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海月と鮟鱇

インフォメーション
題名:海月と鮟鱇 著者:月の家
ページ:608 目次メモ:
概要: 備考:2023/10/08校正。 タグ: データ凡例: データ最終更新日:2023-10-08 02:13:25 OBC :B121805c276
初出[?]この文献の初出または底本となったと思われる文献です。[×閉じる]『東北日記 一の巻』昭和3年7月21日
 日に昼夜(ちうや)があり、人間には顔や胴体や四肢(しし)(とう)があり、芝居には舞台あり、楽屋がある。活動写真も声色(こわいろ)鳴物(なりもの)(はい)つてこそ見られるが、破れ穴からフイルムを見たら三文(さんもん)の価値もないものだ。今の世の中は看板や広告は立派であつても、その内幕にはいつて(しら)べて見ると大変な相違に驚かざるを得ない。
 見切(みきり)捨売(すてうり)、滅茶々々の大安売と題したるもの、(これ)所謂(いはゆる)看枚で(その)(じつ)はヤクザ物の寝息品(ねいきひん)を集めて低価に提供する(くらゐ)のものだ。故に(ほとん)どそれは常設市場で田舎者だましに過ぎないのだ。世の中にロハほど安い物は無い。無料進呈とかいふ奴、多大な広告料を支払ひ、この(から)い時節にそれが本当なら()り切れるものではない。無代(むだい)進呈とはその(じつ)看枚ばかりで、その内幕(うちまく)に至つては(すこぶ)る皮肉な手段を以て喰ひ()らむとするが為である。
 (わづ)か十円の資本で月収百円、家内工業あり、器械貸与す、製品永久取引契約す。と真実らしく木に(もち)()()なうまい広告を見た事があつた。是も看枚でその内幕に至つて見れば、製品不良の名の(もと)三文(さんもん)(あたひ)もつけず、遂に泣き寝入りに(をは)らして(しま)ふのだ。差引(さしひき)十円の見本料金が全然損失に()するのみであつて、細民(さいみん)泣かせの奸手段(かんしゆだん)が多々ある世の中である。
 支店長、会計課長募集とかの広告を見た事がある。それに付記して曰ふ、月給百二十円を(きふ)すと云ふヤクザ銀行や会社がある。是も矢張り看板であつて(その)内幕は保証金を失敬せむとするのが多々ある。(いは)く、入社の(さい)身元金として多額の(かね)を納めしめ、半月(はんつき)乃至一ケ月の給料を支給するだけで、(なん)とか()とか言ひ分をつけ、ゴタゴタの間に是を失敬して何処(どこ)かへ逐電して了ふ奴がある。災民救済だとか実費治療だとかの美名の(もと)に、妙な医薬の力を用ゆるものがあると聞く。是も看板で、(その)内幕は美名の(かげ)にかくれて高利貸(かうりがし)的手段を(ろう)するものである。
 学校敷地の一部分を寄付するとか、教育器具図書を寄付するものがある。是も看板であつて(その)内幕を見ると幾多の奸手段を弄して、不当の利益を占め、其利益の百万分の一乃至二を社会事業に寄せて、世をゴマカさむとする奴がある。大地主と称するものの学校新設の運動や公園新設の運動、その()地方発展策の美名を唯一の看板に此の(きよ)()づものである。震災に際して幾百万円かを公債か何かで()り出して大きい(つら)をする(やから)も、(あるひ)はこの(しゆ)にあらざれば(さいはひ)である。
 (すこぶ)堅気(かたぎ)で、独身女がある。彼は単に愛せらるる女として取扱(とりあつか)はれるのが馬鹿らしいと云ふ。是も矢張り看板であつて、その内幕は多情ものに非ざれば、恋に破れたヒス的か、(しか)らずんば(すこぶ)るズボラ女である事は間違ひ無い。女は怪物だ夜叉(やしや)だと云つて呪ふが如く主張し、独身生活を力説する男がある。是も(また)看板で其内幕はヤクザ事務所を作成して、女事務員募集をのべつ(まく)なしに行ひ、以てその(かん)美形の()(ぐひ)をせむとするの(たぐひ)である。
 理想候補者、愚民をゴマカす武器として、時に勝手気儘(きまま)に此の語の用ゐらるるのは遺憾千万(せんばん)である。彼等(かれら)は独りぎめに理想候補者といふ。是も(また)看板であつて、其内幕に至つては、内容極めて貧弱なる自称候補者の運動費の豊富に無い奴である。
 筆に示しがたく言葉に(つく)(がた)し、如何(いか)に珍妙にして奇抜、而して美麗なか、一度(ひとたび)この絵に接せむか、実に()()ゆるの想ひあらしむといふ。是も(また)看板であつて、其内幕は一枚五六(りん)(ぐらゐ)の女の絵葉書である。
 何々信託業(しんたくげふ)(あるひ)金貸業(かねかしげふ)金看板(きんかんばん)を出す。如何(いか)にもそれは堂々たるの(かん)を与へるが、いかがはしいのもある。金看板は彼等が()の看板であつて、其内幕は仲介は単に口実であつて、手数料を失敬するのが本意なるものがある。全部呑み込まざれば(さいはひ)、金貸業の看板にも亦此の(しゆ)のものがある。調査の名に藉口(せきこう)して、曰く調査費失敬を本領と考へ、(あるひ)はそれを以て綱領とさへするものがある。
 月賦販売といふのがある。毎月幾円かの払込(はらひこみ)を為し、一ケ年(あるひ)は二三ケ年を以て満期とし、五回(あるひ)は八回の払込を為せば定額の現物を渡すといふのがある。是も看板で、其内幕は毎月の払込金を殆ど失敬し、満期の時は行先不明と逃げ出すものがある。
 百何十(ばん)と云ふ広告がある。発行当日初版売切れ(たちま)ち再版、一日に何十版売出(うりだし)と称する書物がある。是も矢張り看板であつて、其内幕は初版が一千部で半数以上も残つてる品物である。如何に印刷力が迅速だと云つても、(わづ)か一日の間に幾百頁の書物を幾版と無く印刷し製本し得るものではないのだ。
 田舎代議士が帰郷の土産として、報告演説会といふことをやる。是も(また)看板であつて、其内幕に至つてみんか、彼等は議場に於て居眠りを為し、下宿に帰つて新聞を読み、此記事を携帯して帰郷し、物識面(ものしりづら)をして、曰く議会報告と五角(ごかく)八面(はちめん)に堂々とふれ出すものがある。
 主人の手紙にも妙なのがある。成金者(なりきんしや)(はい)の手紙なるものがあるが、それも看板で其内幕に至つて見れば、(いづ)れも代筆や書記の手に成れるものである。代筆番頭は(その)稿(かう)()の人に作製して貰ふ。(ぼう)成金(なりきん)は封筒に(ぬか)を少し入れて知人に郵送したのがあつた。(少し()ぬか)といふのだと云ふ。又小石を封入したものがあつたといふ。是は代筆や書記に回し兼ねた恋人に送るので(恋し恋し)といふのだといふ。成金者の頭の低脳さ加減は、女郎の恋文と何等(なんら)異なる所は無いやうである。
 主義綱領、国家百年の大計、国利民福を増進、思想善導、地方発展(とう)、あらゆる立派な(もつと)もらしい主義や綱領を羅列し、その上に大官(たいくわん)や公爵や政党の主領や、実業家の巨頭連(きよとうれん)の姓名を麗々(れいれい)しく書き立て、曰く何々会、曰く何々社、曰く何々団と、是も矢張り看板で、他人(たにん)(ふんどし)角力(すまふ)を取らうと云ふズルイ奴の常套手段で、今まで一として完成したものは無い。他人の名前や立派な主義綱領を初めから並べるものに真正なものはない。
 今度の旅行中に中越線(ちうゑつせん)を通ると油田(あぶらでん)と云ふ小さい駅があつた。此処には石油試掘場(しくつぢやう)の建物が寂しく()の中に立つてゐる。例の海月(くらげ)鮟鱇(あんこう)主義の生活者が集まつて、加賀、越中(ゑつちう)、越後は石油(みやく)の中心点で、その大中心で最も豊富で有望な地点は油田(あぶらでん)だと吹聴(ふいちやう)宣伝し、大きい広告を出して地方の欲深連(よくふかれん)をたぶらかし、一儲(ひとまう)けせむと数百万坪の試掘願(しくつねがひ)を出し、多数の株を募集せむとした所、有志者が実地踏査と出かけて駅を降りようとすると、駅夫(えきふ)が大きな声で(あぶら)()ん油出ん油出んと怒鳴つて居る。其の言霊(ことたま)が気に喰はぬとて、(いづ)れも二の足を踏んで後退(あとしざ)りするものばかりで、折角の名案計画もオジヤンに成つて仕舞つたとの面白い話を聞いた。費用の()(ぞん)でコイツはさつぱり虻蜂(あぶはち)取らずで、反対に油を身の内から(しぼ)り出したに過ぎないのである。
 (ふで)(ついで)海月(くらげ)生活と鮟鱇(あんこう)生活の大略を所謂(いはゆる)善人の為に説明しておかう。海月(くらげ)海中(かいちう)を浮遊し乍ら、自分の傘下に微細な魚族(ぎよぞく)の集まつて来るのを、知らぬ顔して保護の任に(あた)つて居る。小魚(こうを)は少し自分()より(だい)なる(うを)に喰はれる(なん)を避けむ為に、争つて海月(くらげ)傘下(さんか)に集まるのである。是が小魚(こうを)に取つては広い海上唯一の安全地帯である。その小魚を食はむとして襲つてきた奴を、海月(くらげ)(やつ)長い手を出して絡んで仕舞ひ自分の好餌(かうじ)とするのである。そして海月(くらげ)(やつ)少しく大きくなつた傘下の奴を小口(こぐち)から()の小魚に知らさぬ()うにして、ボツボツと(たひら)らげて了ふ。万一()に欠乏を告げた時は傘下の小魚を残らず喰つて了ふといふ代物(しろもの)である。
 鮟鱇(あんこう)と云ふ奴は一名(いちめい)山椒魚(さんせううを)ともいふ。(なまづ)のやうなスタイルをして、泥と同じやうな色に(たい)を変じ、泥の中に首から下を(うづ)め、小さい眼をむき、大きな口から細い長い伸縮自在の肉糸(にくし)を吐き出し、肉糸(にくし)の尖端に小虫(こむし)の形した肉塊(にくくわい)をつけ、水中の魚族(ぎよぞく)が虫だと思つて()つきに来る奴を、チクリチクリと引つぱり縮める。(うを)はそれを虫だと思つて()くまでも追つかける。(つひ)には鮟鱇(あんこう)口腹(こうふく)(ほうむ)られて了ふ。
 以上羅列した種々(しゆじゆ)の看板も矢張り海月(くらげ)の肉の傘、鮟鱇(あんこう)虫状(ちうじやう)肉塊(にくくわい)に過ぎないのである。世の中は欲さへ無くて常識さへあれば安全無事だが、之に反する時は実に危ないものだ。
(昭和三・七・二一 東北日記 一の巻)
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