霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第二三章 (しも)木局子(ムチヅ)

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 特別篇 山河草木 入蒙記 篇:第4篇 神軍躍動 よみ(新仮名遣い):しんぐんやくどう
章:第23章 下木局子 よみ(新仮名遣い):しもむちず 通し章番号:
口述日:1925(大正14)年08月 口述場所: 筆録者: 校正日: 校正場所: 初版発行日:1925(大正14)年2月14日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじは東京の望月さん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]
五月六日、萩原敏明、井上兼吉が軍用品を数台の台車に満載してやってきた。萩原はこの日が初めての蒙古入りであった。その中には、日出雄の西王母の服や数珠や払子、宣伝使服などが入っていた。
五月十一日は、日出雄が出国以来満三ケ月になる。蒙古の現地の民が鶏を献上しに来たので、洗礼を施していると、公爺府の老印君らがやってきて、日出雄と盧占魁に挨拶に来た。そして、ともに進軍することを願ってやまなかった
五月十三日には仏爺ラマが、部下のラマ僧と兵士を従えて日出雄を来訪した。日出雄は真澄別に接見を任せて、ラマ教との提携を約束せしめた。
旅長の張彦三は兵士を引き連れて、上木局子に進軍した。これは日出雄の宿営地を調査するためであった。
同じ日に、洮南府の長栄号主任・三井寛之助および佐々木から、一千の官兵が馬賊討伐のために進軍中なので、日本人の索倫入りは困難である旨、連絡が来た。盧占魁の進言により、上木局子へと進出することとなった。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる] 備考:2024/1/23出口王仁三郎全集第6巻を底本として校正。 タグ: データ凡例: データ最終更新日:2024-01-23 03:04:55 OBC :rmnm23
愛善世界社版:209頁 八幡書店版:第14輯 624頁 修補版: 校定版:211頁 普及版: 初版: ページ備考:
001 ()(ぐわつ)六日(むいか)(きう)()(ぐわつ)三日(みつか)日出雄(ひでを)(あさ)から(ばん)まで達頼(タアライ)喇嘛(ラマ)法服(ほふふく)をつけて悍馬(かんば)(またが)り、002大原野(だいげんや)馳駆(ちく)した結果(けつくわ)にや、003(こし)(いた)め、004午前中(ごぜんちう)臥床(ぐわしやう)してゐたが、005(にはか)便通(べんつう)(もよほ)し、006パサパーナの()めに陣営(ぢんえい)北方(ほくほう)なる枯草(かれくさ)()()で『イリチーカ』(驢馬(ろば))の交尾(かうび)する(さま)面白(おもしろ)(わら)(なが)打眺(うちなが)め、007(その)オチコの(だい)なること、008(うま)(ごと)くなるに(あき)れ、009従卒(じうそつ)(とも)広野(くわうや)横臥(わうぐわ)し、0091大笑(おほわら)ひをしてゐると、010そこへ萩原(はぎはら)敏明(としあき)011井上(ゐのうへ)兼吉(かねきち)()(めい)軍用品(ぐんようひん)数台(すうだい)大車(だいしや)満載(まんさい)し、012悍馬(かんば)(むちう)驀地(まつしぐら)(はし)つて()た。013萩原(はぎはら)蒙古入(もうこいり)をしたのは(この)()(はじ)めてである。014萩原(はぎはら)洮南(たうなん)より索倫(ソーロン)(きた)途中(とちう)015三回(さんくわい)落馬(らくば)した失敗談(しつぱいだん)繰返(くりかへ)して(かた)つた。016そこへ(さん)(めい)騎兵(きへい)()はれて017(かみ)木局子(もくきよくし)方面(はうめん)から数百(すうひやく)(とう)荒馬(あらうま)司令部(しれいぶ)()いた。018(これ)(うま)操縦(さうじう)(めう)()たる蒙古人(もうこじん)であつて、019(その)(あと)から十数(じふすう)(めい)騎兵(きへい)(これ)(まも)りつつ(すす)んで()た。020萩原(はぎはら)021井上(ゐのうへ)(おく)つて()軍需品(ぐんじゆひん)(なか)には西王母(せいわうぼ)(ふく)や、022珠数(じゆづ)「珠数」は底本(全集)通り。一般には「数珠」と書くが「珠数」でも間違いではない。023払子(ほつす)024宣伝使(せんでんし)(ふく)(とう)025日出雄(ひでを)必要品(ひつえうひん)這入(はい)つて()た。
026 萩原(はぎはら)はその翌日(よくじつ)から公爺府(コンエフ)以西(いせい)撮影(さつえい)した写真(しやしん)現像(げんぞう)(はじ)めた。027()()つて日出雄(ひでを)真澄別(ますみわけ)(とも)四五(しご)護衛兵(ごゑいへい)引連(ひきつ)れ、028衛門(ゐいもん)()(そら)(なが)めてゐると、029忽然(こつぜん)として西北(せいほく)(そら)大彗星(だいすゐせい)出現(しゆつげん)した。030不思議(ふしぎ)にも(この)彗星(すゐせい)三四十(さんしじつ)(ぷん)(あひだ)(あと)もなく()えて(しま)つた。031護衛長(ごゑいちやう)(ひやう)巨臣(きよしん)(この)現象(げんしやう)()て、032屹度(きつと)明日(みやうにち)大暴風(だいばうふう)(おこ)ります。033あの彗星(すゐせい)()ますと(むかし)から蒙古(もうこ)では大暴風(だいばうふう)があるのです。034さうして(この)彗星(すゐせい)御覧(ごらん)(ごと)低空(ていくう)(かか)つて()ります。035それ(ゆゑ)支那(しな)朝鮮(てうせん)からは(あふ)()ることは出来(でき)ませぬ云々(うんぬん)』と説明(せつめい)した。
036 (ぐん)司令部(しれいぶ)編成(へんせい)()つたので日出雄(ひでを)(しばら)小閑(せうかん)()037()占魁(せんくわい)038()全孝(ぜんかう)039(をん)長興(ちやうこう)040真澄別(ますみわけ)(その)()十数(じふすう)(めい)衛兵(ゑいへい)(ともな)ひ、041北方(ほくほう)丘陵(きうりよう)(のぼ)り、042地図(ちづ)(ひら)いて地形(ちけい)調(しら)べてゐた。043日出雄(ひでを)()占魁(せんくわい)山下(やました)原野(げんや)数多(あまた)兵士(へいし)調練(てうれん)をやつてゐるのを望遠鏡(ばうゑんきやう)(もつ)瞰下(かんか)してゐたが、044(たちま)()占魁(せんくわい)は『ブウブウブウブウ』と七八(しちはち)(だん)連発(れんぱつ)(てき)放屁(はうひ)をなし、045ニツコリともせず真面目(まじめ)(かほ)してゐる、046日出雄(ひでを)()けぬ()になり、047()占魁(せんくわい)(まへ)()つて八九(はちきう)(はつ)機関銃(きくわんじう)のやうに連発(れんぱつ)したが、048それでも()占魁(せんくわい)はニコリともせず、049素知(そし)らぬ(かほ)をしてゐる。050蒙古人(もうこじん)(ひと)(まへ)()()ることは(なん)とも(おも)つてゐない。051(また)(ひと)()(はな)つても()(かい)せず、052日本人(につぽんじん)のやうに可笑(をか)しがつて(わら)ふと()(こと)はない。053()出物(でもの)054腫物(はれもの)055(ところ)(きら)はずだ。056三宝(さんぽう)さんが欠伸(あくび)した(くらゐ)(かん)じてゐると()(こと)だ。057(これ)(はん)して(ひと)(まへ)欠伸(あくび)をすることは大変(たいへん)失礼(しつれい)になり、058侮辱(ぶぢよく)したと()つて(いか)ると()ふ。059(ところ)(かは)れば(しな)(かは)るとは、060よく()つたものである。
061 一同(いちどう)(やま)(くだ)つて(ある)民家(みんか)立寄(たちよ)ると沢山(たくさん)(とり)()つてあつた、062(いま)()んだ(ばか)りの(かは)(やはらか)鶏卵(けいらん)(ふた)(みつ)つあつた。063それを(その)(いへ)主人(しゆじん)()ぐに()()せて日出雄(ひでを)(まへ)(ひざまづ)き、064イオエミトポロハナ、065テーハウントコ、066シヤルトゲア(大活仏(だいくわつぶつ)067鶏卵(けいらん)献上(けんじやう))と()つて日出雄(ひでを)(あた)へた。068日出雄(ひでを)(よろこ)んで真澄別(ますみわけ)(とも)一個(いつこ)づつ(その)()()うた。069これより沢山(たくさん)兵士(へいし)(とり)(たまご)()みたてがあれば、070騎馬(きば)(またが)五六(ごろく)支里(しり)(ところ)(とほ)しとせず、071日出雄(ひでを)()きだと()ふので()つて()るやうになつた。072()になると『カツコーカツコー』と()ふて彼方(あち)此方(こち)からの山林(さんりん)から(めう)(こゑ)(きこ)えて()る。073(この)(とり)()()すと蒙古人(もうこじん)(あは)高粱(かうりやう)(たね)()(はじ)めるのである。074(ひる)真澄別(ますみわけ)日出雄(ひでを)(したた)めておいた日記(につき)支那字(しなじ)(つく)つた小説(せうせつ)(とう)()んで日出雄(ひでを)無聊(ぶれう)(なぐさ)め、075守高(もりたか)076坂本(さかもと)日出雄(ひでを)手足(てあし)()んだり、077日出雄(ひでを)日記(につき)浄写(じやうしや)したりしてゐた。078名田彦(なだひこ)公爺府(コンエフ)以来(いらい)079日出雄(ひでを)頭髪(とうはつ)(そろ)へたり、080(かほ)()つたり、081洮児(トール)(がは)捕獲(ほくわく)して兵士(へいし)(おく)つて()た『トーラボー』と()(うを)料理(れうり)日出雄(ひでを)一行(いつかう)(すす)めて()た。
082 蒙古兵(もうこへい)083支那兵(しなへい)昼夜(ちうや)間断(かんだん)なく、084(かは)(がは)る、085日出雄(ひでを)住宅(ぢゆうたく)入口(いりぐち)()(めい)づつ()つて護衛(ごゑい)してゐた。086時々(ときどき)角砂糖(かくざたう)(あめ)日出雄(ひでを)()から(もら)つて子供(こども)(ごと)くに(よろこ)んでゐる。087日出雄(ひでを)沢山(たくさん)腕時計(うでどけい)奉天(ほうてん)より(おく)らせ088護衛兵(ごゑいへい)一般(いつぱん)一個(いつこ)づつ(あた)へ、089支那製(しなせい)巻煙草(まきたばこ)二十本(にじつぽん)()りを一人(ひとり)二個(にこ)づつ日々(ひび)(あた)へてゐた。090さうして食料(しよくれう)支那米(しなまい)(その)(ほか)昆布(こんぶ)091和布(わかめ)092いろいろの缶詰(かんづめ)093(するめ)(とう)沢山(たくさん)()つてゐたので、094()占魁(せんくわい)司令部(しれいぶ)()つて、0941不味(まづ)高粱(かうりやう)(かゆ)()はされてゐるのに()し、095非常(ひじやう)結構(けつこう)だと()ふので日出雄(ひでを)護衛(ごゑい)にならむ(こと)希望(きばう)する(もの)096日々(ひび)()えて()て、097()占魁(せんくわい)(おほ)いに閉口(へいこう)したと()ふ。098そして日出雄(ひでを)希望(きばう)()つて白馬(はくば)のみを(あつ)め、099護衛兵(ごゑいへい)全部(ぜんぶ)白馬隊(はくばたい)(ごと)(かん)があつた。
100 ()(ぐわつ)十一(じふいち)(にち)(きう)()(ぐわつ)八日(やうか))は日出雄(ひでを)出国(しゆつこく)以来(いらい)101(まん)(さん)(げつ)(あた)吉日(きちにち)である。102日出雄(ひでを)元気(げんき)(もつと)旺盛(わうせい)にして103(あさ)(はや)くから原野(げんや)()で、104乗馬(じやうば)姿(すがた)写真(しやしん)撮影(さつえい)したり、105(また)()()(はな)つて(きよう)()つたり、106コルギーホワラ、107チチクの()(ほこ)つた(はな)()寝転(ねころ)んだり、108(うさぎ)()()したり、109太陽(たいやう)(かたむ)(ころ)まで(あそ)んで(かへ)つて()ると、110蒙古(もうこ)土人(どじん)(にはとり)四五(しご)()()つて日出雄(ひでを)面会(めんくわい)(もと)めて()た。111日出雄(ひでを)(にはとり)(おく)られた厚意(かうい)(しや)し、112蒙古人(もうこじん)(ひたひ)()(かる)くあて、113洗礼(せんれい)(ほどこ)してゐると、114そこへ公爺府(コンエフ)協理(けふり)主事(しゆじ)二十(にじふ)(にん)騎兵(きへい)引率(いんそつ)し、115日出雄(ひでを)(および)()占魁(せんくわい)挨拶(あいさつ)()めに(たづ)ねて()た。116さうして(らう)印君(いんくん)()何処(どこ)までも()従軍(じうぐん)せむ(こと)(ねが)つて()まなかつた。117日出雄(ひでを)此処(ここ)でも沢山(たくさん)(うた)()んだ。118(その)一部(いちぶ)()紹介(せうかい)する。
 
119 (こま)()めて木局(ムチ)荒野(あれの)(すす)()(わが)軍卒(ぐんそつ)姿(すがた)雄々(をを)しき
120 シヤカンメラ(白馬(はくば)(くつわ)(なら)べて(すす)()けば神代(かみよ)()める(ひと)心地(ここち)
121 村肝(むらぎも)(こころ)もみつつ(わが)軍師(ぐんし)洮南(たうなん)あたり(すす)むなるらむ
122 官兵(くわんぺい)出馬(しゆつば)()いて(わが)同志(どうし)索倫(ソーロン)()りに(なや)むなるらむ
123 数千(すうせん)()山河(さんが)(へだ)てて(われ)(いま)木局子(ムチズ)野辺(のべ)(こま)(むち)うつ「駒並めて」以降、「我」が4つ出るがいずれも底本(全集)通り。校定版や愛善世界社版では「吾」に修正されている。
124 バカホンナお留守(るす)にお(やま)大将(たいしやう)気取(きど)りて(かみ)(けが)(まが)あり
125 新緑(しんりよく)(きぬ)をまとひて今頃(いまごろ)日本(につぽん)山野(さんや)(さか)えぬるらむ
126 はや初夏(しよか)(ころ)とはなれど蒙古地(もうこぢ)(はる)(はじ)めの姿(すがた)なりけり
127 (くも)(まど)()けて(のぞ)きし月影(つきかげ)一入(ひとしほ)(きよ)神軍(いくさ)()らす
128 バラガーサ、ホントルモトの(しげ)りたる(はやし)(こま)(むちう)(あそ)
129 (ゆき)()けて川水(かはみず)日々(ひび)()()けば少時(しばし)木局子(ムチズ)(こま)(とど)むる
130 枯山(かれやま)日々(ひび)(あを)みて(みづ)ぬるみオブスレブチもホラに(しげ)()
131
132 ()(ぐわつ)十三(じふさん)(にち)仏爺喇嘛(フエラマ)部下(ぶか)喇嘛僧(ラマそう)(さん)(にん)兵士(へいし)数名(すうめい)(したが)へ、133司令部(しれいぶ)日出雄(ひでを)来訪(らいほう)したので、134日出雄(ひでを)真澄別(ますみわけ)をして接見(せつけん)せしめ、135喇嘛教(ラマけう)との提携(ていけい)(やく)さしめた。136旅長(りよちやう)(ちやう)彦三(けんさん)数多(あまた)(へい)(ひき)ゐて(かみ)木局子(もくきよくし)進軍(しんぐん)した。137(これ)日出雄(ひでを)宿営地(しゆくえいち)調査(てうさ)せむが(ため)であつた。138蒙古(もうこ)には仏爺喇嘛(フエラマ)(すなは)活仏(くわつぶつ)(しよう)するもの(やく)一千(いつせん)(にん)ありと()ふ。139同日(どうじつ)洮南(たうなん)()長栄号(ちやうえいがう)主任(しゆにん)三井(みつゐ)寛之助(くわんのすけ)(および)佐々木(ささき)より、140一千(いつせん)官兵(くわんぺい)141馬賊(ばぞく)討伐(たうばつ)のため進軍中(しんぐんちう)なれば日本人(につぽんじん)索倫入(ソーロンいり)大困難(だいこんなん)なりと(はう)(きた)る。142()占魁(せんくわい)進言(しんげん)()日出雄(ひでを)(かみ)木局子(もくきよくし)進出(しんしゆつ)する(こと)決定(けつてい)した。
143 (この)(とき)(わう)元祺(げんき)()()(つく)つて日出雄(ひでを)讃歎(さんたん)した。
144救世至尊底本(全集)では「至尊」は欠けており「救世」しか書いていなが、校定版や愛善世界社版では「救世至尊」になっている。『王仁蒙古入記』261頁では「救主至尊」になっている。
145弥勒為心
146無分貴賤
147一視同仁
148大正一四、八、筆録)
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