すべての人は、死後に天国浄土に昇っていく資格がある。これが神道で言う、神ごころ・大和魂である。また仏教で言う仏性である。
高天原の天人の男女が情交をなすと、霊子が因縁のある現界の男女に宿って、生を享ける者もある。
人の霊魂は至精至微である。過去現在未来の区別を知らずに生き通しである。幾万傲の昔から生死の途を往来し、善果を積んで人間として生まれるのである。
天国へ昇る神性をすべての人間が持っているのだが、根底の国へ落ちて苦しむ者があるのは、体主霊従・利己主義や、我生我執の雲に覆われて自ら身を破るのである。
天地を造った主の神は、極悪無道の人間をも天国浄土に救おうと、地に天の使いを遣わして、人々を神の教えに導こうとされている。
神の御眼より見れば、智者と愚者の区別はなく、一切平等に映じ給う。これが仁愛の心である。
現世の人は例のない聖代に生まれ合わせて、天国浄土の手引きを受けたことは、渡りに舟を得たようである。金剛不壊の宝珠を授けられた如くである。
そもそも人の心霊は、幸福以外のものに無感覚でであるように造られている。だから心霊は、無限の歓喜を永遠に享けるために造られているのである。
人の心霊の歓喜とは、一々のことをことごとく知って理解することに由って生じるのである。だからこの世に生まれて何も理解せず知らないまま生涯を送るほど、悲しいことはない。
死後の生涯に無知識であることは、悲哀の中の悲哀なのである。