「猿どもの方から
能く似ましてゐるのだ」と、
甘く御機嫌を
新左に取られて満足した
文禄の
古親爺が、平安京の
聚楽邸で朝鮮人を招き、陶器や
茶器を焼いて
之を
楽焼と称し、
大に
茶人気分を発揮し、
千の
利休と共に楽焼の名は今に
喧しく
其の家系さへ現存して
居るが、
王仁も一昨年頃から
太閤気取りで楽焼をやって見たが、
土煉り、茶碗造り、
素焼、
釉薬塗と、大変な手間が
掛つて
中々楽やき所の話でなく、
真に真に
苦労焼だった。
○
言霊学の上から見れば、
アの
音は
天也、
地也とあるが、地球上にある
五大洲の名義を
言霊返しの方法で調べて見ると、
亜細亜は
アと返り、
阿弗利加は
アと返り、
亜米利加も
アと返り、
欧羅巴も
アと返り、オーストラリアも
アの言霊に返るのである。
併し
乍ら同じア
声にしても、それぞれ使命が違つてゐるのは㋐㋔㋒㋓㋑の位置によつて区別がついてゐる。アヤベのア声また
大に意義を
異にし世界を支配する言霊である。
○
豊秋津洲と云ふは、
日本言霊学上五大洲の古称であり、
豊秋津根別と称ふるは現代の極東
日本国の事である。そして五大洲の縮図として、
我日本国が今にその
雛型を伝へてゐる。その
又我日本国五大陸の縮図は、
大島に形が伝はつてゐる。
要するに鹿児島県下の大島郡は、現代
我日本国の縮図であり、日本国は即ち亜細亜、亜弗利加、亜米利加、オーストラリア、
欧羅巴、以上五大洲の縮図であるのだ。
全大地球上から見れば、
我日本国は
艮の方位であり、パレスチナは
坤の方位にあるのだ。
次に
我日本国の上から見れば、北海道が
艮となり、大島郡の
喜界ケ
島が
坤となるのである。
地質学上の見地から見れば、綾部は世界の
真の中心であり、丹後の
冠島、
沓島が
艮の方位に
当り、
播州の
神島が
坤の方位に
当るのである。
喜界ケ
島は、その昔は
鬼ケ
島とも
鬼界ケ
島とも称へられて
居たが、明治になつて島名を現今の如く喜界ケ島と改められた。喜界ケ島には
宮原山と云ふ小さき丘があり、神島の如く一本の
老松が
金字形に山頂に立つて
居る。
島人は
之を
金字松といふ。
此の
宮原山は
島人より神の山、霊地と
畏れられて、足を入れるものが今に無いのである。坤の金神が、パレスチナや神島に隠れられた如く、此の坤なる喜界ケ島にもかくれて
居られたのだ。
裏鬼門の金神の
隠れ
島だから、
鬼ケ
島又は
鬼界ケ
島と称へられたのであつた。
○
鹿児島には
真羅と名の付いた、
珍々妙々の味のよい○○
形の菓子がある。高貴の
方に
献るには余りに敬意を欠くとかにて、
春駒と改称したと云ふ。
真羅でも、
花駒でも、
春駒でも、何だか一種異様の感を与へる。名産地が
鹿に因縁ある地名と聞いては、馬鹿にされた
様な気にもなる。
○
毎日
毎夜チンチン喧嘩の夫婦ども、いつそ人間たることを神様に願い下げして、
蟷螂になれ。
天消地滅した後で、
雌に食はれて満足して死ぬ恋愛の
秀逸者になれば良い。
○
仙人の
羽化登天、そんな事が
何面白い。
糞虫でさへ羽を生やして、自由自在に空中をかけり、
聖者君子の頭に
止まり悠然として
糞を
放ける。
○
二十貫の大男、
身体の水分を搾り出したら、残りの
貫目僅かに二十五
斤。水の
御陰で生きて
居て、水に溺れて死ぬる
弱虫人に対して水臭いのも無理はないわい。
○
猶太国ナザレの
耶蘇は救世主で、天の
独子で、
基督の名を
恣にして
降りたと云ふ。聖書の記すところによれば、あしかけ首かけ三年の民衆宣伝、極めて卑近なる
比喩を
以て、人を導き病人を
癒やし、
終に十字架上に
生命を
失つたに過ぎない。天帝の
独子ともあらうものが、十字架にかけられるまで
神力がないとすれば、天帝そのものも実に無能無力と云はねばならぬ。アーメンどうだ。基督教のお歴々が、
王仁が聖書に警告してある
偽キリストぢや、
偽救世主ぢやと攻撃してゐる
様だが、
王仁としては大変な迷惑を感ずるものだ。
成る
程奉道の初期には、キリスト
位の神力よりなかつたから、基督と呼ばれるのは
身魂相応かも知れぬ。
併しキリストが再生した所で、ゲツセマネで十字架にかかつて死んだ事を思ひ比べて見ると、
余りクリスチヤンが
鶴首して待つだけの価値があるかどうか、
疑はざるを得ない。
王仁の
教弟子には、
既に
已に
三千人の
大キリストがあつて、
種々の奇蹟を
現はし、
万民を救ふの
聖業に奉仕してゐる。
故に自分はキリストを地上に星の如く生む所の神の
真の宣伝使だ。キリストなんか、そんな
けちな、
小つぽけな事を言つて
呉れるな。弥勒も、釈迦も、マホメツトも、キリストも、
孔孟も、
老揚も、
皆王仁の傘下に
集つて、昔以上の
大神力を発揮してゐるのだ。アア
惟神霊幸倍坐世。
○
基督は
真の天国を知らない。大本の信者は
現幽一致、天国を自ら開拓する。
真の神の
貴の子ばかりだ。
光は東方よりと云ふ
聖者の予言を考へて見るが良い。
(昭和三・四 明光誌 第二〇号)