霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第一章 道(みち)すがら〔一〇三八〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第38巻 舎身活躍 丑の巻 篇:第1篇 千万無量 よみ(新仮名遣い):せんまんむりょう
章:第1章 道すがら よみ(新仮名遣い):みちすがら 通し章番号:1038
口述日:1922(大正11)年10月14日(旧08月24日) 口述場所: 筆録者:北村隆光 校正日: 校正場所: 初版発行日:1924(大正13)年4月3日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]:
『天帝一物を創造す。悉く力徳による。故に善悪相混じ美醜互に相交はる』とは、道の大原の最初に示された聖句である。
全知全能の神が創造した世界になにゆえ、美醜善悪の違いがあるのかについては、いろいろと理屈をこねる人もある。しかしながらこれは全く力徳の塩梅によるものと断定を下してあるのは、万古不易の真理なのである。
力徳は一朝一夕に説き明かすことはできないが、つづめて言えば、動、静、解、凝、引、弛、合、分の八力の活動がどうなるかによって、善悪・美醜・大小・強弱が分かれるのである。
大本では、人は万物の霊長であるのみならず、『神は万物普遍の霊にして人は天地経綸の司宰者なり』と断定しているのである。これも出口教祖の二十七年間の筆先の大精神を通観して得たところの断案である。
天地経綸の司宰者である人間にも、また善悪・美醜・大小・強弱の区別があって、中には経綸の妨害をなす人間もたくさんに出来ているのである。この大原因は天賦の力徳の過不及による結果であり、いわゆる身魂の因縁性来によるものである。
しかし人は神様に次いで尊きものであるから、世界を善に進め美に開くべき天職を、天賦的に持っているものである。人間は小なる神、神の生き宮としてこの世に生れ出たのである。
そうである以上、終生神の御旨を奉戴して天地の御用を助け奉ることが、人として生まれ出た本文を尽くすことになるのである。
人間は裸で生まれてきたから裸で死ねばよいという捨て鉢根性では、人生天賦の職責は遂げられない。それどころか、神界より選ばれて生まれさせていただいた大神の御聖旨に背く罪人となってしまうのである。
天地神明の大業に奉仕し、政治を進め、産業を拓き、真の宗教を宣伝し、道義心の発達を助けて世界の醜悪を駆追し、真善美の天地に進めて行かねばならない。
皇祖天照大神様の建国の御主旨は政教慣造の四大主義の実行である。政は万世一系、教は天授の真理、慣は天人道の常、造は適宜の事務。この四大主義を実践するのが人生の本分である。ただ天下公共のために自分としての転職を尽くし得ることが肝心である。
役員や信者の中には、出口教祖のお筆先によって、私に対して空想を描いている人が多い。またなにほど筆先の精神を縦横無尽に説いても、それは教祖の筆先に出ていないと言って十分に感得させることができないことは、実に遺憾である。
自分の肉体に対して好意を表してくれてはいるが、肝心要の真実の精神を汲み取ってくれるものが少ないのは、自分にとって最大の苦痛である。
役員や信者の迷信を利用して猫をかぶっていたなら、物質的方面のことはどんなことでもできたであろう。しかしながら、自分の天授の良心が、どうしてもそんなことは許さない。神の道は方便や手段では行かない。
至誠至直の神に仕える身分としては、神の大道より他の道を歩むことはできない。今日の場合にはいかにしても社会一般の誤解を正し、大本を正しく理解させることが必要であると感じたから、神様に一身をささげて口を提供し、物語を発表することとなったのである。
混濁せる社会に対して一身をささげて五六七の御代に奉仕しようという誠の人は、一日も早くこの物語の精神に目をさまし、天下万民のために誠を尽くしていただきたいものである。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2022-10-29 14:55:10 文字数:3393 OBC :rm3801
愛善世界社版:7頁 八幡書店版:第7輯 159頁 修補版: 校定版:7頁 普及版:2頁 初版: ページ備考:
派生[?]この文献を底本として書かれたと思われる文献です。[×閉じる]:出口王仁三郎著作集 > 第一巻 神と人間 > 『霊界物語』 抄 > 道すがら
001 『天帝(てんてい)一物(いちぶつ)を創造(さうざう)す。002悉(ことごと)く力徳(りきとく)による。003故(ゆゑ)に善悪(ぜんあく)相混(あひこん)じ美醜(びしう)互(たがひ)に相交(あひまじ)はる』
004 これ道(みち)の大原(たいげん)の初発(しよつぱつ)に示(しめ)されたる聖句(せいく)である。005つらつら考(かんが)ふるに、006蒼空(さうくう)を仰望(ぎやうばう)しても海原(うなばら)を見(み)ても、007山川(さんせん)虫魚(ちうぎよ)を見(み)ても、008悉(ことごと)く善悪(ぜんあく)美醜(びしう)の区別(くべつ)が様々(さまざま)あつて、009『此(この)世界(せかい)は至善(しぜん)至美(しび)の神(かみ)様(さま)がお造(つく)りになつた以上(いじやう)は、010悪(あく)といふ事(こと)は微塵(みじん)もなく、011至善(しぜん)至美(しび)の物(もの)ばかりであらねばならぬ』と云(い)ふ人(ひと)がありますが、012決(けつ)してさうはゆきませぬ。013或(ある)人(ひと)が、014喜楽(きらく)に向(むか)つて詰問(きつもん)して曰(いは)く、
015『天帝(てんてい)果(はた)して全智(ぜんち)全能(ぜんのう)にして、016万物(ばんぶつ)を造(つく)りかつ真善美(しんぜんび)を好(この)むものならば、017何故(なにゆゑ)其(その)全智(ぜんち)全能(ぜんのう)の神徳(しんとく)によつて、018美(び)なるもの善(ぜん)なるもののみを拵(こしら)へて、019醜悪(しうあく)なるものを拵(こしら)へぬ筈(はず)である。020神(かみ)の意志(いし)果(はた)して真善美(しんぜんび)を愛(あい)するならば、021元(もと)より善(ぜん)ばかりを拵(こしら)へて置(お)けば、022別(べつ)に悪(あく)を造(つく)つておいて悪(あく)を改(あらた)めしめむとて宣伝(せんでん)に努力(どりよく)するの必要(ひつえう)は無(な)いではないか。023要(えう)するに天帝(てんてい)は自分(じぶん)から醜悪(しうあく)なるものを造(つく)り、024其(その)醜悪(しうあく)を嫌(きら)ふと云(い)ふのは自家(じか)撞着(どうちやく)も甚(はなは)だしい矛盾(むじゆん)である。025吾(われ)等(ら)はここに至(いた)つて全智(ぜんち)全能(ぜんのう)の神(かみ)を疑(うたが)はざるを得(え)ず』
026と云(い)つた人(ひと)が沢山(たくさん)にあつた。027然(しか)し乍(なが)ら何人(なんぴと)と雖(いへど)も今日(こんにち)迄(まで)の諸々(もろもろ)の宗教(しうけう)、028倫理(りんり)、029道徳説(だうとくせつ)が貧弱(ひんじやく)なる頭悩(づなう)に浸(し)み込(こ)んで居(ゐ)る人(ひと)の考(かんが)へから見(み)れば、030実(じつ)に尤(もつと)も至極(しごく)の疑問(ぎもん)である。031喜楽(きらく)等(ら)も少年(せうねん)の頃(ころ)から此(この)問題(もんだい)には大変(たいへん)に心(こころ)を砕(くだ)いて来(き)たものである。032時(とき)の古今(ここん)を問(と)はず、033洋(やう)の東西(とうざい)を論(ろん)ぜず、034凡(すべ)ての哲学者(てつがくしや)、035宗教家(しうけうか)も此(この)問題(もんだい)については頻(しき)りに研究(けんきう)をして居(ゐ)た様(やう)である。036世界(せかい)皆善論(かいぜんろん)を唱(とな)へるものもあれば、037世界(せかい)皆悪論(かいあくろん)を唱(とな)へるものも現(あら)はれて居(ゐ)る。038又(また)『此(この)世(よ)は夢(ゆめ)の浮世(うきよ)ぢや』と云(い)つて厭離(えんり)穢土(ゑど)と称(しよう)し、039『未来(みらい)の天国(てんごく)浄土(じやうど)を楽(たの)しむのが人生(じんせい)の大目(だいもく)的(てき)だ』などと区々(まちまち)の説(せつ)を立(た)て、040所説(しよせつ)紛々(ふんぷん)として落着(おちつ)く所(ところ)を知(し)らず、041宙(ちう)に迷(まよ)ふて居(を)る姿(すがた)である。042古今(ここん)の学者(がくしや)が一人(ひとり)として今日(こんにち)に至(いた)る迄(まで)、043大宇宙(だいうちう)の本体(ほんたい)を捉(とら)え、044人生(じんせい)の真目(しんもく)的(てき)を諒解(りやうかい)したる者(もの)は無(な)い様(やう)である。045仏教(ぶつけう)にしても儒教(じゆけう)にしても、046現代(げんだい)我(わが)国(くに)の十三派(じふさんぱ)の神道(しんだう)宗教(しうけう)にしても、047其(その)他(た)種々(しゆじゆ)雑多(ざつた)の宗教(しうけう)にしても、048決(けつ)して宇宙(うちう)の真相(しんさう)を解決(かいけつ)し得(え)た者(もの)は無(な)い。049然(しか)し乍(なが)ら尊(たふと)い事(こと)には、050我(わが)国(くに)には皇祖(くわうそ)皇宗(くわうそう)の御(ご)遺訓(ゐくん)なる古事記(こじき)、051日本(にほん)書紀(しよき)其(その)他(た)の古書(こしよ)が伝(つた)はり、052言霊(ことたま)の明鏡(めいきやう)が歴然(れきぜん)として輝(かがや)き、053宇宙(うちう)の真理(しんり)を解決(かいけつ)すべき宝典(ほうてん)に乏(とぼ)しくはなけれども、054闇黒(あんこく)なる今日(こんにち)の思想界(しさうかい)に於(おい)ては、055此(この)真理(しんり)を諒解(りやうかい)する丈(だ)けの偉人(ゐじん)も賢哲(けんてつ)も学者(がくしや)も現(あら)はれて居(ゐ)ないと云(い)ふ事(こと)は、056国家(こくか)社会(しやくわい)の為(た)めに実(じつ)に慨嘆(がいたん)の至(いた)りである。
057 喜楽(きらく)は幼時(えうじ)より我(わが)国体(こくたい)の淵源(えんげん)を極(きは)めむとし、058且(かつ)明治(めいぢ)卅一(さんじふいち)年(ねん)以後(いご)今日(こんにち)に至(いた)る迄(まで)、059殆(ほとん)ど廿五(にじふご)年間(ねんかん)、060艱難(かんなん)辛苦(しんく)を積(つ)み神界(しんかい)の真相(しんさう)の一端(いつたん)を極(きは)めた結果(けつくわ)、061宇宙(うちう)真理(しんり)の一部(いちぶ)を『霊界(れいかい)物語(ものがたり)』として発表(はつぺう)する事(こと)となつたのである。062道(みち)の大原(たいげん)の聖句(せいく)にも、063天地間(てんちかん)の万物(ばんぶつ)に善悪(ぜんあく)美醜(びしう)の混交(こんかう)せるは、064全(まつた)く力徳(りきとく)の塩梅(あんばい)によるものと断定(だんてい)を下(くだ)してあるのは、065実(じつ)に万古(ばんこ)不易(ふえき)の真理(しんり)である。
066 偖(さて)此(この)力徳(りきとく)と云(い)ふ事(こと)は、067一朝(いつてう)一夕(いつせき)に説(と)き明(あか)す訳(わけ)には行(ゆ)かぬ。068約言(やくげん)すれば、069動(どう)、070静(せい)、071解(かい)、072凝(ぎよう)、073引(いん)、074弛(ち)、075合(がふ)、076分(ぶん)の八力(はちりき)の活動(くわつどう)の如何(いかん)によつて、077善悪(ぜんあく)美醜(びしう)大小(だいせう)強弱(きやうじやく)が分(わか)れるのである。078『人(ひと)は天地(てんち)の花(はな)、079万物(ばんぶつ)の霊長(れいちやう)』と称(とな)へられて居(ゐ)るが、080大本(おほもと)では一歩(いつぽ)進(すす)んで、
081『神(かみ)は万物(ばんぶつ)普遍(ふへん)の霊(れい)にして人(ひと)は天地(てんち)経綸(けいりん)の司宰者(しさいしや)なり』
082と断定(だんてい)を下(くだ)して居(ゐ)るのである。083これも出口(でぐち)教祖(けうそ)の廿七(にじふしち)年間(ねんかん)の筆先(ふでさき)の大精神(だいせいしん)を通観(つうくわん)して得(え)た所(ところ)の断案(だんあん)である。084斯(か)くの如(ごと)く尊(たふと)き天地(てんち)経綸(けいりん)の司宰者(しさいしや)たる人間(にんげん)にも、085亦(また)善悪(ぜんあく)美醜(びしう)大小(だいせう)強弱(きやうじやく)の区別(くべつ)があつて、086中(なか)には天地(てんち)経綸(けいりん)の司宰者(しさいしや)どころか、087却(かへつ)て天地(てんち)経綸(けいりん)の妨害(ばうがい)をなす人間(にんげん)が沢山(たくさん)に出来(でき)て居(ゐ)る。088斯(か)くの如(ごと)き人間(にんげん)が現(あら)はれて来(く)るのは、089要(えう)するに一(ひと)つは教育(けういく)の如何(いかん)にもよるのは無論(むろん)だが、090真(しん)の原因(げんいん)は決(けつ)してさうでは無(な)い。091肝賢(かんじん)の大原因(だいげんいん)は天賦(てんぷ)の力徳(りきとく)の過不及(くわふきふ)による処(ところ)の結果(けつくわ)で、092お筆先(ふでさき)の所謂(いはゆる)身魂(みたま)の因縁(いんねん)性来(しやうらい)によるものである。093概(がい)して人間(にんげん)の肉体(にくたい)の善悪(ぜんあく)強弱(きやうじやく)は、094凡(すべ)て力徳(りきとく)の過不及(くわふきふ)により生(しやう)ずる所(ところ)の結果(けつくわ)である。095人(ひと)の心(こころ)の善悪(ぜんあく)智愚(ちぐ)は元(もと)より教育(けういく)によつて其(その)一部分(いちぶぶん)は左右(さいう)せらるるものである。096然(しか)し人(ひと)は神(かみ)様(さま)に次(つい)での尊(たふと)きもので、097世界(せかい)を善(ぜん)に進(すす)め美(び)に開(ひら)くべき天職(てんしよく)を天賦(てんぷ)的(てき)に持(も)つて居(ゐ)るものである。098人間(にんげん)は小(せう)なる神(かみ)として又(また)神(かみ)の生宮(いきみや)として此(この)世(よ)に生(うま)れ出(い)でたる以上(いじやう)は、099終生(しうせい)神(かみ)の御旨(みむね)を奉戴(ほうたい)し天地(てんち)の御用(ごよう)を助(たす)け奉(まつ)らねば、100人(ひと)と生(うま)れ出(い)でたる本分(ほんぶん)が尽(つく)せないのである。101人間(にんげん)は裸体(はだか)で生(うま)れて来(き)たのであるから、102又(また)裸体(はだか)で死(し)ねば宜(よ)いと云(い)ふ様(やう)な棄鉢(すてばち)根性(こんじやう)では、103人生(じんせい)天賦(てんぷ)の職責(しよくせき)が遂(と)げられぬのみならず、104折角(せつかく)神界(しんかい)より選(えら)まれて神(かみ)の生宮(いきみや)として世(よ)に生(うま)れさして頂(いただ)いた、105大神(おほかみ)の御(ご)聖旨(せいし)に背(そむ)く罪人(ざいにん)となるのである。
106 人生(じんせい)の本分(ほんぶん)としては、107第一(だいいち)に天地(てんち)神明(しんめい)の大業(たいげふ)に奉仕(ほうし)し、108政治(せいぢ)をすすめ、109産業(さんげふ)を拓(ひら)き、110且(かつ)真(しん)の宗教(しうけう)を宣伝(せんでん)し、111道義心(だうぎしん)の発達(はつたつ)を助(たす)けて世界(せかい)の醜悪(しうあく)を駆追(くつゐ)し、112真善美(しんぜんび)の天地(てんち)に進(すす)めて行(ゆ)かねばならぬのである。113他人(たにん)は如何(どう)でも構(かま)はぬ、114自分(じぶん)のみ清(きよ)く正(ただ)しければ宜(い)いのだと云(い)つて、115聖人(せいじん)気(き)どりで済(す)まして居(ゐ)る様(やう)な事(こと)では、116人間(にんげん)としての天職(てんしよく)を全(まつた)くしたものと云(い)ふ事(こと)は出来(でき)ないのである。117喜楽(きらく)は常(つね)に政(せい)教(けう)慣(くわん)造(ざう)の進歩(しんぽ)発達(はつたつ)を祈願(きぐわん)し、118且(かつ)完成(くわんせい)せしむるを以(もつ)て人(ひと)たるものの天職(てんしよく)だと考(かんが)へて居(ゐ)る。119皇祖(くわうそ)天照(あまてらす)大神(おほかみ)様(さま)が建国(けんこく)の御(ご)趣旨(しゆし)は、120政(せい)教(けう)慣(くわん)造(ざう)の四大(よんだい)主義(しゆぎ)の実行(じつかう)であつて、
121一、122政(せい)は万世(ばんせい)一系(いつけい)也(なり)
123一、124教(けう)は天授(てんじゆ)の真理(しんり)也(なり)
125一、126慣(くわん)は天人道(てんじんだう)の常(つね)也(なり)
127一、128造(ざう)は適宜(てきぎ)の事務(じむ)也(なり)
129即(すなは)ち此(この)四大(よんだい)主義(しゆぎ)を実践(じつせん)躬行(きうかう)するのが人生(じんせい)の本分(ほんぶん)であつて、130特(とく)に我(わが)神国(しんこく)に生(うま)れたものは、131一層(いつそう)責任(せきにん)の重(ぢゆう)且(か)つ大(だい)なるものである事(こと)を忘(わす)れてはならぬ。132吾人(ごじん)は何(いづ)れも此(この)主義(しゆぎ)に向(むか)つて、133最(もつと)も忠実(ちうじつ)に勤(つと)め奉(まつ)らねばならぬのである。134吾人(ごじん)は人生(じんせい)の重大(ぢうだい)なる責任(せきにん)を感(かん)じ、135如何(どう)しても肉体(にくたい)の安楽(あんらく)のみを貪(むさぼ)る事(こと)は出来(でき)ない。136人生(じんせい)の本分(ほんぶん)を幾分(いくぶん)なりとも遂行(すゐかう)し得(え)ざる内(うち)は、137如何(いか)なる栄華(えいぐわ)も歓楽(くわんらく)も自分(じぶん)の心(こころ)を満(み)たす事(こと)は出来(でき)ない。138美衣(びい)美食(びしよく)財宝(ざいほう)なども到底(たうてい)天授(てんじゆ)の心魂(しんこん)を喜(よろこ)ばすに足(た)らぬ。139只(ただ)天下(てんか)公共(こうきよう)の為(た)めに自分(じぶん)としての天職(てんしよく)を尽(つく)し得(う)る事(こと)が肝賢(かんじん)である。140一寸先(いつすんさき)の見(み)えない様(やう)な不完全(ふくわんぜん)なる、141罪(つみ)に穢(けが)れたる吾人(ごじん)の身(み)を以(もつ)て、142到底(たうてい)重大(ぢうだい)なる天職(てんしよく)を完(まつた)ふする事(こと)は出来(でき)ずとも、143其(その)幾分(いくぶん)にても奉仕(ほうし)し得(え)たならば、144これに過(す)ぎたる人生(じんせい)の幸(さいはひ)はないのである。
145 今日(こんにち)の瑞月(ずゐげつ)としては、146浅薄(せんぱく)なる肉体(にくたい)上(じやう)の観察(くわんさつ)から見(み)るならば、147実(じつ)に安楽(あんらく)なものの様(やう)であるが自分(じぶん)としては実(じつ)に一(いち)日(にち)も安(やす)んじては居(ゐ)ないのである。148数多(あまた)の役員(やくゐん)や信者(しんじや)は親(おや)の様(やう)に崇(あが)め『先生(せんせい)々々(せんせい)』と云(い)つて厚(あつ)く遇(ぐう)して呉(く)れて居(ゐ)る様(やう)であるが、149自分(じぶん)の為(た)めには、150却(かへつ)てそれが苦痛(くつう)の種(たね)となるのである。151何故(なにゆゑ)なれば役員(やくゐん)信者(しんじや)の親切(しんせつ)や好意(かうい)は大(おほい)に有難(ありがた)迷惑(めいわく)を感(かん)ずる事(こと)があるからである。152自分(じぶん)の真(しん)の使命(しめい)を諒解(りやうかい)するのでもなく、153只(ただ)単(たん)に出口(でぐち)教祖(けうそ)のお筆先(ふでさき)によつて、154色々(いろいろ)と私(わたし)に対(たい)する空想(くうさう)を描(ゑが)いて居(ゐ)る人(ひと)が多(おほ)いからである。155又(また)如何(いか)なる立派(りつぱ)な事(こと)を話(はな)しても説(と)いてもそれは教祖(けうそ)の筆先(ふでさき)に出(で)てゐないから用(もち)ゐられないとか云(い)つて、156如何(いか)なる真理(しんり)も無造作(むざうさ)に葬(はうむ)つて了(しま)ふので、157何程(なにほど)筆先(ふでさき)の精神(せいしん)を縦横(じうわう)無尽(むじん)に説(と)いても、158十分(じふぶん)に感得(かんとく)せしむる事(こと)が出来(でき)ぬのが実(じつ)に遺憾(ゐかん)である。159又(また)自分(じぶん)の肉体(にくたい)に対(たい)し、160役員(やくゐん)信者(しんじや)が非常(ひじやう)に気(き)をつけて好意(かうい)を表(へう)して呉(く)れられるが、161肝賢要(かんじんかなめ)の真実(しんじつ)の精神(せいしん)を汲(く)みとつて呉(く)れるものが少(すくな)いのは最大(さいだい)の苦痛(くつう)である。162今迄(いままで)の役員(やくゐん)信者(しんじや)は自分(じぶん)を妙(めう)な事(こと)に過信(くわしん)して、163堅実(けんじつ)な教理(けうり)等(など)は頭(あたま)から耳(みみ)に入(い)れぬのみか、164今(いま)に世界(せかい)の救(すく)ひ主(ぬし)にでもなる様(やう)に、165身魂(みたま)も研(みが)かずに騒(さわ)ぎ廻(まは)つて居(ゐ)るのは実(じつ)に残念(ざんねん)であります。166自分(じぶん)に少(すこ)しにても権謀(けんぼう)術数(じゆつすう)的(てき)の精神(せいしん)があるならば、167十(じふ)年(ねん)以前(いぜん)の大本(おほもと)は、168役員(やくゐん)信者(しんじや)等(など)とも折合(をりあひ)がうまくついて、169極(きは)めて平和(へいわ)であつたでせう。170役員(やくゐん)や信者(しんじや)の迷信(めいしん)を利用(りよう)して猫(ねこ)を被(かぶ)つて居(ゐ)やうものなら、171物質(ぶつしつ)的(てき)方面(はうめん)の事(こと)などは如何(どん)な事(こと)でも出来(でき)たでありませう。172然(しか)し乍(なが)ら自分(じぶん)の天授(てんじゆ)の良心(りやうしん)が如何(どう)しても、173そんな事(こと)を許(ゆる)さない。174今(いま)の世(よ)の中(なか)の様(やう)に神(かみ)の道(みち)は方便(はうべん)や手段(しゆだん)では行(ゆ)かぬ。175方便(はうべん)や手段(しゆだん)を以(もつ)てした事(こと)は何時(いつ)しか化(ばけ)の皮(かは)が剥(は)げるものである。176況(いは)んや至誠(しせい)至直(しちよく)の神(かみ)に仕(つか)ふる身分(みぶん)としては、177夢(ゆめ)にだにも良心(りやうしん)の許(ゆる)さぬ事(こと)は出来(でき)ない。178自分(じぶん)は天地(てんち)と共(とも)に亡(ほろ)びざる大真理(だいしんり)即(すなは)ち神(かみ)の大道(だいだう)より外(ほか)の道(みち)を歩(あゆ)む事(こと)は出来(でき)ぬ。179真理(しんり)の為(た)めには一身(いつしん)を献(ささ)げて悔(く)いないのである。180今日(こんにち)の場合(ばあひ)は如何(いか)にしても社会(しやくわい)一般(いつぱん)の誤解(ごかい)を正(ただ)し、181大本(おほもと)を正解(せいかい)させることが必要(ひつえう)であると感(かん)じたから、182茲(ここ)に天下(てんか)修斎(しうさい)のため真理(しんり)の旗幟(きしき)を翻(ひるがへ)し、183神(かみ)様(さま)に一身(いつしん)を献(ささ)げて口(くち)を藉(か)し、184茲(ここ)に愈(いよいよ)此(この)物語(ものがたり)を発表(はつぺう)する事(こと)となつたのである。185混濁(こんだく)せる社会(しやくわい)のため一身(いつしん)を捧(ささ)げて五六七(みろく)の御世(みよ)に奉仕(ほうし)せむと云(い)ふ誠(まこと)の人(ひと)は、186一(いち)日(にち)も早(はや)く此(この)物語(ものがたり)の精神(せいしん)に目(め)を醒(さ)まし天下(てんか)万民(ばんみん)の為(た)めに誠(まこと)を尽(つく)して頂(いただ)き度(た)いものである。
187選(えら)まれし神(かみ)の使(つかひ)の甲斐(かひ)もなし
188人(ひと)を導(みちび)く力(ちから)なき身(み)は
189(大正一一・一〇・一四 旧八・二四 北村隆光録)
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