霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第七章 奉天(ほうてん)の夕(ゆふべ)

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 特別篇 山河草木 入蒙記 篇:第1篇 日本より奉天まで よみ(新仮名遣い):にっぽんよりほうてんまで
章:第7章 奉天の夕 よみ(新仮名遣い):ほうてんのゆうべ 通し章番号:
口述日:1925(大正14)年08月15日(旧06月26日) 口述場所: 筆録者: 校正日: 校正場所: 初版発行日:1935(昭和10)年4月30日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]:
日出雄は真澄別とただ二人、二月十三日午前三時二十八分の綾部発列車の車上の人となった。見送りは湯浅研三、奥村某のただ二人のみであった。
亀岡で名田彦、守高の両人が合流し、四人連れとなって京都に着いた。ここで唐国別と合流し、西行き列車に乗り込んだ。
十三日午後八時、関釜連絡線に登場した。十四日の午前八時、釜山に上陸し、十時発の朝鮮鉄道にて奉天に向かった。
二月十五日午後六時三十分、奉天平安通りの水也商会に入った。そこでは先発していた隆光彦をはじめ、萩原敏明、岡崎鉄首、佐々木弥市、大倉伍一ら水也商会の店員が迎え出た。
岡崎鉄首はとうとうと、中国を押さえるためには蒙古に進出する以外にない、と自説を開陳した。そして、何とか日出雄を盧占魁に同道させて蒙古に展開させようとした。
日出雄は蒙古入りの意思を一同に明らかにし、盧占魁との面会に同意した。その夜の八時半に二台の自動車を連ねて奉天郊外の盧占魁公館へ乗りつけた。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考:2024/1/1出口王仁三郎全集第6巻を底本として校正。 タグ: データ凡例: データ最終更新日:2024-01-05 16:05:54 文字数:3809 OBC :rmnm07
愛善世界社版:57頁 八幡書店版:第14輯 569頁 修補版: 校定版:58頁 普及版: 初版: ページ備考:
001 東魚(とうぎよ)来(きた)つて西海(せいかい)を呑(の)む。002日(ひ)西天(せいてん)に没(ぼつ)すること三百(さんびやく)七十(しちじふ)余(よ)日(じつ)、003西鳥(せいてう)来(きた)りて東魚(とうぎよ)を喰(は)む。
004 右(みぎ)の言葉(ことば)は、005聖徳(しやうとく)太子(たいし)の当初(たうしよ)百王(ひやくわう)治天(ぢてん)の安危(あんき)を鑒考(かんかう)されて我(わ)が日本(につぽん)一洲(いつしう)の未来記(みらいき)を書(か)きおかれたのだと称(しよう)せられ、006我国(わがくに)古来(こらい)聖哲(せいてつ)が千古(せんこ)の疑問(ぎもん)として此(この)解決(かいけつ)に苦(くるし)みて居(ゐ)たのである。007日出雄(ひでを)は右(みぎ)の言葉(ことば)に対(たい)し008我(わが)国家(こくか)の前途(ぜんと)に横(よこ)たはれる或物(あるもの)を認(みと)めて、009之(これ)が対応策(たいおうさく)を講(かう)ぜねばならぬことを深(ふか)く慮(おもんぱか)つた。
010 彼(かれ)は真澄別(ますみわけ)と唯(ただ)二人(ふたり)、011二(に)月(ぐわつ)十三(じふさん)日(にち)の午前(ごぜん)三(さん)時(じ)二十八(にじふはち)分(ふん)聖地(せいち)発(はつ)列車(れつしや)上(じやう)の人(ひと)となつた。012駅(えき)に見送(みおく)るものは湯浅(ゆあさ)研三(けんざう)、013奥村(おくむら)某(ぼう)の二人(ふたり)のみであつた。014いつも彼(かれ)が旅行(りよかう)には大本(おほもと)の役員(やくゐん)信徒(しんと)数十(すうじふ)人(にん)或(あるひ)は数百(すうひやく)人(にん)の送(おく)り迎(むか)へのあるのを常(つね)として居(ゐ)た。015然(しか)るに此(この)日(ひ)は唯(ただ)二人(ふたり)の信徒(しんと)に送(おく)られて行(い)つた事(こと)は、016此(この)計画(けいくわく)の暫時(ざんじ)他(た)に漏(も)れむ事(こと)を躊躇(ちうちよ)したからであらう。017列車(れつしや)は容赦(ようしや)なく亀岡駅(かめをかえき)に着(つ)いた。018前日(ぜんじつ)から亀岡(かめをか)の大道場(だいだうぢやう)瑞祥閣(ずゐしやうかく)に出張(しゆつちやう)し諸般(しよはん)の準備(じゆんび)を調(ととの)へて居(ゐ)た名田彦(なだひこ)、019守高(もりたか)の両氏(りやうし)は、020此処(ここ)に搭乗(たふじよう)して同行(どうかう)四(よ)人(にん)相(あひ)携(たづさ)へて京都駅(きやうとえき)に着(つ)いた。021而(しか)して米倉(よねくら)嘉兵衛(かへゑ)、022米倉(よねくら)範治(はんぢ)が列車(れつしや)に乗込(のりこ)んで居(ゐ)た。023京都駅(きやうとえき)に着(つ)いて朝飯(あさはん)を喫(きつ)し、024吹雪(ふぶき)に曝(さら)されて一(いち)時間(じかん)余(あま)り西行(にしゆき)列車(れつしや)を待(ま)つた。025茲(ここ)には唐国別(からくにわけ)夫妻(ふさい)が先着(せんちやく)して居(ゐ)た。026各(かく)望遠鏡(ばうゑんきやう)を一個(いつこ)宛(づつ)携帯(けいたい)し、027手荷物(てにもつ)を大(だい)トランクに納(をさ)め、028茲(ここ)に一行(いつかう)五(ご)人(にん)は唐国別(からくにわけ)夫人(ふじん)や、029米倉(よねくら)嘉兵衛(かへゑ)、030範治(はんぢ)に袂(たもと)を分(わか)ち、031汽笛(きてき)の声(こゑ)も勇(いさ)ましく西下(せいか)する事(こと)となつた。
032 十三(じふさん)日(にち)午後(ごご)八(はち)時(じ)関釜(くわんぷ)連絡船(れんらくせん)昌慶丸(しやうけいまる)に搭乗(たふじよう)した。033天地(てんち)の神明(しんめい)はこの一行(いつかう)の壮図(さうと)を擁護(えうご)するものの如(ごと)く、034関釜間(くわんぷかん)の航海(かうかい)は極(きは)めて平穏(へいおん)であつた。035翌(よく)十四日(じふよつか)午前(ごぜん)八(はち)時(じ)釜山港(ふざんかう)に無事(ぶじ)上陸(じやうりく)し、036十(じふ)時(じ)発(はつ)朝鮮(てうせん)鉄道(てつだう)の一等室(いつとうしつ)に納(をさ)まりかへつて奉天(ほうてん)に向(むか)ふ事(こと)となつた。037車中(しやちう)には本荘(ほんじやう)少将(せうしやう)及(およ)び日出雄(ひでを)、038真澄別(ますみわけ)、039唐国別(からくにわけ)の三(さん)人(にん)であつた。040而(しか)して名田彦(なだひこ)、041守高(もりたか)の両人(りやうにん)は二等室(にとうしつ)の客(きやく)となつた。042二(に)月(ぐわつ)十五(じふご)日(にち)安東県(あんとうけん)の税関(ぜいくわん)も無事(ぶじ)通過(つうくわ)して、043午後(ごご)六(ろく)時(じ)三十分(さんじつぷん)奉天(ほうてん)平安通(へいあんどほ)りの水也(みづや)商会(しやうくわい)に入(い)る事(こと)を得(え)た。044彼(かれ)が車中(しやちう)に於(お)ける和歌(わか)の一二首(いちにしゆ)を紹介(せうかい)する。
 
045 蓬来(ほうらい)の島(しま)をやうやく立出(たちい)でて見(み)なれぬ国(くに)の旅(たび)をなすかな
 
046 水也(みづや)商会(しやうくわい)に到着(たうちやく)すると、047先着(せんちやく)の隆光彦(たかてるひこ)、048萩原(はぎはら)敏明(びんめい)及(およ)び数名(すうめい)の店員(てんゐん)が停車場(ていしやぢやう)に出迎(でむか)へた。049待設(まちまう)けて居(ゐ)た満州(まんしう)浪人(らうにん)の岡崎(をかざき)鉄首(てつしゆ)や佐々木(ささき)弥市(やいち)、050大倉(おほくら)伍一(ごいち)の三(さん)名(めい)と、051揚(やう)萃廷(すゐてい)と云(い)ふ人(ひと)が訪(たづ)ねて来(き)た。052三(さん)人(にん)は日出雄(ひでを)に対(たい)し、053先(ま)づ初(しよ)対面(たいめん)の挨拶(あいさつ)を了(を)はり、054十(じふ)年(ねん)の知己(ちき)の如(ごと)き打(う)ち解(と)けた態度(たいど)にて、055満蒙(まんもう)の現状(げんじやう)や、056肇国会(てうこくくわい)の主意(しゆい)や蒙古(もうこ)事情(じじやう)などを滔々(たうたう)と弁(べん)じ立(た)てたのである。
057岡崎(をかざき)『私(わたし)は日露(にちろ)戦争(せんそう)に従軍(じうぐん)したきり支那(しな)に留(とど)まつて、058第一(だいいち)革命(かくめい)から引続(ひきつづ)き東亜(とうあ)の為(ため)に、059革命(かくめい)事業(じげふ)にのみ熱中(ねつちゆう)して居(ゐ)る者(もの)です。060併(しか)し支那人(しなじん)は個人(こじん)としては生活(せいくわつ)して行(ゆ)くだけの力(ちから)は持(も)つて居(を)るが、061国家(こくか)とか国体(こくたい)とかとして生存(せいぞん)する資質(ししつ)が具(そな)はつて居(を)りませぬ。062それ故(ゆゑ)に幾度(いくど)革命(かくめい)を行(や)つても、063骨折損(ほねをりぞん)の疲労儲(くたびれまう)けとなつて了(しま)ひ、064実効(じつかう)を収(をさ)むる事(こと)が出来(でき)ないのであります。065支那(しな)と云(い)ふ国(くに)は頭(あたま)から日本(につぽん)を馬鹿(ばか)にして居(ゐ)る、066さうして自分(じぶん)に利益(りえき)のある事業(じげふ)と見(み)れば喉(のど)を鳴(な)らして飛(と)びつくが、067其(その)利益(りえき)と相反(あひはん)する場合(ばあひ)は義理(ぎり)も人情(にんじやう)も捨(す)てて直(す)ぐ離(はな)れ去(さ)つて了(しま)ひます。068併(しか)しながら日本(につぽん)と支那(しな)は唇歯(しんし)輔車(ほしや)の関係(くわんけい)があり、069何(ど)うしても互(たがひ)に手(て)を携(たづさ)へて国運(こくうん)の発展(はつてん)を図(はか)らねばならないのです。070日本(につぽん)の為政者(いせいしや)の中(なか)では日支(につし)親善(しんぜん)とか、071共存(きようぞん)共栄(きようえい)とか種々(しゆじゆ)の支那(しな)の御(ご)機嫌取(きげんと)りの文句(もんく)を並(なら)べて居(ゐ)るものがありますが、072支那人(しなじん)は却(かへ)つて此(この)言葉(ことば)に対(たい)し嫌忌(けんき)の情(じやう)を抱(いだ)き且(か)つ侮辱(ぶじよく)するやうな傾向(けいかう)を持(も)つて居(を)ります。073何(ど)うしても支那人(しなじん)の目(め)を醒(さ)まし、074日本(につぽん)と相(あひ)提携(ていけい)して行(ゆ)かねばならぬと云(い)ふ理由(りいう)を徹底(てつてい)的(てき)に悟(さと)らしむるには、075普通(ふつう)の計画(けいくわく)では駄目(だめ)です。076東三省(とうさんしやう)の張(ちやう)作霖(さくりん)だつて、077直隷(ちよくれい)の呉(ご)佩孚(はいふ)だつて、078表(おもて)に親日派(しんにちは)を標榜(へうばう)して居(ゐ)るが、079其(その)内心(ないしん)は決(けつ)して然(さ)うではない、080政治(せいぢ)上(じやう)の便宜(べんぎ)の為(ため)に或(ある)時機(じき)迄(まで)親日(しんにち)を装(よそほ)うて居(ゐ)るのです。081現(げん)に張(ちやう)作霖(さくりん)の顧問(こもん)となつて居(ゐ)る日本人(につぽんじん)も沢山(たくさん)ありますが、082肝腎(かんじん)の相談事(さうだんごと)は日本人(につぽんじん)以外(いぐわい)の顧問(こもん)と密議(みつぎ)し、083義理(ぎり)一遍(いつぺん)の報告(はうこく)を日本(につぽん)の顧問(こもん)にする位(くらゐ)のものであります。084是(これ)を見(み)ても癪(しやく)に触(さは)るのは支那(しな)の日本(につぽん)に対(たい)する遣(や)り方(かた)であります。
085 それだから支那人(しなじん)を心底(しんてい)より我(わが)帝国(ていこく)に倚(よ)らしむるには、086彼(かれ)の最(もつと)も難治(なんぢ)として居(ゐ)る蒙古(もうこ)に於(おい)て一大(いちだい)新(しん)王国(わうこく)を建設(けんせつ)し日本(につぽん)の威力(いりよく)を現(あら)はしてからでなくては、087何時(いつ)までかかつても支那(しな)は日本(につぽん)に信頼(しんらい)しないだらうと思(おも)ひます。
088 それ故(ゆゑ)自分(じぶん)等(ら)は犬養(いぬがひ)先生(せんせい)や、089頭山(とうやま)先生(せんせい)、090内田(うちだ)先生(せんせい)、091末永(すゑなが)節(せつ)等(とう)の国士(こくし)と計(はか)つて、092肇国会(てうこくくわい)なるものを創立(さうりつ)し、093肇国会(てうこくくわい)の徽章(きしやう)を二十万(にじふまん)個(こ)許(ばか)り朝鮮(てうせん)、094満州(まんしう)、095西比利亜(シベリヤ)方面(はうめん)にバラ撒(ま)いて大(おほい)に画策(くわくさく)して居(ゐ)るのです。096大体(だいたい)日本(につぽん)政府(せいふ)殊(こと)に外務省(ぐわいむしやう)の腰(こし)が弱(よは)いものだから097到底(たうてい)吾々(われわれ)の計画(けいくわく)は成功(せいかう)しない。098そこで何(ど)うしても東亜(とうあ)の聯盟(れんめい)を計(はか)るには蒙古(もうこ)に根拠(こんきよ)を置(お)かねばならぬ。099蒙古(もうこ)は最(もつと)も古(ふる)い国(くに)で喇嘛教(らまけう)の盛(さか)んな土地(とち)です。100而(そ)して蒙古人(もうこじん)は支那人(しなじん)や露西亜(ろしあ)人(じん)を非常(ひじやう)に嫌(きら)つて居(ゐ)る。101彼(かれ)等(ら)は日本人(につぽんじん)と何(ど)うかして完全(くわんぜん)な提携(ていけい)をなし、102殆(ほと)んど亡国(ばうこく)に瀕(ひん)せる蒙古(もうこ)を再興(さいこう)せむと焦慮(せうりよ)して居(ゐ)るのです。103吾々(われわれ)満州(まんしう)浪人(らうにん)の生命(せいめい)とする所(ところ)は104蒙古(もうこ)の大平野(だいへいや)に新王国(しんわうこく)を建設(けんせつ)するにあるのです。105慓悍(へうかん)なる蒙古人(もうこじん)を心服(しんぷく)させるには何(ど)うしても宗教(しうけう)で無(な)くては駄目(だめ)です。106何(ど)うか先生(せんせい)済南(さいなん)行(ゆ)きも結構(けつかう)でせうが、107それは後(あと)に廻(まは)して兎(と)も角(かく)蒙古(もうこ)の一部(いちぶ)なりとも探検(たんけん)して貰(もら)ふ訳(わけ)には行(ゆ)きますまいか。108決(けつ)して之(これ)は一個人(いちこじん)の為(た)めではない、109我(わが)同胞(どうはう)一般(いつぱん)の安全(あんぜん)の為(た)め、110東亜(とうあ)の民衆(みんしう)の為(た)めですから』
111日出雄(ひでを)『お説(せつ)を承(うけたま)はつて私(わたし)は益々(ますます)入蒙(にふもう)の決心(けつしん)が固(かた)まつたやうです。112併(しか)し乍(なが)ら五大教(ごだいけう)道院(だうゐん)紅卍字(こうまんじ)会(くわい)や、113悟善社(ごぜんしや)から迎(むか)ひに来(き)て居(ゐ)ますので、114隆光彦(たかてるひこ)さんに一歩先(ひとあしさき)へ行(い)つて貰(もら)ひ、115準備(じゆんび)の整(ととの)つた上(うへ)先(ま)づ北京(ペキン)済南(さいなん)に出張(しゆつちやう)したいのです。116而(そ)して何(ど)うしても神戸(かうべ)道院(どうゐん)の開院式(かいゐんしき)には帰(かへ)らなくてはなりません。117僅(わづ)か半月(はんつき)斗(ばか)りの間(あひだ)に蒙古(もうこ)にも行(ゆ)き、118北京(ペキン)、119済南(さいなん)にも行(ゆ)くと云(い)ふ事(こと)は到底(たうてい)出来(でき)ますまい。120今回(こんくわい)は蒙古(もうこ)のお話(はなし)を聞(き)いただけに止(と)めておいて、121最初(さいしよ)の目的(もくてき)たる北京(ペキン)、122済南(さいなん)に旅行(りよかう)したいと思(おも)ひます』
123隆光彦(たかてるひこ)『先生(せんせい)124是非(ぜひ)北京(ペキン)済南(さいなん)の方(はう)から片附(かたづ)けて貰(もら)ひたいものです。125侯(こう)延爽(えんさう)に先生(せんせい)のお出(いで)になる事(こと)を、126前以(まへもつ)て発電(はつでん)しておきました、127此処(ここ)で貴方(あなた)を取(と)り逃(に)がし蒙古(もうこ)にやつては128紅卍字(こうまんじ)会(くわい)の諸氏(しよし)に対(たい)し私(わたくし)の顔(かほ)が立(た)ちませぬから、129蒙古(もうこ)は後(あと)に廻(まは)して貰(もら)ひたいものです。130道院(だうゐん)の開院式(かいゐんしき)には先生(せんせい)が帰(かへ)つて居(を)られねば遠近(ゑんきん)の信者(しんじや)が非常(ひじやう)に力(ちから)を落(おと)しますから』
131日出雄(ひでを)『それもさうだな。132乩示(けいじ)[*底本(全集)では「乩示」のフリガナは「ちじ」。校定版では「ふうち」、愛善世界社版では「けいじ」。第4章(全集p26、校定版p34、愛善世界社版p34)の「乩示」にはいずれも「けいじ」とフリガナが付いている。霊界物語ネットでは第4章と同じように「けいじ」に直した。]によつて神戸(かうべ)道院(だうゐん)の責任(せきにん)統掌(とうしやう)に任(にん)ぜられて居(ゐ)るのだから、133此方(こつち)を後(あと)にする事(こと)は出来(でき)ないだらう』
134岡崎(をかざき)『それもさうでせうが、135北村(きたむら)さまは副統掌(ふくとうしやう)ぢやありませぬか、136統掌(とうしやう)に差支(さしつかへ)のあつた時(とき)事務(じむ)を代弁(だいべん)するための副統掌(ふくとうしやう)でせう。137国家(こくか)の一大事(いちだいじ)には代(か)へられますまい。138まげて蒙古入(もうこいり)を願(ねが)ひたいのです。139そして蒙古(もうこ)の英雄(えいいう)、140馬賊(ばぞく)の大頭目(だいとうもく)たる盧(ろ)占魁(せんくわい)が、141もう既(すで)に既(すで)に先生(せんせい)のお出(いで)を待(ま)つて居(ゐ)ますから、142是非(ぜひ)共(とも)今晩(こんばん)の中(うち)に面会(めんくわい)して頂(いただ)きたいものです。143此処(ここ)に居(を)られる揚(やう)萃廷(すゐてい)氏(し)は旧(もと)は某県(ぼうけん)の知事(ちじ)を勤(つと)めて居(ゐ)た人(ひと)で、144今(いま)は某(ぼう)新聞(しんぶん)記者(きしや)です。145此(この)人(ひと)が盧(ろ)占魁(せんくわい)の代理(だいり)として見(み)えたのですから、146盧(ろ)氏(し)の心(こころ)も酌(く)み取(と)つて抂(ま)げて入蒙(にふもう)して頂(いただ)きたいものです』
147日出雄(ひでを)『盧(ろ)は蒙古(もうこ)の英雄(えいゆう)だと云(い)ふ事(こと)は予(か)ねて聞(き)いて居(ゐ)ますが、148満蒙(まんもう)に於(お)ける盧(ろ)の勢力(せいりよく)は何(ど)んなものでせうか』
149岡崎(をかざき)『盧(ろ)の位置(ゐち)は日本人(につぽんじん)で云(い)へば伊藤(いとう)博文(はくぶん)の様(やう)な名望家(めいばうか)です。150そして蒙古(もうこ)の王族(わうぞく)や、151住民(ぢうみん)や、152馬賊(ばぞく)などは盧(ろ)占魁(せんくわい)を救世主(きうせいしゆ)の如(ごと)く尊敬(そんけい)して居(ゐ)ます。153子供(こども)が泣(な)いた時(とき)、154盧(ろ)が来(く)ると云(い)へば子供(こども)[*底本(全集)では「小供が泣いた時(略)子供が」だが、「小供」を「子供」に直した。]が泣(な)きやむと云(い)ふ如(ごと)き勢力(せいりよく)で、155沢山(たくさん)の部下(ぶか)を有(いう)し、156其(その)部下(ぶか)は盧(ろ)の為(た)めには一(ひと)つよりない命(いのち)を捨(す)てても構(かま)はないと云(い)ふ位(くらゐ)ですから、157彼(かれ)をお使(つか)ひになつて、158マホメツト式(しき)に蒙古(もうこ)に大本(おほもと)王国(わうごく)を建設(けんせつ)し、159帝国(ていこく)の新(しん)植民地(しよくみんち)を拓(ひら)く事(こと)に努力(どりよく)せられたならば屹度(きつと)成功(せいこう)するでせう。160肇国会(てうこくくわい)に於(おい)ても此(この)事業(じげふ)に付(つ)いては全力(ぜんりよく)を傾注(けいちう)して居(ゐ)ますが、161何分(なにぶん)中堅(ちうけん)となつて蒙古(もうこ)に進出(しんしゆつ)する人物(じんぶつ)が無(な)いので困(こま)つて居(ゐ)るのです』
162日出雄(ひでを)『私(わたし)は単(たん)なる宗教家(しうけうか)であつて政治(せいぢ)に疎(うと)く、163且(か)つ軍隊(ぐんたい)に関(くわん)する智識(ちしき)はゼロですから駄目(だめ)だらうと思(おも)ひます』
164岡崎(をかざき)『先生(せんせい)そんな御(ご)心配(しんぱい)はいりますまい。165何(なん)と云(い)つても数万(すうまん)の部下(ぶか)を有(いう)する蒙古(もうこ)の英雄(えいいう)を従(した)がへて行(ゆ)くのですから、166屹度(きつと)目的(もくてき)は成就(じやうじゆ)するでせう。167先(ま)づ大庫倫(だいクウロン)を根拠(こんきよ)とし新彊(しんきやう)を手(て)に入(い)れ赤軍(せきぐん)を言向(ことむ)け和(や)はすには、168盧(ろ)占魁(せんくわい)位(ぐらゐ)適当(てきたう)な人物(じんぶつ)はありますまい。169ナア佐々木(ささき)、170大倉(おほくら)171さうぢやないか』
172と二人(ふたり)の満州(まんしう)浪人(らうにん)を顧(かへり)みた。
173 佐々木(ささき)、174大倉(おほくら)の両人(りやうにん)は、
175佐々木、大倉『成程(なるほど)君(きみ)の云(い)ふ通(とほ)りだ。176是非(ぜひ)共(とも)先生(せんせい)と盧(ろ)占魁(せんくわい)との提携(ていけい)を願(ねが)ひたいものだ。177世間(せけん)の奴(やつ)は吾々(われわれ)が先生(せんせい)と共(とも)に行動(かうどう)するのを見(み)て178満州(まんしう)浪人(らうにん)が又(また)日本(につぽん)の宗教家(しうけうか)を喰物(くひもの)にしよると云(い)ふ連中(れんぢう)があるかも知(し)れないが、179吾々(われわれ)は決(けつ)して左様(さやう)な人物(じんぶつ)ではありませぬ。180其処(そこ)等(ら)にゴロついて居(ゐ)る満州(まんしう)ゴロとは些(すこ)し違(ちが)つた考(かんが)へを持(も)つて居(ゐ)ます。181何(ど)うか岡崎(をかざき)の説(せつ)に賛成(さんせい)して貰(もら)へますまいか』
182 日出雄(ひでを)は暫(しばら)く考(かんが)へた後(のち)、183面(おもて)を輝(かがや)かし乍(なが)ら、
184日出雄『実(じつ)は私(わたし)も日本(につぽん)の官憲(くわんけん)や有識(いうしき)階級(かいきふ)及(およ)び日本人(につぽんじん)の大多数(だいたすう)から、185大本(おほもと)事件(じけん)の突発(とつぱつ)によつて大(おほい)なる誤解(ごかい)を受(う)け且(か)つ圧迫(あつぱく)を加(くは)へられて居(ゐ)るのです。186夫(そ)れ故(ゆゑ)是非(ぜひ)共(とも)私(わたし)は此(この)際(さい)一(ひと)つ国家(こくか)の為(た)めになる大事業(だいじげふ)を完成(くわんせい)して、187日頃(ひごろ)主張(しゆちやう)せる愛神(あいしん)、188勤王(きんわう)、189報国(はうこく)の至誠(しせい)を天下(てんか)に発表(はつぺう)し、190今迄(いままで)の疑惑(ぎわく)を解(と)くべき必要(ひつえう)に迫(せま)られて居(を)ります。191現代(げんだい)の内憂(ないいう)外患(ぐわいくわん)交々(こもごも)到(いた)り、192国難来(こくなんらい)の声(こゑ)喧(かま)びすしき我(わが)皇国(くわうこく)の為(た)め、193東亜(とうあ)の平和(へいわ)的(てき)聯盟(れんめい)を実現(じつげん)する為(た)め、194神(かみ)様(さま)の御(ご)経綸(けいりん)を遂行(すひかう)せなくてはならないのです。195今(いま)の時(とき)に当(あた)つて帝国(ていこく)の為(た)め、196一身(いつしん)一家(いつか)を賭(と)して大経綸(だいけいりん)を行(おこな)はねば、197我(わが)国家(こくか)の前途(ぜんと)は実(じつ)に憂(うれ)ふべき運命(うんめい)に見舞(みま)はれはしないかと憂慮(いうりよ)して居(ゐ)るのです。198兎(と)に角(かく)其(その)盧(ろ)占魁(せんくわい)の宅(たく)に参(まゐ)り同氏(どうし)の意見(いけん)を聞(き)いた上(うへ)で決定(けつてい)する事(こと)に致(いた)しませう』
199 一行(いつかう)は同夜(どうや)八時半(はちじはん)二台(にだい)の自動車(じどうしや)を連(つら)ねて奉天城(ほうてんじやう)小南辺(せうなんへん)門外(もんぐわい)、200盧(ろ)の公館(こうくわん)へと馳(は)せつけた。
201(大正一四、八、一五、筆録)
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