霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第一四章 洮南(たうなん)の雲(くも)

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 特別篇 山河草木 入蒙記 篇:第2篇 奉天より洮南へ よみ(新仮名遣い):ほうてんよりとうなんへ
章:第14章 洮南の雲 よみ(新仮名遣い):とうなんのくも 通し章番号:
口述日:1925(大正14)年08月 口述場所: 筆録者: 校正日: 校正場所: 初版発行日:1935(昭和10)年4月30日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]:
当地の家屋は馬賊の襲来に備えて、塀高く壁厚い構造になっている。オンドルで昼夜暖かいが、屋外の寒気は厳しく、うっかりするとすぐに喉を痛めてしまう。城内の兵士や巡警にも馬賊上がりの者が多く、治安は良いとはいえない。
東蒙古地方の宗教的権威であるラマ教の活仏の名望は地に落ちている。支那人に麻雀で負けて十万余の借金が出来て広大な土地を奪われ、自身梅毒に苦しむ身であるという。
岡崎は日出雄から運動費を受け取ると、それを元手に当地の支那官吏に取り入って、彼らの歓心を買って便宜を図ろうとしていた。そのうち、洮南府の将校である某連長を懇意になり、兄弟分となってしまった。
気が緩んだ岡崎は大言壮語し、あたりかまわず洮南府を○○しようなどと主張し始めるものだから、ある日四平街の奥村氏がやってきて、ついに岡崎の言動が日本・支那の官憲の耳に入って疑いを受けつつあることを知らせて来た。しかし岡崎は、洮南府の将校連を買収しておいたから大丈夫だと、平気の様子である。
一行はいよいよ奥蒙古に入るに当たって、便宜のために家屋を借り、軍器や食料の中継場とした。
平馬氏宅に日本領事館員の月川左門氏がやってきて、猪野敏夫氏を長い間談義を交換していた。結局日本と支那との関係を円滑にするためには、日本の実力を示すより仕様がないと、満蒙経営談にふけっていた。
満鉄の山崎某という社員が、日出雄一行が洮南府へ来ていることを、四平街の日本憲兵隊へ密告したので、支那側の官憲が活動を始め出したという噂が耳に入った。日本領事館の月川書記生や満鉄の佐藤某が、平馬氏宅を窺うようになった。
日出雄は天下万民のために正々堂々と天地にはじない行動をとっているにもかかわらず、身を忍ばせて秘密の行動を採らなければならないというのは、要するに上に卑怯な為政者がいるからである。
警戒線を破って神界の経綸を行うべくはるばるやってきたのを、上下狼狽して懸賞付で捜索を始めたという。実に気の毒なものだ。世界平和の共栄の大理想を実行実現するために、日出雄はやってきたのだ。不義と罪悪の淵源である官憲・為政者たちから目を覚ましてくれなければ、到底東洋に国を安全に建てていくことは不可能である。
張作霖については、自分は金を出さずに人に苦労させて甘い汁を吸おうというとんでもない男だ。しかし、果たして盧占魁が張の思い通りに動くだろうか、という感想を持っている。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考:2024/1/14出口王仁三郎全集第6巻を底本として校正。 タグ: データ凡例: データ最終更新日:2024-01-14 02:16:07 文字数:3644 OBC :rmnm14
愛善世界社版:121頁 八幡書店版:第14輯 592頁 修補版: 校定版:121頁 普及版: 初版: ページ備考:
001 当地(たうち)の家屋(かをく)は内地(ないち)に比(ひ)して非常(ひじやう)に変(かは)つてゐる。002何(いづ)れの民家(みんか)も皆(みな)家(いへ)の周囲(しうゐ)に高(たか)き土塀(どべい)をめぐらし、003馬賊(ばぞく)の襲来(しふらい)に備(そな)へ、004屋内(をくない)は室(へや)毎(ごと)に入口(いりぐち)のみあつて一方口(いつぱうぐち)である。005中(なか)から鍵(かぎ)をかけて寝(ね)る構造(こうざう)となつてゐる。006一(いつ)尺(しやく)以上(いじやう)もある様(やう)な厚(あつ)い壁(かべ)で間(ま)を仕切(しき)り、007そして鰻(うなぎ)の寝所(ねどこ)のやうな細長(ほそなが)い間取(まどり)になつてゐる。008冬季(とうき)は昼夜(ちうや)温突(をんどる)に火(ひ)を入(い)れてあるから室内(しつない)は暖(あたた)かい。009之(これ)に反(はん)し一歩(いつぽ)屋外(をくぐわい)に出(い)づれば寒気(かんき)厳(きび)しく身(み)に迫(せま)り、010うつかりしてゐると、011直(す)ぐに咽喉(いんこう)を害(がい)して了(しま)ふ。012それから道(みち)行(ゆ)く車馬(ばしや)を見(み)ると、013例(れい)の支那(しな)式(しき)の床(とこ)の低(ひく)い梶棒(かぢぼう)の篦棒(べらぼう)に長(なが)い人力車(じんりきしや)は見(み)られないが、014不恰好(ぶかつかう)な牛車(ぎうしや)や馬車(ばしや)が灰(はひ)の様(やう)な道路(だうろ)を駆(か)け廻(めぐ)り、015防砂(ばうしや)眼鏡(めがね)をかけねば一歩(いつぽ)も先(さき)を通行(つうかう)することが出来(でき)ない。016何(いづ)れの家(いへ)も入口(いりぐち)に赤(あか)い紙(かみ)を張(は)り、017富貴(ふうき)だとか幸福(かうふく)だとか、018瑞祥(ずゐしやう)だとか、019目出度(めでた)さうな文字(もじ)を誌(しる)してゐる。020そして夕方(ゆふがた)から城門(じやうもん)を固(かた)く閉(とざ)し、021夜分(やぶん)は他(た)の地方(ちはう)へ出(で)られない事(こと)になつてゐる。022当城内(たうじやうない)に居(ゐ)る数千(すうせん)の兵士(へいし)も数多(あまた)の巡警(じゆんけい)も大部分(だいぶぶん)馬賊(ばぞく)上(あが)りだから、023夜(よ)の帳(とばり)がおりると同時(どうじ)に、024平気(へいき)の平左(へいざ)で、025軍服(ぐんぷく)の儘(まま)泥棒(どろばう)をやると云(い)ふのだから、026生命(せいめい)財産(ざいさん)の保証(ほしよう)などは到底(たうてい)駄目(だめ)である。027そして城内(じやうない)の三分(さんぶん)の一(いち)迄(まで)は馬賊(ばぞく)の頭目(たうもく)や小(せう)盗児(トル)連(れん)が大小(だいせう)各店(かくてん)を開(ひら)いてそ知(し)らぬ顔(かほ)してゐるのだからこれ程(ほど)危険(きけん)極(きは)まる話(はなし)はない。028此(この)附近(ふきん)の馬賊(ばぞく)の団体(だんたい)は三十(さんじふ)人(にん)或(あるひ)は五十(ごじふ)人(にん)の小勢(せうぜい)で村落(そんらく)に入(い)り来(きた)り、029三日間(みつかかん)位(ぐらゐ)其(その)村(むら)に逗留(とうりう)して、030能(よ)く食(く)ひ、031能(よ)く飲(の)み、032女(をんな)と見(み)れば老若(らうにやく)の別(べつ)なく強姦(がうかん)をなし、033飲食物(いんしよくぶつ)がなくなると、034悠々(いういう)として又(また)次(つぎ)の村(むら)へ行(い)つて同(おな)じ事(こと)を繰返(くりかへ)すといふ呑気(のんき)千万(せんばん)な泥棒団(どろばうだん)が横行(わうかう)し、035蒙古(もうこ)の住民(ぢうみん)は実(じつ)に枕(まくら)を高(たか)くする事(こと)が出来(でき)ないと云(い)ふ有様(ありさま)である。036それから東(ひがし)蒙古(もうこ)地方(ちはう)の俗称(ぞくしよう)活仏(くわつぶつ)の名望(めいばう)と信用(しんよう)は全然(ぜんぜん)地(ち)に墜(お)ち、037蒙古人(もうこじん)の信仰(しんかう)が動(うご)き出(だ)したといふ。038現(げん)にパインタラの活仏(くわつぶつ)は麻雀(マージヤン)に負(ま)けて039十万(じふまん)余(よ)の負債(ふさい)が出来(でき)、040広大(くわうだい)な土地(とち)は支那人(しなじん)にボツたくられ、041且(か)つ婦女子(ふぢよし)を小口(こぐち)から引(ひ)つかけて、042今(いま)は梅毒(ばいどく)に罹(かか)り苦(くる)しんでゐるといふ有様(ありさま)だ。043王爺廟(ワンエメウ)の活仏(くわつぶつ)も又(また)いろいろ面白(おもしろ)からぬ評判(ひやうばん)が立(た)つてゐる。044昨年(さくねん)の三(さん)月(ぐわつ)十四(じふよつ)日(か)満鉄(まんてつ)の上村(かみむら)某(ぼう)が当地(たうち)にて馬賊(ばぞく)に擲(なぐ)り殺(ころ)された一周忌(いつしうき)に当(あた)るといふので、045其(その)追悼会(つゐたうゑ)が日本人(につぽんじん)間(かん)で行(おこな)はれた。046上村(かみむら)は剣道(けんだう)の達人(たつじん)であつたが、047暗夜(やみよ)に後(うしろ)から棍棒(こんぼう)で脳天(のうてん)を擲(なぐ)りつけられて一堪(ひとたま)りもなく斃(たほ)れたとの事(こと)である。
048 寒風(かんぷう)烈(はげ)しく吹(ふ)きまくり、049黄塵(くわうぢん)万丈(ばんじやう)の巷(ちまた)をいろいろの鳴物(なりもの)入(い)りで葬式(さうしき)の行列(ぎやうれつ)が通(とほ)つて行(ゆ)く、050窓内(さうない)より眺(なが)むれば喇嘛僧(らまそう)が二十(にじふ)人(にん)許(ばか)り、051黄(き)や赤(あか)の衣(ころも)を着(つ)け、052面白(おもしろ)い旗(はた)を沢山(たくさん)押立(おした)て、053死骸(しがい)を輿(こし)に載(の)せ、054五六間(ごろくけん)もあるやうな長(なが)い棒(ぼう)でかついで、055チワチワさせ乍(なが)ら、056馬車(ばしや)数台(すうだい)に豚(ぶた)や羊(ひつじ)などを縛(しば)りつけて長(なが)い行列(ぎやうれつ)を作(つく)つて通(とほ)る。057恰(あだか)も氏神(うぢがみ)の祭礼(さいれい)の神輿(みこし)渡御(とぎよ)の様(やう)な光景(くわうけい)である。058斯(かか)る立派(りつぱ)な葬式(さうしき)は此(この)土地(とち)でも余程(よほど)名(な)の売(う)れた人士(じんし)だと云(い)ふことだ。
059 岡崎(をかざき)は日出雄(ひでを)の手(て)から運動費(うんどうひ)を受取(うけと)りニコニコし乍(なが)ら、060洮南(たうなん)府(ふ)知事(ちじ)の縁類(えんるゐ)なる将校(しやうかう)と共(とも)に五六(ごろく)人(にん)の支那(しな)官吏(くわんり)を招(まね)き底抜(そこぬけ)散財(さんざい)をやり、061且(か)つ小遣(こづかひ)を与(あた)へて彼(かれ)等(ら)の歓心(くわんしん)を買(か)ひ、062まさかの時(とき)の用意(ようい)にと極力(きよくりよく)運動(うんどう)をやつてゐた。063日出雄(ひでを)の宿泊(しゆくはく)してゐる平馬(へいま)氏(し)[*ここの「平馬」のフリガナは底本(全集)では「ひらま」。以降「平馬」が3つあるがいずれもフリガナは「へいま」なので、ここも「へいま」に直した。]と同(おな)じ邸内(ていない)に洮南(たうなん)府(ふ)の将校(しやうかう)某(ぼう)連長(れんちやう)が住(す)んでゐる。064岡崎(をかざき)は此(この)連長(れんちやう)と懇意(こんい)になり、065互(たがひ)に往復(わうふく)してゐた。066連長(れんちやう)夫婦(ふうふ)が大喧嘩(おほけんくわ)をおつ初(ぱじ)め、067死(し)ぬの走(はし)るの、068暇(ひま)くれの、069殺(ころ)すの殺(ころ)せのと、070悋気(りんき)喧嘩(げんくわ)が起(おこ)る度(たび)毎(ごと)に、071下女(げじよ)が驚(おどろ)いて岡崎(をかざき)を呼(よ)びに来(く)るといふ深(ふか)い仲(なか)になり、072遂(つひ)には兄弟分(きやうだいぶん)となつて了(しま)つた。073岡崎(をかざき)は得意然(とくいぜん)として大(おほ)きな声(こゑ)で辺(あた)り構(かま)はず、074遂(つひ)には洮南(たうなん)府(ふ)を○○しようと云(い)ふやうな事(こと)まで主張(しゆちやう)し出(だ)し、075それが支那(しな)官憲(くわんけん)の耳(みみ)に這入(はひ)つたとか、076日本(につぽん)官憲(くわんけん)の耳(みみ)に這入(はひ)つたとか云(い)ふので、077日本人(につぽんじん)側(がは)は非常(ひじやう)に気(き)を揉(も)んだ。078それでなくても排日(はいにち)思想(しさう)の烈(はげ)しい洮南(たうなん)府(ふ)に潜伏(せんぷく)してゐるのだから、079こんな事(こと)が仮令(たとへ)冗談(じようだん)にもせよ、080日本人(につぽんじん)の口(くち)から出(で)たと云(い)ふ事(こと)が支那(しな)官憲(くわんけん)に聞(きこ)えようものなら、081何(ど)んな事(こと)になるかも知(し)れないと、082岡崎(をかざき)の失言(しつげん)が奉天(ほうてん)の同志(どうし)に伝(つた)はつたので、083唐国別(からくにわけ)、084佐々木(ささき)、085大倉(おほくら)は顔色(かほいろ)を変(か)へ、086狼狽(らうばい)し、087岡崎(をかざき)君(くん)を奉天(ほうてん)に返(かへ)さないやうにして貰(もら)ひたい。088そして一日(いちにち)も早(はや)く日出雄(ひでを)先生(せんせい)が岡崎(をかざき)を引張(ひつぱ)つて公爺府(こんえふ)へ行(い)つて貰(もら)ひたいなどと言(い)ふ手紙(てがみ)を坂本(さかもと)広一(くわういち)に持(も)たせて依頼(いらい)して来(き)た。089岡崎(をかざき)はそんな事(こと)には少(すこ)しも頓着(とんちやく)なく……国家(こくか)の為(ため)、090社会(しやくわい)の為(ため)に吾々(われわれ)は最善(さいぜん)の方法(はうはふ)を講(かう)じてゐるのだ。091大体(だいたい)佐々木(ささき)、092大倉(おほくら)の奴(やつ)肝玉(きもたま)の小(ちひ)さい腰抜(こしぬ)けだから、093何(なん)でもない事(こと)を心配(しんぱい)しよつて、094そんな事(こと)で、095こんな大事(だいじ)が成就(じやうじゆ)するものか、096ヘン、097馬鹿(ばか)馬鹿(ばか)しい……と鼻(はな)の先(さき)で吹(ふ)き散(ち)らしてゐる。098日出雄(ひでを)は岡崎(をかざき)に向(むか)つて……『今(いま)の場合(ばあひ)は可成(なるべく)秘密(ひみつ)を守(まも)り、099余(あま)り大事(だいじ)なことは口外(こうぐわい)せないよう』……と注意(ちうい)すると、100誰(たれ)のいふことも聞(き)かない岡崎(をかざき)も二三(にさん)日間(にちかん)は神妙(しんめう)に沈黙(ちんもく)を守(まも)つてゐた。101すると一日(いちにち)四平街(しへいがい)の奥村(おくむら)幹造(かんざう)氏(し)が倉皇(さうくわう)としてやつて来(き)た。102岡崎(をかざき)の大言(たいげん)壮語(さうご)が祟(たた)り、103日支(につし)官憲(くわんけん)の耳(みみ)に這入(はひ)つた様(やう)なので日出雄(ひでを)一行(いつかう)の身(み)の上(うへ)を案(あん)じ、104親切(しんせつ)に見舞(みまひ)に来(き)たのである。105其処(そこ)へ岡崎(をかざき)が這入(はひ)つて来(き)て、106支那(しな)の各(かく)将校(しやうかう)と前夜(ぜんや)青楼(せいろう)に上(あが)り一緒(いつしよ)に麻雀(マージヤン)や散財(さんざい)をして彼(かれ)等(ら)を全(まつた)く買収(ばいしう)しておいたからモウ安心(あんしん)だと、107意気(いき)揚々(やうやう)として語(かた)る。108奥村(おくむら)は岡崎(をかざき)の平気(へいき)な顔(かほ)を見(み)て意外(いぐわい)の感(かん)に打(う)たれてゐた。
109 日出雄(ひでを)一行(いつかう)は愈(いよいよ)蒙古(もうこ)奥地(おくち)へ入(い)るに付(つい)て、110万事(ばんじ)便宜(べんぎ)の為(ため)支那(しな)の家屋(かをく)を王(わう)元祺(げんき)の名義(めいぎ)にて一(いつ)ケ年(ねん)百五十(ひやくごじふ)円(ゑん)の家賃(やちん)で借入(かりい)るることとなつた。111温突(をんどる)付(つき)四間(よんま)の家屋(かをく)で、112長栄号(ちやうえいがう)と命名(めいめい)し表面(へうめん)は貿易商(ぼうえきしやう)といふことになし、113軍器(ぐんき)や糧食(りやうしよく)の中継場(ちうけいぢやう)とした。
114 日出雄(ひでを)が守高(もりたか)と共(とも)に平馬(へいま)氏(し)の宅(たく)に書見(しよけん)をしてゐると、115日本(につぽん)領事館(りやうじくわん)員(ゐん)月川(つきかは)左門(さもん)氏(し)がやつて来(き)た。116そして猪野(ゐの)敏夫(としを)と長(なが)い間(あひだ)種々(しゆじゆ)の談話(だんわ)を交換(かうくわん)し、117結局(けつきよく)日本(につぽん)と支那(しな)との関係(くわんけい)を円滑(ゑんくわつ)ならしむるには日本(につぽん)の実力(じつりよく)を示(しめ)すより仕様(しやう)がないと、118満蒙(まんもう)経営談(けいえいだん)に耽(ふけ)つてゐた。119日出雄(ひでを)は次(つぎ)の間(ま)から両人(りやうにん)の談話(だんわ)を聞(き)いてゐた。120暫時(しばらく)すると支那(しな)将校(しやうかう)がやつて来(き)て、121一(ひと)つの卓子(テーブル)を囲(かこ)み、122嬉(うれ)し相(さう)に笑(わら)ひ乍(なが)ら、123麻雀(マージヤン)と云(い)ふ博奕(ばくち)を深更(しんかう)迄(まで)やつてゐる。124平馬(へいま)氏(し)夫人(ふじん)の二葉子(ふたばこ)も一緒(いつしよ)に麻雀(マージヤン)に耽(ふけ)つてゐた。125文学(ぶんがく)趣味(しゆみ)を有(も)つた日出雄(ひでを)は幾(いく)日間(にちかん)一室(いつしつ)に閉籠(とじこも)つてゐても少(すこ)しも苦痛(くつう)を感(かん)じないのみならず、126いろいろな思想(しさう)の泉(いづみ)が湧(わ)いて来(く)ると云(い)つて、127面白(おもしろ)く楽(たの)しく日(ひ)を送(おく)り詩歌(しいか)などに耽(ふけ)つてゐる。128其(その)中(なか)の数首(すうしゆ)を左(さ)に、
 
129 十二夜(じふにや)の月(つき)見(み)る度(たび)に思(おも)ふかな我(わが)生(うま)れたる夜半(よは)はいかにと
130 日(ひ)の本(もと)を立出(たちい)で再(ふたた)び十二夜(じふにや)の月(つき)を蒙古(もうこ)の空(そら)に見(み)るかな
131 大空(おほぞら)に月(つき)は慄(ふる)ひて風(かぜ)寒(さむ)しされど我(わが)身(み)は神(かみの)懐(ふところ)[※2ヶ所「我」があるが校定版や愛善世界社版では「吾」に直している。]
132 鈴(すず)の音(おと)いと賑(にぎ)はしく聞(きこ)えけり又(また)もや馬車(ばしや)の路(みち)を行(ゆ)くらむ
133 潜竜(せんりう)の潜(ひそ)む此(この)家(や)は神界(しんかい)の深(ふか)き仕組(しぐみ)の館(やかた)なるらむ
 
134 三(さん)月(ぐわつ)十六(じふろく)日(にち)(旧(きう)二(に)月(ぐわつ)十三(じふさん)日(にち))満鉄(まんてつ)社員(しやゐん)の山崎(やまざき)某(ぼう)が四平街(しへいがい)の日本(につぽん)憲兵隊(けんぺいたい)へ、135日出雄(ひでを)一行(いつかう)が洮南(たうなん)府(ふ)へ来(き)た事(こと)を密告(みつこく)したので、136支那(しな)側(がは)の官憲(くわんけん)が活動(くわつどう)を始(はじ)め出(だ)したと云(い)ふ噂(うはさ)が耳(みみ)に入(い)り、137一行(いつかう)は薄氷(はくひやう)を踏(ふ)むが如(ごと)き思(おも)ひに悩(なや)んでゐた。138そして月川(つきかは)書記生(しよきせい)や満鉄(まんてつ)の佐藤(さとう)某(ぼう)が代(かは)る代(がは)る平馬(へいま)氏(し)の宅(たく)を窺(うかが)つてゐた。
 
139 洮南(たうなん)へ来(きた)りて安心(あんしん)する間(ま)もなく又(また)もや深(ふか)き悩(なや)みするかな
 
140 と日出雄(ひでを)は口誦(くちずさ)んだ。141併(しか)し彼(かれ)は、142危険(きけん)なる家(いへ)に留(とど)まり居(ゐ)るも却(かへ)つて安全(あんぜん)なるべし、143窮鳥(きうてふ)懐(ふところ)に入(い)れば猟夫(れうふ)も之(これ)を殺(ころ)さずとの金言(きんげん)と神力(しんりよく)[*フリガナ「しんりよく」は底本(全集)通り。]とを頼(たの)みとして日(ひ)を送(おく)つて居(ゐ)たのである。144其(その)当時(たうじ)の日出雄(ひでを)の述懐(じゆつくわい)に左(さ)の如(ごと)き一節(いつせつ)がある。
145(日出雄)『日出雄(ひでを)が天下(てんか)万民(ばんみん)の為(ため)に正々(せいせい)堂々(だうだう)と天地(てんち)に愧(は)ぢざる行動(かうどう)を採(と)つて居(ゐ)ながらも、146斯(か)くの如(ごと)く身(み)を忍(しの)ばせ、147秘密(ひみつ)の行動(かうどう)を採(と)らねばならないといふのは、148要(えう)するに上(うへ)に卑怯(ひけふ)なる為政者(ゐせいしや)が居(ゐ)るからである。149内強(ないきやう)外弱(ぐわいじやく)唯々(ゐゐ)諾々(だくだく)として外人(ぐわいじん)の鼻息(はないき)のみを伺(うかが)つて居(ゐ)る日本(につぽん)外交官(ぐわいかうくわん)及(および)内閣員(ないかくゐん)の少(すこ)しでも心配(しんぱい)せない様(やう)との慮(おもんぱか)りからである。150其(その)癖(くせ)日本(につぽん)の官憲(くわんけん)は支那(しな)や朝鮮(てうせん)、151露国(ろこく)に対(たい)しては、152随分(ずゐぶん)鼻意気(はないき)荒(あら)く凡(すべ)てが威圧(いあつ)的(てき)であるに拘(かかは)らず、153英米(えいべい)に対(たい)しては、154頭(あたま)から青痰(あをたん)を吐(は)きかけられても小言(こごと)一(ひと)つ言(い)ひ得(え)ない腰抜(こしぬ)けばかりだ。155皇道(くわうだう)大本(おほもと)の勢力(せいりよく)が大(おほ)きいと云(い)つて、156所在(あらゆる)圧迫(あつぱく)を加(くは)へ遂(つひ)には純忠(じゆんちう)無二(むに)の大(だい)思想家(しさうか)に、157無理槍(むりやり)に冤罪(えんざい)を被(かむ)らせたり、158天地(てんち)の大神(おほかみ)の宮(みや)を毀(こぼ)つたり、159色々(いろいろ)雑多(ざつた)の悪政(あくせい)暴虐(ばうぎやく)を加(くは)へ、160正義(せいぎ)の団体(だんたい)を見(み)るに悪逆(あくぎやく)無道(むだう)を以(もつ)てする、161実(じつ)に呆(あき)れ果(は)てたるものである。162而(しか)も東洋(とうやう)の君子国(くんしこく)、163浦安国(うらやすくに)と自惚(うぬぼ)れて居(ゐ)るのだから堪(たま)らない。164自分(じぶん)が警戒線(けいかいせん)を悠々(いういう)と破(やぶ)つて、165神界(しんかい)の経綸(けいりん)を行(おこな)ふべく、1651遥々(はるばる)やつて来(き)たのに対(たい)して、166上下(しやうか)狼狽(らうばい)、167一千(いつせん)円(ゑん)の懸賞附(けんしやうつき)で捜索(そうさく)を始(はじ)めかけたと云(い)ふ、168実(じつ)に気(き)の毒(どく)なものだ。169然(しか)し決(けつ)して心配(しんぱい)下(くだ)さるな、170滅多(めつた)に諸君(しよくん)等(ら)の為(ため)にならない様(やう)な拙劣(へた)な事(こと)はせないから、171世界(せかい)平和(へいわ)共栄(きようえい)の大理想(だいりさう)を実行(じつかう)実現(じつげん)の為(ため)だ。172君(きみ)等(ら)の様(やう)な尻(しり)の穴(あな)や睾丸(かうぐわん)で、173一体(いつたい)今日(こんにち)の世(よ)の中(なか)に於(おい)て何(なに)が出来(でき)ると思(おも)ふか、174どうして万世(ばんせい)一系(いつけい)の国家(こくか)が守(まも)つて行(い)けるか、175不義(ふぎ)と罪悪(ざいあく)との淵源(えんげん)たる君(きみ)等(ら)から、176少(すこ)しは眼(め)を覚(さ)まして呉(く)れねば、177東洋(とうやう)に国(くに)を安全(あんぜん)に建(た)てて行(ゆ)く事(こと)は不可能(ふかのう)だ、178現(げん)に今日(こんにち)の状態(じやうたい)は何(な)んだい……』
179 又(また)張(ちやう)作霖(さくりん)に関(くわん)しては左(さ)の如(ごと)く評(ひやう)してゐた。
180(日出雄)『東三省(とうさんしやう)の張(ちやう)作霖(さくりん)も随分(ずゐぶん)支那人(しなじん)としては豪(えら)い男(をとこ)だ、181コソコソと画策(くわくさく)を廻(めぐ)らすのも中々(なかなか)上手(じやうず)だ。182そして自分(じぶん)は肝心(かんじん)の金(かね)を出(だ)さず、183人(ひと)に苦労(くらう)さして自分(じぶん)がそつと甘(あま)い汁(しる)を吸(す)はふといふのだから堪(たま)らぬ。184併(しか)し資本(しほん)なしの商売(しやうばい)は結局(けつきよく)駄目(だめ)に了(をは)るだらう。185利(り)は元(もと)にありだ。186資本主(しほんぬし)が最後(さいご)の勝利(しようり)だ。187盧(ろ)氏(し)果(はた)して永遠(えいゑん)に張(ちやう)の頤使(いし)に甘(あま)んずるで在(あ)らうか、188直奉間(ちよくほうかん)の引掛合(ひきかけあひ)も久(ひさ)しいものだが、189何(いづ)れ遠(とほ)からぬ中(うち)に何(なん)とか一幕(ひとまく)の芝居(しばゐ)が打(う)たれるだらう190云々(うんぬん)』
191(大正一四、八、筆録)
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