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08 改姓の理由

インフォメーション
題名:08 改姓の理由 著者:
ページ:11
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2023-10-01 18:24:59 OBC :B121808c11
初出[?]この文献の初出または底本となったと思われる文献です。[×閉じる]神霊界 > 大正10年2月1日号(第134号)【出口王仁三郎執筆】 > 故郷乃二十八年
 百姓になつてから、藤原姓を名告(なの)つて居ると、万一誤つて藤蔓(ふぢづる)でも切らうものなら家が断絶するとの巫祝(みこ)妖言(えうげん)を妄信して上田と改姓した。上田と名告(なの)つた理由は、其の時の藤原家には五町歩(ごちやうぶ)の二毛作の上田(じやうでん)を所有して居つたので、取敢(とりあ)へず姓を上田に変更したといふ事を、祖母や古老の(くち)から聞いた事がある。然るに五年か十年(ぐらゐ)に一度は大旱魃(だいかんばつ)が巡つて来て、稲穀(たうこく)の稔らないといふ困難を(まぬが)るる為に、屋敷の西南隅(せいなんぐう)に灌漑用の池を掘つた。これは上田久兵衛(きうべゑ)(だい)に掘つたので、里人(さとびと)久兵衛池(きうべゑいけ)(とな)へて居つたのである。この久兵衛池に()いて王仁(わたし)の一身上に関する経緯(いきさつ)があるが、それは後節(こうせつ)に述べる事にする。
 穴太には上田姓が三組あつて、(これ)(きた)上田、(みなみ)上田、(ひら)上田と称して居る。王仁(わたし)は北上田の家の出である。詳細なる系譜があつたのを曾祖父(そうそふ)(だい)に極道息子があつて、他家(たけ)へ質に入れ、転々して吉川(よしかは)村の(さら)し屋といふ家に伝はつたのを、王仁(わたし)種々(いろいろ)として手に入れる事になつたが、不幸にも(また)、前に述べた明治三十三年神霊界でも「三十三年」。他の箇所では、神霊界で34年になっている箇所もある。の火災で失くして了つたのは、(かへ)(がへ)すも遺憾至極である。
 系図の示す所に由れば、文明年間には西山(にしやま)の山麓、高屋(たかや)と云ふ所に大きな高い殿閣を建てて其処(そこ)に百余年間高屋(たかや)長者と呼ばれて住居して居たと云ふことである。其の(のち)愛宕山(あたごやま)の麓の小丘(せうきう)に城廓を構へ、大名の列に加はつて居つた所が、明智光秀の為に没収の厄に逢うたのである。其所(そこ)は産土の小幡(をばた)神社の境内に接続して居つて、殿山(とのやま)と曰ふ地名に成つて居るが、今に城址が歴然として地形に(のこ)つて居るのである。
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