霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第一三章 洮南(たうなん)旅館(りよくわん)

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 特別篇 山河草木 入蒙記 篇:第2篇 奉天より洮南へ よみ(新仮名遣い):ほうてんよりとうなんへ
章:第13章 洮南旅館 よみ(新仮名遣い):とうなんりょかん 通し章番号:
口述日:1925(大正14)年08月 口述場所: 筆録者: 校正日: 校正場所: 初版発行日:1935(昭和10)年4月30日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]:
日出雄一行は三月八日の午後九時三十分にようやく洮南駅に到着した。そして洮南旅館で真澄別一行と合流した。洮南府は日本官憲の勢力がない場所であった。現在は特殊の関係のある者のみが二十五名逗留しているだけの地である。
ここは鄭家屯の北から鉄道で百四十マイル、東蒙古における唯一の大市街である。支那人が蒙古に発展する拠点となった街である。四方を城壁で囲み、門は官兵や巡警が控えていて護証の検査をなし、また税金を取り立てている。
蒙古の地にあって、その勢力も政治も支那の主権に属し、奉天省が管轄している。そして日本人排斥の思想が濃く、鄭家屯の日本領事館員でさえ、なかなか市内に入ることができない。
こういう場所に潜んで、一同は種々の計画を練っていたのである。その間に、満鉄の三井貫之助氏が訪ねてきたが、岡崎、大倉の両人が接見した。また、佐々木の手紙が届き、帰化城方面の支那人哥老会の揚成業氏が、一万の兵を率いて参加するという知らせがあった。
また、関東庁の陸軍三等主計正の日本人某が視察にやって来ていて、一泊した上で翌朝の汽車で帰って行った。また、有名な評論家・横山健道が日出雄と入れ違いにこのホテルを出て行ったという。横山が揮毫したという立派な書を、ホテルの支配人から見せてもらった。日出雄も請われて、日本人に書画を書き与えた。
またある日、鄭家屯の日本領事館書記生某氏が、視察のために洮南に来て、満鉄の三井氏が調査した書類を書き写し、四五日滞在して帰って行ったりした。日本官吏による調査は、すべてこのように行われていたのである。
この日、城内の猪野氏・平間氏宅に、日本人全員が移転することになった。名田彦があまり自分が選ばれた大本信者であると回りに吹聴し、計画を漏らすようなことを言うので、岡崎の機嫌は非常に悪くなった。日出雄がたしなめると、名田彦は黙り込んでしまった。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考:2024/1/13出口王仁三郎全集第6巻を底本として校正。 タグ: データ凡例: データ最終更新日:2024-01-13 18:36:20 文字数:3127 OBC :rmnm13
愛善世界社版:113頁 八幡書店版:第14輯 589頁 修補版: 校定版:114頁 普及版: 初版: ページ備考:
001 日出雄(ひでを)はやうやくにして三(さん)月(ぐわつ)八日(やうか)(陰暦(いんれき)二(に)月(ぐわつ)三日(みつか))午後(ごご)九(く)時(じ)三十(さんじつ)分(ぷん)、002洮南(たうなん)駅(えき)に無事(ぶじ)安着(あんちやく)し、003乞食(こじき)のやうな支那兵(しなへい)に送(おく)られ、004ガタ馬車(ばしや)二台(にだい)に分乗(ぶんじやう)して洮南(たうなん)旅館(りよくわん)に入(い)る。005真澄別(ますみわけ)、006大倉(おほくら)、007名田彦(なだひこ)の三(さん)人(にん)は鶴首(かくしゆ)して待(ま)つて居(ゐ)た。008さうして洮南(たうなん)府(ふ)は日本(につぽん)官憲(くわんけん)の勢力(せいりよく)なく、009領事館(りやうじくわん)員(ゐん)と雖(いへど)も護照(ごせう)が無(な)ければ入洮(にふたう)を許(ゆる)さないので、010日本人(につぽんじん)が停車場(ていしやぢやう)に迎(むか)へに出(で)るのは最(もつと)も危険(きけん)だから失礼(しつれい)をしましたと、011三(さん)人(にん)は弁解(べんかい)して居(ゐ)た。012王(わう)元祺(げんき)の睾丸炎(かうぐわんえん)は益々(ますます)激痛(げきつう)を感(かん)じ、013病床(びやうしやう)に入(はひ)つたまま起(お)きず、014飯(めし)も食(く)はず弱(よわ)りきつて居(ゐ)る。
015 明(あ)くれば三(さん)月(ぐわつ)九日(ここのか)、016奉天(ほうてん)の同志(どうし)へ安着(あんちやく)の電報(でんぱう)を発(はつ)した。017此(この)洮南(たうなん)旅館(りよくわん)は満鉄(まんてつ)の御用(ごよう)旅館(りよくわん)と云(い)ふ名義(めいぎ)で、018辛(から)うじて支那(しな)官憲(くわんけん)の許可(きよか)を受(う)けて居(ゐ)るのである。019一時(いちじ)は洮南(たうなん)府内(ふない)に百(ひやく)七八十(しちはちじふ)人(にん)の日本人(につぽんじん)が滞留(たいりう)して居(ゐ)たが、020支那(しな)官憲(くわんけん)の圧迫(あつぱく)により、021何(いづ)れも退去(たいきよ)を命(めい)ぜられ、022特殊(とくしゆ)の関係(くわんけい)あるもののみ二十五(にじふご)人(にん)在留(ざいりう)して居(ゐ)るだけである。023そうして、024日本人(につぽんじん)の女(をんな)と云(い)へば僅(わづ)かに五(ご)人(にん)と云(い)ふことで、025一行(いつかう)七(しち)人(にん)は此(この)旅館(りよくわん)に宿泊(しゆくはく)して種々(しゆじゆ)の計画(けいくわく)に着手(ちやくしゆ)して居(ゐ)た。026平馬(へいま)[*本章に「平馬」が3回出るが、底本(全集)ではフリガナは最初だけ「へいま」で後2回は「ひらま」になっている。]氏(し)宅(たく)から猪野(ゐの)、027大川(おほかは)の二人(ふたり)が来訪(らいほう)して蒙古(もうこ)入(い)りの壮挙(さうきよ)を聞(き)き、028我(わ)が国家(こくか)前途(ぜんと)の為(ため)に慶賀(けいが)に堪(た)へないと云(い)うて賛意(さんい)を表(へう)して居(ゐ)る。029次(つぎ)に満鉄(まんてつ)関係者(くわんけいしや)の三井(みつゐ)貫之助(くわんのすけ)氏(し)が来訪(らいほう)した。030併(しか)し乍(なが)ら日出雄(ひでを)や真澄別(ますみわけ)は一室(いつしつ)に閉(と)ぢ籠(こも)り、031岡崎(をかざき)、032大倉(おほくら)の両人(りやうにん)が接見(せつけん)する事(こと)となつた。033大倉(おほくら)は三井(みつゐ)と共(とも)に城内(じやうない)の支那(しな)料理店(れうりてん)へ出(で)かけ、034種々(しゆじゆ)の運動(うんどう)を開始(かいし)した。035夜分(やぶん)になると東西(とうざい)南北(なんぼく)から銃砲(じゆうはう)の音(おと)が頻(しき)りに聞(きこ)えて来(く)る。036之(これ)は洮南(たうなん)府(ふ)の周囲(しうゐ)に散在(さんざい)して居(ゐ)る十数(じふすう)団(だん)の馬賊(ばぞく)二千(にせん)余(よ)名(めい)が、037何時(いつ)洮南(たうなん)府(ふ)を襲(おそ)ふかも知(し)れないので、038夜(よ)になると兵士(へいし)が馬賊(ばぞく)威喝(いかつ)の為(ため)に発砲(はつぱう)するのだと云(い)ふ事(こと)である。039実(じつ)に官憲(くわんけん)の威力(いりよく)も及(およ)ばず、040物騒(ぶつそう)千万(せんばん)の土地(とち)である。
041 此(この)洮南(たうなん)府(ふ)は鄭家屯(ていかとん)を北(きた)に去(さ)る鉄路(てつろ)百四十(ひやくよんじふ)哩(マイル)の地点(ちてん)にあつて、042東蒙古(ひがしもうこ)に於(お)ける唯一(ゆゐいつ)の大市街(だいしがい)である。043支那人(しなじん)が蒙古(もうこ)に発展(はつてん)した根拠地(こんきよち)は即(すなは)ち此(こ)の地(ち)である。044四方(しはう)は土(つち)の城壁(じやうへき)をもつて囲(かこ)み、045東西(とうざい)南北(なんぼく)に六個(ろくこ)の通行門(つうかうもん)があつて、046住民(ぢゆうみん)は此処(ここ)から出入(しゆつにふ)する。047門(もん)の入口(いりぐち)には支那(しな)の官兵(くわんぺい)や巡警(じゆんけい)が控(ひか)へて居(ゐ)て、048一々(いちいち)護照(ごせう)の検査(けんさ)を為(な)し、049携帯品(けいたいひん)や出入(しゆつにふ)の荷物(にもつ)に対(たい)しては、050幾何(いくら)かの税金(ぜいきん)を現場(げんぢやう)で徴収(ちやうしう)する。051洮南(たうなん)の市街(しがい)は南北(なんぽく)五(ご)支里(しり)、052東西(とうざい)五(ご)支里(しり)の正方形(せいほうけい)の面積(めんせき)を有(いう)し、053此(この)城壁(じやうへき)内(ない)には官公署(くわんこうしよ)や各商店(かくしやうてん)が軒(のき)を並(なら)べて居(ゐ)る。054純然(じゆんぜん)たる蒙古(もうこ)の土地(とち)でありながら、055其(その)勢力(せいりよく)も、056政治(せいぢ)関係(くわんけい)も全(まつた)く支那(しな)の主権(しゆけん)に属(ぞく)し、057奉天省(ほうてんしやう)が管轄(くわんかつ)して居(ゐ)る。058二十(にじふ)年(ねん)以前(いぜん)、059初(はじ)めて支那人(しなじん)が此(この)地(ち)に市街(しがい)を築(きづ)いた時(とき)は、060僅(わづ)かに三四十(さんしじつ)戸(こ)に過(す)ぎなかつたが、061其(その)時(とき)から道尹(だういん)衙門(がもん)を設置(せつち)して土地(とち)の発展(はつてん)に努(つと)めて居(ゐ)る。062其(その)後(ご)洮南(たうなん)の道尹(だういん)衙門(がもん)は鄭家屯(ていかとん)に引(ひ)き移(うつ)り、063現在(げんざい)の官公署(くわんこうしよ)、064県公署(けんこうしよ)、065第(だい)二十九(にじふく)師(し)司令部(しれいぶ)や、066監獄(かんごく)や、067警察署(けいさつしよ)、068審判庁(しんぱんちやう)、069捐務局(えんむきよく)、070兵営(へいえい)、071郵政局(いうせいきよく)、072電報局(でんぱうきよく)、073学校(がつかう)等(とう)がある。074国民(こくみん)小学校(せうがくかう)が三(さん)ケ所(しよ)、075国民(こくみん)女学校(ぢよがくかう)が二(に)ケ所(しよ)と県立(けんりつ)高等(かうとう)小学校(せうがくかう)が一(いつ)ケ所(しよ)ある。076当地(たうち)の支那(しな)官憲(くわんけん)は総(すべ)ての日本人(につぽんじん)に対(たい)して極力(きよくりよく)圧迫(あつぱく)を加(くは)へ、077排日(はいにち)思想(しさう)の最(もつと)も盛(さか)んな所(ところ)である。078それ故(ゆゑ)、079鄭家屯(ていかとん)の日本(につぽん)領事館(りやうじくわん)から館員(くわんゐん)が視察(しさつ)に来(き)ても、080護照(ごせう)がなければ通(とほ)さないと云(い)つて、081入城(にふじやう)を拒(こば)むと云(い)ふ有様(ありさま)である。
082 かういふ状況(じやうきやう)に在(あ)る洮南(たうなん)府(ふ)へ日出雄(ひでを)一行(いつかう)は入(い)り込(こ)んだから083中々(なかなか)晏如(あんじよ)たる訳(わけ)には行(ゆ)かないのである。
084 洮南(たうなん)へ日出雄(ひでを)が着(つ)いた三日目(みつかめ)に、085秦宣(しんせん)及(およ)び山田(やまだ)文治郎(ぶんぢらう)の両人(りやうにん)が佐々木(ささき)の手紙(てがみ)を持(も)つてやつて来(き)た。086それは帰化城(きくわじやう)方面(はうめん)の支那人(しなじん)哥老会(からうくわい)の耆宿(きしゆく)揚(やう)成業(せいげふ)が、087一万(いちまん)数千(すうせん)の兵(へい)を率(ひき)ゐて参加(さんか)すると云(い)ふ事(こと)であつた。088此(この)時(とき)関東庁(くわんとんちやう)の陸軍(りくぐん)三等(さんとう)主計正(しゆけいせい)なる日本人(につぽんじん)某(ぼう)が洮南(たうなん)視察(しさつ)にやつて来(き)て一夜(いちや)宿泊(しゆくはく)した上(うへ)、089翌朝(よくてう)八(はち)時(じ)の汽車(きしや)で帰(かへ)つて行(い)つた。
090 夜分(やぶん)になると、091鉦(かね)や太鼓(たいこ)や笛(ふえ)などの楽器(がくき)で賑々(にぎにぎ)しく葬式(さうしき)の行列(ぎやうれつ)が街道(かいだう)を通過(つうくわ)する音(おと)が聞(きこ)えるかと思(おも)へば、092今度(こんど)は又(また)嫁入(よめいり)の行列(ぎやうれつ)が同(おな)じやうな鳴物(なりもの)で通(とほ)つて行(ゆ)く。093さうして爆竹(ばくちく)の音(おと)が四方(しはう)から聞(きこ)えて来(く)る。094室内(しつない)で音(おと)ばかり聞(き)いて居(ゐ)ると葬式(さうしき)も嫁入(よめいり)も同(おな)じやうに聞(きこ)える。095有名(いうめい)な論評家(ろんぴやうか)の黒頭巾(くろづきん)横山(よこやま)健堂(けんだう)が096日出雄(ひでを)と入(い)れ違(ちが)ひに此(こ)のホテルを辞(じ)し帰(かへ)つて行(い)つた。097此処(ここ)で健堂(けんだう)の揮毫(きがう)した立派(りつぱ)な書(しよ)をホテルの支配人(しはいにん)から示(しめ)され、098且(か)つ揮毫(きがう)を依頼(いらい)されたので、099日出雄(ひでを)は之(これ)に応(おう)じ日本人(につぽんじん)に書画(しよぐわ)を描(か)き与(あた)へた。
100 三(さん)月(ぐわつ)十一(じふいち)日(にち)の未明(みめい)から機関銃(きくわんじゆう)や小銃(せうじゆう)の音(おと)が頻(しき)りに聞(きこ)え、101何(なん)となく不穏(ふをん)の空気(くうき)が漂(ただよ)うて居(ゐ)る。102洮南(たうなん)府(ふ)一個(いつこ)旅団(りよだん)約(やく)四千(よんせん)人(にん)の常備兵(じやうびへい)があつて、103東三省(とうさんしやう)の北門(ほくもん)を守(まも)つて居(ゐ)るのだが、104ホテルの支配人(しはいにん)に聞(き)くと、105馬賊(ばぞく)の一隊(いつたい)が襲来(しうらい)したので応戦(おうせん)して居(ゐ)る者(もの)だとの事(こと)であつた。
106 明(あ)くれば三(さん)月(ぐわつ)十二(じふに)日(にち)、107鄭家屯(ていかとん)の日本(につぽん)領事館(りやうじくわん)書記生(しよきせい)某(ぼう)、108洮南(たうなん)視察(しさつ)の為(ため)に入(い)り来(きた)り、109ホテルに宿泊(しゆくはく)し、110満鉄(まんてつ)関係(くわんけい)の三井(みつゐ)氏(し)が調査(てうさ)した書類(しよるゐ)を書(か)き写(うつ)し、111四五(しご)日間(にちかん)滞在(たいざい)して帰(かへ)つて行(ゆ)く。112日本(につぽん)官吏(くわんり)の調査(てうさ)はすべてこんな具合(ぐあひ)に行(おこな)はれて居(ゐ)るのだ。113此(この)日(ひ)城内(じやうない)の春山(はるやま)医院(いゐん)猪野(ゐの)敏夫(としを)氏(し)宅(たく)、114及(およ)び平馬(へいま)慎太郎(しんたらう)氏(し)宅(たく)に日本人(につぽんじん)全部(ぜんぶ)移転(いてん)することとなつた。115岡崎(をかざき)は大変(たいへん)な不気嫌(ふきげん)で傍人(ばうじん)に八(や)つ当(あた)りの態(てい)である。116それは名田彦(なだひこ)が──僕(ぼく)は柔術(じうじゆつ)の達人(たつじん)だとか、117米国(べいこく)の理髪(りはつ)学士(がくし)だとか、118刀(かたな)一本(いつぽん)あれば数十(すうじふ)人(にん)の相手(あひて)を瞬(またた)く間(ま)に斬(き)りなびけて見(み)せるとか──大法螺(おほぼら)を吹(ふ)いて威張(いば)り散(ち)らすのが癪(しやく)に触(さは)つたのである。119支那(しな)では理髪師(りはつし)と云(い)へば下職(げしよく)とみなされて居(ゐ)るのに、120名田彦(なだひこ)が得々(とくとく)として理髪(りはつ)の妙技(めうぎ)を誇(ほこ)つたり、121又(また)ノコノコと城内(じやうない)の理髪店(りはつてん)に出(で)かけて行(い)つて、122剃刀(かみそり)の使(つか)ひ方(かた)がどうだの、123かうだのと理窟(りくつ)を云(い)ひ、124支那(しな)の理髪師(りはつし)に教(をし)へてやり、125いらざるお節介(せつかい)をやつたと云(い)ふのである。
126 おまけに日本人(につぽんじん)が洮南(たうなん)府(ふ)に居(ゐ)ると云(い)ふ事(こと)を秘密(ひみつ)にしておかねばならぬのに127『自分(じぶん)は三五(あなない)信者中(しんじやちう)の全体(ぜんたい)から選(えら)ばれて来(き)た神(かみ)の寵児(ちようじ)だ』とか128『日出雄(ひでを)先生(せんせい)の一番(いちばん)の弟子(でし)だ』とか法螺(ほら)を吹(ふ)くので、129岡崎(をかざき)が憤慨(ふんがい)したのである。130そこへ秦宣(しんせん)と山田(やまだ)とが佐々木(ささき)の手紙(てがみ)をもつて使(つか)ひに来(き)たので、131岡崎(をかざき)の機嫌(きげん)は益々(ますます)悪(わる)い。
132岡崎(をかざき)『佐々木(ささき)、133大倉(おほくら)の奴(やつ)、134乞食(こじき)のやうな人足(にんそく)を使(つか)ひに寄(よ)こしよつた。135あんなものが何(なん)になるか、136大倉(おほくら)の奴(やつ)、137何(なに)も彼(か)も自分(じぶん)一人(ひとり)で出来(でき)るやうに吐(ぬ)かしよつて……何(なん)だ俺(おれ)が居(ゐ)なければ此(この)危険(きけん)な洮南(たうなん)府(ふ)へ来(き)て今日(けふ)のやうな事(こと)があつたらどうするか、138マサカ三井(みつゐ)の小(ち)つぽけな借家(しやくや)へ八(はち)人(にん)も日本人(につぽんじん)が宿(とま)る訳(わけ)には行(ゆ)くまい。139それだから俺(おれ)が、140平馬(へいま)君(くん)を手(て)に入(い)れておいたのだ。141何(なん)と云(い)つても佐々木(ささき)や大倉(おほくら)では駄目(だめ)だ。142趙(てう)倜(てき)や憑(ひよう)占元(せんげん)の方(はう)から日出雄(ひでを)先生(せんせい)を引張(ひつぱ)りに来(き)て居(を)つたのに、143佐々木(ささき)の奴(やつ)盧(ろ)占魁(せんくわい)と一緒(いつしよ)に頼(たの)みやがるものだから先生(せんせい)を御(ご)依頼(いらい)して盧(ろ)占魁(せんくわい)の方(はう)の援助(ゑんじよ)をして貰(もら)つたのだ。144本当(ほんたう)に彼奴(あいつ)は馬鹿(ばか)だからなア。145岡崎(をかざき)の腹中(ふくちう)が分(わか)らぬのだから』
146と大気焔(だいきえん)と大憤慨(だいふんがい)の呼吸(いき)で室内(しつない)を包(つつ)むで仕舞(しま)つた。
147 名田彦(なだひこ)は猪野(ゐの)、148大川(おほかは)の在留(ざいりう)日本人(につぽんじん)に向(むか)つて滔々(たうたう)と自慢話(じまんばなし)を吹(ふ)きかけて居(ゐ)る。
149名田彦『自分(じぶん)は沢山(たくさん)の信者(しんじや)の中(なか)から選抜(せんばつ)せられて居(ゐ)る純(じゆん)信者(しんじや)だが、150今回(こんくわい)の先生(せんせい)のお供(とも)にぬけ駆(が)けしてやつて来(き)たのも、151今年(ことし)は何(なん)でも神勅(しんちよく)に依(よ)つて一億(いちおく)円(ゑん)の財産(ざいさん)を拵(こしら)へるつもりだからだ。152蒙古(もうこ)には金(きん)銀(ぎん)銅(どう)鉄(てつ)の鉱山(くわうざん)が沢山(たくさん)にあると云(い)ふ事(こと)だから、153此(こ)の通(とほ)り検鉱器(けんくわうき)迄(まで)持(も)つて来(き)て居(ゐ)るのだ。154此(この)器械(きかい)さへあれば一目(ひとめ)に金(きん)か、155鉄(てつ)か、156銅(どう)か、157又(また)含有量(がんいうりやう)が幾何(いくら)あるかと云(い)ふ事(こと)が即座(そくざ)に分(わか)る。158此(こ)の検鉱器(けんくわうき)は独逸(どいつ)製(せい)で、159日本(につぽん)の鉱山師(くわうざんし)は誰(たれ)も持(も)つて居(ゐ)ない貴重品(きちようひん)だ。160それに先生(せんせい)の話(はなし)に聞(き)くと大庫倫(だいクウロン)迄(まで)神軍(しんぐん)を進(すす)めると云(い)ふお話(はなし)だが、161大庫倫(だいクウロン)迄(まで)は八千(はちせん)支里(しり)もあると云(い)ふのじやないか。162こんな事(こと)なら来(く)るのぢやなかつたに、163チエツ……もう帰(かへ)つてやらうか』
164 なぞと不機嫌(ふきげん)な顔(かほ)つきをして呟(つぶ)やく。165かと思(おも)へば166又(また)顔色(かほいろ)を変(か)へて、167大本(おほもと)の信者(しんじや)の中(なか)でも此(この)度(たび)のお供(とも)をするやうな精神(せいしん)の研(みが)けた人間(にんげん)は、168一万(いちまん)人(にん)の中(なか)に一人(ひとり)もあるまい。169それを思(おも)へば此(この)度(たび)のお供(とも)は不足(ふそく)ぢやない。170神(かみ)様(さま)の御(ご)命令(めいれい)だと思(おも)へば実(じつ)に私(わたし)は幸福(かうふく)なものだ。171などと一人(ひとり)免許(めんきよ)で喜(よろこ)んで居(ゐ)る。172其処(そこ)へ日出雄(ひでを)が何気(なにげ)なくやつて来(き)て名田彦(なだひこ)の法螺(ほら)を聞(き)き、
173日出雄『大本(おほもと)の信者(しんじや)は千(せん)人(にん)が千(せん)人(にん)乍(なが)ら皆(みな)僕(ぼく)について来(く)る者(もの)ばかりぢや。174さう自惚(うぬぼれ)するものぢやないよ』
175 と云(い)つたので名田彦(なだひこ)は変(へん)な顔(かほ)して黙言(だまり)込(こ)んで仕舞(しま)つた。
176(大正一四、八、筆録)
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