大本の教理は霊力体三位一体を説いてあるのであります。今日の人達は唯物論に堕したり、或は霊力論に堕したりして、みな一方に偏して居るやうでありますが、科学と宗教は相並行して行くべきものであります。
神様の霊と力と体、即ち霊は人間の心、神様は神霊、力は神様の働きである。凡ての物質は、凡て神様の体で、みな神様のものである。霊と物質の中から力が出て来る。此の断案は私が高熊山に修行中、素盞嗚尊の御命令によって、小松林と云ふ神使が私に御伝へになつたのであります。
『神は万物普遍の霊にして人は天地経綸の司宰者なり』吾々は小学校などで神は天地の司宰にして人は万物の霊長なりと教へられたのでありまするが、神様は無限の霊であり、人間が天地の司宰者なのであつて、今日まで此の点が誤つて居つたのであります。之を教として宣言するにも、随分永い間私は迫害を受けて来たものであります。
霊力体の三つを基礎にして、神様は万物普遍の霊体であつて、マルクスも、如何なるものも之に勝つ事が出来ない。之が三千年昔から神様の御仕組になつた本当の教であつて、物質から云つても、神霊の方から云つても、どちらから云つても真の教は大本より外には断じて無いのであります。今迄の既成宗教のどれを見ましても神に偏し、仏に偏し、或は物質を軽視し、又霊界を軽んじたり、神霊の世界のみを重んじたり、或は自己の世界を無視して居るとか、現界を此上もなく重んじる等、色々の宗教、学説がありまするが、大本は現幽一致、霊力体一致である。所謂神様から開かれた天帝の教であるが故に人間の教ではない。人間の今日の学問として、どうしても此の教を破る事が出来ない。かういふ教を吾々は奉じてゐる以上は、天下に何物も恐るるものあらむやであります。どうぞ此の四十周年を記念としまして、此の霊力体三大元説と神典古事記説、人は天地経綸の司宰者也、之を真向に振りかざして、益々此の神国成就に奪励努力されむ事を望む次第であります。
今日は容易ならざる時機になつたのであります。日本人としても、世界各国人みんな色々の思想国難、経済国難に悩んで居りまするが、一番困るのが今日の日本人であります。御筆先にある通りの時機が来た。大峠は今来らむとして居るのであります。大峠の麓にかかつて居るのであります。だんだん息が苦しうなつて来たり、足がだるくなつたりするに違ひないのであります。峠へ登つてしまへば、もう下り坂である。此の大峠を御神徳によつてしのぎ、神政成就、弥勒実現に共々に尽さねばならぬ時機であります。之が日本人の双肩にかかつたる責任であります。
(昭和七・二・六 於弥勒殿開教四十周年祭 同七・二・一五号 真如の光誌)