霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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一八 おこと姉さんの幼時

インフォメーション
題名:18 おこと姉さんの幼時 著者:出口澄子
ページ: 目次メモ:
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日: OBC :B124900c20
001 私の姉のおこと姉さんも悪役に仕組(しぐ)まれた一人です。
002 教祖さまの次女として文久二年の六月八日に生まれ、003幼名はおみとと言いましたが、004これは父の若いころの恋人への(あたたか)い心から付けられたというのですが、005この姉は六ツの時に畑の中の肥つぼに落ち込んだことがあって、006その時教祖さまがおことという名に変えられたということです。007これは、008綾部地方の風習で、009ちょうず(便所)にはまった子は名前を変えんと早死(はやじ)にすると言い伝えられているからです。
010 おこと姉さんは大変恥ずかしいことですが、011世間でいうエグイ(ひと)で、012教祖さまも大変な気苦労をされたようで、013親でありながらおこと姉さんからイジメられなさったと言います。014おこと姉さんは小さい時から、015どこかヒネクレたところがあって、016子供らしさ、017素直さがなく、018()のきょうだいと同じようにお菓子を渡されても、019必ず自分のは小さいとか、020少ないとか言ってゴテられ、021ぐじぐじ言いながらズンズン後ずさりして、022縁から落ちるところ迄いかぬともらわないという程の子であったと申されていました。023このようにおことさんが教祖さまに、024つらく当たったのは父の前の恋人のおみとと言う人の霊がかかっていたのであります。
025 お父さんが仲人の辻村藤兵衛(とうべえ)という理非道(りひどう)な人にだまされて、026無理に高い利子で金を借りたため、027田や畑をとられた上、028とうとう結婚後十七年間住まわれた新宮(しんぐう)(つぼ)(うち)の屋敷を人手に渡されてしまい、029半年ほどは倉の二階を借りて(くら)されることになり、030そのころおこと姉さんは、031よその子の頭に手をかけたり、032突きころがしたりするので近所の苦情がたえまなく来て、033教祖さまは夜になって、034おことさんに添い寝しながら、035そのころの俗謡(ぞくよう)036
037──親が貧乏すりゃ子は巾着(きんちゃく)如何(どん)な人にも下げられる──
038と唄いながら「もう、039うちの家はよその人に売るほど貧乏しているのやから、040近所の人は以前と同じように、041お前たちを見てくれぬから、042ゴンベエも(たい)ていにしておくれよ」と、043言って聞かせられたということです。044おこと姉さんは丁度家運の傾いてゆく変わり目に大きくなったので、045よけいにひがまれたのかと思います。
046 教祖さまが新宮(しんぐう)母屋(おもや)に住んでられたころ、047新宮(しんぐう)に大火事があって、048教祖さまの家と隣の大島の家の二軒だけのこして十八軒も焼けました。049その時教祖さまはおこと姉さんに「妙やな、050まわり八方やけたのに、051うちと大島だけが残ったがなあ」と言われたそうですが、052その()(ほど)なく、053この家を東裏町(ひがしうらまち)味方屋(みかたや)という菓子屋に売って土蔵の二階に移られ、054半年後、055上町(かんまち)三十番地の借家に移られたと間いています。056おこと姉さんは土蔵の二階に移って間もなく、057福知山へ子供にやられ、058この世の辛酸(しんさん)をなめさせられていました。059それから、060亀岡から京都街道を東へ一里程いったところにある王子というところの猟師に縁づいてゆかれました。
061 教祖さまが(かむ)がかりになりましたのは、062おこと姉さんが王子に落着いた(あと)のことです。
063 教祖さまは(かむ)がかりになりましても、064(あきな)いには平常のように毎日でかけられました。065出かけられる前には神様に、066
067「今日はどちらへ参りましょうか」
068と尋ねられました。069そうすると「今日は西原(にしばら)へゆけ」とか「今日は位田(いでん)にゆけ」とか、070また「今日は山家(やまが)にゆけ」というように神様から一々指図があります。071教祖さまはいつでもその都度、072神様の申されるままに「はい」と素直にお答えしてでかけられていました。
073 そうして商売に参られましても、074ゆかれた先で他人の家に上がられまして、075(とこ)をきれいにされ、076神様を祀るように言われるので、077みんなはあっ()にとられて、078教祖さまを気が狂われたと思いました。079教祖さまはそれでも神様の話をされ、080これを笑う者に、081「村の者、082後で悔むなよ」といましめられていたそうです。
083 そういうふうに商売もできずに家に帰られることが多くなり、084暮しがますます行き詰ってくるのが目に見えて来ました。
085 教祖さまは神様に、086
087「こんなことをしていては商売にもなりません」
088と言われますと、089神様は、090
091(あきな)いぐらい知ったことかい、092今日は大きな仕組(しぐ)みができたのであるぞよ。093世界の仕組(しぐ)みの雛型が一つ一つ成就してゆくのであるから、094なおよ、095喜んでくれ」
096と申されたのであります。
097 こういうわけで、098おりょうさんは四方(しかた)源太郎(げんたろう)さんという人のところに子守り奉公にやらされましたが、099それでも教祖さまの生計(くらし)はどうにも立ちゆかなくなり、100
101 ある夜、102教祖さまは、103
104「おすみや、105いまはお母さんは神様のご用があるので、106お前に苦労をかけて、107かわいそうなけど、108お前はいっとき八木(やぎ)の姉さんのところに行っていておくれいな。109お前は(すえ)で世界の宝の中に(うず)もれて暮らすようになる子やでな、110これも、111どうしてもそれまでにお前のせんならん(ぎょう)やでな。112かわいそうなけど元気を出していっていておくれよ」
113と、114やさしくやさしく申されました。
115 私は「はい」とこたえました。116けれどそうして、117また教祖さまのおそばを離れねばならないことを思いまして、118どんなにか悲しみました。119それから()ぐ教祖さまは一先(ひとま)ず私を八木(やぎ)までやりたいから頼むとひさ子姉さんのところに便りをされ、120私は京都行きの常便(じょうびん)さん、121そのころは上下(じょうげ)さんと言うていましたが、122その(きょう)()きの飛脚をしていた田町(たまち)豊助(とよすけ)さんと言う人に八木(やぎ)までつれていってもらうことになりました。
123 前の晩、124教祖さまは、125とぼしいうちから、126いくらかの小豆(あずき)を買って下され、127わたしの旅立ちのために、128小豆ご飯を炊いて下さいました。129そうして(いわし)の干物を焼いて(ぜん)の上にのせて下され「尾頭(おかしら)つきやでな」と笑いながら祝って下さいました。
130 次の朝、131暗いうちに私は眼が覚めました。132そうして上下(じょうげ)豊助(とよすけ)さんに手を引いてもらって家を出ました。133その時も教祖さまは「おすみや、134ご苦労やけど八木(やぎ)にいっておくれよ、135このおじさんによう頼んであるでな、136八木(やぎ)にいったら、137よう姉さんの手伝いして上げてな、138可愛いがってもらいなよ」と言われ、139上下(じょうげ)豊助(とよすけ)さんには「豊助(とよすけ)さん、140小さい子をすまんけどよろしくたのみます」と、141なんべんも言うておられました。
142 上下(じょうげ)豊助(とよすけ)さんは六十に近い小柄に太った丸顔のやさしい爺さんでした。143振り分けの荷物を肩にかけて「(じょう)や、144おっさんといっしょやで心配しなさんな」と言うてくれました。
145 教祖さまが私の()()の着物の尻からげをして下さった時、146自分の着物の(すそ)から(べに)もじのいまきが表われて眼にしみました。147お芝居の阿波の巡礼お(つる)のように(つえ)を握らせてもらい、148そうして片方の手を豊助(とよすけ)さんにひいてもろうて家を出ました。149それはもう薄ら寒いころでありました。150教祖さまの(かむ)がかりは明治二十五年の正月ですから、151同じ年の秋の暮から冬になるころであったろうと思います。152私は藁草履(わらぞうり)紅木綿(べにもめん)のあとがけをしてもらっておりましたが、153その新しい藁草履(わらぞうり)紅葉(もみじ)落葉(おちば)をふんだ憶えがあります。
154 私が後をふりかえると、155教祖さまはいつまでも、156じっと私を見ていて下さいました。157そうして町はずれのところまでくるともう私が見えなくなるので、158着物のたもとを顔にあてて泣いておられたようでした。159(あと)をふり向きふり向き私は教祖さまの泣かれているお姿を見ながら、160上下(じょうげ)の爺さんの手にひかれてゆくのでした。
161「おすみや、162つらいやろうが、163(ぎょう)やでな」、164私にはその言葉の意味が分かったのでしょうか、165悲しい思いの中にも教祖さまのお声が耳のそこに、166波のように聞こえては消え、167消えては聞こえてきました。
168「ほんにまだこんな小さい子が」と上下(じょうげ)豊助(とよすけ)さんの声に気づいた時は、169質山峠(しちやまとうげ)近くにさしかかっていました。
170 質山(しちやま)妙見(みょうけん)さんのところまできますと、171妙見さんの滝の辺りから西町(にしまち)のおよね姉さんの大きなわめき声がきこえてきました。172アッ、173西町の姉さんの声やないかと思っていますと、174「三十七才ノ(たつ)ノ年ノ女全快ナサシメタマエ……」と大きな声で叫びながら、175姉さんは滝にうたれて(がん)をかけていました。
176 母に別れ、177上下(じょうげ)の爺さんにつれられ見知らぬ土地にゆく九つの私は、178いままた西町の姉さんの悲しい姿を見ながら、179木枯しの風に吹かれているのでした。
180 時雨(しぐれ)のあとの、181びしょびしょ(みち)をふみこえて、182檜山(ひのきやま)まで歩き、183そこの升屋(ますや)という宿屋に泊ることになりました。184子供心には大きな旅篭(はたご)であったようにおぼえています。
185 夜半(やはん)にふと眼を覚ますと、186広い畳の部屋に行燈(あんどん)()がともっていて、187その()を見ていると無性に母が思われました。
188「カアサンオッテナイ、189カアサンオッテナイ」と私はしくしく泣き出しました。
190 すると豊助(とよすけ)さんが、191「嬢や、192ここに()るでよう、193嬢やここにおるでよう」と言うてくれました。194そうして「おしっこがしたかったら言いなよ、195この豊助(とよすけ)さんがついていってやるでのう」と言うてくれました。
196 私は「はい」と答えて、197またふとんの中に顔をかくして寝てしまいました。
198 次の日、199八木(やぎ)の町のかかりにつきますと、200ひさ子姉さんが迎いに来てくれていて、201ほっとしました。202そこで上下(じょうげ)豊助(とよすけ)さんにお礼を言うて、203ひさ子姉さんは私の手を引いて家につれていってくれました。
204 八木(やぎ)の福島夫婦の暮しのことは前にも少し書きました。205私はひさ子姉さんの初子(はつご)のお(ふじ)という女の子をおんぶして()りをするのが私の仕事でした。206私は毎日、207お藤を背におい八木(やぎ)の町を歩いてやりました。208しかしそのお藤はハヤクサという病気にかかって、209にわかに国替(くにが)えしました。
210 そのあと、211春のころでしたか、212(ろう)から出てこられた教祖さまが、213伝吉(でんきち)さんをつれて私を見にきて下さいました。214私が川で足を洗っていると、215教祖さまがみつけられて「かしこかった、216かしこかった」と言って私の手をきゅっと強くだきしめて下さいました。
217 福島の家はそのころ町にありまして、218表は車の帳場(ちょうば)になっていて、219奥に八畳、220六畳の二間(ふたま)がありました。
221 私は久しぶりで、222母さんといっしょに寝ておりますと、223夜中に教祖さまが大きな声で、224八木(やぎ)の姉さんたちを叱られました。
225「でぐちすみこを、226どう思うとる、227このものをやっかいものと思うとるか、228やっかいものではござらぬぞ、229福島どの、230因縁あってお世話がさしてあるぞ」
231 これには夜中のことでもあり、232あまり大きな声でしたので、233福島の夫婦もびっくりしたようでした。234ひさ子姉さんは「勝手なことを言う神様や」と言うていました。
235 それからまた教祖さまは、236豆煎(まめい)りぐらいは、237してやって下されよ」と申されました。
238 これはひさ子姉さんは小さい時から貧乏で苦労したので、239金のことばかり頭にあって、240毎晩夫婦で金の算用をし、241貯金するものと、242家で使うものとを分け、243家の入用(いりよう)は切り詰める上にも切り詰めていて、244お藤の死んだ後、245用のなくなった私に、246山へ松落葉(まつば)かきや、247雨の日は縄ないをさしていても食べものには始末をしていたことを、248言われたのでしょう。
249 私が寝ている時でしたが、250義兄(にい)さんが、251私のことを「おすみはどんな子になるやろう、252しかし(めし)だけはしっかり食べさしてやれよ、253あの子の眼をみとってみい、254しつかりした眼をしているでな」と姉さんに言っていることもありました。255姉もしっかりした女でしたが一面には(じょう)の深い姉でした。
256 おかしなことですが、257稲妻のお(みつ)というそのころ有名な女盗賊からお金をもらったことがあります。258それは、259姉さんのところがひまなので一時、260同じ八木(やぎ)桝屋(ますや)という宿屋に子守りにいっていた時のことです。261夫婦の遍路が市松(いちまつ)人形に、262そのころ珍しい毛糸のきれいな着物をきせ、263それを負って地蔵さんの(ふだ)を配ってきました。264女の方は顔をちりめんの布でかくしていましたが、265子供も女連中(おんなれんちゅう)も珍しいものがきたと言って寄って来ました。266私は人形の着物をひっぱってみたりしました。267女は「さわってはいけません」と上品な言葉をつこうてはねつけましたが、268私に「八木(やぎ)によい宿(やど)はないですか」と聞いたので、269桝屋(ますや)という宿があります」と場所まで教えてやりました。
270 私は桝屋(ますや)の子守りしていたので、271嬉しがってとんで帰って二階にとめ、272「私がお給仕します」といって世話をしてやりました。273これがその頃、274流行歌にも唄われた稲妻お(みつ)夫婦のしのびの姿であったことが後で分かりました。275夫の方は(きん)さんといって呼んでいました。276奈良漬(ならづけ)ないかとお(みつ)がいうので「向かいにあります」と言って買って来てやったら、277男の方が便所にでていった間に白い財布を出して十銭銀貨をくれました。278そしてお(みつ)が「あんたは可愛らしいから、279あんたにだけ人形をだかしてあげます」と言って市松人形をだかしてくれました。280それから四、281五日たってからです。282一つとやア……といって、283今でいえば新聞を売りに来ましたが、284その中に、285(かつら)のところで警察にはさみ打ちにされて男はつかまったが、286(みつ)は川に飛びこんで判らぬようになった。287人形には匕首(あいくち)やあい(かぎ)やピストルなど人殺しの道具が入れてあったと書いてありました。
288 お(みつ)が配って来た地蔵さんのお札をはって喜んで拝んでいたのは、289八木(やぎ)の姉さんがお(ふじ)という子供を失った時で、290そのころ八木(やぎ)に教祖さまが来られ「あの地蔵はけがれているから早くめくって流してしまえ」と言われました。
291 桝屋(ますや)は、292忙しい時だけの一時奉公で、293私はひさ子姉さんのところに一たん戻り、294それから王子の姉さんのところに行くことになりました。295私の一生に忘れることの出来ない経験が待っていることも知らずに。
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