猪野軍医は前夜のうちに、従卒の蒙古人を連れて、脱走してしまっていた。パインタラから七八十支里の場所で、山路の向こうの谷あいに、六七十騎の兵隊が、平行して進んでいるのが見えた。
盧占魁はそれを見るや、馬にまたがって先頭部隊を追いかけた。日出雄が追いついたころは、盧占魁が主な武将と密議を凝らしている最中であった。
やがて全部隊はそれぞれ村落の民家に宿営したが、盧占魁は日出雄と真澄別に人払いの上面会を乞いに来た。そして、一度奉天に行って張作霖と談判しなければ虫が治まらない、ついては神勅を伺ってください、と言った。
日出雄は、神勅は先般のとおり、パインタラに行くのは薪を抱いて火に飛び込むのと同じ、と真澄別に伝えさせた。盧はそんなはずはないと言い、先ほど平行していた騎兵たちは自分たちの討伐隊ではない、と否定した。
真澄別が盧の認識は間違っているのではないか、とたしなめようとした時に、盧の副官が厳封した密書を持ってきた。それには、武装解除しない限り、パインタラには入ることはできない、としたためてあった。
盧はもしものことがあったら、パインタラに暴風雨か大洪水が起こるように祈願してください、と言い残して、あわただしく去っていった。
日出雄と真澄別は庭前に座して、神に祈願を凝らした。神勅は、当日午後六時以降より異変打ち続くべし、されど洪水などはみだりに起こすべきものにあらず、皆それぞれの人心、時期に応ず、というものであった。
後に日出雄らがパインタラの獄舎を出てから後、パインタラは二度まで大洪水に見舞われ、惨憺たる光景を呈してしまったという。
そうするうちに、すでに日出雄の仮本営にも官兵の従卒たちが入り込んで、双方打ち解けて談笑するという有様になっていた。盧占魁は官兵に案内で、井上を伴って日出雄を同道してパインタラに入ることになったという。真澄別は次の日に、やはり官兵の護衛で後からパインタラ入りすることになった。
日出雄が先にパインタラに出立した後、噂が噂を呼び、劉陞山の部隊は姿を消し、脱営を企てるものが後を絶たなかったという。
翌日、真澄別らは一個師団はある官兵に包囲されて拘束された。盧占魁は官兵に送られて帰って来た。長時間の協議の結果、盧占魁の軍はすべて武器を台車数台に積み込まれた。
市内につくと、日出雄と井上が馬車に乗っているのに合流した。一同は兵営内に連れて行かれ、盧占魁の従卒たちはご馳走による歓迎を受けた。日出雄は士官に案内されて、宿所である鴻賓旅館に向かった。