古代のギリシヤで理想的美人として認められた型を、現代の科学の上から精細に解剖研究した結果に依ると、完全なる美人には左記の体格を備へて居たとの事である。身長五呎五吋、腰の囲り三呎四吋、胸の囲り三呎四吋、腕の太さ一呎三吋、股の太さ二呎四吋半にして、体重十六貫七百匁であるといふ。現代まで残つてゐるギリシヤ彫刻の逸品は殆ど凡てが此型形に違はぬさうであるが、扨て日本に於ける美人型は何うかといふに、一に瓜実、二に丸顔、三に平顔、四に面長、五に菊石、六に釣目、七に頬焼、八に眇目、九に禿げ、十に欠唇とされ、或は又一に瓜実顔、二に丸顔、三に平顔、四に長顔、五まで下つて馬の面と規定され、又或地方では、一に瓜実、二に丸顔、三に角顔、四に面長、五に盤台、六がんち、七菊石顔、八でぼちん、九に顋無し、十しがみ面と定められてゐる。又男子に対しては、一に押し、二に金、三に姿、四に程、五に芸とも云ひ、或はまた一に押し、二に金、三に男とも云ひ、又は一に閑、二に金、三に男とも云つてゐる。
斯く標準の上から観察して行くと、吾等の一行は男子も女子も保証付の一流の美男と美女であるが、長い夏日の旅に焦げたる怪しげな黄胆病のやうな顔を無造作にさらけ出し、口を開け歯の一部をむき出して寝乱れてゐる姿を見ると、嗚呼天下に美人なし、所詮一位の男女の美形にして猶斯の如し。況んや其他に於てをや。世間は凡て醜神の世なるかと嘆ぜしめたり。古い道学先生は何れも言ひ合はした様に、姿は醜うても魂が美男であり美女であれば是に越したる美は無し。容姿などは末の末の問題なりと。是は単に一片の詭弁に過ぎずして、実は醜婦に対しての慰安的言辞に過ぎず。男に対しては苦しき負惜みの言葉とより受取れない。霊界物語にも人の面貌は心の索引なりと論じおきたる如く、良き心の人の面貌は床しく、優美高尚清雅にして光沢あり、気品稜々として犯すべからざるものがあり、人の軽侮の眼より免れ、否却つて憧憬され敬慕さるるものである。
扨て人に対して右の感情を永遠に保たしめむとするには、男子は男子らしき服装に注意し、女子は殊に衣服の柄や白粉、紅黛の用法、髪の結び方、手足の動静等に至るまで細心の注意を払つて、益々その美を発揮すべきものである。適当に化粧を施した女性の豊艶、艶麗、端麗、優麗、華麗、高麗、嬌麗、清麗なる面貌と容姿は、その品格を向上し、畏敬の的となり、愛の女神となり天女となり、身だしなみとなり、衛生となる。宜しく女は能ふ限りの化粧に注意して、その美を永遠に保つて貰ひ度いものである。恋でもなく、色でもなく、女の化粧なるものは凡ての人に好感を与へ、優雅愛慕の心を起さしめ、世路に悩める人々の心を慰め且つ活躍せしめ、清新の空気を吸はしめ、以て地上を天国化するものである。爰に於てか平和の女神とも愛の女神とも救世の菩薩とも称へえらるるのである。何程小六ケ敷い頑固老爺と雖も、美人の微笑に対しては必ず其心を柔げ、漸次に円滑なる心に進ましめらるるは天地惟神の真理とも云ふべきものである。嗚呼社交界の花よ、愛の女神よ、人命救助者よ、男殺しよ、呉々も朝夕の化粧を夢な忘れそ。
絶世の美人小野小町は艶麗なる花の姿の老いて萎び行くを見て、
花の色は移りにけりな徒らに 吾身世にふる眺めせしまに
と和歌に托して歎いた。何うしても栄枯盛衰のある肉体として、何時までも二八の花の姿を保つ事は出来ない。凡ての人間は年月の経つと共に、花の顔は皺面となり、歯は落ち肉は痩せ、眼は弱り耳は遠くなり、頭髪は霜を置き、手足の活動力鈍り、見る蔭も無く憐れな姿に変つて行く。其欠点を補つて死するまでも美なりし時の容姿と気品と威儀を保たしむる唯一の方法手段は、人工的化粧法に由るの外に何の道も無いのである。人間は人間に対して常に美と愛と清雅の気分を感ぜしむるのは一つの道義であり敬礼である。然るに陳腐なる俗的の制裁を信じ、老人が派手な衣服を着用したり、淡白とした薄化粧をする事を常に軽侮の眼を以て遇し、甚しきは淫乱婆だの、帰り咲だの、雪隠の浸水でババウキだのと罵るが、是は罵る者の方が間違つてゐると思ふ。人は人との交際場裡に立つて醜悪なる皺面や黒い顔を見せる位敬意を欠ぎ、又自分の人格を落下せしめ、対者の心に不快の念を起さしむるものは無い。故に人は、殊に婦人は化粧に十二分の注意を払つて、飽くまでも其美を人工的にも保有すべきである。若い間は天然の美が備はつて居るため、少々位化粧を怠つても余りに人に対して不快の念を起さしむる如うな事は少いが、老人の皺苦茶面や生地の細かい縞物なぞは、如何にも幻滅の悲哀を感ぜしむる。昔から六十の三ツ児と云ひ、六十一歳の還暦を迎へると子供に復つた象徴として赤色の賀の小袖を着て祝ふのが例となつてゐる。若やいで我にも可怪し賀の小袖。人間は仮令肉体は老朽するも其の精霊は不老不死にして、男子は三十歳、女子は二十歳より精霊は永遠に老いないのだから、霊体一致の真諦より考ふるも、老人は成るべく美しく化粧をなし、第一に吾本体たる精霊を歓ばせ、以て一生美と愛の生活を続くるこそ人生の本意であらねばならぬ。併し老女の不相応な厚化粧は考へものである。
(昭和三・九・一〇 東北日記 四の巻)