春の野に咲く
百花千花 蝶々の如くに飛び交ひて
次へ次へと移り行く
主の浮気のじれつたさ
わたしや悩まし寝られない もしもお酒が飲めたなら
一時二時三時でも 胸の悩みを忘れむものを
ほんに此の世はままならぬ 女と
生れたかなしさは
いか
程胸のさわぐとも 一人をつつしむ春の宵。
○
主をあやつる心猿意馬を のろふ心はなけれども
思へばかなしい春の
夜半 小さい女のこの胸に
警鐘乱打の響きあり ほんにつれないこの思ひ
いづれに向つて
吐逆せむ。
○
春は悩まし君の留守 今日で二十日も顔をみぬ
親しい主の友が来て 庭の桜をかこつけて
酒を進むるじれつたさ み空の月も吾が胸を
あはれみたまふかおぼろげに のぞかせたまふとみるうちに
しとしと降り来る春の雨 ほんにつれないはづかしい。
○
女ざかりの
二八の春を 桜の娘とうたはれて
一人寝る夜の淋しさは 神より
外に知らざらむ
深山の奥の
柴栗も ひらくためしのあるものと
さとらぬ父上母上の 心の空がじれつたい
このままいつまでしのび得む。
(昭和六・二・一三 更生日記 二の巻)