霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第一八章 蒙古(もうこ)気質(きしつ)

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 特別篇 山河草木 入蒙記 篇:第3篇 洮南より索倫へ よみ(新仮名遣い):とうなんよりそーろんへ
章:第18章 蒙古気質 よみ(新仮名遣い):もうこきしつ 通し章番号:
口述日:1925(大正14)年08月 口述場所: 筆録者: 校正日: 校正場所: 初版発行日:1935(昭和10)年4月30日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]:
蒙古の宗教はラマ教である。ラマ寺はチベット式に建てられており、一つのラマ廟には、少なくて三百人、多くて七、八万人のラマ僧が大市街を構えている。
大庫倫には、先年清朝にそむいて蒙古皇帝を名乗った活仏があったが、現在は活仏の権威は有名無実なものとなり、ロシアの赤軍が割拠しているのだという。大庫倫には百七、八十万人の人口があり、日本人も数名住んでいるとのことである。
日出雄は蒙古の奥へ来てから、大神様のおかげにより、人民に尊敬され、心の限りの待遇を受けていた。一時的に老印君ほか二三の役人にやや冷遇を受けはしたが、一般の蒙古人からは少しもそのような扱いを受けなかったのである。
蒙古人の天真爛漫、子供のような性情に接して、まだ世の中に活きた生命のあることが楽しく思われた。
四月十四日に盧占魁は二百人の手兵を引率して、公爺府に到着した。盧は大勢の部下の前で日出雄に抱きついてうれし泣きに泣いた。日出雄も感慨の念に打たれたのである。互いに旅情を慰めあった後は、真澄別が事務を盧と協議した。
日出雄一行の日本人らは、蒙古人の歓待を受けた後、自分の子供をもらってくれとあちらこちらで請われて、迷惑をしていた。聞いてみると、日本人であれば、しかるべき世話をしてもらえるだろうから、という親心から来ているのだという。
ある日、ラマ僧が病人を祈祷をしているところへ出くわした。日出雄は家の主人に、病人を治してやろうと言い、病人の額に手を乗せて「悪魔よ、去れッ」と一喝した。たちまちに病人は全快し、ラマ僧たちは驚いて日出雄をますます尊敬するようになった。
白凌閣は日出雄、真澄別以外の日本人の言うことを聞かないので、あるとき猪野は怒って白凌閣の横顔を木片で殴りつけた。白は顔面が腫れ上がり、地がにじみ出たが、このことを自分の父に告げようともしなかった。
日出雄は見かねて白の手当てをし、鎮魂を施した。三十分もすると、腫れは引いてしまった。日出雄は白に、日本人にひどい目に合わされても、自分の親に告げに行かなかったのは感心だ、と言った。すると白は、『大先生の家来になったのだから、もはや父母を頼ることはできない。また、先生の代理である真澄別さんの言うことは聞きますが、その他の日本人に服従する義務はありません。道ならぬことをすれば、蒙古男子の恥になります。』と言った。
日出雄は感心して白を誉めたが、日本の慣習を言って聞かせて、今後は他の日本人の言うことも聞き、世話もしてもらいたい、と諭した。その後は白は他の日本人の言うことも聞くようになった。
またある日、白の父が訪ねてきて、一人息子だからあまり遠いところにはやりたくない、と日出雄に依頼して来た。日出雄は気の毒に思い、親孝行のために、父の言に従うよう白に諭した。
すると白は、蒙古男子がいったん誓った言葉は金鉄ですから、といって聞かない。これを見た父は観念したと見えて、『息子をよろしくお願いします』と言ったきり、公爺府出発の日にも訪ねては来なかった。
これらをみても、蒙古人の男性的気性が窺い知れるのである。後に白はパインタラでも難を逃れて、公爺府に無事に帰りつくことができた。これもこういう心がけであったから、神の保護を受けたものであろう。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考:2024/1/18出口王仁三郎全集第6巻を底本として校正。 タグ: データ凡例: データ最終更新日:2024-01-18 01:36:30 文字数:4033 OBC :rmnm18
愛善世界社版:161頁 八幡書店版:第14輯 607頁 修補版: 校定版:161頁 普及版: 初版: ページ備考:
001 蒙古(もうこ)の宗教(しうけう)は皆(みな)喇嘛教(ラマけう)で戸毎(こごと)に仏壇(ぶつだん)を鄭重(ていちよう)に祀(まつ)つてゐる。002そして喇嘛寺(ラマでら)は凡(すべ)て西蔵(チベツト)式(しき)に建(た)てられ、003矮小(わいせう)な貧弱(ひんじやく)な蒙古人(もうこじん)に似(に)ず、004巍然(きぜん)として雲(くも)に聳(そび)へ、005遠方(ゑんぱう)より凝視(ぎようし)すれば恰(あだか)も立派(りつぱ)な洋館(やうくわん)が立並(たちなら)んだやうに見(み)える。006さうして一(ひと)つの喇嘛廟(ラマメウ)には、007最(もつと)も少(すくな)いのが三百(さんびやく)人(にん)、008多(おほ)いのになると七八(しちはち)万(まん)人(にん)の喇嘛(ラマ)が廟(メウ)を中心(ちうしん)として、009普通(ふつう)民家(みんか)とは変(かは)つた立派(りつぱ)な居宅(きよたく)を構(かま)へて大市街(だいしがい)をなしてゐる。010先年(せんねん)支那(しな)政府(せいふ)に背(そむ)いて独立(どくりつ)を宣言(せんげん)し、011蒙古(もうこ)皇帝(くわうてい)となつた大庫倫(だいクーロン)の活仏(くわつぶつ)が住(す)んで居(ゐ)る喇嘛廟(ラマメウ)の如(ごと)きは、012三十(さんじふ)万(まん)の喇嘛僧(ラマそう)が沢山(たくさん)な住宅(ぢうたく)を並(なら)べて住(す)んでゐる。013現今(げんこん)では皇帝(くわうてい)の位(くらゐ)も大活仏(だいくわつぶつ)の権威(けんい)も全然(ぜんぜん)有名(いうめい)無実(むじつ)になつて了(しま)ひ、014露西亜(ロシア)の赤軍(せきぐん)が自由(じいう)自在(じざい)に我儘(わがまま)を振舞(ふるま)つてゐる。015さうして大庫倫(だいクーロン)には一百(いつぴやく)七八十(しちはちじふ)万(まん)の人口(じんこう)があつて、016日本人(につぽんじん)も数名(すうめい)住(すま)つてゐると云(い)ふ事(こと)である。017それから英(えい)、018米(べい)、019仏(ふつ)、020露(ろ)の人間(にんげん)が二万(にまん)許(ばか)り住居(ぢうきよ)し、021ヤソ教(けう)の教会堂(けうくわいだう)も建(た)つて居(ゐ)るが、022蒙古人(もうこじん)の信者(しんじや)は一人(ひとり)もないと云(い)ふ事(こと)である。023喇嘛教(ラマけう)と云(い)ふのは俗称(ぞくしよう)であつて、024喇嘛(ラマ)は蒙古語(もうこご)の僧侶(そうりよ)といふ意味(いみ)で、025その実(じつ)は仏陀教(ぶつだけう)と云(い)ふのが正当(せいたう)である。026蒙古(もうこ)では各地(かくち)の王(わう)様(さま)よりも活仏(くわつぶつ)の方(はう)が上位(じやうゐ)に居(を)り、027国民(こくみん)の信用(しんよう)も尊敬(そんけい)も王(わう)様(さま)に比(ひ)して非常(ひじやう)に高(たか)い。028蒙古(もうこ)は喇嘛(ラマ)の国(くに)と云(い)はれる程(ほど)あつて、029総人口(そうじんこう)の四分(よんぶん)の一(いち)以上(いじやう)は喇嘛(ラマ)である。030何(いづ)れも暗愚(あんぐ)な無学(むがく)な売主(まいす)坊主(ばうず)計(ばか)りであつて、031蒙古人(もうこじん)の尊敬(そんけい)の的(まと)となつてゐる活仏(くわつぶつ)でさへも、032自分(じぶん)の地位(ちゐ)を利用(りよう)し、033沢山(たくさん)な女(をんな)を姦(かん)し、034梅毒(ばいどく)に悩(なや)んで、035病毒(びやうどく)の伝播(でんぱ)を行(や)つて居(ゐ)るのが多(おほ)い。
036 一般(いつぱん)の蒙古人(もうこじん)は貞操(ていさう)の念(ねん)強(つよ)く、037有夫姦(いうふかん)等(など)の忌(いま)はしい醜行(しうかう)は微塵(みぢん)も無(な)い。038さうして一夫(いつぷ)多妻(たさい)であり乍(なが)ら、039狭(せま)い一(ひと)つの家(いへ)に沢山(たくさん)の女房(にようばう)が一所(いつしよ)に暮(くら)して居(ゐ)て、040少(すこ)しも悋気(りんき)喧嘩(けんくわ)が起(おこ)らないのである。041気候(きこう)の故(ゆゑ)と淡白(たんぱく)な食物(しよくもつ)の影響(えいきやう)であらうが、042蒙古人(もうこじん)は余(あま)り色情(しきじやう)等(とう)には趣味(しゆみ)を有(も)たぬ人間(にんげん)らしい。
043 それに引替(ひきか)へ衆生(しゆじやう)済度(さいど)の地位(ちゐ)にある高僧(かうそう)連(れん)は盛(さか)んに醜行(しうかう)をなし、044風俗(ふうぞく)壊乱(くわいらん)の首魁者(しゆくわいしや)となつてゐる。045然(しか)し乍(なが)ら蒙古人(もうこじん)は活仏(くわつぶつ)の醜行(しうかう)に対(たい)しては少(すこ)しも咎(とが)めない。046活仏(くわつぶつ)のお手(て)が掛(かか)つた娘(むすめ)は仏縁(ぶつえん)に依(よ)つて立派(りつぱ)な夫(をつと)に嫁(か)しづく事(こと)が出来(でき)ると云(い)つて寧(むし)ろ歓迎(くわんげい)してゐる風(ふう)である。
047 日出雄(ひでを)は数千(すうせん)里(り)を隔(へだ)てた蒙古(もうこ)の奥(おく)へ来(き)て、048其(その)人民(じんみん)からは神(かみ)の如(ごと)くに尊敬(そんけい)され、049心限(こころかぎ)りの待遇(たいぐう)を受(う)けて、050全(まつた)く大神(おほかみ)様(さま)のおかげだと喜(よろこ)んで居(ゐ)た。051日出雄(ひでを)の神徳(しんとく)は赫々(かくかく)として旭日(きよくじつ)昇天(しようてん)の如(ごと)く、052遠近(ゑんきん)の蒙古人(もうこじん)に取囲(とりかこ)まれて面白(おもしろ)き月日(つきひ)を送(おく)つてゐた。053一時(いちじ)老(らう)印君(いんくん)等(とう)の支那(しな)政府(せいふ)に憚(はばか)つて稍(やや)冷遇(れいぐう)をされた傾(かたむ)きがあつたが、054之(これ)は老(らう)印君(いんくん)其(その)外(ほか)公爺府(コンエフ)に仕(つか)へて居(ゐ)る二三(にさん)の役員(やくゐん)のみに限(かぎ)つたので、055一般人(いつぱんじん)からは少(すこ)しも冷遇(れいぐう)は受(う)けなかつた。056又(また)内地人(ないちじん)や支那人(しなじん)の狡猾(かうくわつ)なるに比(くら)べて蒙古人(もうこじん)は真(しん)に天真(てんしん)爛漫(らんまん)、057その性情(せいじやう)は子供(こども)の如(ごと)く、058神代(かみよ)の人(ひと)の如(ごと)くである。059現代(げんだい)の如(ごと)き悪化(あくくわ)した世(よ)の中(なか)に、060こんな天国(てんごく)があるかと思(おも)へば、061まだ世(よ)の中(なか)に活(い)きた生命(せいめい)のある事(こと)を楽(たの)しく思(おも)はれるのである。
062 さて四(し)月(ぐわつ)十四日(じふよつか)、063西北(せいほく)自治軍(じちぐん)総司令(そうしれい)上将(じやうしやう)として盧(ろ)占魁(せんくわい)は二百(にひやく)人(にん)の手兵(しゆへい)を引率(いんそつ)[*底本(全集)では「引卒」。]し、064轎車(けうしや)に乗(の)つて無事(ぶじ)公爺府(コンエフ)に到着(たうちやく)した。065盧(ろ)は直(す)ぐ様(さま)仮(かり)司令部(しれいぶ)に入(い)り、066其(その)足(あし)で日出雄(ひでを)の宿舎(しゆくしや)を訪(たづ)ねて来(き)た。067日出雄(ひでを)は盧(ろ)が来(き)たと云(い)ふので門口(かどぐち)に出迎(でむか)へると、068盧(ろ)占魁(せんくわい)は大勢(おほぜい)の兵士(へいし)の前(まへ)で日出雄(ひでを)に抱(だ)きついて嬉(うれ)し泣(な)きに泣(な)いた。069日出雄(ひでを)の目(め)にも感慨(かんがい)無量(むりやう)の涙(なみだ)が浮(うか)んでゐた。070それから盧(ろ)占魁(せんくわい)は鎮国公(ちんこくこう)から送(おく)られた純白(じゆんぱく)の乗馬(じやうば)を日出雄(ひでを)に送(おく)り、071且(か)つ沢山(たくさん)の菓子(くわし)や果物(くだもの)をすすめて旅情(りよじやう)を慰(なぐさ)めた。
072 其(その)後(ご)は真澄別(ますみわけ)が代(かは)つて凡(すべ)ての事務(じむ)を盧(ろ)と協議(けふぎ)する事(こと)となつた、073日出雄(ひでを)は歌(うた)を詠(よ)んだり、074詩(し)を作(つく)つたり、075日記(につき)を書(か)いたり、076喇嘛(ラマ)や村人(むらびと)に覚束(おぼつか)ない蒙古語(もうこご)で神(かみ)の教(をしへ)を説(と)き諭(さと)してゐた。
077 公爺府(コンエフ)の傍(かたはら)に小(ささ)やかな家(いへ)があつて、078そこの主人(しゆじん)は丑他阿里太(ウツタアリタ)と云(い)ひ二人(ふたり)の妻君(さいくん)を持(も)つてゐる。079さうして一男(いちなん)二女(にぢよ)があり、080長女(ちやうぢよ)を丑他倶喇(ウツタグラ)と云(い)ひ、081日出雄(ひでを)が門前(もんぜん)を通(とほ)ると主人(しゆじん)が、
082丑他阿里太『モンドユー、083イホエミト、084ポロハナ、085イルジー イルジー』
086と頻(しき)りに招(まね)くので白凌閣(パイリンク)と共(とも)に小(ちひ)さい蒙古包(もうこはう)の中(なか)へ這入(はい)ると、
087丑他阿里太『今日(けふ)は喇嘛僧(ラマそう)を二十(にじふ)人(にん)許(ばか)り呼(よ)んで、088御(ご)馳走(ちそう)をするのですから、089ナラヌオロスのポロハナに先(さき)に食(く)つて頂(いただ)き度(た)い』
090と云(い)つて、091メリケン粉(こ)の団子(だんご)に羊(ひつじ)の肉(にく)を餡(あん)とし、092爐(ホープン)の上(うへ)で牛糞(ぎうふん)の火(ひ)で茹(ゆ)でた団子(だんご)を食(く)へとすすめる。093日出雄(ひでを)は妙(めう)な臭(にほひ)のする団子(だんご)を勧(すす)められ迷惑(めいわく)したが、094蒙古人(もうこじん)の好意(かうい)を否(いな)む訳(わけ)にも行(ゆ)かず、095感謝(かんしや)して二(ふた)つ三(みつ)つ頬張(ほほば)つた。096其(そ)の家(いへ)の妻(つま)は頻(しき)りに茶(ちや)を汲(く)んだり、097団子(だんご)を持(も)つて来(き)て勧(すす)める。098日出雄(ひでを)は、
099日出雄『此(こ)の上(うへ)団子(だんご)は腹(はら)が大(おほ)きくて食(く)へない』
100と云(い)つて体(てい)よく断(ことは)り、101茶(ちや)と煙草(たばこ)を頻(しき)りに乾燥(かんさう)した口(くち)の中(なか)へ放(はう)り込(こ)んでゐた。102此処(ここ)の娘(むすめ)の丑他倶喇(ウツタグラ)は当年(たうねん)十四(じふよん)歳(さい)で珍(めづ)らしい美人(びじん)であり、103年(とし)に似合(にあ)はぬ大柄(おほがら)であつた。
104 ウツタグラと云(い)ふ名義(めいぎ)は東洋一(とうやういち)の美人(びじん)と云(い)ふ意味(いみ)である。105どこともなく威厳(ゐげん)が備(そな)はり、106色(いろ)が白(しろ)くて目元(めもと)が涼(すず)しく、107丁度(ちやうど)観世音(くわんぜおん)菩薩(ぼさつ)の様(やう)な姿(すがた)である。108日出雄(ひでを)は此(この)少女(せうぢよ)に向(むか)つて、
109日出雄『チンニセーナホンモン(汝(なんぢ)、110美人(びじん))』
111と称揚(しようやう)すると、112その父親(ちちおや)が直(す)ぐに日出雄(ひでを)に向(むか)つて、
113丑他阿里太『ピーシヤ、114ムツトルテ、115チンニン、116ウツタグラ、117シヤルトゲヤ』
118と云(い)つた。119此(この)意味(いみ)は、
120『貴下(きか)は立派(りつぱ)な人(ひと)である。121私(わたし)の娘(むすめ)ウツタグラを貴下(きか)にあげませう』
122と云(い)ふのである。123そこで日出雄(ひでを)は何(なん)とも答(こた)へず笑(わら)つて帰(かへ)つて来(き)た。124さうすると其(その)翌日(よくじつ)から少女(せうぢよ)がボロボロの着物(きもの)を立派(りつぱ)な衣服(いふく)に着換(きか)へて、125日出雄(ひでを)の側(そば)へやつて来(き)て、126茶(ちや)を汲(く)んだり、127ハンケチを湯(ゆ)に絞(しぼ)つたりして、128身(み)を忘(わす)れて世話(せわ)をした。129よくよく聞(き)いて見(み)ると『日本(につぽん)の活仏(くわつぶつ)だから決(けつ)して妻子(さいし)は無(な)いであらう。130此(この)娘(むすめ)を上(あ)げたならば、131屹度(きつと)自分(じぶん)の子(こ)として相当(さうたう)の処(ところ)へ嫁(かしづ)けてくれるだらう』と親心(おやごころ)から思(おも)つたのだと云(い)ふ。132蒙古人(もうこじん)は日本人(につぽんじん)を見(み)ると『自分(じぶん)の子(こ)をやらうやらう』と云(い)ふ癖(くせ)がある。133一行(いつかう)の日本人(につぽんじん)も、134あちらや、135こちらで『子(こ)をやらうか』と云(い)はれて有難(ありがた)迷惑(めいわく)を感(かん)じてゐた。
136○
137 或日(あるひ)ウツタナストの隣家(りんか)に三十(さんじふ)人(にん)許(ばか)りの喇嘛(ラマ)が集(あつま)つて朝(あさ)の六(ろく)時(じ)頃(ごろ)から夕方(ゆふがた)まで陀々(ダダ)仏陀(ブダ)々々(ダダ)々々(ブダ)とのべつ幕(まく)なしに経文(きやうもん)を挙(あ)げてゐるので日出雄(ひでを)は怪(あや)しんで其(そ)の家(いへ)に這入(はい)り覗(のぞ)いて見(み)ると、138一人(ひとり)の大病人(だいびやうにん)を真中(まんなか)に置(お)いて喇嘛(ラマ)が一生(いつしやう)懸命(けんめい)の祈願(きぐわん)をやつて居(ゐ)た。139病人(びやうにん)はダンダンと苦(くる)しむ許(ばか)りで少(すこ)しも快方(くわいはう)に向(むか)はない。140喇嘛(ラマ)の云(い)ふのには、
141喇嘛『一日(いちにち)も早(はや)く国替(くにがへ)さして天国(てんごく)に救(すく)ひ、142病気(びやうき)の苦(く)を救(すく)ふ為(ため)に臨終(りんじう)の早(はや)くなる様(やう)に祈願(きぐわん)してゐるのだ』
143と云(い)つてゐる。144そこで日出雄(ひでを)は家(いへ)の主人(しゆじん)に向(むか)ひ、
145日出雄『即座(そくざ)に此(この)病気(びやうき)をなほしてやらうか』
146と云(い)つたら147主人(しゆじん)は低頭(ていとう)平身(へいしん)して祈祷(きたう)を頼(たの)むだ。148日出雄(ひでを)は直(ただち)に数多(あまた)の喇嘛(ラマ)に会釈(ゑしやく)し、149病人(びやうにん)の額(ひたひ)に軽(かる)く手(て)をのせ『悪魔(あくま)よ、150去(さ)れツ』と一喝(いつかつ)した。151忽(たちま)ち大熱(だいねつ)は醒(さ)め、152其(その)場(ば)で病人(びやうにん)がムクムクと起上(おきあが)り、153嬉(うれ)しさうにゲラゲラ笑(わら)ひ出(だ)した。
154 余(あま)りの奇瑞(きずゐ)に喇嘛僧(ラマそう)は驚(おどろ)いて155益々(ますます)日出雄(ひでを)を大活仏(だいくわつぶつ)として尊敬(そんけい)するやうになつた。156守高(もりたか)と名田彦(なだひこ)とが柔術(じうじゆつ)の自慢(じまん)を朝(あさ)から晩(ばん)まで引(ひ)つきりなしにやるので、157岡崎(をかざき)や王(わう)元祺(げんき)が立腹(りつぷく)してゐる処(ところ)へ、158名田彦(なだひこ)が岡崎(をかざき)の手(て)を握(にぎ)つて自慢(じまん)げに『柔術(じうじゆつ)はこんなものだ』と云(い)つた所(ところ)、159岡崎(をかざき)はカツと怒(いか)つて小便(せうべん)のしてあつた金盥(かなだらひ)を名田彦(なだひこ)の顔(かほ)にぶつつけた。160名田彦(なだひこ)は非常(ひじやう)に口惜(くやし)がつたが、161岡崎(をかざき)の権幕(けんまく)に恐(おそ)れ、162且(か)つ日出雄(ひでを)になだめられて歯切(はぎ)しりし乍(なが)らヤツと胸(むね)ををさめた。163それから日本人(につぽんじん)側(がは)は白凌閣(パイリンク)が日出雄(ひでを)と真澄別(ますみわけ)に対(たい)してはいろいろの用(よう)を聴(き)くが、164他(ほか)の者(もの)の云(い)ふ事(こと)を聴(き)かないと云(い)ふので大変(たいへん)に白凌閣(パイリンク)を憎(にく)み、165猪野(ゐの)敏夫(としを)等(ら)は木片(もくへん)を以(も)つて白凌閣(パイリンク)の横(よこ)ツ面(つら)を厳(きび)しく殴(なぐ)りつけた。166忽(たちま)ち顔面(がんめん)脹(は)れ上(あが)り、167血(ち)が滲(にじ)み出(で)た。168白凌閣(パイリンク)は顔(かほ)を抱(かか)へて169蹲(うづく)まり、170涙(なみだ)を流(なが)して気張(きば)つてゐた。171白凌閣(パイリンク)の父(ちち)は同(おな)じ公爺府(コンエフ)の近(ちか)い所(ところ)にゐるけれども、172白(パイ)は此(この)乱暴(らんばう)な日本人(につぽんじん)の仕打(しうち)を父(ちち)に告(つ)げ様(やう)ともせず一歩(いつぽ)も動(うご)かずに泣(な)いてゐた。173日出雄(ひでを)は見兼(みか)ねて白(パイ)の顔(かほ)に焼酎(せうちう)を吹(ふ)きかけてやり、174且(かつ)鎮魂(ちんこん)を施(ほどこ)した処(ところ)、175三十(さんじつ)分間(ぷんかん)程(ほど)の間(あひだ)に脹(はれ)は直(なほ)り、176顔(かほ)も元(もと)に復(ふく)して了(しま)つた。177日出雄(ひでを)は白(パイ)を裏山(うらやま)に散歩(さんぽ)を名(な)として連(つ)れて行(ゆ)き、178覚束(おぼつか)ない蒙古語(もうこご)で、
179日出雄『お前(まへ)は猪野(ゐの)君(くん)にあんなひどい目(め)に会(あ)はされても、180自分(じぶん)の親(おや)に知(し)らしに行(ゆ)かなかつたのは感心(かんしん)だ』
181と云(い)つて褒(ほ)めた処(ところ)、182白(パイ)は喜(よろこ)んで言(い)ふやう、
183白凌閣『私(わたし)は大先生(だいせんせい)の家来(けらい)になつたのですから、184最早(もは)や父(ちち)に頼(たよ)る事(こと)は出来(でき)ませぬ。185さうして私(わたし)は先生(せんせい)のお弟子(でし)となり喇嘛(ラマ)になる積(つも)りですから、186先生(せんせい)の代理(だいり)たる真澄別(ますみわけ)さまの命令(めいれい)は聴(き)きますが、187其(その)他(た)の日本人(につぽんじん)の命令(めいれい)に服従(ふくじう)する義務(ぎむ)はありませぬ。188仮令(たとへ)日本人(につぽんじん)が怒(いか)つて殺(ころ)すとも道(みち)ならぬ人(ひと)の命令(めいれい)は諾(き)きませぬ。189そんな事(こと)をしますと蒙古(もうこ)男子(だんし)の恥(はぢ)になります』
190と云(い)つた。191日出雄(ひでを)は感心(かんしん)して白(パイ)を褒(ほ)めてやり、192さうして日本(につぽん)の風俗(ふうぞく)や習慣(しふくわん)を語(かた)り聞(き)かせ、
193日出雄『お前(まへ)の云(い)ふのも蒙古人(もうこじん)としては尤(もつと)もだらうが、194日本人(につぽんじん)にはそんな理窟(りくつ)は通(とほ)らないから、195間(ま)のある時(とき)は他(た)の日本人(につぽんじん)の言(い)ふ事(こと)も聴(き)き、196世話(せわ)もして貰(もら)ひたい』
197と語(い)つた所(ところ)、198白(パイ)は諾(き)いて其(その)後(ご)は誰彼(たれかれ)の区別(くべつ)なく言(い)ふ事(こと)を諾(き)く様(やう)になつた。199白(パイ)の父(ちち)白厘九(パイリチウ)がやつて来(き)て、
200白厘九『此(こ)の伜(せがれ)は一人(ひとり)息子(むすこ)ですから、201あまり遠(とほ)い所(ところ)へはやり度(た)くありませぬ。202そして白凌閣(パイリンク)には隣村(りんそん)から嫁(よめ)を貰(もら)ふ事(こと)に決(き)まつて居(を)りますから、203何(なん)とかして体(からだ)をあけて貰(もら)ふ事(こと)は出来(でき)ますまいか』
204と丁寧(ていねい)に依頼(いらい)して来(き)た。205日出雄(ひでを)は父(ちち)の言(げん)を聞(き)いて気(き)の毒(どく)に思(おも)ひ、206白凌閣(パイリンク)に、
207日出雄『お前(まへ)は一人(ひとり)息子(むすこ)でもあり、208お前(まへ)の父(ちち)は老年(らうねん)でもあるから大庫倫(だいクーロン)迄(まで)従軍(じうぐん)することは親(おや)に不孝(ふかう)になるかも知(し)れぬ。209そして親(おや)と妻君(さいくん)を残(のこ)して遠征(ゑんせい)に上(のぼ)つても、210お前(まへ)も気(き)が気(き)であるまいから、211父(ちち)の言葉(ことば)に従(したが)へ』
212と云(い)つた所(ところ)、213白(パイ)は首(くび)を左右(さいう)に振(ふ)つて、
214白凌閣『イエイエ一旦(いつたん)蒙古(もうこ)男子(だんし)が誓(ちか)つた言葉(ことば)は金鉄(きんてつ)です。215父(ちち)や妻(つま)は神(かみ)様(さま)に任(まか)せておけば宜(よろ)しい。216私(わたし)は大先生(だいせんせい)の行(ゆ)かるる所(ところ)は何処(どこ)迄(まで)もお供(とも)致(いた)します』
217と云(い)つて聞(き)かないので、218父(ちち)も観念(かんねん)したと見(み)え、
219白厘九『アハヽヽヽヽ』と大(おほ)きく笑(わら)つて、
220白厘九『どうか伜(せがれ)を宜(よろ)しく頼(たの)みます』
221と挨拶(あいさつ)して帰(かへ)つたきり、222日出雄(ひでを)が公爺府(コンエフ)を出立(しゆつたつ)する朝(あさ)迄(まで)、223その父(ちち)は訪(たづ)ねて来(こ)なかつた。224之(これ)を見(み)ても蒙古人(もうこじん)の男性(だんせい)的(てき)気性(きしやう)が知(し)れるのである。
225 彼(かれ)白(パイ)はかう云(い)ふ心掛(こころがけ)を有(も)つて居(ゐ)たから神(かみ)の保護(ほご)を受(う)けたものか、226六(ろく)月(ぐわつ)二十一(にじふいち)日(にち)[*底本(全集)では「二十日」だが、パインタラで捕まったのは21日。]の白音太拉(パインタラ)の遭難(さうなん)の時(とき)も支那兵(しなへい)に捕(とら)へられ、227銃殺(じうさつ)の場(ば)に立(た)たされた一刹那(いつせつな)、228参謀長(さんぼうちやう)が出(で)て来(き)て、
229参謀長『こんな子供(こども)を殺(ころ)した所(ところ)が仕方(しかた)が無(な)い』
230と云(い)つて白(パイ)を逃(に)がしてやつた。231それより白(パイ)は色々(いろいろ)と艱難(かんなん)辛苦(しんく)して232無一物(むいちぶつ)で公爺府(コンエフ)へ無事(ぶじ)帰(かへ)る事(こと)を得(え)たのである。
233(大正一四、八、筆録)
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