは出来(でき)なかつた。111風(かぜ)の吹(ふ)きまはしに依(よ)つて、112轟々(ぐわうぐわう)と響(ひび)き来(きた)る滝(たき)の音(おと)に、113末子姫(すゑこひめ)は耳(みみ)を欹(そばだ)て、
114末子(すゑこ)『カールさま、115大変(たいへん)な涼(すず)し相(さう)な音(おと)が聞(きこ)えて来(き)たぢやありませぬか? どこぞ此(この)近(ちか)くに瀑布(たき)でも懸(かか)つて居(ゐ)るのではありますまいか』
116カール『ハイ、117二三丁(にさんちやう)計(ばか)り北(きた)へ寄(よ)りますと、118乾(いぬゐ)の滝(たき)と云(い)つて、119テル山(やま)の谷々(たにだに)から集(あつ)まる、120大(だい)なる池(いけ)が山(やま)の中央(ちうおう)に在(あ)り、121其(その)滝(たき)から落下(らくか)する大瀑布(だいばくふ)が布(ぬの)を曬(さら)したる如(ごと)くに懸(かか)つて居(を)ります』
122末子(すゑこ)『ズイ分(ぶん)長(なが)らく潮風(しほかぜ)に吹(ふ)かれ、123又(また)大変(たいへん)な汗(あせ)を掻(か)きましたから、124一(ひと)つ道寄(みちより)をして、125お瀑(たき)にかかつて見(み)たら如何(いかが)でせう? なア捨子姫(すてこひめ)さま』
126捨子(すてこ)『サ、127それは願(ねが)うてもない事(こと)で御座(ござ)います。128カール様(さま)に御(ご)案内(あんない)を願(ねが)ひませうか』
129カール『サア……一寸(ちよつと)考(かんが)へ物(もの)で御座(ござ)いますなア。130あの乾(いぬゐ)の滝(たき)の上(うへ)の戌亥(いぬゐ)の池(いけ)には、131大変(たいへん)な大蛇(だいじや)が潜(ひそ)んで居(を)ります。132さうして大蛇(だいじや)の子(こ)が始終(しじう)滝(たき)の辺(あた)りに徘徊(はいくわい)を致(いた)し、133人(ひと)に憑(つ)いたり、134或(あるひ)は咬付(かみつ)いたり致(いた)しますので、135三五教(あななひけう)の信者(しんじや)は、136彼処(あこ)を魔神(まがみ)の滝(たき)と申(まを)し、137誰(たれ)も立寄(たちよ)つた者(もの)は御座(ござ)いませぬ。138時々(ときどき)バラモン教(けう)の教主(けうしゆ)石熊(いしくま)宣伝使(せんでんし)が私(ひそ)かに一人(ひとり)、139伴(とも)をも連(つ)れず、140滝(たき)にかかりに行(ゆ)かれると云(い)ふ大評判(だいへうばん)で御座(ござ)います。141バラモン教(けう)は一(いち)時(じ)、142火(ひ)の消(き)えた様(やう)な寂寥(せきれう)を来(きた)して居(を)りましたが、143石熊(いしくま)の教主(けうしゆ)が時々(ときどき)乾(いぬゐ)の滝(たき)に御(ご)修行(しうげふ)にお出(い)でになると云(い)ふのが呼物(よびもの)になつて、144数多(あまた)の人々(ひとびと)が其(その)神徳(しんとく)に感(かん)じ、145此(この)頃(ごろ)は余程(よほど)勢力(せいりよく)を盛(も)り返(かへ)し、146進(すす)んで珍(うづ)の都(みやこ)近(ちか)く迄(まで)、147教館(をしへやかた)を張(は)り、148数多(あまた)の間者(かんじや)を都(みやこ)に入(い)れ、149珍(うづ)の館(やかた)の松若彦(まつわかひこ)様(さま)を往生(わうじやう)させ、150自教(じけう)の勢力(せいりよく)範囲(はんゐ)に入(い)れようとして、151いろいろの計画(けいくわく)をして居(ゐ)るので御座(ござ)いますから、152もしや石熊(いしくま)の大将(たいしやう)が滝(たき)に浸(ひた)るべく来(き)て居(を)つたならば、153却(かへつ)て面倒(めんだふ)が起(おこ)りますから、154今度(こんど)は兎(と)も角(かく)も此(この)儘(まま)道寄(みちより)りをせず、155珍(うづ)の都(みやこ)迄(まで)直行(ちよくかう)なさつたら、156どんなもので御座(ござ)いませう。157それの方(はう)が第一(だいいち)に安全(あんぜん)で御座(ござ)いませう』
158末子(すゑこ)『それもさうで御座(ござ)いませうが、159妾(わらは)は何(なん)となくあの滝(たき)の音(おと)が耳(みみ)に入(い)つてから、160どうしても一度(いちど)滝(たき)が見(み)たくなつてたまりませぬ。161一寸(ちよつと)見(み)る丈(だけ)でも宜(よろ)しいから、162立寄(たちよ)らうぢやありませぬか』
163捨子(すてこ)『カール様(さま)、164何(なん)と云(い)つても神力(しんりき)無双(むさう)の神(かむ)素盞嗚(すさのをの)尊(みこと)様(さま)の御(おん)血(ち)の流(なが)れの末子姫(すゑこひめ)様(さま)の事(こと)ですから、165決(けつ)して御(お)案(あん)じには及(およ)びますまい。166どうぞ案内(あんない)して下(くだ)さいませぬか』
167カール『さう強(た)つて仰有(おつしや)るならば、168これも惟神(かむながら)でせう。169……サア御(ご)案内(あんない)申(まを)します』
170と先(さき)に立(た)つて、171大木(たいぼく)の茂(しげ)る林(はやし)の中(なか)を斜(ななめ)に北(きた)へ北(きた)へと進(すす)んで行(ゆ)く。172見(み)れば幾十丈(いくじふぢやう)とも知(し)れぬ大岩石(だいがんせき)の中央(ちうあう)を銀河(ぎんが)を縦(たて)にした様(やう)な大瀑布(だいばくふ)が真直(まつすぐ)に懸(かか)り、173青(あを)み立(だ)つた滝壺(たきつぼ)には白(しろ)い泡(あわ)が濛々(もうもう)として浮(う)き立(た)ち、174実(じつ)に涼味(りやうみ)津々(しんしん)として夏(なつ)の暑(あつ)さはどこへやら、175俄(にはか)に身体(しんたい)緊張(きんちやう)し爽快(さうくわい)の思(おも)ひに充(み)たされた。176能(よ)く能(よ)く見(み)れば、177滝(たき)の傍(かたはら)に大(だい)の男(をとこ)只一人(ただひとり)、178両手(りやうて)を合(あは)せた儘(まま)、179顔(かほ)は真青(まつさを)になり、180唇(くちびる)は紫色(むらさきいろ)に変(かは)り、181目(め)計(ばか)りキヨロつかせ、182直立(ちよくりつ)不動(ふどう)の姿勢(しせい)を執(と)つて居(ゐ)る。183カールは目敏(めざと)くも之(これ)を見(み)て、184『アツ』と計(ばか)りに驚(おどろ)いたが、185轟(とどろ)く胸(むね)を自(みづか)ら抑(おさ)へ、186末子姫(すゑこひめ)の耳(みみ)に口(くち)を寄(よ)せ、
187カール『モシ、188あれを御覧(ごらん)なさいませ。189あそこに直立(ちよくりつ)不動(ふどう)の姿勢(しせい)をとつてる大(だい)の男(をとこ)が居(を)りませう。190あれが最前(さいぜん)申(まを)した、191高照山(たかてるやま)のバラモンの教主(けうしゆ)、192石熊(いしくま)の大将(たいしやう)で御座(ござ)います。193あの滝(たき)の上(うへ)から瞰下(かんか)してゐる大蛇(をろち)の恐(おそ)ろしい眼(め)……キツと大蛇(をろち)に魅入(みい)れられ、194身体(からだ)が動(うご)けなくなつて居(ゐ)るのでせう。195こんな所(とこ)に長居(ながゐ)は恐(おそ)れです。196吾々(われわれ)もあのやうな目(め)に会(あ)はされては大変(たいへん)ですから、197足許(あしもと)の明(あか)るい内(うち)にここを立去(たちさ)らうぢやありませぬか? 又(また)魅入(みい)れられたら大変(たいへん)ですよ!』
198 末子姫(すゑこひめ)は頭(かしら)を左右(さいう)に振(ふ)り乍(なが)ら、
199末子(すゑこ)『イエイエ、200妾(わらは)も神(かむ)素盞嗚(すさのをの)尊(みこと)の娘(むすめ)、201敵(てき)を見(み)て退却(たいきやく)すると云(い)ふ事(こと)は到底(たうてい)忍(しの)びませぬ。202最早(もはや)乗(のり)かけた船(ふね)、203大蛇(をろち)を言向(ことむけ)和(やは)し、204石熊(いしくま)さまとやらを助(たす)けて上(あ)げたら、205如何(いかが)でせう。206是(これ)が吾々(われわれ)宣伝使(せんでんし)の職務(しよくむ)だと思(おも)ひます』
207捨子(すてこ)『素盞嗚(すさのをの)尊(みこと)様(さま)は八岐(やまた)の大蛇(をろち)を退治(たいぢ)の為(ため)、208世界中(せかいぢう)を御(お)廻(まは)り遊(あそ)ばす御(ご)神務(しんむ)、209就(つ)いてはお一人(ひとり)にては此(この)広(ひろ)い世界(せかい)、210お手(て)が廻(まは)らないから、211自分(じぶん)のいたいけな御(お)娘子(むすめご)を、212世界(せかい)へお遣(つか)はし遊(あそ)ばす御(ご)経綸(けいりん)を惟神(かむながら)的(てき)に御(お)始(はじ)めなさつて居(を)られるのですから、213たかが知(し)れたあれ位(くらゐ)の大蛇(をろち)を恐(おそ)れるやうな事(こと)では、214到底(たうてい)アマゾン河(がは)のモールバンドや、215醜大蛇(しこをろち)を言霊(ことたま)を以(もつ)て退治(たいぢ)することは出来(でき)ますまい。216斯様(かやう)な所(ところ)へ吾々(われわれ)がお伴(とも)をして参(まゐ)つたのも、217神(かみ)様(さま)の御(お)引合(ひきあは)せ……三五教(あななひけう)には敵(てき)を見(み)て、218退却(たいきやく)すると云(い)ふ事(こと)は許(ゆる)されませぬ。219ひとつ誠一(まことひと)つの言霊(ことたま)を以(もつ)て戦(たたか)つて見(み)やうぢやありませぬか』
220カール『ぢやと申(まを)してそれは余(あんま)り無謀(むぼう)では御座(ござ)いますまいか? 何程(なにほど)御(ご)神力(しんりき)があればとて、221こちらは人間(にんげん)の身体(からだ)……向(むか)うは畜生(ちくしやう)、222人間(にんげん)の言葉(ことば)が分(わか)る道理(だうり)もありますまい。223又(また)外(ほか)の人(ひと)ならば兎(と)も角(かく)も、224極悪(ごくあく)無道(ぶだう)のバラモン教(けう)の石熊(いしくま)の如(ごと)き者(もの)をお助(たす)けになつた所(ところ)で何(なん)の功能(こうのう)もありますまい。225天下(てんか)に害毒(がいどく)を流(なが)し、226人民(じんみん)を虐(しひた)げる悪人(あくにん)を助(たす)けようものなら、227それこそ天下(てんか)は紛乱(ふんらん)の止(や)む時(とき)なく、228遂(つひ)には珍(うづ)の都(みやこ)まで蹂躙(じうりん)し、229良民(りやうみん)を虐(しへた)げ苦(くる)しむるは目(ま)のあたり、230今(いま)大蛇(をろち)に魅(み)せられて、231あの通(とほ)り身体(しんたい)強直(きやうちよく)し、232今(いま)や蛇腹(じやふく)に葬(ほうむ)られむとしてゐるのも神(かみ)の御心(みこころ)で御座(ござ)いませう。233サアサア、234早(はや)く此(この)場(ば)を立去(たちさ)らうぢやありませぬか?』
235末子(すゑこ)『如何(いか)なる悪人(あくにん)と雖(いへど)も元(もと)は同(おな)じ神(かみ)様(さま)の分心(ぶんしん)分体(ぶんたい)、236天(あめ)が下(した)に敵(てき)もなければ、237吾々(われわれ)は仇(あだ)もないと深(ふか)く存(ぞん)じて居(を)ります。238此(この)惨状(さんじやう)を見棄(みす)てて、239如何(どう)して吾々(われわれ)宣伝使(せんでんし)が帰(かへ)ることが出来(でき)ませう。240神(かみ)様(さま)に対(たい)しても恥(はづ)かしくてなりませぬ。241是(これ)より言霊(ことたま)を発射(はつしや)し、242大蛇(をろち)を帰順(きじゆん)させ、243石熊(いしくま)の命(いのち)を助(たす)けてやつたら、244キツと善道(ぜんだう)に立返(たちかへ)るでせう。245情(なさけ)は人(ひと)の為(ため)ならずとか申(まを)しまして、246人(ひと)を助(たす)けておけば、247又(また)自分(じぶん)も神(かみ)様(さま)の御恵(みめぐみ)に依(よ)つて、248九死(きうし)一生(いつしやう)の場合(ばあひ)、249誰(たれ)かの手(て)を通(とほ)して助(たす)けられるものです。250吾々(われわれ)が幸(さいは)ひ、251此処(ここ)に立現(たちあら)はれたのも全(まつた)く仁慈(じんじ)無限(むげん)の神(かみ)様(さま)の御(ご)摂理(せつり)でせう』
252捨子(すてこ)『姫(ひめ)様(さま)の仰(あふ)せ御尤(ごもつと)も……カールさま! 決(けつ)して御(ご)心配(しんぱい)は要(い)りませぬ。253キツと御(ご)安心(あんしん)させますから、254此(この)場(ば)は妾(わたし)等(ら)にお任(まか)し下(くだ)さいませ』
255カール『左様(さやう)なればお言葉(ことば)に従(したが)ひませう』
256 茲(ここ)に末子姫(すゑこひめ)は滝(たき)に横(よこ)たはつて、257崖下(がいか)の石熊(いしくま)の身体(からだ)を睨(にら)みつめ、258今(いま)や大口(おほぐち)を開(あ)けて一呑(ひとの)みにせむとする勢(いきほひ)を示(しめ)してゐる大蛇(をろち)に向(むか)つて、259宣伝歌(せんでんか)を歌(うた)ひ聞(き)かした。
260末子姫(すゑこひめ)『神(かみ)が表(おもて)に現(あら)はれて
261善(ぜん)と悪(あく)とを立分(たてわ)ける
262此(この)世(よ)を造(つく)りし神直日(かむなほひ)
263心(こころ)も広(ひろ)き大直日(おほなほひ)
264只(ただ)何物(なにもの)も天地(あめつち)の
265神(かみ)の尊(たふと)き御水火(みいき)より
266現(あら)はれ出(い)でし者(もの)なれば
267四方(よも)の神人(しんじん)始(はじ)めとし
268山河(さんか)草木(さうもく)云(い)ふも更(さら)
269禽獣(きんじう)虫魚(ちうぎよ)に至(いた)る迄(まで)
270切(き)つても切(き)れぬ同胞(はらから)よ
271数多(あまた)同胞(はらから)ある中(なか)に
272天地(てんち)の神(かみ)の経綸(けいりん)を
273受(う)けて生(うま)れし人(ひと)の身(み)は
274秀(すぐ)れて尊(たふと)きものぞかし
275あゝ惟神(かむながら)々々(かむながら)
276御霊(みたま)幸(さち)はひましまして
277乾(いぬゐ)の池(いけ)に潜(ひそ)むなる
278これの大蛇(をろち)の魂(たましひ)に
279尊(たふと)き神(かみ)の御水火(みいき)をば
280かけさせ玉(たま)ひて天地(あめつち)の
281守(まも)りの神(かみ)と逸早(いちはや)く
282神徳(しんとく)充(み)たせ玉(たま)はれよ
283瑞(みづ)の御霊(みたま)と現(あ)れませる
284神(かむ)素盞嗚(すさのをの)大神(おほかみ)は
285豊葦原(とよあしはら)の国中(くになか)に
286さやれる八岐(やまた)の大蛇(をろち)をば
287誠(まこと)の剣(つるぎ)抜(ぬ)き持(も)たし
288恵(めぐみ)の玉(たま)を光(ひか)らせて
289大蛇(をろち)の霊(みたま)を悉(ことごと)く
290服従(まつろ)ひ和(やは)し玉(たま)ふなり
291瑞(みづ)の御霊(みたま)の末(すゑ)の子(こ)と
292現(あら)はれ出(い)でたる末子姫(すゑこひめ)
293顕恩郷(けんおんきやう)を立出(たちい)でて
294大海原(おほうなばら)を漕(こ)ぎ渡(わた)り
295漸(やうや)くここに来(き)て見(み)れば
296バラモン教(けう)の神司(かむづかさ)
297御稜威(みいづ)も高(たか)き高照(たかてる)の
298山(やま)の麓(ふもと)に宮柱(みやはしら)
299太(ふと)しく立(た)てて神(かみ)の道(みち)
300伝(つた)へ玉(たま)へる石熊(いしくま)の
301尊(たふと)き清(きよ)き神(かみ)の宮(みや)
302仮令(たとへ)教理(けうり)は変(かは)る共(とも)
303世人(よびと)を思(おも)ふ真心(まごころ)は
304吾(われ)等(ら)の胸(むね)に違(たが)ふまじ
305旭(あさひ)は照(て)る共(とも)曇(くも)る共(とも)
306月(つき)は盈(み)つ共(とも)虧(か)くる共(とも)
307仮令(たとへ)大地(だいち)は沈(しづ)む共(とも)
308世界(せかい)を思(おも)ふ真心(まごころ)に
309いかでか差別(けじめ)あらざらむ
310万(よろづ)の物(もの)の霊長(れいちやう)と
311生(うま)れ出(い)でたる人(ひと)の身(み)を
312大蛇(をろち)の神(かみ)の現(あら)はれて
313呑(の)まむとするは何事(なにごと)ぞ
314森羅(しんら)万象(ばんしやう)悉(ことごと)く
315完美(うまら)に委曲(つばら)に守(まも)ります
316皇(すめ)大神(おほかみ)の御心(みこころ)に
317叶(かな)はぬ汝(なんぢ)が振舞(ふるまひ)を
318わが言霊(ことたま)を聞分(ききわ)けて
319一(いち)時(じ)も早(はや)く改(あらた)めよ
320神(かみ)は汝(なんぢ)の身辺(しんぺん)を
321朝(あさ)な夕(ゆふ)なに守(まも)ります
322其(その)神恩(しんおん)を知(し)らずして
323神(かみ)の宮居(みやゐ)の石熊(いしくま)を
324只(ただ)一口(ひとくち)に呑(の)まむとは
325天地(てんち)許(ゆる)さぬ醜業(しこわざ)ぞ
326大蛇(をろち)の神(かみ)よ長神(ながかみ)よ
327今日(けふ)は汝(なんぢ)の玉(たま)の緒(を)の
328生命(いのち)の亡(ほろ)ぶ瀬戸際(せとぎは)ぞ
329吾(わが)言霊(ことたま)に服従(まつろ)ひて
330天地(てんち)の道理(だうり)を正覚(しやうかく)し
331醜(しこ)の身体(からだ)を脱出(だつしゆつ)し
332うつしき女神(めがみ)の体(たい)となり
333高天原(たかあまはら)に昇(のぼ)りませ
334吾(わ)れは神(かみ)の子(こ)末子姫(すゑこひめ)
335天(てん)に代(かは)りて天津(あまつ)神(かみ)
336依(よ)さし玉(たま)ひし言霊(ことたま)を
337汝(なんぢ)の為(ため)に宣(の)り伝(つた)ふ
338あゝ惟神(かむながら)々々(かむながら)
339御霊(みたま)幸(さち)はひましませよ』
340と歌(うた)ひ終(をは)れば、341今迄(いままで)形相(げうさう)凄(すさま)じく、342石熊(いしくま)を一呑(ひとの)みにせむと身構(みがま)へ居(ゐ)たりし大蛇(をろち)は、343両眼(りやうがん)より玉(たま)の如(ごと)き涙(なみだ)を流(なが)し、344幾度(いくど)となく末子姫(すゑこひめ)に向(むか)つて頭(あたま)を下(さ)げ、345感謝(かんしや)の意(い)を表(へう)しつつ、346巨大(きよだい)なる姿(すがた)を滝(たき)の中(なか)に隠(かく)して了(しま)つた。
347 今迄(いままで)大蛇(をろち)に魅入(みい)れられ、348身体(しんたい)強直(きやうちよく)して身動(みうご)きもならなかつた石熊(いしくま)は直(ただち)に身体(しんたい)の自由(じいう)を得(え)、349嬉(うれ)し涙(なみだ)を両眼(りやうがん)に垂(た)らしつつ、350三(さん)人(にん)の前(まへ)に手(て)をついて救命(きうめい)の大恩(たいおん)を感謝(かんしや)するのであつた。
351(大正一一・八・一四 旧六・二二 松村真澄録)
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