霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第二四章 呪(のろひ)の釘(くぎ)〔一〇六一〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第38巻 舎身活躍 丑の巻 篇:第5篇 正信妄信 よみ(新仮名遣い):せいしんぼうしん
章:第24章 呪の釘 よみ(新仮名遣い):のろいのくぎ 通し章番号:1061
口述日:1922(大正11)年10月18日(旧08月28日) 口述場所: 筆録者:松村真澄 校正日: 校正場所: 初版発行日:1924(大正13)年4月3日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]:
明治三十三年八月下旬、元治郎が危篤との知らせを受けて郷里の穴太に帰った。鎮魂をしてみると、産土の小幡神社に呪い釘が打ってあり、それを抜き取るようにとの御告げがあった。
行ってみると果たして、実際に小幡神社の杉の木に釘が打ってあったので抜き取った。村の衛生係は猩紅熱だと言ったが、実際に釘を抜くことで元治郎の容態はとても良くなり、見舞いに来ていた人たちも神徳の広大無辺なことに驚いた。
元治郎は喜楽の留守宅で鍛冶屋を営んでいたが、同業者に恨まれてしまった。下男の幸之助は元治郎を恨む鍛冶職人たちに頼まれて、呪い釘を打ち、元治郎を呪い殺そうとしたのであった。
幸之助は会長に呪い釘のことを見透かされ、恐ろしくなって夜のうちに家族を連れて逐電してしまった。
元治郎はこの件がきっかけで博奕をやめて神様を拝む心になり、最後には神の道を宣伝するようになった。
それから喜楽の祖母が八十八歳で亡くなり、また百日祭の後には火事があって家が焼けた。喜楽は火事のことは神様に知らされていたので、村の他家から預かっていた農具を別の小屋にしまっておくように注意しておいた。そのおかげで預かった農具にはまったく被害がなかった。
喜楽の母と兄弟は二三年綾部に来ていたが、役員の反対がきつく、あるとき小松林の母親だからという理由で蹴り倒され、折よくそこへ帰ってきた西田に介抱されてようやく息を吹き返したということがあった。
母はたいへんに怒ってしまいには穴太へ帰ってしまった。そのとき役員は迷信上からやったことで、決して悪いことをしたとは思っていなかった。お道のため、世界のためになることだと固く信じて、喜楽の母の横腹を蹴って気絶させるようなことをして、得々としていたのである。
実に、迷信ほど恐ろしいものはないのである。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2022-11-11 09:17:03 文字数:2745 OBC :rm3824
愛善世界社版:252頁 八幡書店版:第7輯 254頁 修補版: 校定版:258頁 普及版:134頁 初版: ページ備考:
001 明治(めいぢ)卅三(さんじふさん)年(ねん)八(はち)月(ぐわつ)下旬(げじゆん)の事(こと)であつた。002会長(くわいちやう)は大本(おほもと)に在(あ)つていろいろと一心(いつしん)に教典(けうてん)を執筆(しつぴつ)してゐる時(とき)、003郷里(きやうり)の穴太(あなを)から……元治郎(もとぢらう)危篤(きとく)すぐ帰(かへ)れ……といふ電報(でんぱう)がついたので、004直(すぐ)に教祖(けうそ)に其(そ)の由(よし)を申上(まをしあ)げた。005教祖(けうそ)は早速(さつそく)に神(かみ)さまにお伺(うかが)ひになり、
006教祖(けうそ)『余程(よほど)の大病(たいびやう)ぢやそうですから、007早(はや)う行(い)つて助(たす)けて上(あ)げなされ、008元(もと)ハンもこれで改心(かいしん)が出来(でき)て、009反対(はんたい)をせんよにならはりませう』
010との言(ことば)に早速(さつそく)草鞋(わらぢ)脚絆(きやはん)に身(み)を固(かた)め、011木下(きのした)慶太郎(けいたらう)氏(し)をつれて、012翌早朝(よくさうてう)から竜宮館(りうぐうやかた)を立出(たちい)で、013十四(じふよ)里(り)に余(あま)る山路(やまみち)を辿(たど)りつつ其(その)日(ひ)の黄昏時(たそがれどき)に漸(やうや)く穴太(あなを)の自宅(じたく)に着(つ)いた。014其(その)夜(よ)は二人(ふたり)共(とも)旅(たび)の疲(つか)れで前後(ぜんご)も知(し)らずに寝(ね)て了(しま)つた。
015 翌朝(よくてう)早(はや)く起(おき)て病人(びやうにん)は如何(どう)かと調(しら)べてみるに、016手(て)もつけられぬやうな熱(ねつ)と痛(いたみ)の為(ため)に、017一寸(ちよつと)も身動(みうご)きならずウンウンと唸(うな)り声(ごゑ)を立(た)てて苦(くるし)んでゐる。018直(ただち)に神前(しんぜん)に向(む)かつて元治郎(もとぢらう)の病気(びやうき)平癒(へいゆ)を祈願(きぐわん)した。019さうすると喜楽(きらく)の腹(はら)の中(なか)から、020固(かた)まりがゴロゴロと上(のぼ)つて来(き)て、
021喜楽(きらく)『此(この)病(やまひ)は商売敵(しやうばいがたき)で十五(じふご)人(にん)の鍛冶屋(かぢや)の団体(だんたい)から呪(のろ)はれてゐるのだから、022これからすぐに産土(うぶすな)さまへ参拝(さんぱい)して見(み)よ。023お宮(みや)の裏(うら)の二本(にほん)の杉(すぎ)の木(き)に、024元治郎(もとぢらう)の姿(すがた)を画(ゑが)き、025其(その)上(うへ)に七本(しちほん)の釘(くぎ)がうつてあるから、026早(はや)う行(い)つて其(その)釘(くぎ)を抜(ぬ)き取(と)り、027其(その)釘跡(くぎあと)につき立(たて)の餅(もち)をうめておいたら、028此(この)病気(びやうき)はキツと直(なほ)る』
029との事(こと)であつた。030かくと聞(き)いた傍(かたはら)の人(ひと)は半信(はんしん)半疑(はんぎ)の体(てい)で、031会長(くわいちやう)の顔(かほ)をポカンとして見(み)つめて居(ゐ)た。032弟(おとうと)の幸吉(かうきち)と木下(きのした)慶太郎(けいたらう)氏(し)と下男(げなん)の幸之助(かうのすけ)と三(さん)人(にん)が、033神(かみ)のお告(つげ)のままに、034直様(すぐさま)産土(うぶすな)の小幡(をばた)神社(じんじや)に至(いた)り捜(さが)してみれば、035果(はた)して二本(にほん)の大杉(おほすぎ)に五寸(ごすん)位(ぐらゐ)の釘(くぎ)が八本(はちほん)づつ打込(うちこ)んである事(こと)を発見(はつけん)し、036直(ただち)に釘(くぎ)を抜(ぬ)き取(と)つて急(いそ)いで帰(かへ)つて来(き)た。037そこへ村(むら)の衛生係(えいせいがかり)が巡査(じゆんさ)と医者(いしや)をつれて入来(いりきた)り、
038『此(この)病気(びやうき)は猩紅熱(しやうこうねつ)だから、039伝染(でんせん)する虞(おそれ)がある、040今(いま)すぐに予防(よばう)の手当(てあて)をしなくてはならぬ、041又(また)お前(まへ)たちは家(いへ)を一歩(いつぽ)も出(で)てはならぬ』
042ときびしく言(い)ひ出(だ)した。043其(その)当時(たうじ)は村中(むらぢう)に猩紅熱(しやうこうねつ)が流行(りうかう)して、044どこの家(いへ)にも二人(ふたり)三(さん)人(にん)の患者(くわんじや)が唸(うな)つてゐたのだから、045医者(いしや)も猩紅熱(しやうこうねつ)と診察(しんさつ)したのであつた。046会長(くわいちやう)も二三(にさん)年(ねん)計(ばか)り医学(いがく)を研究(けんきう)した事(こと)があつたのを幸(さいは)ひ、047病理(びやうり)上(じやう)から伝染病(でんせんびやう)でない事(こと)を説明(せつめい)し、048これはきつと生霊(いきりやう)の祟(たた)りだといふ事(こと)を主張(しゆちやう)した。049医者(いしや)等(ら)は嘲笑(あざわら)うて、
050『此(この)開(ひら)けた世(よ)の中(なか)に、051生霊(いきりやう)の祟(たた)りなどといふ事(こと)があるものか』
052と一笑(いつせう)に附(ふ)して聞入(ききい)れぬ。053会長(くわいちやう)は熱心(ねつしん)に霊的(れいてき)の作用(さよう)を説(と)き、054且(かつ)抜(ぬ)いて来(き)た其(その)釘(くぎ)を見(み)せて証拠(しようこ)とした。055医者(いしや)を始(はじ)め巡査(じゆんさ)衛生係(えいせいがかり)は半信(はんしん)半疑(はんぎ)の体(てい)で一先(ひとま)づ引取(ひきと)つて了(しま)つた。056不思議(ふしぎ)にも今(いま)まで苦悶(くもん)してゐた元治郎(もとぢらう)は、057社内(しやない)の杉(すぎ)から釘(くぎ)を一本(いつぽん)一本(いつぽん)ぬき取(と)ると同時刻(どうじこく)に体(からだ)の中(なか)が涼(すず)しく覚(おぼ)え、058やがて全部(ぜんぶ)の釘(くぎ)をぬき取(と)ると同時(どうじ)に、059やがて熱(ねつ)も痛(いたみ)も拭(ぬぐ)ふが如(ごと)く去(さ)り、060今(いま)まで身動(みうご)きだに出来(でき)なんだ者(もの)が、061俄(にはか)に起上(おきあが)つて喜(よろこ)び勇(いさ)み、062もうこれなら大丈夫(だいぢやうぶ)だと泣(な)き笑(わら)ひをした。063ここに始(はじ)めて見舞(みまひ)に来(き)てゐた人(ひと)も神徳(しんとく)の広大(くわうだい)無辺(むへん)なるに驚(おどろ)いた。064元治郎(もとぢらう)は喜楽(きらく)の不在宅(るすたく)で鍛冶屋(かぢや)を職業(しよくげう)としてゐたが、065下男(げなん)の幸之助(かうのすけ)は沢山(たくさん)の鍛冶(かぢ)職人(しよくにん)から頼(たの)まれて、066氏神(うぢがみ)の杉(すぎ)の木(き)に元治郎(もとぢらう)の姿(すがた)をかき、067釘(くぎ)を打込(うちこ)んで呪(のろ)ひ殺(ころ)さうとしたのであつた。068それを神(かみ)さまの霊眼(れいがん)に依(よ)つて発見(はつけん)し、069病気(びやうき)が直(なほ)つたのだから、070俄(にはか)に会長(くわいちやう)が恐(おそろ)しうなり、071自分(じぶん)の罪(つみ)が発覚(はつかく)せむ事(こと)を恐(おそ)れて、072其(その)夜(よ)の中(うち)に自分(じぶん)の女房(にようばう)と共(とも)に何処(どこ)ともなく逐電(ちくでん)して了(しま)つた。073あとにて聞(き)けば幸之助(かうのすけ)は紀州(きしう)の故郷(こきやう)へ帰(かへ)ると共(とも)に元治郎(もとぢらう)と同(おな)じ重病(ぢうびやう)にかかり、074大変(たいへん)に苦(くるし)んだと云(い)ふ事(こと)であつた。075二三(にさん)日(にち)穴太(あなを)に逗留(とうりう)してゐると、076近所(きんじよ)の熱心(ねつしん)な人(ひと)が参(まゐ)つて来(き)て、077いろいろと病気(びやうき)の御(ご)祈願(きぐわん)を頼(たの)むので鎮魂(ちんこん)をし、078難病(なんびやう)を癒(なほ)してゐた。079やがて綾部(あやべ)へ帰(かへ)らうとする時(とき)、080元治郎(もとぢらう)に、
081喜楽(きらく)『お前(まへ)は神(かみ)さまの思召(おぼしめし)に依(よ)つて、082こんな目(め)に会(あ)うたのだから、083キツと幸之助(かうのすけ)を恨(うら)めてはならぬぞ、084一日(いちじつ)も早(はや)く真心(まごころ)に立帰(たちかへ)つて、085神(かみ)さまの御恵(みめぐみ)を享(う)けるよに祈(いの)つてやれ、086幸之助(かうのすけ)が決(けつ)して悪(わる)いのではない、087余(あま)りお前(まへ)の我(が)が強(つよ)いから、088大勢(おほぜい)の同職人(どうしよくにん)に憎(にく)まれたのだ、089お前(まへ)もこれから病気(びやうき)が直(なほ)つたら、090心(こころ)を入(い)れかへて信神(しんじん)をせい』
091といつて木下(きのした)と共(とも)に綾部(あやべ)へ帰(かへ)る事(こと)となつた。092そして帰(かへ)りがけに重(かさ)ねて、
093喜楽(きらく)『お前(まへ)の病気(びやうき)は呪(のろ)ひ釘(くぎ)をぬいたのだから、094一旦(いつたん)は全快(ぜんくわい)したやうであるけれど、095お前(まへ)の罪(つみ)は消(き)えてをらぬから、096再(ふたたび)悩(なや)みが出(で)て来(く)るだろ、097しかし命(いのち)には別状(べつじやう)ないから安心(あんしん)せい、098二月(ふたつき)計(ばか)りは苦(くる)しいが、099それを越(こ)えたら元(もと)の体(からだ)になるだらう』
100というておいた。101其(その)後(ご)又(また)もや体(からだ)がそこら中(ぢう)がウヅき出(だ)し、102腰(こし)のあたりが腫(は)れて、103再(ふたたび)身動(みうご)きもならぬ様(やう)になり、104困(こま)つてゐたが六十(ろくじふ)日目(にちめ)の夜(よ)、105二三升(にさんぜう)の膿汁(うみ)が腰(こし)の腫物(はれもの)からはぢけ出(だ)し、106始(はじ)めて病気(びやうき)が全快(ぜんくわい)した。107今(いま)まで信神(しんじん)の嫌(いや)であつた元治郎(もとぢらう)もこれより御(ご)神徳(しんとく)の有難(ありがた)い事(こと)を悟(さと)り、108今(いま)までのバクチを止(や)めて朝晩(あさばん)神(かみ)さまを拝(をが)む心(こころ)になり、109とうとう神(かみ)の道(みち)を宣伝(せんでん)するやうになつたのである。
110 それから八十八(はちじふはつ)歳(さい)になつた喜楽(きらく)の祖母(そぼ)が亡(な)くなり、111百日祭(ひやくにちさい)をすました翌日(よくじつ)家(いへ)が焼(や)けて了(しま)つたので112、113母(はは)と共(とも)に家族(かぞく)一同(いちどう)が、114一先(ひとま)ず綾部(あやべ)へ引(ひ)つ越(こ)して来(く)ることとなつたのである。115自宅(じたく)の焼(や)ける事(こと)は二三(にさん)年前(ねんまへ)から、116神(かみ)さまに知(し)らされてゐた。117それ故(ゆゑ)に何時(いつ)も元吉(もときち)に気(き)を付(つ)けて村々(むらむら)の百姓(ひやくしやう)から、118修繕(しうぜん)の為(ため)に預(あづか)つて来(き)た農具(のうぐ)を、119別(べつ)の小屋(こや)の中(なか)へしまつておけと云(い)つておいたお蔭(かげ)で、120上田家(うへだけ)の物(もの)は何(なに)もかも残(のこ)らず焼(や)けて了(しま)つたが、121預(あづか)つた農具(のうぐ)は少(すこ)しも焼(や)けなかつたのは不幸中(ふかうちう)の幸(さいはひ)であつた。
122 家(いへ)の焼(や)ける前(まへ)の日(ひ)、123西田(にしだ)は弟(おとうと)の幸吉(かうきち)と綾部(あやべ)へ一度(いちど)参(まゐ)つて来(こ)うと、124相談(さうだん)をきめ、125家(いへ)に寝(ね)てゐると、126喜楽(きらく)が黒木綿(くろもめん)の紋付(もんつき)羽織(はおり)を着(き)て帰(かへ)り来(きた)り、127火(ひ)の用心(ようじん)が悪(わる)いから、128二三(にさん)日(にち)どこへも出(で)るなと云(い)つたと思(おも)へば夢(ゆめ)であつた。129又(また)母(はは)の耳(みみ)へ、130どこからともなく、131火事(くわじ)があるから気(き)をつけ、132どこへも行(ゆ)くなと云(い)ふ声(こゑ)が聞(きこ)えたので、133不思議(ふしぎ)がつて注意(ちうい)をしてゐた所(ところ)、134俄(にはか)に仏壇(ぶつだん)の上(うへ)の方(はう)から火(ひ)が出(で)て、135丸焼(まるや)けになつて了(しま)うたのである。136其(そ)の時(とき)王子(わうじ)の栗山(くりやま)のおことハンが綾部(あやべ)へ参(まゐ)つて来(き)たので、137帰(かへ)りがけに手紙(てがみ)を書(か)いて、138亀岡(かめをか)の古世(こせ)の岩崎(いはさき)といふ伯母(をば)の内(うち)へ言(こと)づて、139穴太(あなを)が焼(や)け相(さう)なから気(き)をつけて貰(もら)ひたいというてやつた。140伯母(をば)は一(いち)日(にち)二日(ふつか)グヅグヅしてゐる内(うち)に穴太(あなを)が焼(や)け、141穴太(あなを)から行(い)つてみると、142喜楽(きらく)の手紙(てがみ)が来(き)てゐるので、143驚(おどろ)いたといふ事(こと)があつた。
144 母(はは)及(および)弟妹(きやうだい)は二三(にさん)年(ねん)綾部(あやべ)に来(き)て居(ゐ)たが、145余(あま)り元(もと)の役員(やくゐん)の反対(はんたい)がきつく、146小松林(こまつばやし)の親(おや)ぢやというて虐待(ぎやくたい)をされ、147しまひには役員(やくゐん)に蹴(け)り倒(たふ)されて息(いき)が止(と)まり、148折(をり)よく西田(にしだ)が帰(かへ)つて来(き)て介抱(かいほう)して、149息(いき)を吹(ふ)き返(かへ)したといふやうな塩梅(あんばい)で、150母(はは)は大変(たいへん)に怒(おこ)つて、151一生(いつしやう)綾部(あやべ)の方(はう)向(む)いて小便(せうべん)もこかぬと云(い)つて、152明治(めいぢ)卅五(さんじふご)年(ねん)の秋(あき)一先(ひとま)づ園部(そのべ)まで引上(ひきあ)げ、153それから卅六(さんじふろく)年(ねん)には、154元(もと)の穴太(あなを)へ帰(かへ)つて了(しま)うたのである。
155 併(しか)し其(その)時(とき)の役員(やくゐん)は或(ある)迷信(めいしん)上(じやう)から行(や)つたことで、156決(けつ)して悪(わる)い事(こと)とは夢(ゆめ)にも思(おも)うてゐなかつたのである。157御(お)道(みち)の為(ため)世界(せかい)の為(ため)になることだと固(かた)く信(しん)じて、158喜楽(きらく)の母(はは)の横腹(よこばら)まで蹴(け)つて気絶(きぜつ)さすやうな目(め)に会(あ)はし得々(とくとく)として居(ゐ)たのであつた。159実(じつ)に迷信(めいしん)程(ほど)恐(おそろ)しいものはないのである。
160(大正一一・一〇・一八 旧八・二八 松村真澄録)
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