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聖師伝
はしがき
01 御誕生
02 穴太の里
03 祖父の話
04 祖父の性行
05 祖父の再生
06 幼少年時代
07 小学校時代
08 久兵衛池事件
09 青年時代
10 獣医学の研究
11 父の死
12 青年時代の煩悶
13 高熊山出修の動機
14 高熊山の修行
15 使命の自覚
16 幽斎の修業
17 開祖との会見
18 聖師の大本入り
19 聖師と筆先
20 聖師の苦闘
21 神苑の拡張と造営
22 神島開き
23 大本の発展
24 第一次大本事件
25 霊界物語の口述
26 エスペラントとローマ字の採用
27 世界紅卍字会との提携
28 蒙古入り
29 世界宗教連盟と人類愛善会
30 大正より昭和へ
31 明光社の設立
32 急激な発展
33 第二次大本事件
34 愛善苑の新発足
35 晩年の聖師
36 御昇天
37 御昇天後の大本
【附録】出口聖師年譜
(メニューの右肩に*1が付いているものは、本文がまだテキスト化されていないもの。*2は内容がほぼ同じ他のテキストがあるもの。)
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> 【附録】出口聖師年譜
<<< 37 御昇天後の大本
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【附録】 出口王仁三郎聖師年譜
インフォメーション
題名:
【附録】 出口王仁三郎聖師年譜
著者:
大本教学院・編
ページ:
目次メモ:
概要:
備考:
タグ:
データ凡例:
データ最終更新日:
OBC :
B100800c991
001
(年齢は数え年)
002
●明治4年(1871年)
003
旧7月12日京都府南桑田郡曽我部村字穴太小字宮垣内の農家・上田吉松の長男として生まれる。
004
幼名・喜三郎。
005
●明治13年(1880年)10歳
006
偕行小学校に入学。
007
●明治16年(1883年)13歳
008
小学校の代用教員として教鞭をとる。
009
●明治18年(1885年)15歳
010
奉公を励む。
011
●明治26年(1893年)23歳
012
船井郡園部の獣医・井上氏の書生となる。
013
●明治27年(1894年)24歳
014
岡田惟平翁に就き始めて敷島の道を学ぶ。
015
●明治29年(1896年)26歳
016
郷里穴太に牛乳搾取場精乳館を設置。
017
●明治30年(1897年)27歳
018
父・吉松、
019
帰幽、
020
享年54歳。
021
●明治31年(1898年)28歳
022
旧2月9日より一週間、
023
郷里高熊山にて修行をなす。
024
旧8月23日、
025
参綾。
026
初めて大本開祖と会見。
027
翌々日、
028
綾部を去る。
029
●明治32年(1899年)29歳
030
7月3日、
031
開祖の迎えによりて再び参綾。
032
●明治33年(1900年)30歳
033
1月1日、
034
出口澄子と結婚。
035
4月2日、
036
金明霊学会を設置。
037
●明治35年(1902年)32歳
038
3月7日、
039
長女直日、
040
誕生。
041
●明治36年(1903年)33歳
042
この秋「筆の雫」「霊の礎」等の執筆を始める。
043
●明治37年(1904年)34歳
044
12月「道の栞」脱稿。
045
●明治39年(1906年)36歳
046
9月、
047
京都の皇典講究所に入学。
048
雑誌「このみち」を創刊。
049
●明治40年(1907年)37歳
050
4月、
051
皇典講究所卒業。
052
5月、
053
別格官幣社・建勲神社の主典となり12月辞任。
054
●明治41年(1908年)38歳
055
8月1日、
056
金明霊学会を大日本修斎会と改称。
057
●明治42年(1909年)39歳
058
3月、
059
雑誌「直霊軍」創刊。
060
●大正3年(1914年)44歳
061
8月、
062
「敷嶋新報」創刊。
063
9月25日、
064
直霊軍を組織。
065
●大正5年(1916年)46歳
066
3月9日、
067
直霊軍の別働隊なる白虎隊、
068
少年隊を組織。
069
4月、
070
大和畝傍山に参拝。
071
6月25日、
072
播州高砂沖の神島を開く。
073
●大正6年(1917年)47歳
074
1月、
075
大本機関誌「神霊界」創刊。
076
12月、
077
機関紙「綾部新聞」創刊。
078
●大正7年(1918年)48歳
079
4月、
080
大和三山を巡る。
081
11月6日(旧10月3日)開祖出口直子刀自昇天。
082
享年83歳。
083
●大正8年(1919年)49歳
084
9月、
085
「綾部新聞」を廃刊し新たに「大本時報」を発刊。
086
●大正9年(1920年)50歳
087
5月、
088
大和龍門嶽に登山。
089
9月、
090
大正日日新聞社を経営。
091
●大正10年(1921年)51歳
092
2月12日、
093
大本事件起きる。
094
同日、
095
京都監獄未決監に収容され、
096
097
6月17日、
098
責付出獄を許される。
099
この間の獄中生活126日に及ぶ。
100
8月、
101
「神霊界」を「神の国」と改題。
102
10月5日、
103
京都地方裁判所に於て大本事件の公判判決言い渡しあり。
104
不敬罪として懲役5年を言い渡される。
105
直ちに控訴。
106
同月、
107
本宮山神殿取毀命令下り、
108
官憲の手により破壊される。
109
同月18日(旧9月18日)より松雲閣に於て「霊界物語」の口述開始。
110
●大正11年(1922年)52歳
111
2月4日、
112
大日本修斎会を大本瑞祥会と改称。
113
●大正12年(1923年)53歳
114
7月、
115
国際語エスペラントを採用。
116
10月、
117
続いて日本式ローマ字を採用。
118
この年、
119
支那道院との提携成る。
120
●大正13年(1924年)54歳
121
2月13日、
122
払暁ひそかに綾部を立ちて数名の同志と共に入蒙の途に就く。
123
3月3日、
124
奉天を出発。
125
洮南を経て公爺府(コンエフ)に入る。
126
6月21日、
127
白音太拉(パインタラ)に於て捕らえられる。
128
7月、
129
官憲に護送されて帰国。
130
同27日、
131
責付取消により再び大阪刑務所北区支所に収容される。
132
11月1日、
133
保釈許可となり帰綾。
134
12月15日、
135
再び「霊界物語」の口述を始める。
136
●大正14年(1925年)55歳
137
1月20日、
138
大本及び大本瑞祥会の規約組織の大改革を行う。
139
5月11日、
140
最高点にて綾部町町議に当選。
141
同月20日、
142
世界宗教連合会を創立し、
143
北京に於て発会式を挙げる。
144
6月9日、
145
人類愛善会を設立。
146
7月15日、
147
大審院に於て大本事件は事実審理と決定。
148
従来の判決は破棄される。
149
10月、
150
「人類愛善新聞」発刊。
151
このほか「瑞祥新聞」「真如の光」エス文「大本」(後に国際大本と改題)文芸誌「明光」等続々発刊の運びに至る。
152
●大正15年・昭和元年(1926年)56歳
153
2月頃より楽焼の製作を始める。
154
5月より歌日記執筆。
155
この間、
156
亀岡に於ては神苑の造営大いに進捗。
157
●昭和2年(1927年)57歳
158
5月17日、
159
大赦令により7ヵ年にわたる大本事件解消。
160
12月、
161
渡台。
162
●昭和3年(1928年)58歳
163
2月1日、
164
長女直日、
165
高見元男(日出麿)と結婚式を挙げる。
166
5月、
167
四国地方巡教。
168
7月、
169
東北地方巡教。
170
この間、
171
亀岡にては月宮殿をはじめ諸種の建築物の竣成。
172
●昭和4年(1929年)59歳
173
3月、
174
四国巡教。
175
4月、
176
伊勢神宮及び香良洲神社参拝。
177
同月、
178
甲斐、
179
信濃地方巡教。
180
10月、
181
渡支、
182
一ヶ月余。
183
11月、
184
「北国夕刊新聞」大本の経営となる。
185
この年より全国各地に於て聖師作品展を開催。
186
●昭和5年(1930年)60歳
187
3月、
188
京都にて開催の宗教博覧会に参加し大本館を特設して出品。
189
6月4日、
190
開島30周年に際し沓島、
191
冠島参拝。
192
9月、
193
山陰及び壱岐対馬巡教。
194
同月、
195
人類愛善新聞社及び人類愛善会東洋本部を亀岡より東京に移転。
196
12月、
197
再び台湾巡教。
198
●昭和6年(1931年)61歳
199
8月、
200
満60歳の還暦を迎え更生祭を行う。
201
歌壇に進出し、
202
80有余の結社に加入。
203
数ヶ月に歌集数冊を発刊。
204
9月8日、
205
綾部鶴山山上に神声碑建立。
206
同月下旬、
207
山形、
208
更に北海道に巡教。
209
10月18日、
210
昭和青年会を結成し、
211
雑誌「昭和青年」(後に昭和と改題)を発刊。
212
12月、
213
四国地方巡教。
214
同月、
215
人類愛善会、
216
支那の聖道理善会(在理会)と提携。
217
愛善主義による各種精神運動団体との提携の歩は着々として進み、
218
既に提携せる主なものは支那の道院、
219
救世新教悟善社、
220
ドイツの白色旗団、
221
ブルガリヤの白色連盟等々あり。
222
●昭和7年(1932年)62歳
223
2月、
224
開教40周年祭を挙行。
225
同月、
226
「丹州時報」大本の経営となる。
227
同月、
228
大阪にて開催の満蒙博覧会に参加して愛善館を特設。
229
4月、
230
京都満蒙支那大博覧会にも参加し愛善館を特設。
231
6月18日、
232
人類愛善会と喇嘛教との提携成る。
233
7月、
234
東京満州国大博覧会に参加出品。
235
8月13日、
236
大日本武道宣揚会創立。
237
11月1日、
238
昭和坤生会を結成。
239
同月、
240
北海道地方巡教。
241
●昭和8年(1933年)63歳
242
旧1月1日付を以て大本を皇道大本と復帰し、
243
これまでの大本瑞祥会を解消。
244
3月、
245
紀州官幣大社熊野神宮に参拝。
246
同月、
247
伊勢神宮ならびに香良洲神社に参拝。
248
同月20日、
249
生母・世根子刀自帰幽。
250
10月4日、
251
亀岡天恩郷にて霊界物語「天祥地瑞」の口述を開始。
252
●昭和9年(1934年)64歳
253
7月22日、
254
昭和神聖会創立。
255
全国遊説。
256
●昭和10年(1935年)65歳
257
12月8日、
258
第二次大本事件起こる。
259
聖師松江より拘引、
260
京都市中立売警察署に収容される。
261
●昭和11年(1936年)66歳
262
3月13日、
263
起訴される。
264
●昭和15年(1940年)70歳
265
2月29日、
266
京都地方裁判所において判決、
267
治安維持法違反及び不敬罪として無期懲役を言い渡される。
268
直ちに控訴。
269
●昭和17年(1942年)72歳
270
7月31日、
271
控訴審の判決あり、
272
治安維持法違反は無罪不敬罪は原審通り有罪の言い渡し。
273
8月7日、
274
夫人澄子、
275
出口伊佐男と共に保釈出獄、
276
6年8ヶ月ぶりにて亀岡へ帰る。
277
●昭和20年(1945年)75歳
278
9月8日、
279
大審院の判決下る。
280
治安維持法違反は無罪と確定し、
281
相次いで不敬罪も解消。
282
10月、
283
第二次事件によって綾部、
284
亀岡の両聖地は当局の手により綾部、
285
亀岡両町に売り渡され、
286
法廷で争い続けていたが、
287
町との円満な解決によって無条件にて返還される。
288
12月8日、
289
事件解決奉告祭を綾部彰徳殿にて執行。
290
●昭和21年(1946年)76歳
291
2月7日、
292
聖師の提唱により「愛善苑」新発足。
293
8月7日、
294
突如発病、
295
血圧昂進のため絶対安静。
296
12月5日、
297
中矢田農園より、
298
落成した瑞祥館に移り静養。
299
12月8日、
300
愛善苑会則改正により聖師は苑主となる。
301
愛善苑趣意書を改正し愛善苑主意書発表。
302
●昭和22年(1947年)77歳
303
1月22日、
304
宗教法人令による法人組織の手続き完了。
305
8月27日(旧7月12日)喜寿を祝う瑞生祭を亀岡にて執行。
306
12月8日、
307
新生記念祭執行。
308
病勢やや悪化。
309
本部事務所竣成。
310
●昭和23年(1948年)78歳
311
1月18日(旧12月8日)容体急変。
312
1月19日、
313
午前7時55分昇天。
314
1月30日、
315
綾部へ遷柩。
316
2月2日、
317
葬儀を愛善苑苑葬として執行。
318
天王平に埋葬される。
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聖師伝
> 【附録】出口聖師年譜
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