明治三十八年二月、四方平蔵と中村竹蔵その他十人の幹部は、本年中に世の中の立替立直しが完成し、五六七の世が出現するとほらを吹きまわってのぼせ上っていた。
中村の女房は、中村が商売もせずに毎日脱線だらけのことを言い歩くので、中村を幾度となく意見していたが、中村は怒って女房を離縁してしまった。そして福島久子を自分の女房にしようと企んでいたが、喜楽に妨害され、中村と福島は非常に喜楽を恨んだ。
明治三十八年は、それから四五年経っていた。教祖から中村に、妻帯せよと命令がくだったので、候補が挙げられた。その中に、教祖の娘で澄子の姉の竜子の名前もあった。
中村たちは、喜楽を追い落とすために竜子を中村の妻に迎えたいと運動していた。一方竜子は、中村の女房になって改心させようという考えもあった。
しかし喜楽は、中村が教祖の娘を妻に迎えてますます威張りだし、これ以上圧迫を受けてはたまらないと教祖様に直訴した。教祖は四方平蔵を呼んで、竜子の縁談は会長の意見に任せるようにと言い渡した。
そこで、木下慶太郎と竜子をめあわせることに決まった。中村には、福島久子の股肱となって働いていた女を女房にした。
中村は非常に落胆し、明治三十九年に狂い死にをしてしまった。福島久子はずっと、現在まで二十四年間不断に反対運動を継続している。
あるとき、布教宣伝の旅の帰りに八木に立ち寄ってみると、福島夫婦はやせ衰え、涙ぐんで控えている。聞いてみると、艮の金神の命令で百日もの断食の修業をしているのだという。
今日がちょうど行の上りで、福島寅之助はこれから天に昇ってみだれた世の中を水晶にいたす役に付くからと、女房と別れの盃を交わしたところだという。
そして喜楽を早く返そうとするので、心配で八木の茶店に休んで遠くから福島の家の様子を考えていた。しかしその後も福島の守護神はでたらめな託宣を繰り返したので、福島は自分でだまされたと気が付いた。
福島寅之助は四五年かけて書いた自分の筆先をすべて焼いてしまい、ご神前をひっくり返してしまったということがあった。
また、自分が浦上を連れて京都方面に宣伝に行くと、どこもかしこも反対者が自分を入れるなと先回りして触れ回り、浦上と二人で途方に暮れてしまったこともあった。
自分たちが憤慨していると、綾部の役員の手先となって信者宅を触れ回っていた畑中という男にばったり出くわした。畑中は自分たちの姿を見ると逃げてしまった。
綾部へ戻ってから浦上は懲りて、餅屋を始めた。喜楽が神様を祀ってやりたいへんに繁盛したが、浦上は慢心して財産を失ってしまった。綾部に居れなくなり、位田に帰って細々と豆腐屋をしているという。