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三五、晩年の聖師

インフォメーション
題名:35 晩年の聖師 著者:大本教学院・編
ページ: 目次メモ:
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日: OBC :B100800c35
001 愛善苑が発足すると間もなく、002三月三日には綾部鶴山の築山工事の着工、003さらに三月二十一日には天恩郷の建設工事が開始されました。
004 四月三日、005聖師御夫妻は沓島冠島遥拝のため舞鶴市大丹生(おおにゅう)へおもむかれました。006聖師御夫妻は葦谷(あしたに)の山麓から駕籠に乗られ、007数十人の信者が後につづいて山に登りました。
008 山頂から見れば、009はるか霞の中に墨絵のように冠島(おしま)010沓島(めしま)の両島が海上にうかんでいます。011聖師御夫妻は、012かつて明治の時代に開祖とともに小さな舟で両島に参拝されたことを思い出され、013まことに感慨無量の体に見られました。
014 この遥拝の場所を国見山(くにみやま)遥拝所、015登山道を国見坂と命名されました。
016 同夜と翌四日滞在、017五月朝大丹生を出発、018正午綾部に帰られました。
019 四月下旬には雑誌「愛善苑」の創刊号が発行されました。
020 聖師は昭和十年の事件によって無残に打ちこわされた月宮殿跡や神苑を幾度か巡ってごらんになりました。021そこには天恩郷名物のお多福桜が咲いており、022あちこちに石垣が残っていました。023天気の好い日は、024更生車(こうせいしゃ)にゆられて朝早くから農園を出て天恩郷に行き、025工事を監督指揮されました。026お孫さんの(あけぼの)ちゃん(梅野さんのお子さん)を抱いた聖師のお姿が、027ウインチをまきつつ働く信者の中に見られることもありました。
028 聖師御夫妻は五月八日の朝、029綾部を立って十一年ぶりに松江市赤山の松楽苑(しょうらくえん)(旧別院跡)へ赴かれました。030ここは、031昭和十年十二月八日の暁、032突如弾圧の嵐が聖師の身辺をおそったゆかりの地であります。
033 着かれた日は各新聞記者と面接して、034新築の館に休まれました。035翌日赤山(あかやま)に登って見られました。
036 別院は見るかげもなく(こわ)たれて
037後に残るは諸木(もろき)のみなる
038 三本の歌碑は残らず砕かれて
039神苑内に横たはりおり
040 これは聖師の歌日記からのお歌であります。
041 すみ子夫人は感慨を次のように歌われています。
042 かえりみれば十一年の夢ぞかし
043花咲く春にあいにけるかな
044 かえりみれば昔が夢かいま夢か
045夢の中なる夢の世の中
046 かえりみれば四十六年の昔なり
047母の旅路の姿目に見ゆ
048 九日から十五日までは信者に面接され、049また色紙や短冊に染筆されたり、050また信者の催しの演芸会に旅情を慰めたりされました。051十六日、052聖師御夫妻は地恩郷(ちおんきょう)を訪れ、053翌日は絵絹(えぎぬ)や額または衝立(ついたて)に雄渾な筆をふるわれました。
054 十八日一行は出雲大社に参拝し、055二十三日鉢伏山(はちぶせやま)に登り、056二十六日綾部に帰られました。
057 六月四日(旧五月五日)午前十時より綾部鶴山(つるやま)において築山(つきやま)富士(ふじ)の鎮祭が執行されました。
058 田植がはじまると、059聖師は田植初めをされました。060またある時は、061園部の旧知の宅を訪れ、062南陽寺に旧友と語り、063ある時は旧知の霊をとむらったりされました。
064 六月二十七日、065西本願寺法主・大谷(おおたに)光照(こうしょう)氏が中外日報社主・真渓(またに)涙骨(るいこつ)氏に案内されて中矢田農園に来訪され、066同志社総長・牧野虎次(とらじ)氏も加わって、067聖師と親しく語り合われました。
068 さらに聖師御夫妻は、069紀州の信者たちの懇望にこたえて、070七月十六日早朝、071亀岡を出発し、072大阪より船で紀州路の旅につかれました。
073 十七日新宮市三輪崎(みわざき)につき、074数十名の信者に迎えられて聖師御夫妻はカゴにて山路を登り、075三高(さんこう)農園の山荘に入られました。076ここは中谷の別荘として知られ、077太平洋を俯瞰する眺望雄大、078景色絶佳の地であります。
079 聖師は山荘を梅松館(ばいしょうかん)080三高農園一帯を快山峡(かいざんきょう)と命名されました。
081 聖師は夫人と出口伊佐男氏と三人でゆっくり語り合われました。082また信者の面接、083色紙の染筆、084屏風の揮毫などに時を過され、085また紀州地方の物故者の慰霊祭に参列されたりして、086二十六日午後九時亀岡に帰られました。
087 八月九日午前九時より綾部本宮山(ほんぐうやま)々上において聖師の第七十六回生誕の礼拝が行われました。
088 常に活動して止まれなかった聖師は、089晩年になっても、090天気が好ければ農園から天恩郷に出むかれて、091弱くなっておられた足を引きずるようにして現場の工事監督をされるのでした。092それも炎天の七八月の頃で、093よほどお身体におこたえになられたのか、094八月十四日、095工事監督中腹痛を起こされ、096工事半ばの瑞祥館(ずいしょうかん)に一夜を過ごされましたが、097平癒されましたので、098十七日の夕、099中矢田農園にお帰りになりました。
100 然るに、101八月二十五日、102月の輪台を完成され、103翌二十六日にいたって突如脳出血のため重態におちいられました。
104 しかし、105その後幾分快方に向かわれ、106十二月五日に瑞祥館が落成したので、107中矢田農園から移り、108絶対安静、109面会謝絶で静養されていました。
110 十二月八日、111愛善苑会則が改正され、112天恩郷の道場が落成し、113本部を併置することになりました。
114 聖師は病床にあっても、115愛善苑の順調な発展ぶりには満足せられ、116殊に宗教界、117思想界の動向には常に多大の関心をよせておられました。
118 昭和二十一年の秋、119京都において国際宗教懇談会が開かれ、120愛善苑委員長・出口伊佐男氏が出席された時などは、121かつて御自分が提唱された世界宗教連盟実現の第一歩であるといって大へん喜ばれました。122また昭和二十二年一月二十日、123愛善苑が宗教法人令による法人組織の手続が完了した時も聖師は喜ばれました。
124 また八月二十七日は聖師の喜寿を祝う瑞生祭(ずいせいさい)が盛大に亀岡で執り行われ、125十二月八日の新生記念祭には本部事務所竣工式が行われました。126聖師はこの新生記念祭の当日、127非常に喜ばれて、128御安心になったためか、129御病状がやや悪化しました。
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