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幼ながたり
まえがき
幼ながたり
01 父のこと
02 母の生いたち
03 因果応報ばなし
04 石臼と粉引きの意味
05 父の死
06 わたしのこと
07 奉公
08 幼なき姉妹
09 母は栗柄へ
10 母の背
11 屑紙集めと紙漉きのこと
12 清吉兄さん
13 蘿竜の話
14 およね姉さん
15 ひさ子姉さん
16 不思議な道づれ
17 仕組まれている
18 おこと姉さんの幼時
19 王子のくらし
20 ご開祖の帰神
21 霊夢
22 教祖と大槻鹿造
23 牛飼い
24 ねぐら
25 不思議な人
思い出の記
1 料亭づとめ
2 神火
3 天眼通
4 直日のこと
5 夫婦らしい暮しの日
6 尉と姥
獄中記
監房へ
一ぱいの水
青い囚人服
一本の桐の木と蝉
風の中の雀
ぼっかぶりの夫婦
オツルさん
孫の絵便り
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一本の桐の木と蝉
インフォメーション
題名:
一本の桐の木と蝉
著者:
出口澄子
ページ:
目次メモ:
概要:
備考:
タグ:
データ凡例:
データ最終更新日:
OBC :
B124900c39
001
こうして明け暮れを
達磨
(
だるま
)
のように
面壁
(
めんぺき
)
して、
002
念
(
おも
)
うこともなく未決監房に馴れ染めようとした何日目、
003
私の
瞳
(
ひとみ
)
に、
004
一本の
桐
(
きり
)
の木がうつり初めました。
005
それは、
006
かつて丹波の
山野
(
さんや
)
に眺めたような、
007
すくすくと伸びた樹の姿ではありませんが、
008
監房のかたい庭の
一隅
(
ひとすみ
)
に、
009
年々秋には枝をきられながらいたいたしく生きている一本の桐でありました。
010
しかしその時の私には──今、
011
この同じ地の上で、
012
常に冒と目を合わせて生きているたった一つの生き物──という懐かしい──私とお前──というような仲間を得た喜びを感じました。
013
ことに単調なコンクリート
色
(
いろ
)
の
四面
(
しめん
)
の小さな窓枠の間から、
014
青いものが見られるということは、
015
私の心の中からあるものを甦らせてくれるのでした。
016
──とにかく心の慰めといったら、
017
この一本の桐の木だけで、
018
その木の緑の色を見るということは、
019
夏の日の旅人が、
020
清水の湧きいでる泉を見つけて走りよる時の喜びのようなものです。
021
世間におれば、
022
山も見られる、
023
川の流れに立つこともできる、
024
吹く風にそよぐ
野草
(
やそう
)
の
路
(
みち
)
を行こうと自由自在であります。
025
しかし
未決監
(
みけつかん
)
というようなところに入れられると、
026
自分の自由意志のきかぬことは
想像
(
おもい
)
の他であります。
027
そんな時、
028
この一本の桐が、
029
どれだけ私の心を慰めてくれたか分かりません。
030
私は毎日々々桐と話をしていました。
031
秋になると──桐
一葉
(
ひとは
)
落ちて天下の秋を知る──という言葉のように、
032
大きな桐の
一葉
(
ひとは
)
が風もないのに落ちるのをじっと見つめることができます。
033
裸木
(
はだかぎ
)
になるころは冬の枝の美しさや
樹膚
(
きはだ
)
が目に染みてきます。
034
春になると
角芽
(
つのめ
)
を吹き、
035
やわらかい葉が一日一日のびて、
036
葉の姿ができ、
037
形が大きく進むにつれて、
038
緑の色が濃くなり、
039
夏には、
040
こもごも葉を重ねて茂り合います。
041
こうして
毎年々々
(
まいねんまいねん
)
春夏秋冬
(
しゅんかしゅうとう
)
が過ぎ
幾度
(
いくたび
)
か、
042
この感傷を繰り返したのです。
043
私は春になると桐の木にいいました。
044
「昨年の秋、
045
お前の葉が散ってゆくのを見たとき、
046
来年は、
047
再びお前の新しい葉をつけて
陽
(
ひ
)
を吸っている顔を見ることは出来ぬであろうと想っていたが、
048
また今年の春のお前の晴れ姿を見ることが出きてのう……」と自分の生きていることをしみじみと話しました。
049
夏の初めのある日、
050
この桐の木にも
蝉
(
せみ
)
が鳴き出していました。
051
幼い声の蝉が桐の木の
幹
(
みき
)
にとまって鳴いているとシィーンとした空気がただよい、
052
その中で桐が自分の大きな
呼吸
(
いき
)
づかいをこらしながら、
053
幼い蝉をとまらせているように思えていじらしく、
054
また自分の何十倍もある樹の幹にとまって、
055
無心に
啼
(
な
)
いている蝉をみていると、
056
私も
一
(
ひと
)
つ
心
(
こころ
)
になって、
057
呼吸
(
いき
)
をしずめて聞き入り、
058
万物が愛し合って生きているいい知れんなぐさめを感じ喜びにひたったものであります。
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