霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第二六章 日(ひ)の出(で)〔一〇六三〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第38巻 舎身活躍 丑の巻 篇:第5篇 正信妄信 よみ(新仮名遣い):せいしんぼうしん
章:第26章 日の出 よみ(新仮名遣い):ひので 通し章番号:1063
口述日:1922(大正11)年10月19日(旧08月29日) 口述場所: 筆録者:北村隆光 校正日: 校正場所: 初版発行日:1924(大正13)年4月3日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一部の章はAIによって要約を作成しています。[×閉じる]:
明治三十二年の夏、上谷で修業中の喜楽に小松林命が神がかりされ、明治三十五年の正月十五日までは綾部にて迫害に耐えるように、とお諭しがあった。
明治三十五年の正月十五日、今後のことを小松林命に尋ねると、明朝から園部方面に行くようとのことであった。澄子は臨月だったが、神様のお告げに夫婦だけで相談して出立することになった。
園部の奥村氏の別宅を貸してもらい、日夜宣伝した。奥村氏は園部の名望家だったので、その協力を得て地域の紳士連中の入信を得ることができた。
園部に落ち着いてから十二日目に、澄子が出産した夢を見た。神様に聞いてみると、たしかに出産したのでひとまず帰るようにと言われた。一人で綾部に戻る途上、自分を探しに来た四方祐助爺さんに出会った。
四方祐助に澄子と赤子の様子を尋ねたが、爺さんは答えをはぐらかし、自分を不安にさせるようなことを言って、行ってしまった。
綾部の役員信者たちは、無事に長女が生まれたことを告げたら喜楽は安心して園部に戻ってしまうだろう、と考えて四方祐助をよこし、わざと喜楽を不安にさせるようなことを言わせたのであった。
直日は自分が園部で夢を見た日に生まれた。新暦三月七日、旧正月二十八日であった。綾部では教祖様からさんざん小言を言われ、宮参りの済むまでの三十日は蟄居していた。
園部からの手紙で再び綾部を飛び出して、園部で布教をしていた。その間に四方平蔵・中村竹蔵に自分が三年間執筆した五百冊の書物をすべて焼かれてしまった。
それから大阪へ進出しようと、溝口中佐という休職軍人と一緒に、市中の稲荷下げを回って霊術比べをしたりしていた。今から思えば馬鹿らしいことを得意になってやっていた。
しかしこれもうまくいかず、綾部に戻り、明治三十八年の八月まで時を待つことにしたのであった。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ:焚書 データ凡例: データ最終更新日:2022-11-12 10:45:48 文字数:3738 OBC :rm3826
愛善世界社版:266頁 八幡書店版:第7輯 259頁 修補版: 校定版:272頁 普及版:142頁 初版: ページ備考:
001 明治(めいぢ)三十二(さんじふに)年(ねん)の夏(なつ)、002上谷(うへだに)の修行場(しうぎやうば)にて幽斎(いうさい)修行(しうぎやう)の最中(さいちう)審神者(さには)の喜楽(きらく)に小松林(こまつばやしの)命(みこと)神懸(かむがかり)せられ、
003『如何(いか)なる迫害(はくがい)や圧迫(あつぱく)があつても綾部(あやべ)を去(さ)つてはならぬ。004兎(と)も角(かく)明治(めいぢ)卅五(さんじふご)年(ねん)の正(しやう)月(ぐわつ)十五(じふご)日(にち)までは綾部(あやべ)で辛抱(しんばう)をせよ』
005とのお諭(さと)しであつた。006それで喜楽(きらく)はあらゆる迫害(はくがい)と侮辱(ぶじよく)を隠忍(いんにん)して卅五(さんじふご)年(ねん)を待(ま)ちつつ、007神妙(しんめう)に神(かみ)様(さま)の道(みち)を修行(しうぎやう)して居(ゐ)た。008愈(いよいよ)卅五(さんじふご)年(ねん)正(しやう)月(ぐわつ)十五(じふご)日(にち)が来(き)たので、
009喜楽(きらく)『今後(こんご)如何(どう)しませうか』
010と伺(うかが)つて見(み)た所(ところ)、
011『明日(あす)の朝(あさ)からソツと園部(そのべ)の方面(はうめん)を指(さ)して行(ゆ)け』
012との神示(しんじ)が降(くだ)つたので軽装(けいさう)を整(ととの)へ、013只(ただ)一人(ひとり)澄子(すみこ)に其(その)意(い)を告(つ)げ布教(ふけう)伝道(でんだう)の途(と)に上(のぼ)つた。014澄子(すみこ)は初(はじ)めての妊娠(にんしん)で已(すで)に臨月(りんげつ)であつた。015何時(いつ)出産(しゆつさん)するかも知(し)れない場合(ばあひ)である。016自分(じぶん)も大変(たいへん)に初(はじ)めての子(こ)の出産(しゆつさん)であるから気(き)にかかつて仕方(しかた)がない。017けれども一旦(いつたん)神(かみ)様(さま)に任(まか)した身(み)の上(うへ)、018妻(つま)の為(ため)に神務(しんむ)を半時(はんとき)でも悤(おろそか)にする事(こと)は出来(でき)ぬと決心(けつしん)し、019夫婦(ふうふ)相談(さうだん)の上(うへ)出立(しゆつたつ)したのである。
020 先(ま)づ園部(そのべ)本町(ほんまち)の奥村(おくむら)と云(い)ふ雑貨店(ざつくわてん)へ落(お)ちつき、021主人(しゆじん)夫婦(ふうふ)の懇篤(こんとく)なる世話(せわ)によつて其(その)家(いへ)の別宅(べつたく)を無料(むれう)で貸(か)して貰(もら)ひ、022且(か)つ衣食(いしよく)万端(ばんたん)を奥村(おくむら)から支給(しきふ)され日夜(にちや)宣伝(せんでん)に従事(じうじ)しつつあつた。023奥村(おくむら)氏(し)は園部(そのべ)に於(おい)て相当(さうたう)の地位(ちゐ)名望(めいばう)もあり財産(ざいさん)もあつた。024さうして清廉(せいれん)潔白(けつぱく)の聞(きこ)えの高(たか)い紳士(しんし)である。025其(その)奥村(おくむら)氏(し)が先頭(せんとう)に立(た)つて商業(しやうげふ)の傍(かたはら)、026熱心(ねつしん)に宣伝(せんでん)したので、027地方(ちはう)の紳士(しんし)連中(れんちう)は先(さき)を争(あらそ)うて入信(にふしん)した。028園部(そのべ)へ落(お)ちついてから十二(じふに)日目(にちめ)の夜(よる)に、029綾部(あやべ)に残(のこ)してある澄子(すみこ)が出産(しゆつさん)した様(やう)な夢(ゆめ)を見(み)たので、030神(かみ)様(さま)に聞(き)いて見(み)ると出産(しゆつさん)をしたから一先(ひとま)づ帰(かへ)つてやれと云(い)ふ事(こと)であつた。031そこで奥村(おくむら)氏(し)に其(その)旨(むね)を告(つ)げ留守中(るすちう)を頼(たの)みおき、032浅井(あさゐ)はなと云(い)ふ婆(ばあ)サンに神前(しんぜん)の御(お)給仕(きふじ)を命(めい)じて只(ただ)一人(ひとり)スタスタと檜山(ひのきやま)の坂原(さかはら)巳之助(みのすけ)と云(い)ふ熱心(ねつしん)な信者(しんじや)の宅(たく)へ立寄(たちよ)り昼飯(ひるめし)を供(きよう)せられ一服(いつぷく)して居(ゐ)ると、033其処(そこ)へ慌(あわ)ただしく綾部(あやべ)から四方(しかた)祐助(いうすけ)と云(い)ふ爺(ぢい)サンが尋(たづ)ねて来(きた)り門口(かどぐち)から、
034祐助(いうすけ)『海潮(かいてう)サンはお内(うち)に居(を)られますか』
035と尋(たづ)ねてゐる。036坂原(さかはら)巳之助(みのすけ)は綾部(あやべ)の中村(なかむら)一派(いつぱ)のやり方(かた)に愛想(あいさう)をつかし、037喜楽(きらく)の教(をしへ)のみを信従(しんじゆう)してゐたのだから、038屹度(きつと)喜楽(きらく)は此処(ここ)に居(を)るだらうと思(おも)つて尋(たづ)ねて来(き)たのである。039奥(おく)の間(ま)で祝詞(のりと)を奏上(そうじやう)して居(ゐ)た喜楽(きらく)は此(この)声(こゑ)を聞(き)いて静(しづ)かに表(おもて)へ出(で)て、
040喜楽(きらく)『あゝ祐助(いうすけ)さん、041能(よ)う来(き)て呉(く)れた、042まあ一服(いつぷく)しなさい』
043と云(い)ふと爺(おやぢ)サンは庭(には)に立(た)ちはだかつた儘(まま)、
044祐助(いうすけ)『これ海潮(かいてう)、045何(なに)をグヅグヅして居(ゐ)るのだ。046綾部(あやべ)は大変(たいへん)な事(こと)が出来(でき)て居(を)りますぜ』
047とゴツゴツした声(こゑ)で睨(にら)めつける様(やう)に云(い)ふ。048喜楽(きらく)も何(なに)か澄子(すみこ)の身(み)の上(うへ)に就(つい)て変事(へんじ)でも出来(でき)たのではないかと、049少(すこ)しく不安(ふあん)の念(ねん)に駆(か)られて、
050喜楽(きらく)『祐助(いうすけ)サン、051澄子(すみこ)は機嫌(きげん)よく出産(しゆつさん)しましたかな』
052と尋(たづ)ねると、053祐助(いうすけ)は首(くび)をブリブリと振(ふ)つて、
054祐助(いうすけ)『えー、055出産(しゆつさん)も糞(くそ)もあるものか。056自分(じぶん)の女房(にようばう)が臨月(りんげつ)になつてゐるのに教祖(けうそ)様(さま)に隠(かく)れて其処(そこ)ら中(ぢう)をうろつき廻(まは)り、057悠々(いういう)閑々(かんかん)と何(なん)の事(こと)ぢやい。058綾部(あやべ)には大変(たいへん)の事(こと)が出来(でき)ましたぞ。059それだから教祖(けうそ)様(さま)が何処(どこ)へも行(ゆ)くでないと仰有(おつしや)るのだ。060教祖(けうそ)様(さま)の命令(めいれい)を背(そむ)くと何時(いつ)でもこの通(とほ)りなりますのぢや』
061と息(いき)を喘(はづ)ませて諒解(りやうかい)し難(がた)い事(こと)を呶鳴(どな)りたてる。062喜楽(きらく)は益々(ますます)不安(ふあん)の雲(くも)に包(つつ)まれて、
063喜楽(きらく)『澄子(すみこ)は安産(あんざん)しただらうなア。064そして男(をとこ)か女(をんな)か何方(どちら)が出来(でき)た、065早(はや)く知(し)らして呉(く)れ』
066と云(い)はせも果(は)てず、067祐助(いうすけ)は又(また)もや首(くび)を頻(しき)りに振(ふ)つて、
068祐助(いうすけ)『え、069凡夫(ぼんぶ)の俺(わし)がそんな事(こと)分(わか)つて堪(たま)るものか。070海潮(かいてう)サンは天眼通(てんがんつう)が利(き)くぢやないか、071小松林(こまつばやし)に尋(たづ)ねたら、072それ位(ぐらゐ)の事(こと)は分(わか)りさうなものぢやないか。073それが分(わか)らない様(やう)な事(こと)で偉(えら)さうに神懸(かむがかり)ぢやの、074先生(せんせい)ぢやのとは云(い)ふて貰(もら)ひますまい。075綾部(あやべ)は何(なん)どころの騒(さわ)ぎぢやないわ。076改心(かいしん)をせぬと、077こんな事(こと)が出来(でき)ると何時(いつ)も教祖(けうそ)さまが仰有(おつしや)つたのを尻(しり)に聞(き)かして居(ゐ)るものだから、078こんな不都合(ふつがふ)な事(こと)が出来(でき)たのぢや。079初産(うひざん)の事(こと)とて教祖(けうそ)さまも大変(たいへん)な心配(しんぱい)、080此(この)祐助(いうすけ)も何(ど)れ丈(だけ)心配(しんぱい)したかしれませぬぞや。081お前(まへ)サンも綾部(あやべ)へヌケヌケと帰(かへ)つて来(く)る顔(かほ)がありますまい。082帰(かへ)るのが嫌(いや)なら帰(かへ)らいでも宜(よろ)しい左様(さやう)なら』
083と云(い)ひ乍(なが)らスタスタと阪原(さかはら)の家(いへ)を出(で)て行(ゆ)かうとする。084喜楽(きらく)は益(ますま)す気(き)になつて、
085喜楽(きらく)『これ祐助(いうすけ)サン、086吉(きち)か凶(きよう)か、087どちらか、088それだけ聞(き)かして呉(く)れ』
089と小(ちひ)さい声(こゑ)で尋(たづ)ねて見(み)ると祐助(いうすけ)は、
090祐助(いうすけ)『そんな事(こと)の分(わか)らぬ様(やう)な天眼通(てんがんつう)が何(なん)になるものかい』
091とブツブツ囁(ささや)き乍(なが)ら委細(ゐさい)構(かま)はず駆(か)け出(いだ)し、
092祐助(いうすけ)『よう思案(しあん)するがよい』
093と捨台詞(すてぜりふ)を残(のこ)して早(はや)くも綾部(あやべ)へ帰(かへ)つて行(ゆ)く。094喜楽(きらく)は慌(あわて)て阪原(さかはら)氏(し)に送(おく)られ一目散(いちもくさん)に祐助(いうすけ)の後(あと)を追(お)ひ駆(か)けた。095さうすると祐助(いうすけ)は三(さん)の宮(みや)のある茶店(ちやみせ)で腰(こし)をかけ、
096祐助(いうすけ)『あゝ云(い)つておけば屹度(きつと)帰(かへ)つて来(く)るに相違(さうゐ)ない』
097と高(たか)を括(くく)つて居(ゐ)る。
098 『兎(と)に角(かく)安産(あんざん)した。099そして女(をんな)の子(こ)が出来(でき)た』と云(い)つたら、100『あゝさうか』と云(い)つたきり喜楽(きらく)は帰(かへ)らぬから心配(しんぱい)さしたら帰(かへ)つて来(く)るだらうと、101綾部(あやべ)で役員(やくゐん)信者(しんじや)相談(さうだん)の結果(けつくわ)祐助(いうすけ)が代表者(だいへうしや)になつて選(えら)まれて来(き)たのだと云(い)ふことが後(あと)になつて分(わか)つた。102丁度(ちやうど)自分(じぶん)が園部(そのべ)で夢(ゆめ)を見(み)た其(その)日(ひ)に直霊(なほひ)が生(うま)れたのである。103其(その)日(ひ)は新(しん)三(さん)月(ぐわつ)七日(なぬか)旧(きう)正(しやう)月(ぐわつ)二十八(にじふはち)日(にち)であつた。104祐助(いうすけ)と三人(さんにん)連(づ)れで綾部(あやべ)の宅(たく)に帰(かへ)つて見(み)ると、105盛(さかん)に赤児(あかご)の泣(な)き声(ごゑ)が聞(きこ)えて居(ゐ)る。106初(はじ)めて自分(じぶん)の子(こ)の声(こゑ)を聞(き)いた時(とき)は何(なん)とも云(い)はれぬ感(かん)じがした。107然(しか)しあの声(こゑ)で子(こ)は達者(たつしや)であるが、108澄子(すみこ)の身体(からだ)は如何(どう)だらうと案(あん)じ乍(なが)ら門口(かどぐち)を跨(また)げて見(み)ると母子(おやこ)とも至極(しごく)壮健(さうけん)であつた。109それから教祖(けうそ)さまに、
110『自分(じぶん)の女房(にようばう)が臨月(りんげつ)で何時(いつ)子(こ)が出来(でき)るか分(わか)らぬのに、111神(かみ)様(さま)の命令(めいれい)も聞(き)かずに、112そこら中(ぢう)に飛(と)び出(だ)すのは余(あま)り水臭(みづくさ)いぢやないか』
113と散々(さんざん)叱言(こごと)を云(い)はれ、114謝(あやま)り入(い)つて三十(さんじふ)日(にち)の間(あひだ)、115宮詣(みやまゐ)りのすむ迄(まで)綾部(あやべ)に蟄居(ちつきよ)して居(ゐ)た。116さうすると園部(そのべ)の奥村(おくむら)から『沢山(たくさん)の信者(しんじや)が待(ま)つて居(ゐ)るから早(はや)く来(き)て呉(く)れ』と云(い)ふ手紙(てがみ)が毎日(まいにち)の様(やう)に出(で)て来(く)るので、117四(し)月(ぐわつ)の三日(みつか)再(ふたた)び綾部(あやべ)を飛(と)び出(だ)し園部(そのべ)で布教(ふけう)をつづけて居(ゐ)た。118其(その)留守中(るすちう)に自分(じぶん)が明治(めいぢ)三十一(さんじふいち)年(ねん)、119穴太(あなを)に居(を)つた時(とき)から三十四(さんじふよ)年(ねん)一杯(いつぱい)かかつて執筆(しつぴつ)しておいた五百冊(ごひやくさつ)の書物(しよもつ)を、120四方(しかた)平蔵(へいざう)、121中村(なかむら)竹造(たけざう)の発起(ほつき)で立替(たてかへ)の御用(ごよう)ぢやと云(い)つて悉皆(しつかい)焼(や)いて了(しま)つたのである。122それから園部(そのべ)を根拠(こんきよ)として大阪(おほさか)へ教線(けうせん)を開(ひら)き、123陸軍(りくぐん)砲兵(はうへい)中佐(ちうさ)の溝口(みぞぐち)清俊(きよとし)と云(い)ふ休職(きうしよく)軍人(ぐんじん)と心(こころ)を協(あは)せて大阪市(おほさかし)の宣伝(せんでん)に従事(じゆうじ)して居(ゐ)た。124此(この)中佐(ちうさ)の宅(うち)へ心(こころ)安(やす)く遊(あそ)びに来(く)る、125背(せ)のスラツとした、126人品(じんぴん)のよい少(すこ)し頭(あたま)の光(ひか)つた男(をとこ)が溝口(みぞぐち)中佐(ちうさ)に説(と)きつけられて熱心(ねつしん)な信者(しんじや)となり、127追々(おひおひ)中流(ちうりう)以上(いじやう)の信者(しんじや)が出来(でき)て天王寺(てんのうじ)の附近(ふきん)に一万(いちまん)坪(つぼ)の地面(ぢめん)を買(か)ひ、128霊学会(れいがくくわい)の本部(ほんぶ)を設置(せつち)する段取(だんどり)とまでなつてきた。129さうして其(その)溝口(みぞぐち)の宅(たく)へ出入(でい)りして居(ゐ)た男(をとこ)と云(い)ふのは、130大阪(おほさか)の難波(なんば)分所長(ぶんしよちやう)の内藤(ないとう)正照(まさてる)氏(し)であつた。131内藤(ないとう)正照(まさてる)氏(し)と溝口(みぞぐち)中佐(ちうさ)と喜楽(きらく)の三(さん)人(にん)は大阪(おほさか)市中(しちう)の稲荷下(いなりさ)げの教会(けうくわい)を巡歴(じゆんれき)して種々(いろいろ)と霊術比(れいじゆつくら)べをやり、132それを唯一(ゆゐいつ)の楽(たの)しみとして布教(ふけう)は、133そつちのけに三百(さんひやく)六十(ろくじつ)軒(けん)ばかり市中(しちう)の神懸(かむがかり)[※初版・愛世版では「神懸」、校定版では「神がかり」。]を探(さが)し廻(まは)つて霊縛(れいばく)をしたり、134色々(いろいろ)と自分(じぶん)等(ら)の霊術(れいじゆつ)を誇(ほこ)り得意(とくい)になつて居(ゐ)た。135今(いま)から思(おも)へば実(じつ)に馬鹿(ばか)らしい事(こと)を得意(とくい)になつてしたと思(おも)ふ。136然(しか)し此(この)間(あひだ)に神懸(かむがかり)[※初版・愛世版では「神懸」、校定版では「神がかり」。]に対(たい)する非常(ひじやう)な経験(けいけん)を得(え)た事(こと)を思(おも)へば、137これも矢張(やつぱり)御(ご)神慮(しんりよ)であつたかも知(し)れぬ。138それから北海道(ほくかいだう)の銀行(ぎんかう)の頭取(とうどり)をやつて居(ゐ)た山田(やまだ)文辰(ぶんしん)と云(い)ふ男(をとこ)や内藤(ないとう)や、139京都(きやうと)牧場(ぼくぢやう)の松原(まつばら)栄太郎(ゑいたらう)等(ら)と人造(じんざう)精乳(せいにう)会社(くわいしや)を、140京都(きやうと)、141大阪(おほさか)、142園部(そのべ)に設置(せつち)し、143数千(すうせん)円(ゑん)の金(かね)を醵出(きよしゆつ)して一(ひと)つの事業(じげふ)を起(おこ)し宣伝(せんでん)の費用(ひよう)に当(あ)てやうと目論見(もくろみ)、144已(すで)に着手(ちやくしゆ)して居(ゐ)る所(ところ)へ、145京都(きやうと)の高松(たかまつ)某(ぼう)が中村(なかむら)竹造(たけざう)の指図(さしづ)によつて会社(くわいしや)の工場(こうぢやう)修繕(しうぜん)の大工(だいく)に雇(やと)はれ散々(さんざん)に喜楽(きらく)の悪口(あくこう)をなし、146それが基(もと)となつて松原(まつばら)栄太郎(ゑいたらう)、147若林(わかばやし)某(ぼう)、148山田(やまだ)文辰(ぶんしん)等(ら)が変心(へんしん)し出(だ)し、149折角(せつかく)組(く)み立(た)てた発頭人(ほつとうにん)の喜楽(きらく)や内藤(ないとう)を放逐(はうちく)せむとした。150中村(なかむら)は何(なん)とかして喜楽(きらく)が京阪(けいはん)地方(ちはう)で活動(くわつどう)するのを妨害(ばうがい)し、151失敗(しつぱい)の結果(けつくわ)綾部(あやべ)へ逃(に)げ帰(かへ)り一間(ひとま)へ押(お)し込(こ)めて活動(くわつどう)の出来(でき)ないやうにしてやらねば此(この)儘(まま)にして置(お)いては虎(とら)を野(の)に放(はな)つやうなもので、152大本(おほもと)の教(をしへ)をとつて了(しま)ふに違(ちが)ひないと役員(やくゐん)一同(いちどう)が相談(さうだん)の結果(けつくわ)、153かう云(い)ふ手段(しゆだん)をとつたのであつた。154そこで喜楽(きらく)は已(やむ)を得(え)ず精乳(せいにう)会社(くわいしや)を脱退(だつたい)し、155内藤(ないとう)正照(まさてる)と愛善坂(あいぜんざか)の麓(ふもと)で神(かみ)様(さま)を祀(まつ)り、156布教(ふけう)宣伝(せんでん)に着手(ちやくしゆ)して居(ゐ)た。157難波(なんば)新地(しんち)の婦人科(ふじんくわ)の医者(いしや)で杉村(すぎむら)牧太郎(まきたらう)と云(い)ふ金光教(こんくわうけう)の熱心(ねつしん)な信者(しんじや)があり、158又(また)杉本(すぎもと)恵(さとし)と云(い)ふ御嶽教(みたけけう)の教導職(けうだうしよく)や大阪(おほさか)大林区(だいりんく)署(しよ)に勤(つと)めて居(ゐ)た高屋(たかや)利太郎(りたらう)、159並(なら)びに錻力職(ぶりきしよく)の池田(いけだ)大造(だいざう)らと図(はか)り大宣伝(だいせんでん)をやつて居(ゐ)た。160大阪(おほさか)の侠客(けふかく)の団熊(だんぐま)や山田(やまだ)嘉平(かへい)等(ら)も信者(しんじや)となつて大活動(だいくわつどう)を始(はじ)め、161漸(やうや)く曙光(しよくわう)を認(みと)め、162高屋(たかや)利太郎(りたらう)は一同(いちどう)の代表者(だいへうしや)として一度(いちど)綾部(あやべ)へ参拝(さんぱい)して来(こ)やうと云(い)つて詣(まゐ)つて来(き)た所(ところ)、163中村(なかむら)が一生(いつしやう)懸命(けんめい)に喜楽(きらく)の悪口(あくこう)をついて且(かつ)脱線(だつせん)的(てき)の言葉(ことば)を並(なら)べ『洋服(やうふく)を着(き)た様(やう)な連中(れんちう)は此処(ここ)には来(く)る事(こと)ならぬ』と高屋(たかや)氏(し)を箒(はうき)で掃(は)き出(だ)したので、164高屋(たかや)氏(し)が大阪(おほさか)へ帰(かへ)つて来(き)て憤慨(ふんがい)し折角(せつかく)組(く)み立(た)てた霊学会(れいがくくわい)へひびが這入(はい)り、165ゴタゴタして居(ゐ)る所(ところ)へ中村(なかむら)竹造(たけざう)の内命(ないめい)で三牧(みまき)次三郎(じさぶらう)が尋(たづ)ねて来(き)て、166此(この)男(をとこ)が口(くち)を極(きは)めて喜楽(きらく)を罵倒(ばたふ)したので止(や)むを得(え)ず大阪(おほさか)を立(た)ち綾部(あやべ)へ帰(かへ)つて来(き)たのは明治(めいぢ)三十六(さんじふろく)年(ねん)の十一(じふいち)月(ぐわつ)頃(ごろ)であつた。167さうすると役員(やくゐん)が寄(よ)つて集(たか)つて自分(じぶん)の洋服(やうふく)を剥(は)ぎとり、168帽(ばう)も靴(くつ)も服(ふく)も引(ひき)裂(さ)いて雪隠(せんち)へ突(つ)つ込(こ)んで了(しま)ひ、
169『さあ、170これで四(よ)ツ足(あし)の皮(かは)を剥(は)いでやつた。171これで海潮(かいてう)も改心(かいしん)をして、172おとなしくなるだらう。173神(かみ)に背(そむ)いて致(いた)した事(こと)は何事(なにごと)も九分(くぶ)九厘(くりん)でグレンと覆(かへ)るとお筆(ふで)に出(で)て居(を)りますが、174これで海潮(かいてう)サンも気(き)がつくだらう』
175と自分(じぶん)等(ら)が極力(きよくりよく)妨害(ばうがい)しておき乍(なが)ら、176神(かみ)さまの業(わざ)の様(やう)にすまし込(こ)んで居(ゐ)る。177それから自分(じぶん)も再(ふたた)び離(はな)れの六畳(ろくでふ)に蟄居(ちつきよ)して又(また)もや隠(かく)れ忍(しの)んで古典学(こてんがく)を研究(けんきう)したり、178筆(ふで)の雫(しづく)や道(みち)の大本(おほもと)等(とう)の執筆(しつぴつ)にとりかかり、179明治(めいぢ)三十八(さんじふはち)年(ねん)の八(はち)月(ぐわつ)まで綾部(あやべ)に尻(しり)を据(す)えて時(とき)を待(ま)つ事(こと)としたのであつた。
180(大正一一・一〇・一九 旧八・二九 北村隆光録)
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