霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第三五章 黄泉(よみ)(がへり)

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 特別篇 山河草木 入蒙記 篇:第5篇 雨後月明 よみ(新仮名遣い):うごげつめい
章:第35章 黄泉帰 よみ(新仮名遣い):よみがえり 通し章番号:
口述日:1925(大正14)年08月 口述場所: 筆録者: 校正日: 校正場所: 初版発行日:1925(大正14)年2月14日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじは東京の望月さん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]
六月二十一日の夜、日出雄が鴻賓旅館で捕縛されたとき、そこに泊まり合わせていた日本人某がふと庭にお取次ぎを行う杓子を見つけた。そして日出雄の歌と拇印が記されているのを認め、日出雄一行の遭難を知ったのである。
パインタラから一番の汽車に乗ると、鄭家屯の日本領事館に届け出た。領事館はすぐに土屋書記生を急行せしめ、二十二日の夕ごろにパインタラに着き、知事に面会して日出雄一行の引渡しを要求した。土屋書記生は獄舎につながれている日出雄一行にも面会し、安心するようにと言いおいて帰って行った。
書記生が来る前は、日出雄一行の処置に着いて、蒙古人として処刑することに決まり、準備をしていたそうである。ところが、日本領事館に知れたことがわかり、国際上の後難を恐れて、決行するに至らなかったという。
翌日、居留日本人会長・太田勤氏、満鉄公所の志賀秀二氏が面会に来て、官憲と種々協議の結果、ようやく手かせのみ解かれることになった。国際法によれば、領事館引渡し要求から二十四時間以内に引渡しを行うべきところ、三十日までパインタラに拘束されていたのは、日本領事館と現地官憲との交渉が難しかったためであるとのことであった。
四五日経ってから日本人一同は、パインタラ県知事の法廷に引き出され、馬賊でないかどうか取調べを受けた。一同は自分たちは馬賊ではないと言って反駁した。六月三十日には、鄭家屯において同様の取調べを受けた。
七月五日の夕暮れ、鄭家屯の日本領事館に引き渡されることになった。領事館にて一応の取調べを受けた後、久しぶりに湯を使った。監房で一夜を明かし、翌六日、奉天の総領事館に送られた。
奉天にはすでに名田彦、山田、小林らが収容されており、しばらくして大倉が入ってきた。取調べの結果、三年間支那からの退去処分ということに落ち着いた。日本から中野岩太、隆光彦が役員信者代表として奉天に出張し、奉天支部の西島と共に差し入れその他について奔走した。
七月二十一日に大連に着き、船で門司に送られた。日出雄は船内で船長や乗客に請われて大本教義についての公演や揮毫を求められた。日本の玄関口に到着したのは、七月二十五日であった。その光景はあたかも凱旋将軍を迎えるがごとき有様であった。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる] 備考:2024/2/17出口王仁三郎全集第6巻を底本として校正。 タグ: データ凡例: データ最終更新日:2024-02-17 16:10:07 OBC :rmnm35
愛善世界社版:322頁 八幡書店版:第14輯 665頁 修補版: 校定版:325頁 普及版: 初版: ページ備考:
001 日出雄(ひでを)(ろく)(ぐわつ)二十一(にじふいち)(にち)()6月22日の午前1時頃002白音太拉(パインタラ)鴻賓(こうひん)旅館(りよくわん)寝込(ねこみ)捕縛(ほばく)された(とき)003(をり)よく其処(そこ)宿(とま)つて()日本人(につぽんじん)(ぼう)が、004(あさ)になつてふと(には)()ると、005皇道(くわうだう)大本(おほもと)神器(しんき)として病者(びやうしや)祈願(きぐわん)(もち)ゆる杓子(しやくし)一本(いつぽん)遺棄(ゐき)されてあつた。
006 (その)杓子(しやくし)には
 
007 天地(あめつち)身魂(みたま)(すく)(この)杓子(しやくし)(こころ)のままに世人(よびと)(すく)はん
 
008(おもて)(しる)(その)(うら)には
 
009 この杓子(しやくし)(わが)(うま)れたる十二夜(じふにや)(つき)姿(すがた)にさも()たるかな
010      王仁(わに)フリガナ「わに」は底本(全集)通り。
 
011(しる)し、012拇印(ぼいん)押捺()してあつたのを()つけ()し、013(おどろ)いて日出雄(ひでを)一行(いつかう)遭難(さうなん)()り、014白音太拉(パインタラ)から一番(いちばん)汽車(きしや)()り、015鄭家屯(ていかとん)日本(につぽん)領事館(りやうじくわん)(とど)けて()た。016領事館(りやうじくわん)では(おどろ)いて土屋(つちや)書記生(しよきせい)急行(きふかう)せしむる(こと)となつた。017()日出雄(ひでを)(すべ)ての所持品(しよぢひん)兵営(へいえい)(あづけ)ると()()(もと)没収(ぼつしう)され、018真澄別(ますみわけ)(ほか)一同(いちどう)所持金(しよぢきん)から帽子(ばうし)019(くつ)020帯革(おびかは)(その)()所有(しよいう)携帯品(けいたいひん)支那(しな)巡警(じゆんけい)から掠奪(りやくだつ)されて仕舞(しま)つたさうである。021(かれ)巡警(じゆんけい)()今晩(こんばん)日本人(につぽんじん)全部(ぜんぶ)銃殺(じゆうさつ)(けい)(しよ)せらるると()(こと)()いて()たから、022()つたら取得(とりどく)だと()(かんがへ)で、023真裸体(まつぱだか)として(しま)つたのである。024一方(いつぱう)土屋(つちや)書記生(しよきせい)二十二(にじふに)(にち)(ゆふ)(ごろ)白音太拉(パインタラ)()き、025通遼(つうれう)公署(こうしよ)(いた)り、026知事(ちじ)面会(めんくわい)し、027日出雄(ひでを)一行(いつかう)引渡(ひきわた)しを交渉(かうせふ)した。028さうして(よく)早朝(さうてう)土屋(つちや)()日出雄(ひでを)(つな)がれて()監獄(かんごく)見舞(みまひ)()て、029親切(しんせつ)(なぐさ)め、030もう領事館(りやうじくわん)から()()(うへ)は、031生命(せいめい)大丈夫(だいぢやうぶ)です安心(あんしん)なさいと()ふて(かへ)つて()つた。
032 書記生(しよきせい)白音太拉(パインタラ)()いた二十二(にじふに)(にち)()は、033(なん)となく(さわ)がしく、034四方(しはう)八方(はつぱう)から数百千(すうひやくせん)とも()れぬ(いぬ)(こゑ)(きこ)え、035何事(なにごと)勃発(ぼつぱつ)しさうな形勢(けいせい)であつた。036(あと)から()いて()れば、037書記生(しよきせい)日出雄(ひでを)面会(めんくわい)する(まへ)038蒙古人(もうこじん)として銃殺(じゆうさつ)する準備(じゆんび)をして()たと()(こと)である。039(しか)(なが)最早(もはや)日本(につぽん)領事館(りやうじくわん)(わか)つた以上(いじやう)040国際(こくさい)(じやう)後難(こうなん)(おそ)れ、041(その)()決行(けつかう)(いた)らなかつた。042書記生(しよきせい)日出雄(ひでを)()面会(めんくわい)してより(やうや)くにして(なは)()き、043各々(おのおの)足枷(あしかせ)()れられ、044日出雄(ひでを)守高(もりたか)045井上(ゐのうへ)萩原(はぎはら)046真澄別(ますみわけ)坂本(さかもと)三組(さんくみ)047二人(ふたり)づつ手枷(てかせ)(つな)がれ、048便所(べんじよ)()くにも弾丸(たま)をこめた(へい)銃剣(じゆうけん)()して警戒(けいかい)し、049巡警(じゆんけい)弾込(たまこ)(じゆう)()つて、050大小便(だいせうべん)ともついて()た。
051 (その)翌日(よくじつ)052居留(きよりう)日本人(につぽんじん)会長(くわいちやう)太田(おほた)(つとむ)(およ)満鉄(まんてつ)公所(こうしよ)志賀(しが)秀二(ひでじ)二氏(にし)面会(めんくわい)()て、053種々(しゆじゆ)支那(しな)官憲(くわんけん)交渉(かうせふ)した結果(けつくわ)054(やうや)くにして手枷(てかせ)のみを()かれる(こと)となつた。055四五(しご)(にち)()つた(とき)056日本(につぽん)より広瀬(ひろせ)義邦(よしくに)水也(みづや)商会(しやうくわい)小野(をの)(ぼう)(とも)公署(こうしよ)()日出雄(ひでを)面会(めんくわい)し、057()太田(おほた)058志賀(しが)両氏(りやうし)(かね)(あづ)けて日出雄(ひでを)()一行(いつかう)(すべ)ての差入(さしい)れを依頼(いらい)した。059それ(まで)日出雄(ひでを)一行(いつかう)支那(しな)(しよく)高粱飯(かうりやうめし)不味(まづ)味噌(みそ)をそへて()ひ、060不自由(ふじゆう)獄舎(ごくしや)生活(せいくわつ)(おく)つて()たのである。061種々(しゆじゆ)差入(さしいれ)ものが()()ると、062支那(しな)巡警(じゆんけい)部長(ぶちやう)一々(いちいち)折箱(をりばこ)などを()けて()ては、063(これ)美味(うまい)だらうとか、064不味(まづい)だらうとか()つては一口(ひとくち)()ひ、065二口(ふたくち)()ひ、066弁当(べんたう)余剰(あま)つたのは餓鬼(がき)(ごと)(あらそ)ひて(くつ)(しま)ふ。067(また)ビールやサイダー、068葡萄酒(ぶだうしゆ)などの空瓶(あきびん)出来(でき)ると(わたし)()()れと、069日出雄(ひでを)一行(いつかう)(たの)()んで()つて(かへ)るのであつた。
070 さうして知事(ちじ)監獄長(かんごくちやう)071(その)()から、072我々(われわれ)にも相当(さうたう)謝礼(しやれい)(もら)()い、073貴方(あなた)(がた)(ころ)される(ところ)であつたのを、074知事(ちじ)監獄長(かんごくちやう)斡旋(あつせん)生命(いのち)(たす)かつたのだ、075公然(こうぜん)賄賂(わいろ)要求(えうきう)する。076日本(につぽん)警察官(けいさつくわん)(くら)ぶれば(その)(いや)しい(こと)077品格(ひんかく)下劣(げれつ)なること、078口卑(くちいや)しい(こと)など、079到底(たうてい)内地人(ないちじん)想像(さうざう)せられぬ(ほど)である。080巡警(じゆんけい)部長(ぶちやう)(わう)(ぼう)親切(しんせつ)日出雄(ひでを)(あか)()いた(あし)()(あら)ひ、081(かた)()みなどして親切(しんせつ)介抱(かいほう)をし、
082大人(たいじん)日本(につぽん)(かへ)らるる(とき)(わたし)()れて(かへ)つて(くだ)さい、083巡警(じゆんけい)()めて大本(おほもと)信者(しんじや)となり、084(には)掃除(さうじ)でもさして(いただ)()い』
085(たの)()むのであつた。086日出雄(ひでを)は、
087日出雄奉天(ほうてん)()いた(うへ)088模様(もやう)()つて電報(でんぱう)()つから、089電報(でんぱう)(とど)いたら奉天(ほうてん)(まで)()()い、090日本(につぽん)同道(どうだう)する』
091 と()つてやつたら、092(わう)部長(ぶちやう)非常(ひじやう)(よろこ)んだ。093国際法(こくさいはふ)()つて領事館(りやうじくわん)から引渡(ひきわた)しを要求(えうきう)した(とき)は、094二十四(にじふよ)時間(じかん)(ない)引渡(ひきわた)すべきものなるに、095二十一(にじふいち)(にち)()から三十(さんじふ)(にち)(まで)十日間(とをかかん)パインタラに(つな)いで()いたのは、096余程(よほど)日本(につぽん)領事館(りやうじくわん)支那(しな)官憲(くわんけん)との交渉(かうせふ)(むつ)()かつた(ため)であつたとの(こと)である。
097 四五(しご)(にち)()つてから日本人(につぽんじん)一同(いちどう)通遼県(つうれうけん)知事(ちじ)法廷(はふてい)引出(ひきだ)され、098日本語(につぽんご)通訳官(つうやくくわん)(かい)して取調(とりしら)べを()けた。099(この)取調(とりしらべ)要点(えうてん)は、100日出雄(ひでを)名刺(めいし)素尊汗(スーツンハン)()いてあるが、101(ハン)()へば蒙古(もうこ)第一(だいいち)(わう)名称(めいしよう)である。102(また)出生地(しゆつしやうち)蒙古(もうこ)(くに)としてあるが、103蒙古(もうこ)支那(しな)版図(はんと)であつて、104蒙古国(もうここく)()国名(こくめい)()(はず)だ。105(なんぢ)()占魁(せんくわい)使嗾(しそう)して宗教(しうけう)(おもて)蒙古(もうこ)独立(どくりつ)(くはだ)てたのであらう、106()ふのである。107日出雄(ひでを)平然(へいぜん)として
108日出雄自分(じぶん)支那(しな)新宗教(しんしうけう)道院(だうゐん)宣伝使(せんでんし)だ。109蒙古(もうこ)()宗教(しうけう)宣伝(せんでん)するの特権(とくけん)()つてゐる。110さうして蒙古(もうこ)(くに)()つたのは(べつ)(ふか)意味(いみ)があるのでは()い、111我々(われわれ)日本(につぽん)(くに)には八十(はちじふ)()()国名(こくめい)があり、112丹波(たんば)(くに)113丹後(たんご)(くに)114山城(やましろ)(くに)などと小区劃(せうくくわく)国名(こくめい)()んで()る。115さうだから支那(しな)(いち)区域(くくわく)「区域」にフリガナ「くくわく」は底本(全集)通り。たる蒙古(もうこ)蒙古(もうこ)(くに)()いたのだ。116自分(じぶん)蒙古(もうこ)のみならず、117新彊(しんきやう)118印度(インド)119西蔵(チベツト)120支那(しな)()ふに(およ)ばず、121露西亜(ロシア)122西比利亜(シベリア)()欧羅巴(ようろつぱ)天地(てんち)(まで)宗教(しうけう)(てき)王国(わうこく)建設(けんせつ)するのだから、123(ちひ)さい蒙古(もうこ)などに執着(しふちやく)して()るのではない。124さうして宗教(しうけう)国境(こくきよう)超越(てうゑつ)して()るのだ』
125 と()べた(ところ)126知事(ちじ)二三(にさん)(くわい)うなづいて、127日出雄(ひでを)獄舎(ごくしや)(かへ)した。128(つぎ)には真澄別(ますみわけ)以下(いか)()(めい)一人(ひとり)づつ()()されて取調(とりしら)べを()けたが、129真澄別(ますみわけ)憤然(ふんぜん)として知事(ちじ)(その)()訊問官(じんもんくわん)(むか)
130真澄別我々(われわれ)馬賊(ばぞく)とは()しからぬ、131貴官(きくわん)()占魁(せんくわい)馬賊(ばぞく)()はれるが、132(かれ)(ひさ)しく行動(かうどう)(とも)にして()()たが、133(かれ)には(すこ)しも馬賊(ばぞく)(てき)行為(かうゐ)()かつた。134それよりも支那(しな)官兵(くわんぺい)自分(じぶん)()所持金(しよぢきん)掠奪(りやくだつ)し、135(その)()一切(いつさい)所持品(しよぢひん)(ぬす)()つたでは()いか。136泥棒(どろばう)する(もの)官兵(くわんぺい)()ひ、137泥棒(どろばう)せない(もの)馬賊(ばぞく)()ふのか、138(ちやう)作霖(さくりん)だつて、139(その)()有名(いうめい)督軍(とくぐん)だつて(もと)馬賊(ばぞく)ぢやないか、140自分(じぶん)馬賊(ばぞく)()ふのならそれでよい。141まづ馬賊(ばぞく)定義(ていぎ)から()かして(もら)()い』
142()ふ。143萩原(はぎはら)(また)真澄別(ますみわけ)(おな)(こと)()ふて知事(ちじ)(その)()()こずらす。
144 (つぎ)守高(もりたか)145井上(ゐのうへ)146坂本(さかもと)(さん)(にん)(たい)し、147武器(ぶき)携帯(けいたい)して()ただらうと(きび)しく訊問(じんもん)した。148(いづ)れも日出雄(ひでを)先生(せんせい)のお弟子(でし)であつて宗教家(しうけうか)だと()()け、149やつと公署(こうしよ)調(しら)べも()んだ。150それから一行(いつかう)(ろく)(にん)足枷(あしかせ)()められた(まま)151門口(かどぐち)(なら)べられ一葉(いちえう)写真(しやしん)()られた(うへ)152(その)翌日(よくじつ)(ろく)(ぐわつ)三十(さんじふ)(にち)荷車(にぐるま)三台(さんだい)()せられ、153銃剣(じゆうけん)をつけた兵士(へいし)(ろく)(めい)(おく)られて汽車(きしや)()り、154鄭家屯(ていかとん)道尹(だういん)護送(ごそう)され、155(つい)同地(どうち)警官(けいくわん)教習所(けうしふじよ)拘留所(かうりうじよ)警官室(けいくわんしつ)足枷(あしかせ)()められた(まま)分置(ぶんち)せられた。156其処(そこ)横尾(よこを)敬義(ゆきよし)157井口(ゐぐち)藤五郎(とうごらう)両人(りやうにん)見舞(みまひ)()日出雄(ひでを)一行(いつかう)(なぐさ)めた。158其処(そこ)(ふたた)道尹(だういん)取調(とりしら)べを()けたが、159(たづ)ねる(こと)も、160(こた)へる(こと)も、161白音太拉(パインタラ)同様(どうやう)であつた。
162 (しち)(ぐわつ)五日(いつか)夕暮(ゆうぐれ)163鄭家屯(ていかとん)日本(につぽん)領事館(りやうじくわん)()(わた)さるる(こと)になつた。164(わか)れに(のぞ)んで道尹(だういん)高等官(かうとうくわん)以下(いか)十数(じふすう)(めい)は、165(すみ)(ふで)とを用意(ようい)して日出雄(ひでを)揮毫(きがう)()ふた。166日出雄(ひでを)(こころよ)(かれ)()請求(せいきう)(おう)じ、167(うで)(ふる)ふて大小(だいせう)数十(すうじふ)文字(もんじ)()(あた)へた。168()十二(じふに)()(ごろ)日本(につぽん)領事館(りやうじくわん)()(わた)り、169一応(いちおう)取調(とりしら)べを()け、170領事館(りやうじくわん)にて(ひさ)()りで()使(つか)(あか)(おと)し、171監房(かんばう)一夜(いちや)(あか)し、172(よく)六日(むいか)通常服(つうじやうふく)領事館(りやうじくわん)警察(けいさつ)署長(しよちやう)以下(いか)()(にん)(おく)られ奉天(ほうてん)総領事館(そうりやうじくわん)収容(しうよう)された。173(その)(とき)(すで)名田彦(なだひこ)174山田(やまだ)175小林(こばやし)(さん)(にん)収容(しうよう)されて()り、176(しばら)くして大倉(おほくら)這入(はひ)つて()都合(つがふ)(じふ)(にん)になつた。177取調(とりしら)べの結果(けつくわ)(さん)(ねん)退支(たいし)処分(しよぶん)一件(いつけん)落着(らくちやく)した。
178 (これ)より(さき)179日本(につぽん)から中野(なかの)岩太(いはた)180隆光彦(たかてるひこ)二人(ふたり)役員(やくゐん)信者(しんじや)代表(だいへう)として出張(しゆつちやう)し、181差入(さしい)(もの)(その)()について奉天(ほうてん)支部(しぶ)西島(にしじま)(とも)奔走(ほんそう)した。
182 (しち)(ぐわつ)二十一(にじふいち)(にち)三浦(みうら)検事(けんじ)(ほか)(さん)(めい)警察官(けいさつくわん)(おく)られ大連(だいれん)水上署(すゐじやうしよ)()き、183(この)()より(また)()(めい)警官(けいくわん)(おく)られ、184ハルピン(まる)にて門司(もじ)()いた。185航海中(かうかいちう)日出雄(ひでを)船長(せんちやう)以下(いか)乗客(じやうきやく)依頼(いらい)(おう)じて大本(おほもと)教義(けうぎ)(くわん)する演説(えんぜつ)()し、186沢山(たくさん)揮毫(きがう)をし、187数多(あまた)信者(しんじや)(むか)へられ、188日本(につぽん)玄関口(げんくわんぐち)安着(あんちやく)したのは(しち)(ぐわつ)二十五(にじふご)(にち)午前(ごぜん)であつた。189(その)光景(くわうけい)(あだか)凱旋(がいせん)将軍(しやうぐん)(むか)ふるが(ごと)有様(ありさま)であつた。
190大正一四、八、筆録)
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