霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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〔一〕西王母

インフォメーション
題名:〔一〕西王母 著者:出口王仁三郎
ページ:239 目次メモ:
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2021-06-14 15:08:43 OBC :B121805c116
初出[?]この文献の初出または底本となったと思われる文献です。[×閉じる]神霊界 > 大正10年3月1日号(第135号)【出口王仁三郎執筆】 > 謡曲言霊録 一 西王母
   一
 西王母(せいわうぼ)は、大和田(おほわだ)建樹(たてき)()編纂(へんさん)の、謡曲(えうきよく)通解(つうかい)には、天上(てんじやう)仙女(せんじよ)であつて、三千年(さんぜんねん)桃実(もものみ)(きみ)(ささ)ぐることを(つく)つたのだと()()るのである。大本(おほもと)言霊学(げんれいがく)見地(けんち)から()ると、西王母(せいわうぼ)は、(いん)意味(いみ)し、(つき)(みづ)(たい)(をんな)()(とう)意味(いみ)するのである。(えう)するに(みづ)御魂(みたま)(つき)(かみ)坤金神(ひつじさるのこんじん)神皇産霊神(かむみむすびのかみ)なぞの(よこ)地位(ちゐ)(まし)ませる神様(かみさま)である。
ワキ『()りがたや、三皇(さんくわう)五帝(ごてい)(むかし)より、今此(いまこの)御代(みよ)(いた)るまで、かかる聖主(せいしゆ)のためしはなし。地『(その)御威光(ごゐくわう)()(ごと)く。ワキ『(その)御心(みこころ)(うみ)(ごと)くに。地『(ゆたか)(ひろ)御恵(おんめぐみ)。ワキ『(てん)(かがや)()()ちて、北辰(ほくしん)(きよう)ずる数々(かずかず)の、万天(まんてん)(めぐ)(ほし)(ごと)く、百官(ひやくかん)卿相(けいしやう)雲客(うんかく)や、千戸(せんこ)万戸(ばんこ)(はた)(なび)かし(ほこ)(よこ)たへ、四方(よも)門辺(かどべ)にむらがりて、(いち)をなし金銀(きんぎん)珠玉(しゆぎよく)(ひかり)(まじ)へ、光明(くわうみやう)赫奕(かくやく)として、日夜(にちや)勝劣(しようれつ)()えざりけり、かかるためしは喜見城(きけんじやう)()(たのし)みも如何(いか)ならむ』
 ワキ『()りがたや』空前(くうぜん)絶後(ぜつご)慶事(けいじ)とか、数千年(すうせんねん)(また)数万年(すうまんねん)一度(いちど)あるか()いか()れぬ(やう)な、吾人(ごじん)人類(じんるゐ)(たい)して結構(けつこう)なる(こと)出来(でき)()(とき)(もち)ふる言葉(ことば)である。乞食(こじき)一椀(いちわん)(めし)(もら)つて(れい)()つたり神様(かみさま)幸福(かうふく)(ねが)つて(かな)へて(いただ)いたり、軍人(ぐんじん)金鵄(きんし)勲章(くんしやう)頂戴(ちやうだい)した(とき)(はつ)する感謝(かんしや)()なども、()りがたいには相違(さうゐ)ないが、(この)(だん)()りがたいと()意義(いぎ)は、宇宙(うちう)開闢(かいびやく)以来(いらい)日本(につぽん)にも外国(ぐわいこく)にも古来(こらい)類例(るゐれい)()いと()(こと)意味(いみ)である。現界(げんかい)(おい)未曾有(みぞう)祥瑞(しやうずゐ)(あらは)れたことに(たい)して、感歎(かんたん)()(あた)はざるの形容詞(けいようし)であつて、滅多(めつた)()い、有難(ありがた)い、結構(けつこう)(こと)()意味(いみ)である。
 『三皇(さんくわう)五帝(ごてい)(むかし)より』三皇(さんくわう)五帝(ごてい)とは、支那(しな)伏義(ふくぎ)神農(しんのう)黄帝(くわうてい)の三時代(じだい)と、少昊(せうかう)顓頊(せんぎよく)帝嚳(ていこく)(げう)(しゆん)の五(だい)にして、(じつ)天下(てんか)泰平(たいへい)(をさ)まつた太古(たいこ)()(こと)であるが、(わが)神典(しんてん)(しめ)(たま)(ところ)()れば天之御中主(あめのみなかぬしの)(かみ)高皇産霊(たかみむすびの)(かみ)神皇産霊(かむみむすびの)(かみ)、の造化三神(ざうくわさんしん)三皇(さんくわう)()ひ、(これ)蘆芽彦舅(あしがひひこぢの)(かみ)天之常立(あめのとこたちの)(かみ)(がつ)して五帝(ごてい)()ふのである。
 『(いま)(この)御代(みよ)(いた)るまで、かかる聖主(せいしゆ)のためしはなし』宇宙(うちう)開闢(かいびやく)太古(むかし)より、今上(きんじやう)御代(みよ)(いた)数百(すうひやく)万年(まんねん)(あひだ)に、国華(こくくわ)発揚(はつやう)して、皇運(くわううん)隆々(りうりう)神威(しんゐ)八紘(はつかう)(かがや)(わた)り、世界(せかい)神威(しんゐ)皇徳(くわうとく)光被(くわうひ)せる、聖明(せいめい)君主(くんしゆ)()(たま)ひたる祥瑞(しやうずゐ)は、今上(きんじやう)御代(みよ)より(ほか)には()かつたとの祝辞(しゆくじ)である。
 地『(その)御威光(ごゐくわう)()(ごと)く。ワキ『(その)御心(みこころ)(うみ)(ごと)くに。地『(ゆたか)(ひろ)御恵(おんめぐみ)。ワキ『(てん)(かがや)()()ちて』
 天津日嗣(あまつひつぎ)主師親(しゆししん)三徳(さんとく)は、天津日(あまつひ)万有(ばんいう)光被(くわうひ)(たま)(ごと)くに三千(さんぜん)世界(せかい)照徹(せうてつ)(たま)ひて、(その)臣民(しんみん)(いつく)しみ(たま)()聖慮(せいりよ)は、(ひろ)(ふか)くして海洋(うみ)(ごと)く、天界(てん)にも地上()にも()(あふ)れたる聖代(みよ)意味(いみ)である。
 『北辰(ほくしん)(きよう)ずる数々(かずかず)の、万天(まんてん)(めぐ)(ほし)(ごと)云々(うんぬん)』とは、天界(てんかい)一切(いつさい)(ほし)が、北極(ほつきよく)星座(せいざ)()かつて(したが)運転(うんてん)するが(ごと)くに、群臣(ぐんしん)万民(ばんみん)(あふ)いで聖主(せいしゆ)(とく)(なび)(つか)へ、天下(てんか)無数(むすう)人家(じんか)は、国旗(こくき)軒頭(けんとう)(かか)げ、清風(せいふう)(なび)かせて、聖主(せいしゆ)祥代(しやうだい)(しゆく)(たてまつ)り、仁慈(じんじ)無量(むりやう)聖徳(せいとく)(した)ひて、朝廷(てうてい)四隅(しぐう)門前(もんぜん)群集(ぐんしふ)し、金銀(きんぎん)珠玉(しゆぎよく)珍宝(ちんぱう)(おのおの)(きそ)うて、聖主(せいしゆ)(おびただ)しく貢献(こうけん)し、武器(ぶき)(をさ)めて、至治(しち)泰平(たいへい)瑞雲(ずゐうん)(たな)びき(わた)り、光徳(くわうとく)霊威(れいゐ)昭々(せうせう)として、昼夜(ちうや)区別(くべつ)なく、山野海河(やまぬのうみかは)(きよ)(あきら)かに、喜見城(きけんじやう)天上(てんじやう)(みやこ))を地上(ちじやう)現出(げんしゆつ)し、至楽(しらく)至美(しび)至善(しぜん)神代(かみよ)招来(せうらい)せし、五六七(みろく)祥世(みよ)讃仰(さんかう)せる現象(げんしやう)である。
   二
 『桃李(たうり)(もの)いはず、(しも)おのづから(いち)をなし、貴賤(きせん)(まじ)はり、ひまもなし。シテ『おもしろや四季(しき)折々(をりをり)(とき)()て、草木(さうもく)国土(こくど)おのづから、(みな)()真如(しんによ)(はな)色香(いろか)(たへ)なる(のり)の三つの(こころ)(うるほ)(とき)(いた)りけむ。三千年(みちとせ)()く、花心(はなごころ)の、をり()(はる)の、かざしとかや』
 大本(おほもと)開祖(かいそ)(いづ)御魂(みたま)生宮(いきみや)として、()高天原(たかあまはら)なる綾部(あやべ)本宮(ほんぐう)聖地(せいち)(あらは)れ、国祖(こくそ)神業(しんげふ)参加(さんか)(たま)ひ、霊肉(れいにく)(とも)千辛万苦(せんしんばんく)()(たま)ひ、明治(めいぢ)廿五(ねん)初春(しよしゆん)梅香(ばいかう)馥郁(ふくいく)として四隣(しりん)(にほ)(ころ)惟神(かむながら)神筆(しんぴつ)(ふる)(たま)ひて『三千(さんぜん)世界(せかい)一度(いちど)(ひら)(うめ)(はな)(うしとら)金神(こんじん)()()りたぞよ』と獅子吼(ししく)され、大歓喜(だいくわんき)大希望(だいきばう)とを(もつ)出現(しゆつげん)され、三千年(さんぜんねん)辛苦(しんく)(はな)の、(ひら)()めたる(こと)(せん)(たま)うた。以来(いらい)(ふで)(くち)世界(せかい)改造(かいざう)絶叫(ぜつけう)し、救世主(きうせいしゆ)出現(しゆつげん)予示(よじ)されたのは、桃李(たうり)(もの)いはず、おのづから(こみち)をなすの、一大(いちだい)神人(しんじん)(あらは)(きた)ることを、()たせ(たま)うたのは、(すなは)()桃李(たうり)祥瑞(しやうずい)であつたのである。(もも)言霊学(ことたまがく)(じやう)(しも)(はたら)言霊(ことたま)であつて親心(おやごころ)であり、()(こころ)である。(また)(みづ)()にして、(あめ)()となり、()芽出(めだ)しとなり、(かず)()(かず)(あつ)め、一切(いつさい)本元(ほんげん)となる意義(いぎ)があるのである。
 (すもも)は、モモの(くは)しく(すぐ)れたるものにして、(なか)(あつ)まる言霊(ことたま)である。本末(ほんまつ)一徹(いつてつ)(つらぬ)き、八極(はちきよく)()八咫(やあた)()(きは)まり、八極(はちきよく)()べ、真中(しんちう)真心(しんしん)(むす)びの(はしら)にして、(たま)活用(くわつよう)である。
 三月(さんぐわつ)三日(みつか)(もも)節句(せつく)であり、(をんな)祝日(しゆくじつ)である。三月(さんぐわつ)変性(へんじやう)女子(によし)肉体(にくたい)にして、(すなは)(みづ)御魂(みたま)(つき)大神(おほかみ)意味(いみ)し、三日(みつか)変性(へんじやう)女子(によし)御魂(みたま)意味(いみ)するのである。()第一(だいいち)に、三千年(さんぜんねん)霊界(れいかい)経綸(けいりん)(うめ)(はな)なるヨハネの御魂(みたま)(あらは)れ、(つぎ)(もも)(はな)御魂(みたま)(あらは)れたのは、(じつ)神界(しんかい)(ふか)御思召(おぼしめし)実現(じつげん)したのである。貴賤(きせん)老幼(らうえう)区別(くべつ)()く、(かく)(ごと)目出度(めでた)桃李(たうり)花実(くわじつ)四方(よも)(くに)から(した)(あつ)まり、(べつ)宣伝(せんでん)もせず計画(けいくわく)()さざるに、自然(しぜん)(いち)()す、金輪聖王(こんりんせいわう)(をさ)(たま)大御代(おほみよ)は、春夏秋冬(しゆんかしうとう)季節(きせつ)順調(じゆんてう)にして、四民(しみん)(こぞ)つて鼓腹(こふく)撃壌(げきじやう)し、国土(こくど)山川(さんせん)草木(さうもく)(いた)るまで、(みな)()真如(しんによ)実相(じつさう)(はな)色香(いろか)(たも)ち、妙法華(めうほふくわ)の三つの(こころ)の、天下(てんか)(うるほ)(とき)(きた)りて、三千年(さんぜんねん)()(ひら)(にほ)()づる(もも)花心(はなごころ)世人(せじん)()びず、(へつ)らはず、(べつ)言語(げんご)(はつ)せざれども、人々(ひとびと)のその木蔭(こかげ)(した)()(きた)ること、皇道(くわうだう)大本(おほもと)神業(しんげふ)()ける(ごと)くである。愈々(いよいよ)神政(しんせい)成就(じやうじゆ)時機(じき)到来(たうらい)を、天下(てんか)万民(ばんみん)(ことごと)知得(ちとく)すべき時期(じき)となりて、(みづ)御魂(みたま)真人(しんじん)(まと)とし、(ちから)として群集(ぐんしふ)するを『をり()(はる)の、かざしとかや』と()ふのである。
     =歌=
 (すべ)(うた)天地(てんち)神明(しんめい)(こころ)(やは)らげ、人心(じんしん)(たひら)かならしめ、万有(ばんいう)左右(さいう)し、大三災(だいさんさい)小三災(せうさんさい)支障(さはり)消滅(せうめつ)せしむる権力(けんりよく)がある。如何(いか)天地(てんち)大神様(おほかみさま)(いへど)も、()三熱(さんねつ)三寒(さんかん)(くる)しみが御有(おあ)りなさるのである。天国(てんごく)浄土(じやうど)極楽(ごくらく)()つても、(けつ)して歓楽(くわんらく)ばかり(つづ)けて(あそ)(くら)して()るのでは()い。(かみ)(かみ)としてのそれぞれの艱難(かんなん)もあり、苦悩(くなう)もあるのである。(しか)るに俗人(ぞくじん)は、天国(てんごく)浄土(じやうど)とか極楽(ごくらく)とか()へば、至喜(しき)至楽(しらく)遊園地(いうゑんち)(ごと)くに誤解(ごかい)して()るものばかりである。(ゆゑ)天地(てんち)経綸(けいりん)司宰者(しさいしや)たる人間(にんげん)(すなは)(かみ)生宮(いきみや)言霊(ことたま)権威(けんゐ)によりて、天地(てんち)神明(しんめい)三熱(さんねつ)三寒(さんかん)(くる)しみを(まぬが)れたまふものである。(いは)んや善言(ぜんげん)美詞(びし)祝詞(のりと)優雅(いうが)にして高尚(かうしやう)なる和歌(わか)(ちから)(おい)てをやである。
 小野小町(おののこまち)和歌(わか)(えい)じて(あめ)()らしたと()ふのも、(みな)言霊(ことたま)妙用(めうよう)利生(りせい)である。
   三
 『いざや(きみ)(ささ)げむ、いざいざ(きみ)(ささ)げむ、すべらぎの、(その)御心(みこころ)(あまね)くて、(ひま)()(こま)(のり)(みち)千里(ちさと)(そと)まで(うへ)もなき、(みち)(いた)りて(あき)らけき、霊山(れいざん)会場(ゑじやう)(のり)(には)(ひろ)(をしへ)(まこと)ある、君々(きみきみ)たれば(たれ)とても、いさみある()の心かな』
 いよいよ芽出度(めでた)(かみ)経綸(しぐみ)桃李(もも)花実(くわじつ)をば、天津日嗣(あまつひつぎ)御料(ごれう)として、赤誠(せきせい)()めて(ささ)(たてまつ)らむとの言霊(ことたま)である。皇大君(すめおほかみ)大御心(おほみこころ)は、仁慈(じんじ)大徳(だいとく)顕幽(けんいう)両界(りやうかい)(あまね)充満(じうまん)して、治国(ちこく)(へい)天下(てんか)安民(あんみん)大道(だいだう)たる、皇祖(くわうそ)御遺訓(ごゐくん)は、(ひま)()(こま)(いとま)さへ()く、聖恩(せいおん)洪徳(こうとく)宇内(うだい)(かがや)き、至上(しじやう)至高(しかう)(のり)大道(だいだう)は、日月(じつげつ)(ごと)(あき)らけく、霊山会場(れいざんゐぢやう)(のり)(には)に、諸神(しよしん)諸仏(しよぶつ)(つど)(たま)ひて、惟神(かむながら)大法(たいほふ)守護(しゆご)(たま)ふ、鎮護国家(ちんごこくか)大経綸(だいけいりん)を、至尊(しそん)大前(おほまへ)(ささ)(たてまつ)る、天地(てんち)神明(しんめい)()聖慮(せいりよ)を、(うた)はせられたのである。霊山(れいざん)会場(ゑじやう)とは、仏教(ぶつけう)真言宗(しんごんしう)開山(かいざん)弘法(こうぼう)大師(だいし)は、紀州(きしう)高野山(かうやさん)なりと()ひ、伝教(でんけう)大師(だいし)比叡山(ひえいざん)なりと()ひ、日蓮(にちれん)身延山(みのぶさん)にありと()ひ、神道家(しんだうか)高天原(たかあまはら)なりと()つて()る。昨年(さくねん)初夏(しよか)真言宗(しんごんしう)名僧(めいそう)丸山(まるやま)貫長(くわんちやう)()綾部(あやべ)(きた)り、本宮山(ほんぐうやま)(のぼ)り、四方(しはう)青垣山(あをがきやま)(めぐ)らし、和知川(わちがは)清流(せいりう)山下(さんか)(おび)(ごと)(なが)るるの風景(ふうけい)()て、(おどろ)かれた。嗚呼(ああ)高野山(かうやさん)こそ霊山(れいざん)会場(ゑぢやう)蓮華台(れんげだい)として、宗祖(しうそ)弘法(こうぽふ)大師(だいし)選定(せんてい)して()かれたのだが、当山(たうざん)こそは、高野山(かうやさん)(まさ)霊山(れいざん)であつて、所謂(いはゆる)蓮華台(れんげだい)であり、()高天原(たかあまはら)相違(さうゐ)()いと感歎(かんたん)されたことがある。(つぎ)宇治(うぢ)醍醐(だいご)三宝院(さんばうゐん)僧侶(そうりよ)参綾(さんれう)して、本宮山(ほんぐうやま)(のぼ)り、四方(しはう)山容(さんよう)風景(ふうけい)()て、丸山(まるやま)()同様(どうやう)のことを()つて感歎(かんたん)した(こと)がある。神諭(しんゆ)にも、綾部(あやべ)には()高天原(たかあまはら)があると(しめ)されてある。()かる霊山(れいざん)会場(ゑぢやう)本宮(ほんぐう)山上(さんじやう)天津御祖(あまつみおや)大神(おほかみ)奉齋(ほうさい)し、八百万(やほよろづ)神達(かみたち)(つど)(たま)ひて、天下(てんか)国家(こつか)()(まも)り、()(まも)りに(まも)(さちは)(たま)ふは、(じつ)(たふと)有難(ありがた)き、惟神(かむながら)なる広大(くわうだい)無辺(むへん)の、皇祖(くわうそ)皇宗(くわうしう)(つた)(たま)ひし大道(だいだう)であつて、(まこと)天立(てんりつ)君主(くんしゆ)慈愛(じあい)(なつ)き、天下(てんか)万民(ばんみん)(たれ)一人(ひとり)として、この聖代(せいだい)心底(しんてい)より欽慕(きんぼ)せざるものは()いと()意義(いぎ)である。
   四
 詞『如何(いか)奏問(そうもん)(まを)()(こと)(さふろ)ふ。ワキ詞『奏問(そうもん)とは如何(いか)なる(もの)ぞ。シテ『(これ)三千年(みちとせ)(はな)()()なる桃花(たうくわ)なるが、(いま)(この)御代(みよ)(いた)(はな)()(こと)、ただ(この)(きみ)御威徳(おんゐとく)なれば、(あふ)ぎて(ささ)(まゐ)らせ(さふろ)ふ。ワキ『そも三千年(みちとせ)(はな)()くとは、如何(いか)さま(これ)()(およ)びし、(その)西王母(せいわうぼ)(その)(もも)か。シテ『中々(なかなか)にそれとも(いま)(もの)いはじ。ワキ『さればこそそれぞ殊更(ことさら)()()(はな)の。シテ『桃李(たうり)(もの)いはず。ワキ『(はる)いくばくの年月(としつき)を。シテ『(おく)(むか)へて。ワキ『(この)(はる)は。地『三千年(みちとせ)に、なるてふ(もも)今年(ことし)より、(はな)()(はる)にあふ(こと)も、(ただ)()(きみ)四方(よも)(めぐ)み、あつき国土(こくど)千々(ちぢ)(たね)桃花(たうくわ)(いろ)(たへ)なる』
 詞『如何(いか)奏問(そうもん)(まを)()(こと)(さふろ)ふ』とは、西王母(せいわうぼ)言葉(ことば)である。三千年(さんぜんねん)(らい)養成(やうせい)されたる日本(やまと)(だましひ)発揮(はつき)し、(もつ)聖主(せいしゆ)に、麻柱(あななひ)至誠(しせい)(ささ)(たてまつ)らむとする、忠君(ちうくん)愛国(あいこく)()一大(いちだい)団結(だんけつ)(もつ)て、天壌(てんじやう)無窮(むきう)皇運(くわううん)扶翼(ふよく)し、(おほい)皇基(くわうき)を、振起(しんき)(たてまつ)るべき、御神策(ごしんさく)天上(てんじやう)より、(もたら)(くだ)りたれば、(いづ)れの方法(はうほふ)()ちてか、万世(ばんせい)一系(いつけい)天津日嗣(あまつひつぎ)御許(おんもと)に、奏問(そうもん)せむとかとの神言(かみごと)である。ワキ詞『奏問(そうもん)とは如何(いか)なる(もの)ぞ』(これ)は、ワキの(あや)しみて、奏問(そうもん)理由(りいう)糺問(きうもん)された(こと)である。シテ『(これ)三千年(みちとせ)(はな)()()なる桃花(たうくわ)なるが、(いま)(この)御代(みよ)(いた)(はな)()(こと)云々(うんぬん)』は、そこで西王母(せいわうぼ)(こた)へて、(これ)(とほ)太古(たいこ)より()()けられたる、至誠(しせい)忠良(ちうりやう)日本(やまと)(だましひ)具足(ぐそく)せる、天皇(てんわう)赤子(せきし)聖団(せいだん)にして、弥々(いよいよ)今上(きんじやう)聖代(せいだい)(あた)りて、その至誠(しせい)発揮(はつき)し、君国(くんこく)泰山(たいざん)(やす)きに(まも)(たてまつ)らむとする(もの)の、数多(あまた)出現(しゆつげん)した(こと)は、(まつた)仁慈(じんじ)無量(むりやう)大君(おほぎみ)神威(しんゐ)と、聖徳(せいとく)(いた)(ところ)であるから、天津神(あまつかみ)大命(たいめい)(ほう)じて、()聖場(せいぢやう)(くだ)(きた)り、(かみ)(ひと)合一(がふいつ)して、(もつ)桃花(たうくわ)優美(いうび)醇清(じゆんせい)なる、赤誠(せきせい)()御使奴(みやつこ)として、奉献(ほうけん)せむとの神意(しんい)である。ワキ『そも三千年(みちとせ)(はな)()くとは、如何(いか)さま(これ)()(およ)びし、(その)西王母(せいわうぼ)(その)(もも)か』は、(もも)(はな)()()ては、皇基(くわうき)擁護(ようご)し、国土(こくど)修理(しうり)(たてまつ)るもの、(あら)はれ(きた)ると()ふことは、如何(いか)にも(いま)までに、幾度(いくたび)とはなく()いた神言(しんげん)である。(しか)らば(いま)(ささ)(たてまつ)ると、(あふ)せらるるのは、(はた)して西王母(せいわうぼ)培養(ばいやう)された神園(しんゑん)(もも)であるか、と反問(はんもん)されたのである。シテ『中々(なかなか)にそれとも(いま)(もの)いはじ』西王母(せいわうぼ)不言実行(ふげんじつかう)神使(しんし)であるから、容易(ようい)実状(じつじやう)何人(なんびと)にも(まを)さない。奏問(そうもん)すべき御方(おんかた)拝謁(はいえつ)する(まで)は、言挙(ことあ)げせぬとの()である。ワキ『さればこそそれぞ殊更(ことさら)()()(はな)の』は、非常(ひじやう)西王母(せいわうぼ)言行(げんかう)感心(かんしん)して、()ればこそ、言行心(げんかうしん)一致(いつち)神使(しんし)で、救世主(きうせいしゆ)資格(しかく)(いう)(たま)ふ、流石(さすが)西王母(せいわうぼ)である。()(うる)はしく(きよ)らかなる、(もも)()()(たま)ふ、神使(しんし)かなと(こた)へられた。(この)ワキの(ひと)奏問(そうもん)取次(とりつ)()き、(たか)(くらゐ)にある役人(やくにん)である。シテ『桃李(たうり)(もの)いはず』西王母(せいわうぼ)(こた)へて、わが養成(やうせい)(きた)りたる、数多(あまた)赤誠者(せきせいしや)は、(つね)不言実行(ふげんじつかう)(むね)とし、(もつ)軽々(かるがる)しく大小事(だいせうじ)(むか)つて、言舌(ごんぜつ)(ろう)せず、(じつ)感心(かんしん)なものである。との()表示(へうじ)されたのである。そこでワキ『(はる)いくばくの年月(としつき)を』は(いく)ばくの(はる)()年月(としつき)(かさ)ねて、()くも立派(りつぱ)(はな)()きしことよ、と感賞(かんしやう)(てい)であつた。シテ『(おく)(むか)へて』は、(それ)西王母(せいわうぼ)(さら)(おく)(むか)へてと、言葉(ことば)()はされたのである。(おく)(むか)へてといふのは、三千年(みちとせ)(おく)つて()て、(いよいよ)今日(こんにち)天運(てんうん)循環(じゆんくわん)して、(はな)()き匂ふ(はる)(むか)へて、奏問(そうもん)(とき)()たりとの意義(いぎ)である。ワキ『(この)(はる)は』今年(ことし)(はる)は、如何(いか)なる芽出度(めでた)いことの(あらは)れしぞと、感嘆(かんたん)()(へう)したのである。地『三千年(みちとせ)に、なるてふ(もも)今年(ことし)より云々(うんぬん)』とあるは拾遺集(しふゐしふ)躬恒(みつね)(うた)に、
  三千年(みちとせ)になるてふ(もも)今年(ことし)より (はな)()(はる)にあひにけるかな
とあるを作者(さくしや)(ここ)()きしならむか。三千年(みちとせ)千辛(せんしん)万苦(ばんく)西王母(せいわうぼ)救世(きうせい)願望(ぐわんまう)成就(じやうじゆ)(とき)(いた)(いよいよ)その忠誠(ちうせい)の、雲上(うんじやう)(たか)(たつ)するに(いた)りしも、(ただ)これ仁慈(じんじ)大君(おほぎみ)の、(あめ)(した)四方(よも)(くに)を、(たひら)けく(やす)らけく知召(しろしめ)(まも)(たま)大御恵(おほみめぐみ)発動(はつどう)にして、地球上(ちきうじやう)(かく)国土(こくど)諸民族(しよみんぞく)王化(わうくわ)(よく)し、(かみ)治教(ちけう)(あきら)かにして、(しも)万民(ばんみん)(みな)押並(おしな)べて、風俗(ふうぞく)敦厚(とんこう)(すす)み、赤誠(せきせい)(かみ)(ささ)げて、臣民(しんみん)たるの職責(しょくせき)(まつた)うし、国土(こくど)(やす)(をさ)まり、()戦争(せんさう)なく、悪病(あくびやう)なく、貧賤(ひんせん)なく、暴風(ばうふう)狂水(きやうすゐ)大火(たいくわ)なく、飢饉(ききん)なく、万民(ばんみん)顔色(がんしよく)(こと)(すぐ)れて(うる)はしく、愉快(ゆくわい)(いろ)(たた)へ、(あだか)(もも)(はな)の、一度(いちど)満開(まんかい)したるが(ごと)き、神妙(しんめう)不測(ふそく)天国(てんごく)招来(せうらい)すべき瑞兆(ずゐてう)である天国(てんごく)浄土(じやうど)招来(せうらい)は、三千年(みちとせ)()()(にほ)ふ、(みづ)御魂(みたま)()()(たま)ふに()りて、完成(くわんせい)さるる(こと)窺知(きち)する(こと)出来(でき)るのである。
   五
 ロンギ地『(さて)不思議(ふしぎ)久堅(ひさかた)の、(あま)少女(おとめ)()のあたり、姿(すがた)()るぞ不思議(ふしぎ)なる。シテ『(うたが)ひの(こころ)()きそ(つゆ)()に、宿(やど)るか(そで)(つき)(かげ)(くも)(うへ)まで(その)(めぐみ)(あまね)(いろ)にうつりきぬ。地『うつろふ(もの)()(なか)の、(ひと)(こころ)(はな)ならぬ。シテ『()天上(てんじやう)の。地『(たのし)みに、()けぬ()れぬと(おく)(むか)ふ、(とし)()れど(かぎ)りもなき、()(ほど)(へだ)てなく、(まこと)(われ)こそ西王母(せいわうぼ)の、分身(ぶんしん)よ、まづ(かへ)りて(はな)()をもあらはさむと、(てん)にぞ(あが)りける、(てん)にぞ(あが)(たま)ひける』
 ロンギ地『(さて)不思議(ふしぎ)久堅(ひさかた)の、(あま)少女(おとめ)()のあたり、姿(すがた)()るぞ不思議(ふしぎ)なる』神界(しんかい)()経綸(けいりん)深遠(しんゑん)にして不測(ふそく)なる、人心(じんしん)小智(せうち)窺知(きち)()べからず、(おも)はざる(とき)()らざる(とき)忽然(こつぜん)として、晴天(せいてん)霹靂(へきれき)(ごと)天上(てんじやう)月球殿(げつきうでん)より、天使(てんし)として、天津(あまつ)乙女(おとめ)眼前(がんぜん)(くだ)(きた)るを()ることの不可思議(ふかしぎ)なる、如何(いか)なる神慮(しんりよ)神策(しんさく)御在(おはし)ますぞと、(すこ)しく疑雲(ぎうん)(つつ)まれ、呆然(ばうぜん)たるの形容(けいよう)である。
 シテ『(うたが)ひの(こころ)()きそ(つゆ)()に』(けつ)して疑念(ぎねん)(つゆ)ばかりも()くな。天上(てんじやう)より神勅(しんちよく)(ほう)じて、(くだ)(きた)りし、(みづ)御魂(みたま)神使(しんし)であるとの証言(しようげん)である。
 『宿(やど)るか(そで)(つき)(かげ)(つき)水面(すゐめん)(かげ)宿(やど)し、露霜雪(つゆしもゆき)なぞに(うつ)る。(これ)風流(ふうりう)(つき)宿(やど)るとか、宿(やど)()るとか(とな)へるのであつて、宿(やど)るか(そで)(つき)(かげ)とある(つき)は、(けつ)して(しん)月球(げつきう)ではない。(そで)宿(やど)ると()ふことは(べつ)(ふか)意味(いみ)(ふく)まれてある。(これ)言霊学(げんれいがく)(うへ)から略解(りやくかい)すれば、
 は、⦿()包裏(つつみ)()(なり)(こころ)本府(ありか)(なり)神府(しんぷ)(なり)⦿()(しつ)()(なり)蒼空(さうくう)(なり)()(いへ)(なり)
 は、大勇力(だいゆうりよく)(なり)(つと)()ぐる(なり)大造化力(だいざうくわりよく)号令官(ごうれいくわん)(なり)()(しの)()ゆる(なり)既定(きてい)(なり)忍耐力(にんたいりよく)(きよく)(なり)照込(てりこ)みの(きよく)(なり)()()(こころ)()(なり)
 以上(いじやう)()言霊(げんれい)総合(そうがふ)解釈(かいしやく)する(とき)は、地上(ちじやう)出現(しゆつげん)したる救世主(きうせいしゆ)一大(いちだい)真人(しんじん)身魂(みたま)本能(ほんのう)である。この身魂(みたま)に、(みづ)御魂(みたま)分霊(ぶんれい)分体(ぶんたい)宿(やど)(たま)状態(じやうたい)(しよう)して、宿(やど)るか(そで)(つき)(かげ)()ふのである。『(くも)(うへ)まで(その)(めぐみ)(あまね)(いろ)にうつりきぬ』久方(ひさかた)天津(あまつ)御空(みそら)も、葦原(あしはら)(くに)押並(おしな)べて、五六七(みろく)大神(おほかみ)の、(ひろ)(あつ)(ふか)御恵沢(みめぐみ)の、(あまね)()(とど)()(わた)りて、(うる)はしき三千年(さんぜんねん)()(にほ)ふなる、(もも)(はな)(いろ)感染(かんせん)し、上下(しやうか)億兆(おくてう)(ことごと)神心(かみごころ)立帰(たちかへ)りて、(かみ)御子(みこ)たる本分(ほんぶん)(つく)すに(いた)つた、泰平(たいへい)御代(みよ)表徴(へいちよう)である。
 地『うつろふ(もの)()(なか)の、(ひと)(こころ)(はな)ならぬ』
 (いろ)()えで(うつ)ろふものは()(なか)の (ひと)(こころ)(はな)にぞありける
()古今集(こきんしふ)(うた)()きて、(ここ)(もち)ひしならむか。(うつ)るべきものは、人々(ひとびと)(こころ)(にほ)(はな)ばかりでは()い。(つき)(かげ)(うつ)れば、神霊(しんれい)(うつ)(たま)ふとの意義(いぎ)である。
 シテ『()天上(てんじやう)の。地『(たのし)みに、()けぬ()れぬと(おく)(むか)ふ』
 『身は天上(てんじやう)の』と()ふことは、天上(てんじやう)(まし)します、(つき)大神(おほかみ)分身(ぶんしん)であると()(こと)を、言外(げんぐわい)(ふく)ませたる名文(めいぶん)である。()けぬとは、日輪(にちりん)(すなは)天照(あまてらす)大御神(おほみかみ)()れぬとは、()食国(をすくに)知食(しろしめ)月輪(げつりん)意味(いみ)する。()(まも)()(まも)りに、天上(てんじやう)天下(てんか)一切(いつさい)万有(ばんいう)保護(ほご)しつつ、(おほ)くの年月(としつき)経過(けいくわ)せる(こと)であつて、(あさ)()(むか)へ、(ゆふ)()(おく)(つき)(むか)へて、天地(てんち)守護(しゆご)(たま)ふと()讃辞(さんじ)である。
 『(とし)()れど(かぎ)りもなき、()(ほど)(へだ)てなく、(まこと)(われ)こそ西王母(せいわうぼ)の、分身(ぶんしん)よ、まづ(かへ)りて(はな)()())をもあらはさむと、(てん)にぞ(あが)りける、(てん)にぞ(あが)(たま)ひける』
 三千年(さんぜんねん)(なが)歳月(としつき)を、天上(てんじやう)(たふと)神様(かみさま)でありながら、地上(ちじやう)(くだ)つて地位(ちゐ)をも(かへり)みず、世界(せかい)修斎(しうさい)のために()(ひく)うして、人界(じんかい)(まじ)はり、変性(へんじやう)女子(によし)活動(くわつどう)(つづ)(きた)たりし、天津少女(あまつおとめ)こそは、()実際(じつさい)は、西王母(せいわうぼ)(すなは)(つき)大神(おほかみ)(ひつじさる)(かね)大神(おほかみ)分霊(ぶんれい)分身(ぶんしん)に、御在(おは)しましたのであるとの(こと)である。()(もと)(かみ)()(かへ)つて、(いま)までの(もも)(はな)()のりたる、盛威(せいゐ)神徳(しんとく)(あらは)さむものと(あふ)せられて、(ふたた)(もと)任所(にんしよ)なる、高天原(たかあまはら)月宮殿(げつきうでん)に、(のぼ)(たま)うたと()ふことである。(かさ)ねて『(てん)にぞ(あが)(たま)ひける』と(しめ)されたのは、感歎(かんたん)()(あた)はずして、その神徳(しんとく)繰返(くりかへ)繰返(くりかへ)讃称(さんしよう)された意味(いみ)である。(みづ)御魂(みたま)変性(へんじやう)女子(によし)は、三千年(さんぜんねん)辛苦(しんく)艱難(かんなん)世界(せかい)(ため)()められ、幾度(いくたび)()天地(てんち)昇降(しようかう)させられたのであるが、弥々(いよいよ)天津日嗣(あまつひつぎ)大神様(おほかみさま)に、桃李(とうり)(はな)(たてまつ)り、国土(こくど)安穏(あんをん)にして、何時(いつ)陽々(やうやう)たる、(はる)(ごと)世界(せかい)立直(たてなほ)()き、無限(むげん)神力(しんりき)(かく)しつつ、(かみ)誠実(せいじつ)(あまね)天地(てんち)(あらは)し、麻柱(あななひ)大道(だいだう)万民(ばんみん)(しめ)さむが(ため)に、(ふたた)天上(てんじやう)()(のぼ)りになつたと()ふことである。
   六
 ワキ歌『絲竹(しちく)呂律(ろれつ)声々(こゑごゑ)に、しらべをなして音楽(おんがく)の、(こゑ)すみ(わた)(あま)(かぜ)(くも)(かよ)()(こころ)せよ』
 『絲竹(しちく)呂律(ろれつ)声々(こゑごゑ)に』とは、(ふえ)(しやう)篳篥(ひちりき)(こと)琵琶(びは)太鼓(たいこ)羯鼓(かつこ)鉦鼓(しやうこ)なぞの、音楽(おんがく)(こゑ)といふことである。西王母(せいわうぼ)分身(ぶんしん)なる天津少女(あまつおとめ)は、三千年(さんぜんねん)艱苦(かんく)()て、()(そろ)ひたる桃花(とうくわ)を、天津日嗣(あまつひつぎ)御子(みこ)御許(みもと)(たてまつ)()へて、地上(ちじやう)(はな)れ、(あらた)めて、天上(てんじやう)(かへ)(たま)(とき)()(うへ)諸神(しよしん)諸仏(しよぶつ)(はじ)め、一切(いつさい)万霊(ばんれい)(わか)れを(をし)みて(あつ)まり(きた)り、諸々(もろもろ)音楽(おんがく)のしらべを()して、()昇天(しようてん)(おく)(まつ)るのである。
 『(こゑ)すみ(わた)(あま)(かぜ)(くも)(かよ)()(こころ)せよ』
 古今集(こきんしふ)に、
  天津(あまつ)(かぜ)(くも)(かよ)()()きとぢよ 少女(おとめ)姿(すがた)しばしとどめむ
とあるを()(もち)ひたのである。この(うた)は、五節(ごせち)舞姫(まひひめ)()て、()()でたる(うた)である。
 地上(ちじやう)よりは、諸神(しよしん)諸霊(しよれい)(わか)れを(をし)みつつ、あらゆる音楽(おんがく)(そう)して、感謝(かんしや)()(へう)し、神慮(しんりよ)(なぐさ)(まつ)ると(とも)に、天上(てんじやう)よりも(これ)(おう)じて、絲竹呂律(しちくろれつ)調(しら)べも(ただ)しく、(いさ)ましき音楽(おんがく)(そう)して、天津神(あまつかみ)(たち)(かず)(かぎ)りも()(むか)への(ため)に、雲路(くもぢ)押分(おしわ)けて(あらは)(たま)ひ、三千年(さんぜんねん)(かみ)艱苦(かんく)(いさを)感賞(かんしやう)し、綺羅星(きらぼし)(ごと)くに(あらは)(たま)()盛況(せいきやう)も、地上(ちじやう)俗人(ぞくじん)には、(うかが)()ることは(むつ)()いが、(しか)(くも)(かよ)()(こころ)して(うかが)へば(なん)とはなしに、天上(てんじやう)(いさ)ましく、(にぎは)しき様子(やうす)である(こと)が、(うかが)()らるるてふ(こと)を、(しめ)したる名文(めいぶん)である。
   七
 地『おもしろや、かかる天仙理王(てんせんりわう)の、来臨(らいりん)なれば数々(かずかず)の、孔雀(くじやく)鳳凰(ほうわう)迦陵(かれう)頻迦(びんが)()(まは)声々(こゑごゑ)に、()()ふや(そで)羽風(はかぜ)(あま)(そら)(ころも)ならむ、(あま)(ころも)なるらむ』
 (これ)までは西王母(せいわうぼ)分身(ぶんしん)分霊(ぶんれい)は、葦原瑞穂(あしはらみづほの)(くに)修理(しうり)固成(こせい)目的(もくてき)(もつ)て、地上(ちじやう)(くだ)り、稚姫君(わかひめぎみ)(みこと)(くわ)し、(あるひ)(ひつじさる)金神(かみ)(くわ)し、沢田姫命(さはだひめのみこと)(へん)じて、国祖(こくそ)神業(しんげふ)輔佐(ほさ)し、地上(ちじやう)幽界(いうかい)顕界(けんかい)(あまね)調査(てうさ)開拓(かいたく)し、弥々(いよいよ)神政(しんせい)成就(じやうじゆ)の、経綸(けいりん)大略(たいりやく)なりたれば、天津神(あまつかみ)(みこと)()りて、目出度(めでた)天津神国(あまつみくに)(かへ)(のぼ)(たま)ひ、(ふたた)天津(あまつ)大神(おほかみ)神勅(しんちよく)(ほう)じて、豊葦原(とよあしはら)中津国(なかつくに)に、(くだ)(たま)うた一段(ひとだん)である。天津少女(あまつおとめ)形姿(すがた)にて、昇天(しようてん)されしが、此度(このたび)四辺(しへん)(かがや)く、黄錦(くわうきん)御衣(ぎよい)(ちやく)し、神格(しんかく)一層(いつそう)(たか)く、神威(しんゐ)赫々(かくかく)として西王母(せいわうぼ)全能(ぜんのう)(つき)大神(おほかみ)となつて、降臨(かうりん)(あそ)ばしたのである。(これ)からがいよいよ()ちに()ちたる、五六七(みろく)神代(みよ)が、地上(ちじやう)()てられて、万世(ばんせい)一系(いつけい)皇室(くわうしつ)御稜威(みいづ)が、地上(ちじやう)世界(せかい)一般(いつぱん)(かがや)(わた)(やう)になるのである。この西王母(せいわうぼ)著作(ちよさく)は、(まつた)神明(しんめい)指示(しじ)()つて、(もの)された神文(しんもん)であつて、(じつ)今日(こんにち)()現在(げんざい)(ならび)(ちか)将来(しやうらい)出来事(できごと)真相(しんさう)を、予告(よこく)したものである。『おもしろや』と()(こと)は、慶賀(けいが)歓喜(くわんき)至極(しごく)()にして、太古(たいこ)天照(あまてらす)大御神(おほみかみ)(あま)岩戸(いはと)(かく)(たま)ひ、六合(りくがふ)暗黒(あんこく)にして、昼夜(ちうや)(べん)ぜず、天上(てんじやう)天下(てんか)は、大騒乱(だいさうらん)勃発(ぼつぱつ)して、(ほとん)地獄(ぢごく)状態(じやうたい)()つた(とき)に、思兼神(おもひかねのかみ)其他(そのた)八百万(やほよろづ)神々(かみがみ)が、(あま)岩戸(いはと)(まへ)(おい)て、音楽(おんがく)(そう)し、(もつ)神慮(しんりよ)(やは)らげ(まつ)り、(ふたた)岩戸(いはと)より、大神(おほかみ)出現(しゆつげん)ましまして、宇宙(うちう)一般(いつぱん)照明(てりあか)りたる(とき)に、八百万(やほよろづ)(かみ)(くち)より、異口(いく)同音(どうおん)惟神的(かむながらてき)(はつ)したる讃辞(さんじ)歓語(くわんご)である。本段(ほんだん)の『おもしろや』も(また)、その(とき)(ごと)く、万神(ばんしん)歓喜(くわんき)(こゑ)であつた。大本(おほもと)神諭(しんゆ)所謂(いはゆる)二度目(にどめ)(あま)岩戸(いはと)(びら)きは、(すなは)天仙理王(てんせんりわう)の、降臨(かうりん)さるる(とき)の、この実況(じつきやう)諭示(ゆじ)あらせられたのである。天仙(てんせん)とは天上(てんじやう)()仙人(せんにん)のことで理王(りわう)仙人(せんにん)()である。すべて仙人(せんにん)には神仙(しんせん)天仙(てんせん)地仙(ちせん)凡仙(ぼんせん)の四(しゆ)階段(かいだん)がある。天仙(てんせん)()(くだ)りし(とき)は、其間(そのかん)これを地仙(ちせん)といふ。凡仙(ぼんせん)は、仙人(せんにん)(うち)でも(もつと)下級(かきふ)劣等(れつとう)仙人(せんにん)であつて、俗塵(ぞくぢん)()けて深山幽谷(しんざんいうこく)(のが)れ、松葉(まつば)なぞを食物(しよくもつ)にして、只管(ひたすら)長寿(ちやうじゆ)(たも)(くらゐ)(のう)であつて、天下(てんか)公共(こうきやう)(ため)には、何一(なにひと)貢献(こうけん)する(こと)()無用(むよう)長物(ちやうぶつ)である。
 天仙(てんせん)理王(りわう)とは、天上(てんじやう)()ける(かり)名称(めいしよう)であつて。()(じつ)月宮殿(げつきうでん)主神(スしん)月読(つきよみ)大神(おほかみ)の、御化身(ごけしん)である。地上(ちじやう)天国(てんごく)高天原(たかあまはら)()てて、至美(しび)至善(しぜん)なる五六七(みろく)神代(かみよ)政治(まつりごと)()(おこな)はむが(ため)に、()降臨(かうりん)になるのであるから、数々(かずかず)孔雀(くじやく)や、鳳凰(ほうわう)や、迦陵(かりよう)頻伽(びんが)なぞの、目出度(めでた)天上(てんじやう)()(とり)が、神明(しんめい)聖代(せいだい)(しゆく)して、中空(ちうくう)()(まは)り、各自(てんで)(こゑ)(はな)ちて、太平(たいへい)御代(みよ)(うた)ひ、()()ふ、その(つばさ)羽風(はかぜ)(いさ)ましく、地上(ちじやう)(とどろ)(わた)り、天地(てんち)清浄(せいじやう)にして、(じつ)極楽(ごくらく)状況(じやうきやう)(あらは)れて()るのである。
 『(あま)(そら)(ころも)ならむ、(あま)(ころも)なるらむ』とは、()目出度(めでた)祥鳥(しやうてう)(つばさ)綺麗(きれい)な、立派(りつぱ)なのを歎賞(たんしやう)して、天津神(あまつかみ)御神衣(ごしんい)であらうと()つた意味(いみ)である。(しか)しながら孔雀(くじやく)鳳凰(ほうわう)迦陵(かりよう)頻伽(びんが)()ふは、その(じつ)形容詞(けいようし)であつて、天津神(あまつかみ)(つか)(まつ)天使(てんし)(こと)である。その天使(てんし)(なか)でも(もつと)(すぐ)れたる使神(ししん)が、月読(つきよみ)大神(おほかみ)中空(ちうくう)まで(おく)(きた)りて、中空(ちうくう)より()祥瑞(しやうずゐ)讃美(さんび)して、舞楽(ぶがく)(そう)し、祝意(しゆくい)(へう)(たま)へる(こと)(しめ)されたる名文(めいぶん)である。
 『(あま)(そら)(ころも)ならむ、(あま)(ころも)なるらむ』の文意(ぶんい)をよく研究(けんきう)すれば、(とり)のことでは()いといふ(こと)(うかが)はれるのである。
   八
 シテ『いろいろの(ささ)げもの。地『いろいろの(ささ)げものの(なか)(たへ)()えたるは西王母(せいわうぼ)其姿(そのすがた)、ひかり庭宇(ていう)(かがや)かし、黄錦(くわうきん)御衣(ぎよい)(ちやく)し』
 『いろいろの(ささ)げもの』とは、普天(ふてん)(もと)率土(そつと)(ひん)(いた)るまで、王臣(わうしん)王土(わうど)(あら)ざるは()きを(もつ)て、宇宙(うちう)一切(いつさい)金銀(きんぎん)珠玉(しゆぎよく)珍宝(ちんぽう)(さら)なり、地球上(ちきうじやう)一切(いつさい)国土(こくど)()げて、天津神(あまつかみ)御子(みこ)()れます、天津日嗣(あまつひつぎ)天皇(すめらぎ)奉献(ほうけん)(まつ)(かみ)()経綸(けいりん)である。(てん)二日(にじつ)なく、()二王(にわう)なし。(しか)るに現代(げんだい)(ごと)く、天下(てんか)(いた)(ところ)粟散王(ぞくさんわう)があつては、到底(たうてい)天祖(てんそ)()神勅(しんちよく)なる、豊葦原(とよあしはら)瑞穂(みづほ)(くに)一般(いつぱん)地球(ちきう))を、(たひら)けく(やす)らけく知食(しろしめ)(こと)出来(でき)ない。(ため)神諭(しんゆ)()るごとく、七王(ななわう)八王(やわう)世界(せかい)(わう)出来(でき)ては、世界(せかい)苦舌(くぜつ)絶滅(ぜつめつ)せないので、変性(へんじやう)男子(なんし)変性(へんじやう)女子(によし)の二(はしら)神霊(しんれい)地上(ちじやう)(あらは)れて、久良芸那須(くらげなす)(ただよ)へる、混乱(こんらん)世界(せかい)修理(しうり)固成(こせい)(たま)ひて、(しん)五六七(みろく)聖代(せいだい)樹立(じゆりつ)し、(これ)雲上(うんじやう)皇大君(すめおほぎみ)(ささ)(まつ)り、治国(ちこく)安民(あんみん)神策(しんさく)まで()して、万劫(まんごう)末代(まつだい)神代(かみよ)経綸策(けいりんさく)奏上(そうじやう)(たま)(こと)を、いろいろの(ささ)げものと(まを)すのである。神諭(しんゆ)にも『()世界(せかい)人民(じんみん)(ちから)では幾万年(いくまんねん)()ちても(をさ)まりは(いた)さぬぞよ。(かみ)(おもて)(あらは)れて、男子(なんし)女子(によし)因縁(いんねん)身魂(みたま)(あらは)して、(たて)(よこ)との守護(しゆご)()ければ、人民(じんみん)細工(さいく)では万劫(まんごう)末代(まつだい)()(つづ)きは(いた)さぬぞよ』と(しめ)されてあるのに(ちよう)しても、明白(めいはく)なる事実(じじつ)である。
 『(なか)(たへ)()えたるは西王母(せいわうぼ)(その)姿(すがた)、ひかり庭宇(ていう)(かがや)かし、黄錦(くわうきん)御衣(ぎよい)(ちやく)し』
 種々(いろいろ)(ささ)(もの)(なか)にも、(いた)つて霊妙(れいめう)艶麗(えんれい)なりしは、西王母(せいわうぼ)崇高(すうかう)優美(いうび)にして、(かつ)偉徳(ゐとく)全備(ぜんび)御神姿(ごしんし)である。玉身(ぎよくしん)よりは、明彩(めいさい)なる光華(くわうくわ)発揮(はつき)(たま)ひて、宮殿(きうでん)(くま)なく()(わた)り、宇内(うだい)六合(りくがふ)光明(くわうみやう)(あまね)(とほ)(かがや)き、()(まば)ゆきばかりである。(これ)西王母(せいわうぼ)神威(しんゐ)霊徳(れいとく)(たた)(まつ)れる形容詞(けいようし)であることを()るのである。『黄錦(くわうきん)御衣(ぎよい)(ちやく)し』とは、立派(りつぱ)黄色(わうしよく)錦衣(きんい)御召(おめ)しになつてといふことであるが、()真意(しんい)は、葦原(あしはら)瑞穂(みづほ)(くに)()(をさ)まりて、立派(りつぱ)なる天来(てんらい)日本(やまと)(だましひ)に、地上(ちじやう)神々(かみがみ)(およ)人類(じんるゐ)立帰(たちかへ)り、(つき)大神(おほかみ)神徳(しんとく)に、御衣(ぎよい)(ごと)(した)しく付従(つきしたが)ひ、(かつ)御神体(ごしんたい)(まも)()ることの形容詞(けいようし)であつて、如何(いか)にこの大神(おほかみ)()仁徳(じんとく)(たか)くして(ひろ)きかを(うかが)はれるのである。
   九
 シテ『(つるぎ)(こし)()げ。地『(つるぎ)(こし)()げ、真纓(しんえい)(かむり)()玉觴(ぎよくしやう)()れる(もも)侍女(じぢよ)()より()りかはし』
 『(つるぎ)(こし)()げ』(つるぎ)とは両刃(もろは)(つるぎ)である。(てき)()れば自分(じぶん)()るてふ(いまし)めの武器(ぶき)である。戦場(せんぢやう)なぞにて(もち)ふる(つるぎ)は、(てき)のみに(むか)つて()()けるやうに出来(でき)()るが、(かみ)()ばせたまふ(もの)(すべ)両刃(もろは)である。自分(じぶん)(わる)(とき)には自分(じぶん)()り、他人(ひと)(わる)(とき)には他人(ひと)()る、両方(りやうはう)釣合(つりあ)ひの(つるぎ)である。ツルギは、釣合(つりあ)()るの(つづま)言葉(ことば)で、(これ)正中(せいちう)から()いて(むね)(つく)り、自分(じぶん)(はう)(むね)()けて、(ひと)のみを()()うに(つく)つたのは、所謂(いはゆる)攻撃(こうげき)侵略(しんりやく)意味(いみ)する不祥(ふしやう)武器(ぶき)である。三種(さんしゆ)神器(しんき)の一つなる草薙(くさなぎ)神剣(しんけん)(ごと)きは、(すなは)ちこの釣合切(つるぎ)意味(いみ)から、(あらは)れた両刃(もろは)神器(しんき)である。(また)(つるぎ)極東(きよくとう)日本(につぽん)(くに)地形(ちけい)象徴(しやうちよう)である。(はなし)脱線(だつせん)したが、(ついで)だから(ここ)()(くは)へて()くことにする。(つるぎ)日本(につぽん)国土(こくど)形象(けいしやう)で、草薙(くさなぎ)神剣(しんけん)である。(ゆゑ)日本(につぽん)(うま)れた民族(みんぞく)は、この神剣(しんけん)霊能(れいのう)()けて(うま)れて()()るのであるから、自分(じぶん)(かへり)み、()(たす)け、正義(せいぎ)武勇(ぶゆう)()んで()るのである。古来(こらい)外国(ぐわいこく)より(わが)皇国(くわうこく)(むか)つて()()せて()たことが、十数回(すうくわい)あつたけれども、この神剣(しんけん)威徳(ゐとく)日本(やまと)(だましひ)光輝(くわうき)射抜(いぬ)かれて、何時(いつ)敗亡(はいぼう)して()るのは、()神剣(しんけん)御威勢(ごゐせい)効果(かうくわ)である。(かがみ)日本(につぽん)固有(こいう)の七十五(せい)言霊(ことたま)表徴(へいちよう)であり、(たま)(あめ)(した)(たひら)けく(やす)らけく(をさ)めたまふ、天立(てんりつ)君主(くんしゆ)なる天津日嗣(あまつひつぎ)天皇(てんわう)統治権(とうぢけん)表徴(へいちよう)である。(ゆゑ)天皇(てんわう)御神体(ごしんたい)玉体(ぎよくたい)奉称(ほうしよう)するのである。
 『真纓(しんえい)(かむり)()玉觴(ぎよくしやう)()れる(もも)侍女(じぢよ)()より()りかはし』大君(おほぎみ)(ささ)(まつ)桃実(もものみ)といふ意義(いぎ)は、真纓(しんえい)()つて、日月(じつげつ)(あや)織込(おりこ)みたる(えい)()いた(かんむり)()けられたのである。(えい)(かんむり)()であつて背後(うしろ)(さが)りたものである。()御神姿(みすがた)(うかが)(たてまつ)(とき)は、(じつ)変性(へんじやう)女子(によし)御霊(みたま)が、衣冠(いくわん)(ちやく)して大神(おほかみ)大前(おほまへ)奉仕(ほうし)せる(とき)姿(すがた)その(まま)である。『玉觴(ぎよくしやう)()れる(もも)侍女(じぢよ)()より()りかはし』(たま)(さかづき)(もも)花実(くわじつ)()りたるを、侍女(じぢよ)捧持(ほうぢ)して、大君(おほぎみ)御前(みまへ)(ちか)(すす)みたる(とき)西王母(せいわうぼ)(つき)大神(おほかみ)(これ)受取(うけと)りて、(みづか)大御前(おほみまへ)(すす)()(たま)ひて、日嗣(ひつぎ)皇大君(すめおほぎみ)(たてまつ)られたる(とき)荘厳(さうごん)なる儀式(ぎしき)である。
   十
 シテ『(きみ)(ささ)ぐる桃実(もものみ)の。地『(はな)(さかづき)()りあへず、(はな)()へるや(さかづき)の、()まづさへぎる曲水(ぎよくすゐ)(えん)かや、みかはの(みづ)(たはむ)(たはむ)るる、手弱女(たをやめ)の、(そで)裳裾(もすそ)もたなびきたなびく、(くも)花鳥(はなとり)春風(はるかぜ)()しつつ雲路(くもぢ)(うつ)れば、王母(わうぼ)(ともな)ひよぢ(のぼ)る、王母(わうぼ)(ともな)(のぼ)るや天路(あまぢ)の、ゆくへも()らずぞ、なりにける』
 シテ『(きみ)(ささ)ぐる桃実(もものみ)の』(これ)西王母(せいわうぼ)永年(ながねん)苦心(くしん)された結果(けつくわ)として、三千年(さんぜんねん)(もも)(はな)()(そろ)()立派(りつぱ)なる風味(ふうみ)よき果実(くわじつ)となりたるを、()づから三ツの御魂(みたま)(あらは)れて献上(けんじやう)された(こと)である。伊邪那岐(いざなぎの)大神(おほかみ)黄泉軍(よもついくさ)追撃(つゐげき)されて、黄泉(よもつ)比良坂(ひらさか)桃実(もものみ)(もつ)て、魔軍(まぐん)討滅(たうめつ)したまひたる、大神津見(おほかむづみの)(みこと)忠勇(ちうゆう)なる活動(くわつどう)()りて、神業(しんげふ)輔佐(ほさ)(まつ)りたると同様(どうやう)桃実(もものみ)である。(えう)するに智仁勇(ちじんゆう)三徳(さんとく)(そな)へたる至誠(しせい)至実(しじつ)忠臣(ちうしん)を、大君(おほぎみ)大前(おほまへ)に、五六七(みろく)大神(おほかみ)(たてまつ)られし意義(いぎ)である。『(きみ)(ささ)ぐる桃実(もものみ)の』と(しる)して(あと)文句(もんく)(かく)されしは、言外(げんぐわい)(げん)書外(しよぐわい)(しよ)たる所以(ゆゑん)にして、(ここ)には深遠玄妙(しんゑんげんめう)なる神意(しんい)包含(はうがん)されてあるのである。
 地『(はな)(さかづき)()りあへず』(いよいよ)(これ)からが五六七(みろく)神政(しんせい)出現(しゆつげん)して、大君(おほぎみ)群卿(ぐんけい)百官(ひやくくわん)禁庭(きんてい)()()され、(さか)んに(とよ)(あかり)(えん)(もよほ)し、(しゆく)(たま)光景(くわうけい)描出(べうしゆつ)したものである。『(はな)()へるや(さかづき)の』とは、(さかづき)(もも)(はな)(うか)べて祝酒(いはひざけ)()むや、(すぐ)()つて(しま)ふことである。(はな)(また)(さけ)()つた(やう)に、盃面(はいめん)(ただよ)ふと面白(おもしろ)くかけたる文章(ぶんしやう)である。
 『()まづさへぎる曲水(ぎよくすゐ)(えん)かや』()()()して、(さかづき)(さへぎ)()ることである。
 『曲水(ぎよくすゐ)(えん)』とは(いにしへ)禁裏(きんり)御遊(おあそ)びに、曲水(ぎよくすゐ)(えん)()(こと)(おこな)はれて、(みづ)(さかづき)()かし、その(さかづき)(なが)()(とき)()けたる(ひと)詩歌(しいか)(つく)(さけ)()むことあり。(その)(さかづき)(なが)()やうが(はや)かつた(とき)は、詩歌(しいか)はまだ出来(でき)()ないが、()()(さし)()し、(さかづき)(さへぎ)()ると()()にして、菅原(すがはらの)惟規(これのり)()に「(ながれ)()かれて()く過ぐれば()()(さへぎ)る」『和漢朗詠集』の一節。底本では返り点付きの漢文だが、読み下し文に直した。ウィキソースから引用。(つく)れるより()たもので、(ただ)禁中(きんちう)()ける御酒宴(ごしゆえん)故事(こじ)(ここ)()きて(さく)したものである。公事(くじ)根源(こんげん)には『曲水(ぎよくすゐ)(えん)三月(さんぐわつ)(かみ)()()(おこな)はる』とあり、三月(さんぐわつ)()()をに注意(ちゆうい)すべきである。『みかはの(みづ)(たはむ)(たはむ)るる、手弱女(たをやめ)の、(そで)裳裾(もすそ)もたなびきたなびく』みかはの(みづ)とは御溝(みかは)(みづ)のことであつて、内裏(だいり)御庭(みには)にある清浄(せいじやう)(なが)れである。(これ)にて曲水(ぎよくすゐ)(えん)(おこな)はせ(たま)うたのである。『(そで)裳裾(もすそ)もたなびきたなびく』とは、舞曲(ぶきよく)美女(おとめ)調子(てうし)よく(たち)()(さま)を、天女(てんによ)()(あそ)ぶにたとへて()かれたのである。
 『(くも)花鳥(はなとり)春風(はるかぜ)()しつつ雲路(くもぢ)(うつ)れば』(くも)花鳥(はなとり)模様(もやう)()りなせる(ころも)をいふ。それを(まへ)孔雀(くじやく)鳳凰(ほうわう)迦陵(かりよう)頻伽(びんが)などの(とり)()ひかけて、雲路(くもぢ)にうつると(ぶん)()(つづ)けられたのである。
 『王母(わうぼ)(ともな)ひよぢ(のぼ)る』王母(わうぼ)西王母(せいわうぼ)のことで、一名(いちめい)広教(くわうけう)真君(しんくん)()ふ。『霊山(れいざん)会場(ゑぢやう)(のり)(には)(ひろ)(をしへ)(まこと)ある、君々(きみきみ)たれば、(たれ)とても、(いさ)みある、()(こころ)かな』とあるを()て、西王母(せいわうぼ)仁慈(じんじ)(ふか)神徳(しんとく)(そな)へたる神君(しんくん)たることを()らるるのである。
 以上(いじやう)言霊解(げんれいかい)により、西王母(せいわうぼ)(つき)大神(おほかみ)にして、変性(へんじやう)女神(によしん)(だい)活動(くわつどう)(しん)たる(こと)(わか)るであらう。西王母(せいわうぼ)世界(せかい)救済(きうさい)修理(しうり)固成(こせい)神業(しんげふ)負担(ふたん)して、三千年(さんぜんねん)長歳月(ちやうさいげつ)を、千辛(せんしん)万苦(ばんく)し、(つひ)神業(しんげふ)完成(くわんせい)し、五六七(みろく)神政(しんせい)地上(ちじやう)樹立(じゆりつ)して、天祖(てんそ)御子(みこ)たる、天津日嗣(あまつひつぎ)御子(みこ)万有(ばんいう)一切(いつさい)奉献(ほうけん)し、(あと)毫末(がうまつ)未練(みれん)(のこ)さず、(いさ)ぎよく、(ふたた)天上(てんじやう)月宮殿(げつきうでん)(かへ)(のぼ)(たま)へる、()忠誠(ちうせい)は、(あめ)益人(ますひと)なる地上(ちじやう)(たみ)(もつ)規範(きはん)とすべき麻柱(あななひ)大道(だいだう)である。綾部(あやべ)()ける変性(へんじやう)男子(なんし)変性(へんじやう)女子(によし)天下(てんか)修斎(しうさい)神業(しんげふ)(たい)して彼是(かれこれ)疑惑(ぎわく)(いだ)き、種々(しゆじゆ)論難(ろんなん)攻撃(こうげき)するの人々(ひとびと)よ。西王母(せいわうぼ)至誠(しせい)至実(しじつ)なる麻柱(あななひ)神蹟(しんせき)了解(れうかい)し、(もつ)敬神(けいしん)尊皇(そんわう)報国(はうこく)聖団(せいだん)皇道(くわうだう)大本(おほもと)真相(しんさう)(さと)られたい。
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