(上)神武天皇と伊須気余理比売
『於是、七媛女、高佐士野に遊行る。伊須気余理比売、其の中に在りき。爾ち大久米命、其の伊須気余理比売を見て、歌以て天皇に曰しけらく、
倭の、高佐士野を、七行く、媛女等、誰をし覓かむ』
七媛女と謂ふは、御神諭に七人の女といふ事が示してありますが、要するに七人の乙女と云ふ事は七は地成の意で、乙女の言霊は、
オは、起る也、貴也、高き也、天の位にして、親音なり。
トは、轟也、解也、基也、人也、前也、速也、男也、水中の火也。
メは、正中を主る也、女也、米也、回也、下知也。
之を一言に約めて謂ひますと、天に坐しまして、高く貴き御魂の神で、親の位を保ち玉ひて、大地球を包み守り、且つ世を起し助け一切の大基となり、人を教へ導き、天下の大勢を解し、衆に前んじて以て万世の治め方を明にし、万事能く行届く、水中の火霊即ち変性男子、女姿男体の真人にして宇宙の正中を宰り、回天の大業を為し、四方に神教を下知し、其の大名を遠近に轟かす神女と云ふ事である。只単にオトメと云ふ時は、妙齢の女の事であるが、ナナオトメと並ぶ時は、オトメの言霊に非常なる相違があります。大地を修理固成する事を七と云ふので、丁度国祖大国常立尊の御神業の表現である。亦オトメは、妹の姫といふ事にもなり、姉姫の天照大神に対して、妹姫の若姫君命に当るのであります。変性男子の御魂が、半分が国常立尊で、半分の御魂が若姫君命であるぞよと、神諭に示されあるは、今日の我国神界に於ける惟神真道弥広大出口国直日主命に当るのであります。現代は、七媛女の出現して、皇祖皇宗の御遺訓を天下に宣伝し且つ実行し、以て君国に奉仕せなくてはならぬ時期であります。
『高佐士野に遊行る』
高佐士野は、大和国の地名でありますが、之を言霊学上より解釈する時は、
タは玉の反し、カは暉く、サは爽かの反し、シは澄みの反し、ヌは鳴るの反しである。即ち円満具足の玉の如き、神教の暉き渡りて、爽かに澄渡り、天下に鳴り響くと云ふ事である。即ち完全無欠の神の道場と云ふ意味である。遊行ると云ふ事は、アは上に顕はれ、大本初頭の言霊であり。ソは上下一致和合十足の言霊であり、ベは心の色を顕はすと云ふこと、ルは克く法を照す言霊である。之に依つて見るも、至聖至貴、至善至美なる地の高天原に、天上天下に唯我独尊の経綸を肇め、且つ実行しつつある神域である事が解るのであります。
『伊須気余理比売、其の中に在りき』
伊須気余理比売の言霊は、既に前に述べましたから、是は省略致しますが『其の中に在りき』と云ふ事は、其の神域の中心的人物にて在りし、と云ふ事であります。
『大久米命、其の伊須気余理比売を見て、歌以て天皇に曰しけらく』
『倭の、高佐士野を』倭は大和の国を指したのであるが、是は言霊学より解釈する時は、ヤマトは日本即ち皇国全体の総称である。『高佐士野を、七行く、媛女等』ナは野村の反しで、ナヲの反しはノである。亦ナカの反しはナである。ナは即ち火水である。神の結びである。ユは世を見るの反し、クは神を知る、君を尊む、国を救ふの言霊の反しである。是れで七行く媛女等の言霊活用は大抵解つたでありませう。亦七人と云ふ数の女とも云ふ事が出来る。斯う云ふ誠の君国を思ふ神人が、所々に沢山出現して来ると云ふ事であります。
そこで、『誰をし将覓』
天皇が、沢山の媛女の中で、何れを引見し採用すれば宣からうかと御下問になつたのであります。
『爾に伊須気余理比売は其の媛女等の前に立てりき。乃ち天皇、其の媛女等を見そなはして、御心に伊須気余理比売の最前に立てることを知りたまひて、歌以て答へたまはく』
『其の媛女等の前に立てりき』と云ふ意義は、沢山の神人が現はれて、君国の為に至誠を捧ぐる忠良にして、柔順なる媛女の中にも、最も前に立ち上り、天下に宣伝して居るのが、真に神の御使であると云ふ意味であります。そこで天皇の御心に叶うたのは、最前に立ちたるは、伊須気余理姫なる事を御覚りになつた、と云ふ事であります。
『歌以て答へたまはく』と云ふ事は、天皇が直接に御言葉を、媛女に懸け玉はず、間接に歌のやうに大久米命に大御心を御写しになつたのであります。
即ち『かつがつも、いや前立てる、可愛をし覓かむ』と仰せられたのであります。第一声を挙げたる媛女、則ち神人に、天下統治の補佐役を任かさむ、との御詔勅を下されたのであります。この天皇の大后と召さるべき媛女、則ち神人は如何なる人でありませう乎。到底大久米命で無くては、探し当てる事は出来まいと思ふのであります。
『爾に大久米命、天皇の命を、其の伊須気余理比売に詔れる時に、其の大久米命の黥る利目を見て、奇しと思ひて、
胡鸞、鶺鴒、千鳥、真鵐、など裂る利目』
大久米命は、天皇の勅命を媛女に伝へたる時に、職務を大切に思ふ余り、一毫の微も見免さじと非常な注目を払つたのを、媛女は余りの詮索に呆れて、何故か天皇の御心に叶つた此の媛女に対し、疑つて左様に大きな眼を光らすか、全然胡鸞、鶺鴒、千鳥、真鵐のやうな、凄い眼ではないかと、奇しみ反問されたのである。凡て物は充分に研究し、且つ充分に考慮を廻らして、善悪正邪、能不能を、厳査して決定すべきものである。是を見ても、大久米命の、忠良なる輔弼の臣たる事を窺ひ知る事が出来るのであります。
そこで大久米命は、『媛女に、直に逢はむと、吾裂る利目』とお答を為られたのである。この『直に逢はむと』と云ふ言葉に、深遠なる意義があります。是は読者の身魂相応に、解釈されむ事を望みます。
『故、其嬢子仕へ奉らむと白しき』天皇の御勅命を奉じて、伊須気余理比売命なる、至誠至忠の団体代表者は、謹んで大命の随々、仕へ奉る事を御請されたと云ふ事であります。
『於是、其の伊須気余理比売命の家、狭井河の上に在りき。天皇、其の伊須気余理比売之許幸行まして、一宿御寝坐しき。』(其の河を佐韋河と謂ふ由は、其の河の辺に、山由理草多かりき。故其の山由理草の名を取りて、佐韋河と号けき。山由理草の本の名、佐韋と云ひき)』
狭井河のサは早瀬の反し也。井は和知の反し也。即ち瀬早き和知河と云ふ意義である。山由理草と云ふ意義は、山川草木迄も震動すべき神力ある人草と云ふ事である。バイブルにも「信仰の力は山をも動かす」とあり、至誠は天地に通じ、一声の下に天地を震撼せしめ、一言の下に風雨電雷を叱咤する真人生ふる清き川の意義である。乃ち皇典岩戸の段にある所謂天の安の河原であります。その結構な所に、天皇が御心を許して安心して一宿したまうたと云ふ事であります。御本文通り解釈すれば天皇が媛女を愛されて、其の家に御一泊遊ばしたと云ふ事でありますが、是には深い神界の御経綸のお在り遊ばす事であつて、現代の国情に鑑み奉れば、実に深遠微妙なる御神示であらうと思ひます。
『後に其の伊須気余理比売、宮内に参入れる時に、天皇御歌曰したまはく、
葦原の、醜こき小屋に、菅畳、弥清敷きて、朕二人寝し』
媛女が宮中に召し出された時に、天皇が、葦原の国の中の表面から見れば、実に醜しき小さい屋であつたが、其の中には、清き美はしき神の御魂が、沢山に畳の目の数ほど揃へてあつた。実に良い心持ちで天地合体し、天に一人地に一人の、和合親睦をした事であるわい、と仰せられたのであります。
『然して阿礼坐せる御子の名は、日子八井命、次に神八井耳命、次に神沼河耳命(三柱)』
日子八井命の言霊は、天津日の神の御子にして賢明なる神の子と云ふ事である。神八井耳命の言霊は、神智英雄八方の事明かに知る神の御子と謂ふ意義であります。神沼河耳命の言霊は、神武卓絶勇気凛々叡智の御子と云ふ御名であります。以上の三柱の皇子は、天照大御神の神系と三輪大物主の神系との契合より御出生遊ばした皇子でありますから、之を言霊学上三種の御神器の徳に配し奉る事が出来るのであります。即ち日子八井命は神鏡で、神八井耳命は神剣で、神沼河耳命は神璽であります。
(下)当芸志耳命と神沼河耳命
『故、天皇、崩まして後に、其の庶兄当芸志美々命、其の嫡后、伊須気余理比売に娶けむと将る時に、其の三はしらの弟たちを将殺として、謀つ間に、其の御祖、伊須気余理比売患苦ひまして、以歌して其御子等に、知らしめ玉へりし、その歌曰、
狭井河よ、雲立亘り、畝火山、木の葉騒ぎぬ、風吹かむとす。
又歌曰、
畝火山、昼は雲と居、夕去れば、風吹かむとぞ、木の葉騒げる』
以上の御本文を解し奉れば、明達にして意確如たる、神日本磐余彦火々出見天皇は、壹百参拾七の宝算を重ねて、七十六年春三月甲午朔甲辰に、御崩れ遊ばし給うたのであります。即ち諒闇と成つた。其の虚に乗じて、当芸志美美命は、大なる陰謀を企てたのであります。
タギシミミの言霊を調べて見ると、タは、乱れ亡ぶる意也、事二ツを生む也、垂れ降る也、足り余る也。ギは色を失ふ也、極り曲り還り廻る也。シは火の活用の極也、弛み撒える也の言霊である。当芸志は乱れ亡びて、政事二途に出で、力量余りて、却つて世は降落し、曲事の極に達して、天下万民色を失ひ、火の野を焼くが如き思想蔓延し、綱紀弛廃して、天下動乱するの言霊であります。斯の如き言霊の御子が、神界の経綸を完成し玉ふべき伊須気余理比売にタハケむとして、謀略を廻らすと曰ふ事は、実に由々しき大問題であります。今日の世の現状は恰もタギシミミの命の活動と、イスケヨリヒメの命の活動とが、相対立して居る様なものであつて、皇道大本の大趣旨と、社会の諸学者の外尊内卑的言説との対立して居るのと同一である。今後の大本は、飽く迄も神勅を奉じ、神諭を守り、以てイスケヨリヒメの活動を続けて行かねばならぬのであります。
亦た三種の神器の表徴とも云ふべき、三柱の御子まで、将殺と謀りごつと曰ふ事は、要するに、神明の国体を破滅せしめむとする悪魔の所為であります。
天下の形勢益々不穏なるを窺知せる伊須気余理比売は、三種の神器の表徴たる日の御子に、歌を以て御知らせになつたのであります。大本神諭の精神は、要するに、歌を以て天下の大勢、タギシ耳の命の謀略を教示し、且つ警告されたものであります。
次に『狭井河よ、雲立亘り、畝火山、木の葉騒ぎぬ、風吹かむとす』と曰ふ事は、狭井河の辺よりは、紫雲瑞雲靉靆亘り、実に目出度き御代の基が立たむとすれども、畝火の山の辺は、実に木の葉草の片葉迄がザワザワと為だしたが、今に大変な暴風が襲来せむとして居るから、注意せよとの伊須気余理比売命の警告であります。
又歌曰、
『畝火山、昼は雲と居、夕去れば、風吹かむとぞ、木の葉騒げる』
畝火の神山は、太陽の光の強き内こそ、瑞雲と成つて実に至治泰平の、立派な世界の如うであるが一朝日の神の影暗くなりし時は、暴風吹き荒み、大厦高楼を倒潰せしめむとして、そろそろ木の葉連中が騒ぎ出して居る。今の間に、余程注意を為されとの警告であります。大本神諭を充分に御研究になつたら、右二首の御歌の深意を窺知し得るのであります。
現時の如うに、不良鮮人と日本人迄が提携して、危険極まる爆弾を密造したり、陰に海外へ輸出したり、又不穏なる脅迫状を大官の許に郵送したり、大本へ脅迫状を送つたり、新聞雑誌や良からぬ荘士が、敬神尊皇報国の実行団たる大本を攻撃したり、日米問題に就て各大学の学生が、研究討論の会を開いて活動して居るなどは、所謂『風吹かむとぞ、木の葉騒げる』の御歌の実現ではありますまいか。
畝火山の意義を、略解せむとするには、順序として大和三山の御由来を、説明せなくてはならぬ。畏くも三種の御神器は、極貴極尊にして極儀式を保ち給ふが故に、直接に御名を称へ奉らずして、其の鎮台なる大和の三山を以て呼び奉るのであります。この三山は礼の至にして、敬の極である。万葉集御伝授に詳記さるるを見るべきである。大和の三山とは、天の香山、畝火山、耳成山の事である。日本の国の国中に、金輪際より顕立し居る神山で、且つ天底より来り養ひ居る所の、天の機脈に棲息せる霊峰であります。
蓋し天の香山は嗅山である。鼻成山である。花の山である。吾人の身体にしても面の正中に位して息の緒なり、玉の緒の庫である。此の鼻の穴なき時は、一分間も吾人は生命を保持する事は出来ない。大地球と雖も亦同一であつて、天の香山に依つて生命を保ち得るので、地球に於ても吾人の身体に於ても第一の主司であります。三種の御神器にては、神璽であり玉体であり陛下の御鎮台であります。
畝火山は稜威日、出日、日出山の意義であり、口成山である。即ち天照日の大神の御活霊として、世界を照し給ふの稜威日であります。三種の神器にては、大皇鏡の鎮台である。一天万乗の天津日嗣の主上が、大儀式を照して、此の稜威日山を践み占め鳴り出し給ふ所の七十五声が即ち八咫の大皇鏡に鳴り附きて、稜威日の光を増し玉ふが故に、現在を照し給ふ御事柄は、昼夜を貫き徹し玉ふが故に太陽よりも明かに、且つ厳重なる次第である。
故に主上一度、此の神山を践み占め給うた時に於ては、この至大天球之中に、極智充実ます所の、極乎恒々烈々神々霊々たる、蒸気よりも、煙よりも、香よりも、猶々微細にして、眼にも鼻にも入らざる所の神霊元子が、玉体に神集ひに集ひ来りて、鳴り出る所の七十五声が、稜威の光を増し玉ふが故に、高天原が写真に結晶したる焦点の神鏡と成るのである。即ち八咫鏡を温め奉るが故に、善言美辞の言霊を以て、照し説き極むる時は、世界一切の天津誠の真実理が、最も明白に照り渡るのであります。天津金木を、千座の置座に置き足はして、此の七十五声の真象を明かに写し出し、其の活機を顕示する時には、宇宙万有一切明かに照り徹り渡る。是ぞ全く皇道大本の神諭にして、稜威日の神の出現であります。
耳成山は、聴く山にして、気山である。又真釣山である。世界の一切の物事を聴こしめし玉ひて、其の物事一切に相当する言霊を以て、天秤釣に真釣り、善悪正邪理非曲直を厳重に切り分け、定め極め給ふてふ、草薙神剣の御鎮台であります。剣は釣極の意味である。両刃の釣合を尊みて、つるぎと読むのであります。
以上の説明に由つて、畝火山の地点並に霊能活用の大意が分つたことと思ひます。
『於是其の御子たち聞知りまして、驚きて、乃ち当芸志美美を将殺と為たまふ時に、神沼河耳命其の兄、神八井耳命に曰したまはく、吾兄、汝命、兵を持りて、入りて。当芸志美美を殺せたまへと曰したまひき。故、兵を持りて、入りて将殺とし玉ふ時に、手足わななきて、得殺せたまはざりき』
神八井耳命即ち神剣たる軍兵の力を以て、タギシミミを討滅せむと為したまふとも、信仰浅くして、物質文明のみに累惑沈溺して、神国の国威神力を自覚せざる兵士は、数理的頭脳のみに左右されて居るから、到底勝算無きものと覚悟し、今日に譬ふれば、某国の軍備は、我国の軍備に対して最も優勝の地位にありとて、国家を滅ぼし且つ占領せむとする敵国ありとするも、容易に膺懲の師を興す事を躊躇して居る如き状態を『手足わななきて、得殺せたまはざりき』と曰ふ事である。体力と体力と戦ふ時は、強きもの、数多きものが勝つのは天地の真理である、例へば総理大臣と梅ケ谷とを土俵の上に登らせて、裸体にして角力を取らしたとすれば、一国の宰相でも、一握みにされて土俵の外へ投り出される様なものであります。故に神八井耳命は、兵を持り乍ら、手足となるべき部下が動揺畏怖に駆られて居るのを見て、容易に戦はれなかつたといふ事であります。
『故爾に、其の弟、神沼河耳命、其の兄の所持兵を乞取りて、入りて、当芸志美美を殺せたまひき。故、亦其の御名を称へて、建沼河耳命と謂しき』
神八井耳命の持ち玉ひし、兵馬の大権を、弟の神沼河耳命が譲り受けられて、右手には剣の徳を顕はし、左手には璽の徳を以て、暴悪無類なる当芸志美美命を討ち滅ぼし、天下の大害を除き玉うた、と曰ふ事であります。
『爾に、神八井耳命、弟、建沼河耳命に譲りて曰したまはく、吾は仇を得殺せず。汝命、既に得殺せたまひぬ。故、吾は兄なれども、上と為るべからず。是を以て汝命、上と為して天の下知ろしめせ、僕は、汝命を扶けて、忌人と為りて、仕へ奉らむと曰したまひき』
乃ち神八井耳命は、兵馬の大権を天地の神の法則に従ひ、兄なるが故に、一時之を掌握して居られたけれども、股肱乃ち手足たる兵が動揺して、仇を討滅する事が実際に於て出来ないので、弟の神沼河耳命に兵馬の大権を譲渡し、建沼河耳命と御名を称へて、仇敵の討伐を一任されました。建沼河耳命の言義は、現今の大元帥と曰ふ事に相当するのであります。そこで神八井耳命は吾は兄として兵馬の大権を握り、且つ天の下四方の国を知食す可き筈であるが、国家の仇を亡ぼす事が出来なかつた位であるから、天下に君臨すべき力徳が足らぬ、汝は弟であれども、能く国家の仇を殺滅し玉うた神勇者である、故に汝命は上と為つて、天の下を平けく安らけく治しめし玉へ、吾は忌人と為つて、天祖国祖の神に仕へ奉り、下に降つて皇室国家の平安を祈りませう、と仰せになつたのであります。実に神八井耳命は、直霊の発達した御方で、自省の力強く、時世を見るに敏なる御方であつたことは、皇位を建沼河耳命に惜し気も無く、御譲りになつたのに見ても明かであります。
(大正九・一〇・一一東京確信会席上講演筆録 大正九・一二号神霊界)