霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第二七章 奉天(ほうてん)の渦(うづ)

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 特別篇 山河草木 入蒙記 篇:第4篇 神軍躍動 よみ(新仮名遣い):しんぐんやくどう
章:第27章 奉天の渦 よみ(新仮名遣い):ほうてんのうず 通し章番号:
口述日:1925(大正14)年08月 口述場所: 筆録者: 校正日: 校正場所: 初版発行日:1935(昭和10)年4月30日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]:
日本で軍資金の調達にあたっていた加藤明子は、日出雄から密書を受け取った。これと思う数名を同道して、滞在場所まで来るように、というものであった。
そこで一同は準備に入ったが、先に奉天に入っていた横尾敬義が戻ってきて、唐国別が言うには、「すでに日出雄先生は蒙古入りしたので、後から来る人々は、先生が大庫倫に到着してから来るように」とのことであったと伝えた。
加藤、国分義一、藤田武寿の三人は予期に反したが、すでに準備が整っていたこともあり、二代教主と相談の上、ともかく日出雄一行の後を追うことにした。
しかし水也商会に着くと、唐国別はこれ以上奥地に日本人を送るなどとんでもない、いくら大先生、二代様の頼みでも、自分の考えに反したことは聞き入れるわけにはいかない、という態度であった。
奥地より日出雄の消息を伝えに来た大倉は、三人に同情し、日出雄先生より来いとのことであれば、万難を排して協力しましょう、と言ってくれたが、唐国別は態度を硬化させ、絶対に反対する旨通告してきた。
仕方なく三人は大連、旅順などを巡覧しながら連絡を待っていた。結局、日出雄よりは「女子の入蒙は困難なので、日本・奉天間を往復して連絡の用務を勤めるように」との連絡があった。また、大倉の協力の言は単なる気休めだと判明した。
仕方なく三人は一度そろって日本に帰った。そして加藤はかつて満蒙に名をとどろかせた緑川貞司に師事して準備を練っていた最中、パインタラの変の報に接したのであった。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考:2024/1/31出口王仁三郎全集第6巻を底本として校正。 タグ: データ凡例: データ最終更新日:2024-01-31 03:32:23 文字数:3415 OBC :rmnm27
愛善世界社版:241頁 八幡書店版:第14輯 635頁 修補版: 校定版:244頁 普及版: 初版: ページ備考:
001 日出雄(ひでを)が大志(たいし)を懐(いだ)いて綾(あや)の聖地(せいち)を出発(しゆつぱつ)して以来(いらい)、002満蒙(まんもう)の空(そら)を眺(なが)めては、003日夜(にちや)憧憬(どうけい)の思(おも)ひを抱(いだ)きつつ、004軍資金(ぐんしきん)の調達(てうたつ)に苦労(くらう)してゐた加藤(かとう)明子(はるこ)は、005日出雄(ひでを)出発後(しゆつぱつご)三(さん)週間(しうかん)を経(へ)た頃(ころ)、006日出雄(ひでを)よりの密書(みつしよ)を受取(うけと)つた。007それには旧(きう)三(さん)月(ぐわつ)三日(みつか)迄(まで)に横尾(よこを)敬義(ゆきよし)、008西村(にしむら)輝雄(てるを)、009国分(こくぶ)義一(ぎいち)、010藤田(ふぢた)武寿(たけとし)、011佐藤(さとう)六合雄(くにを)其(その)他(た)之(こ)れと思(おも)ふ人々(ひとびと)の中(うち)、012四五(しご)名(めい)同道(どうだう)して我(わが)滞在(たいざい)の場所(ばしよ)迄(まで)来(きた)れとの命令(めいれい)が認(したた)めてあつた。013加藤(かとう)は天(てん)にも昇(のぼ)る心地(ここち)し喜(よろこ)び勇(いさ)んで右(みぎ)の人々(ひとびと)に其(その)旨(むね)を伝(つた)へた。014此(この)中(うち)佐藤(さとう)は用務(ようむ)の為(た)め、015内地(ないち)に残留(ざんりう)し、016西村(にしむら)は大庫倫(だいクーロン)へ一行(いつかう)到着(たうちやく)迄(まで)待(ま)つと云(い)ひ、017横尾(よこを)は他(た)に要件(えうけん)があるので先(さき)んじて奉天(ほうてん)へ向(むか)ひ、018国分(こくぶ)、019藤田(ふぢた)の両人(りやうにん)は早速(さつそく)関係(くわんけい)事業(じげふ)の整理(せいり)に取掛(とりかか)つた。020尚(なほ)加藤(かとう)の通告(つうこく)に依(よ)り是非(ぜひ)此(この)一行(いつかう)に加(くは)はらむと決心(けつしん)した広瀬(ひろせ)義邦(よしくに)は、021万難(ばんなん)を排(はい)して渡満(とまん)し、022場合(ばあひ)に依(よ)つては大連(だいれん)若(も)しくは奉天(ほうてん)に職(しよく)を求(もと)めて時機(じき)の至(いた)るを待(ま)つ事(こと)とした。
023 加藤(かとう)も蝟集(ゐしふ)し来(きた)る故障(こしよう)を凌(しの)いで出発(しゆつぱつ)準備(じゆんび)を急(いそ)いでゐる折柄(をりから)、024先(さき)に渡満(とまん)した横尾(よこを)が帰来(きらい)し、
025横尾敬義『日出雄(ひでを)先生(せんせい)は既(すで)に入蒙(にふもう)せしこと、026唐国別(からくにわけ)の言(げん)に依(よ)れば後(あと)の連中(れんちう)は大庫倫(だいクーロン)到着後(たうちやくご)、027来(く)る様(やう)に』
028との事(こと)などを伝(つた)へた。029加藤(かとう)は予期(よき)に反(はん)したので、030取敢(とりあ)へず国分(こくぶ)、031藤田(ふぢた)に其(その)旨(むね)を通(つう)ずると、032二人(ふたり)は既(すで)に準備(じゆんび)全(まつた)く成(な)り、033今更(いまさら)如何(どう)することも出来(でき)ぬといふ始末(しまつ)なので、034已(や)むなく其(その)処置(しよち)を大本(おほもと)二代(にだい)教主(けうしゆ)に謀(はか)り、035遂(つひ)に国分(こくぶ)、036藤田(ふぢた)、037加藤(かとう)の三(さん)人(にん)は038一命(いちめい)を賭(と)して日出雄(ひでを)一行(いつかう)の跡(あと)を逐(お)ふ事(こと)に決定(けつてい)したのである。
039 四(し)月(ぐわつ)十六(じふろく)日(にち)奉天(ほうてん)なる唐国別(からくにわけ)より西王母(せいわうぼ)の服装(ふくさう)を携行(けいかう)せよとの来電(らいでん)があつたので、040其(そ)の用務(ようむ)をも兼(か)ね、041右(みぎ)三(さん)人(にん)は四(し)月(ぐわつ)十八(じふはち)日(にち)奉天(ほうてん)に向(むか)つて出発(しゆつぱつ)し、042門司(もじ)よりは偶々(たまたま)満韓(まんかん)視察(しさつ)の途次(とじ)にありし大谷(おほたに)恭平(きようへい)が加(くは)はつて一行(いつかう)四(よ)人(にん)となり、043心(こころ)は既(すで)に蒙古(もうこ)の大原野(だいげんや)に馳(は)せ、044汽船(きせん)や汽車(きしや)も間(ま)ドロキ心地(ここち)で二十(にじふ)日(にち)夕(ゆふ)奉天駅(ほうてんえき)に着(ちやく)した。045予(かね)て打電(だでん)してあつたので、046萩原(はぎはら)、047西島(にしじま)並(ならび)に折柄(をりから)在奉中(ざいほうちう)の唐国別(からくにわけ)夫人(ふじん)等(とう)が一行(いつかう)を出迎(でむか)へ、048其(その)筋(すぢ)の警戒(けいかい)厳(げん)なればとて、049四辺(あたり)を憚(はばか)り乍(なが)ら稲葉(いなば)町(ちやう)の中野(なかの)といふ宅(たく)に案内(あんない)された。050翌(よく)二十一(にじふいち)日(にち)一行(いつかう)は水也(みづや)商会(しやうくわい)に趣(おもむ)き、051王(わう)天海(てんかい)なる唐国別(からくにわけ)と会見(くわいけん)したところが、052王(わう)は不機嫌(ふきげん)な面色(おももち)で、053藤田(ふぢた)に向(むか)ひ、
054唐国別(からくにわけ)『君(きみ)等(ら)は一体(いつたい)奥地(おくち)へ入(はい)る積(つも)りで来(こ)られたのですか』
055藤田(ふぢた)『左様(さやう)です、056勿論(もちろん)』
057唐国別(からくにわけ)『左様(さやう)です……なんて……冗談(じようだん)ぢやないよ。058君(きみ)等(ら)はさう容易(やす)々々(やす)と奥地(おくち)へ這入(はい)れると思(おも)はれるのか。059そりや誰(たれ)だつて先生(せんせい)の側(そば)へ行(ゆ)きたいのは当然(たうぜん)だよ、060君(きみ)等(ら)だけぢやない。061しかし張(ちやう)作霖(さくりん)との複雑(ふくざつ)な関係(くわんけい)を知(し)りもしないで、062ヤレ吾(われ)もソレ私(わし)もとやつて来(こ)られて耐(たま)るものか、063僕(ぼく)の苦心(くしん)は並大抵(なみたいてい)ぢやないよ』
064と前置(まへおき)して日出雄(ひでを)来奉(らいほう)以後(いご)の事情(じじやう)を縷々(るる)と弁(べん)じ、065此(この)際(さい)日本人(につぽんじん)の入蒙(にふもう)することは絶対(ぜつたい)に断(ことは)ると云(い)ふ、066甚(はなは)だ意外(いぐわい)な言葉(ことば)であつた。
067加藤(かとう)『妾(わたし)達(たち)は決(けつ)して自分(じぶん)勝手(かつて)に先生(せんせい)のお側(そば)へ行(ゆ)かうと云(い)ふのではありませぬ。068先生(せんせい)の御(ご)命令(めいれい)で参(まゐ)りましたのです。069貴方(あなた)も御存(ごぞん)じの筈(はず)ですが……』
070とて日出雄(ひでを)より来(き)た親展書(しんてんしよ)と、071二代(にだい)教主(けうしゆ)よりの三(さん)人(にん)の入蒙(にふもう)依頼書(いらいしよ)を差出(さしだ)した。072唐国別(からくにわけ)は、
073唐国別『あゝさうですか、074私(わたし)は些(ち)つとも知(し)らなかつた。075さうすると又(また)新(あらた)に三(さん)人(にん)の大先生(だいせんせい)を引受(ひきう)けた様(やう)なものだ。076中々(なかなか)の大任(たいにん)だ。077先生(せんせい)の入蒙(にふもう)に就(つい)ては、078どんな苦心(くしん)をしたか分(わか)りやしない』
079とてこれから入蒙(にふもう)苦心談(くしんだん)に夜(よ)を更(ふ)かし、080更(かう)闌(た)けてから一行(いつかう)は宿(やど)に引取(ひきと)つた。081然(しか)るに其(その)後(ご)第二回(だいにくわい)の会見(くわいけん)に於(おい)ては唐国別(からくにわけ)の態度(たいど)激変(げきへん)し、
082唐国別『先生(せんせい)の現在(げんざい)の御(ご)在所(ざいしよ)は自分(じぶん)には分(わか)りませぬ。083また仮令(たとへ)大先生(だいせんせい)、084二代(にだい)様(さま)のお言葉(ことば)でも、085自分(じぶん)の考(かんが)へに反(はん)した事(こと)は聞(き)き容(い)れる訳(わけ)には行(ゆ)きませぬ』
086とて断乎(だんこ)として三(さん)人(にん)に入蒙(にふもう)を拒絶(きよぜつ)した。087三(さん)人(にん)は其(その)傍若(ばうじやく)無人(ぶじん)の言辞(げんじ)に驚(おどろ)き呆(あき)れ、088且(かつ)憤慨(ふんがい)したが、089扨(さて)何(なん)と詮術(せんすべ)もないので、090スゴスゴと引取(ひきと)る外(ほか)はなかつた。
091 四(し)月(ぐわつ)廿六(にじふろく)日(にち)に至(いた)り、092大倉(おほくら)奥地(おくち)より日出雄(ひでを)の消息(せうそく)を齎(もた)らし帰(かへ)れりとの報告(はうこく)を唐国別(からくにわけ)より受(う)けたので、093一縷(いちる)の望(のぞ)みもやと、094三(さん)人(にん)は急(いそ)いで唐国別(からくにわけ)の店舗(てんぽ)を訪(おとづ)れ大倉(おほくら)に面会(めんくわい)した。095大倉(おほくら)は愛想(あいそ)よく口(くち)を開(ひら)いて語(かた)る。
096大倉『先生(せんせい)は非常(ひじやう)に御(お)元気(げんき)ですから御(ご)安心(あんしん)なさい。097併(しか)し現在(げんざい)入蒙(にふもう)は余程(よほど)困難(こんなん)ですが、098先生(せんせい)より来(こ)いとのお言葉(ことば)なれば、099万難(ばんなん)を排(はい)して奥地(おくち)へお送(おく)り申(まを)しませう。100又(また)先生(せんせい)のお言葉(ことば)なく共(とも)、101強(し)ひて入蒙(にふもう)せられると云(い)ふのなら、102同胞(どうはう)の誼(よしみ)として捨(す)ておく訳(わけ)にも行(ゆ)きませぬでなア』
103 加藤(かとう)等(ら)三(さん)人(にん)は大倉(おほくら)の此(この)言葉(ことば)に稍(やや)心(こころ)勇(いさ)み、104先(さき)に唐国別(からくにわけ)夫人(ふじん)が『強(し)いて入蒙(にふもう)する者(もの)は途中(とちう)で殺(や)つて了(しま)ふと某(ぼう)浪人(らうにん)が言(い)つてますよ』との話(はなし)の裏切(うらぎ)られた嬉(うれ)しさと、105『先生(せんせい)のお言葉(ことば)なら万難(ばんなん)を排(はい)して云々(うんぬん)』といふ信者(しんじや)ならでは聴(き)く事(こと)の出来(でき)ぬ言葉(ことば)を大倉(おほくら)の口(くち)から発(はつ)せられた嬉(うれ)しさに、106此(こ)の機(き)を外(はづ)してはと思(おも)ふ矢先(やさき)、107唐国別(からくにわけ)は、
108唐国別『当地(たうち)に居(ゐ)て一切(いつさい)の事情(じじやう)に精通(せいつう)してゐる吾輩(わがはい)の言(げん)に従(したが)はず、109まだ入蒙(にふもう)を主張(しゆちやう)するのは不都合(ふつがふ)だ』
110と詰(なじ)る。111今迄(いままで)口(くち)を噤(つぐ)んで一言(いちごん)も挟(はさ)まなかつた国分(こくぶ)は此(この)時(とき)初(はじ)めて口(くち)を開(ひら)き、
112国分『此(この)先生(せんせい)からの御(お)手紙(てがみ)が貴方(あなた)の手(て)を経(へ)て来(き)たのなら貴方(あなた)のお言葉(ことば)に従(したが)ひもしませうが、113之(こ)れはさうぢやないのですから、114一応(いちおう)先生(せんせい)に御(ご)照会(せうくわい)願(ねが)ひたいものですな』
115と言(い)へば唐国別(からくにわけ)は頗(すこぶ)る昂奮(かうふん)の態度(たいど)であつたが、116翌日(よくじつ)自分(じぶん)を訪問(はうもん)した藤田(ふぢた)を介(かい)し、117左(さ)の如(ごと)き意味(いみ)の通告(つうこく)を三(さん)人(にん)に与(あた)へたのである。
118唐国別『三(さん)人(にん)の入蒙(にふもう)は絶対(ぜつたい)に拒絶(きよぜつ)する。119自分(じぶん)から手紙(てがみ)で先生(せんせい)の方(はう)へ……来奉者(らいほうしや)は追(お)ひ返(かへ)しますから御(ご)承知(しようち)ありたし……と申遣(まうしつか)はし、120盧(ろ)占魁(せんくわい)には……軍(ぐん)の行動(かうどう)の邪魔(じやま)になる事(こと)は先生(せんせい)の言(げん)と雖(いへど)も聴従(ちやうじゆう)するな……と伝(つた)へ、121尚(なほ)使者(ししや)に対(たい)しては……万一(まんいち)先生(せんせい)から自分(じぶん)の考(かんが)へと違(ちが)つた御(ご)返辞(へんじ)のある場合(ばあひ)には途中(とちう)で握(にぎ)り潰(つぶ)せ……と命(めい)じて置(お)いた。122それでも尚(なほ)自由(じいう)行動(かうどう)を取(と)り入蒙(にふもう)せられるなら、123途中(とちう)の危険(きけん)に対(たい)して吾々(われわれ)は責任(せきにん)を負(お)はない』
124 此(こ)の通告(つうこく)を受(う)けた三(さん)人(にん)は熟議(じゆくぎ)の結果(けつくわ)、125唐国別(からくにわけ)の口吻(こうふん)に女子(ぢよし)の従軍(じうぐん)禁制(きんせい)の旨(むね)もあつた様(やう)だから、126此(この)際(さい)加藤(かとう)は断念(だんねん)し、127国分(こくぶ)、128藤田(ふぢた)の二人(ふたり)だけ入蒙(にふもう)を取計(とりはから)つて貰(もら)ふ事(こと)にしようと一決(いつけつ)し、129加藤(かとう)は大倉(おほくら)を訪問(はうもん)して之(これ)を語(かた)つた所(ところ)が大倉(おほくら)は同情(どうじやう)して『兎(と)に角(かく)先生(せんせい)の御(お)指図(さしづ)を仰(あふ)ぐ迄(まで)、130地方(ちはう)見物(けんぶつ)でもなさいませ』との事(こと)に一縷(いちる)の望(のぞ)みを残(のこ)し131四(し)月(ぐわつ)廿九(にじふく)日(にち)から五(ご)月(ぐわつ)二日(ふつか)まで、132三(さん)人(にん)は撫順(ぶじゆん)、133大連(だいれん)、134旅順(りよじゆん)などを巡覧(じゆんらん)した。135此(この)間(かん)に萩原(はぎはら)は写真機(しやしんき)を携帯(けいたい)して入蒙(にふもう)の途(と)に就(つ)いたのである。
136 三(さん)人(にん)が再(ふたた)び奉天(ほうてん)へ帰来(きらい)した日(ひ)、137王(わう)敬義(けいぎ)は唐国別(からくにわけ)の旨(むね)を含(ふく)んで来訪(らいほう)し、
138王敬義『唐国別(からくにわけ)に無断(むだん)で何故(なぜ)大倉(おほくら)を訪問(はうもん)したか、139それから旅順(りよじゆん)、140大連(だいれん)などと出歩(である)くのは不謹慎(ふきんしん)ぢやないですか』
141と詰(なじ)る。142三(さん)人(にん)は王(わう)敬義(けいぎ)を同情者(どうじやうしや)と信(しん)じて居(ゐ)たので、
143三人の中の一人(加藤?)『唐国別(からくにわけ)より最後(さいご)の通牒(つうてふ)を受(う)けましたので已(や)むを得(え)ず大倉(おほくら)さんに縋(すが)つたのです、144そして大倉(おほくら)さんのお勧(すす)めに依(よ)つて見物(けんぶつ)に行(い)つて参(まゐ)りました』145と答(こた)ふれば、
146王(わう)敬義(けいぎ)『唐国別(からくにわけ)の言(げん)は一(ひと)つの試練(しれん)とは考(かんが)へないですか』
147加藤(かとう)『さう思(おも)ひませぬでした』
148王(わう)敬義(けいぎ)『唐国別(からくにわけ)の言(げん)は瑞霊(ずゐれい)の神懸(かむがかり)と認(みと)めませぬか』
149 加藤(かとう)は『ハイ、150さうは思(おも)ひませぬ』とて今日(けふ)迄(まで)の経過(けいくわ)を精(くは)しく述(の)べたので、151王(わう)敬義(けいぎ)も漸(やうや)く心(こころ)解(と)けて、152種々(しゆじゆ)の便宜(べんぎ)を計(はか)らふ事(こと)となつた。153此(この)時(とき)国分(こくぶ)は憤然(ふんぜん)色(いろ)をなして言(い)ふ、
154国分『唐国別(からくにわけ)の言(げん)を瑞霊(ずゐれい)の神懸(かむがかり)とは何(なん)のこつた。155王(わう)敬義(けいぎ)の価値(かち)も茲(ここ)に至(いた)つては零(ぜろ)だね、156共(とも)に語(かた)るに足(た)る信仰(しんかう)ぢやないね。157若(も)しあの時(とき)加藤(かとう)さんが……承認(しようにん)します……とでも云(い)はうものなら、158今後(こんご)断然(だんぜん)事(こと)を共(とも)にせない積(つも)りだつた』
159と意気(いき)軒昂(けんかう)たるものがあつた。160斯(か)くして奥地(おくち)よりの消息(せうそく)を待(ま)つ中(うち)に、161日出雄(ひでを)より『此(この)際(さい)女子(ぢよし)の入蒙(にふもう)は困難(こんなん)なれば、162日奉間(につぽうかん)を往復(わうふく)して連絡(れんらく)の用務(ようむ)を勤(つと)めよ』との伝達(でんたつ)あり、163国分(こくぶ)、164藤田(ふぢた)に関(くわん)しては何(なん)等(ら)の伝言(でんごん)なく、165大倉(おほくら)の同情(どうじやう)は全(まつた)く一時(いちじ)の気安(きやす)めであつた事(こと)判明(はんめい)し、166藤田(ふぢた)は『ナアニ、167構(かま)ふものか、168それでは飛行機(ひかうき)を用意(ようい)して来(く)る』とて単身(たんしん)帰国(きこく)して了(しま)つた。169其(その)後(あと)へ名田彦(なだひこ)が使者(ししや)として奥地(おくち)より来奉(らいほう)し、170種々(しゆじゆ)消息(せうそく)を伝(つた)へたが、171主(しゆ)として自身(じしん)の苦心談(くしんだん)や、172愚痴(ぐち)のみにて要領(えうりやう)を得(え)ず、173只(ただ)僅(わづか)に『暫(しばら)く自由(じいう)行動(かうどう)を採(と)つて時機(じき)を待(ま)て』との伝言(でんごん)が含(ふく)まれてゐるらしく思(おも)はれたので、174加藤(かとう)、175国分(こくぶ)の両人(りやうにん)も遂(つひ)に時機(じき)の到来(たうらい)せざるを察(さつ)し、176五(ご)月(ぐわつ)八日(やうか)意(い)を決(けつ)して帰国(きこく)の途(と)に就(つ)いたのである。177途々(みちみち)国分(こくぶ)は微笑(びせう)しながら、
178国分『藤田(ふぢた)君(くん)の飛行機(ひかうき)入蒙(にふもう)計画(けいくわく)もよからうが、179今(いま)の世(よ)の中(なか)は黄金(こがね)の弾丸(だんぐわん)に限(かぎ)るよ、180金(かね)さへあれば浪人(らうにん)の鬼面(きめん)も直(す)ぐ恵比須(ゑびす)顔(がほ)に変(かは)るよ。181さうすりや門番神(もんばんがみ)を出(だ)しぬいて、182道案内(みちあんない)させる位(ぐらゐ)は朝飯前(あさめしまへ)の仕事(しごと)だ』
183と加藤(かとう)を顧(かへり)みて笑(わら)つた。184帰来後(きらいご)三(さん)人(にん)は三様(さんやう)の活動(くわつどう)方針(はうしん)を取(と)つたが、185其(その)後(ご)加藤(かとう)は米倉(よねくら)範治(はんぢ)の紹介(せうかい)で嘗(かつ)て満蒙(まんもう)の野(の)に驍名(げうめい)を轟(とどろ)かせた劉(りう)武林(ぶりん)事(こと)緑川(みどりかは)貞司(ていじ)に師事(しじ)し、186馬術(ばじゆつ)の稽古(けいこ)をはじめ、187緑川(みどりかは)を案内者(あんないしや)として入蒙(にふもう)の意(い)を果(はた)すべく湯浅(ゆあさ)清高(きよたか)、188谷前(たにまへ)清子(きよこ)、189松村(まつむら)清香(きよか)、190東尾(ひがしを)輝子(てるこ)等(ら)を招集(せうしふ)すべく準備中(じゆんびちう)、191通遼(つうれう)[※パインタラのこと]の異変(いへん)に接(せつ)したのである。
192 唐国別(からくにわけ)等(ら)が加藤(かとう)等(ら)の入蒙(にふもう)を拒(こば)んだのは、193加藤(かとう)等(ら)の入蒙(にふもう)は大(だい)庫倫(クーロン)着(ちやく)の後(のち)と、194予(かね)て日出雄(ひでを)から聴(き)いてゐた外(ほか)、195何(なん)等(ら)の命令(めいれい)を受(う)けなかつたからであつた。
196(大正一四、八、筆録)
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