蒙古に捕はれ銃殺を宣告されたる当夜ほど心落ち付きたる日は無かりし。その
夜は初めて蒙古旅行に於ける熟睡の味はひを知り得たり。
嗚呼人間は最後にはならねば
真の安心は得ざるものか。
百余り
八十の
日数の
蒙古地に落ち付き得たり
刑されむとして
渺邈と限りも知らぬ
蒙古野に果てむとする
日神に在りけり
千万の
希望を胸に畳みつつ天津
神国に行くを楽しみしよ
親も
児も妻も忘れて
只神と
大君の
上に心
馳せけり
現し世の執着心も死の神の前には風の如く散りぬる
○
辛苦の極みを
尽して悪事のみを続行する人ほど憐れむべきは無し。
然れど善言美辞を連ね、善行を
売物として
安気に生活する人ほど憎むべく
亦憐れむべきものはなし。
ひたすらに罪となるべき
醜業に
心苦しむ人
憐れなりけり
善人の仮面被りて世に
生くる人ほど憎く憐れなるは無し
よしやよし善言
善行装ふとも誠なき
程苦しきは無からむ
世の中の凡ての
禍なるものは決して偶然に起り
来るものでなし。
来るべきに
来り、去るべきに去る。
是当然の正しい理性に由るものである。そこに現代の禍根が伏在してゐるのだ。
世の中の凡ての
禍福吉凶事は
起るべき
由ありて
起れる
禍の多き世なりと
勿恨みそ防げば防ぐ道も
沢なる
○
現代人は文学書を読むに
当りても、一般的に
善の字よりも悪の字に、より深い興味と親しみを感ずると云ふ不祥の世の中だ。アア教育の罪か、社会の罪か、
吾には判断付き難し。
善言や美辞を
疎んじ悪の声
聞きて歓こぶ歎かしき世かな
さかさまの世なりと
開祖は
宣たまひき悪しきを
歓ぐ人
多くして
良人としては温順柔和の人を妻は愛するやうなれども、愛人としては
寧ろ粗野なる人が慕はれるやうである。
良人たる人は温和の最上も愛人としては粗野を好く女かも
何事も妻の
詞を
容るる人は
良人に持ちて心よきかな
物事に頓着のなき
野人こそ
寧ろ女の愛する人なる
至誠至善として世間より尊敬されて居る人よりも、大悪人として
時人に疎外されて居る人に
却て深い人間性が味ははれるものだと思ふ。
善き人よ賢き人と敬はる人にもまして味ある悪人
逆様の
斯世になりせば悪人は
却て
善者と誤まるるなり
悪人と世に
疎まるる人の中に心
美はし人の潜める
女人は最初から逃げる目的を以て逃げるもので無い。最後には必ず
捕へられむことを期待しつつ逃げて見るのである。
家出せし女房の腹はいやはてに捕へられむと望みつつ逃ぐる
ある家の
姑吾に尋ねきて逃げて見たいが
如何とぞ問ふ
逃ぐるとも追ひかけくるるもの無くば
如何せむやと問ふぞ可笑しき
○
桔梗、
苅萱、
女郎花、
薄、
蔦、
萩、
藤袴など秋を
彩る七草は今を盛りと
四方の山に野にしとやかに寂しみのある、
俗塵を離れたやうな姿を涼風に
晒して居る
好季節となつた。この七草に
就ては古来丹波には面白い伝説が残つて居る。昔の
神代の頃
音無瀬川(
和知川の下流)の傍に音無瀬姫と呼ぶ女神が住んでゐた。そして
男神の
烏ケ
岳の神と二人で、そこらあたりの美しい自然の中に心ゆくままに清らかな空気を呼吸してゐました。ある秋の
静なる日、
女男二神は
長田野と云へる広い広い清い美しい原野で遊んでゐた時、
男神はその美しさに心の底から歓喜し、七色の虹を採つて
絵具として
神南山と云ふ小さい岡を色
美はしく
彩色し給うた。さうすると神南山は一面の
紅葉に成つてしまつたが、その時
七色をとかした
絵具皿を思はず女神は手から
落した。その絵具に染まつた草は秋の七草になつたと伝説はかう云ふ
風に面白く色づけて居るのである。
男神と女神の秋のたはむれ、その真偽はさておき、
古人の罪なき伝説には
床しい所がある
様だ。
二柱神の染めたる秋の野はさながら神の姿なりけり
音無瀬の姫はいつしか名をかへていま
佐保姫となりにけるかな
七色の錦を飾る
神南の山にもまして
著き丸山
○
吾郷里の
穴太に
菎蒻屋と云ふ家号の付いた田舎屋がある。
吾幼年の頃には
盛に菎蒻を製造し、
傍豆腐を製して付近の村落に販売してゐた。その時の
同家の看板を思ひ出し、余り面白ければ
一寸徒然の
埋草に書いて見たいと思ふ。
一しろとふ(白豆腐) 一あぎどふ(揚豆腐)
一やけどふ(焼豆腐) 一こんぎやく(菎蒻)
一じ
玉あり(
地卵あり)
右一々見てゆけば、一として
仮名の間違つて居ないものは無いが、それでも大変に商売は繁昌して居た。世の中は実に面白いものだと思ふ。
今一つ
可笑しいのは汽車の踏切りの
立札である。大抵の
札には(きしやにちゆういすべし)と書いた事である。学者の多い鉄道省のことだから(きしやに
ちういすべし)と改めて欲しいものだ。
(大正十五年十一月号 神の国誌)