五月二十一日、盧占魁が幹部・参謀を引き連れて日出雄を訪問に来た。佐々木を介して盧が日出雄に懇願するには、だんだん蒙古兵も集まってきたので、救世主来迎のうわさを確実なものとするため、風雨を呼び起こして彼らの肝玉を奪ってもらいたい、とのことであった。
日出雄は、用もないのに勝手に風雨を起こして神界の規則に触れることを心配したが、真澄別が大事のためなら、自分が身代わりとなって行ってみたい、と申し出たので、許可した。盧占魁は、実はすでに奇跡を起こすと部隊に布告してしまっていた、と明かし、日出雄が了承してくれたことを喜んだ。
日出雄はトール河畔に自ら聖域を卜し、真澄別の修業を指導した。
五月二十三日、朝日は麗しい光を地上に投げ、青空には一点の雲もなかった。午前八時ごろに魏副官が日出雄一行を迎えに馬車でやってきた。日出雄に従って同行するはずだった温長興はにわかに頭痛が激しくなったため、車に乗せて下木局子へと向かった。
下木局子では、盧占魁の部隊が日出雄一行を待っていたが、このような蒙古晴れの空から雨を降らすなどは到底無理だろう、などと噂をしながら待機していた。
日出雄一行が下木局子に来着すると、小憩の後、日出雄の目配せを合図に真澄別が何事か黙祷するやいなや、たちまち司令部の上天は薄暗くなり、またたくまに全天雨雲に覆われ、一陣の怪風吹くとともに、激しい暴風雨が来襲した。
一同は驚きあわて、みなあっけに取られて言葉もなかった。しばらくして、今日は写真は駄目でしょう、という失望の声が聞こえてきた。真澄別は日出雄に、五分も経てば大丈夫、と言った。日出雄はやおら身を起こして雨中に降り立ち、点に向かって「ウー」と大喝した。
すると風勢は衰え、雨は次第に小降りとなり、真澄別の宣言のごとく、暴風雨は消え去って空は元のごとく晴朗に澄み切った。盧占魁は人々の間を立ち回り、自分の宣伝が誇大ではなかったことを誇って回った。
ここで幹部一同記念撮影をなし、卓を囲んで会食をしたときに、真澄別は温長興を指して、実は大先生(日出雄)が今日の役目を承った竜神を、温さんに懸けておいたので、温さんは朝から頭痛がしていたのだ、と説明すれば、一同はただ感嘆の言葉を漏らすほかはなかった。
夕方日の没するころに、再び天候が変わって雨模様となってきた。盧占魁らは今日はここに泊まっては、と言ったが、日出雄は自分の旅立ちに雨は止むでしょう、と微笑しつつ帰って行った。果たして、帰途には雨は降らず、日出雄が帰着と同時に強雨が降り注ぎ、地上の塵を一時に流し去るほどであった。