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09 祖父の性行

インフォメーション
題名:09 祖父の性行 著者:
ページ:12
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2023-10-01 18:25:26 OBC :B121808c12
初出[?]この文献の初出または底本となったと思われる文献です。[×閉じる]神霊界 > 大正10年2月1日号(第134号)【出口王仁三郎執筆】 > 故郷乃二十八年
 祖父の吉松(きちまつ)は至つて正直で、清潔好きであつた。今にも祖父の逸話は古老の(くち)から沢山に漏れることである。然るに祖父には只一つの難病があつて、五十九歳で身を(をは)るまで()まなかつたのである。その難病と云ふのは、賭博を好み、二六時中(さい)(ふところ)から放したことがないのである。そして酒を飲まず、(たばこ)も吸はず、百姓の(ひま)には丁半(ちやうはん)々々(ちやうはん)底本では「丁半」ではなく「長半」になっている。と戦はして勝負を決するのが、三度の飯よりも好きであつた。それが為に祖先伝来の上田(じやうでん)も山林も、残らず(うり)払ひ、(ただ)壹百五十三坪の屋敷と(やぶ)()と三十三坪の買手(かひて)の無い(かげ)悪田(あくでん)が一つ残つただけであつた。斯様(こん)な家庭へ養子に来た父の吉松(きちまつ)こそ、実に気の毒である。祖父は死ぬ時も(さい)を放さず、死んだら(さい)と一緒に(ほうむ)つて呉れと言つたさうである。その時の辞世に、
  打ちつ、打たれつ、一代勝負
    可愛(かあい)(さい)(さい)()()の世で別れ
      (さい)川原(かはら)(さい)拾ふ、ノンノコサイサイ ノンノコサイサイ
 女房が(こめ)が無くて困つて居ようが、醤油代が足るまいが、債鬼(さいき)が攻め寄せて来ようが、平気の平左衛門(へいざゑもん)で、朝から晩まで相手さへあれば(さい)を転がし、丁々(ちやうちやう)半々(はんはん)底本では「丁」ではなく「長」。と日の暮るるのも、夜の明けるのも知らず、行燈(あんどん)と二人になるまで()つて()つて()りさがし、臨終の(きは)になつても博奕(ばくち)のことを言つて居つた気楽な爺さんだつたと、何時(いつ)も一つ(ばなし)に祖母が話されたものである。
 五月の田植時(たうゑどき)と秋の収穫期(とりいれどき)を除く(ほか)は、雨が降らうが風が吹かうが、毎日毎夜(まいよ)相手を探して(さい)(ばか)り転がし、(あした)田地(でんち)一段(いつたん)飛び「一段」とは「一反」のこと。(ゆふべ)に山林が移転して了ふと云ふ状態であるから、柔順な祖母が恐る恐る諫言(かんげん)すると、祖父の言草(いひぐさ)がふるつて居る。
『お宇能(うの)よ、余り心配するな、気楽に思うて居れ、天道様は空飛ぶ鳥でさへ養うて御座る。鳥や獣類(けだもの)は別に翌日(あした)貯蓄(たくわへ)()て居らぬが、別に餓死した奴はない、人間もその通り、()ゑて死んだものは千人の(うち)(ただ)の一人か二人(ぐらゐ)のものぢや。千人の(うち)で、九百九十九人までは食ひ過ぎて死ぬのぢや。それで三日や五日食はいでも滅多に死にやせぬ。(わし)もお前の(くや)むのを聞く(たび)に胸がヒヤヒヤする。けれども、(これ)も因縁ぢやと断念(あきら)めて黙つて見て居つて呉れ。()める時節が来たら()める(やう)になる。(わし)は先祖代々の深い罪障(めぐり)を取払ひに(うま)れて来たのだ。一旦(いつたん)上田家は家も屋敷も無くなつて了はねば良い芽は吹かぬぞよと、いつも産土の神が枕頭(まくらがみ)に立つて(あふ)せられる。一日博奕(ばくち)()めると、()ぐその晩に産土さまが(あら)はれて、何故(なぜ)神の申すことを聞かぬかと、大変な御立腹でお攻めになる。是は(わし)の冗談ぢやない、真実真味(しんみ)の話だ。さう()なんだら、上田家の血統が断絶する(さう)ぢや。(わし)も小供では無し、物の道理を知らぬ筈はない、()むを得ず上田の財産を潰す為に(うま)れて来て()るのぢや。大木(たいぼく)は一旦(みき)から切らねば若い良い芽は生えぬ。その(かは)りに孫の代になつたら世界の幸福(しあはせ)ものになるさうぢや。これは(わし)が無理を言ふと思うて呉れるな。尊い産土様の御言葉である』
と云つて、産土の森の方に(むか)つて拍手する。()ういふ次第であるから、祖母も断念して其後(そのご)一言(いちごん)も意見らしいことは()なんだと云つて居られたのである。
 大本の御神諭に、
『三千世界の一旦は立替であるから、先祖からの深い罪障(めぐり)除去(とり)()りて、何一つ(ほこり)の無い様に掃除を致して、一代で()れぬ罪を神が取りて()りて、(うま)赤児(あかご)に致して、神が末代(まつだい)名の残る結構な御用に使うて、世界の宝と致すぞよ』
と、御示(おしめ)しになつてあるのを見ると、そこに深甚(しんじん)微妙の神理が包含されてあることを今更ながら感激して()まぬ次第である。
『神の致す(まこと)経綸(しぐみ)は、人民では分らぬぞよ。何事も神に任すが良いぞよ』
との御神示は、祖父と祖母とによつて大部分実行された。その(むく)いで王仁(わたし)が至貴至尊なる大神の御用に()さるるやうになつたのだといふことを(かたじけ)なく思ふのである。
 祖父一代の逸話は、なほ沢山に(のこ)つて居るが、これは王仁(わたし)奉道(ほうだう)の経路に就いて余り関係の無いことであるから、省略しておく。
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