霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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11 漆差しの失敗

インフォメーション
題名:11 漆差しの失敗 著者:
ページ:22
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2023-10-01 18:26:20 OBC :B121808c14
初出[?]この文献の初出または底本となったと思われる文献です。[×閉じる]神霊界 > 大正10年2月1日号(第134号)【出口王仁三郎執筆】 > 故郷乃二十八年
 西南戦争で天下の人心騒擾(さうぜう)たりし明治十年の(あき)王仁(わたし)が七歳の時であつた。父の吉松(きちまつ)梅吉(うめきち))は船岡(ふなをか)の産土の祭礼に参詣すべく、王仁(わたし)を伴ひ生家(せいか)へ帰つて往つた。其の(ついで)をもつて、船井(ふなゐ)(ごほり)雀部(ささべ)漆差(うるしさ)しの家に立寄(たちよ)り、無病息災の為と()つて、王仁(わたし)の腹部へ十数点の(うるし)を差して貰つたのである。サアさうすると、王仁(わたし)身体(からだ)一面に(うるし)が伝播し、(かゆ)くて堪らぬので掻くと又それが伝播して、手足も胴も頭も顔も一面に(くさ)になつたので堪らない。(つひ)には手も足も動かぬやうになつて、身体(からだ)一面(うるし)負けの(くさ)だらけになつてしまつた。その時の痕跡(こんせき)は今に判然と王仁(わたし)の腹部にその記念を(とど)めてゐるのである。それが為に学齢が来ても小学校へ行くことが出来ない。それを祖母の宇能子(うのこ)が大変に心配して、平仮名から五十音、単語篇に百人一首、小学読本と漸次(ぜんじ)に教へて呉れられたので、十歳の春初めて入学した時は大変に読書力がついてをつて、何時(いつ)一時(いつとき)に三四級(づつ)は飛び越して、十三歳の四月に上等四級で退学する事となつた。祖母は又()の有名なる言霊(げんれい)学者中村(なかむら)孝道(かうだう)の家に(うま)れたので言霊学(げんれいがく)造詣(ざうけい)は深かつた。王仁(わたし)は十歳(ぐらゐ)の時から折々祖母の(くち)から言霊(げんれい)の妙用を説明されたので、何時(いつ)とはなく言霊(げんれい)の研究に趣味を持つ()うになり、山野(さんや)()つて(かたは)らに人の居らぬのを考へて、(ちから)一杯の声を出してアオウエイと高唱(かうしやう)して居つたのである。時々人に見付けられて笑はわれたり、発狂人と(あやま)られた事もあつたのである。王仁(わたし)今日(こんにち)言霊(げんれい)の神法を活用して天地に感応するやうになつたのも、全く幼時より修練の結果で、又神明(しんめい)の御加護と祖母の熱烈なる教育の(たまもの)である。
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