霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第一四章 松風(まつかぜ)(おと)〔四四四〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第10巻 霊主体従 酉の巻 篇:第1篇 千軍万馬 よみ(新仮名遣い):せんぐんばんば
章:第14章 松風の音 よみ(新仮名遣い):まつかぜのおと 通し章番号:444
口述日:1922(大正11)年02月22日(旧01月26日) 口述場所: 筆録者:桜井重雄 校正日: 校正場所: 初版発行日:1922(大正11)年8月20日
概要: 舞台:ロッキー山の山麓 あらすじ[?]このあらすじは東京の望月さん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]
宣伝歌の主は、珍山彦と松・竹・梅の宣伝使であった。淤縢山津見は、固虎の報告を伝え、一刻も早く松・竹・梅の宣伝使を黄泉比良坂の戦いに役立てなければ、と焦りを伝えた。
珍山彦は泰然として、松・竹・梅の三宣伝使は、去年のうちにもう黄泉島に渡っている、と言った。淤縢山津見が現にここに三人とも居るではないか、と問うと、珍山彦は、この三人は化けているのだ、と答えた。三人は消えうせてしまった。
大軍勢が続々とロッキー山から出撃していく。淤縢山津見は、これだけ大部隊が出陣したら、後の陣営は空虚でしょうか、と問うと、珍山彦は、後にはまだ、醜女探女の魔神らが場内に充満しており、彼らは最後に黄泉比良坂に攻めかけるのだ、と注意を促した。
そして、珍山彦の姿も煙と消えてしまった。
この不思議に淤縢山津見と固虎はあっけに取られるが、気を取り直して、ロッキー山の城内に潜入しようとする。
そこへ、突然照彦の姿が現れた。問いかける淤縢山津見に、照彦は、淤縢山津見と固虎がロッキー山にとどめおかれたのも、神界の深い経綸によるのだ、と告げて姿を消してしまう。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる] 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2020-07-15 22:20:16 OBC :rm1014
愛善世界社版:114頁 八幡書店版:第2輯 432頁 修補版: 校定版:119頁 普及版:53頁 初版: ページ備考:
001 (かぜ)のまにまに(ちか)より(きた)宣伝歌(せんでんか)(こゑ)に、002前方(ぜんぱう)(なが)むれば、003山上(さんじやう)にて(たもと)(わか)ちたる珍山彦(うづやまひこ)004(まつ)005(たけ)006(うめ)(さん)(にん)007悠々(いういう)として此方(こなた)(すす)(きた)る。
008淤縢山津見(おどやまづみ)『ホー、009(めう)(ところ)邂逅(かいこう)しました。010大変(たいへん)でございますよ』
011珍山彦(うづやまひこ)(蚊々虎)大変(たいへん)とは(なん)ですか』
012淤縢山津見(いま)(すこ)(さき)に、013法螺(ほら)(こゑ)014(つづみ)(おと)(きこ)えたでせう』
015珍山彦『アヽ、016あれですか、017あれは(てき)黄泉(よもつ)比良坂(ひらさか)進軍(しんぐん)するのですよ。018面白(おもしろ)(こと)(はじ)まつて()た。019吾々(われわれ)(ども)()うして宣伝(せんでん)(ある)いたのも、020黄泉(よもつ)比良坂(ひらさか)(たたか)ひに出陣(しゆつぢん)せむが(ため)用意(ようい)であつた。021ヤア、022面白(おもしろ)うなつて()たワイ』
023淤縢山津見珍山(うづやま)さま、024面白(おもしろ)いどころぢやありませぬワ。025(いち)()(はや)く、026(まつ)027(たけ)028(うめ)(もも)()御用(ごよう)()たねばならぬ。029(てき)黄泉(よもつ)比良坂(ひらさか)占領(せんりやう)せられぬ()きにと(いま)まで(おも)つてゐたが、030(あま)(にはか)敵軍(てきぐん)出陣(しゆつぢん)時期(じき)(いつ)して(しま)つた。031あゝ如何(どう)したら(よろ)しからう』
032珍山彦()うも()うもあるものか。033(まつ)034(たけ)035(うめ)(さん)(にん)宣伝使(せんでんし)去年(きよねん)(うち)黄泉島(よもつじま)(わた)つて()られますよ』
036淤縢山津見『そんな馬鹿(ばか)(こと)がありますか。037ここに(げん)(さん)(にん)038(まつ)039(たけ)040(うめ)宣伝使(せんでんし)がゐられるではないか』
041珍山彦『この(やま)御覧(ごらん)なさい。042(まつ)世界(せかい)一本(いつぽん)より()えないといふ規定(きてい)はない(はず)だ。043(たけ)(うめ)もその(とほ)りだ。044この(さん)(にん)(じつ)化物(ばけもの)だよ』
045 言葉(ことば)(をは)ると(とも)に、046(さん)(にん)(むすめ)姿(すがた)(けむり)となりて()()せにける。
047淤縢山津見『イヨー、048珍山(うづやま)さま、049あなたは余程(よつぽど)(かは)つてゐますね』
050珍山彦(かは)つてゐるでせうが、051(いま)()がつきましたか。052随分(ずゐぶん)ウスノロな眼力(がんりき)ですな』
053淤縢山津見『あなたのお(くち)(わる)いこと、054それでも()(なほ)()(なほ)しと仰有(おつしや)るのだから、055(めう)なものだ。056まるで(きつね)(つま)まれた(やう)だワイ』
057 この(とき)058(また)もや人馬(じんば)物音(ものおと)(すさま)じく(きこ)(きた)る。059()れば(はな)めしやげ鷹取別(たかとりわけ)060照山彦(てるやまひこ)両人(りやうにん)は、061戎衣(じゆうい)(そで)日光(につくわう)をキラキラ()びながら駿馬(しゆんめ)(またが)り、062采配(さいはい)()つて(すす)(すす)めと下知(げち)してゐる。
063 今度(こんど)余程(よほど)大舞台(おほぶたい)八幡版では「大部隊」に修正してある。で、064部将(ぶしやう)には、065大雷(おほいかづち)066黒雷(くろいかづち)067火雷(ほのいかづち)068拆雷(さくいかづち)各自(めいめい)部隊(ぶたい)引率(いんそつ)し、069白地(しろぢ)(あふひ)紋所(もんどころ)(はた)春風(はるかぜ)(なび)かせながら、070旗鼓(きこ)堂々(だうだう)として(すす)()(いさ)ましき光景(くわうけい)なり。
071淤縢山津見(おどやまづみ)『あれだけの軍勢(ぐんぜい)()()して(しま)つたら、072(あと)陣営(ぢんえい)空虚(くうきよ)でせうか』
073珍山彦(うづやまひこ)(かたち)(おい)ては空虚(くうきよ)だ。074そのかはりに幾百千(いくひやくせん)(まん)とも(かぎ)りなき醜女(しこめ)探女(さぐめ)魔神(まがみ)(しろ)内外(ないぐわい)充満(じうまん)してゐる。075最後(さいご)になつて()魔軍(まぐん)比良坂(ひらさか)()()せるのだ』
076といふより(はや)く、077珍山彦(うづやまひこ)姿(すがた)(また)もや(けむり)となつて()()せにける。
078淤縢山津見(おどやまづみ)『アヽ(なん)だ、079怪体(けつたい)(こと)だワイ。080オイオイ固虎(かたとら)さま、081(まへ)(けむり)となつて()えるのではないかな』
082固虎(かたとら)(あま)(えら)(かみ)さまばかりで、083(はづ)かしくて(わたし)()えたいやうに(おも)つてゐるが、084どうしても()えられないのですよ』
085淤縢山津見『あゝ仕方(しかた)がない。086これからロッキー(ざん)城内(じやうない)()()んで様子(やうす)(さぐ)らうか。087(いま)から黄泉(よもつ)比良坂(ひらさか)()くのも(あと)(まつ)りだ。088オー固虎(かたとら)殿(どの)089そなたは(いま)まで常世城(とこよじやう)家来(けらい)であつたのを(さいは)ひに、090(わたし)()れて城内(じやうない)(みちび)いてくれまいか』
091固虎『それはお(やす)いことながら、092淤縢山津見(おどやまづみ)()()らぬものは滅多(めつた)にない。093また大国姫(おほくにひめの)(みこと)(もと)貴方(あなた)素性(すじやう)もお(かほ)()つてゐる。094軽々(かるがる)しく(すす)()るは剣呑(けんのん)ですよ』
095淤縢山津見『さうかな。096(しか)し、097あまりグヅグヅいたして()つて、098黄泉(よもつ)比良坂(ひらさか)神業(しんげふ)(おく)れて(しま)つた。099それだから大神(おほかみ)(さま)本陣(ほんぢん)連絡(れんらく)()つておかねばならぬのだ。100自由(じいう)行動(かうどう)()つたばかりで、101(わが)計画(けいくわく)六日(むゆか)菖蒲(あやめ)102十日(とをか)(きく)となつて(しま)つたのか。103エヽ残念(ざんねん)な、104口惜(くちを)しい。105どうしてこの失敗(しつぱい)挽回(ばんくわい)しようか』
106(くや)(なみだ)(むせ)びながら、107両手(りやうて)()つて神言(かみごと)奏上(そうじやう)し、108(ちから)なげに宣伝歌(せんでんか)をうたひ(はじ)むる(とき)しも、109忽然(こつぜん)として(あら)はれ()でたる宣伝使(せんでんし)あり。110淤縢山津見(おどやまづみ)は、
111淤縢山津見『オー、112貴方(あなた)照彦(てるひこ)113戸山津見(とやまづみ)(さま)114エヽお(たがひ)残念(ざんねん)(こと)をいたしましたなア。115千載(せんざい)一遇(いちぐう)比良坂(ひらさか)(たたかひ)参加(さんか)(おく)れたのは口惜(くちを)しい。116最早(もはや)ロッキー(ざん)魔神(まがみ)らは退去(たいきよ)校定版・八幡版では「大挙」に修正してある。117黄泉島(よもつじま)出陣(しゆつぢん)して(しま)つた。118どうしたら()からうか』
119照彦(てるひこ)(戸山津見)『イヤ、120(べつ)心配(しんぱい)はいりませぬ。121神界(しんかい)()経綸(けいりん)によつて、122貴方(あなた)此処(ここ)()()必要(ひつえう)があるのですよ。123(さいは)ひ、124固虎(かたとら)さまを案内者(あんないしや)として、125ロッキー(ざん)(ふか)(すす)()り、126伊弉冊(いざなみ)贋神(にせがみ)様子(やうす)(さぐ)必要(ひつえう)がある。127(おく)れたのは所謂(いはゆる)(みづ)()らさぬ(かみ)仕組(しぐみ)だ。128(たたかひ)出陣(しゆつぢん)するのみが神業(しんげふ)ではない。129サア、130これから()両人(りやうにん)はロッキー(じやう)にお(すす)(くだ)さい。131吾々(われわれ)常世城(とこよじやう)(しの)()り、132一切(いつさい)計画(けいくわく)調査(てうさ)いたしまする。133左様(さやう)なら』
134()ふかと()れば姿(すがた)()えて白煙(しらけむり)135(まつ)()(かぜ)(おと)のみぞ(きこ)ゆる。
136 あゝ、137この(さん)(にん)如何(いか)なる神業(しんげふ)参加(さんか)するであらうか。
138大正一一・二・二二 旧一・二六 桜井重雄録)
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