霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第一七章 明暗(めいあん)交々(こもごも)

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 特別篇 山河草木 入蒙記 篇:第3篇 洮南より索倫へ よみ(新仮名遣い):とうなんよりそーろんへ
章:第17章 明暗交々 よみ(新仮名遣い):めいあんこもごも 通し章番号:
口述日:1925(大正14)年08月 口述場所: 筆録者: 校正日: 校正場所: 初版発行日:1935(昭和10)年4月30日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]:
老印君の隣家を解放して、日出雄一行の宿泊所とされた。遠近の蒙古人は、日の出の国の活き神が来たれりと言って集まり来たり、鎮魂を乞うた。
日出雄は公爺府の王より招待を受け、入蒙のいきさつについてたずねられた。王元祺が内外蒙古救援軍の趣旨を説明すると王は非常に喜び、一同を饗応した。日出雄は蒙古まで来て初めて、為政者より丁重な扱いを受けたことに感慨を覚えた。
岡崎は、日蒙両国民が相携えれば、支那人もロシア人もへこんでしまう、大庫倫の赤軍を追い払って新蒙古王国を作るのだ、などと大言壮語している。この話が公爺府の重役の知るところとなった。
岡崎の大言壮語を知り、たちまち老印君は態度を一変した。そして、『護照がなければ滞在かなわぬ、奉天へ一度お帰り願いたい』、と言ってきた。
盧の部下の温長興は、盧占魁から金をもらっておきながら、今さらこのようなことを言う老印君の態度に激怒したが、ともかく一度奉天に連絡をして窮状を伝え、荷物一切を送ってもらうこととした。
老印君は温長興に攻め立てられて、ついに自分の新宅に日出雄一行を移転させることになった。四月四日にようやく移転がかない、温長興に手紙を持たせて、現状を盧占魁に伝えさせることになった。
温長興が出発してから、その日の午後六時ごろ、やって真澄別一行が荷物や食料を満載して到着した。地獄で仏に会ったような心持に、日出雄も岡崎も非常に喜んだ。たくさんの荷物や食料が到着すると、老印君の日本人に対する態度はまたがらりとよくなった。
真澄別にしたがってやってきたのは、名田彦、猪野敏夫の両人であった。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考:2024/1/17出口王仁三郎全集第6巻を底本として校正。 タグ: データ凡例: データ最終更新日:2024-01-17 03:02:29 文字数:4706 OBC :rmnm17
愛善世界社版:150頁 八幡書店版:第14輯 602頁 修補版: 校定版:150頁 普及版: 初版: ページ備考:
001 日出雄(ひでを)が公爺府(コンエフ)の協理(けふり)老(らう)印君(いんくん)の包(はう)に宿泊(しゆくはく)する事(こと)三日(みつか)の後(のち)002隣家(りんか)の丑他那寸止(ウタナスト)と云(い)ふ人(ひと)の家(いへ)を開放(かいはう)して一行(いつかう)の宿泊所(しゆくはくじよ)に宛(あ)てられた。
003 遠近(ゑんきん)の淳朴(じゆんぼく)なる蒙古人(もうこじん)は『ナラヌオロスン、004イホエミトポロハナ、005イルヂエー イルヂエー イルヂエー』と云(い)つて慕(した)つて来(く)る者(もの)日々(ひび)に其(その)数(すう)を増加(ぞうか)するのみである。
006 右(みぎ)の蒙古語(もうこご)を訳(やく)すれば、007日出国(ひいづるくに)の大活神(だいくわつしん)来(きた)れり008との意味(いみ)である。
009 各人(かくじん)嬉(よろこ)んで鎮魂(ちんこん)を乞(こ)ひ、010此(この)国(くに)にて最(もつと)も多(おほ)い眼病(がんびやう)、011皮膚病(ひふびやう)を初(はじ)め胃病(ゐびやう)、012梅毒(ばいどく)、013歯痛(しつう)、014脳病(のうびやう)の治療(ちれう)を受(う)け、015全快(ぜんくわい)して神徳(しんとく)を感謝(かんしや)し大活神(だいくわつしん)と崇敬(すうけい)して居(ゐ)る。016眼病(がんびやう)や017皮膚病(ひふびやう)、018梅毒(ばいどく)等(とう)は共(とも)に不潔(ふけつ)から来(き)たのが多(おほ)く、019又(また)花柳病(くわりうびやう)の伝染(でんせん)するものと云(い)ふ事(こと)は少(すこ)しも悟(さと)らない。020単(たん)に乗馬(じやうば)の結果(けつくわ)と心得(こころえ)、021病毒(びやうどく)の伝染(でんせん)に任(まか)せて居(ゐ)るのである。022殊(こと)に喇嘛僧(ラマそう)の梅毒(ばいどく)に罹(かか)つて居(ゐ)るものは殊(こと)の外(ほか)多(おほ)い。023蒙古(もうこ)の婦人(ふじん)は沢山(たくさん)に宝石(ほうせき)や大(おほ)きな真珠(しんじゆ)を頭(あたま)に飾(かざ)つて居(ゐ)るが、024何(いづ)れも遼河(りやうが)や黒竜江(こくりうこう)中(ちう)に蕃殖(はんしよく)した直径(ちよくけい)一(いつ)尺(しやく)余(あま)りもある烏貝(からすがひ)の中(なか)から採取(さいしゆ)したものである。025蒙古人(もうこじん)は貝類(かひるゐ)を食料(しよくれう)とせないので、026幾(いく)百千(ひやくせん)年(ねん)を経(へ)た烏貝(からすがひ)が棲息(せいそく)して居(ゐ)るのである。027蒙古人(もうこじん)の食料(しよくれう)は支那(しな)内地(ないち)に接近(せつきん)した東(ひがし)蒙古(もうこ)方面(はうめん)では、028高粱(かうりやう)に大豆(だいづ)、029粟(あは)、030豚(ぶた)など支那人(しなじん)に似(に)た食物(しよくもつ)を摂(と)つて居(ゐ)るが、031奥地(おくち)の純(じゆん)蒙古(もうこ)地帯(ちたい)公爺府(コンエフ)あたりでは牛乳(ぎうにゆう)と炒米(チヨウミイ)を常食(じやうしよく)にして居(ゐ)る。032之(これ)に肉(にく)を加(くは)へ雑炊(ざふすゐ)にして食(くら)ふ事(こと)もあるが、033肉(にく)を混(ま)ぜるは最(もつと)も上等(じやうとう)の部(ぶ)である。034普通(ふつう)一般(いつぱん)の家(いへ)では肉(にく)なぞの贅沢品(ぜいたくひん)は滅多(めつた)に食(く)はないのである。035米利堅粉(メリケンコ)でウドンを拵(こしら)へ羊(ひつじ)の肉(にく)を混(ま)ぜて食(くら)ふのが第一番(だいいちばん)の馳走(ちさう)である。036牧畜(ぼくちく)が祖先(そせん)以来(いらい)唯一(ゆゐいつ)の事業(じげふ)で、037随(したが)つて牛(うし)や羊(ひつじ)の乳汁(ちち)が豊富(ほうふ)であり、038日々(ひび)の食料(しよくれう)に供(きよう)して居(ゐ)る家(いへ)も多(おほ)い。039彼(かれ)等(ら)は日本人(につぽんじん)の如(ごと)く牛乳(ぎうにゆう)を沸(わ)かしては呑(の)まず、040冷(つめ)たい儘(まま)で呑(の)み、041又(また)色々(いろいろ)の料理(れうり)に作(つく)り分(わ)けてゐる。042先(ま)づ牛乳壺(ぎうにゆうつぼ)の上部(じやうぶ)に浮(う)いた脂肪分(しぼうぶん)からバターを採(と)り、043下部(かぶ)に沈澱(ちんでん)したものは之(これ)を布(ぬの)の袋(ふくろ)に入(い)れて汁(しる)を壺(つぼ)に落(おと)し、044袋(ふくろ)の中(なか)に溜(たま)つた糟(かす)を固(かた)めて牛乳餅(ぎうにゆうもち)を作(つく)る。045之(これ)を奶豆腐(ないとうふ)と称(とな)へて居(ゐ)る。046保存(ほぞん)に便(べん)なる所(ところ)から或(ある)地方(ちはう)では主食物(しゆしよくぶつ)となり、047菓子(くわし)の代用品(だいようひん)ともなり、048時(とき)としては貨幣(くわへい)の代(かは)りとし物々(ぶつぶつ)交換(かうくわん)の単位(たんゐ)ともなり、049実(じつ)に重宝(ちようほう)なものである。050又(また)バターと奶豆腐(ないとうふ)とを採(と)つた残(のこ)りから酸乳(さんにゆう)が取(と)れ、051炒米(チヨウミイ)に注(そそ)いで食(くら)ふべき唯一(ゆゐいつ)の調味料(てうみれう)となるのである。052右(みぎ)の外(ほか)牛乳(ぎうにゆう)を蒸発(じようはつ)せしめて牛乳酒(ぎうにゆうしゆ)を造(つく)る。053牛乳(ぎうにゆう)と炒米(チヨウミイ)ばかりを年中(ねんぢう)食(く)つて居(ゐ)ながらも蒙古人(もうこじん)は体格(たいかく)が頗(すこぶ)る立派(りつぱ)である。054又(また)蒙古人(もうこじん)は支那人(しなじん)の如(ごと)く一切(いつさい)野菜(やさい)を食(く)はない、055家畜(かちく)が多(おほ)いため野菜(やさい)が育(そだ)たないのが一(ひと)つの原因(げんいん)かとも思(おも)はれる。056而(し)かも壊血病(くわいけつびやう)に罹(かか)らぬのは草(くさ)を常食(じやうしよく)とする牛(うし)の乳(ちち)を主食(しゆしよく)としてゐる結果(けつくわ)である。057斯(かく)の如(ごと)く牛(うし)は蒙古人(もうこじん)に取(と)つての生命(せいめい)の母(はは)であり058馬(うま)は総(すべ)ての交通(かうつう)機関(きくわん)である。059南船(なんせん)北馬(ほくば)といふ言(げん)は北大陸(きたたいりく)の蒙古(もうこ)へ来(き)て初(はじ)めて知(し)らるる言葉(ことば)である。
060 一日(いちにち)蒙古人(もうこじん)の丑他那寸止(ウタナスト)や王得勝(ワントシン)など云(い)ふ公爺府(コンエフ)の兵士(へいし)や、061副官(ふくくわん)の温(をん)長興(ちやうこう)と倶(とも)に公爺府(コンエフ)の裏山(うらやま)へ兎狩(うさぎがり)に出掛(でか)けた。062兎狩(うさぎがり)の道具(だうぐ)は一(いつ)尺(しやく)五寸(ごすん)許(ばか)りの先(さき)の曲(まが)つた棒(ぼう)で、063その尖端(せんたん)に三寸(さんずん)許(ばか)りの紐(ひも)を結(むす)び着(つ)け紐(ひも)の尖(さき)に一塊(いつくわい)の鉄(てつ)の重(おも)りが付(つ)いて居(ゐ)る。064兎(うさぎ)の飛(と)び出(だ)すのを待(ま)つて此(こ)の棒(ぼう)を巧妙(かうめう)に投(な)げ付(つ)ける。065さうすると棒(ぼう)の尖(さき)にブラ下(さが)つて居(ゐ)る鉄片(てつぺん)が、066グルグル舞(ま)ひ乍(なが)ら兎(うさぎ)に当(あた)ると紐(ひも)が捲(ま)き付(つ)く仕組(しくみ)である。067蒙古人(もうこじん)は煙管(きせる)や火打石(ひうちいし)と共(とも)に七(なな)ツ道具(だうぐ)の一(ひとつ)として常(つね)に此(この)棒(ぼう)を携帯(けいたい)して居(ゐ)るのである。068併(しか)し蒙古犬(もうこいぬ)の四五(しご)匹(ひき)を以(もつ)て兎(うさぎ)を囲(かこ)む時(とき)は容易(ようい)に捕(とら)へる事(こと)が出来(でき)るのである。
069 日出雄(ひでを)は温(をん)長興(ちやうこう)、070岡崎(をかざき)鉄首(てつしゆ)と倶(とも)に国見山(くにみやま)に登(のぼ)らむとした時(とき)、071シーゴーと称(しよう)する蒙古(もうこ)特有(とくいう)の猛犬(まうけん)に包囲(はうゐ)され、072噛(か)み付(つ)かれようとしたので073副官(ふくくわん)の温(をん)長興(ちやうこう)、074岡崎(をかざき)鉄首(てつしゆ)の二人(ふたり)が、075洋杖(ステツキ)を振(ふ)り上(あ)げたり石(いし)を拾(ひろ)つて打(う)ち付(つ)けたりなど防戦(ばうせん)に努(つと)めた。076ワンワンと吠(ほ)ゆる猛犬(まうけん)の声(こゑ)を聞(き)き付(つ)けて瞬(またた)く間(ま)に遠近(ゐんきん)より数十頭(すうじつとう)の猛犬(まうけん)集(あつま)り来(きた)り、077三(さん)人(にん)を十重(とへ)二十重(はたへ)に取巻(とりま)き牙(きば)をむき出(だ)して飛(と)びかかつて来(く)るその恐(おそ)ろしき勢(いきほひ)を物(もの)ともせず、078二人(ふたり)は一生(いつしやう)懸命(けんめい)に闘(たたか)つて居(ゐ)る。079日出雄(ひでを)も一生(いつしやう)懸命(けんめい)になつて祝詞(のりと)を大声(おほごゑ)で唱(とな)へると、080大(おほ)きな日本人(につぽんじん)の声音(せいおん)に辟易(へきえき)してか、081さしもの猛犬(まうけん)も尾(を)を下(さ)げて四方(しはう)に散乱(さんらん)して了(しま)つた。082是(これ)より当地(たうち)の犬(いぬ)は三(さん)人(にん)を見(み)ると尾(を)を下(さ)げて小(ちひ)さくなつて逃(に)げる様(やう)になつて了(しま)つた。
083 守高(もりたか)は公府(こうふ)の役人(やくにん)の家(いへ)へ病気(びやうき)鎮魂(ちんこん)の為(ため)、084稍(やや)遠方(ゑんぱう)の家(いへ)へ出掛(でか)けた、085其処(そこ)へ鎮国公(ちんこくこう)より重役(ぢうやく)が来(き)て、086失礼(しつれい)ながら日出国(ひいづるくに)の大活仏(だいくわつぶつ)様(さま)に来館(らいくわん)を願(ねが)ひ度(た)いと申込(まをしこ)んで来(き)た。087日出雄(ひでを)は通訳(つうやく)と共(とも)に早速(さつそく)公爺府(コンエフ)内(ない)に出(で)て行(い)つた。088鎮国公(ちんこくこう)は大(おほい)に喜(よろこ)んで通訳(つうやく)を介(かい)して種々(しゆじゆ)の談話(だんわ)を試(こころ)み、089且(か)つ今回(こんくわい)の入蒙(にふもう)に就(つい)ての経緯(いきさつ)を尋(たづ)ねるのであつた。090王(わう)元祺(げんき)は内外(ないぐわい)蒙古(もうこ)救援(きうゑん)の義軍(ぎぐん)を起(おこ)す事(こと)を諄々(じゆんじゆん)として説(と)いた。091王(わう)は非常(ひじやう)に喜(よろこ)び其(その)好意(かうい)を深(ふか)く感謝(かんしや)した。092そして力(ちから)一杯(いつぱい)の馳走(ちそう)をして日出雄(ひでを)を待遇(たいぐう)したのである。093東西(とうざい)二百(にひやく)里(り)、094南北(なんぽく)八百(はつぴやく)里(り)の地積(ちせき)を主管(しゆくわん)する公府(こうふ)の王(わう)様(さま)が態々(わざわざ)日出雄(ひでを)の住居(すまゐ)を訪(と)ひ、095今(いま)又(また)再(ふたた)び慇懃(いんぎん)に日本国(につぽんこく)の大(だい)宗教家(しうけうか)として且(かつ)貴人(きじん)として迎(むか)へられた事(こと)は、096日出雄(ひでを)に取(と)つて異様(いやう)の感(かん)に打(う)たれた。097内地(ないち)であつたならば地方(ちはう)の官吏(くわんり)さへ、098なかなか威張(いば)り散(ち)らして日出雄(ひでを)を馬鹿(ばか)にして居(ゐ)る傾向(けいかう)があるのに比(くら)べて、099感慨(かんがい)無量(むりやう)であつた。100蒙古(もうこ)は未開国(みかいこく)とは言(い)ひ乍(なが)ら、101上下(じやうげ)の民(たみ)が能(よ)く親和(しんわ)し、102恰(あだか)も神代(かみよ)の俤(おもかげ)を偲(しの)ばせる、103その容貌(ようばう)も日本人(につぽんじん)に酷似(こくじ)し日本人(につぽんじん)を唯一(ゆゐいつ)の力(ちから)と頼(たの)む風(ふう)がある。104日本人(につぽんじん)は蒙古人(もうこじん)と其(その)祖先(そせん)を一(いつ)にし、105源(みなもと)義経(よしつね)の子孫(しそん)が皆(みな)蒙古(もうこ)一百六(いつぴやくろく)人(にん)の王(わう)に成(な)つて居(ゐ)るのだと彼(かれ)等(ら)は信(しん)じ切(き)つてゐるのである。
106○
107 岡崎(をかざき)は蒙古人(もうこじん)に対(たい)し、108支那語(しなご)を以(もつ)て、109愈(いよいよ)蒙古(もうこ)を亡国(ばうこく)的(てき)運命(うんめい)より救(すく)ひ出(だ)し、110大庫倫(アルホラ)に駐屯(ちうとん)せる赤軍(せきぐん)を兎(うさぎ)を逐(お)ふやうに追(お)ひまくり、111大庫倫(アルホラ)に於(おい)て新蒙古(しんもうこ)王国(わうこく)を建設(けんせつ)し、112支那(しな)、113満州(まんしう)、114西比利亜(シベリア)を席捲(せきけん)して、115日本(につぽん)及(および)蒙古(もうこ)男子(だんし)の真価(しんか)を天下(てんか)に発表(はつぺう)する積(つも)りだ。116なアに、117大鼻子(タアビイヅ)だつて、118支那人(しなじん)だつて、119日蒙(にちもう)両国民(りやうこくみん)が一致(いつち)すれば直(す)ぐに凹(くぼ)んで了(しま)ひますよ、120アハヽヽヽ……。121などと万丈(ばんぢやう)の気焔(きえん)を吐(は)いて独(ひと)り悦(えつ)に入(い)つてゐる。122此(この)話(はなし)を公爺府(コンエフ)の重役(ぢうやく)が心配(しんぱい)相(さう)な面(かほ)して側(そば)に聞(き)いてゐたが、123すぐに老(らう)印君(いんくん)を招(まね)いて、124鎮国公(ちんこくこう)の館(やかた)にあわただしく駆(か)けつけて行(い)つた。125二三(にさん)時間(じかん)許(ばか)りして、126老(らう)印君(いんくん)は六ケ(むつか)しい面(かほ)をして帰(かへ)つて来(き)た。127そして岡崎(をかざき)に向(むか)ひ、
128老印君『日本(につぽん)の方々(かたがた)は東三省(とうさんしやう)の護照(ごせう)を有(も)つてゐますか、129護照(ごせう)の無(な)い方(かた)は一日(いちにち)も此処(ここ)に居(を)つて貰(もら)ふことは出来(でき)ませぬ。130殊(こと)に蒙古(もうこ)の独立(どくりつ)などを企(くはだ)てる人(ひと)を世話(せわ)することは出来(でき)ぬ、131王(わう)様(さま)初(はじ)め此(この)白髪首(しらがくび)迄(まで)飛(と)んで了(しま)ひますから……。132蒙古(もうこ)へお出(い)でになるのなら一度(いちど)奉天(ほうてん)迄(まで)帰(かへ)つて護照(ごせう)を貰(もら)つて来(き)て下(くだ)さい』
133と態度(たいど)をガラリと変(か)へて了(しま)つた。134温(をん)長興(ちやうこう)は之(これ)を聞(き)くや大(おほい)に怒(いか)り、
135温長興『怪(け)しからぬ事(こと)をいふ爺(ぢぢい)だ。136盧(ろ)司令(しれい)から吾々(われわれ)一行(いつかう)を世話(せわ)する為(ため)に沢山(たくさん)の金(かね)を頂(いただ)いて来(き)乍(なが)ら、137今(いま)となつて斯様(かやう)なことを老爺(おやぢ)の口(くち)から聞(き)くとは不都合(ふつがふ)千万(せんばん)だ。138その上(うへ)吾々(われわれ)をこんな陋屋(ろうをく)につツ込(こ)み139南京虫(なんきんむし)責(ぜ)めにあはしよるとは何(なん)の事(こと)だ。140兎(と)も角(かく)一応(いちおう)奉天(ほうてん)まで帰(かへ)つて、141司令(しれい)と談判(だんぱん)して来(く)る』
142と息巻(いきま)いてゐる。143老(らう)印君(いんくん)の態度(たいど)が一変(いつぺん)したのは岡崎(をかざき)の大言(だいげん)壮語(さうご)が祟(たた)つたのである。144鎮国公(ちんこくこう)はじめ重役(ぢうやく)連(れん)は支那(しな)政府(せいふ)や張(ちやう)作霖(さくりん)を怖(おそ)れたからであつた。145岡崎(をかざき)はまたソロソロ不平(ふへい)を洩(も)らし出(だ)した。
146岡崎鉄首『一体(いつたい)盧(ろ)占魁(せんくわい)といふ餓鬼(がき)や、147俺(おれ)をこんな奥(おく)の方(はう)へ突込(つつこ)みよつて、148佐々木(ささき)や大倉(おほくら)と腹(はら)を合(あは)せ、149先生(せんせい)はじめ吾々(われわれ)日本人(につぽんじん)をペテンに掛(か)けよつたのだらう、150ようしツ、151俺(おれ)にも考(かんがへ)がある。152之(これ)から奉天(ほうてん)へ帰(かへ)つて何(なに)も彼(か)も盧(ろ)の秘密(ひみつ)をすつぱ抜(ぬ)いてきます。153又(また)佐々木(ささき)、154大倉(おほくら)の奴(やつ)め、155洮南(たうなん)以西(いせい)は馬賊(ばぞく)が徘徊(はいくわい)するから、156一切(いつさい)の荷物(にもつ)や金銭(きんせん)などは一銭(いつせん)も携帯(けいたい)してはならぬ、157曼陀汗(マンダハン)や老(らう)印君(いんくん)に金子(かね)が渡(わた)してあるから、158一切(いつさい)万事(ばんじ)不自由(ふじいう)のない様(やう)にしてくれると吐(ぬ)かしよつたが、159此(この)ザマは何(なん)だ。160毛布(もうふ)一(いち)枚(まい)あるでなし、161南京虫(なんきんむし)の巣窟(さうくつ)にアンペラ一(いち)枚(まい)布(し)いて寝(ね)られるか、162そして金子(かね)を一文(いちもん)も持(も)つて行(ゆ)くな、163など吐(ぬか)しよつたが、164先生(せんせい)がそれでもチツト許(ばか)り懐(ふところ)にソツと入(い)れて持(も)つて来(き)て下(くだ)さつたお蔭(かげ)で、165鶏卵(けいらん)も買(か)ひ又(また)旅費(りよひ)も出来(でき)たのだ。166彼奴(きやつ)等(ら)の云(い)ふ通(とほ)りにして居(を)つたなら、167自分(じぶん)等(ら)は蒙古(もうこ)の奥(おく)で餓死(がし)するより仕様(しやう)がないのだ』
168とブウブウ云(い)うて怒(おこ)り出(だ)す。169併(しか)し岡崎(をかざき)の怒(おこ)るのも無理(むり)はない。170温突(をんどる)は焚(た)いてあつても毛布(もうふ)一(いち)枚(まい)ないので、171外套(ぐわいたう)をかぶつて、172夜(よ)は寝(ね)るといふみじめな有様(ありさま)であつた。173日出雄(ひでを)が洮南府(たうなんふ)で二万(にまん)円(ゑん)の旅費(りよひ)を懐中(くわいちう)し、174日本人(につぽんじん)一行(いつかう)の費用(ひよう)に充(あ)てんとしたのを佐々木(ささき)、175大倉(おほくら)、176唐国別(からくにわけ)から色々(いろいろ)と説(と)きつけられ、177遂(つひ)に彼(かれ)等(ら)に渡(わた)して終(しま)つたのであつた。178兎(と)も角(かく)温(をん)長興(ちやうこう)を馬(うま)で走(はし)らせ、179洮南府(たうなんふ)の真澄別(ますみわけ)一行(いつかう)に面会(めんくわい)させ、180公爺府(コンエフ)に於(お)ける一行(いつかう)の現状(げんじやう)を報告(はうこく)せしめ、181一日(いちにち)も早(はや)く荷物(にもつ)一切(いつさい)を送(おく)つて来(き)て貰(もら)はねば、182何(ど)うする事(こと)も出来(でき)ないといふ手紙(てがみ)を持(も)たせて出発(しゆつぱつ)せしむる事(こと)に定(き)めた。
183 王(わう)元祺(げんき)は朝(あさ)から晩(ばん)まで蒙古人(もうこじん)の家(いへ)に行(い)つて麻雀(マージヤン)と云(い)ふ賭博(とばく)に耽(ふけ)り、184少(すこ)しも通訳(つうやく)の用(よう)をしない、185一言(ひとこと)いつても直(す)ぐに腹(はら)を立(た)て、
186王元祺『私(わたし)はお間(ま)に合(あ)ひませぬから帰(かへ)らして貰(もら)ひます』
187など、188足許(あしもと)を見込(みこ)んで駄々(だだ)をこねるので、189日出雄(ひでを)も大(おほい)に困(こま)り、190筆談(ひつだん)を以(もつ)て白凌閣(パイリンク)を介(かい)し、191蒙古人(もうこじん)との一切(いつさい)の交渉(かうせふ)に当(あた)らしめてゐた。192守高(もりたか)は得意(とくい)の柔術(じうじゆつ)を蒙古人(もうこじん)に寒(さむ)い風(かぜ)の吹(ふ)く戸外(こぐわい)で教(をし)へてゐた。193一見(いつけん)しても一癖(ひとくせ)あり相(さう)な武術面(ぶじゆつづら)をしてゐるので、194蒙古人(もうこじん)は薄気味(うすきみ)悪(わる)く感(かん)じてゐたけれ共(ども)、195物珍(ものめづ)らしさに一二(いちに)回(くわい)の柔術(じうじゆつ)の稽古(けいこ)をやつて見(み)た。196守高(もりたか)は……こんな野蛮国(やばんごく)の人間(にんげん)には自分(じぶん)の力(ちから)を見(み)せておかねば軽蔑(けいべつ)されると云(い)ふ考(かんが)へから、197蒙古人(もうこじん)の手首(てくび)の急所(きふしよ)を力(ちから)一杯(いつぱい)掴(つか)み締(し)めたので、198蒙古人(もうこじん)は青(あを)くなつてヘタバつた。199それを蒙古人(もうこじん)は柔術(じうじゆつ)の手(て)といふ事(こと)は知(し)らず、200且(か)つ言葉(ことば)の通(つう)じない所(ところ)より非常(ひじやう)に守高(もりたか)を悪党(あくたう)と誤解(ごかい)し、201村中(むらぢう)の蒙古(もうこ)男子(だんし)が王得勝(ワントウシン)の家(いへ)に集(あつ)まつて、202暗夜(あんや)に乗(じやう)じ守高(もりたか)を鉄砲(てつぱう)で討(う)ち殺(ころ)さうといふ相談(さうだん)を定(き)めた。203白凌閣(パイリンク)は蒙古人(もうこじん)の事(こと)でもあり、204其(その)相談(さうだん)の結果(けつくわ)を心配(しんぱい)して日出雄(ひでを)に密告(みつこく)した。205そこで日出雄(ひでを)は王得勝(ワントウシン)に腕時計(うでどけい)や若干(じやくかん)の金子(かね)を与(あた)へ、206白凌閣(パイリンク)を介(かい)して柔道(じうだう)の大略(たいりやく)や守高(もりたか)の好人物(かうじんぶつ)たる事(こと)を云(い)ひ聞(き)かせたので、207蒙古人(もうこじん)も漸(やうや)く了解(れうかい)して、208守高(もりたか)に対(たい)する悪感(あくかん)は稍(やや)薄(うす)らぎ、209幸(さいはひ)に無事(ぶじ)なるを得(え)たのである。210此(この)時(とき)の日出雄(ひでを)の心配(しんぱい)は一通(ひととほ)りではなかつたのである。
211 老(らう)印君(いんくん)は温(をん)長興(ちやうこう)のきびしき追撃(つひげき)に堪(た)へかねて、212俄(にはか)に自分(じぶん)所有(しよいう)の新宅(しんたく)に日出雄(ひでを)一行(いつかう)を移転(いてん)させる事(こと)とした。213老(らう)印君(いんくん)の宅(たく)から西南(せいなん)に当(あた)り殆(ほとん)ど五(ご)丁(ちやう)許(ばか)りの距離(きより)がある。214まだ壁(かべ)も十分(じふぶん)乾(かは)いてゐないので、215盛(さか)んに楊(やなぎ)の枯枝(かれえだ)を燃(も)やして室内(しつない)の乾燥(かんさう)を図(はか)つた。216そして牛車(ぎうしや)一台(いちだい)の薪(まき)は五十銭(ごじつせん)であつたが、217壁(かべ)を乾(かは)かすのに二台(にだい)許(ばか)りの薪(たきぎ)をくすべて了(しま)つた。218漸(やうや)くにして四(し)月(ぐわつ)四日(よつか)(旧(きう)三(さん)月(ぐわつ)二日(ふつか))新宅(しんたく)に移転(いてん)し、219ヤツト一安心(ひとあんしん)した、220そして温(をん)長興(ちやうこう)に手紙(てがみ)を持(も)たせて、221盧(ろ)占魁(せんくわい)や日本人(につぽんじん)側(がは)へ公爺府(コンエフ)に於(お)ける困難(こんなん)の事情(じじやう)を報告(はうこく)せしめ、222且(かつ)真澄別(ますみわけ)一行(いつかう)の一日(いちにち)も早(はや)く着府(ちやくふ)するのを待(ま)つてゐる事(こと)を伝(つた)へしめた。223温(をん)長興(ちやうこう)は駒(こま)に鞭(むちう)ち勢(いきほ)ひよく洮南(たうなん)を指(さ)して駆(か)け出(だ)した。224ところが其(その)日(ひ)の午後(ごご)六(ろく)時(じ)頃(ごろ)望遠鏡(ばうゑんきやう)を以(もつ)て洮南(たうなん)方面(はうめん)の原野(げんや)を眺(なが)めてゐると、225四台(よんだい)の轎車(けうしや)がまつしぐらに馳(か)けて来(く)るのが目(め)についた、226よくよく見(み)れば真澄別(ますみわけ)の一行(いつかう)が沢山(たくさん)な荷物(にもつ)や食料(しよくれう)を満載(まんさい)して来(く)るのであつた。227此(この)時(とき)の日出雄(ひでを)、228岡崎(をかざき)の喜(よろこ)びは一通(ひととほ)りではなかつた。
229 一同(いちどう)は地獄(ぢごく)で仏(ほとけ)に会(あ)うたやうな心持(こころもち)になつて打喜(うちよろこ)び、230互(たがひ)に嬉(うれ)し涙(なみだ)に眼(め)を曇(くも)らした。231沢山(たくさん)の荷物(にもつ)や食料(しよくれう)が来(き)たので老(らう)印君(いんくん)は驚(おどろ)いたと見(み)え俄(には)かに日本人(につぽんじん)に対(たい)する態度(たいど)がガラリと変(かは)つて来(き)た。232考(かんが)へて見(み)れば老(らう)印君(いんくん)の日本人(につぽんじん)一行(いつかう)を疑(うたが)つたのも無理(むり)はない。233何(いづ)れも北国雷(ほつこくかみなり)[※「北国雷」(北国の雷)とは、着の身着のままの意。]で何一(なにひと)つ目(め)ぼしい携帯品(けいたいひん)もなく、234どこの落人(おちうど)が出(で)て来(き)たか分(わか)らぬ様(やう)な体裁(ていさい)だつたからである。235老(らう)印君(いんくん)が狡猾(かうくわつ)で知(し)らぬ顔(かほ)をしたのか、236但(ただ)しは日本側(につぽんがは)の三人組(さんにんぐみ)が日出雄(ひでを)一行(いつかう)をだまして奥(おく)へやつたのか合点(がつてん)が行(い)かぬと、237一行(いつかう)は怪(あや)しみに堪(た)へなかつた。238そして老(らう)印君(いんくん)に対(たい)する悪(わる)い感情(かんじやう)も次第(しだい)に剥(は)げて来(き)た。239真澄別(ますみわけ)に従(したが)つてやつて来(き)た日本人(につぽんじん)は名田彦(なだひこ)、240猪野(ゐの)敏夫(としを)の両人(りやうにん)であつた。
241 之(これ)より先(さ)き黒竜江(こくりうこう)方面(はうめん)の馬賊団(ばぞくだん)の頭目(とうもく)と称(しよう)する団栗眼(どんぐりまなこ)の物騒(ぶつさう)な面(かほ)した男(をとこ)が三(さん)人(にん)岡崎(をかざき)の許(もと)へ尋(たづ)ねて来(き)て、242自治軍(じちぐん)に参加(さんか)させてくれないかと掛合(かけあ)つた。243岡崎(をかざき)は早速(さつそく)手紙(てがみ)を認(したた)めて盧(ろ)占魁(せんくわい)と佐々木(ささき)へ宛(あ)て相談(さうだん)に向(むか)はしめた。
244(大正一四、八、筆録)
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