霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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一四 およね姉さん

インフォメーション
題名:14 およね姉さん 著者:出口澄子
ページ: 目次メモ:
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日: OBC :B124900c16
001 およね姉さんは教祖さまの長女として生まれました。002生まれてから死ぬるまで、003この姉も一生涯ひどい(ぎょう)がつづきました。
004 およね姉さんは七つのころから(もち)まぜをしていたそうです。005これは貧しかった私の家では手伝いのため餅まぜをして働いたのです。006私の七つのときには、007もう餅饅頭(もちまんじゅう)作りはやめていましたので、008私は餅まぜをしたおぼえはないのですが、009およね姉さんは七つになると餅まぜをしていて、010そのころ綾部の人びとは「新宮(しんぐう)饅頭屋(まんじゅうや)では七つの子が餅まぜしてる」と言うて評判にしたそうです。
011 およね姉さんは小さい時からよく働いた人で、012気立ても優しい人でした。013十八のころ姉さんは角力士(すもうとり)で“宮絹(みやぎぬ)”という人に思いをかけられました。014教祖さまも「宮絹(みやぎぬ)ならおよねを嫁にやってもよい」と言ってられたくらいで、015(おお)うち()という店に務めて真面目に働いていましたが、016もう一人横恋慕(よこれんぼ)をしている者がありました。
017 それは侠客(きょうかく)の大槻鹿造でした。018この男がまたおよね姉さんに横恋慕して、019宮絹との縁談のぶちこわしにかかりました。
020 鹿造は大へんな親不孝者で、021母親は鹿造のならずものを苦にして自殺したそうですが、022十四のころ伏見の辺りで茶もみ奉公をしているうち、023そこでやくざになり、024背中一面に弁財天女の入れ墨をして綾部にかえった者です。
025 およね姉さんも宮絹(みやぎぬ)が好きになっていましたが、026鹿造がうるさいので、027綾部の広小路(ひろこうじ)与喜(よき)さんというところへ嫁入りしました。028これはお父さんの弟で捨薮(すてやぶ)に居られた叔父さんの仲人でした。
029 およね姉さんが広小路に嫁入りをしたことを知った鹿造は、030力づくでおよね姉さんを連れだし、031どこかにかくしてしまいました。032世間の評判も七十五日で、033ほとぼりもさめた一年後、034鹿造はおよね姉さんを自分のものにして、035西町(にしまち)今盛屋(いいもりや)という屋号を上げたのです。
036 明治の初めころは、037綾部でも男女の間のこういうことが、038当たり前のことのように思われていましたが、039教祖さまは(がん)として、040これをお許しになりませんでした。041そしておよね姉さんの気の弱いところをなげかれていました。
042 そのころは父も生きており、043父は父で「鹿造のような博奕打(ばくちうち)と一緒になって俺んとこの暖簾(のれん)(きず)をつけた」と言って大そう機嫌を悪くしてしまいました。
044 およね姉さんは、045教祖さまや父が、046自分のことをどう思っているかということは感じていたので、047三年ほどは出口家によりつかず、048内心何となく心落付かず淋しく気にしていたようです。049私やおりょうさんと街ででも逢うと飴玉(あめだま)煎餅(せんべい)()の上にのせてくれ、050「父さん母さん、051どうしてる」と言って家のことをくわしく聞きました。052私はそのたんび、053子供心におよね姉さんを気の毒に思いました。
054 三年たったある秋の朝、055およね姉さんは裏口からしのびよるように家にかえってきました。056障子がたててある縁先に坐ったまま部屋の中にはよう(はい)りもせず、057しばらくいましたそうです。058お父さんが仕事にゆく前の朝餉(あさげ)をとっているのを聞きながら、059お父さんが表に立つのを待って、060そっと障子を細目にあけ、061持ってきた土産の饅頭をさし入れると、062畳のところに上がりもせず小声で「お母さん!これ食べて下さい」と言ったまま黙っていましたが、063教祖さまが気づかずにおられますと、064しばらくしてまた障子をもとのようにたてて帰ってゆきました。
065 後でおよね姉さんがきたことが分かったとき、066父が「なにっ、067よねがきた」いきまくのを、068教祖さまは(かな)しそうな顔をして(おもて)をくもらせておられました。069そうしてハラハラしながら、070「お父さん、071よねのことは私のしつけが悪いのですから、072よねはかわいそうな子やと思うてやって下さい」と申しておられました。
073 出口の家が貧しくなるにつれて、074およね姉さんの家は「今日(こんにち)で綾部一の金持ちは西町の今盛屋(いいもりや)じゃろ」と町の人々に言われるくらいになっていましたが、075およね姉さんは教祖さまがその日の暮しにも困っていられるのをみることなく、076因縁ごとと言うものは不思議なことであります。
077 およね姉さんの肉体に、078竜宮の乙姫とも言われている神さまの、079いちばんみぐるしいメグリの深いときのミタマがかかり、080それに、081この世をみだした神が大勢の眷族(けんぞく)(狐)をつれて這入(はい)ってきたのであります。
082 およね姉さんはそれからも時どき家に帰ってきましたが、083教祖さまにつらく当たるようになり、084教祖さまの難渋(なんじゅう)をよそに、085目ぼしいものがあると()げて帰り、086見廻して何もないときは教祖さまの作られた饅頭をつぶして帰るということがありまして、087だんだんと憑霊(みたま)の性来がはっきりとでてきました。
088 教祖さまは、089「およねもうちに居たころは穏やかなよい子であったが、090鹿造のところにいってから手荒い子になってしもうた」といって歎かれました。
091 およね姉さんは姿よしの美人で、092ことわけて後ろ姿の立ち姿がきれいで、093侠客などが見ると、094ぞっとするように引きつけられたと言うことです。
095 宮絹(みやぎぬ)はどうしてもおよね姉さんを思い切ることができず、096鹿造の留守に、097およね姉さんを誘い出しました。098およね姉さんも宮絹(みやぎぬ)は初恋の人でもあり、099会ってみると心を動かされたのでしょう、100今盛屋(いいもりや)をぬけだし、101宮絹(みやぎぬ)といっしょに京に(のぼ)る決心をしました。102二人は三ノ宮までゆき、103そこの宿で休んでいると、104鹿造の子分が追いかけてきて、105およね姉さんはまた西町につれもどされました。
106 宮絹という男は、107体は大きかったが度胸のない男だったのでしょう。108それだけ姉さんが好きなのに体をはってまでおよね姉さんを自分の女房にすることができなかったのです。109それから福知山の自分の家にすごすごと帰ったそうですが、110およね姉さんのことを思い思い、111とうとう病の床にねつきました。
112 宮絹(みやぎぬ)の病いがだんだんに重くなり、113もういよいよ(あやふ)いという日、114宮絹の弟子がこっそり西町の小料亭(こりょうてい)にきて、115およね姉さんに耳うちして、116宮絹(みやぎぬ)に今一度だけ会ってやってもらえんかとたのみました。117およね姉さんは鹿造にかくれて福知山の宮絹(みやぎぬ)を見舞いにゆきました。118宮絹(みやぎぬ)の家にゆき障子を明けて、119宮絹(みやぎぬ)()ているそばによられると、120宮絹(みやぎぬ)はうれしげにニッコリと笑い、121そのまま他界したということです。
122 宮絹(みやぎぬ)が死んでから、123宮絹(みやぎぬ)の霊がおよね姉さんの体に這入(はい)りこみ、124およね姉さんが死ぬまで離れなかったと聞いています。
125 私が子供のころ、126およね姉さんのところへ遊びにゆきますと、127およね姉さんが「おすみちゃんや、128これ見い」と言うて、129自分の(かいな)を出して、130見せてくれました。131(かいな)の中に玉ころのようなものがごろごろしていました。132私が見るとその玉ころのようなものが、133アッチャ、134コッチャへ走り廻っていました。135およね姉さんはその玉ころにむかって「わしの体においてやるから遠慮するな」と言いきかせていました。136そうして私に「これが宮絹(みやぎぬ)の霊やで」と言っていましたが、137子供ごころにも気味悪いものでした。
138 そうこうしているうちに、139およね姉さんは神憑(かんがか)りになりました。
140 およね姉さんの神憑(かんがか)りはおよね姉さんの三十七才の時、141明治二十四年でありました。142この明治二十四年に何鹿郡(いかるがぐん)だけで二十七、143八人の気狂いができたと言うことです。144その中でも西町のおよね姉さんの神憑(かんがか)りが一番はげしかったのです。
145 明治二十四年十二月二十八日、146大槻鹿造の家では暮の餅搗(もちつ)きをしていました。147鹿造はその日、148四斗(よんと)五升(ごしょう)の餅を()いて、149その水取りをおよね姉さんがしたそうです。150その時から気が逆上し初め、151鹿造に時々おかしなことを言って驚かしたと言います。152その日からだんだん気が荒々しくなり、153店の()の大火鉢は引っくりかえす、154料理業の道具類は手当たり次第に投げちらかす、155そのたんびに大声でわめくので、156綾部中の評判になり、157「西町の今盛屋(いいもりや)妻君(さいくん)は、158綾部一の金持ちになったと思うたら、159気狂いになった」とおよね姉さんの狂乱ぶりを見にくる人で、160一時は押すな押すなと西町の鹿造の家の廻りは混みあったほどです。
161 鹿造の子分が大勢かかっておよね姉さんの乱暴をとり鎮めようと(うで)を握り、162足にすがりましても神憑(かんがか)りのおよね姉さんの力に()ねつけられ、163転んだり、164倒されたりして手に合いませんでした。165とうとう業を煮やした鹿造は「こいつは始末が悪い、166白木綿(しろもめん)二反(にたん)()うて来い」と若い子分に言いつけ、167白木綿(しろもめん)で遠巻きにおよね姉さんをグルグルと巻きつけてしまいました。
168 こんな騒動のため鹿造は商売も続けることができず、169およね姉さんをつれ妙見さんやお稲荷さんへ加持(かじ)祈祷(きとう)をしてもらいに行ったり、170一しょに篭ったりしましたが、171効目(ききめ)がなく、172さしもに繁盛した今盛屋(いいもりや)も傾いてゆきました。
173 お筆先にもありますように、174およね姉さんの神憑(かんがか)りもすべて神様がなさっていたことで、175これは大槻鹿造の(みたま)を改心さすためになされたのであります。176この大槻鹿造は地球上の一つの精神の型であり、177ある大国(たいこく)の型であり、178悪のミタマがうつっていたのであります。
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