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幼ながたり
まえがき
幼ながたり
01 父のこと
02 母の生いたち
03 因果応報ばなし
04 石臼と粉引きの意味
05 父の死
06 わたしのこと
07 奉公
08 幼なき姉妹
09 母は栗柄へ
10 母の背
11 屑紙集めと紙漉きのこと
12 清吉兄さん
13 蘿竜の話
14 およね姉さん
15 ひさ子姉さん
16 不思議な道づれ
17 仕組まれている
18 おこと姉さんの幼時
19 王子のくらし
20 ご開祖の帰神
21 霊夢
22 教祖と大槻鹿造
23 牛飼い
24 ねぐら
25 不思議な人
思い出の記
1 料亭づとめ
2 神火
3 天眼通
4 直日のこと
5 夫婦らしい暮しの日
6 尉と姥
獄中記
監房へ
一ぱいの水
青い囚人服
一本の桐の木と蝉
風の中の雀
ぼっかぶりの夫婦
オツルさん
孫の絵便り
獄中の歌
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幼ながたり
> 01 父のこと
<<< まえがき
(B)
(N)
02 母の生いたち >>>
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一 父のこと
インフォメーション
題名:
1 父のこと
著者:
出口澄子
ページ:
目次メモ:
概要:
備考:
タグ:
データ凡例:
データ最終更新日:
OBC :
B124900c03
001
父のことや、
002
母のむかしのことは、
003
母の口から直接に私が聞かされたものです。
004
私は、
005
母のそばに一番多くおりましたから、
006
私はいつも、
007
母に抱かれながら本当のことを話して聞かされました。
008
私の母、
009
大本教祖に関していろいろとまことしやかなウソが伝わっていて、
010
私はなんとかして本当のことと、
011
真実の大本の歴史を今のうちにハッキリさしてもらいたいと思っていましたが、
012
なかなか出来ず、
013
少しは紙にも書いておりましたが、
014
こんど、
015
岡山から
こんじん
さまの御神体が入ってから、
016
思っていたことが口をついて、
017
すらすらと出るようになりました。
018
やっぱり時節だと思います。
019
それで、
020
父のことから書き初めます。
021
父は養子で
政五郎
(
まさごろう
)
といい、
022
実家は綾部近在の
岡
(
おか
)
の
境
(
さかい
)
で、
023
今も岡の八幡神社の裏手に、
024
当主の
四方
(
しかた
)
順三郎
(
じゅんざぶろう
)
といわれる方がついでおられます。
025
四方
(
しかた
)
の家はゆうふくな百姓でありましたが、
026
父は宮大工となりました。
027
とても立派な腕の方で、
028
まだ汽車の開通してないころでしたが、
029
そのころ、
030
綾部近在十里四方で父の名を知らない人はなかったということです。
031
建築をたのまれ、
032
図面を引きに行っても、
033
テンゴウ(じょうだん)ばかりいうて、
034
アハハアハハと笑いながら図面を引かれ、
035
それでいてまことに立派な図面が出来上がるのに、
036
皆ビックリさせられたそうです。
037
腕がよく、
038
どこからも、
039
かしこからも─政五郎さん─政五郎さん─と注文にこられるので、
040
大工仲間からは大変そねまれ、
041
ある夜、
042
石原村
(
いさむら
)
の
吉蔵
(
きちぞう
)
という父の一番弟子が
上町
(
かんまち
)
の
喜兵衛
(
きへえ
)
という人の宅の前まで行くと、
043
夏であるのに戸をしめて、
044
家の中で大工仲間が集まって何かヒソヒソと話している声がふと耳に入ったので、
045
戸の外から縁にこしかけ、
046
ソッと聞いていると、
047
「……政五郎を殺してしまおう……」という相談でした。
048
明治初めの日本の田舎ほまだこんなものが残っていたのです。
049
吉蔵はこれは大変とおどろいて父のところにかけつけてくれ、
050
それで父は翌日、
051
組頭
(
くみがしら
)
に話してお酒を都合してもらい、
052
それをもって
上町
(
かんまち
)
の
大工等
(
だいくら
)
のところに行き、
053
話をして事なくすんだということがありました。
054
父は、
055
大工仲間にはそねまれましたが、
056
とても
滑稽
(
こっけい
)
な面白い人でした。
057
子供たちには
阿呆口
(
あほうぐち
)
ばかりたたくので、
058
ひどう好かれました。
059
仕事に出かけられますときには、
060
いつでも大工道具を手ぬぐいでグルグルとくくって手に持ち、
061
それからわざとふんどしをプラリとさげ、
062
ふんどしの端に石をつつんだりして歩くというオチャリぶりで、
063
父が外に出ると子供たちが追っかけてついて行くといったぐあいの人でした。
064
父が亡くなってからも、
065
よく私たちは「政五郎さんの子供とちがうかいな」と知らない人から呼びかけられ、
066
「あんたとこのお父さんはホンマに面白い人やった」と聞かされることがたびたびありました。
067
父は、
068
ことのほかお酒が好きでした。
069
しかし人からのふるまい酒は他の酒好きの人のように呑まず、
070
いつでも
並松
(
なみまつ
)
の
一本木
(
いっぽんぎ
)
の「
虎屋
(
とらや
)
」という
煮売酒屋
(
にうりさかや
)
が父の一生の酒呑み場所で、
071
かならずそこへ呑みに行くことにきめておりました。
072
そのことで世間では虎屋のおかみさんと父との間に
情交
(
かんけい
)
があるように噂して、
073
そっと母のところに告げ口にくる人もあったそうです。
074
(もちろん、
075
母はそのような話に耳をかされるはずもなく、
076
父が亡くなってから、
077
母の信じていたように父が
清廉
(
せいれん
)
な生涯を送ったことが世間の人にもわかったということを母は話しておられました)。
078
父は建前のときにも
定
(
きま
)
った祝いだけのものは呑みましたが、
079
それ以上はほかの大工のようにあとまで残って
悪呑
(
わるの
)
みは絶対にしたことがなく、
080
与えられただけ頂くと、
081
さっさと表に出て自分で虎屋へ出かけました。
082
そこで自分の金でこころゆくまで呑んでいたそうであります。
083
父は家のことなどは考えずに思う存分に呑んでくるのですが、
084
母は
明日
(
あす
)
頂く米がなくなっていても不平一ついわれず、
085
父は母の
心中
(
しんちゅう
)
にも気づかずにただただ呑み暮したようです。
086
家の暮しがどうにもならないときであろうと、
087
父は、
088
仕事のかえりに
串柿
(
くしがき
)
を十二連(千二百個)もエッサ(沢山)買ってかえり、
089
「ホラみんな食えよ」という工合でトンと家計のことは判らぬ人でした。
090
またヒョウキンもので、
091
綾部の
亀甲屋
(
きっこうや
)
をうけおって落成祝いのとき、
092
そのころ綾部に初めて芸者ができてお祝いの席に出てきました。
093
他の大工は初めての芸者のこととて恥ずかしがって顔を赤くし、
094
芸者からおしゃくをしてもらうとキチンとかしこまってお酒をのんでいたそうですが、
095
おどけものの父はデンと大あぐらをかいて、
096
股の間からチョコンと出し、
097
その先にご飯粒をチョンとひっつけ、
098
知らん顔をしてお酒をのんでいたという人でした。
099
父と母とは、
100
人もうらやむほど仲のよい夫婦でしたが、
101
母は無口なキチンとした
方
(
かた
)
でしたので、
102
父のような人は家で仕事をしていても窮屈だったのでしょう。
103
家にいるときは毎日いくたびか表に出て必ず近所の家に行き、
104
アーアーと背伸びして「ああ口に虫がわきおった」と言っていたといいますが、
105
父と母とは全く正反対な性格の人でした。
106
あるとき父が、
107
母の
福知山
(
ふくちやま
)
におられる妹さんが
大病
(
たいびょう
)
であるというので、
108
その見舞いに出かけたことがありました。
109
父がつくと病人は危篤で、
110
母の実家では「すぐに綾部にいって姉のおなおを呼んできてくれ」とたのまれたので、
111
父は承知の
助
(
すけ
)
とばかり、
112
さっそく綾部をさして急ぎました。
113
ところが父は途中で村芝居に出会いました。
114
昔はよくあったにわか
小屋
(
こや
)
建てのもので、
115
ちょうど
石原村
(
いさむら
)
まで戻ったところでこの村芝居にぶっつかりました。
116
悪いことには、
117
これがまた父の三度の飯よりも好きなもので、
118
ちょっと見ているうちにだんだん面白くなり、
119
とうとう大切な用件を忘れてしもうて、
120
この村芝居に見ほれていただけでなく、
121
巡業の村芝居について、
122
その翌日も家に帰らず、
123
その
間
(
あいだ
)
に病人は亡くなってしまわれ、
124
福知山から飛脚が綾部に着いたときにもまだ父は村芝居を追っていたといいます。
125
父はまた村の集会に行っても、
126
いねむりばかりしていて、
127
「政五郎さんの意見はどうや」と聞かれても「あゝよいよい、
128
それでよい」という調子でした。
129
そうした父とつれそった母は、
130
八人の子をかかえ、
131
口にはだされなかったが、
132
心中ハラハラとして大変なご心労をなされたことでしょう。
133
組内
(
くみうち
)
の人が、
134
私の家の困窮を見るにみかね、
135
ひさ子
姉
(
ねえ
)
さんが二才ぐらいの時に、
136
無尽
(
むじん
)
をしてくれることになりました。
137
昔は
無尽
(
むじん
)
をしてもらうと、
138
組内
(
くみうち
)
の人へ酒の一パイもふるまい、
139
食事をだし頭を下げよくよくお願いするのです。
140
明日
(
あす
)
はいよいよ組の人が
無尽
(
むじん
)
のことでうちに集まってくれるというのに、
141
父はどこへ行ったのか行方がわからず、
142
いろいろ手配して探したところ、
143
どうやら福知山へ行ったらしいということで、
144
ともかく
明日
(
あした
)
はどうしても父にいてもらわねば、
145
集まってくれる人にすまぬと、
146
母はひとり気をもんでおられましたが、
147
夜の十時になっても帰ってこず、
148
つつしみぶかい母もジッとしておれなくなり、
149
何とかして父を連れもどして
明日
(
あした
)
の朝、
150
父の不在が父の恥とならぬよう、
151
他人
(
たにん
)
の笑い者にしたくないとて、
152
二才になったばかりのひさ子姉さんをふところに入れ、
153
雪のしんしんと降る中を福知山に向かわれました。
154
その夜は、
155
雪が道をかくし、
156
寒さは寒し、
157
夜は
更
(
ふ
)
けるなり、
158
狐の足あとでも、
159
犬の足あとでもあってくれたらと思われたそうですが、
160
八幡さんのところまでくるは来たものの、
161
どうにも動きがとれず、
162
岡の父の実家の戸をほとほととたたかれ、
163
夜更けに藁をたいてもらって、
164
こごえる手足を
温
(
ぬく
)
め、
165
そしてまた道もわからぬまでに降る雪の中を歩かれ、
166
とうとう父をさがしあてられたのです。
167
母は、
168
このことが
他人
(
ひと
)
に知れれば夫の恥になると、
169
ひたかくしにかくされましたが、
170
組のうちの一人がどうして知ったのか、
171
「おなおさんはどうやら夕べ、
172
あの雪の中を福知山までいっちゃったらしいでよ」と話しているのを耳にされ、
173
非常に恥ずかしい思いをせられたということです。
174
とにかく、
175
父はそんな工合でしたが、
176
名人肌
(
めいじんはだ
)
の人で、
177
大工としての生涯で、
178
間違いは只一度、
179
柱を一本少し短かく切っただけと聞いています。
180
父の仕事の立派さはかいわいに名を売っていましたので弟子もいくたりかとりました。
181
年期が来ると、
182
そのあとの一年か二年はお礼奉公をさせるのがそのころの習慣でしたが、
183
父は弟子が役に立つようになると、
184
かえって年期よりも早く帰したものですから、
185
弟子はみな栄えても、
186
自分はいつも貧乏していました。
187
あまりにお人好しで、
188
貸したお金は催促もできず、
189
建前を請負っても
因業
(
いんごう
)
なことの出来ない人であったばかりでなく、
190
仕事をすればいつも損をする、
191
といった少しもお金をうちにもってかえることがありませんでした。
192
そのために、
193
自分の妻や子がどんな苦しい気持ちに堪えているか、
194
というようなことは少しもわからないふうでありました。
195
それでも母さまは
一言
(
ひとこと
)
の不平もなく
196
「どんなに貧乏はしても心までは貧乏はせぬわいな」
197
と言われてせっせと働かれたのです。
198
夜分、
199
あたりが寝しずまっているころ父が「おなおや、
200
今年は
何貫
(
なんかん
)
貧乏したのう。
201
いくら借金したのう」といわれると、
202
母が「そうですなア」と、
203
うなずいていられるふうの寝物語りの声が、
204
近所のきん助さんの家に聞こえたことがあったそうです。
205
私の生まれたころには、
206
土地や
家倉
(
いえくら
)
もつぎつぎと人手に渡って、
207
家にのこったものといっては、
208
いろはの文字と同じ数の四十八坪の土地だけでありました。
209
それが、
210
艮の金神さまの神霊が初めてお
降
(
くだ
)
りになった
坪
(
つぼ
)
の
内
(
うち
)
の屋敷であります。
211
いまも綾部
梅松苑
(
ばいしょうえん
)
の
大榎
(
おおえのき
)
の
本
(
もと
)
の
元井戸
(
もといど
)
のあるところです。
212
私は三つくらいのとき、
213
清吉
(
せいきち
)
兄さんは十二歳くらいとおぼえていますが、
214
艮の金神さまが母の体にかかられたころ母は
饅頭屋
(
まんじゅうや
)
を始めておられました。
215
若いころ福知山の
饅頭屋
(
まんじゅうや
)
に奉公されていたことがあり、
216
鰻頭の作りかたをおぼえられたのです。
217
夜なべをかけて、
218
きちっとすわられた姿で、
219
母のひかれる大きい
石臼
(
いしうす
)
から、
220
雪のように白い粉が吹きこぼれて、
221
こころよい不断の音が響いていた光景は、
222
いまも目に新しく私に甦ってきます。
223
そして、
224
その母の、
225
端然と
坐
(
すわ
)
られた、
226
もの思い深げな姿が、
227
世の
根
(
ね
)
の神がかかられた頃の母につながる印象であります。
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<<< まえがき
(B)
(N)
02 母の生いたち >>>
幼ながたり
> 01 父のこと
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