一
『そこより幸行まして、忍坂の大室に到りませる時に、尾生る土蜘蛛八十建、其室に在りて、待いなる。かれ爾に、天津神の御子の命以て、八十建に饗を賜ひき』
忍坂と云ふ処は、大和の桜井駅から、二里程隔つた山中で、忍坂は忍の坂と書いて其地名がおさかと云ひます。言霊の上から忍坂は坂は逆で、約り悪い者、忍は忍耐の忍でなく、忍び隠れること、心の曲つた人、所謂思想の悪い者が寄つて、隠れて居る事、大室は大きな家を土の中に建てて、其中で官軍の通過するのを待つて居る。尾生ふる土蜘蛛、尾の生えた土蜘蛛、神武天皇の御出になつた頃は土蜘蛛と云ふ人種は穴居時代の人種で尾が生えて居ると云ふことは、此前にもありました。是は猛獣的であつて、四足精神の人間の謂である。八十建は沢山な強暴な連中の頭であります。尾ある人は沢山の部下を持つ人の事で、尾生ふる土蜘蛛とは四足同様の野蛮人種で穴に籠つて居るものであります。神武天皇の御出を待ち構へて居つたと云ふことであります。現代にても何処にも彼処にも忍坂の大室屋と云ふものが出来て、悪神が跋扈跳梁して鎮魂が仕切れなくなつて居ります。神様の御国と云ふ事を考へず、コソコソと大室屋則ち悪思想の団体を各地到る処に樹てて居る。此大本の教に対しても是を叩き潰さむと、種々奸計を巡らしたり、大本は大帝国の秩序を紊さむとして居るとか、現代を呪うて居るのでは在るまいかとか、何とか譏して居ります。
『かれ爾に、天津神の御子の命以て、八十建に饗を賜ひき』
是は八十建が天津神の御子即ち神武天皇の御馳走になつたと云ふことであります。神様は悪い者の悪い思想には、厳重に審判されるのであります。天皇は神示の儘々、御馳走を以て敵を得心さして言向平和せ、若し聴かなかつた時には、その剣を以て国賊を刺せと仰せられた。御馳走には食を饗する事もあり、耳を饗する為に音楽もあり、眼を饗するため花火を揚げて見せる馳走もあるけれども、第一の馳走は此口からであります。
『是に、八十建に宛て、八十膳夫を設けて、人毎に刀佩けて、その膳夫等に歌を聞かば、一時共に斬れと誨へ給ひき』
膳夫は柏手と国音相通じ、拍手して謳ふ意味にもなります。拍手は神様の御前とか又は目出度き祝ひの席で、多人数が打ち解けて打つものであります。耶蘇教には拍手はなく、仏教は数珠を繰つて居る計りで決して手を打たぬ。言霊の上から云ふと、何百人の神の善い神霊が来り、神霊を以て霊の神託を乞はむとするのであります。万一神の教を反対して聴き入れぬ者は、彼のマホメットが片方にコウランの経典を持ち一方には剣を握つたと同じく、大和魂の入要な時分が来るのであります。天皇の教に心から帰順せば助けてやれ、反抗せば討てとの御聖旨で此剣を賜つたのであります。さうして拍手をしながら聴かない者は皆亡ぼして仕舞ふ。是は最後の手段で、悪い所のものは平げて仕舞はなければならぬ。若し何と云うても聴かなければ、已むを得ぬ行動を採らなければ成らぬのであります。天皇の仁愛の御聖旨を奉ぜず、反対に力限り土蜘蛛は手向うたので、神武天皇は已むを得ず平げられました。
『忍坂の、大室屋に、人多に、来入居り』
即ち種々な不良なる精神を有つて居る男が多いが、大室屋の子孫である。今の間島に居る不逞鮮人も、忍坂の大室屋で、思想上にも大室屋が沢山出来て居る。
『人多に、入居共、御稜威々々し、久米の子が、頭槌い、石槌い持ち、撃てし止まむ』
『久米の子』は神様の組の子と云ふことで、敬神勤皇報国を以て生命とする聖なる神の子の団体の謂であります。神と国との為に尽す団体である。或は御稜威畏こき神様に仕へる青年団体の謂で皇道大本の教子も久米の子である。『頭槌い』は立派な頭株の人の表象であります。『石槌い』と云ふ事は、賢実な至誠の団体の力であり、亦剣である。何程説明してやつても元来の悪人には役に立たないから、何時まで斯うして改心を待つて居ても建替は出来ぬ。教の方でいかなければ、已むを得ぬから石槌いの体の方、即ち剣の神力を以て撃つて仕舞はなければならぬ。今撃てば宣しと云ふことは、今を措いて外に良き機会がないから、此際撃つて仕舞へ、平げて了まはなければいかぬとの御詔であります。暴力に対しては剣である。思想問題が興れば、思想問題で押へるのが、本当に頭槌いの諭しである。諭して行かねば、石槌いの剣にかけても天下の為に是を平げる。現代も宜しく石槌いを用ふるやうになつてゐる。
二
鳥見彦亦の名は長髄彦、即ち脚の長い盗人である。他人の地面を永く占領するもの、某国の印度の併合に於けるも、大地主の沢山の土地を独占して居るのも、明治維新前迄、何十万石を独りで占領したもの等も、亦の名鳥見彦で、物質に富むで居ると云ふ事であります。
『みつみつし、久米の子等が、粟生には、韮一茎、そねが茎、其根芽つなぎて、撃てし止まむ』
此御歌の通り、子等に粟を賜はつたことが書いてある。一掴みの粟は沢山な粒数がある。濡手で粟を掴むと、何十万粒も掴むことが出来、其一つ一つが、何千倍の富に替つて来る。日々此一粒が、万倍に殖えて来る時機が来る。姜は生姜のことで、韮一茎とは古事記に仮名で書いて在る。カミラは神世の循環することである。神様の教を信ずる、それを奉じて行くこと、それが神らひともとで、そねめつなぎて撃てし止まむ、多くの神の子が一団体と成つて上下一致して、敵に当ることであります。沢山の団体であつても、是を統括するものが無く、所謂烏合の衆では役に立たぬ。然るに鳥見彦は、烏合的の大勢の者を繋いで奴隷にして居る。それを打平げて仕舞はなければならぬ。是を考へると、皇道大本は非常に重大な責任があることが、古事記の御神文に現はれて居ることが明かになります。
『御稜威々々し、久米の子等が、垣下に、植ゑし姜、口響く、吾は忘れじ、うちてし止まむ』
御稜威々々しき久米の子が、人垣を作つて非常に大きな団体をつくつて居る。垣は外来のものを防ぐと云ふ言霊で、小日本は磯輪垣の秀妻の神国であります。『垣下に植ゑし姜』とは、約り日本神国の教を奉じて固まつた神の園に、日本魂の種を植ゑ付け、夫れが生長したのが、ピリリと辛くて味の在るハジ神である。要するに忠勇義烈なる日本男子の代名詞である。是を以て天業を恢弘せむとの、天皇の御詔であります。一度に開くといふ梅の花の教も、終に果実を結び色付いて来ると、塩に浸けて重宝がる様になる。姜は梅の実と一緒に漬けると、真に結構な風味が出て来るが、姜で食べると口がピリピリとする、実に辛くて堪らぬ。『口響く』と云ふ事は、言向和すと云ふ意味もある、言霊を以てするときは、如何なる強敵も帰順する故に、此段は両様に解されます。世界各国に言霊が鳴り渡り、之が雲の上の辺りまで届いて来る。
『吾は忘れじ、撃てし止まむ』
何うしても国の為、民の為、此賊をば撃平げてしまはなければならぬ。忘れじと云ふことは、何処までもトコトンやつて仕舞はなければならぬと云ふことであります。
『神風の、伊勢の海の、大石に、蔓延廻ふ。しただみの、いはひもとほり、撃てし止まむ』
大石は二見ヶ浦の海中にある、鳥羽の方へ参りますと沢山ありますけれども、二つの大石となつて其間から太陽も出て来る、不二山も見える、此二つの岩は高皇産霊神、神皇産霊神、亦は伊邪那岐命、伊邪那美命の表徴と成つて居るから、俗に夫婦岩と称へて居ります。しただみは小さい貝の異名で、即ちしただみとは下人民である。要するに天皇の勅命を奉ずる下人民が、至誠を以て天皇に頑強に敵対ふ所の、大石の如うな賊徒を討亡ぼさねば止まない、上下一致して以て、大石の如き強賊を撃滅せねば止まないとの御勅命であります。亦次で、
『兄磯城、弟磯城を撃給へる時に、御軍暫し疲れたりき』
えしきと云ふのは、之も悪魔で、是はパン問題から起因したもので、エシキは餌食の意である。今日の社会主義者輩の如うに、吾等にパンを与へよ、然らざれば宜しく死を与へよ、と云ふ、過激な思想を抱いて天則に違反する、不良人間の代名詞であるから、結局パンが豊富に与へらるれば、直ちに鎮静して了ひますが、弟磯城の方は一層ヒドイ思想を抱いて居る、是は絶対的に帰順の至誠なき賊徒の謂であります。此の者を打給はむとして、非常にお疲れになつた、それで腰の上げ下しもならぬ、退くに退けぬと云ふ状態に、御疲れ遊ばして、一歩も退けぬ破目に陥らせ玉うたのであります。
『楯並、伊那佐の山の、樹の間よも、伊行まもらひ、戦へば、我はや飢ぬ。島津鳥、うがいが徒、今助けに来ね』
たたなめてと云ふことは、軍の楯を並べてと謂ふ事であるが、言霊学上から解釈すればタタは対照力であります。敵と味方とは相対峙して、互に鎬を削り合ふ形であります。
またタタの言霊は、多大の勢力といふ事にも成る、大軍を並べてといふ意義であります。今度の二度目の天の岩戸が開けるのも、要するに厳の御魂と瑞の御魂とが、霊的の位置からと、体的の方面からと互に相結合して、大神業の成就を来す事になつて居ります。
イナサの山とはイは治まつて無為の言霊、且つ大金剛力である。ナは推し鎮め神徳を顕はし、尊厳無比の意義である。サは騒ぎ乱るるの言霊で、淀み居る探し居るといふ意義である。則ち聖なる神軍と暴悪無道の賊軍と戦ふと云ふ意義であります。而してタタ並めてと云ふ意義は、手々を並べて、多くの軍隊が神の御前に拍手して、戦勝の祈念を凝らすといふ事であります。故に手々を並べて神に拍手して祈念すれば、斯くの如く敗戦は致すまい、それを不図忘れて居たから、吾を初め、一同の軍兵が苦戦したのであらう。神前に於て手々を並べて、拍手するのは、神国固有の教計りである。仏教者は祈念に際して、数珠を揉むが手を拍たない。キリスト教は、天に向つて祈願するが、是も只単に天の一方を指して祈る計りで、決して手を拍たぬ。昔からの諺にも『目の無い千鳥手の鳴る方へ』と云ふ事がありますが、今日の世の中の如く、一寸前の判らぬ精神上の盲者や聾計りでは、モウ一寸も国を保つて行く事は出来ぬ。サアとなつた時には、神の大前に拝伏して、手を拍つて祈らねば、何も分らぬ如うに成つて来るのであります。『島津鳥、鵜がいが徒、今助けに来ね』との御勅歌は、真に御国を思うて敬神尊皇報国の至誠を有する、所謂神に選まれたる処の人々等よ、此の時早く吾神軍を救ひに来たれと、仰せられたのであります。亦島津鳥と謂ふ意義は、鳥は暁天を告ぐる所の霊鳥である。神の教を克く守り、暗黒世界を照明し、日の出の守護とする事に而己、心身を傾注する所の、至誠の国民と云ふ意義であります。皇道大本の忠良なる信徒諸氏は、則ち島津鳥で、且つウガイが伴と云ふべきものであります。そしてウガイの伴の天職は、第一にアナナヒの大道を守るを以て主眼とする。アナナヒとは、自分の功績は皆神様や、天皇陛下の御功績として奉る、純忠純良の大道であります。祝詞の末尾にも鵜自物頸根突抜きて、恐み恐み白すとあるのも、神と君とに忠良なる神子と謂ふ事であります。故に吾々は現在の日本国の世態から考へて見て、上御一人の御為に、忠誠の大道を全うし以て、神恩皇恩に報い奉るべき時機に逢遇せる事を忘れてはならぬのであります。
畏れ多い事でありますが、是を今日の皇道大本に譬へて見ますと、丁度神武天皇が、御苦辛遊ばしたと同様の苦境であります。兄磯城弟磯城は盛んに筆剣口創を以て攻めて来る。大自在天の枝の守護神は、随所に圧迫を加へる。実に四面楚歌の裡に包まれ、進退維谷まるの現状でありますが、是も神様の御試煉と覚悟して、勇往邁進を続け、一歩も後退せずに惟神の大道に依つて、切り抜け切り祓ひ弥進みに進みつつあるのである。一方には本宮山に三体の大神様の大神殿を建設中で、非常の苦心中にも拘はらず、外部からは大敵が、日に月に襲うて来る。之を防ぎ止め以て神軍を進めむとして、大本の陸海軍とも曰ふべき言論機関の必要を、強く強く感ずると同時に、教信徒諸氏の赤誠に愬へ、漸く新聞発行の運びに立到つた。即ち手々並めて、いなさの山の神の誠依母射靱守らひ戦ひつつ、兵糧弾薬の欠乏に苦しみ、吾々は殆ど奔命に疲れむとして居るのであります。アア神に至誠至忠なる島津鳥ウガイが友なる真柱信者の、今一層わが奉仕する神業を助けに来て呉れないかと云ふのは、現今の私の心情であります。皇道大本の方も、新聞社の方も、幸ひにして人の手は揃うた、則ちたたなめられました。さうして神の誠の教のまにまに、社会の凡ての悪魔と戦つて居るのであります。鵜と云ふものは、一旦自分の咽まで呑み込んだ魚を、飼主の為に悉皆吐き出して以て、主人に奉仕するものである。斯の如き行ひを、神様や国家に対して行ふ赤誠の人士を、ウガイが徒と謂ふのであります。皇道大本はたたなめてイナサの山の木の間よも、いゆき守らひ戦ひつつ、一天万乗の大君の為、日本神国の為且つは世界人類救済の為に、不惜身命の活動を致して居る。島津鳥ウガイが伴であります。故に此の神示の活動を助くる人士は、即ち是も島津鳥ウガイが徒である。アア皇道の為に、国家の為に尽しつつある大本を、此時此際御神諭の御精神を真解された神人の助けられむ事を、岩に松計りであります。
三
『故爾に邇芸速日命、参赴て天つ神の御子に白さく。天つ神の御子、天降りましぬと聞つる故に追ひて参降来つと申して、即ち天津瑞を献り仕へ奉りき。故邇芸速日命、登美毘古の妹登美夜毘売に娶ひて生める子、宇麻志麻遅の命、此は物部連、穂積の臣、婇の臣の祖なり』
天孫邇芸速日命は鳥見彦の妹の登美夜毘売を娶つて、御二方御揃ひに成つて、中津国を知召されて居られたが、今や天津神の御子なる天皇が、此大和国に御出に成つた事を知り給うて、親ら御前にお越しになつて、御自分も天津神の同じ御裔で在ると曰ふ証拠の天津瑞即ち大切な宝物を献上されて全く天津神の御子に帰順されました。今までは邇芸速日命は、立派なる天孫で、天下統治の大権を御持ちに成つて居られたなれど、最早今度の天津神の御子に帰順すべき、時節の到来せる事を、心底より覚悟されて、極めて柔順に、凡ての物を御譲渡しに成つたのであります。神諭にも「時節ほど結構なものの恐ろしいものは無い、時節には神も叶はぬぞよ。時節を待てば煎豆にも花が咲いて、嬉し嬉しの果実が生るぞよ」と出て居ります。艮の金神様も、時よ時節で三千年の長い年月、悪神祟神と、四方八方から詈られ圧迫されて、艮の方に隠忍して、神政成就の時節を待たれたのであります。要するに、神武天皇が中津国を平定して、皇位に即かせ給うたのも時節なら、邇芸速日命が、国土珍宝一切を挙げて帰順されたのも時節の力であります。然し艮の金神国常立尊は、神界の表に立ちて神々を統治する大権を御受けに成つたのでありますが、神武天皇は、邇芸速日命から、現界統治の大権を御受取に成つたのであります。故に神界と現界とを離して考へて頂かぬと、飛んだ誤解を招く虞れが出来て参ります。今日神諭を誤解して皇道大本を色々と、批難するものの現はれたのは、此の間の消息を解し得ざる浅智浅学者の、不明の致す所であります。邇芸速日命の御子、宇麻志麻遅命は、神武天皇に忠勤を擢られ、御即位の御時には、鎮魂の祭事に奉仕された方であります。
四
『故此の如、荒ぶる神等を言向け平和し、不伏人等を退撥げたまひて、畝火の白梼原宮に坐しまして天下治しめしき』
天皇が種々雑多の御艱難を遊ばされ、諸の悪神を言向け平和し、畝火の橿原宮に、辛酉の歳正月元日に、天津日嗣の御位に即かせられました。丁度来年(大正十年)は御即位の歳から四十四回目の辛酉の年であつて、実に芽出度き意義深き年でありますから、皆様とともに改心を仕合うて此の紀元節を迎へ奉る如うに、致し度いのであります。
『故日向に坐しましし時、阿多の小椅君の妹、名は阿比良比売を娶して生みませる子、多芸志美美命、次に岐須美美命、二柱坐せり』
阿多はアデヤカの霊反しであつて、艶麗なる容貌の意義である。小椅は帯しの意義で、妹は妻と謂ふ事である。要するに立派な御妃を娶られた事で、吾人で言へば妻帯したと云ふ事であります。
アの言霊は眼に留る也の意義である。又世の中心大物主の言霊である。要するに国津神の頭の地位にある人で、国色勝れたる人である。
タの言霊は対照力也、身を顕はし居る也の意義である。
阿比良比売の言霊は、アは大本初頭也、ヒは尊厳也、日也、ラは高皇産霊神也、霊系也、ヒメは高貴なる婦人の名称也。以上の言霊解より考へる時は、実に申分の無き、立派な御妃と云ふ事であります。此の比売を娶して生みませる御子に、多芸志美美命、岐須美美命の二皇子があります。此の多芸志美美命は、終に謀反を企て、異母弟神沼河耳命に、亡ぼされて了はれました。此事は後に詳しく申上げますから、茲は省いておきます。
『然れども更に大后と為む美人を求ぎ玉ふ時に、大久米命の曰さく、此間に神の御子なりと謂す媛女有り、其を神の御子なりと謂す所以は、三嶋溝咋の女、名は勢夜陀多良比売、其容姿麗かりければ、美和の大物主神、見感でて、其の美人の大便所に入れる時に、丹塗矢に化りて、其の大便所の溝流下より、其の美人の富登を突きたまひき』
美和の大物主神は言霊上ミは形体具足也、ワは郡類也、オは興し助くる也、ホは恋ふる也、モは本元也、下に働く也、ノは野の活用也、ヌは能く鎮る也、シは堅く締る也、以上の活用に依りて大物主の神は世界各国の帝王又は大統領の司宰すべき大帝王の天職なる事を知られるのである。
勢夜陀多良比売の言霊は、セは世の働き也、ヤは矢也、固有の大父也、ダは最強なる対照力也、一の元也、タは平均力也、足り余る也、ラは無量寿の基也、循環の神機也、ヒは日也、メは天の戸也、世を見る也。
以上の言霊を綜合する時は、艮の金神国常立尊の御活動、及び御神諭の大精神に適合し、殆ど皇道大本の活動状態を指して居るのであります。三輪の大物主の神なる地主唯一の物質界の帝王が、主義精神実行の真に立派なる事を、感賞して娶らせられたといふ意義であります。
『美和の大物主神、見感でて、其の美人の大便所に入れる時に』
と云ふ事は、大便所は実に雪隠と謂つて隠れたる所で、最も低い所である。而して実に醜い所であるが、其の蓄積せる糞尿は、植物一切の大切なる肥料となるのである。又大便に蛆虫が発生して、段々と生長し羽化して、蠅となり立派な人間の頭にも止まつたり、神殿へも自由自在に飛んで行く様になるものである。御神諭にも『出口直は、糞糠に落して御用が命してあるぞよ。世間から見ればアンナものがと申せども、先を見て御座れよ。アンナものがコンナものに成る仕組が致してあるぞよ。開いた口が閉がらぬぞよ。牛糞が天下を取ると申す譬へは、今度の事であるぞよ』と現はれて居りますが今日の皇道大本は、実に世俗から見れば、実に約らぬ処の如うに見え、役員信者は、皆今日の鼻高さんの眼からは糞虫に見えるのであります。其の醜ない所に御這入りに成つて居る、勢夜陀多良比売なる、真の力ある女神を感賞して、恋ひ慕ひ隠れて、目合ひし玉ふ三輪の大物主神は、現今の世に当てはめましたなれば、如何なる神様でありませう乎。実に意味深重な物語りではありませぬ乎。
『丹塗矢に化りて、其の大便所の溝流下より、其の美人の富登を突きたまひき』
丹塗矢の言霊、ニは内心慕ひ居る也、粘付く也。日の照込む也。ヌは寝る也、主の徳也、麻柱の府也。リは⦿の極也、鳥の形也。ヤは親の謂れ也。即ち主師親の三徳の大物主神が極徳を保ちて、大便所の中迄も御探し遊ばしたと云ふ言霊であります。
大便所の言霊、カは蒙せ覆ふ也、光り輝く也。ワは紋理の起元也、生れ初む也、親を省みる也。ヤは地球を親しく包裏居る也、常世の天を照し居る也、裏面の天地也。以上の言霊活用に依れば、外醜内美なる神界の大経綸場たる事を知らるるのであります。三輪の大物主神は、丹塗矢と化り大便所を御探しになる時は、太古計りではありますまい。その亦大便所は、何国の山奥に在るか、谷底にあるか、各自に霊魂を研いて、三輪の大物主神の如うに、其の所在を探し当てねば成りませぬ。
五 ─(三輪大物主神の段御本文略す)─
三輪の大物主神が、大便所の下まで苦心して、勢夜陀多良比売を慕つて、御探し遊ばしたと曰ふ事は、実に社会の整理上よくよくの事なのである。之を現代に照合して考へて見れば、古今東西の聖人賢哲が世を平けく治め、人の身魂を安んぜむとして、熱誠を籠めて唱道せる宗教や倫理道徳説や、政治の方針は之を反覆し練習し来りしこと数千年の長年月を費して来ましたが、未だ以て真個社会を平和に進め、人の身魂を安全ならしむる事は出来なかつたのであります。宗教も、倫理も、政治も、哲学も、古来各学者輩の口に依り筆によりて主張宣伝され、各自に学派宗派党派を樹立し、以て相凌轢する天下混乱の状態は、所謂神武天皇の詔り給ひし『遂に邑に君有り、村に長あらしめ、各自彊を分ち用ゐ、相凌ぎ轢ろふ』と幾許の差異がありませう乎。現代の上流社会と自称する体主霊従的人間は美衣美食美酒美色に耽溺し、大厦高楼に起臥し、尸位素餐、閑居不善を極め、盛んに成金風を発揮し利己一偏の生活を送るものがあり、一方には営々兀々として子女を教養し、重税に苦しみつつ、租税の醸造機関たる、枢軸的所謂中流の社会が在つて、日夜各種の思想問題に去就を決し兼ね、不明不安の生活を送るものがある。一方には生活の物資を得むが為に、岌々乎として奔走し勤労しながら、猶ほ且つ其日の生活に家族を苦しましめ、生命糊口の不安に駆られつつ在る下流社会がある。全体上流だとか、中流だとか、下流だとか、名称を附するも、人類として果して何の差異があるであらう乎。人生の目的たるや、決して衣食住のみの為に生れたものではあるまい。禽獣と相等しく生活の物資を得るため而己に生れ、生活の為のみに奔走すべきものなるの理由は断じて無いのであります。人生の真面目は、天地経綸の司宰者として、天下国家の為に、各自の分に応じて活動すべく、神明の代表者たる本分を尽すべきもので在ると思ふ。然るに現代人は人生の本分、自己の天職を忘れて、物資財力政権等の獲得を以て、人生経綸の本義と誤信し、以て大は国際的の競争に、中は政権の争奪に、党を結び派を競ひ、日夜盲進的態度を持続し、小は個人として利己一偏の営利に相競争し、各自相凌轢して、世に処するの惨状は、是れ二千五百八十年以前に、神武天皇の詔り玉ひし『邑に君有り村に長あらしめ、各自彊を分ち用ゐ、相凌ぎきしろふ』の世態と、殆ど酷似して居るではありませぬ乎。アア如何にして、無道無明の現代を救ふことが出来ませう乎。如何なる人が混乱累惑の現代を匡正し改造するでありませう乎。皇道大本の出現は、果して現代に於て、無用の長物たる所以を認める事が出来るでありませう乎。
畏くも明治天皇は国民教育の根本に関する大勅語を降し給ひて、
『斯ノ道ハ、実ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ、子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所、之ヲ古今ニ通シテ謬ラス、之ヲ中外ニ施シテ悖ラス、朕爾臣民ト倶ニ、拳々服膺シテ、咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ』
嗚呼日本国臣民たるもの、誰かこの御聖旨を奉戴し、以て国体の精華を発揮し、天壌無窮の皇運を扶翼し奉り、以て祖先の遺風を顕彰したる者が、幾人あるであらう乎。又誰か、陛下の忠良なる臣民たるの資格を有するもの、幾人あるであらう乎。六千万の同胞は、上下の別なく滔々として、世界の濁流に游泳しつつ私産を作り、虚栄を貪るに於て、敢て手段の善悪を問はず、偽善詐偽不倫等の体主霊従的行為が根本的に、人生天賦の徳器を破壊するも、更に少しも意に介せざるの状態であります。殊に皇国に生れたる学者にして、『邦家之経緯王化之鴻基焉』と天武天皇の詔り玉ひたる、皇祖皇宗の御遺訓なる神典の一大精神と一大使命を悟らず、恰も西洋印度等の神話と、同一視して顧みざる而己ならず、却て軽侮の眼を以て之を遇するもの在るやに聞くのであります。斯くの如く、最も尊重心服すべき、斯道の大本を忘却し且つ軽侮しつつ、不徹底極まる泰西の迷妄学に心酔して、自己天賦の神霊を累惑せしめたる盲目学者の輩出するに至つて、天下は益々無道無明の域も墜転するは、実に遺憾限り無き次第であります。彼等の盲目なる学者輩は、実に日本国体の蠧虫であつて、又教育界の蠧魚であります。現代の如く秕政その窮極に達し、一日送りの政治や、其場限りの教育を以て、如何して能く国体の精華を発揮し奉る事が出来ませう乎。ああ是れ実に三輪の大物主神が、カハヤの下まで丹塗矢に化つて、勢夜陀多良比女命を、慕ひ探し玉うた所以ではありますまいか。ああ神聖不可犯なる皇憲を運用し奉る資格ある政治家、宗教家、教育家は、何時の日か出現するでありませう乎。思へば現代の政治教育宗教位、無力無定見なるものは有りますまい。
『其の美人の富登を突き給ひき』
ホトの言霊は霊地であり、秀所であり、地の高天原である。亦た局処である。神宮坪の内と謂ふ意義もあります。
突き給ひきと云ふ事は、肝腎要めの局所を突き止め、見極められたことであります。
ヲトメの言霊を解説すれば、
ヲは祭り守らしむる也、長也、治む也、教也、緒也、結びて一と成る也。
トは結び定むる也、皆治る也、十也、八咫に走る也。
メは内部に勢を含む也、本性を写し貽す也、親也、発芽也、天の戸也、世を見る也。
以上の言霊は、天地経綸の活用ある女神の発顕にして、祭政教一致の大道場である。即ち皇祖皇宗の御遺訓を遵奉し、且つ顕彰する神示の、聖団のある地の高天原である。
ホトの言霊を更に解釈すれば、ホは上に顕る也、活霊也、照込む也、火の水に宿る也、日の足也。
トは通り結び納る也、最も迅速疾走鋭敏也。
則ち、厳の御魂の瑞の御魂に依宿し、最も迅速に鋭敏に活用を照らす日の御子の、足なる十の聖処地の高天原なる事が伺はれるのであります。
『爾其の美人驚きて、立走りいすすぎき』
をとめは三輪の大物主神に、局処を突き止められ、非常に恐懼措く処を知らず、直に立ちて大神の命を奉じ、四方に奔走して敬神勤皇報国の至誠の為に、大々的活動を開始されたといふ事であります。
『いすすぎき』と云ふ概略な意義は、勇み進み君国の為に至誠至忠の大活動を為す事であります。吾々皇道大本の信者も、君国の為めに、至誠以て天地を貫くの大々的活動を致さねば成らぬ時運に到達致したのであります。
『乃て其の矢を将来て、床の辺に置きしかば、忽ち麗はしき壮夫になりて、即ち其の美人に娶ひて生みませる御子、名は富登多々良伊須々岐比売命』
そこで其の矢を将来て、床の辺に置きしと言ふ意味は、改造された三輪の大物主の化身を、最も尊き座に置き奉つて、将来の大国家の経綸を、勢夜陀多良比売から一々詳細に申上げると、大物主神は、初めて神意を覚り給ふと同時に、今迄の御煩慮は忽然として消え失せ、勇壮活溌なる大丈夫に身魂が改造変化され、将来に望を抱かれ、楽天、進取、清潔、統一の大精神を確持し、美人(瑞霊)と見合はし聞合はし宣り合はして、立派な御子を生み玉うたのであります。
ミコの言霊を解すれば、
ミは玉に成る也、⦿を明かに見る也、真也、満也、三也、形体具足成就也。
コは天津誠也、脳髄也、一切の真元と成る也、全く要る也。
即ち玉と成る也は、玉は天下統治の表象である。⦿を明かに見る也は、皇国の大使命を日神月神の光に依りて悟る事である。真也は至真至美至善の神徳である。満也は光輝六合に満ち渡る事である。三也は主師親の三徳及び三種の神器である。形体具足成就也は、君民一致の神政完了する事である。
天津誠也とは、惟神の大道にして麻柱の究極である。脳髄也は、万有一切を司宰する主脳の意義である。一切の真元也とは、政治宗教教育哲学等一切の真相本元を究極し、且指導する事である。全く要る也は、全大宇宙を神の意志に依りて統御し要むる事である。実に三輪の大物主神と大便所に入れる美人と肝胆相照し以て宇内無比のミコを生み給ふと曰ふ、実に結構なる皇宗の御遺訓であります。
『名は富登多々良伊須々岐比売命、亦の名は比売多々良伊須気余理比売と謂す』
(是は其の富登と云ふ事を悪みて、後に改めつる御名なり)
『故是を以て、神の御子とは謂すなりとまをしき』
名の言霊は真空之全体也。日本の名は実の極也、決して名は実の符牒、賓にあらず、日本人の声は有機物也、外国人の声は無機物也、符牒也。はは花美也、延び開く言霊也
ホは太陽の明也、上に顕る也。
トは十也、治る也。
タは常に治り静る也。
タは身を顕し居る也。
ラは極乎として間断無き也。
イは治而無為也。
スは集中也、真中真心也。
スは垣無く無為也。
ギは天津御祖の真也。
ヒは大慈大悲の極也。
メは地球を含む物の天と云ふ也。
ミは産霊の形を顕す也。
コは極微点也。
トは一切を能く結び定め治むる也。
右のホトタタライススギヒメノミコトの十五言霊の意義を解すれば、直霊の御霊の光り、太陽の如くに明かに照り渡り、雲の上に伊都能売と顕はれて、十善具足の神政を成じ、永遠無窮の天下は治まりて静かなり、神人として其身を蒼生の上に顕現し、極乎として間断無く、不言にして治まり、無為にして化し、一切の真中真心として、徳望一身に集中し、隔も無く平等に澄切り、天津誠の真元を持し、以て大慈大悲の極点、五六七の仁政を施き、世界を統一して物質界の亡者を天国に救ひ、生成化育の大道を発揚し、天来天賦の極微点を体現し、宇宙万有を能く結び治むるの神業を謂すのであります。五六七の神の御代の現象は、実にホトタタライススギヒメノミコトと現はれるのであります。皇道大本の神教は、即ちこの女神を招来せむとするのであります。
亦の名はヒメタタライスケヨリヒメと謂す。(是は其の富登と云ふ事を悪みて後に改めつる御名なり)とある意義は、富登は霊地にして、地の高天原である。然るに地の高天原は、世界人類を教ゆる所にして、政治の中府にあらず、故にヒメ即ち霊天最高の、天の霊府と改められたるを、富登と謂すことを悪みてと、言霊の上から示されたのであります。
亦たイスケヨリヒメのイスヒメは、前に述べた通りの活用でありますが、ケヨリと改まつたのは、一段と御神業の発展したる意味であります、即ちケは朝日東に輝き渡る、日出る国の国徳にして、後嗣再生の神徳であります。ヨは天火水地を調和し、至善至美の極徳を以て、天の下四方の国に法つたふる神力を具へ、以て万物を統御し、天壌無窮に極治極徳を施し給ふと曰ふ、神の経綸を体現する真人の意であります。アア現代は世界の各国、皆物質的にも精神的にも、内乱続発し且つ又戦争(物質精神共)の益々激烈なる、此の無辺無明の世を救ひ、治め祓ひ清め玉ふ比売神は、今何処に出現せむとしつつあるやを、誠心誠意天下の為に、研究すべき時代であらうと思ひます。
(大正九・一〇・一一東京確信会席上講演録 大正九・一一・一一号神霊界)