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聖師伝
はしがき
01 御誕生
02 穴太の里
03 祖父の話
04 祖父の性行
05 祖父の再生
06 幼少年時代
07 小学校時代
08 久兵衛池事件
09 青年時代
10 獣医学の研究
11 父の死
12 青年時代の煩悶
13 高熊山出修の動機
14 高熊山の修行
15 使命の自覚
16 幽斎の修業
17 開祖との会見
18 聖師の大本入り
19 聖師と筆先
20 聖師の苦闘
21 神苑の拡張と造営
22 神島開き
23 大本の発展
24 第一次大本事件
25 霊界物語の口述
26 エスペラントとローマ字の採用
27 世界紅卍字会との提携
28 蒙古入り
29 世界宗教連盟と人類愛善会
30 大正より昭和へ
31 明光社の設立
32 急激な発展
33 第二次大本事件
34 愛善苑の新発足
35 晩年の聖師
36 御昇天
37 御昇天後の大本
【附録】出口聖師年譜
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> 33 第二次大本事件
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(B)
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三三、第二次大本事件
インフォメーション
題名:
33 第二次大本事件
著者:
大本教学院・編
ページ:
目次メモ:
概要:
備考:
タグ:
データ凡例:
データ最終更新日:
OBC :
B100800c33
001
第一次大本事件の起こった大正十年からちょうど十五年目、
002
昭和十年
[
※
1935年
]
十二月八日、
003
第二次大本事件が勃発しました。
004
かねて京都警察部では事件を重大視し、
005
京都地方検事局、
006
内務省などと重要打合せを遂げたのち、
007
七日深更全市の警察官の非常召集をし、
008
各署から選抜した約二百名をもって特別検索隊を組織し、
009
数十台の市バスに分乗し、
010
薄田
(
すすだ
)
府警察部長、
011
杭迫
(
くいさこ
)
府特高課長らが指揮して、
012
八日午前一時京都を出発、
013
亀岡、
014
綾部に急行、
015
午前四時半を期して一隊は綾部の総本部をおそい、
016
また他の一隊は亀岡町天恩郷の一斉検索を行い、
017
出口家の一族、
018
幹部らを検挙、
019
多数の証拠物件を押収しました。
020
これよりさき聖師は松江市において開かれる山陰大会に出席のため、
021
澄子夫人と同道して島根別院に赴かれました。
022
別院は明日の大祭をひかえ、
023
大祭後に行われることになっていた神劇と歌祭りなどの準備にいそがしくごったがえしていましたが、
024
翌八日
暁明
(
ぎょうめい
)
、
025
数十名の警官は突如別院をかこみ、
026
聖師を検挙しました。
027
聖師は護送されて同日京都市の
中立売
(
なかだちうり
)
警察署の留置場に収容されました。
028
その大さわぎのあと別院の大祭は澄子夫人を中心として、
029
厳粛に且つ感激の中に執り行われ、
030
歌祭り、
031
神劇も滞りなく終了しました。
032
綾部ではさる十五年前の大正十年の検挙当時をそのまま再現する物々しさで、
033
綾部検挙隊は永岡保安課長が総指揮となり、
034
二百五十名をひきいて京都市内のバスその他ハイヤーで綾部に乗込み、
035
五個中隊に編成し、
036
大本、
037
鶴山を包囲し、
038
約百五十名を検挙し、
039
重だった幹部を京都市内の各警察署に留置のため直ちに護送しました。
040
亀岡の天恩郷では、
041
京都地方検事局の小野思想主任検事、
042
京都府の豊原警務課長らの指揮のもとに、
043
午前四時を期して包囲した三百名の警官隊は、
044
城壁にせまるや、
045
ことごとく靴を捨てて草履ばきとなり、
046
足音をしのばせて一斉に押入り、
047
出口日出麿氏をはじめ約六十名の幹部を亀岡署に同行し、
048
残りをことごとく天恩郷内に禁足し、
049
数十名の警官が手分けして取調べにかかり、
050
幹部を次々と警察用自動車で京都市内の各警察署に護送しました。
051
天恩郷の周囲はあご紐いかめしい警官が、
052
人垣をつくって内外の交通を一さい遮断し、
053
警察本部から特派した電話工夫は、
054
電話線を架設して京都の警察本部と直接連絡をとり、
055
警察本部はさらに直接電話で内務省と連絡しつつ捜査を進めました。
056
一方、
057
京都警察部と相呼応した警視庁では、
058
八日午前四時半一斉検挙に着手、
059
東京地方裁判所戸澤、
060
木内、
061
芳賀、
062
吉江の各検事および
両角
(
りょうすみ
)
ほか三名の予審判事の指揮のもとに、
063
特高課
千速
(
ちはや
)
係長以下数十名、
064
それに管下各署からの七十名の応援を得て、
065
四谷区愛住町・昭和神聖会総本部、
066
杉並区方南町・大本
紫雲郷
(
しうんきょう
)
別院など七カ所をおそい、
067
出口
伊佐男
(
いさお
)
氏ほか重だった幹部を検挙、
068
それぞれ所轄署に所轄署に収容し各種の証拠物件を押収しました。
069
今度の大検挙は京都府、
070
島根県、
071
東京を中心に全国的一斉に行われたもので大正十年の事件とは比較にもならぬ徹底した弾圧ぶりでありました。
072
昭和十年は暮れて昭和十一年の一月二十日から警察署における取調べが開始され、
073
三月十三日にいたって、
074
聖師はじめ数十名の協力者は治安維持法違反、
075
不敬罪の嫌疑でぞくぞく起訴されました。
076
警察署における取調べは、
077
昭和の聖代にはとてもありかねまじき暴行弾圧が行われました。
078
かくして昭和十三年八月十日、
079
事件は京都地方裁判所の公判に付せられることになりました。
080
一方、
081
四月八日から綾部亀岡の両聖地建築物、
082
仏像、
083
歌碑をはじめ全国各地にわたる数十カ所の別院分院の建物および歌碑は、
084
殆どすべて破壊されました。
085
亀岡における月宮殿のごときは全部石造りであるため、
086
ダイナマイトをもって破壊しました。
087
また両聖地の奉仕者はそれぞれ帰国せしめられるというわけで、
088
さしも盛んであった両聖地は、
089
たちまち閑古鳥の啼くような寂しさになったのであります。
090
政府はあくまでもあらゆる形のものを破壊しさえすれば、
091
たましいまでことごとく破壊することができると信じていたのであります。
092
そもそも本件の如き未曾有の弾圧が、
093
何ゆえ宗教団体たる大本に加えられたのでありましょうか。
094
その「弾圧の原因」は
如何
(
いかん
)
ということになると、
095
その立場々々によって自ら異るでありましょうが、
096
少なくとも次の五つの原因をあげることができます。
097
一、
098
新宗教の発展時代には共通の現象であるごとく、
099
大本の急激の発展から政府の忌憚に触れるようになったこと
100
二、
101
当局が第一次大本事件の先入主的観念をもっていたこと
102
三、
103
出口聖師の人物が天衣無縫というか、
104
天真爛漫というか、
105
凡俗の眼にはとても
端睨
(
たんげい
)
することができなかったこと
106
四、
107
大本精神を誤解した大本信者の一部の言動が累を及ぼしたこと
108
五、
109
大本が既成概念の宗教と異り、
110
政治、
111
経済、
112
教育、
113
科学、
114
芸術等の
大本
(
たいほん
)
を明かにし進んだために、
115
政治運動のごとき印象を与えたこと
116
この外に、
117
かつて大本の幹部であって不平のため脱退した元海軍中将・浅野
正恭
(
せいきょう
)
氏が、
118
ある一種の目的をもって大本を誹謗し、
119
それが中央政府にもち込まれたために、
120
大本文献を再検討する当局の人々は、
121
科学的の公平性を失って、
122
ある潜在意識をもって研究を始めたことも大本検挙の原因の重要な一つとなったのであります。
123
従って本件の発生が内務省から地上に大本の痕跡だも残すなという「天降り的」内命によったものであることは、
124
動かすべからざる事実であります。
125
大本が不逞の団体であると一旦きめてかかれば、
126
日本にもいろいろな法律があるので、
127
どれからでも処断が出来るのであって、
128
ここに共産党を取締る治安維持法が適用されたのであります。
129
そして昭和三年三月三日みろく大祭が執行された時に、
130
「国体を変革する目的を以て結社が組織された」という嫌疑となったわけであります。
131
予審終結決定は、
132
大本の教義をあげ、
133
大本の教義は出口王仁三郎を以て我が国の主権者たらしむいるという趣旨のものであったから、
134
その教義の下になした結社が国体変革の目的ある結社である──こう書き下しているのであります。
135
みろく大祭というのは、
136
既に述べたように、
137
聖師が満五十六歳七カ月になられた時、
138
弥勒菩薩として
下生
(
げしょう
)
されたので、
139
幹部十数名を諸面諸菩薩になぞらえて、
140
至聖殿に昇殿し、
141
いよいよこれから現実的、
142
積極的の活動をしようと祈願をされたという、
143
全く宗教的の行事だったのであります。
144
それを聖師が何か政治的の野心をもっていて、
145
この時、
146
国体を変革する目的で結社が組織されたものであるとみられたのであります。
147
昭和十五年二月二十九日、
148
聖師は無期懲役、
149
その他の被告らは十五年ないし数年の懲役の言渡しをうけましたが、
150
即日控訴の手続きをとりました。
151
大部分の被告は長くても三年八カ月で保釈出所を許されましたが、
152
聖師、
153
二代教主、
154
出口伊佐男氏の三名の保釈は許されませんでした。
155
昭和十年十二月八日、
156
大本事件がおこり、
157
その翌年の二月二十六日、
158
二・二六事件がおこり、
159
昭和十二年七月七日、
160
日華事変となり、
161
昭和十六年十二月八日、
162
ついに太平洋戦争が勃発したのであります。
163
こうした中に大本の裁判は進行して、
164
昭和十七年七月三十一日、
165
控訴審の判決が下され、
166
治安維持法違反は無罪、
167
不敬罪は原審通り有罪の言渡しがありました。
168
ちなみに、
169
大阪控訴院における大本事件控訴審判決書の理由によりますと、
170
「大本ノ根本目的タルみろく神政成就ガ公訴事実摘記ノ如キ不逞ノ思想ヲ包含スルヤ否ヤ、
171
即チみろく神政成就ノ真意義ヲ把握スルニハ先ヅ大本思想ノ基調ヲナス大本ノ宇宙観、
172
神霊観、
173
人生観即チ教理ヲ明ニセザルベカラズ」と述べ、
174
主なる大本文献をあげ、
175
「大本教旨ハ大本ノ教理ヲ端的ニ表明シタルモノニシテ王仁三郎ノ政治的意図ヲ包蔵セシメタルモノニ非ザルコトハ前掲文献ニヨリ明ニシテ若シ
斯
(
カカ
)
ル意義ヲ有セルモノトセバ右多数ノ文献ニ論述セラレタル大本教理ガ整然タル筈ナク云々」と論じて控訴事実を否定し、
176
治安維持法違反に対し無罪を判決しているのであります。
177
検事側は肝心の治安維持法違反が無罪になったので上告し、
178
大本側は不敬罪、
179
新聞紙法、
180
出版法違反が残ったのが不服で上告するというわけで、
181
本件は大審院にまで持ち運ばれました。
182
昭和十七年八月七日にいたって、
183
聖師、
184
二代教主、
185
出口伊佐男氏は六年八カ月ぶりに保釈出所されることになりました。
186
太平洋戦争は昭和二十年八月十五日終戦の詔勅が下り、
187
日本の無条件降伏となって終結しました。
188
かくて九月八日、
189
大審院の判決が下り、
190
検事側および大本側の上告は却下され、
191
原審通り決定しました。
192
さらに十月十七日にいたって恩赦によって不敬罪その他も解消し、
193
ここに十年にわたる第二次大本事件は解決したのであります。
194
因みに今回の事件に連座した被告は聖師以下五十六名でありました。
195
今度の事件で、
196
綾部、
197
亀岡の建物はことごとく破却され、
198
土地は政府によって両町におどろくべき安価で売り渡されたのに対し、
199
大本側は両町を相手どって京都地方裁判所において争っていましたが、
200
亀岡町は町会の決議により、
201
天恩郷の土地返還を正式に決定し、
202
綾部町においても十一月二日綾部神苑の土地無条件返還を申入れてきました。
203
それで土地に関しては、
204
法廷の上でなく円満な談合によって解決されました。
205
十一月二十日、
206
出口元男氏の分離公判開廷、
207
免訴の判決があり、
208
これによって大本事件は全部解決したのであります。
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