霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第一六章 蒙古(もうこ)の人情(にんじやう)

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 特別篇 山河草木 入蒙記 篇:第3篇 洮南より索倫へ よみ(新仮名遣い):とうなんよりそーろんへ
章:第16章 蒙古の人情 よみ(新仮名遣い):もうこのにんじょう 通し章番号:
口述日:1925(大正14)年08月 口述場所: 筆録者: 校正日: 校正場所: 初版発行日:1935(昭和10)年4月30日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]:
蒙古人は剽悍武勇であり、朴直慇懃で、親しみやすい。喜怒哀楽を直にあらわし、子供のように単純である。支那人やロシア人には近年圧迫されたため、彼らを敵視しているが、日本人には憧憬の念を抱いている。
日出雄は公爺府王の親戚に当たる、白凌閣(パイリンク)という十九歳になった青年を弟子となし、また彼から蒙古語を研究した。
蒙古人は嘘をつかず、一度この人と信じたならばその人のために生命まで投げ出すという気性の人種である。日出雄は蒙古人の潔白な精神に非常な満足を覚えた。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考:2024/1/15出口王仁三郎全集第6巻を底本として校正。 タグ: データ凡例: データ最終更新日:2024-01-15 22:06:29 文字数:3784 OBC :rmnm16
愛善世界社版:141頁 八幡書店版:第14輯 599頁 修補版: 校定版:141頁 普及版: 初版: ページ備考:
001 蒙古人(もうこじん)は昔(むかし)から慓悍(ひやうかん)勇武(ゆうぶ)であり、002成吉思汗(ジンギスカン)の鉄騎(てつき)が天地(てんち)を震撼(しんかん)せしめた事(こと)は誰(たれ)も知(し)る所(ところ)である。003現今(げんこん)に於(おい)ても其(その)容貌(ようばう)や風俗(ふうぞく)には昔(むかし)の面影(おもかげ)を残(のこ)して居(ゐ)るやうである。004朴直(ぼくちよく)で慇懃(いんぎん)で親(した)しみやすいと同時(どうじ)に005又(また)感情(かんじやう)的(てき)にして喜怒(きど)哀楽(あいらく)は忽(たちま)ち色(いろ)に現(あら)はし、006其(そ)の一面(いちめん)に於(おい)ては愚鈍(ぐどん)にして、007行蔵(かうざう)頗(すこぶ)る粗野(そや)淡白(たんぱく)で、008さながら小児(せうに)の様(やう)である。009併(しか)し乍(なが)ら近年(きんねん)支那人(しなじん)や露西亜(ろしあ)人(じん)にいろいろと圧迫(あつぱく)せられたので、010両国人(りやうこくじん)を見(み)ること蛇蝎(だかつ)の如(ごと)く嫌(きら)ひ、011支那人(しなじん)露西亜(ろしあ)人(じん)の奥地(おくち)に入(い)るものは、012何(いづ)れも無事(ぶじ)に帰(かへ)る事(こと)は出来(でき)ないのである。013彼(かれ)蒙古人(もうこじん)は支那人(しなじん)、014露西亜(ろしあ)人(じん)に対(たい)しては不倶(ふぐ)戴天(たいてん)の仇(あだ)の様(やう)に思(おも)うて居(ゐ)るが、015之(これ)に反(はん)して日本人(につぽんじん)に憧憬(どうけい)することは実(じつ)に案外(あんぐわい)である。016彼(かれ)等(ら)は大部分(だいぶぶん)は今(いま)や全(まつた)く生存(せいぞん)競争(きやうそう)の圏外(けんぐわい)に超然(てうぜん)として、017更(さら)に利害(りがい)の観念(かんねん)なく、018牛馬(ぎうば)、019羊豚(やうとん)、020駱駝(らくだ)などを唯一(ゆゐいつ)の伴侶(はんりよ)として、021茶(ちや)を呑(の)み、022煙草(たばこ)を吸(す)ひ、023年(ねん)が年中(ねんぢう)ねむつたり、024食(く)つたり、025或(あるひ)は経(きやう)を読(よ)み、026仏(ほとけ)を念(ねん)じ、027死後(しご)の冥福(めいふく)を祈(いの)る外(ほか)余念(よねん)なきが如(ごと)く、028敢(あへ)て複雑(ふくざつ)な人生(じんせい)の苦難(くなん)を知(し)らぬのである。029然(しか)し乍(なが)らもし何(なん)等(ら)かの動機(どうき)に依(よ)つて、030之(これ)を刺戟(しげき)し、031其(その)性情(せいじやう)を反撥(はんぱつ)するものがあれば、032其処(そこ)に必(かなら)ず祖先(そせん)の遺伝(いでん)的(てき)性情(せいじやう)を喚発(くわんぱつ)するであらう。033彼(かれ)等(ら)が駻馬(かんば)に鞭(むちう)つて際限(さいげん)もなき広野(くわうや)を疾駆(しつく)し、034男(をとこ)も女(をんな)も縦横(じうわう)無尽(むじん)に鞍(くら)に跨(またが)り勇壮(ゆうさう)なる活動(くわつどう)をやつて居(ゐ)るのを見(み)れば、035転(うた)た古(いにしへ)の勇敢(ゆうかん)なる民族(みんぞく)の気象(きしやう)を偲(しの)ばせるものがある。036蒙古人(もうこじん)は人(ひと)に接(せつ)する甚(はなは)だ親切(しんせつ)で、037其(その)同族(どうぞく)知己(ちき)の間(あひだ)に於(おい)ては勿論(もちろん)、038外来(ぐわいらい)未知(みち)の日本人(につぽんじん)に対(たい)しても一度(いちど)相(あひ)識(し)るや一家(いつか)挙(こぞ)つて之(これ)を款待(くわんたい)するの風(ふう)がある。039日本人(につぽんじん)と聞(き)けば仮令(たとへ)一人旅(ひとりたび)でも親切(しんせつ)に宿泊(しゆくはく)せしめ、040一家(いつか)挙(こぞ)つて同情(どうじやう)歓迎(くわんげい)し、041些(すこ)しも障壁(しやうへき)を設(まう)けない。042併(しか)し乍(なが)ら西洋人(せいやうじん)や支那人(しなじん)に対(たい)しては或(あるひ)は恐怖(きようふ)し、043或(あるひ)は卑下(ひげ)し044容易(ようい)に家(いへ)へ入(い)るを許(ゆる)さない。
045 日出雄(ひでを)が公爺府(コンエフ)に入(い)るや公府(こうふ)の兵士(へいし)を初(はじ)め、046役人(やくにん)や村民(そんみん)などが嘻々(きき)として集(あつま)り来(きた)り、047隔意(かくい)なく親切(しんせつ)に茶(ちや)を汲(く)んだり、048煙草(たばこ)をすすめたり、049又(また)炊事(すゐじ)の手伝(てつだひ)をしたりして050非常(ひじやう)に款待(くわんたい)し、051村人(むらびと)は一人(ひとり)も残(のこ)らず日々(ひび)訪(たづ)ねきて、052言語(げんご)が通(つう)ぜないにも拘(かか)はらず、053鶏肉(けいにく)や鶏卵(けいらん)や牛乳(ぎうにう)の煎餅(せんべい)や、054炒米(チヨウミイ)などを携(たづさ)へて来(き)て親切(しんせつ)に世話(せわ)をした。055公爺府(コンエフ)の喇嘛僧(らまそう)は日々(ひび)日出雄(ひでを)の傍(かたはら)に出(で)て来(き)て、056鎮魂(ちんこん)を受(う)けたり、057日本服(につぽんふく)を珍(めづ)らしさうに眺(なが)めたりして帰(かへ)つて行(ゆ)く。058さうして蒙古(もうこ)の婦人(ふじん)は朝(あさ)から晩(ばん)まで日出雄(ひでを)の身辺(しんぺん)を取(と)り巻(ま)いて嬉(うれ)しさうに遊(あそ)んで居(ゐ)る。059日出雄(ひでを)は公爺府(コンエフ)王(わう)の親戚(しんせき)に当(あた)る白凌閣(パイリンク)と云(い)ふ十九(じふきう)歳(さい)になつた青年(せいねん)を060王(わう)の承諾(しようだく)を得(え)て弟子(でし)となし、061此(こ)の男(をとこ)に就(つい)て蒙古語(もうこご)の研究(けんきう)を始(はじ)めた。062白凌閣(パイリンク)は蒙古人(もうこじん)に似(に)ず公爺府(コンエフ)の役人(やくにん)から学問(がくもん)を習(なら)ひ、063支那字(しなじ)や蒙古字(もうこじ)をよく知(し)り、064且(か)つ支那語(しなご)をもよくした。065日出雄(ひでを)は此(この)白凌閣(パイリンク)や村人(むらびと)と十日間(とをかかん)程(ほど)遊(あそ)んで居(ゐ)る間(あひだ)に蒙古語(もうこご)を大略(だいりやく)覚(おぼ)え、066蒙古人(もうこじん)と談話(だんわ)を交換(かうくわん)するには余(あま)り差支(さしつか)へない程度(ていど)に迄(まで)進(すす)んだのである。
067 日出雄(ひでを)が公爺府(コンエフ)に着(つ)いた二三(にさん)日目(にちめ)の正午(しやうご)頃(ごろ)、068協理(けふり)老(らう)印君(いんくん)の館(やかた)に遊(あそ)んで居(ゐ)ると、069王(わう)様(さま)が管内(くわんない)の巡視(じゆんし)を終(を)へて数十(すうじふ)人(にん)の兵士(へいし)と共(とも)にラツパを吹(ふ)かせて帰(かへ)つて来(き)た。070さうして王(わう)様(さま)の方(はう)から老(らう)印君(いんくん)の宅(たく)へ出張(しゆつちやう)し、071日出雄(ひでを)に面会(めんくわい)し、072通訳(つうやく)を介(かい)し種々(しゆじゆ)と挨拶(あいさつ)をした。073此(この)王(わう)は宝算(はうさん)正(まさ)に二十三(にじふさん)歳(さい)、074さうして位(くらゐ)は鎮国公(ちんこくこう)で、075巴彦那木爾(パエンナムル)と云(い)ふ人(ひと)である。076色(いろ)の白(しろ)い凛々(りり)しい好男子(かうだんし)であつた。077日出雄(ひでを)は王(わう)様(さま)に土産(みやげ)として懐中(くわいちゆう)電燈(でんとう)一個(いつこ)を贈(おく)つた。078王(わう)は珍(めづ)らしがつて幾度(いくど)も押戴(おしいただ)き嘻々(きき)として受(う)け取(と)つた。079此(こ)の王(わう)様(さま)は未(いま)だ独身(どくしん)で奥(おく)さまが定(きま)つて居(ゐ)ない。080先年(せんねん)巴布札布(パプチヤフ)の挙兵(きよへい)の時(とき)に其(その)居城(きよじやう)を支那兵(しなへい)に荒(あら)され、081且(か)つ財産(ざいさん)を奪(うば)はれ、082今(いま)は非常(ひじやう)に財政(ざいせい)困難(こんなん)に陥(おちい)つて居(ゐ)るので、083それ故(ゆゑ)妻君(さいくん)を娶(めと)るとなれば、084王(わう)として非常(ひじやう)な費用(ひよう)が要(い)るので見合(みあは)せて居(ゐ)ると云(い)ふ事(こと)である。085それに此(こ)の若(わか)い王(わう)様(さま)は北京(ペキン)へ参勤(さんきん)した際(さい)、086支那(しな)芸者(げいしや)から梅毒(ばいどく)をうつされ、087大変(たいへん)困(こま)つて居(ゐ)るとか云(い)ふ話(はなし)であつた。088それから二三(にさん)日(にち)たつと公爺廟(コンエメウ)の活仏(くわつぶつ)が巡錫(じゆんしやく)して来(き)て日出雄(ひでを)に面会(めんくわい)したいと云(い)ふので、089日出雄(ひでを)は老(らう)印君(いんくん)の宅(たく)で会見(くわいけん)した。090此(こ)の活仏(くわつぶつ)は三十(さんじふ)前後(ぜんご)の男(をとこ)で、091公爺府(コンエフ)の王(わう)様(さま)の姉(あね)や妹(いもうと)三(さん)人(にん)迄(まで)妙(みやう)な関係(くわんけい)をつけて居(ゐ)ると云(い)ふ生臭(なまぐさ)坊主(ばうず)である。092此(この)活仏(くわつぶつ)は日出雄(ひでを)が蒙古(もうこ)の救世主(きうせいしゆ)として現(あら)はれたと云(い)ふので敬意(けいい)を表(へう)しに来(き)たのである。093四五(しご)日(にち)すると蒙古(もうこ)の各地(かくち)から、094救世主(きうせいしゆ)来(きた)れりと云(い)ふ噂(うはさ)を聞(き)いて095遠(とほ)きは二百(にひやく)支里(しり)位(ぐらゐ)の所(ところ)から、096大車(だいしや)や轎車(けうしや)に乗(の)つて老若(らうじやく)男女(だんぢよ)[*フリガナ「らうじやくだんぢよ」は底本(全集)通り。]が救(すく)ひを求(もと)めに来(く)る。097余(あま)り忙(いそが)しいので守高(もりたか)が俄(にわか)喇嘛(ラマ)になり、098澄(す)ました顔(かほ)で彼(かれ)等(ら)に鎮魂(ちんこん)の手伝(てつだ)ひをして居(ゐ)た。
099○
100 蒙古(もうこ)の此(この)地方(ちはう)の家屋(かをく)は総(すべ)て矮小(わいせう)で不潔(ふけつ)である。101さうして男(をとこ)も女(をんな)も若布(わかめ)の行列(ぎやうれつ)か襁褓(しめし)の親分(おやぶん)か、102雑巾屋(ざふきんや)の看板尻(かんばんしり)でも喰(くら)へと云(い)ふ様(やう)なボロを身(み)に纏(まと)ひ、103平気(へいき)の平左(へいざ)でやつて来(く)る。104又(また)女(をんな)は前頭部(ぜんとうぶ)にいろいろの宝石(ほうせき)を飾(かざ)り、105耳(みみ)には宝石(ほうせき)の環(わ)をぶら下(さ)げて居(ゐ)る。106さうして家柄(いへがら)の良(よ)い所(ところ)の女(をんな)は環(わ)を三条(みすぢ)下(さ)げ、107中流(ちうりう)は二条(ふたすぢ)、108下流(かりう)は一条(ひとすぢ)の環(わ)をブラ下(さ)げて居(ゐ)る。109娘(むすめ)は皆(みな)下(さ)げ髪(がみ)であるが、110結婚(けつこん)すると同時(どうじ)に髪(かみ)を巻(ま)いて頭(あたま)の上(うへ)にクルクルと束(たば)ねて居(ゐ)る。111さうして下女(げぢよ)には耳(みみ)に環(わ)が無(な)いので、112一見(いつけん)して其(その)婢(はしため)たる事(こと)が判(わか)る。113蒙古人(もうこじん)は家(いへ)の中(なか)であらうが門口(かどぐち)であらうが、114痰唾(たんつば)を吐(は)き、115手涕(てばな)をかみ、116手(て)についた涕(はな)を自分(じぶん)の着衣(ちやくい)に無造作(むざうさ)にこすりつけて居(ゐ)る。117何(いづ)れの家(いへ)にも牛馬(ぎうば)、118羊豚(やうとん)、119鶏(とり)などが沢山(たくさん)に飼(か)うてあり、120朝(あさ)になると家(いへ)の周囲(まはり)に寝(ね)て居(ゐ)る牛馬(ぎうば)などは、121蒙古犬(もうこいぬ)に導(みちび)かれて遠(とほ)い遠(とほ)い山野(さんや)に草(くさ)を食(く)ひに行(ゆ)き、122日没前(にちぼつまへ)になると又(また)犬(いぬ)に守(まも)られてノソリノソリと家(いへ)の周囲(まはり)に帰(かへ)つて来(き)て寝(ね)て了(しま)ふ。123沢山(たくさん)の牛馬(ぎうば)が処(ところ)構(かま)はず糞(くそ)をひるので、124蒙古人(もうこじん)は牛馬(ぎうば)の糞(くそ)をかき集(あつ)めて大(おほ)きな山(やま)を作(つく)るのが何(なに)よりの仕事(しごと)である。125そして家(いへ)の壁(かべ)や垣(かき)などに牛糞(ぎうふん)をベタリと塗(ぬ)り、126又(また)高粱(かうりやう)や炒米(チヨウミイ)の容器(ようき)は楊(やなぎ)の枝(えだ)を編(あ)んで籠(かご)を作(つく)り、127牛糞(ぎうふん)で目(め)をつめて、128食糧品(しよくりやうひん)の容器(ようき)として居(ゐ)る。129温突(をんどる)を焚(た)くのも茶(ちや)を沸(わ)かすのも、130高粱(かうりやう)の粥(かゆ)を煮(に)るのも、131皆(みな)牛糞(ぎうふん)である。132これだけ牧畜(ぼくちく)の盛(さか)んな蒙古(もうこ)に於(おい)て、133牛糞(ぎうふん)を焚(た)かなかつたら、134蒙古(もうこ)の民家(みんか)は牛糞(ぎうふん)で埋(うづ)まるであらう。135牛糞(ぎうふん)の山(やま)は到(いた)る所(ところ)に築(きづ)かれてある。136さうして内地(ないち)の牛糞(ぎうふん)のやうに妙(めう)な臭気(しうき)は無(な)い。137羊肉(やうにく)をあぶつて食(く)らふのも鶏肉(とりにく)をあぶつて食(く)らふのも、138皆(みな)牛糞(ぎうふん)の火(ひ)を用(もち)ひるのである。139潔癖(けつぺき)な日本人(につぽんじん)は土地(とち)に慣(な)れる迄(まで)は、140何(いづ)れも顔(かほ)をしかめ鼻(はな)をつまんで困(こま)つて居(ゐ)る有様(ありさま)だ。
141 蒙古人(もうこじん)は日本(につぽん)の古代人(こだいじん)のやうな魂(たましひ)が残(のこ)つてゐて、142嘘(うそ)と云(い)ふ事(こと)は決(けつ)して知(し)らない。143それ故(ゆゑ)に嘘(うそ)と云(い)ふ言葉(ことば)もなければ、144違(ちが)やしないかと云(い)ふ疑問詞(ぎもんし)もない。145此(この)点(てん)に於(おい)ては実(じつ)に気持(きもち)の好(よ)い国人(くにびと)である。146だから蒙古人(もうこじん)は一度(いちど)此(この)人(ひと)と信(しん)じたならば、147其(その)人(ひと)が如何(いか)なる悪人(あくにん)であらうとも、148そんな事(こと)には頓着(とんちやく)なく因縁(いんねん)だとあきらめて149終身(しうしん)其(その)人(ひと)の為(ため)に生命(せいめい)までも擲出(なげだ)すと云(い)ふ健気(けなげ)な人種(じんしゆ)である。150之(これ)に反(はん)して最初(さいしよ)に此(この)人(ひと)はいけないと思(おも)つたならば、151其(その)人(ひと)が後(のち)に如何(いか)程(ほど)改心(かいしん)して善人(ぜんにん)となつても信用(しんよう)しない。152日出雄(ひでを)は彼所(あちら)此所(こちら)から招(まね)かれて公爺府(コンエフ)の民家(みんか)を一戸(いつこ)も残(のこ)らず訪問(はうもん)し、153種々(しゆじゆ)の款待(くわんたい)を受(う)けて、154面従(めんじう)腹背(ふくはい)、155阿諛(あゆ)諂侫(てんねい)の内地人(ないちじん)に日夜(にちや)接近(せつきん)し、156不快(ふくわい)でたまらなかつた日出雄(ひでを)は、157此(この)蒙古人(もうこじん)の潔白(けつぱく)な精神(せいしん)に非常(ひじやう)な満足(まんぞく)を覚(おぼ)えた。158蒙古人(もうこじん)に小(ちひ)さい飴(あめ)一個(いつこ)を与(あた)ふれば大(おほ)きな男(をとこ)が喜(よろこ)んで頂(いただ)き、159嬉(うれ)しさうに舌鼓(したつづみ)を打(う)つて幾度(いくど)も感謝(かんしや)の意(い)を表(へう)し、160まるで内地(ないち)の三(み)つ子(ご)のやうである。161さうして空気(くうき)は非常(ひじやう)に乾燥(かんさう)し、162寒国(かんごく)にも似(に)ず雪(ゆき)は余(あま)り沢山(たくさん)降(ふ)らない、163何程(なにほど)深雪(ふかゆき)だといつても高(たか)が一寸(いつすん)位(ぐらゐ)積(つも)るのが通例(つうれい)である。164さうして風(かぜ)は非常(ひじやう)に寒(さむ)いが其(その)割(わり)には身体(からだ)を害(がい)せない、165又(また)呼吸器(こきふき)を傷(きず)つけない妙(めう)である[*底本(全集)では「傷つけない妙である」だが校定版では「のが」を補い「傷つけないのが妙である」に、愛善世界社版では「のは」を補い「傷つけないのは妙である」に直している。]。
166 蒙古(もうこ)の喇嘛(ラマ)や貴人(きじん)はハムロタマガと云(い)ふ宝石製(はうせきせい)の径(けい)一寸(いつすん)位(ぐらゐ)な香器(かうき)を携帯(けいたい)し、167初(はじ)めての人(ひと)に接(せつ)する時(とき)には、168其(その)器(うつは)の中(なか)から非常(ひじやう)に香(かほり)の好(よ)い粉末(ふんまつ)を取(と)り出(だ)して客(きやく)に嗅(か)がすのを非常(ひじやう)の待遇(たいぐう)として居(ゐ)る。169朝(あさ)から晩(ばん)まで風(かぜ)は激(はげ)しく、170黄塵(くわうぢん)の立(た)ち上(のぼ)る蒙古(もうこ)では第一(だいいち)鼻(はな)がつまつて困(こま)る。171然(しか)るにこのハムロタマガの香粉(かうふん)を鼻(はな)に塗(ぬ)りつけると、172不思議(ふしぎ)にも鼻(はな)が透(す)き通(とほ)り気分(きぶん)がよくなる。173蒙古人(もうこじん)は非常(ひじやう)に柄(え)の長(なが)い太(ふと)い煙管(きせる)を携帯(けいたい)し、174朝(あさ)から晩(ばん)迄(まで)茶(ちや)を飲(の)んだあいまには煙草(たばこ)をくすべて居(ゐ)る。175小(ちひ)さい盃(さかづき)の様(やう)な雁首(がんくび)の皿(さら)で、176銀製(ぎんせい)、177真鍮製(しんちうせい)のものが多(おほ)い。178さうして吸口(すひくち)の方(はう)は硨磲(しやこ)、179瑪瑙(めなう)、180翡翠(ひすゐ)などの宝石(ほうせき)をもつて作(つく)つて居(ゐ)る。181蒙古人(もうこじん)は此(こ)の煙管(きせる)に最(もつと)も金(かね)を費(つひや)すと云(い)ふ事(こと)である。
182 蒙古人(もうこじん)は一夫(いつぷ)多妻(たさい)主義(しゆぎ)である。183長男(ちやうなん)を太子(たいし)と云(い)ふ、184太子(たいし)のみが妻帯(さいたい)して家(いへ)を継(つ)ぎ、185次子(じし)以下(いか)は残(のこ)らず喇嘛(ラマ)になつて了(しま)ふ、186これは仏教(ぶつけう)の信仰(しんかう)からだと云(い)ふ。187それ故(ゆゑ)止(や)むを得(え)ず一夫(いつぷ)多妻(たさい)となり、188老(らう)印君(いんくん)の如(ごと)き六十(ろくじふ)七八(しちはつ)歳(さい)にもなつて七(しち)人(にん)の妻君(さいくん)を持(も)つて居(ゐ)る。189さうして妻君(さいくん)を貰(もら)ふのには牛(うし)を五頭(ごとう)或(あるひ)は六頭(ろくとう)、190極上等(ごくじやうとう)の美人(びじん)になると十頭(じつとう)と交換(かうくわん)する風習(ふうしふ)である。191白凌閣(パイリンク)の妻君(さいくん)は牛(ぎう)五頭(ごとう)と交換(かうくわん)されたと云(い)ふ事(こと)であつた。192男子(だんし)は十八(じふはち)歳(さい)でなければ蒙古(もうこ)の人数(にんずう)に入(い)れない。193さうして女(をんな)は残(のこ)らず人口(じんこう)から除外(じよぐわい)されてゐる、194夫(それ)故(ゆゑ)蒙古(もうこ)の人口(じんこう)は完全(くわんぜん)に調査(てうさ)する事(こと)は六ケ敷(むつかし)い。195葬式(さうしき)など至(いた)つて簡単(かんたん)で、196親(おや)や兄弟(きやうだい)を後(あと)に残(のこ)して死(し)んだものは不孝者(ふかうもの)だと云(い)うて山(やま)の谷(たに)に棄(す)てに行(ゆ)き、197沢山(たくさん)の喇嘛(ラマ)がゴロついて居(ゐ)ても御(お)経(きやう)一(ひと)つ上(あ)げてやらない風習(ふうしふ)である。198蒙古人(もうこじん)の容貌(ようばう)は男女(だんぢよ)共(とも)日本人(につぽんじん)に酷似(こくじ)し、199些(すこ)しも支那人(しなじん)に似(に)てゐないのは不思議(ふしぎ)である。200支那人(しなじん)は妻(つま)が男客(だんきやく)の傍(かたはら)へ行(ゆ)く事(こと)を非常(ひじやう)に嫌(きら)ふが、201蒙古(もうこ)の男子(だんし)は一切(いつさい)無頓着(むとんちやく)である。202それ故(ゆゑ)自分(じぶん)の家内(かない)や娘(むすめ)を安心(あんしん)して外来(ぐわいらい)の客(きやく)の世話(せわ)をさせる。203その代(かは)り蒙古(もうこ)の婦人(ふじん)は極(きは)めて朴直(ぼくちよく)で夫(をつと)を持(も)つた以上(いじやう)は決(けつ)してその他(ほか)の男(をとこ)に関係(くわんけい)しない。204それ故(ゆゑ)いつも蒙古(もうこ)の婦人(ふじん)が交(かは)る代(がは)る日出雄(ひでを)の無聊(ぶれう)を慰(なぐさ)めむと毎日(まいにち)胡琴(フウチン)を弾(だん)じ、205美声(びせい)を張(は)り上(あ)げて面白(おもしろ)き歌(うた)を謡(うた)ひ、206日出雄(ひでを)の身辺(しんぺん)には何時(いつ)も春陽(しゆんやう)の気(き)が漂(ただよ)うて居(ゐ)た。207又(また)日出雄(ひでを)の書生(しよせい)白凌閣(パイリンク)や蒙古兵(もうこへい)等(とう)も日々(ひび)胡琴(フウチン)を弾(だん)じ、208歌(うた)を謡(うた)ひ軍旅(ぐんりよ)にある日出雄(ひでを)を慰(なぐさ)むる事(こと)に勉(つと)めたのである。
209(大正一四、八、筆録)
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