霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第一二章 焦頭(せうとう)爛額(らんがく)

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 特別篇 山河草木 入蒙記 篇:第2篇 奉天より洮南へ よみ(新仮名遣い):ほうてんよりとうなんへ
章:第12章 焦頭爛額 よみ(新仮名遣い):しょうとうらんがく 通し章番号:
口述日:1925(大正14)年08月 口述場所: 筆録者: 校正日: 校正場所: 初版発行日:1935(昭和10)年4月30日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]:
昌図府で役人からいらぬ詮索を受けたため、日出雄と岡崎は、先に大四家子まで進んだ。
その間に奉天から、故障した自動車の修理部品が届いたので修理にかかっていたが、破損がはなはだしいために、時間がかかっていた。
ちょうど自動車の修理を終わったところへ、日本領事館員が官憲をつれて、宿に臨検に来たところであったので、残りの者は急いで荷物を積み込むと、逃げるように大四家子まで自動車を駆って来た。
大四家子で王昌紳氏宅に一泊して饗応を受けた。次の日には一行はまた自動車で茫漠たる大平原を疾走した。
途中、支那兵の一隊にであったり、またもや自動車が故障して修理にかかったりなどして道を進んでいった。道なき道を行く道中は苦労の連続で、車の動揺のたびに頭を打ち、尻を打ち、後の車が前の車に衝突したりした。守高は車体のガラスが破壊して破片を浴び、眼のあたりを負傷した。
ようやく旧四平街に到着したのは、午後三時半ごろであった。自動車は再び大破損し、もはや動くことができなくなったので、やむを得ず荷馬車二台を雇った。
新四平街の貿易商・奥村幹造氏宅に到着したのは午後五時三十分ごろであった。一行はここで久しぶりに日本食を供せられ、日本風呂を振舞われた。この後は四平街駅から列車で鄭家屯に向かうことに決まった。
列車は途中で何度も故障し、修理に何時間も費やしながらゆっくりと進んでいった。その間に、奉天から列車で出発していた真澄別一行は、三月六日の午前零時二十分ごろに洮南駅に到着していた。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考:2024/1/11出口王仁三郎全集第6巻を底本として校正。 タグ: データ凡例: データ最終更新日:2024-01-12 20:48:29 文字数:3089 OBC :rmnm12
愛善世界社版:105頁 八幡書店版:第14輯 586頁 修補版: 校定版:106頁 普及版: 初版: ページ備考:
001 翌(よく)五日(いつか)の午前(ごぜん)三(さん)時(じ)頃(ごろ)奉天(ほうてん)から機械(きかい)を持(も)つて帰(かへ)つて来(き)たので、002直様(すぐさま)自動車(じどうしや)の修繕(しうぜん)に着手(ちやくしゆ)した。003何分(なにぶん)破損(はそん)が甚(はなは)だしいので容易(ようい)に修繕(しうぜん)が出来(でき)なかつた。004日出雄(ひでを)と岡崎(をかざき)とは七時(しちじ)半(はん)一台(いちだい)の自動車(じどうしや)を王(わう)樹棠(じゆだう)に操縦(さうじう)させ乍(なが)ら、005二十(にじふ)支里(しり)の地点(ちてん)なる昌図(しやうと)の北(きた)、006大(だい)四家子(しかし)の王(わう)昌紳(しやうしん)の宅(たく)に安着(あんちやく)し、007自動車(じどうしや)を門内(もんない)深(ふか)く入(い)れおき、008守高(もりたか)等(ら)の自動車(じどうしや)を一(いち)時間(じかん)許(ばか)り待(ま)つてゐた。009あまり遅(おそ)いので自動車(じどうしや)の荷物(にもつ)を全部(ぜんぶ)下(おろ)し、010王(わう)樹棠(じゆだう)は一名(いちめい)の運転手(うんてんしゆ)をつれて再(ふたた)び昌図(しやうと)三号(さんがう)の木賃(もくちん)ホテルに引返(ひきかへ)した。011恰度(ちやうど)大破損(だいはそん)した自動車(じどうしや)の修繕(しうぜん)を全(まつた)く終(をは)り、012荷物(にもつ)を積(つ)み込(こ)んだ所(ところ)へ日本(につぽん)領事館(りやうじくわん)員(ゐん)が警官(けいくわん)を二三(にさん)名(めい)引連(ひきつ)れて臨検(りんけん)に来(き)た。013そして王(わう)樹棠(じゆだう)の自動車(じどうしや)と共(とも)に三号店(さんがうてん)の門(もん)へ這入(はひ)つた。014日本(につぽん)官吏(くわんり)は直(ただ)ちに三号店(さんがうてん)内(ない)に進(すす)み入(い)り、015調査(てうさ)して居(ゐ)る間(あひだ)に、016王(わう)樹棠(じゆだう)は全速力(ぜんそくりよく)を出(だ)して自動車(じどうしや)を駆(か)け出(だ)し、017日出雄(ひでを)が待(ま)つてゐる大(だい)四家子(しかし)の館(やかた)を指(さ)して驀地(まつしぐら)に二台(にだい)ともやつて来(き)た。
018 王(わう)昌紳(しやうしん)の宅(たく)は十数(じふすう)人(にん)の大家族(だいかぞく)で何処(どこ)となく気品(きひん)の高(たか)い風貌(ふうばう)をしてゐた。019此処(ここ)の家族(かぞく)は日本(につぽん)の救世主(きうせいしゆ)来(きた)れりと云(い)つて、020大(おほ)いに歓待(くわんたい)し、021高粱(かうりやう)や支那米(しなまい)のお粥(かゆ)や鶏卵(けいらん)等(とう)を煮(に)て饗応(きやうおう)した。022一同(いちどう)は互(たがひ)に無事(ぶじ)を喜(よろこ)び当家(たうけ)に別(わか)れを告(つ)げ、023茫漠(ばうばく)たる大荒原(だいくわうげん)を十(じふ)支里(しり)許(ばか)り疾走(しつそう)すると024二百(にひやく)名(めい)許(ばか)りの支那兵(しなへい)の一隊(いつたい)に出会(でつくわ)した。025王(わう)樹棠(じゆだう)は一切(いつさい)構(かま)はず兵隊(へいたい)の列(れつ)を目(め)あてに、026一目散(いちもくさん)に駆(かけ)り行(ゆ)く。027殆(ほと)んど三十(さんじつ)分(ぷん)許(ばか)り駆(か)け出(だ)した時(とき)に、028又(また)もや機械(きかい)の損傷(そんしやう)を来(きた)し、029一(いち)時間(じかん)許(ばか)り時間(じかん)を費(つひや)して修繕(しうぜん)に取掛(とりかか)つた。
030 丘陵(きうりよう)や畑(はた)や川(かは)の区別(くべつ)なく、031西北(せいほく)の空(そら)を目(め)あてに難路(なんろ)を進(すす)み行(ゆ)く豪胆(がうたん)不敵(ふてき)の行動(かうどう)に、032旅行(たびゆ)く人馬(じんば)が驚(おどろ)いて右往(うわう)左往(さわう)に逃(に)げ廻(まは)る。033大車(だいしや)を曳(ひ)いてゐる馬(うま)の群(むれ)は驚(おどろ)いて溝(みぞ)の中(なか)に顛倒(てんたう)する。034其(その)中(うち)に次(つぎ)から次(つぎ)へ来(く)る牛車(ぎうしや)や馬車(ばしや)が折重(をりかさ)なつて顛倒(てんたう)する有様(ありさま)は、035実(じつ)に可笑(をか)しくもあれば気(き)の毒(どく)でもある。036車(くるま)の動揺(どうえう)につれて日出雄(ひでを)等(ら)は幾度(いくど)となく頭(あたま)を打(う)ち臀(しり)を打(う)ち、037時々(ときどき)後(あと)の自動車(じどうしや)が、038前(まへ)の自動車(じどうしや)に衝突(しようとつ)したり、039車体(しやたい)のガラスが破壊(はくわい)して守高(もりたか)は破片(はへん)の雨(あめ)を全面(ぜんめん)に浴(あ)び、040眼辺(がんへん)に負傷(ふしやう)し、041ダラダラと血(ち)を流(なが)してゐる。042かくして漸(やうや)く旧(きう)四平街(しへいがい)に安着(あんちやく)したのは午後(ごご)三(さん)時(じ)半(はん)頃(ごろ)であつた。043自動車(じどうしや)が再(ふたた)び大破損(だいはそん)を為(な)し、044最早(もは)や動(うご)く事(こと)が出来(でき)ぬので、045止(や)むを得(え)ず荷馬車(にばしや)二台(にだい)を雇(やと)ひ寒風(かんぷう)に曝(さら)され乍(なが)ら新(しん)四平街(しへいがい)の貿易商(ぼうえきしやう)奥村(おくむら)幹造(かんざう)氏(し)の宅(たく)に安着(あんちやく)したのは午後(ごご)五(ご)時(じ)三十(さんじつ)分(ぷん)頃(ごろ)であつた。
046 此処(ここ)の宅(たく)で日出雄(ひでを)等(ら)は久(ひさ)し振(ぶ)りで日本食(につぽんしよく)を饗(きやう)せられ、047鶏肉(とりにく)の鍋(なべ)を囲(かこ)んで舌鼓(したつづみ)を打(う)つた。048途中(とちう)開原(かいげん)で朝飯(てうはん)を食(く)つたきり今日(けふ)まで日出雄(ひでを)一行(いつかう)も車掌(しやしやう)四(よ)人(にん)も昼夜(ちうや)の区別(くべつ)なく、049碌(ろく)に飯(めし)も食(く)はなかつたが元気(げんき)は益々(ますます)旺盛(わうせい)であつた。050当夜(たうや)は奥村(おくむら)方(かた)に一泊(いつぱく)し洮南府(たうなんふ)の日本(につぽん)居留民(きよりうみん)会長(くわいちやう)平馬(へいま)慎太郎(しんたらう)氏(し)の案内(あんない)で、051四平街(しへいがい)駅(えき)から鄭家屯(ていかとん)に向(むか)ふ事(こと)と決(きま)つた。052当家(たうけ)にて久々(ひさびさ)にて日本(につぽん)風呂(ぶろ)に入浴(にふよく)し、053汗(あせ)や垢(あか)を落(おと)し翌(よく)早朝(さうてう)四平街(しへいがい)より列車(れつしや)の客(きやく)となつた。054此(この)日(ひ)は非常(ひじやう)に陽気(やうき)暖(あたた)かく支那服(しなふく)の上着(うはぎ)を一(いち)枚(まい)二(に)枚(まい)と次々(つぎつぎ)に脱(ぬ)ぎ、055窓(まど)を開(あ)けて茫々(ばうばう)たる大原野(だいげんや)の風(かぜ)に当(あた)りつつ進(すす)んで行(ゆ)く。056午後(ごご)六(ろく)時(じ)五十(ごじつ)分(ぷん)鄭家屯(ていかとん)駅(えき)下車(げしや)、057山本(やまもと)熊之(くまゆき)氏(し)方(かた)に一泊(いつぱく)する事(こと)となつた。058岡崎(をかざき)、059平馬(へいま)、060守高(もりたか)、061王(わう)元祺(げんき)の四(よ)人(にん)は、062日本(につぽん)の東屋(あづまや)と云(い)ふ料理店(れうりてん)に於(おい)て063牛飲(ぎういん)馬食(ばしよく)会(くわい)を開(ひら)き大変(たいへん)なメートルを上(あ)げ、064お多福(たふく)仲居(なかゐ)や、065豚(ぶた)芸者(げいしや)が盃盤(はいばん)の間(あひだ)を斡旋(あつせん)し、066大(おほ)いに豪傑(がうけつ)振(ぶ)りを発揮(はつき)したが、067翌(よく)早朝(さうてう)日出雄(ひでを)が泊(とま)つて居(ゐ)る山本(やまもと)方(かた)に入(い)り来(きた)り直(ただ)ちに停車場(ていしやぢやう)へと駆(か)けつけた。068正(まさ)に午前(ごぜん)六(ろく)時(じ)三十(さんじつ)分(ぷん)である。
069 臥虎屯(がことん)駅(えき)の西北(せいほく)の方(はう)に土饅頭(どまんじう)形(がた)の宝裏山(ほうりざん)が、070大原野(だいげんや)の寂寞(じやくまく)を破(やぶ)つて端然(たんぜん)として立(た)つて居(ゐ)る。071饅頭(まんじう)を伏(ふ)せた様(やう)な山(やま)で蒙古(もうこ)七山(しちざん)の一(ひとつ)なりと云(い)ふ事(こと)である。072此(この)洮南(たうなん)鉄道(てつだう)は去(さ)る一(いち)月(ぐわつ)初(はじ)めて試運転(しうんてん)を行(おこな)ひ漸(やうや)く鉄路(てつろ)が固(かた)まつた所(ところ)で、073殊(こと)にその汽車(きしや)は満鉄(まんてつ)の古物(ふるもの)許(ばか)りで途中(とちう)機関(きくわん)に損傷(そんしやう)を来(き)たし、074茂林(もりん)駅(えき)の手前(てまへ)で七(しち)時間(じかん)許(ばか)りも立往生(たちわうじやう)をした。075岡崎(をかざき)は支那(しな)の将校(しやうかう)四(よ)人(にん)を相手(あひて)に談論(だんろん)風発(ふうはつ)盛(さか)んにメートルを挙(あ)げ、076三蔵(さんざう)法師(ほふし)について行(い)つた猪八戒(ちよはつかい)式(しき)を発揮(はつき)し、077日出雄(ひでを)を煙(けむ)に巻(ま)いた。078蒙古(もうこ)名物(めいぶつ)の黄塵(くわうぢん)万丈(ばんじやう)も岡崎(をかざき)の鼻息(はないき)には跣足(はだし)で逃(に)げ出(だ)しさうであつた。
079 汽車(きしや)の途中(とちう)停車(ていしや)を怪(あや)しんで、080附近(ふきん)の村落(そんらく)より蒙古人(もうこじん)の老若(らうにやく)男女(だんぢよ)が数十(すうじふ)人(にん)許(ばか)り物珍(ものめづ)らしさうに集(あつ)まつて来(き)た。081そして呑気(のんき)さうに長(なが)い煙管(きせる)で煙草(たばこ)をパクついて居(ゐ)た。082之(これ)を見(み)ても日本(につぽん)の神代(かみよ)は斯(か)くの如(ごと)く呑気(のんき)であつたらう等(など)と、083歴史(れきし)を遡(さかのぼ)つて日出雄(ひでを)は冥想(めいさう)に耽(ふけ)つた。084日出雄(ひでを)は車中(しやちう)に於(おい)て数十(すうじつ)首(しゆ)の和歌(わか)を詠(えい)じた。085その内(うち)の一部(いちぶ)を左(さ)に録(ろく)する。
 
086 際(はて)しなき大野(おほの)ケ原(はら)を進(すす)み行(ゆ)く我(わが)魂(たましひ)の勇(いさ)みけるかな
087 天(あめ)も地(つち)も一(ひと)つになりて国津(くにつ)神(かみ)広野(ひろの)の蓆(むしろ)敷(し)きて我(われ)待(ま)つ
088 漸(やうや)くに安宅(あたか)の関(せき)をくぐり抜(ぬ)け今(いま)は蒙古(もうこ)の広野(くわうや)を走(はし)る
089 早(は)や已(すで)に蒙古(もうこ)の国(くに)を握(にぎ)りたる如(ごと)き心地(ここち)し意気(いき)天(てん)を衝(つ)く
090 風(かぜ)清(きよ)く日(ひ)はうららかに枯野原(かれのはら)春(はる)めき立(た)ちて陽炎(かげらふ)燃(も)ゆる
091 事(こと)ならば我(わが)同胞(はらから)を招(まね)き寄(よ)せ新楽園(しんらくゑん)に救(すく)ひ助(たす)けむ
092 五五(ごご)と云(い)ふ日数(ひかづ)重(かさ)ねて漸(やうや)くに宝(たから)の国(くに)に入(い)りし我(われ)かな
093 際限(さいげん)も知(し)らぬ原野(げんや)の真中(まんなか)に蒙古(もうこ)の人家(じんか)チラチラ見(み)ゆる
094 一点(いつてん)の曇(くも)りさへなき大空(おほぞら)は地平線(ちへいせん)上(じやう)に下(くだ)りて見(み)ゆる
095 木(き)も草(くさ)も見(み)る事(こと)を得(え)ぬ蒙古人(もうこじん)は空(そら)の月(つき)星(ほし)花(はな)と見(み)るらむ
096 積(つ)む雪(ゆき)の凍(こほ)れる上(うへ)を日(ひ)の照(て)りて大野(おほの)ケ原(はら)も大海(だいかい)と見(み)ゆ
097 海(うみ)の潮(しほ)光(ひか)ると許(ばか)り疑(うたが)はる大野(おほの)ケ原(はら)の雪(ゆき)に日(ひ)は照(て)り[*「際しなき」以降、「我」が4ヶ所あるが、3つ目(事ならば我)を除く3ヶ所は、校定版・愛善世界社版では「吾」に修正されている。底本(全集)では4ヶ所全て「我」。]
 
098 際限(さいげん)もなき大荒原(だいくわうげん)の中(なか)に土室(つちむろ)の如(ごと)き人家(じんか)がポツリポツリと建並(たちなら)び、099車窓(しやさう)より眺(ながむ)れば陸(りく)の大洋(たいやう)に舟(ふね)の浮(うか)んだ様(やう)である。100遠(とほ)く眼(め)を放(はな)てば楊柳(やうりう)の立木(たちき)が大原野(だいげんや)の単調(たんてう)を破(やぶ)つて、101コンモリと黒(くろ)ずんだ森(もり)をなしてゐる。102大平川(たいへいせん)駅(えき)にて又(また)もや汽車(きしや)は停車(ていしや)し、103給水(きふすゐ)やなんかでゴテゴテと約(やく)一(いち)時間(じかん)余(よ)を費(つひや)した。104岡崎(をかざき)は、
105岡崎『エー、106此(この)ボロ汽車(きしや)奴(め)、107まるで蛞蝓(なめくぢら)の江戸行(えどゆき)見(み)たやうだ』
108と口角(こうかく)に泡(あは)を飛(と)ばして怒(おこ)り出(だ)した。109日出雄(ひでを)は笑(わら)ひ乍(なが)ら、
110日出雄『岡崎(をかざき)さん、111汽車(きしや)が動(うご)かなけりや仕方(しかた)がないから気(き)を利(き)かして徒歩(かち)と出掛(でか)け、112次(つぎ)の駅(えき)で汽車(きしや)を待(ま)つて乗(の)り換(か)へたら、113それ丈(だ)け早(はや)く洮南(たうなん)駅(えき)に着(つ)くだらう。114アハヽヽヽ』
115と馬鹿口(ばかぐち)をたたく、116支那(しな)の商人(せうにん)が岡崎(をかざき)を見(み)て、
117商人『貴下(きか)は何処(どこ)まで行(ゆ)かるるか、118何(なん)の用(よう)があつて旅行(りよかう)されるのか』
119と不思議(ふしぎ)さうに問(と)ふ。
120岡崎(をかざき)『馬鹿(ばか)を云(い)ふな、121用(よう)のない者(もの)が汽車(きしや)に乗(の)つて旅(たび)をするか、122余計(よけい)な世話(せわ)を焼(や)くと張(は)りとばすぞ、123貴様(きさま)のやうな俺(おれ)は商人(せうにん)ではないぞ、124金箔付(きんぱくつき)の東三省(とうさんしやう)の高等官(かうとうくわん)だ』
125とエライ馬力(ばりき)で叱(しか)り飛(と)ばす。
126(日出雄)『日本人(につぽんじん)は支那人(しなじん)に対(たい)し、127凡(すべ)てがこんな調子(てうし)だから何程(なにほど)日支(につし)親善(しんぜん)を叫(さけ)んでも駄目(だめ)だなア』
128と日出雄(ひでを)は独語(どくご)した。
129 洮南(たうなん)着(ちやく)の時間(じかん)は午後(ごご)四(よ)時(じ)二十(にじふ)分(ぷん)である。130然(しか)るに汽車(きしや)はまだ大平川(たいへいせん)駅(えき)に焦(こ)げついてゐる。
131(守高)『真澄別(ますみわけ)一行(いつかう)は寒(さむ)い停車場(ていしやぢやう)に自分(じぶん)等(ら)を阿呆(あはう)待(ま)ちしてゐるだらう。132僕(ぼく)は洮南(たうなん)着(ちやく)で初(はじ)めて三日月(みかづき)を見(み)る積(つも)りだから133一寸(ちよつと)まじないをして汽車(きしや)を止(と)めてゐるのだ、134アハヽヽヽ』
135と阿呆口(あはうぐち)を云(い)つてゐるのは守高(もりたか)であつた。
136 通訳(つうやく)の王(わう)元祺(げんき)は何処(どこ)ともなく元気(げんき)がない。137青白(あをじろ)い顔(かほ)して横(よこ)になり、138鼻(はな)を掻(か)き撫(な)でてはウンウンと大声(おほごゑ)に唸(うな)り、139暫(しばら)くしては又(また)キヨロリと目(め)を開(あ)け、140窓外(さうぐわい)を不足(ふそく)相(さう)な顔(かほ)をして眺(なが)めてゐる。141持病(ぢびやう)の睾丸炎(かうぐわんえん)が再発(さいはつ)したからであつた。
 
142 太陽(たいやう)は地平線(ちへいせん)上(じやう)に近(ちか)づけどまだ洮南(たうなん)は遥(はる)かなりけり
143 ぐづ汽車(きしや)に乗(の)りて荒原(くわうげん)馳(は)せ行(ゆ)けば欠伸(あくび)の玉(たま)の連発(れんぱつ)となる
 
144     車上(しやじやう)の懐古(くわいこ)
145汽車(きしやは)破壊(はくわいす)昌図街(しやうとがい)[*フリガナ「しやうと」は底本(全集)では「しやうづ」。]
146危険(きけん)刻々(こくこく)迫我隊(わがたいにせまる)
147巡警(じゆんけい)兵士(へいし)日警官(にちけいくわん)
148窺間(かんをうかがひて)一行(いつかう)急(きふに)遁晦(とんくわいす)
149 因(ちなみ)に真澄別(ますみわけ)一行(いつかう)は、150三(さん)月(ぐわつ)三日(みつか)午後(ごご)十一(じふいち)時(じ)十分(じふぶん)奉天(ほうてん)駅(えき)発(はつ)長春(ちやうしゆん)行(ゆき)列車(れつしや)に搭乗(たふじよう)し、151四日(よつか)午前(ごぜん)五(ご)時(じ)半(はん)四平街(しへいがい)着(ちやく)、152植半(うゑはん)旅館(りよくわん)にて朝餐(てうさん)を喫(きつ)し、153同日(どうじつ)午前(ごぜん)八(はち)時(じ)半(はん)四平街(しへいがい)発(はつ)154正午前(しやうごまへ)鄭家屯(ていかとん)着(ちやく)、155ホテルに投宿(とうしゆく)した。156そして三(さん)月(ぐわつ)五日(いつか)午前(ごぜん)六(ろく)時(じ)半(はん)発(はつ)列車(れつしや)にて洮南(たうなん)に向(むか)つた。157中途(ちうと)三林(さんりん)駅(えき)を発(はつ)し間(ま)もなく、158機関車(きくわんしや)に故障(こしやう)を起(おこ)し159列車(れつしや)は荒野(くわうや)の真中(まんなか)に立往生(たちわうじやう)した。160係員(かかりゐん)は東奔(とうほん)西走(せいそう)して遂(つひ)に鄭家屯(ていかとん)より救援(きうゑん)機関車(きくわんしや)を引張(ひつぱ)つて来(き)て漸(やうや)く進行(しんかう)し始(はじ)めた。161時(とき)に午後(ごご)四(よ)時(じ)、162沿道(えんだう)の馬賊(ばぞく)の襲来(しふらい)に対(たい)する警戒(けいかい)物々(ものもの)しき中(なか)を列車(れつしや)は遅々(ちち)として運転(うんてん)し、163夜(よ)十二(じふに)時(じ)を過(す)ぐる二十(にじふ)分(ぷん)洮南(たうなん)駅(えき)に到着(たうちやく)した。164一行(いつかう)は洮南(たうなん)旅館(りよくわん)のボーイに迎(むか)へられ支那(しな)馬車(ばしや)二台(にだい)に分乗(ぶんじやう)し、165銃剣(じうけん)をつけたる兵隊(へいたい)に護(まも)られつつ特(とく)に開(ひら)かれたる城門(じやうもん)を潜(くぐ)つて洮南(たうなん)旅館(りよくわん)に投(とう)じた。
166(大正一四、八、筆録)
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