神諭に『九分九厘と一厘との戦ひであるぞよ。九分九厘までは外国が強いなれど、一厘と云ふ所で掌を反して、外国を改心させて日本へ従はす仕組であるぞよ』と出て居る。今は九分九厘と一厘との大本に戦の模型が出来て居るのであるが、これも只一厘の経綸で、大本の梅と松とが栄えるのである。神様は九分九厘で掌を反して改心さして、助けたまふ仕組であるが、人は九分九厘で足の裏を反して、後足で砂をかける。是でも亦神諭に在る通り『大本の大橋こえて未だ先へ、行衛分らぬ後戻り』必ず神諭の実地が近づき、将来に出て来るから、何れは大本へ帰らな成らぬやうになるのは間違ひの無い事実である。論より証拠、半期さきを見て居れば、世界は何う成つて来るか、明白に神諭がなつて来るのである。
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神諭に『細工は流々、艮の金神の仕上げを見て居よ』と出てある。神様には何程利巧な人間でも勝つ事は出来よまい。大本の教は開祖の書かされなさつた、神諭さへ呑み込めば、他の事はどうでも良いのである。
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『反対すればする程大きく成る世界の大本であるぞよ』と、神諭にも出て在るから、大本に反対して悪く云うたり書いたりして下さる人は、約り大本の忠実なる布教者となるのである。私は其労を多とし、且つ神に代つて感謝せねばなりませぬ。
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敵の中にも味方あり、味方の中にも敵がある。敵と味方が乱れ合ひ、この大本は栄え行き、終に神政成就する。
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苦しき時に力となり、且つ親しき友は真の友である。栄えたる時に親しき友は、おとろへし時に去る。
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国乱れて忠臣顕はれ、家貧しうして孝子出で、天下道無くして聖人起る。我大本の幹部役員諸氏を初め信徒は即ち聖人である。忠臣である、孝子である。斯かる人士の団結で無ければ天下の修斎は出来ぬのである。
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降る雨空に叢雲起り、百と八十五枚の鱗揃へた八岐の大蛇が太平洋を渡り来て、宝の国を脅かし、後に続いた女大蛇は、是も百と八十五枚の鱗、九分九厘の瀬戸際に、伊勢の神風吹く時は、如何な大蛇も往生する。此の大蛇は既に已に剣の鞘まで呑んで居るのである。
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一敵去つて一敵来る。大本は世界の縮図であるから、軈て神国も一度は体主霊従国に総攻撃さるる事があると云ふ神諭の実地が近づいたのであらう。
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小悪は善に似たり、大善は大悪に似たり。天下を救ふ為には進んで大悪の名を甘受し、以て至善を行ふにあり。
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神諭に『此の大本は多勢は要らぬ。昔からの因縁の御魂を神が綱をかけて曳寄して、誠の御用を致さすので在るから、雀も鷹も百舌も一緒には寄せぬぞよ』と出てあるから、若い信者は此際変性女子が現はれたのを見て、愛想をつかして退く人が出来るであらうが、是も身魂の因縁である。何れも本年中には大本も経綸が分つて来るのである。何事も時節が来ねば分らぬ。併し神様には万事万端分り切つた事実であります。
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言霊学に於ても杉庵思軒の水穂伝よりは、中村孝道氏の真寸鏡の説が後に生れただけ進歩の跡が見えて居る。又大和の山本秀道氏の唱へた言霊学よりは、其門人たりし大石凝翁の言霊学が進歩して居るのである。大本の霊学も言霊学も、後に完成したのであるから、実地の応用上非常の進歩を来して居るのは、天地惟神の摂理であります。必ずしも先哲の説を墨守する而已では、神界と共に進む事は不可能であらうと思ひます。
今回の二度目の天之岩戸開きの神事に就ては、草薙の神剣と八咫鏡の発動が第一必要であります。八咫鏡の発動は、どうしても霊世に最も因縁深き地上の高天原で忌部の役目である。スワ一大事の場合に於て、現界的活動を開始する役目は、草薙の剣の国魂に由らねば成らぬ。現界の活動は所謂中臣の役目である。是も艮の金神国常立尊の三千年の永い御経綸の結果が実現する時機が到来した事と恐察する次第であります。
(大正八・一〇・一 神霊界誌)