霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第三一章 強行軍(きやうかうぐん)

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 特別篇 山河草木 入蒙記 篇:第5篇 雨後月明 よみ(新仮名遣い):うごげつめい
章:第31章 強行軍 よみ(新仮名遣い):きょうこうぐん 通し章番号:
口述日:1925(大正14)年08月 口述場所: 筆録者: 校正日: 校正場所: 初版発行日:1935(昭和10)年4月30日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一部の章はAIによって要約を作成しています。[×閉じる]:
猪野軍医長は、盧占魁の軍隊が兵隊も減り始めたのを心配し、もう盧占魁と決別して別行動を取ろうかと提案した。真澄別は、神様の使命が一番に下ったのだから、行くところまで行かなければ仕方がない、と諭した。
岡崎は応援軍を組織するために、一足先に奉天へ戻った後であった。
盧占魁の実弟と、名田彦、山田、小林善吉その他支那人二名が、洮南に向かって強行軍に邪魔になる荷物を積み、一度奉天へ向かって戻っていった。彼ら一行は洮南で官憲に捉えられ、盧の弟は銃殺され、日本人は領事館渡しとなった。
真澄別は日出雄の意を受けて、隊の中でも一番の大部隊を率いている劉陞山と筆談を交わしていた。そして、今後の行軍予定は綏遠で冬籠りをすることだと聞かされた。
六月十一日に熱河区内のラマ廟に着いて、食料を満たすことができた。六月十三日にまたラマ廟に宿泊した。方向は依然として東南に戻り、奉天の張作霖の勢力範囲に近づいて行く様子なので、真澄別が問いただすと、盧占魁はただ、民家の多いところに行くとだけ答えた。
十四日の夕暮れに達頼汗王府と称する管内に入ったが、王府は王は不在であると誠に無愛想な対応であった。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考:2024/2/12出口王仁三郎全集第6巻を底本として校正。 タグ: データ凡例: データ最終更新日:2024-02-12 12:26:03 文字数:3701 OBC :rmnm31
愛善世界社版:275頁 八幡書店版:第14輯 648頁 修補版: 校定版:279頁 普及版: 初版: ページ備考:
001 岩窟(がんくつ)の附近(ふきん)もホノボノと明(あ)け初(そ)めた頃(ころ)[※6月8日?の朝]、002馬(うま)を飛(と)ばしてやつて来(き)たのは萩原(はぎはら)である。
003萩原(はぎはら)『昨晩(さくばん)真澄(ますみ)さんからのお知(し)らせに依(よ)つて早速(さつそく)引返(ひきかへ)さうかと思(おも)ひましたが、004どう云(い)ふものか道筋(みちすぢ)が真暗(まつくら)で馬(うま)が一寸(ちよつと)も進(すす)みませぬので、005漸(やうや)く只今(ただいま)参(まゐ)りました。006昨晩(さくばん)は人家(じんか)が四五(しご)軒(けん)あつた為(ため)、007却(かへ)つて混雑(こんざつ)してゴタゴタしてゐましたから、008お越(こ)しにならなかつた方(はう)が好都合(かうつがふ)でした』
009坂本(さかもと)『ヤツパリ神(かみ)様(さま)は前途(さき)が見(み)える哩(わい)』
010萩原(はぎはら)『岡崎(をかざき)さんは非常(ひじやう)に憤慨(ふんがい)して盧(ろ)占魁(せんくわい)に当(あた)り散(ち)らしてゐましたよ。011それから名田彦(なだひこ)さんは病気(びやうき)で困(こま)つて心細(こころぼそ)がつて居(ゐ)ましたが、012何(なん)でもポツポツ歩行(ある)いて引返(ひきかへ)して来(く)るらしかつたですよ』
013日出雄(ひでを)『そら可愛相(かあいさう)だ。014オイ白凌閣(パイリンク)015馬(うま)を曳(も)つて名田彦(なだひこ)さんを迎(むか)へて来(こ)い』
016 白凌閣(パイリンク)は直(ただ)ちに駒(こま)に跨(またが)り、017守高(もりたか)の乗馬(じようば)を名田彦(なだひこ)の迎(むかへ)馬(うま)として引具(ひきぐ)し駆(か)け出(だ)した。018それと入(い)れ違(ちが)ひに、019五六(ごろく)頭(とう)駒(こま)の頭(かしら)を立(た)て並(なら)べて疾駆(しつく)し来(き)たのは、020盧(ろ)占魁(せんくわい)と其(その)副官(ふくくわん)連(れん)とであつた。021盧(ろ)は直(ただ)ちに日出雄(ひでを)の側(そば)に行(い)き叩頭(かうとう)して何事(なにごと)か弁(べん)じたが、022生憎(あひにく)此(この)場(ば)には山西省(さんせいしやう)訛(なま)りの彼(かれ)の支那語(しなご)を通訳(つうやく)し得(う)る者(もの)がなかつたが、023要(えう)するに『露営(ろえい)に適当(てきたう)の場所(ばしよ)を選定(せんてい)する為(ため)に急(いそ)いだので、024無断(むだん)で行(い)つたのは誠(まこと)に済(す)まなかつた。025軍(ぐん)の整理(せいり)もせねばならず、026混雑(こんざつ)してゐるから、027自分(じぶん)の心裡(しんり)を察(さつ)して一緒(いつしよ)に進(すす)んで貰(もら)ひたい』といふ意味(いみ)であつたらしい。028日出雄(ひでを)は唯(ただ)、
029日出雄『御(ご)苦労(くろう)であつた』
030との一言(いちごん)を残(のこ)し、031真澄別(ますみわけ)、032守高(もりたか)を伴(ともな)ひ岩山(いはやま)の頂上(ちやうじやう)に登(のぼ)り、033東天(とうてん)に向(むか)つて祝詞(のりと)を合奏(がつさう)し、034萩原(はぎはら)をして記念(きねん)の撮影(さつえい)をなさしめ、035悠々(いういう)として朝食(てうしよく)を喫(きつ)した。036盧(ろ)は再(ふたた)び日出雄(ひでを)の側(そば)に寄(よ)り懇願(こんぐわん)の意(い)を表(へう)すると、037日出雄(ひでを)も諾(うなづ)き乍(なが)ら馬(うま)に跨(またが)つた。
038真澄別(ますみわけ)『先生(せんせい)039またお進(すす)みなさるのですか、040巧(うま)く話(はな)して別行動(べつかうどう)を取(と)らうではありませぬか』
041と引止(ひきと)むれば、
042日出雄(ひでを)『折角(せつかく)盧(ろ)も懇願(こんぐわん)するから皆(みな)の居(ゐ)る所(ところ)まで行(い)つて其(その)上(うへ)の事(こと)にしよう』
043と出発(しゆつぱつ)を急(いそ)ぐ。044名田彦(なだひこ)は山田(やまだ)と共(とも)に轎車(けうしや)に便乗(びんじよう)し、045司令部(しれいぶ)駐屯所(ちうとんじよ)迄(まで)進(すす)む事(こと)となつた。
046真澄別(ますみわけ)『チエツ盧(ろ)氏(し)に曳(ひ)かれて善光寺(ぜんくわうじ)参(まゐ)りか』
047 と呟(つぶや)き乍(なが)ら、048日出雄(ひでを)が盧(ろ)に促(うなが)され砂煙(すなけむ)りを立(た)てて馬(うま)を急(いそ)がすのを見送(みおく)つた。049途中(とちう)まで出迎(でむか)へに来(き)た猪野(ゐの)軍医長(ぐんいちやう)と轡(くつわ)を並(なら)べ、050何事(なにごと)か語(かた)り合(あ)ひつつボツボツ進(すす)み行(ゆ)く。
051猪野(ゐの)『二先生(アルセンシヨン)、052盧(ろ)占魁(せんくわい)を力(ちから)にして居(ゐ)ては前途(ぜんと)心細(こころぼそ)い事(こと)はありますまいか。053岡崎(をかざき)さんは、054現状(げんじやう)では危(あやふ)くて仕方(しかた)がないから、055何(なん)とか方法(はうはふ)を講(かう)じて来(く)ると云(い)つて、056包(はう)団長(だんちやう)の轎車(けうしや)に同乗(どうじやう)して先程(さきほど)出発(しゆつぱつ)しましたよ』
057真澄別(ますみわけ)『兎(と)に角(かく)神(かみ)様(さま)からの第一(だいいち)命令(めいれい)は盧(ろ)占魁(せんくわい)に下(くだ)つたのだから、058安全(あんぜん)に入蒙(にふもう)出来(でき)たのは盧(ろ)占魁(せんくわい)の活動(くわつどう)ぢやないか』
059猪野(ゐの)『昨晩(さくばん)から段々(だんだん)兵隊(へいたい)も減(へ)る様(やう)だ……盧(ろ)の命令(めいれい)は少(すこ)しも権威(けんい)がありませぬ。060これ位(くらゐ)な部隊(ぶたい)の統一(とういつ)が出来(でき)ない様(やう)では不安(ふあん)で堪(たま)りませぬ。061ヤハリ最初(さいしよ)岡崎(をかざき)さんの計画(けいくわく)で奉天(ほうてん)へ日出雄(ひでを)先生(せんせい)のお住居(すまゐ)まで用意(ようい)して居(を)つたと云(い)ふ趙(てう)倜(てき)や趙(てう)傑(けつ)をお利用(つかひ)になつた方(はう)が良(よ)かつたらうと思(おも)ひますが、062何(ど)うでせう。063岡崎(をかざき)さんも切(しき)りにさう言(い)つて居(を)られましたよ』
064真澄別(ますみわけ)『神(かみ)様(さま)の思(おも)ひと人間(にんげん)の想(おも)ひとは大変(たいへん)な相違(さうゐ)のある者(もの)で、065実際(じつさい)人間(にんげん)には善悪(ぜんあく)正邪(せいじや)を批判(ひはん)する資格(しかく)もないのだから、066要(えう)するに盧(ろ)占魁(せんくわい)は盧(ろ)占魁(せんくわい)としての使命(しめい)があり、067劉(りう)陞山(しようさん)[※第9章・他では「劉陞三」になっている。]には劉(りう)陞山(しようさん)としての使命(しめい)があつて従軍(じゆうぐん)してゐるのだから、068最後(さいご)迄(まで)行(ゆ)かなきや其(その)真相(しんさう)は分(わか)るものでないよ。069マア行(ゆ)く所(ところ)まで行(ゆ)くのさ』
070猪野(ゐの)『全(まつた)く劉(りう)が却(かへ)つて盧(ろ)に命令(めいれい)する様(やう)な傾向(けいかう)ですよ。071劉(りう)の隊(たい)は人数(にんずう)も一番(いちばん)多(おほ)いし武器(ぶき)も揃(そろ)ふてますからなア。072私(わたし)は何(なん)だか危険味(きけんみ)を感(かん)ずるので、073一度(いちど)洮南(たうなん)へ帰(かへ)つてみたい様(やう)な気(き)が致(いた)しますが如何(いかが)でせう』
074真澄別(ますみわけ)『それは大先生(だいせんせい)に伺(うかが)つてお定(き)めなさい。075私(わたし)としては何(いづ)れとも御(お)勧(すす)めする訳(わけ)には行(ゆ)かない。076私(わたし)は大先生(だいせんせい)自身(じしん)を神(かみ)と信(しん)じて居(ゐ)るので、077仮令(たとへ)自分(じぶん)の考(かんが)へと違(ちが)つた言行(げんかう)が大先生(だいせんせい)にあつても、078何事(なにごと)も其(その)舞台(ぶたい)々々(ぶたい)の筋書(すぢがき)は神(かみ)様(さま)でなくては判(わか)らぬから、079大先生(だいせんせい)に対(たい)し維(こ)れ命(めい)維(こ)れ従(したが)つて行(ゆ)くのだ。080何(なん)だか最前(さいぜん)の岩窟(がんくつ)から前進(ぜんしん)するのは厭(いや)で仕方(しかた)がないけれども、081大先生(だいせんせい)がああして盧(ろ)と一緒(いつしよ)に進(すす)まれるのだから神(かみ)に任(まか)せて行(ゆ)くのですよ』
082猪野(ゐの)『そんなものですかなア』
083 と腑(ふ)に落(お)ちぬ顔色(かほいろ)で従(したが)ひ行(ゆ)く。084此(この)時(とき)の司令部(しれいぶ)の駐屯所(ちうとんじよ)は熱河(ねつか)の最北部(さいほくぶ)に在(あ)る民家(みんか)で、085輓近(ばんきん)大英子児(タアインヅル)が活動(くわつどう)の根拠(こんきよ)は、086右(みぎ)の岩窟(がんくつ)の附近(ふきん)だといふのも何(なん)等(ら)かの因縁事(いんねんごと)であらう。087さて日出雄(ひでを)一行(いつかう)の到着(たうちやく)した司令部(しれいぶ)は兵員(へいゐん)整理(せいり)の為(ため)如何(いか)にも混雑中(こんざつちう)で、088岡崎(をかざき)は包金山(はうきんざん)と共(とも)に応援軍(おうゑんぐん)組織(そしき)の為(ため)奉天(ほうてん)に向(むか)つた後(あと)であつた。089茲(ここ)で陣容(ぢんよう)は一新(いつしん)され、090乗馬(じやうば)や銃器(じゆうき)の調(とと)のはざるものは、091それぞれ旅費(りよひ)手当(てあて)を給与(きふよ)して帰還(きくわん)の途(と)に就(つ)かしめる事(こと)となつた。092盧(ろ)の実弟(じつてい)盧(ろ)秉徳(へいとく)、093名田彦(なだひこ)、094山田(やまだ)、095小林(こばやし)善吉(ぜんきち)其(その)他(た)支那人(しなじん)二(に)名(めい)は、096洮南(たうなん)より来(きた)れる二台(にだい)の轎車(けうしや)に分乗(ぶんじやう)し、097強行軍(きやうかうぐん)に邪魔(じやま)になる様(やう)な携帯品(けいたいひん)をも積(つ)み込(こ)み、098四百余(しひやくよ)支里(しり)の距離(きより)と称(しよう)せらるる洮南(たうなん)に向(むか)つて帰奉(きほう)の途(と)に就(つ)いた。099此(この)一行(いつかう)は後(のち)に至(いた)り突泉(とつせん)にて支那(しな)官憲(くわんけん)の手(て)に捕(つかま)へられ100盧(ろ)秉徳(へいとく)は洮南(たうなん)に於(おい)て銃殺(じゆうさつ)せられ、101日本側(につぽんがは)三(さん)名(めい)は領事館(りやうじくわん)渡(わた)しとなつたのである。
102 或(あ)る民家(みんか)の一室(いつしつ)には、103真澄別(ますみわけ)が日出雄(ひでを)の意(い)を受(う)けて劉(りう)陞山(しようさん)と筆談(ひつだん)を交換(かうくわん)してゐる。104其(その)意味(いみ)は左(さ)の通(とほ)りである。
105真澄別(ますみわけ)『一体(いつたい)此(この)部隊(ぶたい)は之(これ)から何方(どちら)へ行(ゆ)く事(こと)になつてゐますか』
106劉(りう)『物資(ぶつし)の豊(ゆた)かな綏遠(すゐえん)で冬籠(ふゆごも)りをするのだと云(い)つてゐますから、107先(ま)づ察哈爾(チヤハル)へ向(むか)ふのでせう。108それに就(つい)てはこれから三百(さんびやく)支里(しり)程(ほど)行(い)つた所(ところ)で、109開魯(かいろ)の兵(へい)と一戦(ひといくさ)せねばなりませぬから、110此処(ここ)で可成(かな)り手足纏(てあしまとひ)を少(すく)なくする様(やう)に計(はか)つたのです』
111真澄別(ますみわけ)『あなたは何処(どこ)迄(まで)も盧(ろ)司令(しれい)と行動(かうどう)を共(とも)にするお考(かんが)へですか』
112劉(りう)『大体(だいたい)私(わたし)は何(なに)も知(し)らずに参加(さんか)したのです。113奉天(ほうてん)第一(だいいち)師長(しちやう)の李(り)景林(けいりん)から、114鄭家屯(ていかとん)の闞(かん)旅長(りよちやう)に手紙(てがみ)をやつた結果(けつくわ)、115闞(かん)中将(ちうじやう)も君(きみ)等(ら)を保護(ほご)すると云(い)つてるから116早(はや)く索倫(ソーロン)へ行(い)つて盧(ろ)占魁(せんくわい)の軍(ぐん)に参加(さんか)せよとの事(こと)でしたから、117実(じつ)は盧(ろ)軍(ぐん)の目的(もくてき)も何(なに)も聞(き)かず、118好(す)きな道(みち)だから、119早速(さつそく)手兵(しゆへい)を率(つ)れて参加(さんか)した次第(しだい)ですが、120私(わたし)は兎(と)に角(かく)大先生(だいせんせい)を中心(ちうしん)にして何処(どこ)迄(まで)も押立(おした)てる考(かんが)へで居(を)ります。121おお司令(しれい)も其処(そこ)へ見(み)えました』
122 盧(ろ)は此(この)時(とき)微笑(びせう)し乍(なが)ら入(い)り来(きた)り、
123盧(ろ)『これで武器(ぶき)を携帯(けいたい)した騎兵(きへい)のみ五百(ごひやく)騎(き)となりました。124こんな所(ところ)に駐屯(ちうとん)して居(ゐ)ても仕方(しかた)がありませぬから、125今少(いますこ)し兵糧(ひやうらう)の得(え)られる所(ところ)まで参(まゐ)りませう。126大先生(だいせんせい)は今日(けふ)から轎車(けうしや)に乗(の)つて戴(いただ)く事(こと)に致(いた)します』
127 とて直(ただ)ちに出動(しゆつどう)の用意(ようい)を整(ととの)へた。128劉(りう)陞山(しようさん)の部隊(ぶたい)は先鋒(せんぽう)に立(た)ち、129日出雄(ひでを)は自分(じぶん)の手廻(てまは)り品(ひん)と盧(ろ)の貴重品(きちようひん)を積(つ)み合(あ)はした轎車(けうしや)に乗(の)り、130盧(ろ)占魁(せんくわい)自(みづか)ら馬(うま)を馭(ぎよ)し、131守高(もりたか)並(ならび)に二三(にさん)の支那(しな)将校(しやうかう)は日出雄(ひでを)の轎車(けうしや)に附添(つきそ)ひ護(まも)り、132真澄別(ますみわけ)は或(あるひ)は先頭(せんとう)に或(あるひ)は後方(こうはう)に出没(しゆつぼつ)して全軍(ぜんぐん)を見守(みまも)り、133萩原(はぎはら)は写真機(しやしんき)を肩(かた)にして自由(じいう)に飛(と)び廻(まは)り、134茲(ここ)に西南(せいなん)に向(むか)ふて強行軍(きやうかうぐん)が開始(かいし)せられることとなつた。135但(ただ)し宿営(しゆくえい)の場合(ばあひ)には、136日本人(につぽんじん)一同(いちどう)日出雄(ひでを)の側(そば)に集(あつま)り一団(いちだん)となる事(こと)は忘(わす)れなかつた。
137 六(ろく)月(ぐわつ)十一(じふいち)日(にち)(陰暦(いんれき)五(ご)月(ぐわつ)十日(とをか))の朝(あさ)、138熱河(ねつか)区内(くない)の喇嘛廟(ラマベウ)へ到着(たうちやく)する迄(まで)は139時(とき)に数戸(すうこ)の民家(みんか)を中心(ちうしん)として休息(きうそく)する外(ほか)殆(ほとん)ど昼夜(ちうや)兼行(けんかう)の強行軍(きやうかうぐん)で、140索倫(ソーロン)より携帯(けいたい)せし食料(しよくれう)は已(すで)に尽(つ)き、141巻煙草(まきたばこ)一本(いつぽん)の喫(の)み廻(まは)しも元(もと)が切(き)れて了(しま)ふ。142盧(ろ)其(その)他(た)阿片(アヘン)の嗜好者(しかうしや)は顔色(がんしよく)憔悴(せうすゐ)して勇気(ゆうき)頓(とみ)に衰(おとろ)へ、143馬(うま)の斃(たふ)るる者(もの)或(あるひ)は落伍(らくご)する者(もの)漸次(ぜんじ)増加(ぞうか)の窮境(きうきやう)に陥(おちい)つた。144漸(やうや)くにして喇嘛廟(ラマベウ)において炒米(チヨウミイ)の供給(きようきふ)を得(え)、145附近(ふきん)民家(みんか)より羊(ひつじ)を購(もと)めて全員(ぜんゐん)腹(はら)を充(み)たす事(こと)が出来(でき)たのである。146蒙古(もうこ)内地(ないち)の喇嘛廟(ラマベウ)は概(がい)して小高(こだか)き丘上(きうじやう)又(また)は山腹(さんぷく)に建立(こんりふ)せられ、147本堂(ほんだう)を最上(さいじやう)中心(ちうしん)として数多(あまた)の僧坊(そうばう)が、148それぞれ西蔵(チベツト)本山(ほんざん)を模(も)して羅列(られつ)し、149之(これ)を遠望(ゑんばう)すれば宛(さなが)ら一大(いちだい)城廓(じやうくわく)の観(くわん)がある。150地方(ちはう)に依(よ)りて美観(びくわん)壮観(さうくわん)に程度(ていど)はあるが、151一般(いつぱん)民家(みんか)の茅屋(あばらや)若(も)しくは羊皮(やうひ)天幕(てんと)住居(すまゐ)に対照(たいせう)して、152調和(てうわ)の取(と)れない事(こと)夥(おびただ)しい。153尤(もつと)も之(こ)れは蒙古(もうこ)民族(みんぞく)信仰(しんかう)の結晶(けつしやう)として現(あら)はれてるのだから批判(ひはん)の限(かぎ)りではあるまい。154又(また)炒米(チヨウミイ)は日本(につぽん)の粟(あは)を煎(い)つた様(やう)なもので、155其(その)儘(まま)食(た)べても香(かん)ばしい味(あぢ)がある。156お茶(ちや)若(も)しくは牛乳(ぎうにう)をブツかければ猶更(なほさら)喰(た)べ易(やす)い蒙古(もうこ)唯一(ゆゐいつ)の穀物(こくもつ)である。157此(この)日(ひ)より更(さら)に方向(はうかう)は一転(いつてん)されて東南(とうなん)指(さ)して進(すす)む事(こと)となつた。158局面(きよくめん)は展開(てんかい)して、159或(あるひ)は小砂漠(せうさばく)、160或(あるひ)は砂山(すなやま)の僅(わづ)かに草木(さうもく)の生(お)ひ茂(しげ)れる所(ところ)を横断(わうだん)せねばならなかつた。
161 六(ろく)月(ぐわつ)十三(じふさん)日(にち)(陰暦(いんれき)五(ご)月(ぐわつ)十二(じふに)日(にち))又(また)もや喇嘛廟(ラマベウ)に宿泊(しゆくはく)する事(こと)を得(え)たが、162方向(はうかう)は依然(いぜん)東南(とうなん)に向(むか)ひ奉天省(ほうてんしやう)の勢力(せいりよく)範囲(はんゐ)に近(ちか)づく様子(やうす)なので、163真澄別(ますみわけ)が盧(ろ)に糺(ただ)すと、
164盧占魁『民家(みんか)の多(おほ)い所(ところ)へ行(ゆ)かねば、165兵糧(ひやうらう)と馬糧(ばりやう)が不足(ふそく)して、166何(ど)うする事(こと)も出来(でき)ませぬ』
167 と力(ちから)なげに答(こた)ふる許(ばか)りであつた。168漸(やうや)くにして十四日(じふよつか)の夕暮(ゆうぐれ)に近(ちか)き頃(ころ)、169達頼汗(タアライハン)王府(わうふ)の一族(いちぞく)と称(しよう)する管内(くわんない)に入(い)ると、170輪奐(りんくわん)の美(び)を極(きは)めた朱欄(しゆらん)碧瓦(へきぐわ)の形容詞(けいようし)が相当(さうたう)しさうな喇嘛廟(ラマベウ)と王府(わうふ)が、171約(やく)十丁(じつちやう)許(ばか)り離(はな)れて対立(たいりつ)し、172外(ほか)に支那風(しなふう)建築(けんちく)の民家(みんか)が十数戸(じふすうこ)建(た)ち並(なら)んで居(ゐ)る。173盧(ろ)司令(しれい)は王府(わうふ)へ使(つかひ)を遣(つか)はし面会(めんくわい)を申込(まをしこ)むと、174王(わう)は不在(ふざい)なりとて数人(すうにん)の留守居(るすゐ)が誠(まこと)に無愛想(ぶあいさう)な挨拶(あいさつ)なのに、175盧(ろ)も不審(ふしん)の思(おも)ひをし乍(なが)ら、176西南方(せいなんぱう)の谷間(たにま)に民家(みんか)を捜(さが)し当(あ)て、177一同(いちどう)の宿泊所(しゆくはくじよ)と定(き)めた。178此処(ここ)の喇嘛廟(ラマベウ)は全部(ぜんぶ)戸(と)を鎖(とざ)し、179猫(ねこ)の子(こ)一匹(いつぴき)ゐない静寂(せいじやく)さであつたのは、180頗(すこぶ)る一同(いちどう)の眉(まゆ)をひそめしめた。
181 此(この)夜(よ)薄暗(うすぐら)き宿営(しゆくえい)の一遇(いちぐう)に、182日出雄(ひでを)は何事(なにごと)かヒソヒソと真澄別(ますみわけ)に向(むか)ひ囁(ささや)いてゐたが、183唯(ただ)最後(さいご)に真澄別(ますみわけ)の声(こゑ)として、
184真澄別『洮南(たうなん)の御(ご)神勅(しんちよく)に、185今度(こんど)の挙(きよ)に必要(ひつえう)な金(かね)は十万(じふまん)円(ゑん)だと承(うけたまは)つて居(ゐ)ましたから、186其(そ)れ以上(いじやう)の金額(きんがく)は早(はや)く言(い)へば死金(しにがね)だと私(わたし)は信(しん)じてゐます。187そして最後(さいご)に上(かみ)木局子(もくきよくし)で大石(おほいし)氏(し)に迫(せま)られて、188先生(せんせい)が矢野(やの)さんへ送金(そうきん)する様(やう)依頼状(いらいじやう)をお書(か)きに成(な)つたなどは、189全(まつた)く一種(いつしゆ)の脅迫(けふはく)でしたね』
190 と聞(きこ)えたのみで、191あとは犬(いぬ)のけたたましき鳴(な)き声(ごゑ)に夜(よ)は森閑(しんかん)と更(ふ)け行(ゆ)くのであつた。
192(大正一四、八、筆録)
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