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幼ながたり
まえがき
幼ながたり
01 父のこと
02 母の生いたち
03 因果応報ばなし
04 石臼と粉引きの意味
05 父の死
06 わたしのこと
07 奉公
08 幼なき姉妹
09 母は栗柄へ
10 母の背
11 屑紙集めと紙漉きのこと
12 清吉兄さん
13 蘿竜の話
14 およね姉さん
15 ひさ子姉さん
16 不思議な道づれ
17 仕組まれている
18 おこと姉さんの幼時
19 王子のくらし
20 ご開祖の帰神
21 霊夢
22 教祖と大槻鹿造
23 牛飼い
24 ねぐら
25 不思議な人
思い出の記
1 料亭づとめ
2 神火
3 天眼通
4 直日のこと
5 夫婦らしい暮しの日
6 尉と姥
獄中記
監房へ
一ぱいの水
青い囚人服
一本の桐の木と蝉
風の中の雀
ぼっかぶりの夫婦
オツルさん
孫の絵便り
獄中の歌
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> 23 牛飼い
<<< 22 教祖と大槻鹿造
(B)
(N)
24 ねぐら >>>
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二三 牛飼い
インフォメーション
題名:
23 牛飼い
著者:
出口澄子
ページ:
目次メモ:
概要:
備考:
タグ:
データ凡例:
データ最終更新日:
OBC :
B124900c25
001
これは明治二十九年頃のことです。
002
私はキサイチというところへ奉公にゆくこととなりました。
003
キサイチというのは今の
何鹿郡
(
いかるがぐん
)
作賀村
(
さがむら
)
の
私市
(
きさいち
)
です。
004
明治の中頃はこの村は非常によく働く所でした。
005
山も耕地も少ないところで、
006
男衆
(
おとこしゅう
)
は
灘
(
なだ
)
とか伏見へ、
007
酒造りの
蔵男
(
くらおとこ
)
になって働き、
008
また宇治の茶どころへ茶もみに雇われてゆき、
009
村の百姓仕事はおおかた女が主になって働きました。
010
その上、
011
山や野の少ないのにもかかわらず牛飼いをして収入の足しにしていました。
012
私が奉公したのは、
013
大島
万右衛門
(
まんうえもん
)
さんという家でした。
014
私市
(
きさいち
)
にゆくことになったのは、
015
教祖さまが
神懸
(
かむがか
)
りになって、
016
私たちの暮らしのことをかまっておれなくなったからです。
017
それと、
018
私の少女時代の仕上げの修行を神さまからさせられるためでありました。
019
私市
(
きさいち
)
にゆく途中、
020
鳥
(
とり
)
ガ
坪
(
つぼ
)
というところがあって、
021
ここに
茶店
(
ちゃみせ
)
がありました。
022
教祖さまはここまで私を送って来て下さいまして、
023
鳥
(
とり
)
ガ
坪
(
つぼ
)
の茶店の主人の岡という人に声をかけられて、
024
先には
入
(
い
)
られると、
025
026
「おすみや、
027
ここで一休みさしてもろうてお行き」
028
といわれ、
029
暗いしずかな土間に私たち親子は一ぷくしました。
030
私はそのころ神さまのことは少しも分かりません。
031
──このさき母さんはどうされるのだろう──と思えば、
032
心配でありましたが、
033
ただ母としてまことに優しい、
034
人として正しい立派さに、
035
私の心の奥深いところでは安心していまして、
036
この茶店のしばらくの時間を楽しんでいました。
037
私も王子で大へんな目にあっているので、
038
又この先どういうことがおこるやも知れない複雑な
種々
(
いろいろ
)
の気持ちもありましたが、
039
ただ母といる仕合わせにひたっていました。
040
教祖さまは私に菓子を
買
(
こ
)
うて下さいました。
041
王子以来、
042
私はこういう街道の一文菓子屋の店先に立って、
043
店の中に旅人の休んでいるところを見るのが楽しみでありました。
044
しかし、
045
私は店先に売ってある菓子を
買
(
こ
)
うて食べたことがないので、
046
この時、
047
教祖さまに菓子を一つ
買
(
こ
)
うてもろうたことは大へんな喜びでした。
048
こうして茶店に腰かけ、
049
菓子をほおばっているところを、
050
誰か近所の子供が見ていてくれないのが一つ残念なことでありました。
051
これは後になって教祖さまからその時のことを聞いたのですが、
052
その時私は茶店のアメ玉を盗みかねまじき
性
(
しょう
)
の悪い眼付きでいたそうです。
053
王子での暮らしは私の心をいためていたのです。
054
これを思うとその人の本性は良くても、
055
子供のころ悪い環境に育てば、
056
知らず知らずのうちに気持ちの
荒
(
すさ
)
むということが分かります。
057
神さまが叫ばれています立替え立直しは、
058
改心が第一ですが、
059
それには環境の改造ということ、
060
政治とか経済の立替え立直しということがともなわなければなりません。
061
次々とそうなってゆくことを教えられています。
062
私市
(
きさいち
)
での私の仕事は主に牛飼いでありました。
063
ここで初めて百姓の
生活
(
くらし
)
を知り、
064
手機
(
てばた
)
を習ったのであります。
065
ここでなじんだ
機織
(
はたお
)
りが、
066
私の一生を、
067
染
(
そ
)
め
織
(
おり
)
の楽しみに打ち込ませる発端になったとも言えます。
068
私市
(
きさいち
)
には二年あまり、
069
足かけ三年もいました。
070
朝は
二番鶏
(
にばんどり
)
が鳴くとヒヤッとしました。
071
二番鶏が鳴くと起きねばならんからです。
072
さあ二番鶏の声を聞いて起きると、
073
次々と目の廻るように使われ、
074
一日中働き通して、
075
その苦労は並み大ていのものではありませんでした。
076
しかし、
077
この時に私は、
078
実際生活の上で大切な五つの原則を身につけ得たのです。
079
その原則といいますのは、
080
早起
(
はやおき
)
、
081
早喰
(
はやぐい
)
、
082
早便
(
はやべん
)
、
083
早浴
(
はやゆ
)
、
084
早睡
(
はやね
)
です。
085
これだけのことが出来れば、
086
それにとものうて一切のことはみなテキパキとはかどり、
087
そういう主婦をもった家は、
088
自然に繁栄してゆきます。
089
早起きは昔から一年の計は元旦にあり、
090
一日の計は朝にありといいまして、
091
朝寝をしては、
092
それだけでその一日は
敗
(
ま
)
けであります。
093
今の時代のようにいくら男女は同権といいましても、
094
一家の主婦が朝寝をしているようでは家の中のしまりがつきません。
095
私は
私市
(
きさいち
)
のころ、
096
誰よりも早く起きて、
097
朝の準備をさせられたので、
098
いまでも早起きの習慣がついて、
099
そのため何事によらず人におくれをとらないようになれました。
100
私は農家の女中として、
101
主人やおかみさんやその
他
(
ほか
)
七人ほどの人のご飯や汁のお給仕をして、
102
一ばん終わりに
膳
(
ぜん
)
につくのですが、
103
ゆっくり食べていては次の仕事がつかえてきますから、
104
急いでご飯を頂かねばなりません。
105
三度の食事を味わいながら頂くということは大切なことでありますが、
106
それは心の持ちかたのことです。
107
長い時間をかかって頂くのは特定の場合だけで、
108
ふだんはやはり早く頂く方が体にもよい。
109
自分の仕事に夢中になっておれば自然食事も早くなるものです。
110
世にはソシャクとかいうて良く
噛
(
か
)
んでたべるとよいと言われますが、
111
本当はどちらでも良いので、
112
ひどい病人は別として元気なものがかんで食べると、
113
胃の仕事がなくなるので、
114
丈夫な胃でもしまいには弱くなって働けなくなるものです。
115
暴飲暴食で無茶に胃を酷使すればともかく、
116
普通に腹八分に食べるものは早喰いをする方が、
117
かえって胃も強くなります。
118
それから人間の体にとって大事なことは排便で、
119
これは必ず一日一回ないといけません。
120
これもゆっくりと時間をかけないと
排泄
(
はいせつ
)
できないのはそれじたい、
121
体のどこかに故障があるのです。
122
丈夫なものは、
123
すぐに気持ちよく終わるものですから、
124
これも早くすませるようになることです。
125
早風呂も長命の秘訣の一つでして、
126
床に入れば
直
(
す
)
ぐ寝つくということも大切なことです。
127
これらは一切を神さまにまかせ、
128
自分のその日の勤めに一心こめて働く人には、
129
自然にそうなるものであります。
130
私市
(
きさいち
)
のころを今想い出すと、
131
ほんまに懐かしいものです。
132
私が
私市
(
きさいち
)
に行った初め、
133
村の人たちは、
134
135
「可愛らしい子が来た、
136
町の子やろ、
137
こんな子に牛飼わせるのもっ
体
(
たい
)
ないなア」とみんな私を見ると珍しがりました。
138
大島さんの家は、
139
私市
(
きさいち
)
の村の
大百姓
(
おおびゃくしょう
)
でしたが、
140
その頃、
141
家の増築をしていたので、
142
しつかり財力をこしらえんならんので、
143
家中が大変な働きぶりでした。
144
家にはお爺さん、
145
お婆さん、
146
娘さんのほかに男衆と私でした。
147
水田
(
みずた
)
は広い田の他に小さい田が幾枚もあり、
148
畠
(
はたけ
)
は
山畑
(
やまはた
)
など入れて広く作っていました。
149
昔の百姓は自分の食べるのは
小米
(
こごめ
)
や
芋
(
いも
)
などを主に食べ、
150
当たり前のお米を食べることは、
151
祭りの時か何かの時だけでした。
152
これは、
153
主人も召使いも一緒で、
154
小米
(
こごめ
)
一升に六、
155
七合の麦と大根の刻んだものを入れ上手にかきまぜて炊きます。
156
炊き上がるとその一番白いところを主人が食べ、
157
私等
(
わたしら
)
になると大根が
大方
(
おおかた
)
のところになりました。
158
他
(
ほか
)
に
芋
(
いも
)
や団子が一日に五回もありました。
159
ただ、
160
ご飯の時、
161
おかずのないのが馴れないうちは変なものでした。
162
朝、
163
二番鶏が鳴くと「おすみさん、
164
起きてくれよ」と起こされます。
165
「へい」
166
と返事して私は
直
(
す
)
ぐに起きました。
167
二度と言わしたことはありません。
168
この家の
日々
(
にちにち
)
のやり方が上手で休むひまなく仕事がありました。
169
次の朝の掃除は夜のうちにしてしまうのがならわしで、
170
夜なべにかかる前には雑炊が出て、
171
それを頂くと毎夜の
糸紡
(
いとつむ
)
ぎにかかります。
172
糸つむぎがおわると、
173
拭
(
ふ
)
き掃除がはじまります。
174
ことにカラブキのところは力が要るので大へんです。
175
昼間、
176
山へいって雨に降られ、
177
髪も着物もぬれ、
178
けれども着替えるのがおっくうなとき、
179
このカラブキの仕事をしていると着物が乾きましたほどです。
180
夜は奉公人は板の間で寝ました。
181
次の朝二番鶏が鳴くと起き、
182
畠で一仕事して、
183
朝餉
(
あさげ
)
を頂きます。
184
朝餉
(
あさげ
)
がすむと、
185
村中が、
186
めいめいの家の牛をつれて草刈りに行くのです。
187
みんな
篭
(
かご
)
を背に負うて、
188
手綱
(
たずな
)
をもって、
189
190
「シッチョイ シッチョイ」
191
と牛を追いながらゆくのです。
192
朝陽
(
あさひ
)
のきらきらとまぶしい村の道を、
193
あちらの家からも、
194
こちらの家からも出てくる牛が列をなして山に向かって追われてゆく姿は、
195
見事なものです。
196
私市
(
きさいち
)
は
山地
(
やまじ
)
も少ないところで、
197
その狭い山の草で牛を飼うのです。
198
山につくと先ず牛を放してやります。
199
牛どもはワレ先にと山に
上
(
のぼ
)
り、
200
山の上の草をムシッムシッと気持ちの良い音をたてて喰べます。
201
その
間
(
ま
)
に牛の草を刈るのです。
202
短かい草まで上手に刈りとってゆきます。
203
一寸ばかり伸びた短かい草でも刈りとります。
204
上手な人は短い草をあますところなく刈ってゆくのですが、
205
私はどこぞ良いところはないかとアッチにウロウロ、
206
コッチにウロウロして刈るので、
207
なかなか草もたまりません。
208
草を
一荷
(
いっか
)
刈り終わると、
209
210
「ベエ ベエ ベエー」
211
というて牛を呼びます。
212
方々から牛が
呼
(
よ
)
び
主
(
ぬし
)
の声を聞いて戻ってきます。
213
ところが私の主人の牛だけは「ベ……ベエ」と呼ぶと反対に逃げ出し、
214
ますます山へ
上
(
のぼ
)
ります。
215
近づけばさらに逃げます。
216
これには私も泣き出したい程でした。
217
皆はこの牛を「
万右衛門牛
(
まんうえもんうし
)
」と呼んで
性
(
しょう
)
の悪い牛として有名なものでした。
218
私市
(
きさいち
)
は
上私市
(
かみきさいち
)
と
下私市
(
しもきさいち
)
とに分かれていて、
219
少ない草を守るため山にも半分ずつ仕切りをして、
220
お互いに犯さない定めになっていました。
221
そして両方から山番を出して、
222
いつもグルグル廻っていました。
223
万右衛門牛
(
まんうえもんうし
)
は、
224
その境界をこえて、
225
どしどしゆきます。
226
私が牛につききりで番をしていては草を刈ることができません。
227
そうかといって草を刈っていると、
228
よその牛のように、
229
おとなしい牛と違いますから勝手に出歩きます。
230
境界を越えられてはかなわんので牛の番もせねばならんし、
231
草もどんどん刈っておかんと日が暮れます。
232
その時の困り切ったことは、
233
さすがの私も、
234
情けない思いをしました。
235
牛をくくっておけばよいと思われる人もありましょうが、
236
そうすれば家に帰って、
237
238
「牛の腹が小さい、
239
何しとった」と叱られます。
240
ちょっと油断をしていると牛の姿が見えません。
241
やっと見つけてそばにより
手綱
(
たづな
)
をとろうとすると、
242
トット、
243
トットと迸げだし林の中へ消えてしまいます。
244
すぐさま後を追って、
245
耳をすましていると「ムシン、
246
ムシン」と草を食っています。
247
私は足音をしのばせて、
248
そおっと近づきハッと早いとこ
綱
(
つな
)
をつかまえ、
249
やれやれと連れてかえります。
250
これが毎日のことですから、
251
この牛飼いぐらい手こずったことはありません。
252
こういう苦労も、
253
修行させられていたことを、
254
後になって、
255
神さまから
直
(
じき
)
じきのお声で知らされたのであります。
256
それで
万右衛門
(
まんうえもん
)
という人も村で評判の、
257
綾部あたりの言葉でいうエグイ
人
(
ひと
)
でありました。
258
夏の日も昼寝をさしてもらえん、
259
それだけ
昼飯
(
ひるめし
)
をおくらかして働かせます。
260
そうですから村では仕事がおくれて
昼食
(
ひるめし
)
がおそくなると、
261
誰いうとなく「“
万右衛門昼
(
まんうえもんびる
)
”にしようやないか」と言ったものです。
262
雨の降る日は家の中で仕事をします。
263
夜
(
よ
)
さりはカラウスをひく。
264
それでいつも
身体
(
からだ
)
が冷えどおしたので、
265
えらい熱が出てジンゾウ病になりました。
266
蚕
(
かいこ
)
をかっている頃でした。
267
便所が近くなり、
268
近所の人が豆をおいてカンジョウしてみなと言ってくれたので、
269
一粒ずつ豆をおき朝になって勘定しますと二十八あり、
270
一晩のうちに二十八回も便所に通ったことが分かりました。
271
この病気が出たために私は
私市
(
きさいち
)
をやめ綾部に帰ることになりました。
272
教祖さまは大へん心配なされて、
273
神様に祈って下さって、
274
お松とお土を
煎
(
せん
)
じて飲まして下さいました。
275
教祖さまが祈って下さいますと、
276
すっかり治ってしまいました。
277
この時、
278
神さまは、
279
280
「永らく修行さしたが、
281
ここで一ペん楽にして上げる」
282
というような言葉で私に話しかけられました。
283
私市
(
きさいち
)
で一番楽しかったのは
機織
(
はたお
)
りです。
284
戦時中に
棉
(
わたのき
)
を植えたことのある人は知っているように、
285
棉
(
わたのき
)
の実から糸をとるのです。
286
機械でとった糸のように細くそろっていませんが、
287
手引
(
てび
)
きには
手引
(
てび
)
きの糸のよさがありまして、
288
なんとも言えんよいものです。
289
それを、
290
山つつじ、
291
そよご、
292
かりやすなどの材料でいろいろの色に染め、
293
織りにかかるのです。
294
トンカラ、
295
トンカラと、
296
ヒのすべる音とカマチを打つ音とが調子よくつづくときは、
297
まことに気持ちのよいもので、
298
ことに好きな
縞目
(
しまめ
)
に上がったときは、
299
織っていて
機
(
はた
)
から
下
(
お
)
りるのがつらいもので、
300
いつまでも織りつづけていたいと思います。
301
私市
(
きさいち
)
で一番かなわなんだのは、
302
山で草を刈った後、
303
友だちが集まって、
304
家の自慢をはじめるときです。
305
私の家はなくなっており、
306
教祖さまもどこにおいでるか分からんころですし、
307
家のことを聞かれるごとにヒヤヒヤしました。
308
ことに綾部の
水無月
(
みなづき
)
祭りはこの辺りでも有名で、
309
みなお参りにゆくのです。
310
「こんどミナツキさんに綾部へいったらアンタウチによるでなあ、
311
どこや教えといて」と言われ、
312
どう返事しようかと思うたが、
313
帰ってもよるところは西町の姉さんのところですから、
314
315
「ワシは西町や」
316
といいました。
317
「西町かいな、
318
こんどよるで、
319
なんかこしらえてもらっといてよ」
320
と言われてひやっとしたものです。
321
盆の十六日は奉公人の休みで、
322
近所の村の人もみな家へ行ったり、
323
来たりします。
324
私もこの日は綾部に帰ります。
325
丁度そのころおりょうさんも
福知
(
ふくち
)
へ女中にいっていたので、
326
鳥
(
とり
)
ガ
坪
(
つぼ
)
まで急いでゆき、
327
そこでおりょうさんが福知から来るのを待ちました。
328
私がおそい時は、
329
おりょうさんが
鳥
(
とり
)
ガ
坪
(
つぼ
)
で待っててくれました。
330
明るい夏の
陽
(
ひ
)
の
鳥
(
とり
)
ガ
坪
(
つぼ
)
で待ち合いをして帰ったことは今でも眼の奥にきりきらと映ってきます。
331
おりょうさんが日傘をさして着物の
裾
(
すそ
)
をはしおり、
332
向こうから歩いてくるのを見つけると「オーイ、
333
オーイ」と呼ぶのです。
334
おりょうさんも日傘をあげて「オーイ、
335
オーイ」と返事をします。
336
この時のうれしさ、
337
二人で、
338
339
「オーイ」「オーイ」と呼び合って近づく時の気持ちは私たちだけしか知っていないうれしさです。
340
土用田
(
どようだ
)
の向こうの森には
蝉時雨
(
せみしぐれ
)
がこもっていました。
341
私達は綾部に帰るといつでも、
342
自分の家がないので、
343
二人で相談します。
344
「おすみ、
345
どこへゆくのや」
346
「母さん、
347
どこにおってんか」
348
「さあ、
349
わしも知らんで」
350
「こん
夜
(
や
)
どこで泊ろう」
351
「西町へゆこうかいや」
352
というと気の弱いおりょうさんは、
353
354
「わしはかなわんな」
355
というのを無理にひっぱって、
356
綾部の広小路におりょうさんだけを待たして、
357
私一人が西町の大槻鹿造の家へ、
358
交渉にゆきます。
359
大槻鹿造という人は、
360
金のある時は元気があって「おすみきたか」と機嫌の良い顔をしてくれますが、
361
金廻りの悪い時は
長煙管
(
ながきせる
)
の端を口にくわえ、
362
しぶい顔で、
363
私が「オッサン」と呼んでも知らん顔をしている人です。
364
私は恐るおそるソーツと西町の姉の家をのぞいてみましたが、
365
度胸を決めてつかつかと
内
(
うち
)
に
入
(
はい
)
り、
366
367
「オッサン今夜泊めてんか」というと、
368
鹿造は「ウン」とうなずいてくれました。
369
私は──やれ嬉しや──と広小路に立っているおりょうさんを手招きして、
370
鹿造のところでおりょうさんと寝ることが出来ました。
371
二人で一晩中しゃべってしゃべって双方が疲れて睡ってしまいました。
372
教祖さまは、
373
私達が鹿造の家で泊ったと聞かれると、
374
その
日数
(
ひかず
)
だけの米とオカズ代は必ずキチンと払われますので、
375
それで私もいくらか気楽に西町のご飯を頂けたのです。
376
私市
(
きさいち
)
にはまだまだ色んな思い出が残っております。
377
上私市
(
かみきさいち
)
の人は
上私市
(
かみきさいち
)
の人たちと一緒に、
378
下私市
(
しもきさいち
)
の人たちは
下私市
(
しもきさいち
)
の人たちと一緒に、
379
めいめい
篭
(
かご
)
を背負い鎌を腰に差して、
380
朝露
(
あさつゆ
)
をふみつつ牛を追いながら山へ草刈りに行くのでした。
381
みんなが
一荷
(
いっか
)
刈り終わる頃になると、
382
383
「出来たかい」
384
「出来た出来た」
385
「そんなら一服しようやないか」
386
と呼び
交
(
かわ
)
しながら、
387
一
(
ひと
)
ところに寄り集っては、
388
四方山
(
よもやま
)
ばなしに興ずるのでした。
389
この草刈りに出て来るのは、
390
大てい
他所
(
よそ
)
からこの
私市
(
きさいち
)
へ働きに来ている女の子でして、
391
一服の時の話といえば、
392
きまって
故郷
(
ふるさと
)
の家の自慢話や、
393
盆や正月に
薮入
(
やぶい
)
りしたおりの
愉
(
たの
)
しかったことを繰り返し懐かしむのでした。
394
そんな時、
395
休みになって帰る家のなかった私は、
396
何とも言えぬ淋しい気持ちに襲われるのを、
397
表面はさりげなく笑ってまぎらしておりました。
398
みんなにはたとえ、
399
あばら
家
(
や
)
にしろ
休暇
(
やすみ
)
に帰ればお父さんも、
400
お母さんも揃って迎えてくれる家があるのに、
401
当時の私には、
402
それがなかったのです。
403
教祖さまは、
404
病人などがあって、
405
神様に拝んであげられると、
406
大へんお
蔭
(
かげ
)
が立って、
407
どんどん癒って行くところから、
408
福知山の金光教会の青木さんからたのみに来たり、
409
綾部金光教会の
足立
(
あだち
)
さんに招かれたり、
410
ご自分の家がなくなっているので、
411
福知山と綾部を行ったり来たりしておられたのであります。
412
それで
私市
(
きさいち
)
に奉公に出ている私には、
413
教祖さまが
何処
(
どこ
)
におられるかも判りませんでした。
414
足立さんは教祖さまのお気に入らず、
415
というのは神様のお気に入らず、
416
そのため足立さんところにいても、
417
すぐ福知山の青木さんところへ行ってしまわれます。
418
青木さんは、
419
それはそれは教祖さまを大事にされたそうです。
420
何故
(
なぜ
)
かと申しますと、
421
教祖さまが行かれると、
422
福知山の金光さんにゴヒレが立って、
423
信者がみんな大変おかげを頂けるからなのです。
424
ゴヒレというのは、
425
御神徳
(
ごしんとく
)
のことです。
426
ですから、
427
青木さんは、
428
教祖さまが行かれると喜んで喜んで、
429
なかなか教祖さまを離そうとしないのです。
430
しまいに教祖さまを離そまいとして、
431
私を息子の若先生の嫁にしようと考えて、
432
いろいろ手をつくしておったそうであります。
433
それ程にされると教祖さまも何となく、
434
人情的に気がひかれておられたらしいです。
435
一方、
436
綾部の足立さんは教祖さまに帰ってもらわんことには、
437
ゴヒレが立たんので、
438
しきりに迎えにやって来ます。
439
青木さんは、
440
帰ってしまわれては困りますので、
441
居
(
お
)
ってくれと頼みます。
442
二人で教祖さまの
奪
(
と
)
り合いをしておったとのことです。
443
そうしたわけで、
444
青木さんは、
445
私を息子のお嫁さんにしようとするし、
446
足立さんは足立さんで、
447
私を自分のお嫁さんにしようとしていました。
448
私が久し振りで
私市
(
きさいち
)
から休暇で綾部に帰った折り、
449
教祖さまは、
450
451
「みんなうまいことを考えとるわい。
452
けれども、
453
そんなうまいことにゆかんのじゃ。
454
お前は神様のお
世継
(
よつ
)
ぎで、
455
今はこうしてあらんかぎりの修行を神様がさしてござるが
末
(
すえ
)
になって見い、
456
神様が“艮の金神のお
世継
(
よつ
)
ぎは
末子
(
ばっし
)
のおすみじゃ”というてござる」
457
と笑っておられました。
458
このように二人が
奪
(
と
)
り合いをするものですから教祖さまは、
459
福知山へ行ってみたり、
460
綾部に帰ったりしておられましたが、
461
その
間
(
あいだ
)
、
462
ずっとお筆先を書きつづけておられたのであります。
463
その頃、
464
姉のおりょうさんは、
465
福知山
(
ふくちやま
)
の
新町
(
しんまち
)
にあった
醤油屋
(
しょうゆや
)
の
桝井
(
ますい
)
という家に、
466
女中奉公をしておりました。
467
その頃のお
給金
(
きゅうきん
)
といえば、
468
一年に七円ほどですから、
469
半期
(
はんき
)
にしますと三円五十銭か四円足らずでした。
470
しかしおりょうさんは、
471
大変
冥加
(
みょうが
)
のよい、
472
つましい人で、
473
その
僅
(
わず
)
かのお
給金
(
きゅうきん
)
を頂くと、
474
自分では一文もつかわず、
475
教祖さまに、
476
「これでお筆先の紙を買って下さい」といって送っておりました。
477
おりょうさんは、
478
綾部の
四方
(
しかた
)
源之助
(
げんのすけ
)
さんところの子守り奉公をしていた頃も、
479
以前ミロク
殿
(
でん
)
の建っていた辺りの竹薮から拾って来た竹の皮を売って、
480
そのお金で教祖さまのお筆先を書かれる紙を
買
(
こ
)
うといったように、
481
おりょうさんという人は大変教祖さまに尽くされた人でした。
482
最近霊界のおりょうさんに会いましたが、
483
神界で大変に活動をされていて「忙がしい忙がしい」と言っておられました。
484
肉体を持っている時分からずっと引き続き、
485
神界に入られてからもおりようさんは教祖さまのお
側
(
そば
)
で、
486
えらい御用をされています。
487
しかし、
488
その当時の私としては、
489
毎日毎日
田圃
(
たんぼ
)
に出て、
490
百姓仕事をしたり、
491
山へ牛をつれて行って草を刈ったり、
492
つらいことばかりですので、
493
福知山の
町家
(
まちや
)
で奉公しているおりょう姉さんのことが、
494
うらやましくてうらやましくてなりませんでした。
495
そして私もおりょうさんのように、
496
町家の奉公がしたいとつくずく思うことがありました。
497
しかし帰ってみたところで、
498
教祖さまが
何処
(
どこ
)
におられるかも判りませんし、
499
どうしたものかと思い悩んで、
500
淋しさに襲われることが度々ありました。
501
秋が深み、
502
稲が
黄金
(
こがね
)
の波をうちはじめると、
503
私は稲刈りに
田圃
(
たんぼ
)
へ出て行きます。
504
刈った稲を肩に
荷負
(
にの
)
うて、
505
遠い
田圃
(
たんぼ
)
から、
506
家の
納屋
(
なや
)
まで運びました。
507
肩が痛うて痛うて、
508
私にはどうにも堪えられませんでした。
509
ある日、
510
稲を
荷負
(
にの
)
うて運んでいるところを、
511
村の人がながめていたらしく、
512
513
「
万右衛門
(
まんうえもん
)
さんのところのおすみさんが、
514
泣きもって稲をかついどってやった」
515
と話していたそうです。
516
その噂が主人の耳に
這入
(
はい
)
って、
517
それからはその稲を運ぶ仕事だけは
止
(
や
)
めさせてくれました。
518
その頃の百姓奉公というものは大変つらいものでありました。
519
屋敷内に柿の木がありましても奉公人には、
520
見て楽しむだけのことでした。
521
私は今でも果物の中で柿ほど好きなものはないのです。
522
まして子供心に、
523
枝もたわわに赤く
熟
(
う
)
れた柿の実は何にもまして大きな魅力を感じたものです。
524
しかしそれをモイで食べでもしようものなら、
525
それこそ大変なことになってしまいます。
526
せめて
熟
(
じゅく
)
して落ちているのでもと思って、
527
拾ったりしますと、
528
万右衛門
(
まんうえもん
)
さんの娘で私と同じ年頃の子が
何処
(
どこ
)
からかちゃんと見ていて、
529
530
「おすみさん、
531
柿が落ちとったら、
532
こっちへ持って来ておくれ」
533
と声をかけ、
534
取り上げてしまうのです。
535
今でこそみんなぜいたくになって、
536
何処
(
どこ
)
の家でもおさんじ(
三時
(
さんじ
)
)などありますが、
537
昔はひどいものでした。
538
野良仕事のおりは
数
(
かず
)
こそ一日五回ぐらい食べさしてもらえるのですが、
539
それも昼食と夕食との間に食べるのは、
540
サツマイモとか、
541
申しわけばかりのくず
米
(
まい
)
と麦に大根をドッサリ入れた
雑炊
(
ぞうすい
)
みたいなものを
一碗
(
ひとわん
)
ぐらいがせいぜいでして、
542
煎豆
(
いりまめ
)
一つ、
543
柿一つ食べさしてもらうようなことは全くありませんでした。
544
そうしたある日のことでした。
545
家の人や
男衆
(
おとこしゅう
)
たちに混じって私も一生懸命稲刈りをやっていました。
546
ザクザクと音を立てて白く光る
鎌先
(
かまさき
)
が
稲株
(
いなかぶ
)
の一ツ一ツに
快
(
こころよ
)
よく喰い込んでゆきます。
547
夢中で刈りつづけて行く
中
(
うち
)
に体中が
何時
(
いつ
)
かほんのり汗ばんでくるのを覚えます。
548
フト目の前三、
549
四尺のところに
稲株
(
いなかぶ
)
をすけて盛り上がっている赤いかたまりがあることに気づきました。
550
「何だろう」と思って稲を押し分けてのぞきますと、
551
三、
552
四十もあると思われるクボ
柿
(
がき
)
が、
553
うず高く積んであるのです。
554
頭のシン迄じィーんとするようなこの時の驚きは、
555
今でも忘れることは出来ません。
556
どうしてこんな
処
(
ところ
)
にと、
557
不審に思いながら一ツを手に取ってみますと、
558
棒切れで突いたようなキズが付いています。
559
ニツ三ツ、
560
やっとクチバシの
跡
(
あと
)
であることに気付きました。
561
烏
(
からす
)
が運んで来て、
562
コッソリ
稲株
(
いなかぶ
)
の中に隠しておいたものらしいのです。
563
その時の気持ちを何と言い表わしたらよいでしょう。
564
それはそれはもう夢を見ているような気持ちでありました。
565
私は早速一ツを食べて見ました。
566
丁度やわらかくなりかける頃の甘さに満ち
溢
(
あふ
)
れ舌がトロケてしまいそうでした。
567
残りの柿は、
568
刈り取った
藁
(
わら
)
の下に隠し、
569
いくらかを帰るおりコッソリ持ち帰って夜になって思うままに柿の実を食べました。
570
誰にもやらず独りで食べてしまったのは勿論です。
571
私はその時、
572
キット神様が私にお恵みになって下さったに違いないと思いました。
573
今から思ってもそれは、
574
あまり可哀そうにおぼしめされた神様の、
575
お恵みとしか思われません。
576
このような思いがけぬ嬉しいことがあって、
577
その
後
(
ご
)
の
日々
(
にちにち
)
が
一
(
いっ
)
そう苦しく感じられ出した故か、
578
またまた、
579
福知山の
町家
(
まちや
)
に奉公しているおりょう姉さんがしきりに羨やましくなり出しました。
580
「こんなえらいひどいところ、
581
かなわんなァ、
582
何とかして
町家
(
まちや
)
に奉公したいなア」と、
583
来る日も来る日も思っていました。
584
ある日、
585
突然、
586
明治二十九年に起きた福知山の、
587
大洪水の
報
(
しら
)
せが入って来ました。
588
噂を聞いていますと、
589
福知山の町では
大水
(
おおみず
)
のため、
590
流れ死んだ人が何千とあり、
591
そのため
町家
(
まちや
)
では女中など置けるような家は一軒もなくなったということです。
592
それを聞いて私はびっくりしてしまいました。
593
思い余って
万右衛門
(
まんうえもん
)
の家を飛び出そうかとまで思いつめていた時でありましたので、
594
ヤレヤレ早まったことをせずに良かったと思うと同時に、
595
もうどんな
辛
(
つら
)
い目にあっても、
596
この家を
去
(
い
)
んでは、
597
私のいる家もなく、
598
ろとうに迷わなくてはならないと思い、
599
それ以来私はしがみつくような気持ちで、
600
万右衛門
(
まんうえもん
)
の家に日を送りました。
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