霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第二八章 行軍(かうぐん)開始(かいし)

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 特別篇 山河草木 入蒙記 篇:第4篇 神軍躍動 よみ(新仮名遣い):しんぐんやくどう
章:第28章 行軍開始 よみ(新仮名遣い):こうぐんかいし 通し章番号:
口述日:1925(大正14)年08月 口述場所: 筆録者: 校正日: 校正場所: 初版発行日:1935(昭和10)年4月30日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]:
三井、佐々木からの情報によれば、洮南付近で盧占魁の名をかたる馬賊が横行しているため、張作霖は、盧占魁が東三省から立ち退かないと、討伐軍を差し向けると言っている、とのことである。
ところが、この報を聞いても盧占魁は、これはかねてから張作霖と約束した計略であり、張作霖が討伐して追いやった馬賊を自分が糾合する、という作戦なのだ、と言っていた。
しかしその後、輸送の弾薬が来ないことや、奉天から連絡がないことから、盧占魁もやや不安を感じたと見えて、六月二日、今後の動静について参謀一同、密議を凝らすことになった。
真澄別は張作霖を当てにせず、興安嶺に進出して独立を企てるべきだと主張した。これに対して盧占魁は、綏遠・チャハル地方に一度戻ってそちらの部隊に合流を促し、物資を補給してから外蒙に向かうようにしよう、と決めた。
ところがその間に、盧占魁軍に参加している蒙古馬賊の一隊と、東三省正規軍との間で戦闘が発生した。馬賊らは機動力を活かして見事に撤退して来たが、結局盧占魁は彼らの救出には動かなかった。
そして、官軍との衝突で東三省に構えているのはまずいと意を決したのか、西北に向かって進軍するように全軍に命令を出した。
全部隊は木局子を引き払って行軍を始めた。行軍中、先日東三省の官軍と一戦交えた馬賊の頭目・大英子児(タアインヅル)が日出雄を訪問してきた。彼は日出雄への敬意を表し、するめを戴いて帰ったが、その夜、盧占魁が救出に動かなかったことを不服として、部下とともにいずこかへ逐電してしまった。
果たして、今日では彼は熱河の奥地に本拠を構え、三千の軍を組織し、日出雄の弔い合戦をするのだ、と日出雄・真澄別の再渡来を待っているのだという。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考:2024/2/9出口王仁三郎全集第6巻を底本として校正。 タグ: データ凡例: データ最終更新日:2024-02-09 17:20:22 文字数:2498 OBC :rmnm28
愛善世界社版:250頁 八幡書店版:第14輯 639頁 修補版: 校定版:253頁 普及版: 初版: ページ備考:
001 これより曩(さき)、002洮南(たうなん)より三井(みつゐ)及(およ)び佐々木(ささき)が密使(みつし)を遣(つか)はし『洮南(たうなん)附近(ふきん)盧(ろ)の名(な)を騙(かた)る小馬賊(せうばぞく)の横行(わうかう)甚(はなはだ)しく、003官民(くわんみん)共(とも)に困苦(こんく)の結果(けつくわ)、004張(ちやう)作霖(さくりん)よりも此(この)際(さい)盧(ろ)が東三省(とうさんしやう)圏外(けんぐわい)に出(い)でざる限(かぎ)り、005大々(だいだい)的(てき)に討伐軍(たうばつぐん)を差向(さしむ)くべし』と報(はう)じて来(き)たが、006盧(ろ)司令(しれい)は事(こと)もなげに、
007盧占魁『それは自分(じぶん)が予(かね)て張(ちやう)大師(たいし)(張(ちやう)作霖(さくりん)の敬称(けいしやう))と約束(やくそく)した計略(けいりやく)で、008東三省(とうさんしやう)内(ない)の馬賊(ばぞく)を討伐(たうばつ)の名(な)に於(おい)て索倫(ソーロン)へ向(む)け追(お)ひ放(はな)ち、009自分(じぶん)は之(これ)を全部(ぜんぶ)糾合(きうがふ)して部下(ぶか)となすべき、010一挙(いつきよ)両得(りやうとく)の妙案(めうあん)なのだ』
011と云(い)つてゐた。012然(しか)るに爾後(じご)引続(ひきつづ)き後方(こうはう)より輸送(ゆそう)せらるべき筈(はず)の弾薬(だんやく)武器(ぶき)は来(きた)らず、013又(また)所要(しよえう)のため帰奉(きほう)した佐々木(ささき)、014大倉(おほくら)、015楊(やう)崇山(すうざん)等(ら)より何(なん)等(ら)の消息(せうそく)も到達(たうたつ)しないといふ情況(じやうきやう)なので、016盧(ろ)も稍(やや)不安(ふあん)を感(かん)じたのか、017六(ろく)月(ぐわつ)二日(ふつか)腹心(ふくしん)の部下(ぶか)数騎(すうき)を率(ひき)ゐて、018上(かみ)木局子(もくきよくし)なる日出雄(ひでを)の仮殿(かりどの)を訪(おと)づれ、019茲(ここ)に密議(みつぎ)は凝(こ)らされた。020秘密(ひみつ)事項(じかう)又(また)は特(とく)に緊要(きんえう)なる問題(もんだい)は、021何時(いつ)も日出雄(ひでを)の意(い)を受(う)けたる真澄別(ますみわけ)と盧(ろ)占魁(せんくわい)と筆談(ひつだん)にて解決(かいけつ)するのが例(れい)であつたから、022無論(むろん)此(この)日(ひ)も筆談(ひつだん)に依(よ)つて両者(りやうしや)間(かん)に問題(もんだい)が議(ぎ)せられたのであるが、023其(その)要点(えうてん)は凡(およ)そ左(さ)の如(ごと)き問答(もんだふ)であつたと、024著者(ちよしや)は推断(すゐだん)すべき理由(りいう)を有(も)つてゐる。
025真澄別(ますみわけ)『何時(いつ)迄(まで)も、026此処(ここ)に駐屯(ちうとん)して居(ゐ)た所(ところ)で仕方(しかた)がないぢやありませぬか。027張(ちやう)作霖(さくりん)は貴方(あなた)の思(おも)ふてる程(ほど)、028貴方(あなた)を決(けつ)して後援(こうえん)しませぬよ。029それよりも独立(どくりつ)開発(かいはつ)の計(けい)を立(た)て、030先(ま)づ源義経(ジンギス)が初(はじ)めて王旗(わうき)を飜(ひるがへ)したと伝(つた)へられてる興安嶺(こうあんれい)の聖地(せいち)迄(まで)進軍(しんぐん)したら何(ど)うですか、031興安嶺(こうあんれい)には七千(しちせん)の赤軍(せきぐん)が居(ゐ)ると貴方(あなた)は謂(い)はれましたが、032霊眼(れいがん)で見(み)ると、033乗馬(じやうば)は四五(しご)百(ひやく)頭(とう)ある様(やう)だけれど、034人(ひと)は二百(にひやく)足(た)らずですよ。035通訳官(つうやくくわん)さへ付(つ)けて呉(く)れれば、036私(わたし)一人(ひとり)先発(せんぱつ)して立派(りつぱ)に妥協(だけふ)して見(み)せますがなア』
037盧(ろ)『イヤ、038誠(まこと)に遅延(ちえん)して済(す)みませぬ。039長銃(ちやうじゆう)が不足(ふそく)だものですから、040あれでもと思(おも)ふて待(ま)つて居(ゐ)ましたが、041モウ決心(けつしん)致(いた)します。042併(しか)し興安嶺(こうあんれい)のあの地帯(ちたい)は食料(しよくれう)がなく、043これ丈(だけ)の人数(にんずう)が繰込(くりこ)んでは忽(たちま)ち物資(ぶつし)に困(こま)ります。044それよりも先(ま)づ綏遠(スヰヱン)、045察哈爾(チヤハル)地方(ちはう)より当方(たうはう)へ参加(さんか)する大部隊(だいぶたい)に早(はや)く合(がつ)する様(やう)、046其(その)方向(はうかう)に向(むか)ひ、047充分(じゆうぶん)物資(ぶつし)を豊富(ほうふ)にして、048それから外蒙(ぐわいもう)へ向(むか)ひませう。049兎(と)に角(かく)二三(にさん)日(にち)の内(うち)には出発(しゆつぱつ)する様(やう)に取計(とりはか)らひますから……』
050 斯(かか)る折柄(をりから)、051下(しも)木局子(もくきよくし)に留守居(るすゐ)をして居(ゐ)た馬(ば)副官(ふくくわん)は顔色(かほいろ)を変(か)へ、052全速力(ぜんそくりよく)で馬(うま)を飛(と)ばしてやつて来(き)て、053何事(なにごと)か慌(あはただ)しく報告(はうこく)した。054これを聴(き)くと盧(ろ)は決心(けつしん)の色(いろ)を面(おもて)に浮(うか)べて立上(たちあが)り、055日出雄(ひでを)一行(いつかう)に出発(しゆつぱつ)の準備(じゆんび)を請(こ)ひおき、056直(ただ)ちに司令部(しれいぶ)指(さ)して急(いそ)ぎ帰(かへ)つた。
057 司令部(しれいぶ)の東南方(とうなんぱう)約(やく)三十(さんじふ)支里(しり)の地点(ちてん)に殿(しんがり)として、058満州(まんしう)馬賊(ばぞく)の大頭目(だいとうもく)大英子児(タアインヅル)が手兵(しゆへい)の一部(いちぶ)六十(ろくじふ)余(よ)騎(き)を率(ひき)ゐて駐屯(ちうとん)して居(ゐ)たが、059此(この)日(ひ)恰(あだか)も大英子児(タアインヅル)は司令部(しれいぶ)へ出頭(しゆつとう)し不在中(ふざいちゆう)部下(ぶか)の者(もの)共(ども)は、060寛(くつろ)いで昼寝(ひるね)の夢(ゆめ)を貪(むさぼ)つてゐる最中(さいちう)、061洮南(たうなん)の官兵(くわんぺい)約(やく)三百(さんびやく)余(よ)騎(き)が突然(とつぜん)襲撃(しふげき)したのである。062大英子児(タアインヅル)の部下(ぶか)は少数(せうすう)なりと雖(いへど)も、063皆(みな)一騎(いつき)当千(たうせん)の粒揃(つぶぞろ)ひの事(こと)なれば、064直(ただ)ちに裸(はだか)の儘(まま)銃(じゆう)を取(と)つて応戦(おうせん)し、065数百(すうひやく)の官兵(くわんぺい)を一歩(いつぽ)も寄(よ)せつけず、066一方(いつばう)急(きふ)を司令部(しれいぶ)に報(はう)じた。067司令部(しれいぶ)にては戦(せん)非戦(ひせん)両派(りやうは)対立(たいりつ)して議(はかりごと)容易(ようい)に纏(まとま)らずといふ有様(ありさま)なので、068大英子児(タアインヅル)は単身(たんしん)馬(うま)を飛(と)ばして、069自分(じぶん)の屯営(とんえい)に立帰(たちかへ)り、070部下(ぶか)を引纏(ひきまと)め悠々(いういう)として司令部(しれいぶ)迄(まで)引揚(ひきあ)げた。071其(その)敏活(びんくわつ)さ、072豪胆(がうたん)さに官兵(くわんぺい)は肝(きも)を奪(うば)はれてか、073敢(あへ)て追撃(つゐげき)もしなかつたのである。
074 此(この)時(とき)司令部(しれいぶ)の一室(いつしつ)に控(ひか)へて居(ゐ)た岡崎(をかざき)将軍(しやうぐん)は参謀(さんぼう)連(れん)の不甲斐(ふがひ)なきを怒(いか)り、
075岡崎『こんな連中(れんちう)と一緒(いつしよ)に居(ゐ)ては先生(せんせい)の御(お)身(み)が案(あん)ぜられる』
076とて手近(てぢか)にあつた兵糧(ひやうらう)を取纏(とりまと)め、077牛車(ぎうしや)数台(すうだい)を徴発(ちようはつ)して之(これ)を積載(せきさい)し078急(いそ)ぎ上(かみ)木局子(もくきよくし)の仮殿(かりどの)に向(むか)つた。079之(これ)と入(い)れ違(ちが)ひに、080盧(ろ)司令(しれい)は司令部(しれいぶ)に帰(かへ)つて来(き)たが、081彼(かれ)は参謀(さんぼう)揚(やう)萃廷(すゐてい)の『討伐隊(とうばつたい)は大英子児(タアインヅル)を撃(う)ちに来(き)たものだ』との言(げん)を信(しん)じたものか、082或(あるひ)は東三省(とうさんしやう)の兵(へい)と戦(たたか)ふのは自分(じぶん)で自分(じぶん)の立場(たちば)を危(あやふ)くするものと解(かい)したか、083議論(ぎろん)百出(ひやくしゆつ)の間(あひだ)に西北(せいほく)へ向(むか)つて移動(いどう)の命令(めいれい)を下(くだ)し、084車輪(しやりん)不足(ふそく)の為(ため)積載(せきさい)出来(でき)ぬ兵糧(ひやうらう)などは、085黒竜江(こくりうこう)の木局署(もくきよくしよ)へ処分(しよぶん)を委託(いたく)し、086西北(せいほく)指(さ)して行動(かうどう)を起(おこ)す事(こと)とした。
087○
088 夜(よる)の帳(とばり)がスツポリと卸(おろ)された頃(ころ)、089上(かみ)木局子(もくきよくし)なる日出雄(ひでを)の仮殿(かりどの)の周囲(しうゐ)は090下(しも)木局子(もくきよくし)を徹退(てつたい)した軍兵(ぐんぺい)を以(もつ)て幾重(いくへ)にも取巻(とりま)かれ、091馬(うま)の嘶(いななき)、092犬(いぬ)の遠吠(とほぼえ)、093篝火(かがりび)の焔(ほのほ)、094今迄(いままで)静寂(せいじやく)なりし上(かみ)木局子(もくきよくし)の天地(てんち)は俄(には)かに殺気(さつき)が漲(みなぎ)つた。
095 仮殿内(かりどのない)にては盧(ろ)以下(いか)数名(すうめい)の幹部(かんぶ)が日出雄(ひでを)、096真澄別(ますみわけ)、097岡崎(をかざき)に向(むか)ひ前途(ぜんと)に関(くわん)する行動(かうどう)に就(つ)き説明(せつめい)を重(かさ)ねつつ夜(よ)を更(ふ)かしてゐたが、098結局(けつきよく)地理(ちり)不案内(ふあんない)なる日本人(につぽんじん)側(がは)は進路(しんろ)を盧(ろ)に一任(いちにん)する事(こと)となつた。099折柄(をりから)暗(やみ)の一遇(いちぐう)に銃声(じゆうせい)一発(いつぱつ)と、100断末魔(だんまつま)の声(こゑ)が聞(きこ)えた。101哀(あは)れなる一兵卒(いつぺいそつ)は上官(じやうくわん)に反抗(はんかう)せるの故(ゆゑ)を以(もつ)て、102即座(そくざ)に銃殺(じゆうさつ)されたのであつた。
103 兎角(とかく)する内(うち)翌(よく)六(ろく)月(ぐわつ)三日(みつか)午前(ごぜん)三(さん)時(じ)となつた。104鄒(すう)団長(だんちやう)の部隊(ぶたい)、105先鋒(せんぽう)となり、106盧(ろ)は自(みづか)ら日出雄(ひでを)護衛(ごえい)の任(にん)に当(あた)り、107曼陀汗(マンダハン)は殿(しんが)り、108大英子児(タアインヅル)は全隊(ぜんたい)の見廻(みまは)り、109張(ちやう)彦三(けんさん)は牛車隊(ぎうしやたい)の監督(かんとく)など、110夫(そ)れ夫(ぞ)れ役割(やくわり)を定(さだ)め、111西北(せいほく)興安嶺(こうあんれい)の聖地(せいち)を指(さ)して行軍(かうぐん)を開始(かいし)する事(こと)となつた。112道路(だうろ)とて別(べつ)に定(さだ)まつたものはなく、113唯(ただ)樹木(じゆもく)点綴(てんてつ)せる大高原(だいかうげん)を洮児(トール)の流(ながれ)を標準(へうじゆん)に縫(ぬ)うて進(すす)むのである。114途中(とちう)黄楊(くわうやう)の大木(たいぼく)があると、115坂本(さかもと)は馬上(ばじやう)より指(ゆびさ)して、
116坂本『二先生(アルセンシヨン)、117こんな黄楊(くわうやう)一本(いつぽん)あれば、118築前(ちくぜん)琵琶(びわ)が幾(いく)つも出来(でき)ますなア』
119と歎声(たんせい)を漏(も)らす程(ほど)のが数知(かずし)れず樹立(じゆりつ)してゐるのは、120特(とく)に日本人(につぽんじん)連中(れんちう)には珍(めづ)らしかつた。
121 此(この)日(ひ)暮(くれ)近(ちか)き頃(ころ)、122洮児(トール)の上流(じやうりう)、123河畔(かはん)の森影(もりかげ)を日出雄(ひでを)一行(いつかう)の陣営(ぢんえい)と見計(みはか)らひ、124露営(ろえい)の夢(ゆめ)を辿(たど)る事(こと)とした。
125曼陀汗『モウ上(かみ)木局子(もくきよくし)を離(はな)れては当分(たうぶん)人家(じんか)は素(もと)より家畜(かちく)も見(み)られない』
126と曼陀汗(マンダハン)が説明(せつめい)する。127狼(おほかみ)其(その)他(た)猛獣(まうじう)の襲来(しふらい)を防(ふせ)ぐ為(ため)とて、128所々(しよしよ)に揚(あが)る焚火(のろし)の紅煙(こうえん)は天(てん)を焦(こが)さむ許(ばか)り森(もり)を真赤(まつか)に照(てら)して居(ゐ)た。129此(この)夜半(やはん)頃(ころ)大英子児(タアインヅル)は窃(ひそ)かに日出雄(ひでを)を訪問(はうもん)し、130岡崎(をかざき)を介(かい)して『私(わたくし)はどこ迄(まで)も貴方(あなた)方(がた)を御(ご)保護(ほご)申上(まうしあげ)ます』と誓(ちか)ひ、131日出雄(ひでを)の手(て)づから与(あた)ふる鯣(するめ)を再三(さいさん)推(お)し戴(いただ)き『言語(げんご)さへ通(つう)ずれば……』てふ物足(ものた)らぬ心(こころ)を面(おもて)に現(あら)はしつつも、132ニコニコとして辞(じ)し去(さ)つたが、133彼(かれ)は前日(ぜんじつ)下(しも)木局子(もくきよくし)に於(お)ける盧(ろ)の所置(しよち)を快(こころよ)しとせず、134窃(ひそ)かに期(き)する所(ところ)あつて、135此(この)夜(よ)脱出(だつしゆつ)し、136部下(ぶか)諸共(もろとも)何(いづ)れへか姿(すがた)を消(け)して了(しま)つた。137果(はた)せる哉(かな)彼(かれ)は今日(こんにち)熱河(ねつか)の奥地(おくち)に本拠(ほんきよ)を構(かま)へ、138已(すで)に三千(さんぜん)の精兵(せいへい)を引具(ひきぐ)して紅帽軍(こうばうぐん)を組織(そしき)し、139日出雄(ひでを)の弔(ともらひ)合戦(がつせん)[※ルビ「とむらひ」の「む」は校定版や愛世版では「も」(ともらひ)、王仁蒙古入記p306では「む」。広辞苑によると「弔」は「ともらひ」とも読むので「も」にする。]をするのだ……と堂々(だうだう)の陣(ぢん)を張(は)り、140日出雄(ひでを)、141真澄別(ますみわけ)の再渡来(さいとらい)を待(ま)つてゐるさうである。142大英子児(タアインヅル)脱退(だつたい)と同時(どうじ)に、143予(かね)て非戦論(ひせんろん)を潔(いさぎよ)しとせざる勇士(ゆうし)は続々(ぞくぞく)として姿(すがた)を隠(かく)して了(しま)つたので、144翌朝(よくてう)出立(しゆつたつ)の際(さい)は、145騎馬兵(きばへい)五百(ごひやく)騎(き)、146馬(うま)整(ととの)はずして牛車(ぎうしや)に便乗(びんじよう)せるもの三百(さんびやく)有余(いうよ)と算(さん)せられた。
147(大正一四、八、筆録)
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