霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第二三章 狐狸(こり)々々(こり)〔一〇六〇〕

インフォメーション
著者: 巻: 篇: よみ(新仮名遣い):
章: よみ(新仮名遣い): 通し章番号:
口述日: 口述場所: 筆録者: 校正日: 校正場所: 初版発行日:
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一部の章はAIによって要約を作成しています。[×閉じる]: 主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日: 文字数: OBC :rm3823
愛善世界社版: 八幡書店版: 修補版: 校定版: 普及版: 初版: ページ備考:
001 明治(めいぢ)卅八(さんじふはち)年(ねん)の八(はち)月(ぐわつ)、002西田(にしだ)元教(げんけう)は種々(いろいろ)と艱難(かんなん)辛苦(しんく)して山城(やましろ)の宇治(うぢ)で数十(すうじふ)人(にん)の信徒(しんと)をこしらへ、003茨木(いばらき)清次郎(せいじらう)と云(い)ふ人(ひと)の座敷(ざしき)を借(か)つて盛(さか)んに布教(ふけう)をやつて居(ゐ)たが、004あまりの多忙(たばう)に一度(いちど)応援(おうゑん)に来(き)て呉(く)れと云(い)ふ端書(はがき)を寄越(よこ)したので、005自分(じぶん)はソツと綾部(あやべ)を未明(みめい)に飛(と)び出(だ)し、006鞄(かばん)をさげて須知山(しゆちやま)峠(たうげ)を登(のぼ)つた頃(ころ)、007太陽(たいやう)が昇(のぼ)られた。008それから一生(いつしやう)懸命(けんめい)に榎木峠(えのきたうげ)、009観音峠(くわんおんたうげ)を越(こ)え、010園部(そのべ)の支部(しぶ)へ一寸(ちよつと)立(た)ち寄(よ)り才(さい)幸太郎(かうたらう)と云(い)ふ信者(しんじや)を荷持(にも)ちとし、011徒歩(とほ)にて亀岡(かめをか)、012王子(わうじ)を越(こ)え沓掛(くつかけ)から道(みち)を右(みぎ)にとつて伏見(ふしみ)に着(つ)いた時(とき)は、013已(すで)に太陽(たいやう)は西(にし)の山(やま)の上(うへ)一二間(いちにけん)ばかりの処(ところ)にあつた。014伏見(ふしみ)の安田(やすだ)庄太郎(しやうたらう)と云(い)ふ信者(しんじや)の家(うち)に立寄(たちよ)つて見(み)た処(ところ)、015瓦屋(かはらや)で今(いま)竈(かま)へ火(ひ)を入(い)れて居(を)る最中(さいちう)、016ユツクリ話(はなし)も出来(でき)ずして居(ゐ)ると、017中村(なかむら)の股肱(ここう)となつてゐる男(をとこ)の事(こと)とて、
018安田(やすだ)『海潮(かいてう)ハン、019何(なん)で綾部(あやべ)に居(を)りなさらぬ。020又(また)しても病気(びやうき)が起(おこ)りましたか。021海潮(かいてう)のする事(こと)は何(なに)も彼(か)も後戻(あともど)りばかりぢやと教祖(けうそ)さまは仰有(おつしや)るのに又(また)行(ゆ)くのですか。022さあ帰(かへ)りなされ、023それとも今(いま)竈(かま)へ火(ひ)を入(い)れて居(ゐ)る最中(さいちう)ですから話(はな)しも出来(でき)ませぬ、024今夜(こんや)泊(とま)つて下(くだ)さい。025又(また)後(あと)で話(はなし)をしますから………』
026と云(い)ふ。
027『これはまだ目(め)が醒(さ)めぬのか、028愚図(ぐづ)々々(ぐづ)しては大変(たいへん)………』
029と幸太郎(かうたろう)を促(うなが)して早々(さうさう)に立別(たちわか)れ、030伏見(ふしみ)の豊後橋(ぶんごばし)を渡(わた)つて宇治川(うぢがは)の長(なが)い土手(どて)を遡(さかのぼ)り、031綾部(あやべ)から二十四五(にじふしご)里(り)の道(みち)を漸(やうや)く夜(よる)の八(はち)時(じ)頃(ごろ)茨木(いばらき)の宅(たく)へついた。032行(い)つて見(み)れば人(ひと)が一杯(いつぱい)詰(つま)つて居(ゐ)る。033南郷(なんがう)国松(くにまつ)、034茨木(いばらき)清次郎(せいじらう)、035岡田(をかだ)熊次郎(くまじらう)、036長谷川(はせがは)仙吉(せんきち)、037其(その)外(ほか)七八(しちはち)人(にん)の世話方(せわかた)が出来(でき)て大変(たいへん)な勢(いきほひ)で月例祭(つきなみさい)をやつてる処(ところ)だつた。038家(いへ)の内(うち)にも外(そと)にも参詣者(さんけいしや)が一杯(いつぱい)詰(つま)つてゐる。039海潮(かいてう)が見(み)えたと云(い)ふので沢山(たくさん)の信者(しんじや)が涙(なみだ)を流(なが)して喜(よろこ)んでゐた。040それから自分(じぶん)は綾部(あやべ)の者(もの)には少(すこ)しも知(し)らさず、041清次郎(せいじろう)の家(うち)で布教(ふけう)宣伝(せんでん)をやつて居(ゐ)ると、042毎日(まいにち)五六十(ごろくじふ)人(にん)から百(ひやく)人(にん)位(くらゐ)の参詣者(さんけいしや)が出(で)て来(き)て、043いろいろの病人(びやうにん)がお神徳(かげ)を頂(いただ)いて帰(かへ)るので宇治(うぢ)の町(まち)は坊主(ばうず)と医者(いしや)を除(のぞ)く外(ほか)、044全部(ぜんぶ)信者(しんじや)になつて了(しま)つた。045そして近村(きんそん)からも三四(さんよ)里(り)の処(ところ)から日々(にちにち)参拝(さんぱい)する非常(ひじやう)な盛況(せいきやう)である。046宇津(うつ)の小西(こにし)松元(しようげん)の広間(ひろま)が気(き)にかかつて居(ゐ)るので、047一生(いつしやう)小西(こにし)の処(ところ)へ行(ゆ)かぬと云(い)ふた西田(にしだ)元教(げんけう)を無理(むり)に勧(すす)めて、048視察(しさつ)の為(た)めに才(さい)幸太郎(かうたろう)と共(とも)に使(つかひ)にやつた。049さうすると松元(しようげん)は自分(じぶん)の宅(たく)が狭(せま)いので産土(うぶすな)の八幡(はちまん)神社(じんじや)の広(ひろ)い社務所(しやむしよ)を借(か)つて、050そこで神(かみ)様(さま)を祭(まつ)り大変(たいへん)な勢(いきほひ)で布教(ふけう)宣伝(せんでん)をやつて居(を)つた。051さうして西田(にしだ)が来(き)たのを見(み)て小西(こにし)は、
052小西(こにし)『よう珍(めづら)しい、053能(よ)う忘(わす)れずに来(こ)られましたな』
054と横柄(わうへい)に云(い)ふて居(ゐ)る。055さうした処(ところ)が小西(こにし)の神懸(かむがかり)[※初版・愛世版では「神懸」、校定版では「神がかり」。]の様子(やうす)が大変(たいへん)に怪(あや)しいので一寸(ちよつと)影(かげ)から審神者(さには)をして見(み)ると、056何(なん)でも狸(たぬき)が憑依(ひようい)してる様(やう)なので押戸(おしど)を開(あ)けて見(み)ると、057手(て)のとれた古(ふる)い仏(ほとけ)さまが五(いつ)つ六(む)つ無雑作(むざふさ)に突(つ)つ込(こ)んである。058そこで西田(にしだ)が、
059西田(にしだ)『小西(こにし)サン、060こんな虫(むし)の喰(く)た仏像(ぶつざう)は川(かは)へ流(なが)したら如何(どう)だ。061此奴(こいつ)あ屹度(きつと)狸(たぬき)が守護(しゆご)してゐるから、062其奴(そいつ)がお前(まへ)に憑(うつ)つて居(ゐ)るのでお前(まへ)の神懸(かむがかり)[※初版・愛世版では「神懸」、校定版では「神がかり」。]が可笑(おか)しうなつて、063一寸(ちよつと)もあはぬ様(やう)になつたのだ』
064と云(い)ふと、065小西(こにし)が大変(たいへん)に怒(おこ)つて、
066小西(こにし)『馬鹿(ばか)の事(こと)云(い)ふな。067お前(まへ)は海潮(かいてう)の狐(きつね)の尾先(をさき)に使(つか)はれて来(き)たのだらう』
068と悪口(あくこう)をつき、069大勢(おほぜい)の信者(しんじや)の前(まへ)で散々(さんざん)に罵倒(ばたう)するので西田(にしだ)は立腹(りつぷく)し、070そこを立出(たちい)で宮村(みやむら)へまはり、071芹生峠(せりふたうげ)を越(こ)えて貴船(きぶね)神社(じんじや)を右(みぎ)に見(み)乍(なが)ら、072京都(きやうと)を横断(わうだん)して漸(やうや)く宇治(うぢ)へ帰(かへ)つて来(き)てブツブツ小言(こごと)を云(い)つて居(ゐ)た。073さうすると翌日(よくじつ)になると、074西田(にしだ)が真青(まつさを)な顔(かほ)になりブルブル慄(ふる)ひ出(だ)した。075よくよく調(しら)べて見(み)ると瘧(おこり)を起(おこ)して居(ゐ)るのである。076そこで海潮(かいてう)が審神(さには)すると、077西田(にしだ)が口(くち)を切(き)つて、
078『俺(おれ)は宇津(うつ)の八幡(はちまん)様(さま)の社務所(ながとこ)に居(ゐ)る仏像(ぶつざう)を守護(しゆご)して居(ゐ)る狸(たぬき)だ。079俺(おれ)の大切(たいせつ)な御(ご)本尊(ほんぞん)を川(かは)へ流(なが)せと吐(ぬか)しやがつたから、080此奴(こやつ)の生命(いのち)を取(と)らにやおかぬ』
081と意地(いぢ)張(ば)つて益々(ますます)身体(からだ)を苦(くるし)めるので、082摺鉢(すりばち)を西田(にしだ)の頭(あたま)に着(き)せ、083其(その)上(うへ)に艾(もぐさ)を一掴(ひとつか)み乗(の)せて灸(やいと)を据(す)えると『熱(あつ)い、084苦(くるし)い』と云(い)ひ出(だ)し到頭(たうとう)落(お)ちて了(しま)つた。085それから其(その)翌日(よくじつ)は何(なん)ともなかつたが、086三日目(みつかめ)の同(おな)じ時刻(じこく)になると西田(にしだ)が、
087西田(にしだ)『又(また)来(き)やがつた。088何(なに)糞(くそ)ツ』
089と気張(きば)つてゐる。090されど狸(たぬき)の憑霊(ひようれい)は猛烈(まうれつ)な勢(いきほひ)で襲(おそ)ひ来(きた)り、091又(また)瘧(おこり)を慄(ふる)はせて苦(くるし)めて居(ゐ)る。092自分(じぶん)は今度(こんど)は西田(にしだ)の頭(あたま)に濡(ぬ)れた手拭(てぬぐひ)を着(き)せ其(その)上(うへ)に摺鉢(すりばち)を乗(の)せて、093百匁(ひやくめ)ばかりの艾(もぐさ)をつけて扇(あふぎ)で煽(あふ)ぎ乍(なが)ら鎮魂(ちんこん)して居(ゐ)ると、094ヤツとの事(こと)で落(お)ちた。095それから二三遍(にさんぺん)チヨコチヨコやつて来(き)たが到頭(たうとう)退散(たいさん)して了(しま)ひ、096西田(にしだ)は元(もと)の通(とほ)り元気(げんき)になつて布教(ふけう)に従事(じうじ)して居(ゐ)た。
097 話(はなし)は後(あと)へ戻(もど)るが、098西田(にしだ)の手紙(てがみ)を見(み)て綾部(あやべ)を立(た)つて園部(そのべ)の支部(しぶ)へ立寄(たちよ)り、099それから小山(こやま)の田井(たゐ)儀兵(ぎへい)の宅(うち)に一寸(ちよつと)一服(いつぷく)してゐると、100東(ひがし)から園部(そのべ)へ這入(はい)つて来(き)た汽車(きしや)の汽笛(きてき)の声(こゑ)が、101何(なん)とはなしに驚(おどろ)きと悲(かな)しみとを含(ふく)んでをるので、102海潮(かいてう)は田井(たゐ)儀兵(ぎへい)に向(むか)つて、
103海潮(かいてう)『あの汽笛(きてき)の声(こゑ)は誰(たれ)か轢死(れきし)したに違(ちがひ)ない』
104といふと、
105田井(たゐ)『如何(いか)にも何時(いつ)もとは違(ちが)ふ、106烈(はげ)しい声(こゑ)ですな』
107と外(そと)を覗(のぞ)くと野良(のら)に居(ゐ)た沢山(たくさん)の人(ひと)が一生(いつしやう)懸命(けんめい)に鉄道(てつだう)へ駆(か)けつける。108自分(じぶん)も宇治(うぢ)へ行(ゆ)く道(みち)だから、109此処(ここ)でユツクリして居(を)れぬと鉄道(てつだう)の側(そば)へ行(い)つて見(み)ると、110小(ちひ)さい青(あを)い顔(かほ)した男(をとこ)が胴(どう)から二(ふた)つになつて五六間(ごろくけん)ばかり引(ひ)きずられて真青(まつさを)な顔(かほ)して死(し)んで居(ゐ)る。111西田(にしだ)が自分(じぶん)を迎(むか)へに来(き)て轢(し)かれて死(し)んだのではないかと思(おも)ふ位(くらゐ)、112其(その)顔(かほ)がよく似(に)て居(ゐ)たので側(そば)へ寄(よ)り、113よくよく見(み)れば、114さうではなかつた。115其(その)間(あひだ)に巡査(じゆんさ)が来(き)たりいろいろして調(しら)べて居(ゐ)た。116轢(し)かれた処(ところ)の砂(すな)の上(うへ)に新庄村(しんしやうむら)の何某(なにぼう)と木(き)の先(さき)で土(つち)に書(か)いてあつた。117後(あと)にて聞(き)けば此(この)男(をとこ)は僅(たつ)た一(いち)円(ゑん)五十銭(ごじつせん)の主人(しゆじん)の金(かね)を使(つか)ひ過(す)ごし、118それを園部(そのべ)の親類(しんるゐ)へ借(か)りに来(き)て拒絶(きよぜつ)せられ轢死(れきし)したと云(い)ふ事(こと)を新聞(しんぶん)で知(し)つた。119さて才(さい)幸太郎(かうたろう)の顔(かほ)が俄(にはか)に其(その)轢死(れきし)した男(をとこ)に見(み)え出(だ)し気分(きぶん)が悪(わる)くて仕方(しかた)がないのを無理(むり)に宇治(うぢ)迄(まで)荷(に)を持(も)たして居(ゐ)たのである。120才(さい)幸太郎(かうたろう)は時々(ときどき)瘧(おこり)を又(また)慄(ふる)ひ出(だ)し、121審神(さには)して見(み)ると、
122才(さい)『俺(おれ)は小山(こやま)の軋道(レール)の上(うへ)で轢死(れきし)した男(をとこ)だ。123一番先(いちばんさき)にお前(まへ)が俺(おれ)の顔(かほ)を見(み)たので憑(つ)いたのだ』
124と云(い)ふ。125それから又(また)摺鉢(すりばち)の灸(やいと)で、126やつとの事(こと)で全快(ぜんくわい)させ園部(そのべ)へ帰(かへ)した。127さうこうして居(ゐ)ると、128伏見(ふしみ)の安田(やすだ)から聞(き)いたと見(み)えて三牧(みまき)次三郎(じさぶらう)と云(い)ふ中村(なかむら)の乾児(こぶん)が宇治(うぢ)へやつて来(き)て、129南郷(なんがう)国松(くにまつ)や長谷川(はせがは)仙吉(せんきち)其(その)外(ほか)の役員(やくゐん)に種々(いろいろ)雑多(ざつた)の海潮(かいてう)や西田(にしだ)の悪(わる)い事(こと)を云(い)ひ、
130三牧(みまき)『艮(うしとら)の金神(こんじん)様(さま)に敵(てき)とうて来(き)た奴(やつ)だから相手(あひて)になるな』
131と云(い)ひ出(だ)し、132到頭(たうとう)卅九(さんじふく)年(ねん)の一(いち)月(ぐわつ)元日(ぐわんじつ)の朝(あさ)大勢(おほぜい)寄(よ)つて自分(じぶん)を放(ほ)り出(だ)して了(しま)つた。133自分(じぶん)は一文(いちもん)も旅費(りよひ)なしに小山(こやま)の田井(たゐ)氏(し)の宅(うち)迄(まで)帰(かへ)つて来(く)ると沢山(たくさん)の信者(しんじや)がよつて来(き)て泣(な)いて喜(よろこ)び四五(しご)円(ゑん)ばかりの小遣(こづか)ひを呉(く)れた。134それを以(もつ)て久(ひさ)し振(ぶ)りに綾部(あやべ)へ帰(かへ)つて来(き)た。135それから西田(にしだ)は其(その)月(つき)の十五(じふご)日(にち)に三牧(みまき)次三郎(じさぶらう)や南郷(なんがう)其(そ)の他(た)の者(もの)の計略(けいりやく)にかかつて荷物(にもつ)一切(いつさい)を取(と)られた上(うへ)、136放(ほ)り出(だ)されてお雪(ゆき)と夫婦(ふうふ)連(づ)れ伏見(ふしみ)へ行(ゆ)き、137お雪(ゆき)は或(ある)撚糸(ねんし)の工場(こうば)へ女工(ぢよこう)になつて這入(はい)り、138西田(にしだ)は按摩(あんま)を稽古(けいこ)して、139商売(しやうばい)片手(かたて)に伏見(ふしみ)地方(ちはう)に布教(ふけう)して居(ゐ)たが、140四十二(しじふに)年(ねん)に自分(じぶん)が綾部(あやべ)へ帰(かへ)つて大広前(おほひろまへ)を建(た)てたりお宮(みや)を建(た)てる様(やう)になつてから、141ソロソロ綾部(あやべ)へ帰(かへ)つて来(き)て、142頻(しき)りに宣伝(せんでん)する事(こと)となつたのである。
143 これより先(さき)、144西田(にしだ)と三牧(みまき)は宇治(うぢ)の橋熊(はしぐま)と云(い)ふ顔役(かほやく)に頼(たの)まれて其(その)乾児(こぶん)等(ら)の家(うち)の祖霊祭(みたままつり)を夜(よる)になると頻(しき)りにやつてゐた。145さうした処(ところ)が其(その)祖霊箱(みたまばこ)が時々(ときどき)躍(をど)り出(だ)し、146お供物(そなへもの)をすると魚(さかな)のお供(そなへ)の方(はう)へカタツと音(おと)をさしては向(む)き直(なほ)つたり、147階段(かいだん)を下(お)りたりするので、148霊(れい)と云(い)ふものは偉(えら)いものだ。149本当(ほんたう)に西田(にしだ)サンや三牧(みまき)サンは偉(えら)いと云(い)ふ評判(へうばん)になり、150何処(どこ)もかも競(きそ)ふて祖霊祭(みたままつり)を頼(たの)んでゐた。151橋熊(はしぐま)は親分(おやぶん)の事(こと)とて自分(じぶん)の宅(うち)だけは海潮(かいてう)にして貰(もら)ひ度(た)いと云(い)つて特別(とくべつ)に頼(たの)みに来(き)たので、152自分(じぶん)が行(い)つて祖霊祭(みたままつり)をすませ、153一服(いつぷく)をして居(ゐ)ると橋熊(はしぐま)が妙(めう)な顔(かほ)をして、
154橋熊(はしぐま)『もし先生(せんせい)、155宅(うち)の祖霊(みたま)さまはまだ納(をさ)まらぬのですか、156他家(よそ)の祖霊(みたま)さまは皆(みな)動(うご)くのに、157何故(なぜ)宅(うち)丈(だけ)は動(うご)きませぬ。158貴方(あなた)は先生(せんせい)であり乍(なが)ら霊(れい)が利(き)かぬのですか』
159と不足(ふそく)相(さう)に云(い)ふので、160狸(たぬき)が這入(はい)つて動(うご)くのだと明(あ)かす訳(わけ)にも行(ゆ)かず、
161喜楽(きらく)『私(わたし)は祖霊祭(みたままつり)は今日(けふ)が初(はじ)めてだから勝手(かつて)を知(し)りませぬ、162三牧(みまき)さんが上手(じやうづ)ですからして貰(もら)ひなさい』
163と体(てい)よく云(い)ふた。164さうすると今度(こんど)は、165三牧(みまき)を頼(たの)んで祖霊祭(みたままつり)を改(あらた)めてやつた所(ところ)が、166大変(たいへん)に箱(はこ)が動(うご)き出(だ)したので、167三牧(みまき)の信用(しんよう)が高(たか)まり、168西田(にしだ)がやつても自分(じぶん)がやつてもチツとも動(うご)かぬので到頭(たうとう)迷信家(めいしんか)の信用(しんよう)を失(うしな)ひ、169自分(じぶん)は真先(まつさき)に放(ほ)り出(だ)され、170西田(にしだ)も次(つい)で追(お)ひ払(はら)はれて了(しま)ふたのである。171綴喜郡(つづきぐん)の郷(がう)の口(くち)の浅田(あさだ)安治(やすぢ)といふ酒造屋(しゆざうや)の妹(いもうと)に、172お鶴(つる)と云(い)ふ癲疳(てんかん)病者(やみ)があつた。173其(その)女(をんな)の病気(びやうき)を癒(なほ)して呉(く)れと云(い)つて頼(たの)みに来(き)たので、174遥々(はるばる)と郷(ごう)の口(くち)へ行(い)つて鎮魂(ちんこん)した処(ところ)、175一月(ひとつき)ばかり癲疳(てんかん)は止(と)まつて居(ゐ)た。176さうした処(ところ)酒倉(さかぐら)の中(なか)で又(また)もや癲疳(てんかん)が起(おこ)つたのでソロソロ海潮(かいてう)の信用(しんよう)が薄(うす)くなつた処(ところ)へ、177其(その)村(むら)で廿才(はたち)位(くらゐ)の娘(むすめ)で永(なが)らく足(あし)の起(た)たぬ病人(びやうにん)があつた。178自分(じぶん)は再(ふたた)び宇治(うぢ)へ帰(かへ)つて南郷(なんがう)の宅(たく)に居(ゐ)て布教(ふけう)してゐると、179又(また)頼(たの)みに来(き)たので今度(こんど)は三牧(みまき)と小竹(こたけ)が鎮魂(ちんこん)に行(い)つた。180さうすると其(その)娘(むすめ)が、
181『俺(おれ)は三年前(さんねんまへ)に死(し)んだ此処(ここ)の婆(ばば)アぢやが村中(むらぢう)の誰(たれ)彼(かれ)に内所(ないしよ)で金(かね)を何程(なんぼ)何程(なんぼ)貸(か)した』
182と誠(まこと)しやかに喋(しやべ)り立(た)てるので、183合(あは)して見(み)ると千(せん)円(ゑん)ばかりの金(かね)だから、184病人(びやうにん)の兄(あに)が、
185『家(うち)の婆(ば)アサンの霊(れい)がお前(まへ)の処(ところ)へ金(かね)を貸(か)したと云(い)ふが返(かへ)して呉(く)れ』
186と其処(そこ)ら中(ぢう)へ歩(ある)いたので、187村中(むらぢう)の大騒動(だいさうどう)となり、
188『一体(いつたい)誰(たれ)がそんな事(こと)云(い)ふたか』
189と調(しら)べて見(み)ると、190三牧(みまき)が鎮魂(ちんこん)して其(その)娘(むすめ)が喋(しやべ)り出(だ)し、191小竹(こたけ)と云(い)ふ男(をとこ)と二人(ふたり)がついて居(ゐ)ると云(い)ふので、192巡査(じゆんさ)がやつて来(き)たり色々(いろいろ)と悶錯(もんさく)が初(はじ)まつた。193そこで郷(がう)の口(くち)から自分(じぶん)を呼(よ)びに来(き)たので行(い)つて見(み)ると、194其(その)娘(むすめ)は頻(しき)りに婆(ば)アサンの声色(こわいろ)を使(つか)ふて、195『如何(どう)しても金(かね)を貸(か)した』と意地張(いぢば)つてゐる。196それから三牧(みまき)と小竹(こたけ)を宇治(うぢ)へ帰(かへ)し、197自分(じぶん)が一晩(ひとばん)泊(とま)つて様子(やうす)を考(かんが)へた処(ところ)が、198非常(ひじやう)に怪(あや)しいので刀(かたな)を一本(いつぽん)主人(しゆじん)から貸(か)して貰(もら)ふて祝詞(のりと)をあげ乍(なが)ら空(くう)を切(き)つて見(み)ると箪笥(たんす)の横(よこ)から昼(ひる)の真中(まなか)に七匹(しちひき)の豆狸(まめだぬき)が飛(と)び出(だ)した。199それと共(とも)に其(その)娘(むすめ)は病気(びやうき)が癒(なほ)つて了(しま)つた。200さうすると海潮(かいてう)にお礼(れい)を云(い)ふ所(どころ)か、
201『お前(まへ)サンは三牧(みまき)の様(やう)な弟子(でし)を使(つか)ふて宅(うち)の娘(むすめ)に狸(たぬき)を憑(つ)けて、202こんな村中(むらぢう)の騒動(さうだう)をさしたのだらう』
203と反対(はんたい)に理屈(りくつ)を云(い)ひ、
204『ど狸(たぬき)奴(め)が、205早(はや)うかへれ』
206と呶鳴(どな)りつけられるので到頭(たうとう)狸憑(たぬきつ)けにしられて了(しま)ひ怨(うら)みを呑(の)んで宇治(うぢ)まで帰(かへ)つて来(き)た。207さうすると、208南郷(なんがう)や長谷川(はせがは)が三牧(みまき)と一(ひと)つになつて、209三十九(さんじふく)年(ねん)の正(しやう)月(ぐわつ)元日(ぐわんじつ)に朝(あさ)つぱらから自分(じぶん)を放(ほ)り出(だ)す事(こと)となつたのである。210霊界(れいかい)の事(こと)の分(わか)らぬ連中(れんちう)になると困(こま)つたもので、211訳(わけ)を云(い)へば云(い)ふ程(ほど)益々(ますます)疑(うたが)ふて始末(しまつ)におへぬものである。212それから自分(じぶん)も病人(びやうにん)の鎮魂(ちんこん)がサツパリ嫌(いや)になり、213神懸(かむがかり)の修行(しうぎやう)も断念(だんねん)して了(しま)ふた。214が大正(たいしやう)五(ご)年(ねん)に横須賀(よこすか)の浅野(あさの)サンの宅(たく)へ行(い)つた時(とき)、215参考(さんかう)のために又(また)もや幽斎(いうさい)の修行(しうぎやう)をして見(み)せたのが元(もと)となつて浅野(あさの)サンが霊学(れいがく)を熱心(ねつしん)に研究(けんきう)し始(はじ)める事(こと)となつたのである。
216(大正一一・一〇・一八 旧八・二八 北村隆光録)
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