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聖師伝
はしがき
01 御誕生
02 穴太の里
03 祖父の話
04 祖父の性行
05 祖父の再生
06 幼少年時代
07 小学校時代
08 久兵衛池事件
09 青年時代
10 獣医学の研究
11 父の死
12 青年時代の煩悶
13 高熊山出修の動機
14 高熊山の修行
15 使命の自覚
16 幽斎の修業
17 開祖との会見
18 聖師の大本入り
19 聖師と筆先
20 聖師の苦闘
21 神苑の拡張と造営
22 神島開き
23 大本の発展
24 第一次大本事件
25 霊界物語の口述
26 エスペラントとローマ字の採用
27 世界紅卍字会との提携
28 蒙古入り
29 世界宗教連盟と人類愛善会
30 大正より昭和へ
31 明光社の設立
32 急激な発展
33 第二次大本事件
34 愛善苑の新発足
35 晩年の聖師
36 御昇天
37 御昇天後の大本
【附録】出口聖師年譜
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聖師伝
> 35 晩年の聖師
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三五、晩年の聖師
インフォメーション
題名:
35 晩年の聖師
著者:
大本教学院・編
ページ:
目次メモ:
概要:
備考:
タグ:
データ凡例:
データ最終更新日:
OBC :
B100800c35
001
愛善苑が発足すると間もなく、
002
三月三日には綾部鶴山の築山工事の着工、
003
さらに三月二十一日には天恩郷の建設工事が開始されました。
004
四月三日、
005
聖師御夫妻は沓島冠島遥拝のため舞鶴市
大丹生
(
おおにゅう
)
へおもむかれました。
006
聖師御夫妻は
葦谷
(
あしたに
)
の山麓から駕籠に乗られ、
007
数十人の信者が後につづいて山に登りました。
008
山頂から見れば、
009
はるか霞の中に墨絵のように
冠島
(
おしま
)
、
010
沓島
(
めしま
)
の両島が海上にうかんでいます。
011
聖師御夫妻は、
012
かつて明治の時代に開祖とともに小さな舟で両島に参拝されたことを思い出され、
013
まことに感慨無量の体に見られました。
014
この遥拝の場所を
国見山
(
くにみやま
)
遥拝所、
015
登山道を国見坂と命名されました。
016
同夜と翌四日滞在、
017
五月朝大丹生を出発、
018
正午綾部に帰られました。
019
四月下旬には雑誌「愛善苑」の創刊号が発行されました。
020
聖師は昭和十年の事件によって無残に打ちこわされた月宮殿跡や神苑を幾度か巡ってごらんになりました。
021
そこには天恩郷名物のお多福桜が咲いており、
022
あちこちに石垣が残っていました。
023
天気の好い日は、
024
更生車
(
こうせいしゃ
)
にゆられて朝早くから農園を出て天恩郷に行き、
025
工事を監督指揮されました。
026
お孫さんの
曙
(
あけぼの
)
ちゃん(梅野さんのお子さん)を抱いた聖師のお姿が、
027
ウインチをまきつつ働く信者の中に見られることもありました。
028
聖師御夫妻は五月八日の朝、
029
綾部を立って十一年ぶりに松江市赤山の
松楽苑
(
しょうらくえん
)
(旧別院跡)へ赴かれました。
030
ここは、
031
昭和十年十二月八日の暁、
032
突如弾圧の嵐が聖師の身辺をおそったゆかりの地であります。
033
着かれた日は各新聞記者と面接して、
034
新築の館に休まれました。
035
翌日
赤山
(
あかやま
)
に登って見られました。
036
別院は見るかげもなく
壊
(
こわ
)
たれて
037
後に残るは
諸木
(
もろき
)
のみなる
038
三本の歌碑は残らず砕かれて
039
神苑内に横たはりおり
040
これは聖師の歌日記からのお歌であります。
041
すみ子夫人は感慨を次のように歌われています。
042
かえりみれば十一年の夢ぞかし
043
花咲く春にあいにけるかな
044
かえりみれば昔が夢かいま夢か
045
夢の中なる夢の世の中
046
かえりみれば四十六年の昔なり
047
母の旅路の姿目に見ゆ
048
九日から十五日までは信者に面接され、
049
また色紙や短冊に染筆されたり、
050
また信者の催しの演芸会に旅情を慰めたりされました。
051
十六日、
052
聖師御夫妻は
地恩郷
(
ちおんきょう
)
を訪れ、
053
翌日は
絵絹
(
えぎぬ
)
や額または
衝立
(
ついたて
)
に雄渾な筆をふるわれました。
054
十八日一行は出雲大社に参拝し、
055
二十三日
鉢伏山
(
はちぶせやま
)
に登り、
056
二十六日綾部に帰られました。
057
六月四日(旧五月五日)午前十時より綾部
鶴山
(
つるやま
)
において
築山
(
つきやま
)
富士
(
ふじ
)
の鎮祭が執行されました。
058
田植がはじまると、
059
聖師は田植初めをされました。
060
またある時は、
061
園部の旧知の宅を訪れ、
062
南陽寺に旧友と語り、
063
ある時は旧知の霊をとむらったりされました。
064
六月二十七日、
065
西本願寺法主・
大谷
(
おおたに
)
光照
(
こうしょう
)
氏が中外日報社主・
真渓
(
またに
)
涙骨
(
るいこつ
)
氏に案内されて中矢田農園に来訪され、
066
同志社総長・牧野
虎次
(
とらじ
)
氏も加わって、
067
聖師と親しく語り合われました。
068
さらに聖師御夫妻は、
069
紀州の信者たちの懇望にこたえて、
070
七月十六日早朝、
071
亀岡を出発し、
072
大阪より船で紀州路の旅につかれました。
073
十七日新宮市
三輪崎
(
みわざき
)
につき、
074
数十名の信者に迎えられて聖師御夫妻はカゴにて山路を登り、
075
三高
(
さんこう
)
農園の山荘に入られました。
076
ここは中谷の別荘として知られ、
077
太平洋を俯瞰する眺望雄大、
078
景色絶佳の地であります。
079
聖師は山荘を
梅松館
(
ばいしょうかん
)
、
080
三高農園一帯を
快山峡
(
かいざんきょう
)
と命名されました。
081
聖師は夫人と出口伊佐男氏と三人でゆっくり語り合われました。
082
また信者の面接、
083
色紙の染筆、
084
屏風の揮毫などに時を過され、
085
また紀州地方の物故者の慰霊祭に参列されたりして、
086
二十六日午後九時亀岡に帰られました。
087
八月九日午前九時より綾部
本宮山
(
ほんぐうやま
)
々上において聖師の第七十六回生誕の礼拝が行われました。
088
常に活動して止まれなかった聖師は、
089
晩年になっても、
090
天気が好ければ農園から天恩郷に出むかれて、
091
弱くなっておられた足を引きずるようにして現場の工事監督をされるのでした。
092
それも炎天の七八月の頃で、
093
よほどお身体におこたえになられたのか、
094
八月十四日、
095
工事監督中腹痛を起こされ、
096
工事半ばの
瑞祥館
(
ずいしょうかん
)
に一夜を過ごされましたが、
097
平癒されましたので、
098
十七日の夕、
099
中矢田農園にお帰りになりました。
100
然るに、
101
八月二十五日、
102
月の輪台を完成され、
103
翌二十六日にいたって突如脳出血のため重態におちいられました。
104
しかし、
105
その後幾分快方に向かわれ、
106
十二月五日に瑞祥館が落成したので、
107
中矢田農園から移り、
108
絶対安静、
109
面会謝絶で静養されていました。
110
十二月八日、
111
愛善苑会則が改正され、
112
天恩郷の道場が落成し、
113
本部を併置することになりました。
114
聖師は病床にあっても、
115
愛善苑の順調な発展ぶりには満足せられ、
116
殊に宗教界、
117
思想界の動向には常に多大の関心をよせておられました。
118
昭和二十一年の秋、
119
京都において国際宗教懇談会が開かれ、
120
愛善苑委員長・出口伊佐男氏が出席された時などは、
121
かつて御自分が提唱された世界宗教連盟実現の第一歩であるといって大へん喜ばれました。
122
また昭和二十二年一月二十日、
123
愛善苑が宗教法人令による法人組織の手続が完了した時も聖師は喜ばれました。
124
また八月二十七日は聖師の喜寿を祝う
瑞生祭
(
ずいせいさい
)
が盛大に亀岡で執り行われ、
125
十二月八日の新生記念祭には本部事務所竣工式が行われました。
126
聖師はこの新生記念祭の当日、
127
非常に喜ばれて、
128
御安心になったためか、
129
御病状がやや悪化しました。
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第六歌集『霧の海』
を掲載しました。
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