霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第一四章 沓島(めしま)〔一〇五一〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第38巻 舎身活躍 丑の巻 篇:第3篇 冒険神験 よみ(新仮名遣い):ぼうけんしんけん
章:第14章 沓島 よみ(新仮名遣い):めしま 通し章番号:1051
口述日:1922(大正11)年10月17日(旧08月27日) 口述場所: 筆録者:北村隆光 校正日: 校正場所: 初版発行日:1924(大正13)年4月3日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]:
教祖の一行は明治三十三年旧六月八日に冠島の参拝を無事に終えた。次いで、生き神艮の金神を奉祀して天下泰平と皇軍の勝利を祈願しようと、古来人跡なき沓島に渡ることになった。
一行九人は前回同様、舞鶴の大丹生屋に宿泊して舟を雇い、穏やかな海面を沓島に向かって滑り出した。舟人の話によれば、ここ五年ほどでこれほど静穏な海上はないとのことである。
途中すれ違った釣り舟から鯖を二十尾ほど買い上げて、お供え物とした。まずは冠島に上陸し、祝詞を奏上して木下慶太郎、福林安之助、四方祐助、中村竹蔵の四名を島に残し、社殿の清掃を命じた。
その他の教祖、自分、出口澄子、四方平蔵、福島寅之助の五名は沓島に向かった。沓島への途上の巨浪に福島氏は肝をつぶし、船底にしがみついて発動気味になっていた。それ以降、福島氏は二度と沓島には参らないと懲りていた。
冠島で清掃にあたっていた中村竹蔵は激しい腹痛に襲われ、神明に罪を謝したところ激痛が止んだ。頑固な中村も、その神徳に感激した様子であった。
沓島は冠島と違って、人が渡らない島だけに岩に囲まれて適当な上陸地点が見当たらない。教祖はぜひに釣鐘岩につけよ、と言った。自分は縄を持って岸壁に飛びつき、船頭と共に舟を縄で固定した。
少しばかり平面のある場所を頼りに岩場を登って行き、百尺ほど高所の二畳敷きほどの平面の場所に、綾部から持ってきた神祠を設置し艮の大金神国常立尊、竜宮の乙姫、豊玉姫神、玉依姫神をはじめ天神地祇を奉祭し、祈願の祝詞を奏上した。
文禄年間に海賊がこの冠島・沓島を一時ねぐらにしたことがあった以外には、誰も沓島に来たことがないというところへ、百難を排して教祖が渡り、天下無事の祈祷をされたということで、東京の富士新聞や福知山の三丹新聞など諸新聞に掲載された。
沓島参拝を終えた後、冠島に戻り神前に礼拝し、供物を献じて島を一周した。冠島は世界のあらゆる草木の種が集まっていると言われている。世の俗塵を一切払ったような観念が湧いてくる島であり、信徒たる者ぜひ一度参詣すべき場所である。
九日の夕方、無事に舞鶴に到着し、翌日記念撮影をなして、めでたく本宮に帰ることとなった。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2022-11-05 17:14:41 文字数:3491 OBC :rm3814
愛善世界社版:144頁 八幡書店版:第7輯 211頁 修補版: 校定版:147頁 普及版:74頁 初版: ページ備考:
001 丹後(たんご)の舞鶴(まひづる)からも若狭(わかさ)の小浜(をばま)からも、002縞(しま)の財布(さいふ)が空(から)になると云(い)ふ宮津(みやづ)からも、003丁度(ちやうど)十(じふ)里(り)あると云(い)ふ沖中(おきなか)の一(ひと)つ島(じま)で、004昔(むかし)から『男(をとこ)は一生(いつしやう)に必(かなら)ず一度(いちど)は参(まゐ)れ、005二度(にど)は参(まゐ)るな、006女(をんな)は絶対(ぜつたい)に禁制(きんせい)万一(まんいち)女(をんな)が参拝(さんぱい)しやうものなら、007竜宮(りうぐう)の乙姫(おとひめ)さまの怒(いか)りに触(ふ)れて海上(かいじやう)が荒(あ)れ出(だ)し、008いろいろの妖怪(えうくわい)が出(で)たり大蛇(をろち)が沢山(たくさん)現(あら)はれて女(をんな)を丸呑(まるの)みにする、009さうして子孫(しそん)の代(だい)迄(まで)神罰(しんばつ)を蒙(かうむ)る』と云(い)ふ古来(こらい)の伝説(でんせつ)と迷信(めいしん)とを打破(だは)して、010教祖(けうそ)の一行(いつかう)は恙(つつが)なく明治(めいじ)三十三(さんじふさん)年(ねん)旧(きう)六(ろく)月(ぐわつ)八日(やうか)冠島(をしま)参拝(さんぱい)を遂(と)げ、011今度(こんど)更(さら)に古来(こらい)人跡(じんせき)なき神聖(しんせい)なる沓島(めしま)へ渡(わた)つて、012天神(てんしん)地祇(ちぎ)を初(はじ)め奉(たてまつ)り、013生神(いきがみ)艮(うしとら)の鬼門(きもん)大金神(だいこんじん)を奉祀(ほうし)して天下(てんか)の泰平(たいへい)や皇軍(くわうぐん)の大勝利(だいしようり)を祈願(きぐわん)せむと、014陰暦(いんれき)七(しち)月(ぐわつ)八日(やうか)再(ふたた)び本宮(ほんぐう)を出立(しゆつたつ)、015一行(いつかう)九(く)人(にん)は前回(ぜんくわい)同様(どうやう)大丹生(おほにふ)屋(や)で船(ふね)を雇(やと)ひ、016穏(おだや)かな海面(かいめん)を辷(すべ)り乍(なが)ら沓島(めしま)に向(むか)つて漕(こ)ぎ出(だ)した。
017 埠頭(ふとう)の万灯(まんとう)は海水(かいすゐ)に映(えい)じて其(その)色(いろ)赤(あか)く麗(うるは)しく、018港門(みなと)の潮水(しほみづ)は緑色(みどりいろ)をなし、019海湾(かいわん)浪(なみ)静(しづか)にして磨(みが)ける鏡(かがみ)の如(ごと)く、020百鳥(ももとり)群(むら)がり飛(と)んで磯端(いそばた)静(しづか)に、021青松(せいしよう)浜頭(ひんとう)に列(つら)なり梢(こずゑ)を垂(た)れ得(え)も言(い)はれぬ月夜(つきよ)の景色(けしき)を眺(なが)めつつ、022午後(ごご)八(はち)時(じ)半(はん)二隻(にせき)の小舟(こぶね)に乗(の)り、023舟人(ふなびと)は前回(ぜんくわい)の如(ごと)く橋本(はしもと)六蔵(ろくざう)、024田中(たなか)岩吉(いはきち)の二(に)名(めい)これに当(あた)り声(こゑ)も涼(すず)しく船唄(ふなうた)を唄(うた)ひ乍(なが)ら悠々(いういう)として漕(こ)ぎ出(だ)した。025満天(まんてん)梨地色(なしぢいろ)に星(ほし)輝(かがや)き、026波(なみ)至(いた)つて平穏(へいおん)に、027恰(あたか)も海面(かいめん)は油(あぶら)を流(なが)した如(ごと)く、028星(ほし)が映(うつ)つてキラキラと光(ひか)つて居(ゐ)る。029海月(くらげ)が浮(う)いて行(ゆ)くの迄(まで)が判然(はんぜん)と見(み)える。030銀砂(ぎんしや)を敷(し)いた上(うへ)に居(を)る様(やう)な心持(こころもち)がして極(きは)めて安全(あんぜん)な航海(かうかい)である。031博奕(ばくち)ケ岬(さき)迄(まで)行(い)つた頃(ころ)は、032八日(やうか)の半絃(はんげん)の月(つき)は海(うみ)の彼方(かなた)に西渡(かたむ)き経(きやう)ケ岬(みさき)の灯台(とうだい)は明々(めいめい)滅々(めつめつ)浪(なみ)のまにまに漂(ただよ)ふて見(み)える。033頭(あたま)の上(うへ)にも足(あし)の下(した)にも、034銀河(ぎんが)が横(よこたは)つて其(その)真中(まんなか)を敏鎌(とがま)の様(やう)に冴(さ)えた月(つき)が静(しづ)かに流(なが)れて、035海(うみ)の果(はて)で合(がつ)するかと疑(うたが)はれるばかりであつた。036舟人(ふなびと)の話(はなし)によれば、
037『茲(ここ)三(さん)年(ねん)や五(ご)年(ねん)に今夜(こんや)位(くらゐ)静穏(せいをん)な海上(かいじやう)はない。038大方(おほかた)冠島(をしま)沓島(めしま)の神(かみ)様(さま)の御(ご)守護(しゆご)でありませう。039ほんに有(あ)り難(がた)い、040勿体(もつたい)ない』
041と喜(よろこ)び勇(いさ)み乍(なが)ら、042赤(あか)い褌(ふんどし)を締(し)め真裸(まつぱだか)となつて節(ふし)面白(おもしろ)く船唄(ふなうた)を唄(うた)ひ出(だ)した。
043 万波(ばんぱ)洋々(やうやう)たる海(うみ)の彼方(かなた)には、044幾百(いくひやく)の漁火(いさりび)が波上(はじやう)に浮(うか)み、045甲艇(かふてい)乙舸(おつか)競(きそ)ふて海魚(かいぎよ)を漁(すなど)りする壮丁(さうてい)の声(こゑ)は波(なみ)の音(おと)を掠(かす)めて高(たか)く聞(きこ)えて来(く)る。046此(この)漁火(いさりび)を打見(うちみ)やれば、047恰(あたか)も海上(かいじやう)のイルミネーシヨンを見(み)る様(やう)である。048舟(ふね)は容赦(ようしや)なく東北(とうほく)さして漕(こ)ぎ出(だ)された。049二三(にさん)の釣舟(つりぶね)が二三丁(にさんちやう)ばかり傍(かたはら)に通(とほ)りかかるのを、050二人(ふたり)の船頭(せんどう)は大声(おほごゑ)で呼(よ)びとめる。051船頭(せんどう)同志(どうし)は互(たがひ)に分(わ)け隔(へだ)てなき間柄(あひだがら)とて、052極(きは)めて乱雑(らんざつ)な挨拶(あいさつ)振(ぶ)り、053初(はじ)めて聞(き)いたものは喧嘩(けんくわ)ではないかと疑(うたが)ふばかりである。054此(この)釣舟(つりぶね)で一(いつ)尺(しやく)二三寸(にさんずん)ばかりの鯖(さば)を二十尾(にじふび)ばかり買(か)ひ求(もと)めて、055冠島(をしま)沓島(めしま)への供(そな)へ物(もの)とした。056東(ひがし)の空(そら)はソロソロと明(あか)くなり出(だ)した。057舟人(ふなびと)は褌(まはし)一(ひと)つになつて、058汗(あせ)をタラタラ流(なが)しつつ力(ちから)の極(きは)み、059根限(こんかぎ)り漕(こ)ぎつける。060午前(ごぜん)八(はち)時(じ)半(はん)無事(ぶじ)に冠島(をしま)の磯際(いそぎは)についた。061『まあ一安心(ひとあんしん)だ』と上陸(じやうりく)し、062神前(しんぜん)に向(むか)つて教祖(けうそ)以下(いか)八(はち)人(にん)は天津(あまつ)祝詞(のりと)を奏上(そうじやう)し終(をは)つて、063木下(きのした)慶太郎(けいたらう)、064福林(ふくばやし)安之助(やすのすけ)、065四方(しかた)祐助(いうすけ)、066中村(なかむら)竹造(たけざう)の四(よ)名(めい)を冠島(をしま)に残(のこ)しおき、067神社(じんじや)境内(けいだい)の掃除(さうぢ)を命(めい)じおき、068帰途(かへりみち)に改(あらた)めて参拝(さんぱい)する事(こと)とし教祖(けうそ)を始(はじ)め出口(でぐち)海潮(かいてう)、069出口(でぐち)澄子(すみこ)、070四方(しかた)平蔵(へいざう)、071福島(ふくしま)寅之助(とらのすけ)の五(ご)人(にん)は直(ただち)に沓島(めしま)に向(むか)つて出発(しゆつぱつ)する。072福島(ふくしま)寅之助(とらのすけ)は冠島(をしま)から沓島(めしま)へ行(ゆ)く間(あひだ)の巨浪(きよらう)に肝(きも)を潰(つぶ)し、073舟底(ふなぞこ)に喰(くら)ひつき時々(ときどき)発動(はつどう)気味(ぎみ)になつて唸(うな)つて居(ゐ)る。074それきり同人(どうにん)はコリコリしたと見(み)え沓島(めしま)へは再(ふたた)び参(まゐ)らないと云(い)つて居(ゐ)た。
075 さて冠島(をしま)に残(のこ)された連中(れんちう)が一(いつ)尺(しやく)以上(いじやう)も堆高(うづたか)く積(つも)つて居(ゐ)る庭(には)一面(いちめん)の鳥糞(てうふん)を掻(か)き浚(さら)へ、076お庭(には)を清(きよ)める、077枯木(かれき)や朽葉(くちば)を集(あつ)めて社(やしろ)の傍(かたはら)の林(はやし)の中(なか)に掃(は)き寄(よ)せる等(など)、078大活動(だいくわつどう)をやつて居(ゐ)た。079忽(たちま)ち中村(なかむら)竹造(たけざう)が激烈(げきれつ)な腹痛(ふくつう)を起(おこ)し七顛(しちてん)八倒(ばつたう)する。080全(まつた)く神罰(しんばつ)が当(あた)つたのだと一同(いちどう)は恐(おそ)れ入(い)つて謝罪(しやざい)をなし、081塵(ちり)芥(あくた)を一層(いつそう)遠(とほ)き林(はやし)の中(なか)へ持(も)ち運(はこ)んだ。082神明(しんめい)聴許(ちやうきよ)遊(あそ)ばしたか、083俄(にはか)に痛(いた)みも止(と)まつたので頑固(ぐわんこ)一辺(いつぺん)の中村(なかむら)も、084其(その)神徳(しんとく)に感激(かんげき)した様(やう)であつた。085教祖(けうそ)の一行(いつかう)は漸(やうや)くにして沓島(めしま)に漕(こ)ぎついた。086流石(さすが)に昔(むかし)から人(ひと)の恐(おそ)れて近(ちか)づき得(え)ない神島(かみしま)だけありて、087冠島(をしま)とは大変(たいへん)に趣(おもむき)が違(ちが)ふてゐる。088今日(けふ)は格別(かくべつ)穏(おだや)かな海(うみ)だと云(い)ふに拘(かか)はらず、089山(やま)の如(ごと)きウネリが頻(しき)りに打(う)ち寄(よ)せて来(く)る。090鴎(かもめ)や信天翁(あはうどり)、091鵜(う)などが岩(いは)一面(いちめん)に胡麻(ごま)を振(ふ)りかけた様(やう)に止(と)まつて、092不思議(ふしぎ)相(さう)に一行(いつかう)を見下(みお)ろして居(ゐ)る。093波(なみ)の上(うへ)には数万(すうまん)の海鳥(かいてう)が浮(う)きつ沈(しづ)みつ、094悠々(いういう)と遊(あそ)んでゐる。095音(おと)に名高(なだか)き断岩(だんがん)絶壁(ぜつぺき)、096小舟(こぶね)を漕(こ)ぎ寄(よ)せる場所(ばしよ)が見(み)つからぬ。097兎(と)も角(かく)も此(この)島(しま)を一周(いつしう)して適当(てきたう)な上陸点(じやうりくてん)を探(さぐ)らうと評定(へうぢやう)して居(ゐ)ると、098教祖(けうそ)が是非(ぜひ)に釣鐘岩(つりがねいは)へ舟(ふね)を着(つ)けよと云(い)はれる。099命(めい)のまにまに釣鐘岩(つりがねいは)の直下(ちよつか)へ漕(こ)ぎつけて見(み)ると、100恰(あたか)も人(ひと)の背中(せなか)の如(ごと)く険峻(けんしゆん)な断岩(だんがん)で如何(どう)しても掻(か)きつく事(こと)が出来(でき)ない。101愚図(ぐづ)々々(ぐづ)してゐると、102激浪(げきらう)のために舟(ふね)を岩(いは)に衝突(しようとつ)させ、103破壊(はくわい)して了(しま)ふ虞(おそれ)があるから、104瞬時(しゆんじ)も躊躇(ちうちよ)してをる場合(ばあひ)でない。105海潮(かいてう)は『地獄(ぢごく)の上(うへ)の一足飛(いつそくと)び』と云(い)ふ様(やう)な肝(きも)を放(ほ)り出(だ)して腰(こし)に八尋縄(やひろなは)を結(むす)びつけたまま、106舟(ふね)が波(なみ)にうたれて岩(いは)に近(ちか)づいた一刹那(いちせつな)を睨(ねら)ひすまして、107岩壁(がんぺき)目蒐(めが)けて飛(と)びついた。108幸(さいはひ)にも粗質(そしつ)な岩(いは)で手足(てあし)が滑(すべ)らぬ、109一丈(いちぢやう)四五(しご)尺(しやく)程(ほど)の上(うへ)の方(はう)に少(すこ)しばかりの平面(へいめん)な処(ところ)がある。110そこから舟(ふね)を目蒐(めが)けて縄(なは)の片端(かたはし)を投(な)げ込(こ)めば、111舟人(ふなびと)が手早(てばや)く拾(ひろ)ふて舟(ふね)に結(むす)びつける。112最早(もはや)大丈夫(だいぢやうぶ)だと岩上(がんじやう)からは上田(うへだ)の海潮(かいてう)が一生(いつしやう)懸命(けんめい)に縄(なは)を手繰(たぐ)り寄(よ)せる。113下(した)からは真正(しんせい)の海潮(かいてう)が教祖(けうそ)を乗(の)せた舟(ふね)を目(め)がけて押(お)し寄(よ)せ、114来(く)るや来(く)るや母曾呂(もそろ)々々々(もそろ)に持(も)ち渡(わた)す。115教祖(けうそ)は手早(てばや)く縄(なは)に縋(すが)り乍(なが)ら漸(やうや)く上陸(じやうりく)された。116続(つづ)いて三(さん)人(にん)も登(のぼ)つて来(き)た。117綾部(あやべ)で組(く)み立(た)てて持(も)つて来(き)た神祠(ほこら)をといて、118柱(はしら)一本(いつぽん)づつ舟人(ふなびと)が縄(なは)で縛(しば)る、119四方(しかた)と福島(ふくしま)がひきあげる。120漸(やうや)く百(ひやく)尺(しやく)ばかりもある高所(かうしよ)の二畳敷(にでふじき)ほどの平面(へいめん)の岩(いは)の上(うへ)を鎮祭所(ちんさいじよ)となし、121一(いち)時間(じかん)あまりもかかつて漸(やうや)く神祠(ほこら)を建(た)て上(あ)げ、122艮(うしとら)の大金神(だいこんじん)国常立(くにとこたちの)尊(みこと)、123竜宮(りうぐう)の乙姫(おとひめ)、124豊玉姫(とよたまひめの)神(かみ)、125玉依姫(たまよりひめの)神(かみ)を始(はじ)め、126天地(てんち)八百万(やほよろづ)の神(かみ)等(たち)を奉斎(ほうさい)し、127山野(さんや)河海(かかい)の珍物(うましもの)を供(そな)へ終(をは)り、128教祖(けうそ)は恭(うやうや)しく祠前(しぜん)に静座(せいざ)して声音(せいおん)朗(ほがら)かに天下(てんか)泰平(たいへい)神軍(しんぐん)大勝利(だいしようり)の祈願(きぐわん)の祝詞(のりと)を奏上(そうじやう)される。
129 話(はなし)は一寸(ちよつと)後前(あとさき)になつたが、130第一着(だいいちちやく)に海潮(かいてう)が遷座式(せんざしき)の祝詞(のりと)を恐(かしこ)み恐(かしこ)み白(まを)し上(あ)げ、131最後(さいご)に一同(いちどう)打揃(うちそろ)ふて大祓(おほはらひ)の祝詞(のりと)を奏上(そうじやう)した。132島(しま)の群鳥(むらどり)は祝詞(のりと)を拝聴(はいちやう)するものの如(ごと)くである。133何分(なにぶん)北(きた)は露西亜(ロシア)の浦塩斯徳(ウラジオストツク)港(かう)迄(まで)つつ放(ぱな)しの島(しま)であるから、134日本海(にほんかい)の激浪(げきらう)怒濤(どたう)は皆(みな)此(この)沓島(めしま)の釣鐘岩(つりがねいは)に打(ぶつ)かるので一面(いちめん)に洗(あら)ひ去(さ)られて、135此(この)方面(はうめん)は岩(いは)ばかりで土(つち)の気(け)は見(み)たいと思(おも)ふても見当(みあた)らなかつた。136沖(おき)の方(はう)から時々(ときどき)寄(よ)せ来(く)る山(やま)の様(やう)に大(おほ)きな浪(なみ)が此(この)釣鐘岩(つりがねいは)に衝突(しようとつ)して、137百雷(ひやくらい)の一(いち)時(じ)に鳴(な)り響(ひび)く様(やう)に、138ゴンゴン ドドンドドンと烈(はげ)しき音(おと)が耳(みみ)を刺戟(しげき)する。139舟人(ふなびと)は今日(けふ)は数年来(すうねんらい)に見(み)た事(こと)のない穏(おだや)かの波(なみ)だと云(い)つた浪(なみ)でさへも、140これ位(くらゐ)の音(おと)がするのだもの、141海(うみ)の荒(あ)れた日(ひ)にはどんなに烈(はげ)しからうと思(おも)へば、142凄(すご)い様(やう)な心持(こころもち)がして来(き)た。143船人(ふなびと)の語(かた)る所(ところ)によれば此(この)釣鐘岩(つりがねいは)には、144文禄(ぶんろく)年間(ねんかん)に三種(みくさ)四郎(しらう)左衛門(ざゑもん)と云(い)ふ男(をとこ)、145数百(すうひやく)人(にん)の部下(ぶか)を引率(ひきつ)れ冠島(をしま)を策源地(さくげんち)として陣屋(ぢんや)を構(かま)へ、146時(とき)の天下(てんか)を横領(わうりやう)せむと軍資金(ぐんしきん)を集(あつ)むるために海上(かいじやう)往来(わうらい)の船舶(せんぱく)を掠(かす)め海賊(かいぞく)を稼(かせ)いで、147此(この)岩(いは)の頂上(ちやうじやう)に半鐘(はんしよう)を釣(つ)り斥候(せきこう)の合図(あひづ)をし冠島(をしま)との連絡(れんらく)をとつて居(ゐ)たので、148被害者(ひがいしや)は数(かず)ふるに暇(ひま)なき迄(まで)続出(ぞくしゆつ)したので、149武勇(ぶゆう)の誉(ほまれ)高(たか)き豪傑(がうけつ)岩見(いはみ)重太郎(ぢうたらう)がこれを聞(き)いて捨(す)ておけぬと計略(けいりやく)を以(もつ)て呉服屋(ごふくや)に化(ば)け、150一人(ひとり)一人(ひとり)舞鶴(まひづる)へ引寄(ひきよ)せ牢獄(らうごく)に打(う)ち込(こ)み、151悉皆(しつかい)退治(たいぢ)したと伝(つた)ふる有名(いうめい)な島(しま)で、152其(その)後(ご)は釣鐘島(つりがねしま)、153鬼門島(きもんじま)と称(しよう)し、154誰(たれ)も此(この)沓島(めしま)へは来(き)たものはないと云(い)つてゐた。155然(しか)るに今回(こんくわい)初(はじ)めて教祖(けうそ)が世界(せかい)万民(ばんみん)のために、156百難(ひやくなん)を排(はい)して渡(わた)り来(こ)られ、157神々(かみがみ)様(さま)を奉祀(ほうし)し、158天下(てんか)無事(ぶじ)の祈祷(きたう)をされたのは実(じつ)に前代(ぜんだい)未聞(みもん)の壮挙(さうきよ)であると云(い)ふので、159東京(とうきやう)の富士(ふじ)新聞(しんぶん)や福知山(ふくちやま)の三丹(さんたん)新聞(しんぶん)を始(はじ)め其(その)他(た)の諸新聞(しよしんぶん)に連載(れんさい)された事(こと)がある。
160 さて此(この)島(しま)を一周(ひとめぐ)りして、161奇岩(きがん)絶壁(ぜつぺき)を嘆賞(たんしやう)しつつ冠島(をしま)へ再(ふたた)び舟(ふね)を漕(こ)ぎ寄(よ)せ、162一行(いつかう)九(く)人(にん)打揃(うちそろ)ふて神前(しんぜん)に拝礼(はいれい)し、163供物(くぶつ)を献(けん)じ終(をは)つて又(また)此(この)冠島(をしま)も一周(いつしう)する事(こと)となつた。164周囲(しうゐ)四十(しじふ)有余(いうよ)丁(ちやう)あり、165世界(せかい)の所在(あらゆる)草木(さうもく)の種子(たね)は皆(みな)此(この)島(しま)に集(あつ)まつてあると云(い)はれてある。166昔(むかし)は陸稲(をかぼ)も自然(しぜん)に出来(でき)てゐたのを、167大浦村(おほうらむら)の百姓(ひやくしやう)が肥料(こやし)を施(ほどこ)して汚(けが)したので、168其(その)後(ご)は稲(いね)は一株(ひとかぶ)も出来(でき)なくなり、169雑草(ざつさう)が密生(みつせい)する様(やう)になつたのだと二人(ふたり)が話(はな)しつつ覗(のぞ)き岩(いは)迄(まで)漕(こ)ぎつけて見(み)れば、170数十丈(すうじふぢやう)の岩石(がんせき)に自然(しぜん)の隧道(トンネル)が穿(うが)たれてある。171屏風(びやうぶ)を立(た)てた様(やう)な岩(いは)や書籍(しよせき)を積(つ)み重(かさ)ねた様(やう)な岩(いは)立(た)ち並(なら)び、172竜(りう)飛(と)び虎(とら)馳(はし)る如(ごと)き不思議(ふしぎ)の岩(いは)が海中(かいちう)に立(た)つてゐる。173少(すこ)しく舟(ふね)を西北(せいほく)へ進(すす)めると、174一望(いちばう)肝(きも)を消(け)すの断巌(だんがん)、175一瞻(いつせん)胸(むね)を轟(とどろ)かすの碧潮(へきてう)に鯛魚(たひぎよ)の群(むれ)をなして縦(たて)に泳(およ)ぎ、176緯(よこ)に潜(ひそ)み、177翠紅(すゐこう)、178色(いろ)交々(こもごも)乱(みだ)れて恰(あたか)も錦綾(きんれう)の如(ごと)く、179感賞(かんしやう)久(ひさ)しうして帰(かへ)る事(こと)を忘(わす)れるに至(いた)る。180此処(ここ)に暫(しばら)く遊(あそ)んでゐると、181十(じふ)年(ねん)も寿命(じゆみやう)がのびる様(やう)である。182世(よ)の俗塵(ぞくぢん)一切(いつさい)を払拭(ふつしき)し去(さ)つた様(やう)な観念(くわんねん)が胸(むね)に湧(わ)いて来(く)る。183兎(と)に角(かく)男女(だんぢよ)を問(と)はず信徒(しんと)たるものは一度(いちど)は是非(ぜひ)参詣(さんけい)すべき処(ところ)である。
184 九日(ここのか)の夕方(ゆふがた)、185恙(つつが)なく舞鶴(まひづる)へ帰着(きちやく)し翌(よく)十日(とをか)舞鶴(まひづる)京口町(きやうぐちまち)で一行(いつかう)記念(きねん)の撮影(さつえい)をなし、186目出度(めでたく)本宮(ほんぐう)へ帰(かへ)る事(こと)となつた。
187(大正一一・一〇・一七 旧八・二七 北村隆光録)
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