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霊界物語
山河草木(第61~72巻、入蒙記)
特別編 入蒙記
第1篇 日本より奉天まで
第1章 水火訓
第2章 神示の経綸
第3章 金剛心
第4章 微燈の影
第5章 心の奥
第6章 出征の辞
第7章 奉天の夕
第2篇 奉天より洮南へ
第8章 聖雄と英雄
第9章 司令公館
第10章 奉天出発
第11章 安宅の関
第12章 焦頭爛額
第13章 洮南旅館
第14章 洮南の雲
第3篇 洮南より索倫へ
第15章 公爺府入
第16章 蒙古の人情
第17章 明暗交々
第18章 蒙古気質
第19章 仮司令部
第20章 春軍完備
第21章 索倫本営
第4篇 神軍躍動
第22章 木局収ケ原
第23章 下木局子
第24章 木局の月
第25章 風雨叱咤
第26章 天の安河
第27章 奉天の渦
第28章 行軍開始
第29章 端午の日
第30章 岩窟の奇兆
第5篇 雨後月明
第31章 強行軍
第32章 弾丸雨飛
第33章 武装解除
第34章 竜口の難
第35章 黄泉帰
第36章 天の岩戸
第37章 大本天恩郷
第38章 世界宗教聯合会
第39章 入蒙拾遺
附 入蒙余録
大本の経綸と満蒙
世界経綸の第一歩
蒙古建国
蒙古の夢
神示の世界経綸
余白歌
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霊界物語
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山河草木(第61~72巻、入蒙記)
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特別編 入蒙記
> 第1篇 日本より奉天まで > 第4章 微燈の影
<<< 金剛心
(B)
(N)
心の奥 >>>
第四章
微燈
(
びとう
)
の
影
(
かげ
)
インフォメーション
著者:
出口王仁三郎
巻:
霊界物語 特別篇 山河草木 入蒙記
篇:
第1篇 日本より奉天まで
よみ(新仮名遣い):
にっぽんよりほうてんまで
章:
第4章 微燈の影
よみ(新仮名遣い):
びとうのかげ
通し章番号:
口述日:
1925(大正14)年08月15日(旧06月26日)
口述場所:
筆録者:
北村隆光
校正日:
校正場所:
初版発行日:
1925(大正14)年2月14日
概要:
舞台:
あらすじ
[?]
このあらすじは東京の望月さん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「
王仁DB
」にあります。
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:
大正十三年新暦二月四日は、大本の年中行事の節分祭に相当した。中国暦でいうと、正月元日に当たる。そして本年は甲子に当たり、中国暦によると、十二万年に一度循環するという稀有の日柄であった。甲子は音が「更始」に通じている。
二月五日の早朝より元朝祭を行い、各国各地より集まってきた役員信徒は、日出雄を囲んで夜のふけるまで神界の経綸談を聞いていた。やがて皆おいおい帰国の途につき、広い教主殿も洪水の引いた後のように閑寂の気が漂っていた。
午後八時ごろ、教主殿の奥の間、ランプの光がかすかな一室に、日出雄は真澄別、隆光彦、唐国別の三人と共に海外宣伝の評議を行っていた。
まず、真澄別が朝鮮普天教との提携や、北京行きの結果を総括した。朝鮮には唯夫別と共に普天教教主を訪ね、日出雄教主の来鮮と教主会談を要請された。唯夫別は普天教の役員各として残留することとなった。
また隆光彦はシナの道院との連携と、中国各地での道院訪問の様子を述べた。
日出雄は、現在は監察の身ながら一度シナ、朝鮮を旅行してその道の人々と語り合い、世界宗教統一の第一歩を踏み出してみたいと、意を現した。その際、真澄別、隆光彦両人の同道を乞うた。
日出雄は唐国別からは、奉天の水也商会という武器屋を通じたシナ事情を聞いた。すると、河南督軍の軍事顧問を務めている岡崎鉄首という者が、張作霖とのつながりを利用して、蒙古の大荒野を開拓して日本の大植民地を作りたい、そのためには宗教で人心を収攬する策が一番だが、大本の日出雄聖師にその役をお願いできないか、と打診してきた話を語りだした。
そして、盧占魁という馬賊の大巨頭が内外蒙古に勢力を保っているので、聖師と引き合わせたい、という計画を打ち明けた。
主な登場人物
[?]
【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。
[×閉じる]
:
備考:
2023/12/29出口王仁三郎全集第6巻を底本として校正。
タグ:
データ凡例:
データ最終更新日:
2023-12-29 01:03:12
OBC :
rmnm04
愛善世界社版:
29頁
八幡書店版:
第14輯 558頁
修補版:
校定版:
29頁
普及版:
初版:
ページ備考:
001
大正
(
たいしやう
)
十三
(
じふさん
)
年
(
ねん
)
新
(
しん
)
二
(
に
)
月
(
ぐわつ
)
四日
(
よつか
)
は
大本
(
おほもと
)
の
年中
(
ねんぢう
)
行事
(
ぎやうじ
)
の
一
(
ひとつ
)
なる
節分祭
(
せつぶんさい
)
に
相当
(
さうたう
)
し
[
※
大正11年(1922年)から大正13年(1924年)までの3年間の節分は2月4日だった。
]
、
002
翌
(
よく
)
五日
(
いつか
)
は
旧暦
(
きうれき
)
甲子
(
きのえね
)
の
正
(
しやう
)
月
(
ぐわつ
)
元日
(
ぐわんじつ
)
に
相当
(
さうたう
)
する
吉辰
(
きちしん
)
である。
003
然
(
しか
)
し
中国暦
(
ちうごくれき
)
に
従
(
したが
)
へば
二
(
に
)
月
(
ぐわつ
)
四日
(
よつか
)
が
正
(
しやう
)
月
(
ぐわつ
)
元日
(
ぐわんじつ
)
となつてゐる
[
※
日本と中国では旧暦の計算基準が異なるため。
]
、
004
この
方
(
はう
)
が
正当
(
せいたう
)
らしい。
005
そして
本年
(
ほんねん
)
の
甲子
(
きのえね
)
は
中国暦
(
ちうごくれき
)
によれば
十二
(
じふに
)
万
(
まん
)
年
(
ねん
)
に
只
(
ただ
)
一度
(
いちど
)
循環
(
じゆんくわん
)
し
来
(
きた
)
ると
云
(
い
)
ふ
稀有
(
けう
)
の
日柄
(
ひがら
)
であつた。
006
二
(
に
)
月
(
ぐわつ
)
五日
(
いつか
)
即
(
すなは
)
ち
旧
(
きう
)
正
(
しやう
)
月
(
ぐわつ
)
元日
(
ぐわんじつ
)
早朝
(
さうてう
)
より
元朝祭
(
ぐわんてうさい
)
を
行
(
おこな
)
ひ、
007
天地
(
てんち
)
四方
(
しはう
)
を
拝
(
はい
)
し、
008
聖天子
(
せいてんし
)
の
仁徳
(
じんとく
)
を
感謝
(
かんしや
)
するのを
恒例
(
こうれい
)
としてゐる。
009
そして
甲子
(
きのえね
)
は
即
(
すなは
)
ち
更始
(
かうし
)
に
国音
(
こくおん
)
相
(
あひ
)
通
(
つう
)
じ、
010
百度
(
ひやくど
)
維
(
こ
)
れ
新
(
あらた
)
なる
年
(
とし
)
だと
云
(
い
)
はれてゐる。
011
この
日
(
ひ
)
各国
(
かくこく
)
各地
(
かくち
)
より
集
(
あつ
)
まり
来
(
きた
)
つた
役員
(
やくゐん
)
信徒
(
しんと
)
は
元朝祭
(
ぐわんてうさい
)
を
終
(
を
)
へ、
012
殆
(
ほと
)
んど
人
(
ひと
)
に
対
(
たい
)
し
障壁
(
しやうへき
)
のない
日出雄
(
ひでを
)
の
身辺
(
しんぺん
)
を、
013
夜
(
よ
)
の
更
(
ふ
)
くる
迄
(
まで
)
取
(
と
)
りかこんで
神界
(
しんかい
)
の
経綸談
(
けいりんだん
)
を
聞
(
き
)
いて
居
(
ゐ
)
た。
014
下
(
くだ
)
つて
正
(
しやう
)
月
(
ぐわつ
)
五日
(
いつか
)
信者
(
しんじや
)
もおひおひと
帰国
(
きこく
)
し、
015
さしもに
広
(
ひろ
)
き
教主殿
(
けうしゆでん
)
も
洪水
(
こうずゐ
)
のひいた
跡
(
あと
)
のやうに
閑寂
(
かんじやく
)
の
気
(
き
)
が
漂
(
ただよ
)
うた。
016
午後
(
ごご
)
八
(
はち
)
時
(
じ
)
頃
(
ごろ
)
、
017
教主殿
(
けうしゆでん
)
の
奥
(
おく
)
の
間
(
ま
)
、
018
ランプの
光
(
ひか
)
り
幽
(
かす
)
かなる
一室
(
いつしつ
)
に
金泰籃
(
きんたいらん
)
の
机
(
つくゑ
)
をとりまいて
真澄別
(
ますみわけ
)
、
019
隆光彦
(
たかてるひこ
)
、
020
唐国別
(
からくにわけ
)
の
三
(
さん
)
人
(
にん
)
と
共
(
とも
)
にヒソヒソと
海外
(
かいぐわい
)
宣伝
(
せんでん
)
の
評議
(
ひやうぎ
)
をやつてゐた。
021
明
(
めい
)
晃々
(
くわうくわう
)
たる
三日月
(
みかづき
)
は
四尾山
(
よつをやま
)
の
頂
(
いただき
)
に
沈
(
しづ
)
んで、
022
何処
(
いづこ
)
ともなく
膚寒
(
はださむ
)
い
風
(
かぜ
)
が
裸木
(
はだかぎ
)
の
立
(
た
)
ち
並
(
なら
)
んだ
神苑
(
しんゑん
)
を
吹
(
ふ
)
き
渡
(
わた
)
つて
居
(
ゐ
)
る。
023
唐国別
(
からくにわけ
)
は
且
(
かつ
)
て
海軍
(
かいぐん
)
に
奉仕
(
ほうし
)
し、
024
その
官
(
くわん
)
は
大佐
(
たいさ
)
であつた。
025
日出雄
(
ひでを
)
は
陶器
(
たうき
)
の
火鉢
(
ひばち
)
に
手
(
て
)
をあぶり
乍
(
なが
)
ら、
026
日出雄
『
真澄別
(
ますみわけ
)
さん、
027
朝鮮
(
てうせん
)
普天教
(
ふてんけう
)
の
方
(
はう
)
や
北京
(
ペキン
)
行
(
ゆき
)
の
結果
(
けつくわ
)
は、
028
どうなりましたか
聞
(
き
)
かして
貰
(
もら
)
ひ
度
(
た
)
いものですな』
029
真澄別
(
ますみわけ
)
『ハイ、
030
御
(
ご
)
命令
(
めいれい
)
を
頂
(
いただ
)
きまして
唯夫別
(
ただをわけ
)
を
伴
(
ともな
)
ひ
先
(
ま
)
づ
朝鮮
(
てうせん
)
へ
神
(
かみ
)
の
使節
(
しせつ
)
として
往来
(
わうらい
)
せる
金
(
きん
)
勝玟
(
しようぶん
)
、
031
田
(
でん
)
炳徳
(
へいとく
)
その
他
(
た
)
二三
(
にさん
)
の
普天教
(
ふてんけう
)
信徒
(
しんと
)
に
迎
(
むか
)
へられ、
032
朝鮮
(
てうせん
)
鉄道
(
てつだう
)
に
乗
(
の
)
つて
大田駅
(
たいでんえき
)
につき、
033
ここにて
普天教
(
ふてんけう
)
幹部
(
かんぶ
)
金
(
きん
)
正坤
(
しやうこん
)
氏
(
し
)
と
布教
(
ふけう
)
伝道
(
でんだう
)
の
件
(
けん
)
につき
懇々
(
こんこん
)
と
談
(
だん
)
じ、
034
金
(
きん
)
、
035
田
(
でん
)
二氏
(
にし
)
の
案内
(
あんない
)
にて
井邑
(
せいいふ
)
なる
同教
(
どうけう
)
本部
(
ほんぶ
)
に
参着
(
さんちやく
)
、
036
教主
(
けうしゆ
)
車
(
しや
)
潤洪
(
じゆんこう
)
氏
(
し
)
と
徹夜
(
てつや
)
快談
(
くわいだん
)
致
(
いた
)
しましたが、
037
車
(
しや
)
氏
(
し
)
は、
038
かねて
聞
(
き
)
き
及
(
およ
)
びしに
違
(
たが
)
はざる
立派
(
りつぱ
)
な
神柱
(
かむばしら
)
で、
039
同教
(
どうけう
)
の
動機
(
どうき
)
や
教理
(
けうり
)
等
(
とう
)
は、
040
その
活動
(
くわつどう
)
舞台
(
ぶたい
)
を
朝鮮
(
てうせん
)
においた
迄
(
まで
)
で、
041
全
(
まつた
)
く
大国常立
(
おほくにとこたちの
)
尊
(
みこと
)
様
(
さま
)
の
御
(
ご
)
経綸
(
けいりん
)
に
奉仕
(
ほうし
)
してゐる
人
(
ひと
)
ですから、
042
その
教理
(
けうり
)
や
事情
(
じじやう
)
に
於
(
おい
)
ては
今
(
いま
)
改
(
あらた
)
めて
御
(
ご
)
報告
(
はうこく
)
申上
(
まをしあ
)
げる
迄
(
まで
)
もなく、
043
貴方
(
あなた
)
は
御存
(
ごぞん
)
じの
事
(
こと
)
と
思
(
おも
)
ひます。
044
ただ
車
(
しや
)
氏
(
し
)
は
神界
(
しんかい
)
の
御
(
ご
)
都合
(
つがふ
)
により
因縁
(
いんねん
)
上
(
じやう
)
の
関係
(
くわんけい
)
とでも
申
(
まを
)
すものか、
045
あつぱれ
表面
(
へうめん
)
に
立
(
た
)
つて
社会
(
しやくわい
)
的
(
てき
)
に
活動
(
くわつどう
)
するは
甲子
(
きのえね
)
の
年
(
とし
)
と
同教
(
どうけう
)
の
神示
(
しんじ
)
に
定
(
さだ
)
められてあるさうですが、
046
之
(
これ
)
と
同時
(
どうじ
)
に
日出雄
(
ひでを
)
先生
(
せんせい
)
にお
目
(
め
)
にかかり
御
(
ご
)
意見
(
いけん
)
を
聞
(
き
)
いた
上
(
うへ
)
でなくては、
047
公然
(
こうぜん
)
神業
(
しんげふ
)
の
完成
(
くわんせい
)
に
向
(
むか
)
つて
進
(
すす
)
まれる
訳
(
わけ
)
には
行
(
ゆ
)
かない
事
(
こと
)
になつてゐるさうです。
048
その
筋
(
すぢ
)
の
誤解
(
ごかい
)
や
俗人
(
ぞくじん
)
の
中傷
(
ちうしやう
)
等
(
とう
)
もあつて
049
朝鮮
(
てうせん
)
独立
(
どくりつ
)
の
陰謀団
(
いんぼうだん
)
のやうに
見做
(
みな
)
され、
050
聖地
(
せいち
)
の
如
(
ごと
)
く
数多
(
あまた
)
の
警官
(
けいくわん
)
に
踏
(
ふ
)
み
込
(
こ
)
まれ、
051
非常
(
ひじやう
)
な
迷惑
(
めいわく
)
を
感
(
かん
)
じた
経緯
(
いきさつ
)
もあり、
052
それ
故
(
ゆゑ
)
車
(
しや
)
氏
(
し
)
は
時節
(
じせつ
)
の
到来
(
たうらい
)
する
迄
(
まで
)
多数
(
たすう
)
の
信者
(
しんじや
)
にでも
顔
(
かほ
)
を
見
(
み
)
せないやうに、
053
山
(
やま
)
深
(
ふか
)
く
分
(
わ
)
け
入
(
い
)
り、
054
世間
(
せけん
)
にかくれて
神界
(
しんかい
)
の
経綸
(
けいりん
)
を
進
(
すす
)
めつつあると
云
(
い
)
ふ
状態
(
じやうたい
)
でありますが、
055
右
(
みぎ
)
の
次第
(
しだい
)
で
兎
(
と
)
に
角
(
かく
)
当分
(
たうぶん
)
の
処
(
ところ
)
、
056
大本
(
おほもと
)
と
云
(
い
)
ひ
普天
(
ふてん
)
と
云
(
い
)
ふのも、
057
各
(
おのおの
)
その
出現地
(
しゆつげんち
)
に
於
(
おい
)
ての
称
(
とな
)
へであつて
畢竟
(
ひつきやう
)
同一
(
どういつ
)
の
神
(
かみ
)
の
教
(
をしへ
)
でありますから、
058
相互間
(
さうごかん
)
の
諒解
(
りやうかい
)
も
十分
(
じふぶん
)
に
出来
(
でき
)
たので
精神
(
せいしん
)
的
(
てき
)
、
059
内分
(
ないぶん
)
的
(
てき
)
に
提携
(
ていけい
)
聯合
(
れんがふ
)
して
帰国
(
きこく
)
しました。
060
又
(
また
)
北京
(
ペキン
)
では
主
(
しゆ
)
として
大学
(
だいがく
)
教授
(
けうじゆ
)
やその
他
(
た
)
の
思想家
(
しさうか
)
達
(
たち
)
と
交遊
(
かういう
)
し、
061
互
(
たがひ
)
に
意見
(
いけん
)
の
交換
(
かうくわん
)
をなし
大本
(
おほもと
)
の
教理
(
けうり
)
を
詳細
(
しやうさい
)
に
述
(
の
)
べた
所
(
ところ
)
、
062
彼
(
かれ
)
等
(
ら
)
も
非常
(
ひじやう
)
に
感服
(
かんぷく
)
し、
063
再会
(
さいくわい
)
を
約
(
やく
)
して
一旦
(
いつたん
)
袂
(
たもと
)
を
別
(
わか
)
つて
帰
(
かへ
)
りました。
064
五大教
(
ごだいけう
)
道院
(
だうゐん
)
、
065
悟善社
(
ごぜんしや
)
その
他
(
た
)
の
宗教
(
しうけう
)
団体
(
だんたい
)
は
隆光彦
(
たかてるひこ
)
さまが
交渉
(
かうせふ
)
の
任
(
にん
)
に
当
(
あた
)
つて
居
(
を
)
られるので、
066
私
(
わたし
)
は
手
(
て
)
をつけないで
置
(
お
)
きました。
067
只
(
ただ
)
将来
(
しやうらい
)
の
参考
(
さんかう
)
に
資
(
し
)
するために、
068
北京
(
ペキン
)
の
宮城
(
きうじやう
)
や
万寿山
(
まんじゆざん
)
ラマ
寺
(
でら
)
等
(
とう
)
を
興味
(
きようみ
)
を
以
(
もつ
)
て
調
(
しら
)
べて
参
(
まゐ
)
りましたが、
069
実
(
じつ
)
に
立派
(
りつぱ
)
なものでありました。
070
又
(
また
)
唯夫別
(
ただをわけ
)
は
車
(
しや
)
教主
(
けうしゆ
)
と
相談
(
さうだん
)
の
上
(
うへ
)
普天教
(
ふてんけう
)
の
役員格
(
やくゐんかく
)
として
姓名
(
せいめい
)
を
金
(
きん
)
仁沢
(
じんたく
)
と
改
(
あらた
)
めて
残留
(
ざんりう
)
させる
事
(
こと
)
と
致
(
いた
)
し、
071
当分
(
たうぶん
)
金
(
きん
)
氏
(
し
)
指導
(
しだう
)
のもとに
朝鮮語
(
てうせんご
)
を
修得
(
しうとく
)
し、
072
交換
(
かうくわん
)
的
(
てき
)
にエスペラントを
教
(
をし
)
ふる
事
(
こと
)
に
取計
(
とりはか
)
つておきました。
073
申
(
まを
)
しおくれましたが、
074
普天教
(
ふてんけう
)
教主
(
けうしゆ
)
の
方
(
はう
)
から
日本
(
にほん
)
の
方
(
はう
)
へ
伺
(
うかが
)
ひますのが
神
(
かみ
)
様
(
さま
)
の
経綸
(
けいりん
)
から
云
(
い
)
つても
本意
(
ほんい
)
ですけれども、
075
当分
(
たうぶん
)
は
前陳
(
ぜんちん
)
の
通
(
とほ
)
りの
事情
(
じじやう
)
でございますから、
076
恐
(
おそれ
)
入
(
い
)
りますが
日出雄
(
ひでを
)
先生
(
せんせい
)
に
何
(
なん
)
とか
御
(
ご
)
都合
(
つがふ
)
をつけて、
077
一度
(
いちど
)
お
越
(
こ
)
しを
願
(
ねが
)
はれますやう、
078
頼
(
たの
)
んでは
下
(
くだ
)
さいませぬか。
079
さうせなくては
表
(
おもて
)
立
(
だ
)
つて
活動
(
くわつどう
)
するを
許
(
ゆる
)
されませぬですからと
云
(
い
)
つて、
080
鶴首
(
かくしゆ
)
して
待
(
ま
)
つてゐます』
081
日出雄
(
ひでを
)
『
自分
(
じぶん
)
も
一度
(
いちど
)
侍天教
(
じてんけう
)
の
教主
(
けうしゆ
)
宋
(
そう
)
秉駿
(
へいしゆん
)
伯
(
はく
)
[
※
正しくは「駿」ではなく「畯」の「宋秉畯」(ソン・ビョンジュン、そう へいしゅん)。ここでは直さず底本通りの表記にした。
]
と
大正
(
たいしやう
)
六
(
ろく
)
年
(
ねん
)
の
夏
(
なつ
)
提携
(
ていけい
)
して
以来
(
いらい
)
、
082
会
(
あ
)
うてゐないから
機会
(
きくわい
)
を
得
(
え
)
たら
一度
(
いちど
)
会
(
あ
)
うて
今後
(
こんご
)
の
宗教
(
しうけう
)
的
(
てき
)
活動
(
くわつどう
)
方法
(
はうはふ
)
につき
懇々
(
こんこん
)
と
相談
(
さうだん
)
して
見
(
み
)
たいと、
083
かねて
思
(
おも
)
つてゐた
矢先
(
やさき
)
、
084
朝鮮
(
てうせん
)
普天教
(
ふてんけう
)
と
提携
(
ていけい
)
の
出来
(
でき
)
たのを
幸
(
さいは
)
ひ、
085
万障
(
ばんしやう
)
を
繰合
(
くりあは
)
して
渡鮮
(
とせん
)
して
見
(
み
)
たいとも
思
(
おも
)
つてゐるが、
086
何分
(
なにぶん
)
御
(
ご
)
承知
(
しようち
)
の
通
(
とほ
)
りの
身
(
み
)
の
上
(
うへ
)
だからその
機
(
き
)
を
得
(
え
)
ず
今
(
いま
)
迄
(
まで
)
グヅグヅしてゐたのだ。
087
乍然
(
しかしながら
)
人間
(
にんげん
)
には
一
(
いち
)
日
(
にち
)
も
暇
(
いとま
)
と
云
(
い
)
ふ
事
(
こと
)
がないものだから、
088
思
(
おも
)
ひきつて
渡鮮
(
とせん
)
しようかとも
考
(
かんが
)
へてゐる。
089
支那
(
しな
)
の
五大教
(
ごだいけう
)
との
提携
(
ていけい
)
も
完成
(
くわんせい
)
した
暁
(
あかつき
)
だから、
090
済南
(
さいなん
)
母院
(
ぼゐん
)
の
参拝
(
さんぱい
)
をかね
悟善社
(
ごぜんしや
)
へも
行
(
い
)
つて
見
(
み
)
たいと
考
(
かんが
)
へてゐる。
091
幸
(
さいは
)
ひ
隆光彦
(
たかてるひこ
)
さんが
帰
(
かへ
)
つて
来
(
き
)
たから
同教
(
どうけう
)
の
内情
(
ないじやう
)
も
聞
(
き
)
いた
上
(
うへ
)
、
092
断行
(
だんかう
)
してもいい』
093
隆光彦
(
たかてるひこ
)
『
節分祭
(
せつぶんさい
)
をあてに
倉皇
(
さうくわう
)
として
支那
(
しな
)
から
帰
(
かへ
)
つて
以来
(
いらい
)
、
094
節分祭
(
せつぶんさい
)
のため
各地
(
かくち
)
信徒
(
しんと
)
の
来訪
(
らいほう
)
で
寸暇
(
いとま
)
を
得
(
え
)
ず
復命
(
ふくめい
)
をおくれてゐました。
095
昨冬
(
さくとう
)
十一
(
じふいち
)
月
(
ぐわつ
)
参綾
(
さんりよう
)
した
五大教
(
ごだいけう
)
の
代表者
(
だいへうしや
)
侯
(
こう
)
延爽
(
えんさう
)
[
*
底本(全集)ではフリガナが「えんけう」になっているが「えんさう」に直した。第7章p47では「えんさう」になっている。
]
氏
(
し
)
と
一緒
(
いつしよ
)
に
支那
(
しな
)
に
渡
(
わた
)
り、
096
先
(
ま
)
づ
北京
(
ペキン
)
道院
(
だうゐん
)
を
訪
(
たづ
)
ねました。
097
道院
(
だうゐん
)
のすぐ
近
(
ちか
)
くのガーデンホテルで
盛大
(
せいだい
)
な
歓迎会
(
くわんげいくわい
)
を
開
(
ひら
)
いて
呉
(
く
)
れ、
098
その
席
(
せき
)
で
侯
(
こう
)
氏
(
し
)
は
大本
(
おほもと
)
と
開祖
(
かいそ
)
様
(
さま
)
の
事
(
こと
)
から、
099
相
(
あひ
)
共
(
とも
)
に
思想
(
しさう
)
善導
(
ぜんだう
)
の
大道
(
だいだう
)
に
相
(
あひ
)
握手
(
あくしゆ
)
するに
至
(
いた
)
つた
経緯
(
いきさつ
)
を
語
(
かた
)
り、
100
私
(
わたくし
)
も
亦
(
また
)
大本
(
おほもと
)
の
歴史
(
れきし
)
から
聖師
(
せいし
)
様
(
さま
)
の
事
(
こと
)
を
語
(
かた
)
り、
101
日支
(
につし
)
親善
(
しんぜん
)
や
共存
(
きようぞん
)
共栄
(
きようえい
)
の
根本義
(
こんぽんぎ
)
は
精神
(
せいしん
)
的
(
てき
)
に
両国民
(
りやうこくみん
)
の
結合
(
けつがふ
)
を
見
(
み
)
なければならぬと
答辞
(
たうじ
)
をかねて
述
(
の
)
べておきました。
102
道院
(
だうゐん
)
は
御存
(
ごぞん
)
じの
通
(
とほ
)
り
仏教
(
ぶつけう
)
、
103
儒教
(
じゆけう
)
、
104
道教
(
だうけう
)
、
105
基督教
(
キリストけう
)
、
106
回回教
(
ふいふいけう
)
の
五大教
(
ごだいけう
)
の
統一
(
とういつ
)
親和
(
しんわ
)
を
図
(
はか
)
るもので、
107
その
宗旨
(
しうし
)
の
教義
(
けうぎ
)
は
我
(
わが
)
大本
(
おほもと
)
と
全然
(
ぜんぜん
)
相
(
あひ
)
似
(
に
)
たものでありますから、
108
要
(
えう
)
するに
同
(
おな
)
じ
主
(
す
)
の
神
(
かみ
)
様
(
さま
)
の
御
(
ご
)
経綸
(
けいりん
)
になつたものと
考
(
かんが
)
へます。
109
前
(
ぜん
)
国務
(
こくむ
)
総理
(
そうり
)
たりし
銭
(
せん
)
能訓
(
のうくん
)
氏
(
し
)
や
陸軍
(
りくぐん
)
元帥
(
げんすゐ
)
、
110
国務
(
こくむ
)
総理
(
そうり
)
代理
(
だいり
)
江
(
こう
)
朝宗
(
てうそう
)
氏
(
し
)
、
111
王
(
わう
)
芝祥
(
ししやう
)
氏
(
し
)
等
(
とう
)
の
高官
(
かうくわん
)
を
始
(
はじ
)
め、
112
各
(
かく
)
方面
(
はうめん
)
人士
(
じんし
)
の
歓迎
(
くわんげい
)
を
受
(
う
)
け、
113
又
(
また
)
悟善
(
ごぜん
)
総社
(
そうしや
)
の
幹部
(
かんぶ
)
や
万教
(
ばんけう
)
大同会
(
だいどうくわい
)
の
袁
(
えん
)
華瀛
(
くわえい
)
氏
(
し
)
とも
会見
(
くわいけん
)
した
処
(
ところ
)
114
何
(
いづ
)
れも
皆
(
みな
)
是非
(
ぜひ
)
一度
(
いちど
)
聖師
(
せいし
)
様
(
さま
)
に
渡支
(
とし
)
を
願
(
ねが
)
はれますまいか、
115
幸
(
さいはい
)
にお
越
(
こし
)
を
願
(
ねが
)
ふ
事
(
こと
)
を
得
(
え
)
れば
道院
(
だうゐん
)
は
勿論
(
もちろん
)
悟善社
(
ごぜんしや
)
の
建物
(
たてもの
)
を
提供
(
ていきよう
)
し
度
(
た
)
いからと
云
(
い
)
つて、
116
やみませぬでした。
117
どうか
綾部
(
あやべ
)
の
御
(
ご
)
都合
(
つがふ
)
さへつきますれば、
118
一度
(
いちど
)
お
越
(
こ
)
しになれば、
119
嘸
(
さぞ
)
、
120
皆
(
みな
)
が
満足
(
まんぞく
)
される
事
(
こと
)
と
存
(
ぞん
)
じます。
121
お
待
(
ま
)
ちしてゐるのは
五大教
(
ごだいけう
)
計
(
ばか
)
りぢやありませぬ。
122
済南
(
さいなん
)
、
123
南京
(
ナンキン
)
、
124
上海
(
シヤンハイ
)
と
私
(
わたし
)
の
通過
(
つうくわ
)
した
処
(
ところ
)
どこも
聖師
(
せいし
)
の
名
(
な
)
を
聞
(
き
)
いて
御
(
ご
)
渡支
(
とし
)
を
渇望
(
かつばう
)
して
居
(
を
)
ります。
125
私
(
わたくし
)
は
主
(
しゆ
)
として
北京
(
ペキン
)
と
済南
(
さいなん
)
本部
(
ほんぶ
)
に
滞在
(
たいざい
)
し、
126
支那
(
しな
)
五大
(
ごだい
)
霊山
(
れいざん
)
の
一
(
ひとつ
)
たる
泰山
(
たいざん
)
に
登
(
のぼ
)
り
127
曲阜
(
きよくふ
)
の
孔子廟
(
こうしべう
)
に
詣
(
まう
)
でて
帰国
(
きこく
)
致
(
いた
)
しました。
128
北京
(
ペキン
)
道院
(
だうゐん
)
の
乩示
(
けいじ
)
によりますれば
来
(
きた
)
る
旧
(
きう
)
二
(
に
)
月
(
ぐわつ
)
朔日
(
ついたち
)
に
神戸
(
かうべ
)
市外
(
しぐわい
)
六甲村
(
ろくかうむら
)
で
開院式
(
かいゐんしき
)
を
開
(
ひら
)
く
事
(
こと
)
になつてゐますから、
129
その
前
(
まへ
)
に
聖師
(
せいし
)
様
(
さま
)
のお
供
(
とも
)
をして
再
(
ふたた
)
び
支那
(
しな
)
へ
行
(
ゆ
)
き
度
(
た
)
いと
思
(
おも
)
つてゐます』
130
日出雄
(
ひでを
)
『それは
非常
(
ひじやう
)
に
好都合
(
かうつがふ
)
だつた。
131
支那
(
しな
)
、
132
朝鮮
(
てうせん
)
を、
133
それでは
一度
(
いちど
)
旅行
(
りよかう
)
してその
道
(
みち
)
の
主
(
おも
)
なる
人々
(
ひとびと
)
と
世界
(
せかい
)
平和
(
へいわ
)
のため、
134
人類愛
(
じんるゐあい
)
のため、
135
深
(
ふか
)
き
御
(
ご
)
神慮
(
しんりよ
)
のある
処
(
ところ
)
を
語
(
かた
)
り
合
(
あ
)
ひ、
136
世界
(
せかい
)
宗教
(
しうけう
)
統一
(
とういつ
)
の
第一歩
(
だいいつぽ
)
を
踏
(
ふ
)
み
出
(
だ
)
すことにしよう、
137
その
時
(
とき
)
は
是非
(
ぜひ
)
真澄別
(
ますみわけ
)
、
138
隆光彦
(
たかてるひこ
)
両氏
(
りやうし
)
も
同道
(
どうだう
)
して
欲
(
ほ
)
しいものだ』
139
真澄別
(
ますみわけ
)
『
普天教
(
ふてんけう
)
の
話
(
はなし
)
もあり、
140
又
(
また
)
私
(
わたし
)
も
一度
(
いちど
)
道院
(
だうゐん
)
の
幹部
(
かんぶ
)
連
(
れん
)
と
熟議
(
じゆくぎ
)
を
凝
(
こ
)
らして
見
(
み
)
たいから
是非
(
ぜひ
)
同行
(
どうかう
)
を
願
(
ねが
)
ひませう』
141
日出雄
(
ひでを
)
『これで
教主輔
(
けうしゆほ
)
に
法学士
(
はふがくし
)
、
142
支那語
(
しなご
)
学者
(
がくしや
)
と
三拍子
(
さんびやうし
)
揃
(
そろ
)
つた、
143
鬼
(
おに
)
に
鉄棒
(
かなぼう
)
だ。
144
あゝ
前途
(
ぜんと
)
の
光明
(
くわうみやう
)
は
確
(
たしか
)
に
輝
(
かがや
)
いてゐる。
145
時
(
とき
)
に
唐国別
(
からくにわけ
)
さん、
146
奉天
(
ほうてん
)
に
水也
(
みづや
)
商会
(
しやうくわい
)
と
云
(
い
)
ふ
軍器店
(
ぐんきてん
)
を
出
(
だ
)
してゐられるさうですが、
147
支那
(
しな
)
の
事情
(
じじやう
)
は
余程
(
よほど
)
詳
(
くは
)
しいでせうな』
148
唐国別
(
からくにわけ
)
『
海軍
(
かいぐん
)
を
退職
(
たいしよく
)
してから
何
(
なん
)
でも
支那
(
しな
)
大陸
(
たいりく
)
で
一儲
(
ひとまうけ
)
をしやうと
思
(
おも
)
ひ、
149
先
(
ま
)
づ
上海
(
シヤンハイ
)
に
商館
(
しやうくわん
)
を
開
(
ひら
)
いて
見
(
み
)
た
処
(
ところ
)
、
150
いろいろの
事情
(
じじやう
)
があつて
百万
(
ひやくまん
)
円
(
ゑん
)
の
金
(
かね
)
を
儲
(
まう
)
け
損
(
そこな
)
ひ、
151
間
(
ま
)
もなく
上海
(
シヤンハイ
)
の
商店
(
しやうてん
)
を
閉鎖
(
へいさ
)
し、
152
張
(
ちやう
)
作霖
(
さくりん
)
の
眤懇者
(
じつこんしや
)
と
称
(
しよう
)
する
者
(
もの
)
よりすすめられ、
153
張
(
ちやう
)
作霖
(
さくりん
)
の
軍隊
(
ぐんたい
)
に
武器
(
ぶき
)
を
供給
(
きようきふ
)
するため
奉天
(
ほうてん
)
平安
(
へいあん
)
通
(
どほ
)
りに
水也
(
みづや
)
商会
(
しやうくわい
)
を
開設
(
かいせつ
)
する
事
(
こと
)
になりました。
154
然
(
しか
)
し
之
(
これ
)
も、
155
どうやら
自分
(
じぶん
)
の
技術
(
ぎじゆつ
)
を
盗
(
ぬす
)
まれる
位
(
くらゐ
)
が
落
(
おち
)
かも
知
(
し
)
れませぬ。
156
ついては
聖師
(
せいし
)
がいよいよ
渡支
(
とし
)
されるとなれば
一
(
ひと
)
つここに
面白
(
おもしろ
)
い
事業
(
じげふ
)
が
横
(
よこ
)
たはつてゐますが、
157
一応
(
いちおう
)
聞
(
き
)
いて
下
(
くだ
)
さいますまいか、
158
今晩
(
こんばん
)
伺
(
うかが
)
つたのはこの
件
(
けん
)
につき
御
(
ご
)
意見
(
いけん
)
を
承
(
うけたまは
)
り
度
(
た
)
いと
思
(
おも
)
つたからです』
159
日出雄
(
ひでを
)
『
臍
(
へそ
)
の
緒
(
を
)
きつて
初
(
はじ
)
めての
海外
(
かいぐわい
)
旅行
(
りよかう
)
であり、
160
奉天
(
ほうてん
)
市街
(
しがい
)
も
日本人
(
にほんじん
)
が
行
(
い
)
つてから
非常
(
ひじやう
)
に
開
(
ひら
)
けたやうに
聞
(
き
)
いても
居
(
ゐ
)
るし、
161
同地
(
どうち
)
の
支部
(
しぶ
)
へも
立寄
(
たちよ
)
つて
見
(
み
)
たいとも
思
(
おも
)
つてゐる。
162
丁度
(
ちやうど
)
よい
都合
(
つがふ
)
だ。
163
そして
貴下
(
あなた
)
の
話
(
はなし
)
と
云
(
い
)
ふのは、
164
どう
云
(
い
)
ふことですか』
165
唐国別
(
からくにわけ
)
『
私
(
わたし
)
は
此
(
この
)
大晦日
(
おほみそか
)
の
夜
(
よ
)
に
聖師
(
せいし
)
に
書
(
か
)
いて
頂
(
いただ
)
いた、
166
日地月
(
につちげつ
)
合
(
あは
)
せて
作
(
つく
)
る
串団子
(
くしだんご
)
星
(
ほし
)
の
胡麻
(
ごま
)
かけ
喰
(
くら
)
ふ
王仁口
(
わにぐち
)
167
と
云
(
い
)
ふ
半折
(
はんせつ
)
の
書
(
しよ
)
を
表装
(
へうさう
)
して
商会
(
しやうくわい
)
の
床
(
とこ
)
の
間
(
ま
)
にかけておいた
所
(
ところ
)
、
168
河南
(
かなん
)
督軍
(
とくぐん
)
趙倜
(
てうてき
)
の
軍事
(
ぐんじ
)
顧問
(
こもん
)
をつとめてゐた
岡崎
(
をかざき
)
鉄首
(
てつしゆ
)
と
云
(
い
)
ふ
日本人
(
にほんじん
)
がやつて
来
(
き
)
て、
169
その
掛物
(
かけもの
)
に
目
(
め
)
をつけ、
170
大変
(
たいへん
)
に
喜
(
よろこ
)
び、
171
こんな
大
(
おほ
)
きな
事
(
こと
)
を
書
(
か
)
く
人
(
ひと
)
はよほど
変
(
かは
)
つてゐる。
172
この
歌
(
うた
)
が
大変
(
たいへん
)
気
(
き
)
に
入
(
い
)
つた。
173
今
(
いま
)
私
(
わたくし
)
は
張
(
ちやう
)
作霖
(
さくりん
)
の
内意
(
ないい
)
で
裕東
(
ゆうとう
)
印刷所
(
いんさつじよ
)
を
開設
(
かいせつ
)
しその
技師長
(
ぎしちやう
)
となつて
勤
(
つと
)
めてゐるが、
174
印刷所
(
いんさつじよ
)
の
開設
(
かいせつ
)
された
動機
(
どうき
)
は
175
実
(
じつ
)
に
注意
(
ちうい
)
深
(
ぶか
)
い
酢
(
す
)
にも
蒟蒻
(
こんにやく
)
にも
行
(
ゆ
)
かない
張
(
ちやう
)
作霖
(
さくりん
)
の
大秘密
(
だいひみつ
)
に
属
(
ぞく
)
するもので、
176
やがて
雪解
(
ゆきど
)
けともなれば
奉直戦
(
ほうちよくせん
)
が
再
(
ふたた
)
び
起
(
おこ
)
る
形勢
(
けいせい
)
だから、
177
その
時
(
とき
)
に
必要
(
ひつえう
)
なる
軍票
(
ぐんぺう
)
を
三千万
(
さんぜんまん
)
円
(
ゑん
)
ばかり
印刷
(
いんさつ
)
するためです。
178
然
(
しか
)
し
吾々
(
われわれ
)
は
奉直戦
(
ほうちよくせん
)
などは
如何
(
どう
)
でもいいです。
179
日本
(
にほん
)
の
国威
(
こくい
)
が
上
(
あが
)
り
満蒙
(
まんもう
)
に
流浪
(
るらう
)
してゐる
不逞
(
ふてい
)
鮮人
(
せんじん
)
を
安気
(
あんき
)
に
生活
(
せいくわつ
)
させてやりさへすればいいのです。
180
犬養
(
いぬかひ
)
先生
(
せんせい
)
や
頭山
(
とうやま
)
先生
(
せんせい
)
、
181
内田
(
うちだ
)
先生
(
せんせい
)
、
182
末永
(
すゑなが
)
節
(
せつ
)
その
他
(
た
)
の
名士
(
めいし
)
連
(
れん
)
と
謀
(
はか
)
り
肇国会
(
てうこくくわい
)
と
云
(
い
)
ふ
高麗国
(
かうらいこく
)
の
建設
(
けんせつ
)
を
図
(
はか
)
り、
183
末永
(
すゑなが
)
は
東京
(
とうきやう
)
方面
(
はうめん
)
での
事務
(
じむ
)
をとり、
184
私
(
わたし
)
は
満州
(
まんしう
)
に
渡
(
わた
)
つて
内密
(
ないみつ
)
にその
準備
(
じゆんび
)
をやつてゐるのです。
185
此
(
この
)
際
(
さい
)
蒙古
(
もうこ
)
の
大広野
(
だいくわうや
)
を
開拓
(
かいたく
)
し
日本
(
につぽん
)
の
大
(
だい
)
植民地
(
しよくみんち
)
を
作
(
つく
)
つたら
国家
(
こくか
)
の
為
(
ため
)
になるだらうと
思
(
おも
)
ひます。
186
こんな
大事業
(
だいじげふ
)
は
吾々
(
われわれ
)
凡夫
(
ぼんぷ
)
が
何程
(
なにほど
)
よつても
到底
(
たうてい
)
着手
(
ちやくしゆ
)
することも
出来
(
でき
)
ない。
187
そして
最
(
もつと
)
も
人心
(
じんしん
)
を
収攪
(
しうらん
)
するものは
宗教
(
しうけう
)
より
外
(
ほか
)
ないと
考
(
かんが
)
へ、
188
内地
(
ないち
)
の
既成
(
きせい
)
宗教家
(
しうけうか
)
の
頭
(
かしら
)
を
説
(
と
)
いたが、
189
何奴
(
どいつ
)
も
此奴
(
こいつ
)
も
口先
(
くちさき
)
ばかりで
実行
(
じつかう
)
する
勇気
(
ゆうき
)
のない
糞坊主
(
くそばうず
)
や
偽
(
にせ
)
キリストばかりだ。
190
大谷
(
おほたに
)
光瑞
(
くわうずゐ
)
でも
内地
(
ないち
)
では
豪僧
(
がうそう
)
のやうに
云
(
い
)
はれてゐるが、
191
南洋
(
なんやう
)
に
行
(
い
)
つては
失敗
(
しつぱい
)
し、
192
印度
(
いんど
)
からは
追払
(
おひはら
)
はれ、
193
本願寺
(
ほんぐわんじ
)
を
追出
(
おひだ
)
され、
194
船
(
ふね
)
を
作
(
つく
)
つて
天津
(
てんしん
)
と
上海
(
シヤンハイ
)
の
間
(
あひだ
)
を
往復
(
わうふく
)
してゐるが、
195
それも
在留
(
ざいりう
)
日本人
(
につぽんじん
)
の
一部
(
いちぶ
)
に
信用
(
しんよう
)
を
保
(
たも
)
つて
居
(
ゐ
)
る
丈
(
だけ
)
で
196
評判
(
ひやうばん
)
程
(
ほど
)
の
事
(
こと
)
もない
憐
(
あは
)
れ
至極
(
しごく
)
の
状態
(
じやうたい
)
です。
197
どうです
唐国別
(
からくにわけ
)
さま、
198
貴下
(
あなた
)
は
大本
(
おほもと
)
信徒
(
しんと
)
の
一人
(
ひとり
)
でもあり
幹部
(
かんぶ
)
の
方
(
かた
)
でもあるやうですから、
199
私
(
わたし
)
の
意図
(
いと
)
を
日出雄
(
ひでを
)
聖師
(
せいし
)
に
会
(
あ
)
つて
相談
(
さうだん
)
しては
呉
(
く
)
れませぬか
等
(
とう
)
と、
200
いろいろの
面白
(
おもしろ
)
い
計画
(
けいくわく
)
を
話
(
はな
)
しました。
201
さて
聖師
(
せいし
)
様
(
さま
)
、
202
兎
(
と
)
も
角
(
かく
)
も
今度
(
こんど
)
渡支
(
とし
)
されたら
水也
(
みづや
)
商会
(
しやうくわい
)
に
立寄
(
たちよ
)
つて
鉄首
(
てつしゆ
)
に
会
(
あ
)
つて
貰
(
もら
)
へますまいか』
203
日出雄
(
ひでを
)
『ヤア
兎
(
と
)
も
角
(
かく
)
も
鉄首
(
てつしゆ
)
は
面白
(
おもしろ
)
い
事
(
こと
)
を
云
(
い
)
ふ
男
(
をとこ
)
だ。
204
自分
(
じぶん
)
も
実
(
じつ
)
は
紅卍字
(
こうまんじ
)
会
(
くわい
)
へ
行
(
ゆ
)
くとはホンのつけたりだ。
205
広袤
(
くわうぼう
)
千里
(
せんり
)
に
連
(
つらな
)
る
蒙古
(
もうこ
)
の
大原野
(
だいげんや
)
に
一大
(
いちだい
)
王国
(
わうこく
)
を
建設
(
けんせつ
)
し
度
(
た
)
いと
思
(
おも
)
つてゐるのだ。
206
乍然
(
しかしながら
)
表面
(
へうめん
)
は
紅卍字
(
こうまんじ
)
会
(
くわい
)
、
207
普天教
(
ふてんけう
)
行
(
ゆき
)
としておかう』
208
唐国別
(
からくにわけ
)
『
鉄首
(
てつしゆ
)
も
今
(
いま
)
のお
言葉
(
ことば
)
を
聞
(
き
)
いたら
喜
(
よろこ
)
ぶでせう。
209
蒙古
(
もうこ
)
の
大原野
(
だいげんや
)
に
新王国
(
しんわうこく
)
を
建設
(
けんせつ
)
するについては、
210
今
(
いま
)
から
十
(
じふ
)
年
(
ねん
)
以前
(
いぜん
)
に
七万
(
しちまん
)
の
精兵
(
せいへい
)
をつれて
内外
(
ないぐわい
)
蒙古
(
もうこ
)
に
進出
(
しんしゆつ
)
し、
211
庫倫
(
クーロン
)
をついて
一時
(
いちじ
)
驍名
(
ぎやうめい
)
を
馳
(
は
)
せた
盧
(
ろ
)
占魁
(
せんくわい
)
と
云
(
い
)
ふ
大英雄
(
だいえいゆう
)
が
一度
(
いちど
)
聖師
(
せいし
)
に
会見
(
くわいけん
)
し、
212
意見
(
いけん
)
が
合
(
あ
)
うたら
天下
(
てんか
)
のために
大活動
(
だいくわつどう
)
をやつて
貰
(
もら
)
ひ
度
(
た
)
いものだと
渇望
(
かつばう
)
してゐます。
213
大神
(
おほかみ
)
の
御
(
ご
)
経綸
(
けいりん
)
の
一端
(
いつたん
)
を
実行
(
じつかう
)
するには
実
(
じつ
)
に
絶好
(
ぜつかう
)
の
機会
(
きくわい
)
と
思
(
おも
)
ひますが、
214
聖師
(
せいし
)
のお
考
(
かんが
)
へは
如何
(
いかが
)
でせうかな』
215
日出雄
(
ひでを
)
『
盧占魁
(
ろせんくわい
)
は
蒙古
(
もうこ
)
の
英雄
(
えいゆう
)
、
216
馬賊
(
ばぞく
)
の
大巨頭
(
だいきよとう
)
と
云
(
い
)
ふ
事
(
こと
)
は
世間
(
せけん
)
周知
(
しうち
)
の
事実
(
じじつ
)
だ。
217
乍然
(
しかしながら
)
大本
(
おほもと
)
の
教主輔
(
けうしゆほ
)
、
218
しかも
無抵抗
(
むていかう
)
主義
(
しゆぎ
)
を
標榜
(
ひやうばう
)
して
万有愛
(
ばんいうあい
)
の
実行
(
じつかう
)
を
天下
(
てんか
)
に
示
(
しめ
)
さむとする
自分
(
じぶん
)
としては、
219
馬賊
(
ばぞく
)
の
大巨頭
(
だいきよとう
)
と
提携
(
ていけい
)
するのは
考
(
かんが
)
へ
物
(
もの
)
だと
思
(
おも
)
ふ。
220
小胆
(
せうたん
)
なる
大本
(
おほもと
)
信者
(
しんじや
)
の
誤解
(
ごかい
)
を
受
(
う
)
け、
221
教壇
(
けうだん
)
[
※
底本(全集)では「教壇」だが、霊界物語入蒙記(校定版、愛善世界社版)では「教団」に修正されている。しかし「教壇」でも意味的におかしくはないので霊界物語ネットでは底本通りとする。
]
の
破壊者
(
はくわいしや
)
と
睨
(
にら
)
まれるかも
知
(
し
)
れない。
222
なるべくはそんな
危険
(
きけん
)
な
方法
(
はうはふ
)
を
採
(
と
)
らずに
精神
(
せいしん
)
方面
(
はうめん
)
のみでやつて
見
(
み
)
やうと
思
(
おも
)
ふ。
223
第一
(
だいいち
)
馬賊
(
ばぞく
)
と
云
(
い
)
ふ
名
(
な
)
が
大変
(
たいへん
)
面白
(
おもしろ
)
くない
感
(
かん
)
じを
与
(
あた
)
へるぢやないか』
224
(
大正一四、八、一五
、
北村隆光
筆録)
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