霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
×
設定
印刷用画面を開く [?]プリント専用のシンプルな画面が開きます。文章の途中から印刷したい場合は、文頭にしたい位置のアンカーをクリックしてから開いて下さい。[×閉じる]
話者名の追加表示 [?]セリフの前に話者名が記していない場合、誰がしゃべっているセリフなのか分からなくなってしまう場合があります。底本にはありませんが、話者名を追加して表示します。[×閉じる]
表示できる章
テキストのタイプ [?]ルビを表示させたまま文字列を選択してコピー&ペーストすると、ブラウザによってはルビも一緒にコピーされてしまい、ブログ等に引用するのに手間がかかります。そんな時には「コピー用のテキスト」に変更して下さい。ルビも脚注もない、ベタなテキストが表示され、きれいにコピーできます。[×閉じる]

文字サイズ
ルビの表示


アンカーの表示 [?]本文中に挿入している3~4桁の数字がアンカーです。原則として句読点ごとに付けており、標準設定では本文の左端に表示させています。クリックするとその位置から表示されます(URLの#の後ろに付ける場合は数字の頭に「a」を付けて下さい)。長いテキストをスクロールさせながら読んでいると、どこまで読んだのか分からなくなってしまう時がありますが、読んでいる位置を知るための目安にして下さい。目障りな場合は「表示しない」設定にして下さい。[×閉じる]


宣伝歌 [?]宣伝歌など七五調の歌は、底本ではたいてい二段組でレイアウトされています。しかしブラウザで読む場合には、二段組だと読みづらいので、標準設定では一段組に変更して(ただし二段目は分かるように一文字下げて)表示しています。お好みよって二段組に変更して下さい。[×閉じる]
脚注[※]用語解説 [?][※]、[*]、[#]で括られている文字は当サイトで独自に付けた脚注です。[※]は主に用語説明、[*]は編集用の脚注で、表示させたり消したりできます。[#]は重要な注記なので表示を消すことは出来ません。[×閉じる]

脚注[*]編集用 [?][※]、[*]、[#]で括られている文字は当サイトで独自に付けた脚注です。[※]は主に用語説明、[*]は編集用の脚注で、表示させたり消したりできます。[#]は重要な注記なので表示を消すことは出来ません。[×閉じる]

外字の外周色 [?]一般のフォントに存在しない文字は専用の外字フォントを使用しています。目立つようにその文字の外周の色を変えます。[×閉じる]
現在のページには外字は使われていません

表示がおかしくなったらリロードしたり、クッキーを削除してみて下さい。
【新着情報】サイトをリニューアルしました。不具合がある場合は従来バージョンをお使い下さい| サブスクのお知らせ

第二三章 狐狸(こり)々々(こり)〔一〇六〇〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第38巻 舎身活躍 丑の巻 篇:第5篇 正信妄信 よみ(新仮名遣い):せいしんぼうしん
章:第23章 狐狸狐狸 よみ(新仮名遣い):こりこり 通し章番号:1060
口述日:1922(大正11)年10月18日(旧08月28日) 口述場所: 筆録者:北村隆光 校正日: 校正場所: 初版発行日:1924(大正13)年4月3日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじは東京の望月さん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]
明治三八年の夏、西田元教は宇治で数十人の信者をこしらえて布教していたが、あまりの多忙に自分に応援を頼んできた。そこで綾部を未明に飛び出して来た。
宇治にきてみると、家の内にも外にも参詣者がいっぱい詰まっている。海潮が来たというので、たくさんの信者が涙を流して喜んでいた。またいろいろの病人がご神徳をいただいて帰るので、宇治の町は坊主と医者以外は全部信者になってしまった。
小西の広間が心配になったので、西田と才幸太郎を視察に遣わした。小西の広間は繁盛していたが、神がかりがおかしいので、西田が調べると、押戸に手のとれた古い仏像が五六個並んでいる。
西田は、これは狸が守護しているから川に捨てろと小西に勧めてまた喧嘩になり、西田は宇治に戻ってきた。すると西田が瘧で苦しみだした。海潮が審神すると西田は口を切り、自分は仏像を守護していた狸で、西田が仏像を川へ流せというから命を取るのだ、と意地を張る。
そこで西田の頭にすり鉢を載せて灸をすえると、落ちてしまった。また三日目になると猛烈に襲ってきた。鎮魂してまた退散させる。二三度繰り返すととうとう退散してしまい、西田は元通り元気になった。
そうこうするうちに、三牧次三郎という中村派の男が内へやってきて、役員にいろいろ海潮や西田の悪口を言い、自分と西田を放り出してしまった。
西田は中村派の計略にかかって荷物一切を取られて放り出されたので、夫婦で伏見に行った。妻のお雪は撚糸工場で働き、西田は按摩を稽古して商売がてら伏見地方を布教していた。
明治四十二年に海潮が綾部に帰って大広前を建てたりお宮を建てるようになってから、綾部に戻って宣伝をするようになったのであった。
三牧ら中村派は、狸の憑霊を利用したりして迷信家の信用を得て、自分たちを放り出すことに成功したのであった。それから自分も病人の鎮魂がさっぱり嫌になり、神懸の修業も断念してしまった。
大正五年に横須賀の浅野さんの宅に行ったとき、参考のために幽斎の修業をして見せたのが元になって、浅野さんが熱心に霊学を研究し始めることになったのである。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる] 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2022-11-11 09:41:37 OBC :rm3823
愛善世界社版:242頁 八幡書店版:第7輯 250頁 修補版: 校定版:247頁 普及版:129頁 初版: ページ備考:
001 明治(めいぢ)卅八(さんじふはち)(ねん)(はち)(ぐわつ)002西田(にしだ)元教(げんけう)種々(いろいろ)艱難(かんなん)辛苦(しんく)して山城(やましろ)宇治(うぢ)数十(すうじふ)(にん)信徒(しんと)をこしらへ、003茨木(いばらき)清次郎(せいじらう)()(ひと)座敷(ざしき)()つて(さか)んに布教(ふけう)をやつて()たが、004あまりの多忙(たばう)一度(いちど)応援(おうゑん)()()れと()端書(はがき)寄越(よこ)したので、005自分(じぶん)はソツと綾部(あやべ)未明(みめい)()()し、006(かばん)をさげて須知山(しゆちやま)(たうげ)(のぼ)つた(ころ)007太陽(たいやう)(のぼ)られた。008それから一生(いつしやう)懸命(けんめい)榎木峠(えのきたうげ)009観音峠(くわんおんたうげ)()え、010園部(そのべ)支部(しぶ)一寸(ちよつと)()()(さい)幸太郎(かうたらう)()信者(しんじや)荷持(にも)ちとし、011徒歩(とほ)にて亀岡(かめをか)012王子(わうじ)()沓掛(くつかけ)から(みち)(みぎ)にとつて伏見(ふしみ)()いた(とき)は、013(すで)太陽(たいやう)西(にし)(やま)(うへ)一二間(いちにけん)ばかりの(ところ)にあつた。014伏見(ふしみ)安田(やすだ)庄太郎(しやうたらう)()信者(しんじや)(うち)立寄(たちよ)つて()(ところ)015瓦屋(かはらや)(いま)(かま)()()れて()最中(さいちう)016ユツクリ(はなし)出来(でき)ずして()ると、017中村(なかむら)股肱(ここう)となつてゐる(をとこ)(こと)とて、
018安田(やすだ)海潮(かいてう)ハン、019(なん)綾部(あやべ)()りなさらぬ。020(また)しても病気(びやうき)(おこ)りましたか。021海潮(かいてう)のする(こと)(なに)()後戻(あともど)りばかりぢやと教祖(けうそ)さまは仰有(おつしや)るのに(また)()くのですか。022さあ(かへ)りなされ、023それとも(いま)(かま)()()れて()最中(さいちう)ですから(はな)しも出来(でき)ませぬ、024今夜(こんや)(とま)つて(くだ)さい。025(また)(あと)(はなし)をしますから………』
026()ふ。
027『これはまだ()()めぬのか、028愚図(ぐづ)々々(ぐづ)しては大変(たいへん)………』
029幸太郎(かうたろう)(うなが)して早々(さうさう)立別(たちわか)れ、030伏見(ふしみ)豊後橋(ぶんごばし)(わた)つて宇治川(うぢがは)(なが)土手(どて)(さかのぼ)り、031綾部(あやべ)から二十四五(にじふしご)()(みち)(やうや)(よる)(はち)()(ごろ)茨木(いばらき)(たく)へついた。032()つて()れば(ひと)一杯(いつぱい)(つま)つて()る。033南郷(なんがう)国松(くにまつ)034茨木(いばらき)清次郎(せいじらう)035岡田(をかだ)熊次郎(くまじらう)036長谷川(はせがは)仙吉(せんきち)037(その)(ほか)七八(しちはち)(にん)世話方(せわかた)出来(でき)大変(たいへん)(いきほひ)月例祭(つきなみさい)をやつてる(ところ)だつた。038(いへ)(うち)にも(そと)にも参詣者(さんけいしや)一杯(いつぱい)(つま)つてゐる。039海潮(かいてう)()えたと()ふので沢山(たくさん)信者(しんじや)(なみだ)(なが)して(よろこ)んでゐた。040それから自分(じぶん)綾部(あやべ)(もの)には(すこ)しも()らさず、041清次郎(せいじろう)(うち)布教(ふけう)宣伝(せんでん)をやつて()ると、042毎日(まいにち)五六十(ごろくじふ)(にん)から(ひやく)(にん)(くらゐ)参詣者(さんけいしや)()()て、043いろいろの病人(びやうにん)がお神徳(かげ)(いただ)いて(かへ)るので宇治(うぢ)(まち)坊主(ばうず)医者(いしや)(のぞ)(ほか)044全部(ぜんぶ)信者(しんじや)になつて(しま)つた。045そして近村(きんそん)からも三四(さんよ)()(ところ)から日々(にちにち)参拝(さんぱい)する非常(ひじやう)盛況(せいきやう)である。046宇津(うつ)小西(こにし)松元(しようげん)広間(ひろま)()にかかつて()るので、047一生(いつしやう)小西(こにし)(ところ)()かぬと()ふた西田(にしだ)元教(げんけう)無理(むり)(すす)めて、048視察(しさつ)()めに(さい)幸太郎(かうたろう)(とも)使(つかひ)にやつた。049さうすると松元(しようげん)自分(じぶん)(たく)(せま)いので産土(うぶすな)八幡(はちまん)神社(じんじや)(ひろ)社務所(しやむしよ)()つて、050そこで(かみ)(さま)(まつ)大変(たいへん)(いきほひ)布教(ふけう)宣伝(せんでん)をやつて()つた。051さうして西田(にしだ)()たのを()小西(こにし)は、
052小西(こにし)『よう(めづら)しい、053()(わす)れずに()られましたな』
054横柄(わうへい)()ふて()る。055さうした(ところ)小西(こにし)神懸(かむがかり)初版・愛世版では「神懸」、校定版では「神がかり」。様子(やうす)大変(たいへん)(あや)しいので一寸(ちよつと)(かげ)から審神者(さには)をして()ると、056(なん)でも(たぬき)憑依(ひようい)してる(やう)なので押戸(おしど)()けて()ると、057()のとれた(ふる)(ほとけ)さまが(いつ)()無雑作(むざふさ)()()んである。058そこで西田(にしだ)が、
059西田(にしだ)小西(こにし)サン、060こんな(むし)()仏像(ぶつざう)(かは)(なが)したら如何(どう)だ。061此奴(こいつ)屹度(きつと)(たぬき)守護(しゆご)してゐるから、062其奴(そいつ)がお(まへ)(うつ)つて()るのでお(まへ)神懸(かむがかり)初版・愛世版では「神懸」、校定版では「神がかり」。可笑(おか)しうなつて、063一寸(ちよつと)もあはぬ(やう)になつたのだ』
064()ふと、065小西(こにし)大変(たいへん)(おこ)つて、
066小西(こにし)馬鹿(ばか)(こと)()ふな。067(まへ)海潮(かいてう)(きつね)尾先(をさき)使(つか)はれて()たのだらう』
068悪口(あくこう)をつき、069大勢(おほぜい)信者(しんじや)(まへ)散々(さんざん)罵倒(ばたう)するので西田(にしだ)立腹(りつぷく)し、070そこを立出(たちい)宮村(みやむら)へまはり、071芹生峠(せりふたうげ)()えて貴船(きぶね)神社(じんじや)(みぎ)()(なが)ら、072京都(きやうと)横断(わうだん)して(やうや)宇治(うぢ)(かへ)つて()てブツブツ小言(こごと)()つて()た。073さうすると翌日(よくじつ)になると、074西田(にしだ)真青(まつさを)(かほ)になりブルブル(ふる)()した。075よくよく調(しら)べて()ると(おこり)(おこ)して()るのである。076そこで海潮(かいてう)審神(さには)すると、077西田(にしだ)(くち)()つて、
078(おれ)宇津(うつ)八幡(はちまん)(さま)社務所(ながとこ)()仏像(ぶつざう)守護(しゆご)して()(たぬき)だ。079(おれ)大切(たいせつ)()本尊(ほんぞん)(かは)(なが)せと(ぬか)しやがつたから、080此奴(こやつ)生命(いのち)()らにやおかぬ』
081意地(いぢ)()つて益々(ますます)身体(からだ)(くるし)めるので、082摺鉢(すりばち)西田(にしだ)(あたま)()せ、083(その)(うへ)(もぐさ)一掴(ひとつか)()せて(やいと)()えると『(あつ)い、084(くるし)い』と()()到頭(たうとう)()ちて(しま)つた。085それから(その)翌日(よくじつ)(なん)ともなかつたが、086三日目(みつかめ)(おな)時刻(じこく)になると西田(にしだ)が、
087西田(にしだ)(また)()やがつた。088(なに)(くそ)ツ』
089気張(きば)つてゐる。090されど(たぬき)憑霊(ひようれい)猛烈(まうれつ)(いきほひ)(おそ)(きた)り、091(また)(おこり)(ふる)はせて(くるし)めて()る。092自分(じぶん)今度(こんど)西田(にしだ)(あたま)()れた手拭(てぬぐひ)()(その)(うへ)摺鉢(すりばち)()せて、093百匁(ひやくめ)ばかりの(もぐさ)をつけて(あふぎ)(あふ)(なが)鎮魂(ちんこん)して()ると、094ヤツとの(こと)()ちた。095それから二三遍(にさんぺん)チヨコチヨコやつて()たが到頭(たうとう)退散(たいさん)して(しま)ひ、096西田(にしだ)(もと)(とほ)元気(げんき)になつて布教(ふけう)従事(じうじ)して()た。
097 (はなし)(あと)(もど)るが、098西田(にしだ)手紙(てがみ)()綾部(あやべ)()つて園部(そのべ)支部(しぶ)立寄(たちよ)り、099それから小山(こやま)田井(たゐ)儀兵(ぎへい)(うち)一寸(ちよつと)一服(いつぷく)してゐると、100(ひがし)から園部(そのべ)這入(はい)つて()汽車(きしや)汽笛(きてき)(こゑ)が、101(なん)とはなしに(おどろ)きと(かな)しみとを(ふく)んでをるので、102海潮(かいてう)田井(たゐ)儀兵(ぎへい)(むか)つて、
103海潮(かいてう)『あの汽笛(きてき)(こゑ)(たれ)轢死(れきし)したに(ちがひ)ない』
104といふと、
105田井(たゐ)如何(いか)にも何時(いつ)もとは(ちが)ふ、106(はげ)しい(こゑ)ですな』
107(そと)(のぞ)くと野良(のら)()沢山(たくさん)(ひと)一生(いつしやう)懸命(けんめい)鉄道(てつだう)()けつける。108自分(じぶん)宇治(うぢ)()(みち)だから、109此処(ここ)でユツクリして()れぬと鉄道(てつだう)(そば)()つて()ると、110(ちひ)さい(あを)(かほ)した(をとこ)(どう)から(ふた)つになつて五六間(ごろくけん)ばかり()きずられて真青(まつさを)(かほ)して()んで()る。111西田(にしだ)自分(じぶん)(むか)へに()()かれて()んだのではないかと(おも)(くらゐ)112(その)(かほ)がよく()()たので(そば)()り、113よくよく()れば、114さうではなかつた。115(その)(あひだ)巡査(じゆんさ)()たりいろいろして調(しら)べて()た。116()かれた(ところ)(すな)(うへ)新庄村(しんしやうむら)何某(なにぼう)()(さき)(つち)()いてあつた。117(あと)にて()けば(この)(をとこ)(たつ)(いち)(ゑん)五十銭(ごじつせん)主人(しゆじん)(かね)使(つか)()ごし、118それを園部(そのべ)親類(しんるゐ)()りに()拒絶(きよぜつ)せられ轢死(れきし)したと()(こと)新聞(しんぶん)()つた。119さて(さい)幸太郎(かうたろう)(かほ)(にはか)(その)轢死(れきし)した(をとこ)()()気分(きぶん)(わる)くて仕方(しかた)がないのを無理(むり)宇治(うぢ)(まで)()()たして()たのである。120(さい)幸太郎(かうたろう)時々(ときどき)(おこり)(また)(ふる)()し、121審神(さには)して()ると、
122(さい)(おれ)小山(こやま)軋道(レール)(うへ)轢死(れきし)した(をとこ)だ。123一番先(いちばんさき)にお(まへ)(おれ)(かほ)()たので()いたのだ』
124()ふ。125それから(また)摺鉢(すりばち)(やいと)で、126やつとの(こと)全快(ぜんくわい)させ園部(そのべ)(かへ)した。127さうこうして()ると、128伏見(ふしみ)安田(やすだ)から()いたと()えて三牧(みまき)次三郎(じさぶらう)()中村(なかむら)乾児(こぶん)宇治(うぢ)へやつて()て、129南郷(なんがう)国松(くにまつ)長谷川(はせがは)仙吉(せんきち)(その)(ほか)役員(やくゐん)種々(いろいろ)雑多(ざつた)海潮(かいてう)西田(にしだ)(わる)(こと)()ひ、
130三牧(みまき)(うしとら)金神(こんじん)(さま)(てき)とうて()(やつ)だから相手(あひて)になるな』
131()()し、132到頭(たうとう)卅九(さんじふく)(ねん)(いち)(ぐわつ)元日(ぐわんじつ)(あさ)大勢(おほぜい)()つて自分(じぶん)()()して(しま)つた。133自分(じぶん)一文(いちもん)旅費(りよひ)なしに小山(こやま)田井(たゐ)()(うち)(まで)(かへ)つて()ると沢山(たくさん)信者(しんじや)がよつて()()いて(よろこ)四五(しご)(ゑん)ばかりの小遣(こづか)ひを()れた。134それを(もつ)(ひさ)()りに綾部(あやべ)(かへ)つて()た。135それから西田(にしだ)(その)(つき)十五(じふご)(にち)三牧(みまき)次三郎(じさぶらう)南郷(なんがう)()()(もの)計略(けいりやく)にかかつて荷物(にもつ)一切(いつさい)()られた(うへ)136()()されてお(ゆき)夫婦(ふうふ)()伏見(ふしみ)()き、137(ゆき)(ある)撚糸(ねんし)工場(こうば)女工(ぢよこう)になつて這入(はい)り、138西田(にしだ)按摩(あんま)稽古(けいこ)して、139商売(しやうばい)片手(かたて)伏見(ふしみ)地方(ちはう)布教(ふけう)して()たが、140四十二(しじふに)(ねん)自分(じぶん)綾部(あやべ)(かへ)つて大広前(おほひろまへ)()てたりお(みや)()てる(やう)になつてから、141ソロソロ綾部(あやべ)(かへ)つて()て、142(しき)りに宣伝(せんでん)する(こと)となつたのである。
143 これより(さき)144西田(にしだ)三牧(みまき)宇治(うぢ)橋熊(はしぐま)()顔役(かほやく)(たの)まれて(その)乾児(こぶん)()(うち)祖霊祭(みたままつり)(よる)になると(しき)りにやつてゐた。145さうした(ところ)(その)祖霊箱(みたまばこ)時々(ときどき)(をど)()し、146供物(そなへもの)をすると(さかな)のお(そなへ)(はう)へカタツと(おと)をさしては()(なほ)つたり、147階段(かいだん)()りたりするので、148(れい)()ふものは(えら)いものだ。149本当(ほんたう)西田(にしだ)サンや三牧(みまき)サンは(えら)いと()評判(へうばん)になり、150何処(どこ)もかも(きそ)ふて祖霊祭(みたままつり)(たの)んでゐた。151橋熊(はしぐま)親分(おやぶん)(こと)とて自分(じぶん)(うち)だけは海潮(かいてう)にして(もら)()いと()つて特別(とくべつ)(たの)みに()たので、152自分(じぶん)()つて祖霊祭(みたままつり)をすませ、153一服(いつぷく)をして()ると橋熊(はしぐま)(めう)(かほ)をして、
154橋熊(はしぐま)『もし先生(せんせい)155(うち)祖霊(みたま)さまはまだ(をさ)まらぬのですか、156他家(よそ)祖霊(みたま)さまは(みな)(うご)くのに、157何故(なぜ)(うち)(だけ)(うご)きませぬ。158貴方(あなた)先生(せんせい)であり(なが)(れい)()かぬのですか』
159不足(ふそく)(さう)()ふので、160(たぬき)這入(はい)つて(うご)くのだと()かす(わけ)にも()かず、
161喜楽(きらく)(わたし)祖霊祭(みたままつり)今日(けふ)(はじ)めてだから勝手(かつて)()りませぬ、162三牧(みまき)さんが上手(じやうづ)ですからして(もら)ひなさい』
163(てい)よく()ふた。164さうすると今度(こんど)は、165三牧(みまき)(たの)んで祖霊祭(みたままつり)(あらた)めてやつた(ところ)が、166大変(たいへん)(はこ)(うご)()したので、167三牧(みまき)信用(しんよう)(たか)まり、168西田(にしだ)がやつても自分(じぶん)がやつてもチツとも(うご)かぬので到頭(たうとう)迷信家(めいしんか)信用(しんよう)(うしな)ひ、169自分(じぶん)真先(まつさき)()()され、170西田(にしだ)(つい)()(はら)はれて(しま)ふたのである。171綴喜郡(つづきぐん)(がう)(くち)浅田(あさだ)安治(やすぢ)といふ酒造屋(しゆざうや)(いもうと)に、172(つる)()癲疳(てんかん)病者(やみ)があつた。173(その)(をんな)病気(びやうき)(なほ)して()れと()つて(たの)みに()たので、174遥々(はるばる)(ごう)(くち)()つて鎮魂(ちんこん)した(ところ)175一月(ひとつき)ばかり癲疳(てんかん)()まつて()た。176さうした(ところ)酒倉(さかぐら)(なか)(また)もや癲疳(てんかん)(おこ)つたのでソロソロ海潮(かいてう)信用(しんよう)(うす)くなつた(ところ)へ、177(その)(むら)廿才(はたち)(くらゐ)(むすめ)(なが)らく(あし)()たぬ病人(びやうにん)があつた。178自分(じぶん)(ふたた)宇治(うぢ)(かへ)つて南郷(なんがう)(たく)()布教(ふけう)してゐると、179(また)(たの)みに()たので今度(こんど)三牧(みまき)小竹(こたけ)鎮魂(ちんこん)()つた。180さうすると(その)(むすめ)が、
181(おれ)三年前(さんねんまへ)()んだ此処(ここ)(ばば)アぢやが村中(むらぢう)(たれ)(かれ)内所(ないしよ)(かね)何程(なんぼ)何程(なんぼ)()した』
182(まこと)しやかに(しやべ)()てるので、183(あは)して()ると(せん)(ゑん)ばかりの(かね)だから、184病人(びやうにん)(あに)が、
185(うち)()アサンの(れい)がお(まへ)(ところ)(かね)()したと()ふが(かへ)して()れ』
186其処(そこ)(ぢう)(ある)いたので、187村中(むらぢう)大騒動(だいさうどう)となり、
188一体(いつたい)(たれ)がそんな(こと)()ふたか』
189調(しら)べて()ると、190三牧(みまき)鎮魂(ちんこん)して(その)(むすめ)(しやべ)()し、191小竹(こたけ)()(をとこ)二人(ふたり)がついて()ると()ふので、192巡査(じゆんさ)がやつて()たり色々(いろいろ)悶錯(もんさく)(はじ)まつた。193そこで(がう)(くち)から自分(じぶん)()びに()たので()つて()ると、194(その)(むすめ)(しき)りに()アサンの声色(こわいろ)使(つか)ふて、195如何(どう)しても(かね)()した』と意地張(いぢば)つてゐる。196それから三牧(みまき)小竹(こたけ)宇治(うぢ)(かへ)し、197自分(じぶん)一晩(ひとばん)(とま)つて様子(やうす)(かんが)へた(ところ)が、198非常(ひじやう)(あや)しいので(かたな)一本(いつぽん)主人(しゆじん)から()して(もら)ふて祝詞(のりと)をあげ(なが)(くう)()つて()ると箪笥(たんす)(よこ)から(ひる)真中(まなか)七匹(しちひき)豆狸(まめだぬき)()()した。199それと(とも)(その)(むすめ)病気(びやうき)(なほ)つて(しま)つた。200さうすると海潮(かいてう)にお(れい)()(どころ)か、
201『お(まへ)サンは三牧(みまき)(やう)弟子(でし)使(つか)ふて(うち)(むすめ)(たぬき)()けて、202こんな村中(むらぢう)騒動(さうだう)をさしたのだらう』
203反対(はんたい)理屈(りくつ)()ひ、
204『ど(たぬき)()が、205(はや)うかへれ』
206呶鳴(どな)りつけられるので到頭(たうとう)狸憑(たぬきつ)けにしられて(しま)(うら)みを()んで宇治(うぢ)まで(かへ)つて()た。207さうすると、208南郷(なんがう)長谷川(はせがは)三牧(みまき)(ひと)つになつて、209三十九(さんじふく)(ねん)(しやう)(ぐわつ)元日(ぐわんじつ)(あさ)つぱらから自分(じぶん)()()(こと)となつたのである。210霊界(れいかい)(こと)(わか)らぬ連中(れんちう)になると(こま)つたもので、211(わけ)()へば()(ほど)益々(ますます)(うたが)ふて始末(しまつ)におへぬものである。212それから自分(じぶん)病人(びやうにん)鎮魂(ちんこん)がサツパリ(いや)になり、213神懸(かむがかり)修行(しうぎやう)断念(だんねん)して(しま)ふた。214大正(たいしやう)()(ねん)横須賀(よこすか)浅野(あさの)サンの(たく)()つた(とき)215参考(さんかう)のために(また)もや幽斎(いうさい)修行(しうぎやう)をして()せたのが(もと)となつて浅野(あさの)サンが霊学(れいがく)熱心(ねつしん)研究(けんきう)(はじ)める(こと)となつたのである。
216大正一一・一〇・一八 旧八・二八 北村隆光録)
このページに誤字・脱字や表示乱れなどを見つけたら教えて下さい。
返信が必要な場合はメールでお送り下さい。【メールアドレス
合言葉「みろく」を入力して下さい→  
霊界物語ネットは飯塚弘明が運営しています。【メールアドレス】 / 動作に不具合や誤字脱字等を発見されましたら是非お知らせ下さるようお願い申し上げます。 / / 本サイトの著作権(デザイン、プログラム、凡例等)は飯塚弘明にあります。出口王仁三郎の著作物(霊界物語等)の著作権は保護期間が過ぎていますのでご自由にお使いいただいて構いません。ただし一部分を引用するのではなく、本サイト掲載の大部分を利用して電子書籍等に転用する場合には、必ず出典と連絡先を記して下さい。→「本サイト掲載文献の利用について」 / 出口王仁三郎の著作物は明治~昭和初期に書かれたものです。現代においては差別的と見なされる言葉や表現もありますが、当時の時代背景を鑑みてそのままにしてあります。 / プライバシーポリシー
(C) 2007-2024 Iizuka Hiroaki